第3編 霊界の構造と天地の創造

1.王仁三郎の霊界の構造 10.神示の宇宙
2.相応の理と型 11.大宇宙の生成
3.現界と霊界の関係 12.天祥地瑞での幽の幽の大宇宙の生成
4.出口和明氏のモデル 13.霊界物語1巻第20章での霊界の構造
5.物語第1巻5章での霊界の構造 14.霊界物語第1巻21章での霊界の構造
6.物語第六巻松葉の塵 15.霊界物語第1巻22章での霊界の構造
7.物語第16巻 霊の礎(1) 16.伊都能売神諭による天地創造
8.物語第48巻聖言 17.主神を考察する
9.物語第1巻18章での霊界の構造  

1.王仁三郎の霊界の構造

前の論考では幽の幽から顕の顕について考察しましたが、今度は霊界・現界モデルを考察します。なお、幽の幽から顕の顕と霊界・現界モデルの関係は王仁三郎が直接触れていないので、十分な考察が必要となります。

霊界物語では、第1巻5章「霊界の修行」第1巻18章「霊界の状勢」、第6巻総説「松葉の塵」などで霊界の構造が提示されていますが、同じようには見えませんので詳細な検討が必要です。

これは、王仁三郎が霊界物語を執筆したのは、いろいろと制限があった時代なので、本当のことを言えなかった。王仁三郎について書いた本では、記述されている内容をそのままとってはいけない、大筋をつかめなどと書かれている本もあるくらいです。

※各資料

 霊界・現界・神界についての資料215KB 別ウインドウ)

 天国・霊国についての資料(別ウインドウ)

 関連資料 出口和明氏の考える霊界


2.相応の理と型

大本教、大本裏神業では、霊界と現界の関係についての相応の理が重視されます。

相応の理は霊界が現界に写ることで、型は現界の行動を霊界に反映させることです。

大本教は二度の弾圧を受けましたが、これは、大本を神劇として霊界に写し、その霊界を日本・世界の現界に写し、その現界を改造するための型であったという考え方もあります。

ここではまず、この相応の理と型を検討します。  資料集(別ウインドウ)

現実世界は霊界の移写であり、縮図となっています。

神聖 1935/07 『神聖運動』とは何か
霊界とは想念の世界であつて、時間空間を超越した絶対界である。現実世界は総て神霊世界の移写であり、又縮図である。霊界即ち精神世界の真象を写し出したのが現界即ち自然界である。故に現界を称して、ウツシ世と言ふのである。

霊界の方が大きい、写真に写った風景が現界で、元の風景が霊界と考える

現実世界は全て神霊世界の移写
霊界は想念の世界であって、無限に広大なる精霊世界である。現実世界は全て神霊世界の移写であり、また縮図である。霊界の真心(かたち)をうつしたのが、現界、すなはち自然界である。ゆゑに現界を称してウツシ世といふのである。
 たとへば一万三千尺の大富士山をわづか二寸四方くらゐの写真にうつしたやうなもので、その写真がいはゆる現界すなはちウツシ世である。写真の不ニ山はきはめて小さいものだが、その実物は世人の知るごとく、駿、甲、武三国にまたがった大高山であるがごとく、神霊界は到底現界人の夢想だになし得ざる広大なものである。
 わづか一間四方くらゐの神社の内陣でも、霊界にではほとんど現界人の眼で見る十里四方くらゐはあるのである。 
すべて現実界の事物は、いづれも神霊界の移写であるからである。わづかに一尺足らずの小さい祭壇にも、八百万の神々やまたは祖先の神霊があまり狭隘を感じたまはずして鎮まり給ふのは、すべて神霊は情動想念の世界なるがゆゑに、自由自在に想念の延長を為し得るがゆゑである。
 三尺四方くらゐの祠を建てておいて、下津岩根に大宮柱太布立、高天原に千木高知りて云々と祝詞を奏上するのも、少しばかりの供物を献じて、横山の如く八足(やたり)の机代(つくえしろ)に置足らはして奉るとある祝詞の意義も、決して虚偽ではない。すべて現界はカタすなはち形の世界であるから、その祠も供物も前に述べた不二山の写真に比すべきものであって、神霊界にあっては極めて立派な祠が建てられ、また八百万の神々が知食(きこしめ)しても不足を告げないほどの供物となってゐるのである。
 すべて世界は霊界が主で現界すなはち形体界が従である。一切万事が霊主体従的に組織されであるのが、宇宙の真相で大神の御経綸である。現実界より外に神霊界の厳然として存在することを知らない人が、こんな説を聞いたならば定めて一笑に付して顧みないでありませう。無限絶対・無始無終の霊界の事象は、極限された現界に住む人間の智力では、到底会得することは出来ないでせう。
 この物語は、現、幽、神、三界を一貫し、過去と現在未来を透徹したるがゆゑに、読む人々によって種々と批評が出るでせうが、須(すべから)く現実界を従とし、神霊界を主として御熟読あらば、幾分かその真相をつかむことが出来るであらうと思びます。

京都地裁の裁判資料では、分かりやすく述べています。上の文章では、静的な写真のイメージでしたが、ここでは出来事が移写することを言っています。ただし、出来事が移写するのは、いつ起こるかはわからない。

問 移写関係と云ふ事は──是はどうですか。
答 写ることです。
問 写ることとは──。
答 それは大本が言うたのぢやない、他の……。
問 他所の人はどうでも宜いが、大本で言ふやうになつたこと、王仁三郎は斯う云ふことであると云うて、説いて居つた点を聴きたいのだ。
答 私は、移写関係と云ふことは、余り説いて居りまへぬ。
 「世界の事は大本に写るから、大本に喧嘩があると、世界に戦争がある。大本を見て居つたら、世界を見ないで居ても判る。大本で悪いことをしたら、世界に悪いことが起つて来る。大本が間違うたことをやれば、世界に間違うたことが出来る。直のやり方と王仁のやり方を見て居れば、世の中が出来上つたことが判る」と云ふことを、説いたのが、移写関係です。
問 移写関係の現界に於ては、必ず、移写実現すると云ふことは言へるのか。
答 それもあります。
 霊界の悪いことは、私に写つて来る。
 そして、現界に戦争がある。
 私は、五年も六年も前に、それを見て居る。霊界の戦さがあつたことを見て居る。
 だから、現界に戦さがあると云ふことを、予言が出来るが、予言を現在はさせませぬ。
問 現界に実現すると、合せ鏡の如く写るのだと、現世と云ふのは、それを云ふのだな。
答 さうです。必ず移写します。大抵遅いか早いか……。
問 それは何十年間も移写しないことがあるか、事の軽重に依つては──。
答 それはあります。

3.現界と霊界の関係

相応の理に基づいて、現界と霊界の関係を見てみましょう。

■現界と霊界は相互に影響し合っている
 

物語01-2-13 霊主体従子 天使の来迎
またこの現界と霊界とは相関聯してをつて、いはゆる霊体不二であるから、現界の事は霊界にうつり、霊界の事はまた現界にうつり、幽界の方も現界の肉体にうつつてくる。
 
霊界物語第1巻第18章 霊界の情勢
神界幽界の現界にたいする関係を一寸述べておかうと思ふ。 神界と幽界とは時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆゑ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現はれることもあれば、十年後に現はれることもあり、数百年後に現はれることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。その見ゆる有様は過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであつて、あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別がそれと歴然推断され得るのである。
 霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。
 ここに自分が述べつつあることは、霊界において見た順序のままに来るとはかぎらない。霊界において一層早く会ふた身魂が、現界では一層晩く会ふこともあり、霊界にて一層後に見た身魂を、現界にて一層早く見ることもある。今回の三千世界の大神劇に際して、檜舞台に立つところの霊界の役者たちの霊肉一致の行動は、自分が霊界において観たところとは、時間において非常に差異がある。
 されど自分は、一度霊界で目撃したことは、神劇として必ず現界に再現してくることを信ずるものである。

神は霊界を守護する。その神の指揮によって身魂が現、幽、神の三界に出現する。

物語06-5-251922/01 霊主体従巳 金勝要大神
(真澄姫神、純世姫神、言霊姫神、竜世姫神、高照姫神の)五柱の女神は、その地の国魂として永遠に国土を守護さるることとなれり。但しこれは霊界における御守護にして、現界の守護ならざることは勿論なり。是らの女神は、おのおのその国の神人の霊魂を主宰し、或ひは天国へ、或ひは地上へ、或ひは幽界に到るべき身魂の救済を、各自分掌し給ふこととなりける。故にその国々島々の身魂は、総てこの五柱の指揮に従ひ、現、幽、神の三界に出現するものなり。

 
■神界にも苦しみがあり、神界を占領しようとしている悪魔もある

物語01-2-13 1921/10 霊主体従子 天使の来迎
神界といへども苦しみはあり、地獄といへどもそれ相当の楽しみはあるから、神界だからといつてさう良い事ばかりあるとは思ふな。

しかし高天原の方へ行く時の苦しみは苦しんだだけの効果があるが、反対の地獄の方へ行くのは、昔から其の身魂に罪業があるのであるから、単に罪業を償ふのみで、苦労しても何の善果も来さない。もつとも、地獄でも苦労をすれば、罪業を償ふといふだけの効果はある。

ここになほ注意すべきは、神界にいたる道において神界を占領せむとする悪魔があることである。

 
■霊界と現界とは重なっており、地上にも霊界と現界が存在する

これらは前の論考でも取り上げています。
 

霊界物語第6巻 松葉塵
また時ありて、地上にも幽界の顕現することもある。

これは王仁三郎の口から述べられたものとしては一番分かりやすい表現でしょう。
 

裁判資料
此の地球の見えて居る中にも、幽界もあり現界もあるのです。

 
■霊界物語は霊界・現界のどちらを描いているのか。

霊界物語第6巻 松葉塵
この霊界物語もまた神代の太古における現界を主とし、神界と幽界との相互の関係を口述するを旨としあるを以て、読者はそのお考へにて御誦読あらむことを希望する次第なり。

上の文章で現界であることが分かり、三十五万年前という表現が霊界物語では何度も出てくるので、神代の太古というのは現在より三十五万年前のことでしょう。

物語18-0-2 1922/04 如意宝珠巳 総説
日進月歩文明の、世界と聞えし今年より、年遡り数ふれば、殆ど三十五万年、古き神代の物語、神素盞嗚の大神が、天の安河中におき、天の真名井に誓約して、瑞の御霊と現れ給ひ、天地百の神達に、千座の置戸を負はせられ、八洲の国の此処彼処、漂浪ひ給ひ天が下、四方の国内に蟠まる、八岐大蛇を言向けて、再び日の出の御代となし、皇大神に奉り、大海原の主宰たる、其天職を完全に、遂行せむと村肝の、心砕かせ給ひつつ、尊の水火より出でませる、八乙女を四方八方に、遣はせ給ふ其中に、別けて賢き英子姫、悦子の姫と諸共に、自転倒島に漂着し、荒ぶる神や鬼大蛇、醜女探女を言向けて、神の御国の礎を、常磐堅磐に建てたまふ、尊き神代の物語、茲に天運循環し、神の御言を畏みて、神代に於ける神々の、不惜身命の御活動、言の葉車転ぶまに、早瀬の水のするすると、流れ出づるを一言も、外へはやらじと息を詰め、手具脛曳いて松村や、鉛筆尖らせ北村氏、瑞祥閣に仕へたる、役員東尾副会長、加藤明子の如来迄、眠たき眼擦りつつ、名さへ目出度き万寿苑、風透き通る奥の間に、筆の穂先を揃へつつ、言葉の玉を拾ひ集めてあらあらかくの通り十八巻の物語、月の暦に数ふれば、四月三日雨降らば、鋤鍬あまに釣り下げよと、農夫の気遣ふ今日の日も、晴れてうれしき亀岡の、小高き丘の一つ家に、万代迄と記し置く。

次の表現をよく読めば、どの界のことを述べているかわからなくなってきます。

物語47-0-2 1923/01 舎身活躍戌 総説
霊界物語には、産土山の高原伊祖の神館において、神素盞嗚尊が三五教を開きたまひ、あまたの宣伝使を四方に派遣したまふ御神業は、決して現界ばかりの物語ではありませぬ。霊界すなはち天国や精霊界(中有界)や根底の国まで救ひの道を布衍したまうた事実であります。ウラル教やバラモン教、あるひはウラナイ教なぞの物語は、たいてい顕界に関した事実が述べてあるのです。

また、「天祥地瑞」では幽の幽界の大宇宙の生成が述べられており、56億7千万年以上前のことから述べられているとあります。これについては後ほど紹介します。


4.出口和明氏のモデル

出口和明氏の「霊界の最高機密」に書かれている図を引用します。

後で述べる霊界物語第1巻5章の図とだいたい構造は一緒です。兇党界が追加されているくらいです。

物語50-1-1 真善愛美丑 至善至悪

出口和明氏

霊界物語第1巻5章

  
上図の物語1巻五章での天の神界地の神界は、下図のように天国と霊国に相当すると考えると、下記の図のようになります。後の節で詳細に検討します。ピンクの破線が天国、青の破線が霊国となります。

地の高天原、天の高天原が天の神界、地の神界と対応しているとすれば、地の高天原綾部であるので、天の高天原亀岡となるだろう。そうすると、亀岡に月宮殿があり月界のはずだから、地の神界=日の世界(天国)、天の神界=月の世界(霊国)となるだろう。天と地から受けるイメージとは逆だ。
 


5.物語第1巻5章での霊界の構造

霊界物語第1巻第5章では霊界は右図のような構造になっています。

霊界に対して現界が存在します。

    ┌現界
宇宙──┤      
    └霊界……
右図のように分かれる

各界の説明です。

天界 正しき神々や正しき人々の霊魂の安住する国。
至善、至美、至明、至楽の神境で、天の神界、地の神界に別れてをり、天の神界にも地の神界にも、各自三段の区劃が定まり、上中下の三段の御魂が、それぞれに鎮まる楽園。
地獄界 邪神の集まる国であり、罪悪者の堕ちてゆく国
根の国、底の国にわかれ、各自三段に区劃され、罪の軽重、大小によりて、それぞれに堕ちてゆく至悪、至醜、至寒、至苦の刑域。
中有界 霊界の関門の大河(三途の川)

6.物語第六巻松葉の塵

霊界物語「第6巻総説 松葉の塵」では次のようなっています。中有界について触れられていない他は第5章と同じです。

宇宙には現界、幽界、神界の三大区別が画されてあつて、その中でも、神界はもつとも至貴、至尊、至厳の世界であって、正神の集まり活動さるる神国であり、幽界は邪神界と称してもはばかりなきほどの世界である。

ここでは、次のような構造になっています。

    ┌現界
宇宙──┤    ┌神界 
至貴、至尊、至厳の世界。正神の集まり活動さるる神国
    └霊界──┤
         └幽界
 
邪神界         

「松葉の塵」では、また、現界の人の霊が生きながら神界、幽界に籍を置くことが説かれています。 


7.物語第16巻 霊の礎(1)

各宗教での比較が書かれています。

霊界 神道家 仏者 キリスト者
神界 高天原 極楽浄土 天国
中界 天の八衡 六道の辻 精霊界
幽界 根の国 底の国 八万地獄 地獄

8.物語第48巻聖言

第48巻聖言での構造。用語が違うだけで一般的な構造になっています。

         ┌高天原(天界) 
         |

    ┌霊界──┼中有界(精霊界)
    |    |
     
宇宙──┤    └根底の国(幽界、地獄)
    |
    └現界(自然界)


9.物語第1巻18章での霊界の構造

霊界物語「第1巻第18章」は『霊界物語』中でも問題になるところです。
 
天界は、天照大御神の御支配であって、これは後述することにするが、今は地上の神界の紛乱状態を明らかにしたいと思ふ。

今までは地上神界の主宰者たる国常立尊は、「表の神論」に示されたるごとくに、やむを得ざる事情によって、引退され給うてゐられた。

盤古大神葦原の中津国に来たりたまひて国祖のあとを襲ひたまふた

ここにおいて、天上にまします至仁至愛(みろく)の大神は、このままにては神界、現界、幽界も、共に破滅淪亡の外はないと観察したまひ、ふたたび国常立尊をお召出し遊ばされ、神界および現界の建替を委任し給ふことになった。

太古、葦原瑞穂中津国は大国主命が武力をもって、天下をお治めになってゐた。天孫降臨に先だち、天祖は第三回まで天使をお遣しになり、つひには武力をもって大国主命の権力を制し給うた。大国主神も力尽きたまひ、現界の御政権をば天命のままに天孫に奉還し、大国主御自身は、青芝垣にかくれて御子事代主と共に、幽世を統治したまふことになった。

物語1巻第5章の図に、上の文章の神を入れてみました。

  
(1) 天上とは、現界、霊界とひとまとめにしたということで、至仁至愛の大神主神となるでしょう。

(2) 地上神界=地の神界 天界を字面でとれば、天照大御神が国常立尊の上位になります。
このように解釈すれば政府の追及は避けられたでしょう。

私は、地の神界は天国を、天の神界は霊国をあらわしているのではないと思います。(4.にあり)

だから、下図の下の図モデルに近いと考えられます。

5章の図の構造を使っているとみせかけて、22章の図を使っているのです。22章の文章を図にすると、右上の図ですが、霊界・現界ごとに書き換えると、下図になります。つまり王仁三郎は22章の下の図の構造を使っているのです。

例えば、太陽の霊界も、太陰の霊界も、大地の霊界も、同じ霊界、例えば、地球の中で、住む国が違うだけ。日本、アメリカ、ロシアまた、アメリカ大陸、ユーラシア大陸、アフリカ大陸のような区分になる。そして、人間の存在する大地(霊界 国常立尊 現界 須佐之男命)こそが最も大切な場所となるのです。

このように解釈すれば、霊界物語で物語6巻の大洪水までは、天から天津神が降ってきたり、天の高天原に地の高擶原から神々が陳情に行っても、現界と霊界の境を越えたことにはなりません。

また、第1巻の後半部分は霊国(地の神界)を扱っていると思われます。

■1巻18章「霊界の情勢」の問題点

国常立尊と大国常立尊を使い分けているがほんとうに同じ神か?

●天津神とは誰か?

●天祖とは誰か?

盤古大神が国祖のあとを襲った葦原の中津国(日本)は地上の霊界なのか?

葦原瑞穂中津国は大国主命が武力をもって、天下をお治めになっていた。ここでの、葦原瑞穂中津国は現界となっている。

●大国主命の統治する幽世は、幽界(地獄界)となるようだが、それでよいか。

これらの問題は別の場所で検討しようと思います。


10.神示の宇宙

物語第1巻20章以降の検討をする前に、宇宙の構造を見てみます。神示の宇宙の原文(別ウインドウ)

この宇宙論で、最も重要な点は、地球は球体ではなく、平面であり、天が自動傾斜している、つまり天が動く天動説をとっていることです。

重要な点を整理すると

(1)宇宙全体を大宇宙と言い、大宇宙には56億7千万個の小宇宙がある。

(2)地球を含む宇宙は人間が住むというところで特別で、大宇宙の中心である。

(3)地球小宇宙の霊界を修理固成した神が国常立命。大宇宙を総括する神は大六合常立尊(おほくにとこたちのみこと)別名天之御中主大神

(4)小宇宙は大空大地とに二大別される。

(5)大空には太陽および諸星が配置され、大空と大地の中間すなはち中空には太陰および北極星、北斗星、三ツ星等が配置され、大地には地球および地汐(ちげき)、地星が、大空の星の数と同様に地底の各所に撤布されている。

(6)われわれの小宇宙は、自分自身が中心となって、他の諸宇宙と、それぞれ霊線をもつて蜘蛛の巣のように四方八方に連絡し相通じている。
 それらの宇宙には、吾々の地球上の人間や動植物と同じようなものは生息していない。我が小宇宙における、地球以外の星にも神々はおられるが、地球上に棲息するような生物は断じていない。

この部分については、聖師校正版と初版では大きな違いがあります。

「いる」が「いない」に訂正されているのですね。180度の訂正です。ちょっと考えると、「いる」ほうの小宇宙が皆同じような状況であるほうが分かりやすいと思います。

「いない」ということは、人間の内分が神の子で宇宙の中心であることが強調されるように思います。つまり、「人間があるから宇宙が存在する」というような考えに近づくと思います。

出口和明氏は、「人間が無くなれば、内流の止まるところがなくなるので、世界は無くなる」(『神の活哲学』)と書かれており、これに対応している出典はまだ私は見つけていませんが、この話と通い合うような気がします。

取り消し線は校正版で削除、<>内は校正版で追加。(八幡書店 霊界物語より)

それらの宇宙にも、殆ど我々の地球上の人間や動植物と同じ様なものが生息して<ない>。但此の我が小宇宙に於ける、地球以外の星には神々は坐ませども、地球上に棲息する如き生物は<断じて>ゐない。

(7)宇宙間には、霊素=高御産巣日神と、体素=神御産巣日神がある。両者は相抱擁帰一して、精気が宇宙に発生する。この精気から電子が生れ、電子は発達して宇宙間に電気を発生し、一切の万物活動の原動力となる。この霊体二素の神霊より、宇宙に動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力が完成して、ついに大宇宙、小宇宙が形成された。


11.大宇宙の生成

大宇宙の生成は第6巻「1章宇宙太元」に書かれています。

霊界物語の第一巻より本巻に亘り口述するところは、大宇宙の完成するまでに五十六億万年を要したる時より以後の事を述べたるものなり。 ことより、第1巻の20章以降は、小宇宙の生成となります。

ここに書かれている構造は古事記に相応しています。

天之御中主神、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)は古事記の最初に出てくる、独神と言われている3神です。

続く2神は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)でここでは葦茅彦遅神として取り上げられています。それに続いて天之常立神(あめのとこたちのかみ)で、ここまでの5柱を古事記では別つ天津神(ことあまつかみ)と呼んでいます。

下図の常立神については天之常立神なのかその後に出る国之常立神(くにのとこたちのかみ)に相応するか、解釈が難しいところです。「宇宙太元」では「無始無終無限絶対の大宇宙の森羅万象を完成したる神を称て大国治立尊(一名天常立命)といひ、ミロクの大神ともいふなり」と大国治立尊=天常立命となっています。

物語80巻総説には、「幽の幽神は天之峰火夫神以下 皇典所載の天御中主神及び別天神迄の称号にして、幽の顕なる神は天照大神、神素盞嗚尊の神位に坐します神霊を称するなり」とあります。

古事記では次に国之常立神(くにのとこたちのかみ)と豊雲野神(とよくもののかみ)が出てきますが、国之常立神(くにのとこたちのかみ)から伊邪那美神を神世七代と呼んでいますが、その後の世代が天照大神、素盞嗚尊となりますから、神世七代は幽の幽か顕の顕どっちに当るのだろうか。

前の論考で取り上げた「大本略儀」では、伊邪那岐命、伊邪那美命は幽の顕神になっています。

原初

湯気とも煙とも何とも形容のし難い一種異様の微妙のものが漂ひゐたり。
天御中主神 宇宙の原初の微妙な物が、十億年間の歳月を経て、一種無形、無声、無色の霊物となったもの。
宇宙の大元霊。古事記では天御中主神と称へ又は天之峰火夫神。
仏典=阿弥陀如来。キリスト教=、ゴツドまたはゼウス。易学=太極。支那=天主天帝、天。
天御中主神の霊徳は、漸次宇宙に瀰漫(びまん)し、氤うん化醇(いんうんくわじゅん)して遂に霊、力、体を完成し、無始無終無限絶対の大宇宙の森羅万象を完成したる神を称て大国治立尊(一名天常立命)といひ、ミロクの大神ともいう。
造化の三神 天御中主神が霊力を産出する。これを霊系の祖神高皇産霊神(たかみむすび)という。
つぎに元子=水素(また元素といふ)を醸成した。体系の祖神神皇産霊神(かみむすび)という。
この二神の霊と体とより一種異様の力徳を生じたり。之を霊体(ちから)という。
ほとんど三十億年の歳月を要して、霊力体がやや完全になった。
本体の天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神を称して造化の三神という。
常立神 水素からを水の流体(葦茅彦遅神)を生む。水素に霊系すなはち火の霊を宿して一種の力徳を発生し、動物の本質となる。神祇官所祭の生魂はこれのこと。
火水抱合して一種の固形物体発生し、宇宙一切を修理固成するの根元力である剛体素となった。これを常立神といい、神祇官の玉留魂である。
金、銀、銅、鉄、燐、砂、石等は、この玉留魂をもつとも多量に包含し、万有一切の骨となった。この剛体素、玉留魂の完成するまでに、太初よりほとんど五十億年かかった。大宇宙の一小部分たる我が宇宙(地球界)大地は、あたかも炮烙を伏せたるがごとき山と、剛流の混せいしたる泥海であった。
豊雲野命 玉留魂の神(常立神)は、大地の海陸を区別し、清軽なるものはたなびきて大空となり、重濁なるものは大地を形成した。
この時の宇宙の天地には、生物の影は未だ無かった。
生魂と玉留魂との水火合して、植物の本質である柔体足魂を完成した。之を神典にては豊雲野命という。
宇宙は霊、力、体の元子なる、剛柔流の本質が完成されたが、宇宙は未だその活動を開始するに至っていなかった。 
力が発達して、動、静、解、凝、引、弛、合、分八力を産出した。
八力が完成して始めて宇宙の組織成就し大空に懸った太陽は、無数の星辰の相互の動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力の各自の活動によって、その地位を保ち、大地またこの八力によつて、その地位を保持することとなりしなり。
大宇宙は完成に至るまで、ほとんど五十六億万年を費した。

12.天祥地瑞での幽の幽の大宇宙の生成

「天祥地瑞」の最初に天の世が出てきます。富士文庫というのは宮下文書のことです。

物語73-0-2 1933/10 天祥地瑞子 総説
 いよいよ本巻よりは、我古事記に現れたる天之御中主神以前の天界の有様を略述し、以て皇神国の尊厳無比なるを知らしめむとするものなり。
 本書は富士文庫に明記されたる天の世を初めとし、天之御中之世、地神五代の世より今日に至る万世一系の国体と、皇室の神より出でまして尊厳無比なる理由を闡明せむとするものにして、先づ天の世より言霊学の応用により著はせるものなれば、決して根拠なき架空の説にあらざるを知るべし。富士文庫神皇記の天の世の神の御名を列記すれば、
 一 天之峯火夫神
 二 天之高火男神
 三 天之高地火神
 四 天之高木比古神
 五 天之草男神
 六 天之高原男神
 七 天之御柱比古神
 以上七柱の天神七代を天の世と称し、天之御中主神より以下七代を天之御中之世と称へ奉るなり。茲に皇国固有の言霊学の力をかりて、大虚空に於ける最初の神々の御活動を謹写せむとして著はしたる物語なり。

「天祥地瑞」では「宇宙太元」を詳細に記述したような感じで、言霊のビッグバンを説きます。

物語73-1-1 1933/10 天祥地瑞子 天之峯火夫の神
 天もなく地もなく宇宙もなく、大虚空中に一点のヽ忽然と顕れ給ふ。このヽたるや、すみきり澄みきらひつつ、次第次第に拡大して、一種の円形をなし、円形よりは湯気よりも煙よりも霧よりも微細なる神明の気放射して、円形の圏を描きヽを包み、初めて◎の言霊生れ出でたり。此の◎の言霊こそ宇宙万有の大根元にして、主の大神の根元太極元となり、皇神国の大本となり給ふ。我日の本は此の◎の凝結したる万古不易に伝はりし神霊の妙機として、言霊の助くる国、言霊の天照る国、言霊の生くる国、言霊の幸はふ国と称するも、此の◎の言霊に基くものと知るべし。

 キリストの聖書にヨハネ伝なるものあり。【ヨ】とはあらゆる宇宙の大千世界の意なり、【ハ】は無限に発達開展、拡張の意なり、【ネ】は声音の意にして宇宙大根本の意なり。ヨハネ伝首章に曰く、『太初に道あり、道は神と偕にあり、道は即ち神なり。此の道は太初に神と偕に在き。万物これに由て造らる、造られたる者に一として之に由らで造られしは無』と明示しあるも、宇宙の大根元を創造したる主の神の神徳を称へたる言菓なり。

 清朗無比にして、澄切り澄きらひスースースースーと四方八方に限りなく、極みなく伸び拡ごり膨れ上り、遂に◎は極度に達してウの言霊を発生せり。ウは万有の体を生み出す根元にして、ウの活動極まりて又上へ上へと昇りアの言霊を生めり。又ウは降つては遂にオの言霊を生む。

 ◎の活動を称して主の大神と称し、又天之峯火夫の神、又の御名を大国常立神言と奉称す。大虚空中に、葦芽の如く一点のヽ発生し、次第次第に膨れ上り、鳴り鳴りて遂に神明の形を現じたまふ。

 ◎神の神霊は◎の活動力によりて、上下左右に拡ごり、◎極まりてウの活用を現じたり。ウの活用より生れませる神名を宇迦須美の神と言ふ、宇迦須美は上にのぼり下に下り、神霊の活用を両分して物質の大元素を発生し給ひ、上にのぼりては霊魂の完成に資し給ふ。今日の天地の発生したるも、宇迦須美の神の功なり。ウーウーウーと鳴り鳴りて鳴極まる処に神霊の元子生れ物質の原質生まる。故に天之峯火夫の神と宇迦須美の神の妙の動きによりて、天津日鉾の神大虚空中に出現し給ひ、言霊の原動力となり七十五声の神を生ませ給ひ、至大天球を創造し給ひたるこそ、実に畏き極みなりし。再拝。

大宇宙と小宇宙との関係。大宇宙の後に小宇宙が形成された。これまでの物語の宇宙論と矛盾してはいません。

物語73-1-2 1933/10 天祥地瑞子 高天原
 ここに宇迦須美の神は◎の神の神言もちて、大虚空中に活動し給ひ、遂にオの言霊を神格化して大津瑞穂の神を生み給ひ、高く昇りて天津瑞穂の神を生ませ給ひぬ。大津瑞穂の神は、天津瑞穂の神に御逢ひてタの言霊、高鉾の神、カの言霊、神鉾の神を生ませ給ひぬ。高鉾の神は太虚中に活動を始め給ひ、東に西に南に北に、乾坤巽艮上下の区別なくターターターター、タラリタラリ、トータラリ、タラリヤリリ、トータラリとかけ廻り、神鉾の神は、比古神と共にカーカーカーカーと言霊の光かがやき給ひ、茲にいよいよタカの言霊の活動始まり、高鉾の神は左旋運動を開始し、神鉾の神は右旋運動を開始して円満清朗なる宇宙を構造し給へり。茲に於て両神の活動は無限大の円形を造り給へり。この円形の活動を【マ】の言霊と言ふ、天津真言の大根元はこのマの言霊より始まれり。

 高鉾の神、神鉾の神、宇宙に現れ給ひし形をタカアと言ひ、円満に宇宙を形成し給ひし活動をマと言ひ、このタカアマの言霊、際限なく虚空に拡がりて果てなし、この言霊をハと言ひ速言男の神と言ふ。両神は速言男の神に言依さし給ひて、大宇宙完成の神業を命じ給ふ。速言男の神は右に左に廻り廻り鳴り鳴りて螺旋形をなし、ラの言霊を生み給ふ。この状態を称してタカアマハラと言ふなり。高天原の六言霊の活動によりて無限絶対の大宇宙は形成され、億兆無数の小宇宙は次で形成さるるに至れり。清軽なるもの、霊子の根元をなし、重濁なるものは物質の根元をなし、茲にいよいよ天地の基礎は成るに至れり。

 未だ速言男の神以前の世は宇宙なるもの無く、日月星辰の如き霊的物質形をとめず、虚空はただ霊界のみ創造され、物質的分子は徴塵だもなかりけるが、この六言霊の活用によりて、天界の物質は作られたるなり。これより天地剖判に至るまで数十代の神あり、之を天の世と称し奉る。

 天の世は霊界のみにして現界は形だにもなく、実に寂然たる時代なりき。この高天原六言霊の鳴り鳴りて鳴り止まざる活用によりて、大虚空に紫微圏なるものあらはれ、次第次第に水火を発生して虚空に光を放ち、其光一所に凝結して無数の霊線を発射し、大虚空をして紫色に輝く紫微圏層の世を創造し給ひぬ。紫微圏層についで蒼明圏層現れ、次に照明圏層、次に水明圏層現れ、最後に成生圏層といふ大虚空に断層発生したり。この高さ広さ到底算ふべき限りにあらず、無限絶対無始無終と称するより語るべき言葉なし。
嗚呼惟神霊幸倍坐世。

この後も、幽の幽界の創造は続きますが、まとめるのはとても難しい。「天祥地瑞」をお読みください。

次の章で、幽の幽について説かれています。紫微天界は作り出された大宇宙であると考えればよいと思います。

物語75-1-2 1933/11 天祥地瑞寅 言霊の光
 抑紫微の天界はスの言霊の水火によりて鳴り出でませるが故に、天地万有一切のものいづれも稚々しく、柔く、現在の地球の如く山川草木修理固成の域に達し居らず、神また幽の幽にましまし、意志想念の世界なれば、到底現代人の想像も及ばざる程なり。清軽なるものは高く昇りて天となり、重濁なるものは降りて地となる。これの真理によりて紫微天界は五十六億七千万年の後、修理固成の神業完成すると共に、其重量を増し、次第次第に位置を大空中の低処に変ずるに至りたれば、我地球こそ、紫微天界のやや完成したるものと知るべし。

 紫微天界に於ける数万丈の山岳と雖も殆ど気体なれば、柔く膨れあがり、伸びひろごりたるもの、次第次第に収縮作用を起し、最高二万数千尺の山岳を止むるに至りたるなり。紫微天界に於ける国土生み、神生みの神業も、この柔き一切の気体界を物質界に修理固成する迄の年処は、五十六億七千万年の久しきを経たるなり。故に紫微天界の神々の御活動は、無始より無終に連続して止む時なし。故に神代に於ける愛の情動も、亦現代人の如く濃厚執拗ならず、時、処、位に応じて愛の情動起り、忽ち消散して後なき極めて淡泊なる情動なりしなり。併しながら世の次ぎ次ぎ下るに従ひて、山川草木其の硬度を増し、人情又濃厚執拗となりて、遂には愛恋の乱れ、争闘を起すに至れるも自然の結果止むを得ざる事と言ふべし。故に主の大神は紫微天界の最初にあたり、天之道立の神をして、世の混乱を防ぐべく、天津真言の道を天地万有に永遠無窮に教へ導き給ひ、乱れゆく世を建正すべく経綸されたるは深き神慮のおはします事なり。

 紫微天界に於ける山川大地は、浮脂のごとく漂へるを以て、現代人の如き重濁なる身をもつては、殆んど空中を行く如く、水上を歩むが如く、如何ともすべからざれども、神代の神人は気体にましませば、浮脂のごとき柔き地上を歩みて何の支障なく、恰も現代人の現界地上を歩むと異なるところなきなり。国土の修理固成なりて硬度を増すに従ひ、神々も亦体重を増加し、遂には人となりて地上に安住するに至りたるなり。我地球の今日の如く確固不動に修理固成さるるまでは、五十六億七千万年の年処を経たるを思へば、神界の経綸の幽遠なるに畏敬の念をはらはざるべからざるなり。

「天祥地瑞」の最初の部分はとても難しい。紹介だけしておきました。


13.霊界物語1巻第20章での霊界の構造

さて、第一巻に戻ります。第1巻20章では天地の倍判が語られます。ここで語られているのは小宇宙の修理固成です。

11.「宇宙太元」で検討したように、これは幽の幽もしくは幽の顕どちらの働きでしょうか?

ここでの小宇宙は下記のような構造になっています。ここで注意すべきことは、下図の上図のように書くと、大地、太陽、太陰は別次元の世界のようですが、世界には現界と霊界の2大別があるだけだから、大地、太陽、太陰は同じ次元での分類(全体を地球とすれば国別)と考えられます。

ということは、ここで出てくる地上と天は現界と霊界という関係ではないと私は思っています。たぶん、地上=天国、天界=霊国(4.にあり)であると思います。

それでは、小宇宙の修理固成を見てみましょう。

番号はステージを表します。1が天地が混沌とした状態。

天動説ですから、まず地平が作られ、それから星が作られます。

茫々たる宇宙の混沌
茫々たる宇宙の混沌たる中に、どこともなしに一つの球い凝塊(かたまり)ができるのが見える。それは丁度毬のやうな形で、周辺には一杯に泥水が漂うてゐる。
見るまにその球い凝塊は膨大して、宇宙全体に拡がるかと思はれた。
やがて眼もとどかぬ拡がりに到達したが、球形の真中には、鮮かな金色をした一つの円柱が立ってみた。円柱はしばらくすると、自然に左旋運動をはじめる。周辺に漂ふ泥は、円柱の回転につれて渦巻を描いてゐた。その渦巻は次第に外周へ向けて、大きな輸が拡がっていった。はじめは緩やかに直立して回転してゐた円柱は、その速度を加へきたるにつれ、次第に傾斜の度を増しながら、視角に触れぬやうな速さで、回転しはじめた。
すると、大きな円い球の中より、暗黒色の小塊体が振り放たるるやうにポツポツと飛びだして、宇宙全体に散乱する。観ればそれが無数の光のない黒い星辰(ほし)と化(な)つて、或ひは近く、或ひは遠く位置を占めて左旋するやうに見える。後方に太陽が輝きはじめるとともに、それらの諸星は皆一斉に輝きだした。

その金の円柱は、たちまち竜体と変化して、その球い大地の上を東西南北に馳せめぐりはじめた。さうしてその竜体の腹から、口から、また全身からも、大小無数の竜体が生れいでた。
 金色の竜体と、それから生れいでた種々の色彩をもった大小無数の竜体は、地上の各所を泳ぎはじめた。もっとも大きな竜体の泳ぐ波動で、泥の部分は次第に固くなりはじめ、水の部分は稀薄となり、しかして水蒸気は昇騰する。そのとき竜体が尾を振り廻すごとに、その泥に波の形ができる。もっとも大きな竜体の通った所は大山脈が形造られ、中小種々の竜体の通った所は、またそれ相応の山脈が形造られ。低き所には水が集り、かくして海もまた自然にできることになった。この最も大いなる御竜体を、大国常立命と称へ奉ることを自分は知った。

宇宙はその時、朧月夜の少し暗い加減のやうな状態であったが、海原の真中と思はるる所に、忽然として銀色の柱が突出してきた。その高さは非常に高い。それが忽ち右旋りに回転をはじめた。その旋回につれて柱の各所から種々の種物が飛び散るやうに現はれて、山野河海一切のところに撒き散らされた。しかしまだその時は人類は勿論、草木、禽獣、虫魚の類は何物も発生してはゐなかった。

たちまち銀の柱が横様に倒れたと見るまに、銀色の大きな竜体に変じてゐる。その竜体は海上を西から東へと、泳いで進みだした。この銀色の竜神が坤金神と申すのである。

 

 

また東からは国祖大国常立命が、金色の大きな竜体を現じて、固まりかけた地上を馳せてこられる。両つの御竜体は、双方より顔を向き合はして、何ごとかを諜(しめ)しあはされたやうな様子である。しばらくの後金色の竜体は左へ旋回しはじめ、銀色の竜体はまた右へ旋回し始められた。そのため地上は恐ろしい音響を発して震動し、大地はその震動によって、非常な光輝を発射してきた。
10

 このとき金色の竜体の口からは、大なる赤き色の玉が大音響と共に飛びだして、まもなく天へ騰(のぼ)って太陽となった。銀色の竜体はと見れば、口から霧のやうな清水を噴きだし、間もなく水は天地の間にわたした虹の橋のやうな形になって、その上を白色の球体が騰ってゆく。このとき白色の球体は太陰となり、虹のやうな尾を垂れて、地上の水を吸ひあげる。地上の水は見るまに、次第にその容量を減じてくる。

 金竜は天に向って息吹を放つ。その形もまた虹の橋をかけたやうに見えてゐる。すると太陽はにはかに光を強くし、熱を地上に放射しはじめた。

 

11  水は漸く減いてきたが、山野は搗きたての団子か餅のやうに柔かいものであつた。それも次第に固まつてくると、前に播かれた種は、そろそろ芽を出しはじめる。一番に山にはが生え、原野にはが生え、また彼方こなたに梅が生えだした
12  次いで杉、檜、槙などいふが、山や原野のところどころに生じた。つぎに一切の種物は芽を吹き、今までまるで土塊で作つた炮烙(ほうらく)をふせたやうな山が、にはかに青々として、美しい景色を呈してくる。
13 地上が青々と樹木が生え始めるとともに、今まで濁つて赤褐色であった天は、青く藍色に澄みわたってきた。さうして濁りを帯びて黄ずんでゐた海原の水は、天の色を映すかのやうに青くなつてきた
14 地上がかうして造られてしまふと、元祖(もと)の神様も、もう御竜体をお有ちになる必要がなくなられたわけである。それで金の竜体から発生せられた、大きな剣膚(たちはだ)の厳めしい角(つの)の多い一種の竜神は、人体化して、荘厳尊貴にして立派な人間の姿に変化せられた。これはまだ本当の現体の人間姿ではなくして、霊体の人間姿であつた。
15 このとき、太陽の世界にては、伊邪那岐命がまた霊体の人体姿と現ぜられて、その神をさし招かれる。そこで荘厳尊貴なる、かの立派な大神は、天に上つて撞の大神とおなり遊ばし、天上の主宰神となりたまうた。
16

白色の竜体から発生された一番力ある竜神は、また人格化して男神と現はれたまうた。この神は非常に容貌美はしく、色白くして大英雄の素質を備へてをられた。その黒い頭髪は、地上に引くほど長く垂れ、髭は腹まで伸びてゐる。この男神を素蓋鳴大神と申し上げる。

 自分はその男神の神々しい容姿に打たれて眺めてゐると、その御身体から真白の光が現はれて、天に冲(ちう)して月界へお上りになってしまった。これを月界の主宰神で月夜見尊と申し上げるのである。そこで大国常立命は、太陽、太陰の主宰神が決つたので、御自身は地上の神界を御主宰したまふことになり、須佐之男大神は、地上物質界の主宰となり給うたのである。

表を図示すると上のような図になります。撞の大神は天照皇大神=大国常立尊(主神 天御中主神)となるのではないでしょうか。

物語では、撞の大神は、素盞嗚尊である場合もありますが、素盞嗚尊はこの図では別に出ています。

しかし、よく考えてみると、この図を見て話を読むとおかしいところがある。「大国常立命は地上の神界の主宰となった」とあるのに、天に昇って撞の大神、やはり大国常立尊になっています。

霊界物語では、国常立尊の神格に疑問がわくところが何箇所かあるが、ここもそうではないでしょうか。「大国常立命は地上の神界の主宰となり国常立尊となり、天では戻られた大国常立尊がおられる」のような書き方なら少しはわかります。

この部分は、うがった見方をすれば、48巻以降で明らかにされるが主神=神素盞嗚大神であるから、金の竜体、銀の竜体は主神の陰陽の働きと見る。こうすればすっきりするのではないでしょうか。

また上図は次のようにも考えられます。こうすれば、霊界の標準構造と同じですね。

今のところ、ここは何を言おうとしているのかわからない。これこそが正解かも知れません。

 

素盞嗚尊と須佐之男命の使い分け

またこの部分は素盞嗚尊と須佐之男命の使い分けを示唆しているかも知れません。天で主神の働きをする場合は素盞嗚尊地上の物資界を主宰する場合は須佐之男命


14.霊界物語第1巻21章での霊界の構造

霊界物語第1巻第21章を見ましょう。重要な個所を下に抜書きしています。

 それから大神は天の太陽、太陰と向はせられ、陽気と陰気とを吸ひこみたまうて、息吹の狭霧を吐きだしたまうた。この狭霧より現はれたまへる神が稚姫君命である。

(中略)

 このたびの地変によつて、地上の蒼生はほとんど全滅して、そのさまあたかもノアの洪水当時に彷彿たるものであつた。そこで大神は、諸々の神々および人間をお生みになる必要を生じたまひ、まづ稚姫君命は、天稚彦といふ夫神をおもちになり、真道知彦、青森知木彦、天地要彦、常世姫、黄金竜姫、合陀琉姫、要耶麻姫、言解姫の三男五女の神人をお生みになつた。この天稚彦といふのは、古事記にある天若彦とは全然別の神である。かくのごとく地上に地変を起さねばならぬやうになつたのは、要するに天において天上の政治が乱れ、それと同じ形に、地上に紛乱状態が現はれ来つたからである。天にある事はかならず地に映り、天が乱れると地も乱れ、地が乱れると、天も同様に乱れてくるものである。そこで大神は天を修理固成すべく稚姫君命を生みたまうて天にお昇せになり、地は御自身に幽界を主宰し、現界の主宰を須佐之男命に御委任になつた。

稚姫君命が天に昇ったのは死んだと解釈するのが妥当ではないでしょうか。ということは、稚姫君命が行ったは界を越えていることになる。

ここで、「天にある事はかならず地に映り、天が乱れると地も乱れ、地が乱れると、天も同様に乱れてくるものである。」とあります。これは、霊界と現界の相応の理と同じ説明ですが、これまで検討したように天と地上は同じ界にあると考えると、この説明はおかしいのではないでしょうか。なぜ、霊界と現界を使わずに、天と地を使ったか。ますます分からなくなってきます。



15.霊界物語第1巻22章での霊界の構造

霊界物語第1巻第22章で太陽、月の世界、大地の主宰神が決まります。そこは、それぞれが霊界・現界に分かれています。

大国常立尊の御神力によりて、天地はここに剖判(ぼうはん)し、太陽、太陰、大地の分担神が定まつたことは、前述したとほりである。しかして太陽の霊界伊邪那岐命これを司りたまひ、その現界は、天照大御神これを主宰したまふのである。次に太陰の霊界は、伊邪那美命これを司りたまひ、その現界は、月夜見之命これを主宰したまふ。大地の霊界は前述のごとくに大国常立命之を司りたまひ、その大海原日之大神の命によりて須佐之男命これを主宰したまふ神定めとなつた。

 しかるに太陽界と、大地球界とは鏡を合したやうに、同一状態に混乱紛糾の状態を現出した。太陰の世界のみは、現幽両界ともに元のままに、平和に治まつてゐる。ひとり太陰に限つて、なぜ今でもり平和に治まつてゐるかと言へば、この理は月の形を地上から観測しても明らかである如く、光はあれども酷烈ならず、水気はあっても極寒ではない。実に寒暑の中庸を得たる至善至美の世界であるからである。これに反して太陽の世界は、非常に凡てのものが峻烈で光りは鮮かであり、六合に照徹する神力はあれども、それだけまた暗黒なる陰影が多い。しかしてまた大地は、もとより混濁せる分子の凝り固まつてできたものであるから、勢として不浄分子が多い。したがつてまた邪神の発生するのも、やむを得ない次第である

この図は何度も取り上げていますが、左側の上下、霊界・現界と主宰を無視すれば、霊界の標準構造になります。

どれが本当の構造なのか、ますます、分からなくなってきます。

幽の幽から顕の顕の論考から表にまとめてみると次のようになります。

 

説明(略儀+伝来の神法+山上の神訓)



神界の奥の奥 天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神


天の神界
 天国
 霊国
宇宙を舞台として活動する神々(天津神)の世界。
二大祖神 伊邪那岐命、伊邪那岐命
三貴神 天照大御神、須佐之男命、月読命
天上の神界では、天照大御神様を主神と仰ぎて、八百万の天津神が政事を輔佐している。
厳の御霊日の大神瑞の御魂月の大神は、主の神即ち大国常立大神の神霊の御顕現にして、高天原の天国にては日の大神と顕(あら)はれ給ひ、高天原の霊国にては月の大神と顕はれ給ふ。


地の神界
(地上の幽界)
天国(天人がいる)
霊国(天使がいる)
国祖国常立尊、豊雲野尊、又は一度現世にその肉体を表現された神様(大国主之大神および諸々の天使および天人)。
ここ大地の内部を舞台として活躍する神を国津神という。
国津神を生んだのは、天照大御神と須佐之男尊


現実世界
(人間界)
天照大御神の御神勅に依り、豊葦原瑞穂国(地球上)の主として、天降った、皇孫邇々岐尊様を初め、歴代の天皇陛下
天皇に仕へ奉る文武の百官も、顕の顕神である。
顕界に肉体を保ちて、神の大道を伝え、また現界諸種の事業を司宰する人間。
国津神八百万坐しませども皆現界における宣伝使や正しき誠の司。

22章の霊界の図と上の幽の幽から顕の顕までを比較すると。 小宇宙のところは大宇宙かも知れません。

22章のモデル

幽の幽から顕の顕モデル

宇宙 天之御中主神 幽の幽 神界の奥の奥 天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神
太陽の霊界
太陰の霊界
太陽の現界
太陰の現界
伊邪那岐命
伊邪那美命
天照大御神
月読命
幽の顕 天の神界

天国
霊国
伊邪那岐命
伊邪那美命
天照大御神
月読命
須佐之男命(22章のモデルになし)
大地の霊界 大国常立尊 顕の幽 地の神界

天国
霊国
国祖国常立尊
豊雲野尊(22章のモデルになし)
天人
天使
地の現界 須佐之男命 顕の顕 現実世界
(人間界)
天皇陛下

16.伊都能売神諭による天地創造

伊都能売神諭、大正八年二月十八日に、五六七の大神、六六六の大神、国常立尊の天地創造が出ています。

伊都能売神諭大正八年二月十八日

これと霊界物語の天地創造(20巻から22巻)を比較してみます。

  伊都能売神諭(五六七=六六六) 霊界物語
最初は五六七の大神が泥海の中に独りでいた

五六七の大神
 (1) 泥の世界に最初に住んでいた。世界を造るに就て非常に独神で御心配遊ばしていた。
 (2) 大きな蛇体である。鱗は一枚もなし、角も一本もなし、体の色は青水晶。
 (3) 斯世を創造して、天地を開く事に非常に苦心遊ばし、天地の元の祖神と成られた。
 (4) ミロクの大神ともツキの大神とも申上げる。

最初は金色の竜体が独りでいた。

金色の竜体=大国常立尊

(2)金の竜体は角が多い 

(4)後に分かれて、太陽となった(太陽の世界では伊邪那岐命が出てくるが、日の大神の伊邪那岐命になったかは不明
 
人体化して太陽の世界へ上り撞の大神となる

    金色の竜体が天地創造を始める
   =>大小無数の竜体を生んだ
日の大神が現れた

日の大神
(1) 五六七の大神と似たやうな御神姿の大蛇神
(2) 十六本の頭に角が生えて、其角の先から大変な光りが現はれて居る神様
(3) 女体である

銀色の竜体が現れる

銀色の竜体=坤の金神

(3)後に人体化して素盞鳴尊
  
月の世界へ上り月夜見尊

五六七の大神が日の大神に天地創造を提案  
国常立尊が世界の創造を手伝いたいと言ってきた  
五六七の大神と日の大神は他の神の賛成も得て国常立尊を地の主宰とした  
最初の土は五六七の大神が作った 最初は大国常立尊が造り、後に坤の金神が協力した
国常立尊は最初の土を貰い土と水とを立別け、山、川、原、野、海をつくり、大国常立尊となった 大国常立尊が山、川、原、野、海をつくった
未だ地の世界が充分に固まっていなかった時に、頭に十本の角の生へた大蛇神が天に上り○○○○○○と成った。  
地の世界が固まった頃、露国辺りに八頭八尾の巨蛇神が現はれて、天地を自由に致そうとした。 地の一方では、天地間に残滓(かす)のやうに残つてゐた邪気は、凝(こ)つて悪竜、悪蛇、悪狐を発生し、或ひは邪鬼となり、妖魅となつて、我儀放璋(わがままはうし)な人間の身魂に憑依し、世の中を悪化して、邪霊の世界とせむことを企てた。
     大国常立尊は地変を起し叢生をすべて滅亡させた。
その後、再度、体制を整えて、地を作り直した。
10 八頭八尾の巨蛇神は地の世界を乱れさせ、最後には国常立尊を押し込めた。 天地がだんだん乱れて、最後には、国常立尊の退隠となる。

最初にいた神、ミロクの大神は大国常立尊つまり主神と同じ神です。

この部分の問題点はやはり国常立尊の神格です。霊界物語では大国常立尊と国常立尊が同じ神のように書かれていますが、伊都能売神諭の場合は、後から出てきた別の神です。伊都能売神諭のほうがすっきりとしています。大国常立尊と国常立尊は別の神として考えるように、二通りの書き方がされているのでしょうか?


17.主神を考察する

ここまで霊界の構造を考察してきましたが、主神と国常立尊の関係については微妙なものがあります。これは霊界物語全体の大きなテーマであると思います。

ここでは、主神(真神)について述べられた文章を一部検討してみましょう。


■霊の礎(3)にみる真神

第17巻の霊の礎(3)では下記のように書かれています。

一、真神たる天之御中主の大神その霊徳の完備具足せるを天照皇大御神と称へ奉り、また撞の大御神と称へ奉る。しかして火の御祖神(霊)高皇産霊大神と称へ厳の御魂と申し奉り、水の御祖神(体)神皇産霊大神と称へ瑞の御魂と申し奉る。

一、霊系の主宰神は厳の御魂にまします国常立神、体系の主宰神は瑞の御魂とまします豊国主尊と申し奉る

一、以上の三神はその御活動に由りて種々の名義あれども、三位一体にして天之御中主の大神(大国常立尊)
御一柱に帰着するのである。

一、ゆゑに独一真神と称へ奉り、一神すなはち多神にして多神すなはち一神である。これを短縮して主と日(い)ふ。また厳の御魂は霊界人の主である。また瑞の御魂は現界人の心身内を守り治むる主である。

厳の御魂=高皇産霊大神=霊系の主宰神=国常立神

瑞の御魂=神皇産霊大神=体系の主宰神=豊国主尊

天之御中主の大神+厳の御魂+瑞の御魂=伊都能売の大神=天之御中主の大神

厳の御魂、瑞の御魂は主神の陰陽の働きであると考えられます。

■太古の神の因縁に見る神の関係

太古の神の因縁は重要な文献だと思われます。ここは、分かりやすく説かれています。しかし、他の文献との整合性はどうなのでしょうか。

●天之御中主大神=天の御先祖様 ミロク菩薩、ミロクの神 (精霊体の完備 天照皇大神 撞の大神)

(天之御中主大神が、高皇産霊神、神皇産霊神を造化の任に任じた)

    ●高皇産霊神 神漏岐之尊 天系、霊系、火系、父系 *精霊体 神伊邪那岐之神言

    ●神皇産霊神 神漏美之尊 地系、体系、水系、母系 *精霊体 神伊邪那美之神言

●天之御中主大神+高皇産霊神+神皇産霊神 = 三神即一神 三ツの身魂 (瑞の身魂)
  = 撞の大神 天の御三体の大神 ミロクの大神 ツキの大神

上記より、精霊体の完備とは三神即一神のことであろう。

●撞の大神が国常立尊を大地球の先祖として任じた。

●万神は国常立尊の非を撞の大神に奏上、撞の大神が国祖の退隠を決めた。

●撞の大神は艮に退隠し給へる国祖を許し、再び地上の主権を附与した。

 国祖は、出口開祖を機関として現れた。

 撞の大神は地上に降臨せられ霊力体即ち御三体の大神と現はれて、現代の混乱世界を修理固成しようと、国祖国常立之尊の補佐神と成り玉ひ、教主(王仁三郎)の肉体を借りて現はれ、国祖の大業に臣事し給ふに至った。つまり王仁三郎は主神の顕現である。


■神仏無量寿経における真神

神仏無量寿経では真神について下記のように書かれています。

第一神王 伊都能売の大神の大威徳と大光明は最尊最貴にして諸神の光明の及ぶところにあらず。
あるひは神光の百神の世界、あるひは万神の世界を照明するあり。
要するに東方日出の神域を照らし、南西北、四維上下も亦復かくの如し。
アア盛んなるかな、伊都能売と顕現したまふ厳瑞二霊の大霊光、この故に天之御中主大神、大国常立大神、天照皇大御神、伊都能売の大神、弥勒大聖御稜威の神、大本大御神、阿弥陀仏、無礙光如来、超日月光仏と尊称し奉る。

厳瑞ニ霊が伊都能売と顕現する。この伊都能売が真神である。これを、天之御中主大神以下と尊称するということでしょうか?

とよたま会拝読レポートに解説あり

<この論考の参考文献・原典は除く>

出口和明『出口王仁三郎が語る霊界の最高機密』平成7年7月 KKロングセラーズ

十和田龍(出口和明)『神の活哲学』1986年12月 御茶ノ水書房


第1版 2003年10月
第2版 2004年 9月
第3版 2005年 9月
第3版(校正) 2014年 1月


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