神仏無量寿経


神仏無量寿経

第一神王 伊都能売の大神の大威徳と大光明は最尊最貴にして諸神の光明の及ぶところにあらず。あるひは神光の百神の世界、あるひは万神の世界を照明するあり。要するに東方日出の神域を照らし、南西北、四維上下も亦復かくの如し。アア盛んなるかな、伊都能売と顕現したまふ厳瑞二霊の大霊光、この故に天之御中主大神、大国常立大神、天照皇大御神、伊都能売の大神、弥勒大聖御稜威の神、大本大御神、阿弥陀仏、無礙光如来、超日月光仏と尊称し奉る。

それ蒼生にしてこの神光に遭ふものは、三垢(さんく)消滅し身意柔軟に歓喜踊躍(ゆうやく)して、愛善の至心を生ず。三途勤苦の処にありて、この神の大光明を拝し奉らば、いづれも安息を得て、また一つの苦悩無く、生前死後を超越し、坐しながら安楽境に身を置き、天国の生涯を送ることを得べし。

この神の大光明は顕赫(けんかく)にして、宇内諸神諸仏の国土を照明したまひて聞こえざることなし。ただ吾が今その神光霊明を称へ奉るのみならず、一切の諸神諸仏、清徒(しやうと)声聞求道者縁覚諸々の宣伝使、諸々の菩薩衆、ことごとく共に歎称悦服帰順し玉ふこと亦(また)復(また)かくの如し。もし蒼生ありてその光明の稜威と洪徳を聞きて日夜称説(しようせつ)し信奉して、至心にして断えざれば、心意の願ふところに随ひて天国の楽土に復活することを得べし。諸々の宣伝使、菩薩、清徒声聞の大衆のために、共に歎誉(たんによ)せられてその洪徳を称へられ、そのしかる後に成道内覚(じやうだうないかく)を得る時にいたり、普(あまね)く三界十方の諸神諸仏、宣伝使、菩薩のために、その光明を歎称せられむこと亦(また)今の如くなるべし。アア我が伊都能売の大神の神光霊明の巍々(ぎぎ)として殊妙(しゆめう)なることを説かむに、昼夜一劫すとも尚未だ尽すこと能はず。爾今(じこん)の諸天人および後世(ごせ)の人びと、神明仏陀の神教経語を得て当(まさ)につらつら之を思惟(しゆゐ)し、よく其の心魂を端(ただ)し、行為を正しうせよ。瑞主聖王、愛善の徳を修して、その下万民を率ひ、うたた相神令して、おのおの自ら正しく守り、聖者を尊び、善徳者を敬ひ、仁慈博愛にして、聖語神教を遵奉し、敢て虧負(きふ)することなく、まさに度世(とせい)を求め、生死衆悪の根源を抜断(ばつだん)すべし。まさに天の八衡(やちまた)、三途無限の憂畏苦痛の逆道を離脱すべし。


顕赫:はっきりと現れているさま。
清徒:基督教では、十字架の贖いによって罪を赦され聖霊によって清められた信徒のことを聖徒という。
声聞:仏教の教えを聞く修行僧のこと。
縁覚:独りで悟りを開いた人のこと。他人には教えを説かない

●呼びかけ(あなたたち)

爾等(なんぢら)、是において広く愛善の徳本を植ゑ、慈恩を布き、仁恵を施こして、神禁道制を犯すこと無く、忍辱(にんく)精進にして心魂を帰一し、智慧証覚をもつて衆生を教化(けうけ)し、徳を治め、善を行ひ、心魂を浄め、意志を正しうして、斎戒清浄なること一日一夜なれば、則ち無量寿の天国に在りて、愛善の徳を治むること百年なるに勝れり。いかんとなれば彼の神仏の国土には、無為自然(じねん)に、皆衆(みなしう)善大徳を積みて毫末の不善不徳だも無ければなり。此において善徳を修め信真に住すること十日十夜なれば、天国浄土において愛善の徳に住し、信真の光明に浴すること、千年の日月に勝れり。それ故如何(いかん)となれば、天国浄土には善者多く、不善者少なく、智慧証覚に充たされ、造悪の余地存せざればなり。ただ自然界、即(すなは)ち現界のみ悪業多くして、惟神の大道に背反し、勤苦して求慾(ぐよく)し、転(うた)た相欺き心魂疲れ、形体困(くる)しみ、苦水を呑み、毒泉を汲み、害食を喰(くら)ひ、かくの如く怱務(そうむ)して、未だ嘗て寧息(ねいそく)すること無し。

 
仏説無量寿経

ただこのあひだのみ悪多くして、自然なることあることなし。勤苦して欲を求め、うたたあひ欺紿し、心労し形困しみて、苦を飲み毒を食らふ。かくのごとく怱務して、いまだかつて寧息せず。

【現代語訳】(仏の浄土と比べ)ただ、娑婆世界だけが悪が多くて、功徳がおのずからそなわることなどなく、苦労して欲望を満たそうとし、互いに欺きあって身も心も疲れはて、苦を飲み毒を食らってくらしているようなありさまで、いつもあくせくとして、これまで少しも安らいだことがない。
仏説無量寿経 下巻 正宗分 五善五悪]
 
私には、神仏無量寿経のほうが、具体的な感じがするのです。苦水、毒泉、害食は具体的なものを表しているように感じられます。
これが、現代の様相を表しているのなら、予言でもなく、ただ現代をスケッチしているだけでしょう。
ところが、この文章が書かれたのは、大正13年なのです。

●宣言 (わたしは・・・である)

爾等蒼生の悲境苦涯を哀れみ、昔心惨澹誨諭して教へて善道を修めしめ、器に応じて開導し、神教経語を授与するに承用せざることなく、意志の願ふところに在りて悉皆得道(しつかいとくだう)せしむ。聖神(しようしん)仏陀の遊履(いうり)するところ、国邑丘聚化(こくいふくじうくわ)を蒙らざることなし。天下和順し、日月清明(しようみやう)、五風十雨、時に順ひ、十愁八歎なく、国土豊かにして、民衆安穏なり。兵戈(へいくわ)用なく、善徳を崇(たつと)び、仁恵を興し、努めて礼譲(れいじやう)を修む。

爾等(なんぢら)諸天、および地上蒼生を哀愍(あいみん)すること父母のごとく、愛念旺盛にして無限なり。今我この世間において、伊都能売の神となり、仏陀と現じ基督(キリスト)と化り、メシヤと成りて、五悪を降下し、五痛を消除(せうぢよ)し、五焼(ごせう)を絶滅し、善徳を以て、悪逆を改めしめ、生死の苦患(くげん)を抜除し、五徳を獲せしめ、無為の安息に昇らしめむとす。瑞霊世を去りて後、聖道漸く滅せば、蒼生諂偽(てんぎ)にして、復(また)衆悪を為し、五痛五焼還りて前の法のごとく久しきを経て、後転(うた)た劇烈なるべし。悉(ことごと)く説くべからず。吾は唯衆生一切のために略して之を言ふのみ。


漸く:①しだいに、だんだんと。②しばらくたって。おもむろに。ゆっくりと。③やっとのことで。かろうじて。
五悪:殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒を指す。
五痛:五悪を犯したことに対する罪報 
五焼:五悪を犯したことによって三悪道(地獄・餓鬼・畜生道)に堕ちて大火に焼かれる苦しみを受けること。
五徳:修行を終えた菩薩が仏身を得るために積む福徳のうち最初に得る五つの徳益のこと。
諂偽:こびへつらい、欺くこと
 
仏説無量寿経

われなんぢら天・人の類を哀れみて、苦心に誨喩し、教へて善を修せしむ。器に随ひて開導し、経法を授与するに承用せざることなし。の所願にありてみな道を得しむ。仏の遊履したまふところの国邑・丘聚、化を蒙らざるはなし。天下和順し日月清明なり。風雨時をもつてし、災起らず、国豊かに民安くして兵戈用ゐることなし。〔人民〕徳を崇め仁を興し、つとめて礼譲を修す。
われなんぢら諸天・人民を哀愍すること、父母の子を念ふよりもはなはだし。いまわれこの世間において仏となり、五悪を降化し、五痛を消除し、五焼を絶滅して、善をもつて悪を攻め、生死の苦を抜いて五徳を獲しめ、無為の安きに昇らしむ。
【現代語訳】  私はそななたち天人や人々を哀れみ、懇切丁寧に教え諭して功徳を積ませ、相手に応じた導き方で教えを授けるのであるから、これを信じて修めないものはない。すべてのものは願いのままにさとりを。得るのである
仏の歩み行かれるところは、国も町も村も、その教えに導かれないところはない。そのため世の中は平和に治まり、太陽も月も明るく輝き、風もほどよく吹き、雨も良いときに降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は平穏に暮し、武器をとって争うこともなくなる。人々は徳を尊び、思いやりの心を持ち、あつく礼儀を重んじ、互いに譲りあうのである。
わたしがそななたち天人や人々を哀れむのは、親が子を思うよりもなお一層深い。だからわたしは今この世界で仏となって、五悪を取り除き、五痛を取り除き、五焼をすべてなくして、善をもって悪を攻め滅ぼし、迷いの世界の苦しみを抜き去り、五徳を得させて、安らかなさとりの世界に至らせるのである。
仏説無量寿経 下巻 正宗分 五善五悪

●呼びかけ (あなたたち・・・しなさい)

爾等各(おのおの)善く之を思ひ、転た相教誨し聖神教語を遵奉して敢て犯すことなかれ。ああ惟神霊幸倍坐世。

伊都能売の大神  謹請再拝(ごんじやうさいはい)


ここは霊界物語でも最も有名な予言ではないでしょうか。
 
瑞霊(王仁三郎)世を去りて後、聖道漸く滅せば、蒼生諂偽(てんぎ)にして、復(また)衆悪を為し、五痛五焼還りて前の法のごとく久しきを経て、後転(うた)た劇烈なるべし。悉(ことごと)く説くべからず。吾は唯衆生一切のために略して之を言ふのみ。

これは、聖師の没後、大本が分裂したことを予言していたと言われています。
 
この後の部分が怖いところです。大本が、弱まり、聖師の教えが忘れ去られるようになると、昔の悪夢が再現し、さらに激烈になる、すべてを説くことはできない、と言われています。
 
形体困(くる)しみ、苦水を呑み、毒泉を汲み、害食を喰(くら)ひ、かくの如く怱務(そうむ)して、未だ嘗て寧息(ねいそく)すること無し。

この部分は、まさに現代を言っているように感じられるのですが、どうでしょうか。
 


第1版 2005年ごろ
第1.1版(一部修正)2014/12/31

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