伊都能売神諭による天地の創造


五六七の大神と六六六の大神の関係が問題になるところです。

(1) 五六七の大神と六六六の大神が別のものだと考えると下記のように文章の主語があいまいになり、誤植としか考えられません。

(2) 誤植を想定しない場合は、五六七=六六六と読むしかありません。

原文

大正八年二月十八日

 世界の人民は皆天地の神の分霊分体(ぶんれいぶんたい)であり、亦た神々の宿にて世界を開発(ひら)く生き宮であるぞよ。中にも日本は豊葦原の中津国と申して在るが、其中津国に生れた人民は殊更上級の神々の生宮で在るから、神国の神民は上御一人の現人神を真の親とし主となし師と致して上下(じやうげ)心を一に固めて、天地の経綸(しぐみ)を行ふ可き天職の有る事を悟り、一日も早く今迄の誤まりた精神を立直して、二度目の天の岩戸を開ひて、常世(とこよ)往く黒白(あやめ)も分かぬ暗黒界(やみのよ)を光り輝やく神世(かみよ)に致さねば、天地の神々様に申訳が立たぬぞよ。此の大本(おほもと)の教が真実に腹に納まりて、其行いが出来る人民でありたら、夫れが誠の差添の種で在るぞよ。是から本の種を現(あら)はして善と悪とを分(わ)けて見せるぞよ。此の神の経綸(しぐみ)は何程悪の種でも今度の際に改心さえ致したなら、元の胤(すぢ)を表はさずに善と悪との真釣合(まつりあ)はせを致して御用を致さすから、此の金神の慈悲心が心の底に浸徹(しみとほ)りたら、如何な悪魔も改心せずには居れぬやうに成りて、心から発根(ほつごん)と改心いたすやうに成るから、第一番にこの大本(おほもと)の内部から充分身魂を清らかに致さんと、世界の神と守護神人民に押しが利かんぞよ。今が大本(おほもと)の千騎一騎の改心の時で在るぞよ。一日でも後れる程世界が永く苦しむぞよ。

 この地の世界の初りは世界一体に泥海で在つて、光りも温(ぬく)みも何ものもなかりたぞよ。丁度譬へて日へば朧月夜の二三層倍も暗い冷たい世界で、山も河も草木も何一種(なにひといろ)なかつたので在るぞよ。其泥の世界に身の丈けは五百丈ばかり、身の太さは三百丈程も在る蛇体の荒神が住居して居られたのが、御精神の良い大神様の前身で、是が五六七の大神様と御成り遊ばしたので在るぞよ。誠に長閑やかな御神姿で、鱗は一枚もなし、角も一本もなし、体の色は青水晶のやうな立派な神様で、天地の元の祖神と成られたので在るぞよ。斯世を創造して、天地を開く事に非常に苦心遊ばしましたのが、此の大神様が第一番で、ミロクの大神ともツキの大神とも申上げる御神様であるぞよ。世界を造るに就て非常に独神で御心配遊ばして御座る所へ、同じく似たやうな御神姿の大蛇神が現はれたが、此の神には十六本の頭に角が生えて、其角の先から大変な光りが現はれて居る神様に、五六七の大神様が世界創造の御相談をお掛けになつたので在るぞよ。扨(さ)て其時の六六六の大神様の御言葉には、何時まで斯うして泥の世界の暗い所に住居を致して居つても、何一つの楽みもなし、何の功能もなし、沢山の眷属も在る事なり。何とか致して立派な天地を造り上げ、万の眷属の楽しく暮すやうに致したいのが、我の大望で在るが、其方様は我の片腕となりて天地を立別け、美はしき地上の世界を造る御心は有りませぬかと御尋ね遊ばしたら、日の大神の前身なる頭に十六本の光る角を生やした大蛇神様が御答には、我身は女体の事なり、且つ又た斯んな業の深い見苦しき姿で在りますから、貴神様の如うな御精神の良い、立派な神様の片腕に成ると云ふ事は、恐れ入りて御言葉に従ふ事が出来ませぬと、大変に嫌だつて御辞退を遊ばしたなれど、六六六の大神様が強いて御頼みに成り我の片腕に成るのは其方様(そなたさま)より外にない、我が見込んで居るからとの仰せに、日の大神様も左様なれば御本望の遂ぐるまで我身の力一杯活動いたして見ます、去る代りに天地が立派に出来上りましたら、我を末代貴神様の女房役と致して下され私は女房役となりて万古末代世界を照しますとの御約束が地の高天原の竜宮舘で結ばれたので在りたぞよ。其所(そこ)へ艮の金神の前身国常立尊の荒神が現ばれて、世界を造り遊ばす御手伝を命(さ)して下されと御願申上げたので在りたぞよ。そこで六六六(みろく)の大神様が早速に御承知被下て仰せ遊ばすには、其方は見掛に由らぬ誠忠無比の神であるから世界の一切を委すから、落度のなきやうに致すが良かろうと仰せられ、其上に国常立之命に思兼(おもひやり)の神と申す御名を下され、八百万の神様を天の山河澄(やす)の川原に集めて一人の眷属も残さず相談の中間え入れて大集会を遊ばしたので地の在る限りに住居(すまゐ)いたして居れる蛇体(じやたい)の神々様が集り合ふて御協議の上、六六六様(みろくさま)の仰せの通りに国常立之命を総体の局(つぼね)に選み下さりたのであるぞよ。

 そこで八百万の神々の意見を聞き取りて、其の由を五六七(みろく)の大神様へ申上げたら、日の大神伊邪那岐之尊様と月の大神五六七様(みろくさま)との御弐体(おふたかた)の大神様が更に集会あそばして、国常立之尊を地の造り主と致すぞよとの御命令が下りたので、此の方が地の主宰となりて多陀与幣流地面(ただよへるくに)を修理固成(つくりかため)いたしたのであるぞよ。天も水(み)(六)中界も水(み)(六(み))下界も水(み)(六)で世界中の天地中界三才が水(み)(六(み))計りで在りた世に一番の大将神の御位で御出遊ばしたので六(み)(水(み))を三つ合せてミロクの大神と申すのであるが、天の水(みず)の(六(み))の中からヽ(ぽち)の一霊が地に下りて五(いづ)(火(ひ))と天が固まり地の六(み)(水(み))にヽ(ぽち)の一霊が加はりて地は七(なゝ)(地成(なな))となりたから、世の元から申せば、ミロクは六六六(みろく)なり、今の世の立直しの御用から申せばミロクは五六七(みろく)と成るのであるから、六百六十六の守護は今までのミロクで、是からの、ミロクの御働きは五六七(みろく)と成るので在るぞよ。国常立之尊が世の元を修理固成(かためしめ)るに就て、天地中界の区別もなく、世界は一団の泥土泥水で手の附け様がなかりたので、堅いお土の種をミロクの大神様に御願い申し上げたら、大神様が直ぐに御承知になりて一生懸命に息を吹き懸けなされて一凝(こ)りの堅いお土が出来たのを国常立之尊の此方に御授けに成りたので其一団の御土を種に致して土と水とを立別け、山、川、原、野、海を拵らえたのが地の先祖の大国常立之尊であるぞよ。艮の金神の金神大国常立之尊の姿は今まで筆先にも現はした事はなかりたなれど、畏れ多きミロクの大神様、日の大神さまの御神姿(おんみすがた)まで筆先に出して知らしたから、何時までも発表を見合はす事が出来ぬから、実地の姿を書き誌すぞよ。

 大国常立之尊の元の誠の姿は頭に八本角の生えた鬼神の姿で、皆の神々が余り恐ろしいと申して寄り附かぬやうに致した位いの姿で在るから、今の人民に元の真の姿を見せたら、震い上りて眼を廻すぞよ。

 月の大神に御成遊ばした五六七(みろく)の大神様と日の大神様と、御二体(おふたかた)の大神が(水火(いき))を合はして天を固めに御上り遊ばした霊場が今の綾部の神宮本宮の坪の内、竜宮舘の地の高天原であるぞよ。日本は世界の中心であり、綾部は日本の中心(まんなか)で在るから、天地の神々が世の元から昇り降りを致されたり集会を遊ばし坐(まし)て、天地を造られる折に御相談なされた結構な霊地(とち)であるから、其時分にはたつ鳥も落ちる勢いの場所で言霊(ことたま)の世の元でありたぞよ。其後に艮の金神が八百万の邪神に艮へ押込められてから、一且は悉皆(みな)影も形もなきやうに亡びて了ふたが、時節参りて煎豆にも花が咲きて再び国常立之尊の世に世が戻りて来たから、変性男子と女子(によし)との身魂を借りて、世の元からの因縁を説いて聞かせる世界一の大本(おほもと)と成りたので在るぞよ。天の固まりたのは御弐体(おふたかた)の大神様が天へ上りて各自(めいめい)に水火(いき)を合はしてキリ/\と左右に三遍御舞い成されて伊吹の狭霧(さぎり)を遊ばすと、夫れで天が完全に固成(かたまり)たので在るぞよ。次に亦た吹き出し玉ふ伊吹の狭霧(さぎり)に由りて天幾億万の星が出現したので在るぞよ。其星の数だけ地の世界に生物(いきもの)が育ちたら夫れで一旦世の洗い替に成るので在るぞよ。天は判然(はつきり)と造れたなれど、未だ地の世界が充分に固まりて居らなんだ際に、頭(かしら)に十本の角の生へた大蛇神(だいじやじん)が我は地の世界の修理固成(つくりかため)の加勢よりも天へ上りて天上から働き度いと申されて天で○○○○○○と成られたのであるが、大変な御神力が強いので御惣領に為(し)てあるなれど、今の世界の人民の思ふて居る様な事とは神界の様子は又た大変な違いであるぞよ。それで先づ天の方は固まりて動かぬ事に成りたなれど、国常立之尊の主宰する地の世界は未だ充分の所(とこ)へは行て居らんから、此方が先途に立ちて地の在らん限り方々(ほうぼう)の神に申付けて持場/\を固めさしたのが国々の国魂神で在るぞよ。其折には何れの神も心一つに素直に活動(かつどう)なされて、地の世界も程なく固まりて眼鼻が付く様に成つたのであるが、今の露国の方面に八頭八尾(やつかしらやつを)の大蛇神(だいじやじん)が住居(すまゐ)いたして居りたか、其蛇神(じやじん)の目的は綾部の高天原(たかあまはら)を中心(まんなか)として置いて、自身(われ)が天へ上りて天から末代地の世界を守護いたし度いと云ふ思わくで在りたなれど、夫れより先に天を造りたいと思ふて夫れ/\苦労を遊ばしたミロク様なり、一番に相談に乗つて供々(ともども)に活動なされた日の大神様なり、地の世界は国常立之尊なり、世の元の根本の始りに天地三体の神が八百万の神を集めて天地を創造いたした其後へ八頭八尾(やつがしらやつを)の巨蛇神(おうじやじん)が現はれて、何程天地を自由に致そうと思ふても誰も相手に致すものがなかつたのであるぞよ。其の八頭八尾(やつがしらやつを)の蛇神(じやじん)が地の世界を充分乱らして置いて、我の自由に致す考えで種々と甘い事を申して誠の神まで手に入れて、此の神国の世を持荒らし、終(しまい)には地の先祖の此方まで押込めるやうに企みて悪の目的が今まではトン/\拍子に面白い程来たなれど、今度は艮へ押込められて居りた此方が時節で世に出て地の世界の一切を主宰(つかさ)するやうに成りたから、改心いたせば共々に手を曳合ふて神界の御用に立てゝ与(や)るなり、改心出来ねば弥々艮めを刺して往生さすぞよ。

(「神霊界」大正八年三月一日号)


.誤植を想定した場合

この部分は主語があいまいなところもあり読みにくいのですが、あらましは次のようになるのではないでしょうか

(1) 最初は五六七の大神が独りでいた

(2) 六六六の大神が現れた

(3) 五六七の大神が六六六の大神に天地創造を提案

(4) 国常立尊が世界の創造を手伝いたいと言ってきた

(5) 六六六の大神と五六七の大神は他の神の賛成も得て国常立尊を地の主宰とした

(6) 最初の土は五六七の大神が作った

(7) 国常立尊は最初の土を貰い土と水とを立別け、山、川、原、野、海をつくり、大国常立尊となった

(8) 未だ地の世界が充分に固まっていなかった時に、頭に十本の角の生へた大蛇神が天に上り○○○○○○と成った。

(9) 地の世界が固まった頃、露国辺りに八頭八尾の巨蛇神が現はれて、天地を自由に致そうとした。

(10) 八頭八尾の巨蛇神は地の世界を乱れさせ、最後には国常立尊を押し込めた。

●問題点

下記の本文の灰色の部分、六と五、七の関係がわからない。この意味で、上の解釈が変わってくる可能性もあり。

六六六=ミロクの大神、後になって五六七となる?

五六七については伊都能売神諭の別の部分でも触れられています。このページの最後の大正七年十二月二十三日にあります。

色つけ・改行・「」はWeb管理者がつけました

大正八年二月十八日

 世界の人民は皆天地の神の分霊分体(ぶんれいぶんたい)であり、亦た神々の宿にて世界を開発(ひら)く生き宮であるぞよ。

 中にも日本は豊葦原の中津国と申して在るが、其中津国に生れた人民は殊更上級の神々の生宮で在るから、神国の神民は上御一人の現人神を真の親とし主となし師と致して上下(じやうげ)心を一に固めて、天地の経綸(しぐみ)を行ふ可き天職の有る事を悟り、一日も早く今迄の誤まりた精神を立直して、二度目の天の岩戸を開ひて、常世(とこよ)往く黒白(あやめ)も分かぬ暗黒界(やみのよ)を光り輝やく神世(かみよ)に致さねば、天地の神々様に申訳が立たぬぞよ。

 此の大本(おほもと)の教が真実に腹に納まりて、其行いが出来る人民でありたら、夫れが誠の差添の種で在るぞよ。是から本の種を現(あら)はして善と悪とを分(わ)けて見せるぞよ。

 此の神の経綸(しぐみ)は何程悪の種でも今度の際に改心さえ致したなら、元の胤(すぢ)を表はさずに善と悪との真釣合(まつりあ)はせを致して御用を致さすから、此の金神の慈悲心が心の底に浸徹(しみとほ)りたら、如何な悪魔も改心せずには居れぬやうに成りて、心から発根(ほつごん)と改心いたすやうに成るから、第一番にこの大本(おほもと)の内部から充分身魂を清らかに致さんと、世界の神と守護神人民に押しが利かんぞよ。今が大本(おほもと)の千騎一騎の改心の時で在るぞよ。一日でも後れる程世界が永く苦しむぞよ。

 この地の世界の初りは世界一体に泥海で在つて、光りも温(ぬく)みも何ものもなかりたぞよ。丁度譬へて日へば朧月夜の二三層倍も暗い冷たい世界で、山も河も草木も何一種(なにひといろ)なかつたので在るぞよ。

 其泥の世界に身の丈けは五百丈ばかり、身の太さは三百丈程も在る蛇体(じやたい)の荒神が住居(すまゐ)して居られたのが、御精神の良い大神様の前身で、是が五六七(みろく)の大神様と御成り遊ばしたので在るぞよ。誠に長閑やかな御神姿(おすがた)で、鱗は一枚もなし、角も一本もなし、体の色は青水晶のやうな立派な神様で、天地の元の祖神(おやがみ)と成られたので在るぞよ。斯世を創造して、天地を開く事に非常に苦心遊ばしましたのが、此の大神様が第一番で、ミロクの大神ともツキの大神とも申上げる御神様であるぞよ。世界を造るに就て非常に独神(ひとり)で御心配遊ばして御座る所へ、同じく似たやうな御神姿の大蛇神(だいじやじん)が現はれたが、此の神には十六本の頭に角が生えて、其角の先から大変な光りが現はれて居る神様五六七(みろく)の大神様が世界創造の御相談をお掛けになつたので在るぞよ。

 扨(さ)て其時の六六六(みろく)の大神様の御言葉には、「何時まで斯うして泥の世界の暗い所に住居(すまゐ)を致して居つても、何一つの楽みもなし、何の功能もなし、沢山の眷属も在る事なり。何とか致して立派な天地を造り上げ、万の眷属の楽しく暮すやうに致したいのが、我の大望で在るが、其方(そなた)様は我の片腕となりて天地を立別け、美はしき地上の世界を造る御心は有りませぬか」と御尋ね遊ばしたら、日の大神の前身なる頭に十六本の光る角を生やした大蛇神様(だいじやじんさま)が御答には、「我身は女体(によたい)の事なり、且つ又た斯んな業の深い見苦しき姿で在りますから、貴神様(あなたさま)の如うな御精神の良い、立派な神様の片腕に成ると云ふ事は、恐れ入りて御言葉に従ふ事が出来ませぬ」と、大変に嫌だつて御辞退を遊ばしたなれど、六六六(みろく)の大神様が強いて御頼みに成り「我の片腕に成るのは其方様(そなたさま)より外にない、我が見込んで居るから」との仰せに、日の大神様も「左様なれば御本望の遂ぐるまで我身の力一杯活動いたして見ます、去る代りに天地が立派に出来上りましたら、我を末代貴神様(あなたさま)の女房役と致して下され私は女房役となりて万古末代世界を照します」との御約束が地の高天原(たかあまはら)の竜宮舘(やかた)で結ばれたので在りたぞよ。

 
最初の部分は、五六七の大神が「天地を立別け、地上の世界を造ろう」と尋ねたのだから、下線、斜体部分の六六六の大神五六七の大神ではないのでしょうか?

●五六七の大神

 (1) 泥の世界に最初に住んでいた。世界を造るに就て非常に独神で御心配遊ばしていた。

 (2) 大きな蛇体である。鱗は一枚もなし、角も一本もなし、体の色は青水晶。

 (3) 斯世を創造して、天地を開く事に非常に苦心遊ばし、天地の元の祖神と成られた。

 (4) ミロクの大神ともツキの大神とも申上げる。

●六六六の大神

 (1) 五六七の大神と似たやうな御神姿の大蛇神

 (2) 十六本の頭に角が生えて、其角の先から大変な光りが現はれて居る神様

 (3) 日の大神の前身である 

 (4) 女体である

<原文の問題点>

五六七の大神から声をかけたのに、六六六の大神は「其方様は我の片腕となりて」と尋ねている。

次の部分で、日の大神の前身なる頭に十六本の光る角を生やした大蛇神様が答えるが、「十六本の光る角を生やした」のは六六六の大神の大神です。

六六六の大神が声をかけて六六六の大神が応えています。そこで、実際には下記のようになるのではないでしょうか。 

 
>>訂正版
 

 其泥の世界に身の丈けは五百丈ばかり、身の太さは三百丈程も在る蛇体の荒神が住居して居られたのが、御精神の良い大神様の前身で、是が五六七の大神様と御成り遊ばしたので在るぞよ。誠に長閑やかな御神姿で、鱗は一枚もなし、角も一本もなし、体の色は青水晶のやうな立派な神様で、天地の元の祖神と成られたので在るぞよ。斯世を創造して、天地を開く事に非常に苦心遊ばしましたのが、此の大神様が第一番で、ミロクの大神ともツキの大神とも申上げる御神様であるぞよ。

 世界を造るに就て非常に独神で御心配遊ばして御座る所へ、同じく似たやうな御神姿の大蛇神【六六六】が現はれたが、此の神には十六本の頭に角が生えて、其角の先から大変な光りが現はれて居る神様に五六七の大神様世界創造の御相談をお掛けになつたので在るぞよ。

 扨(さ)て其時の五六七(本文は六六六の大神様の御言葉には、「何時まで斯うして泥の世界の暗い所に住居を致して居つても、何一つの楽みもなし、何の功能もなし、沢山の眷属も在る事なり。何とか致して立派な天地を造り上げ、万の眷属の楽しく暮すやうに致したいのが、我の大望で在るが、其方様は我の片腕となりて天地を立別け、美はしき地上の世界を造る御心は有りませぬか」と御尋ね遊ばしたら、

日の大神の前身なる頭に十六本の光る角を生やした大蛇神様【六六六】が御答には、「我身は女体の事なり、且つ又た斯んな業の深い見苦しき姿で在りますから、貴神様の如うな御精神の良い、立派な神様の片腕に成ると云ふ事は、恐れ入りて御言葉に従ふ事が出来ませぬ」と、大変に嫌だつて御辞退を遊ばしたなれど、

五六七(本文は六六六大神様が強いて御頼みに成り「我の片腕に成るのは其方様(そなたさま)より外にない、我が見込んで居るから」との仰せに、

日の大神様も「左様なれば御本望の遂ぐるまで我身の力一杯活動いたして見ます、去る代りに天地が立派に出来上りましたら、我を末代貴神様の女房役と致して下され私は女房役となりて万古末代世界を照します」との御約束が地の高天原の竜宮舘で結ばれたので在りたぞよ。

 其所(そこ)へ艮の金神の前身国常立尊の荒神が現ばれて、世界を造り遊ばす御手伝を命(さ)して下されと御願申上げたので在りたぞよ。そこで六六六(みろく)の大神様が早速に御承知被下て仰せ遊ばすには、「其方は見掛に由らぬ誠忠無比の神であるから世界の一切を委すから、落度のなきやうに致すが良かろう」と仰せられ、其上に国常立之命に思兼(おもひやり)の神と申す御名を下され、八百万の神様を天の山河澄(やす)の川原に集めて一人の眷属も残さず相談の中間え入れて大集会を遊ばしたので地の在る限りに住居(すまゐ)いたして居れる蛇体(じやたい)の神々様が集り合ふて御協議の上、六六六様(みろくさま)の仰せの通りに国常立之命を総体の局(つぼね)に選み下さりたのであるぞよ。

 そこで八百万の神々の意見を聞き取りて、其の由を五六七(みろく)の大神様へ申上げたら、日の大神伊邪那岐之尊様と月の大神五六七様(みろくさま)との御弐体(おふたかた)の大神様が更に集会あそばして、「国常立之尊を地の造り主と致すぞよ」との御命令が下りたので、此の方が地の主宰となりて多陀与幣流地面(ただよへるくに)を修理固成(つくりかため)いたしたのであるぞよ。

 天も水(み)(六)中界も水(み)(六(み))下界も水(み)(六)で世界中の天地中界三才が水(み)(六(み))計りで在りた世に一番の大将神の御位で御出遊ばしたので六(み)(水(み))を三つ合せてミロクの大神と申すのであるが、天の水(みず)の(六(み))の中からヽ(ぽち)の一霊が地に下りて五(いづ)(火(ひ))と天が固まり地の六(み)(水(み))にヽ(ぽち)の一霊が加はりて地は七(なゝ)(地成(なな))となりたから、世の元から申せば、ミロクは六六六(みろく)なり、今の世の立直しの御用から申せばミロクは五六七(みろく)と成るのであるから、六百六十六の守護は今までのミロクで、是からの、ミロクの御働きは五六七(みろく)と成るので在るぞよ。

 国常立之尊が世の元を修理固成(かためしめ)るに就て、天地中界の区別もなく、世界は一団の泥土泥水で手の附け様がなかりたので、堅いお土の種をミロクの大神様に御願い申し上げたら、大神様が直ぐに御承知になりて一生懸命に息を吹き懸けなされて一凝(こ)りの堅いお土が出来たのを国常立之尊の此方に御授けに成りたので其一団の御土を種に致して土と水とを立別け、山、川、原、野、海を拵らえたのが地の先祖の大国常立之尊であるぞよ。艮の金神の金神大国常立之尊の姿は今まで筆先にも現はした事はなかりたなれど、畏れ多きミロクの大神様、日の大神さまの御神姿(おんみすがた)まで筆先に出して知らしたから、何時までも発表を見合はす事が出来ぬから、実地の姿を書き誌すぞよ。

 大国常立之尊の元の誠の姿は頭に八本角の生えた鬼神の姿で、皆の神々が余り恐ろしいと申して寄り附かぬやうに致した位いの姿で在るから、今の人民に元の真の姿を見せたら、震い上りて眼を廻すぞよ。

 月の大神に御成遊ばした五六七(みろく)の大神様と日の大神様と、御二体(おふたかた)の大神が(水火(いき))を合はして天を固めに御上り遊ばした霊場が今の綾部の神宮本宮の坪の内、竜宮舘の地の高天原であるぞよ。

 日本は世界の中心であり、綾部は日本の中心(まんなか)で在るから、天地の神々が世の元から昇り降りを致されたり集会を遊ばし坐(まし)て、天地を造られる折に御相談なされた結構な霊地(とち)であるから、其時分にはたつ鳥も落ちる勢いの場所で言霊(ことたま)の世の元でありたぞよ。

 其後に艮の金神が八百万の邪神に艮へ押込められてから、一且は悉皆(みな)影も形もなきやうに亡びて了ふたが、時節参りて煎豆にも花が咲きて再び国常立之尊の世に世が戻りて来たから、変性男子と女子(によし)との身魂を借りて、世の元からの因縁を説いて聞かせる世界一の大本(おほもと)と成りたので在るぞよ。天の固まりたのは御弐体(おふたかた)の大神様が天へ上りて各自(めいめい)に水火(いき)を合はしてキリ/\と左右に三遍御舞い成されて伊吹の狭霧(さぎり)を遊ばすと、夫れで天が完全に固成(かたまり)たので在るぞよ。次に亦た吹き出し玉ふ伊吹の狭霧(さぎり)に由りて天幾億万の星が出現したので在るぞよ。其星の数だけ地の世界に生物(いきもの)が育ちたら夫れで一旦世の洗い替に成るので在るぞよ。

 天は判然(はつきり)と造れたなれど、未だ地の世界が充分に固まりて居らなんだ際に、(かしら)に十本の角の生へた大蛇神(だいじやじん)が我は地の世界の修理固成(つくりかため)の加勢よりも天へ上りて天上から働き度いと申されて天で○○○○○○と成られたのであるが、大変な御神力が強いので御惣領に為(し)てあるなれど、今の世界の人民の思ふて居る様な事とは神界の様子は又た大変な違いであるぞよ。

 それで先づ天の方は固まりて動かぬ事に成りたなれど、国常立之尊の主宰する地の世界は未だ充分の所(とこ)へは行て居らんから、此方が先途に立ちて地の在らん限り方々(ほうぼう)の神に申付けて持場/\を固めさしたのが国々の国魂神で在るぞよ。其折には何れの神も心一つに素直に活動(かつどう)なされて、地の世界も程なく固まりて眼鼻が付く様に成つたのであるが、今の露国の方面に八頭八尾(やつかしらやつを)の大蛇神(だいじやじん)が住居(すまゐ)いたして居りたか、其蛇神(じやじん)の目的は綾部の高天原(たかあまはら)を中心(まんなか)として置いて、自身(われ)が天へ上りて天から末代地の世界を守護いたし度いと云ふ思わくで在りたなれど、夫れより先に天を造りたいと思ふて夫れ/\苦労を遊ばしたミロク様なり、一番に相談に乗つて供々(ともども)に活動なされた日の大神様なり、地の世界は国常立之尊なり、世の元の根本の始りに天地三体の神が八百万の神を集めて天地を創造いたした其後へ八頭八尾(やつがしらやつを)の巨蛇神(おうじやじん)が現はれて、何程天地を自由に致そうと思ふても誰も相手に致すものがなかつたのであるぞよ。

 其の八頭八尾(やつがしらやつを)の蛇神(じやじん)が地の世界を充分乱らして置いて、我の自由に致す考えで種々と甘い事を申して誠の神まで手に入れて、此の神国の世を持荒らし、終(しまい)には地の先祖の此方まで押込めるやうに企みて悪の目的が今まではトン/\拍子に面白い程来たなれど、今度は艮へ押込められて居りた此方が時節で世に出て地の世界の一切を主宰(つかさ)するやうに成りたから、改心いたせば共々に手を曳合ふて神界の御用に立てゝ与(や)るなり、改心出来ねば弥々艮めを刺して往生さすぞよ。


.五六七=六六六

 
五六七=六六六と読むと矛盾がなくなります

●五六七の大神=六六六の大神

 (1) 泥の世界に最初に住んでいた。世界を造るに就て非常に独神で御心配遊ばしていた。

 (2) 大きな蛇体である。鱗は一枚もなし、角も一本もなし、体の色は青水晶。

 (3) 斯世を創造して、天地を開く事に非常に苦心遊ばし、天地の元の祖神と成られた。

 (4) ミロクの大神ともツキの大神とも申上げる。

●後から現れた神(日の大神)

 (1) 五六七の大神と似たやうな御神姿の大蛇神

 (2) 十六本の頭に角が生えて、其角の先から大変な光りが現はれて居る神様

 (3) 日の大神の前身である 

 (4) 女体である

 
>>訂正版

 其泥の世界に身の丈けは五百丈ばかり、身の太さは三百丈程も在る蛇体の荒神が住居して居られたのが、御精神の良い大神様の前身で、是が五六七の大神様と御成り遊ばしたので在るぞよ。誠に長閑やかな御神姿で、鱗は一枚もなし、角も一本もなし、体の色は青水晶のやうな立派な神様で、天地の元の祖神と成られたので在るぞよ。斯世を創造して、天地を開く事に非常に苦心遊ばしましたのが、此の大神様が第一番で、ミロクの大神ともツキの大神とも申上げる御神様であるぞよ。

 世界を造るに就て非常に独神で御心配遊ばして御座る所へ、同じく似たやうな御神姿の大蛇神【日の大神】が現はれたが、此の神には十六本の頭に角が生えて、其角の先から大変な光りが現はれて居る神様に五六七の大神様が世界創造の御相談をお掛けになつたので在るぞよ。

 扨(さ)て其時の六六六の大神様の御言葉には、「何時まで斯うして泥の世界の暗い所に住居を致して居つても、何一つの楽みもなし、何の功能もなし、沢山の眷属も在る事なり。何とか致して立派な天地を造り上げ、万の眷属の楽しく暮すやうに致したいのが、我の大望で在るが、其方様は我の片腕となりて天地を立別け、美はしき地上の世界を造る御心は有りませぬか」と御尋ね遊ばしたら、

日の大神の前身なる頭に十六本の光る角を生やした大蛇神様が御答には、「我身は女体の事なり、且つ又た斯んな業の深い見苦しき姿で在りますから、貴神様の如うな御精神の良い、立派な神様の片腕に成ると云ふ事は、恐れ入りて御言葉に従ふ事が出来ませぬ」と、大変に嫌だつて御辞退を遊ばしたなれど、

六六六大神様が強いて御頼みに成り「我の片腕に成るのは其方様(そなたさま)より外にない、我が見込んで居るから」との仰せに、

日の大神様も「左様なれば御本望の遂ぐるまで我身の力一杯活動いたして見ます、去る代りに天地が立派に出来上りましたら、我を末代貴神様の女房役と致して下され私は女房役となりて万古末代世界を照します」との御約束が地の高天原の竜宮舘で結ばれたので在りたぞよ。

 其所(そこ)へ艮の金神の前身国常立尊の荒神が現ばれて、「世界を造り遊ばす御手伝を命(さ)して下され」と御願申上げたので在りたぞよ。そこで六六六(みろく)の大神様が早速に御承知被下て仰せ遊ばすには、「其方は見掛に由らぬ誠忠無比の神であるから世界の一切を委すから、落度のなきやうに致すが良かろう」と仰せられ、其上に国常立之命に思兼(おもひやり)の神と申す御名を下され、八百万の神様を天の山河澄(やす)の川原に集めて一人の眷属も残さず相談の中間え入れて大集会を遊ばしたので地の在る限りに住居(すまゐ)いたして居れる蛇体(じやたい)の神々様が集り合ふて御協議の上、六六六様(みろくさま)の仰せの通りに国常立之命を総体の局(つぼね)に選み下さりたのであるぞよ。

 そこで八百万の神々の意見を聞き取りて、其の由を五六七(みろく)の大神様へ申上げたら、日の大神伊邪那岐之尊様と月の大神五六七様(みろくさま)との御弐体(おふたかた)の大神様が更に集会あそばして、「国常立之尊を地の造り主と致すぞよ」との御命令が下りたので、此の方が地の主宰となりて多陀与幣流地面(ただよへるくに)を修理固成(つくりかため)いたしたのであるぞよ。

 天も水(み)(六)中界も水(み)(六(み))下界も水(み)(六)で世界中の天地中界三才が水(み)(六(み))計りで在りた世に一番の大将神の御位で御出遊ばしたので六(み)(水(み))を三つ合せてミロクの大神と申すのであるが、天の水(みず)の(六(み))の中からヽ(ぽち)の一霊が地に下りて五(いづ)(火(ひ))と天が固まり地の六(み)(水(み))にヽ(ぽち)の一霊が加はりて地は七(なゝ)(地成(なな))となりたから、世の元から申せば、ミロクは六六六(みろく)なり、今の世の立直しの御用から申せばミロクは五六七(みろく)と成るのであるから、六百六十六の守護は今までのミロクで、是からの、ミロクの御働きは五六七(みろく)と成るので在るぞよ。

 国常立之尊が世の元を修理固成(かためしめ)るに就て、天地中界の区別もなく、世界は一団の泥土泥水で手の附け様がなかりたので、堅いお土の種をミロクの大神様に御願い申し上げたら、大神様が直ぐに御承知になりて一生懸命に息を吹き懸けなされて一凝(こ)りの堅いお土が出来たのを国常立之尊の此方に御授けに成りたので其一団の御土を種に致して土と水とを立別け、山、川、原、野、海を拵らえたのが地の先祖の大国常立之尊であるぞよ。艮の金神の金神大国常立之尊の姿は今まで筆先にも現はした事はなかりたなれど、畏れ多きミロクの大神様、日の大神さまの御神姿(おんみすがた)まで筆先に出して知らしたから、何時までも発表を見合はす事が出来ぬから、実地の姿を書き誌すぞよ。

 大国常立之尊の元の誠の姿は頭に八本角の生えた鬼神の姿で、皆の神々が余り恐ろしいと申して寄り附かぬやうに致した位いの姿で在るから、今の人民に元の真の姿を見せたら、震い上りて眼を廻すぞよ。

 月の大神に御成遊ばした五六七(みろく)の大神様と日の大神様と、御二体(おふたかた)の大神が(水火(いき))を合はして天を固めに御上り遊ばした霊場が今の綾部の神宮本宮の坪の内、竜宮舘の地の高天原であるぞよ。

 日本は世界の中心であり、綾部は日本の中心(まんなか)で在るから、天地の神々が世の元から昇り降りを致されたり集会を遊ばし坐(まし)て、天地を造られる折に御相談なされた結構な霊地(とち)であるから、其時分にはたつ鳥も落ちる勢いの場所で言霊(ことたま)の世の元でありたぞよ。

 其後に艮の金神が八百万の邪神に艮へ押込められてから、一且は悉皆(みな)影も形もなきやうに亡びて了ふたが、時節参りて煎豆にも花が咲きて再び国常立之尊の世に世が戻りて来たから、変性男子と女子(によし)との身魂を借りて、世の元からの因縁を説いて聞かせる世界一の大本(おほもと)と成りたので在るぞよ。天の固まりたのは御弐体(おふたかた)の大神様が天へ上りて各自(めいめい)に水火(いき)を合はしてキリ/\と左右に三遍御舞い成されて伊吹の狭霧(さぎり)を遊ばすと、夫れで天が完全に固成(かたまり)たので在るぞよ。次に亦た吹き出し玉ふ伊吹の狭霧(さぎり)に由りて天幾億万の星が出現したので在るぞよ。其星の数だけ地の世界に生物(いきもの)が育ちたら夫れで一旦世の洗い替に成るので在るぞよ。

 天は判然(はつきり)と造れたなれど、未だ地の世界が充分に固まりて居らなんだ際に、(かしら)に十本の角の生へた大蛇神(だいじやじん)が我は地の世界の修理固成(つくりかため)の加勢よりも天へ上りて天上から働き度いと申されて天で○○○○○○と成られたのであるが、大変な御神力が強いので御惣領に為(し)てあるなれど、今の世界の人民の思ふて居る様な事とは神界の様子は又た大変な違いであるぞよ。

 それで先づ天の方は固まりて動かぬ事に成りたなれど、国常立之尊の主宰する地の世界は未だ充分の所(とこ)へは行て居らんから、此方が先途に立ちて地の在らん限り方々(ほうぼう)の神に申付けて持場/\を固めさしたのが国々の国魂神で在るぞよ。其折には何れの神も心一つに素直に活動(かつどう)なされて、地の世界も程なく固まりて眼鼻が付く様に成つたのであるが、今の露国の方面に八頭八尾(やつかしらやつを)の大蛇神(だいじやじん)が住居(すまゐ)いたして居りたか、其蛇神(じやじん)の目的は綾部の高天原(たかあまはら)を中心(まんなか)として置いて、自身(われ)が天へ上りて天から末代地の世界を守護いたし度いと云ふ思わくで在りたなれど、夫れより先に天を造りたいと思ふて夫れ/\苦労を遊ばしたミロク様なり、一番に相談に乗つて供々(ともども)に活動なされた日の大神様なり、地の世界は国常立之尊なり、世の元の根本の始りに天地三体の神が八百万の神を集めて天地を創造いたした其後へ八頭八尾(やつがしらやつを)の巨蛇神(おうじやじん)が現はれて、何程天地を自由に致そうと思ふても誰も相手に致すものがなかつたのであるぞよ。

 其の八頭八尾(やつがしらやつを)の蛇神(じやじん)が地の世界を充分乱らして置いて、我の自由に致す考えで種々と甘い事を申して誠の神まで手に入れて、此の神国の世を持荒らし、終(しまい)には地の先祖の此方まで押込めるやうに企みて悪の目的が今まではトン/\拍子に面白い程来たなれど、今度は艮へ押込められて居りた此方が時節で世に出て地の世界の一切を主宰(つかさ)するやうに成りたから、改心いたせば共々に手を曳合ふて神界の御用に立てゝ与(や)るなり、改心出来ねば弥々艮めを刺して往生さすぞよ。

この読み方をすると登場するのは

五六七の大神=六六六の大神=ミロクの大神=ツキの大神=月の大神  角なし 

日の大神=伊邪那岐之尊  16本の角

国常立尊=思兼の神=大国常立尊=艮の金神  8本の角

○○○○○○ (御惣領) 10本の角

●八頭八尾の大蛇神

 
数字だけを考えると、8は良い数字ではありません。その倍の16も良い数字ではないと思うのですが。

例えば神の国 1930/11 十和田湖の神秘では

 爰に於て男装坊は止むを得ず天上に坐す天の川原の棚機姫の霊力を乞ひ幾百千発の流星弾を貰ひ受け之を爆弾となして敵に投げ付け、或は雷神を味方に引き入れ天地も破るる斗りの雷鳴を起さしめ大風を吹かせ豪雨を降らせ、幾千万本の稲妻を槍となしたる獅子奮迅の勢にて挑み戦へば、八郎もとても叶はじとや思ひけむ、暫しの間手に印を結び呪文を唱へ居たりしが、忽ち湖中に沈み再び湖底から浮び出たるその姿は恐ろしくも一躯にして八頭十六腕の蛇体と変り、八頭の口を八方に開き水晶の如く光る牙を噛み鳴らし白刃の如く研ぎ磨いた十六本の腕の爪をば十六方に伸ばし風車の如く振り廻しつつ敵対奮戦するために又も其の力相伯仲して譲らず、再び七日七夜不眠不休の活躍、何時勝負の決すべしとも予算がつかぬ状況である。


伊都能売神諭大正七年十二月二十三日


五、六、七の説明があります。

五六七の世 撞の大神様ミロク様が、肝心の世を治め遊ばす経綸となりたのを、五六七の世と申すのであるぞよ。

色つけ・改行・「」はWeb管理者がつけました

大正七年十二月二十三日

 艮の金神が永らく変性男子の手と口とで知らして在りた、五六七の世が参りたぞよ。釈迦が五十六億七千万年の後に、至仁至愛神の神政が来ると予言したのは、五六七と申す事で在るぞよ。皆謎が授けてありたのじぞやよ。

 は天の数で火と云ふ意義であつて、火の字の端々に○を加へて五の○となる。火は大の字の形で梅の花、地球上の五大洲に象どる。

 は地の数で水と云ふ意義であって、水の字の端々に○を加へて六の○となる。火は人の立つ形で水は獣類の形であるぞよ。火は霊系、天系、君系、父系。水は体系、地系、臣系、母系であるぞよ。火は高御産巣日の神が初り、水は神御産巣日の神が初まりで、火はカの声、水はミの声、之を合してカミと申すぞよ。

 は地成の数で、土也成の意義であつて、土は十と一の集りたもの、十は円満具足完全無欠両手揃ふ事で、一は初めの意義であるぞよ。十は物の成就、一は世界統一、一人の事である。世の終いの世の初りがミロクの世であるぞよ。また土は地球と云ふ意義で土也、成事である。

 火水地(神国)が五六七である五六七の世となる時は、神国に住む日本の人民が五千六百七十万人となる。大本は時節まいりて五六七の御用を致さす、変性女子の身魂に、大正五年五月五日辰の年午の月に、火水島の五六七の神を祭らせ、大正六年六月には肝川の竜神を高天原、竜宮舘ヘ迎ヘ、大正七年七月には七十五日の修行が仰せ付けてありたのも、皆神界の昔から定まりた経綸が実現してあるのじやぞよ。五六七の神政は大正五六七三ケ年の間に、神界の仕組を現はし、又五年から七年までの間に、瑞の大神の神社八重垣ノ宮を三人兄弟の身魂に申付けて成就さしたのも、神界から因縁のある事であるぞよ。結構な御用でありたぞよ。

 五六七の世には、善き事も一度に出現るぞよ。独逸へ渡りた八頭八尾の守護神は、大きな世界の戦を始めた其の間の日数が千と五百六十七日、世界風邪で斃れる人民が、全世界で五百六十七万人であり五年に渡る大戦争中に戦死者重軽傷者が又た五千六百七十万人であろうがな。是が釈迦の申した五十六億七千万年と云ふ意義である。

 五六七を除いた後の十億千万年と云ふ意義は、万世一系天壌無窮の神皇を戴き、地球上に天津日嗣の天子一人坐して、神政を行ひ玉ふと云ふ謎でありたが、其の謎の解ける時節が来たのであるぞよ。

 昔の神代の泥海の折に、ミロクの大神様が地の先祖と成つた艮の金神国常立之尊に御命令を下し遊ばして、一旦は土と水とを立別け、人民初め万物の育つやうに致したので在るが、今に充分悪神の為に神国が成就いたして居らんから、時節参りて艮へ押込められて居りた艮の金神が、潰れて了ふ世を、天の御三体の大神様に御願申して立直し度いと思ふて、三千年の経綸をフタを開けて、明治二十五年から変性男子若姫君之尊の身魂に憑りて経綸を致して居れど、地の守護斗りで、天地が揃はぬと成就いたさぬから、撞の大神様ミロク様が、肝心の世を治め遊ばす経綸となりたのを、五六七の世と申すのであるぞよ

 ミロクの御用は撞の大神と現はれる迄は、泥に混みれて守護いたさな成らぬから、ミロクの御用の間は変性女子を化かしたり、化けさして世の立直しを致さすから、女子は未だ/\水晶の行状斗り命す事は出来ぬ、和光同塵の御用で辛い役であるぞよ。それで女子の身魂は未だ/\内からも外からも、笑はれたり、怒られたり、攻められ苦しめられ、譏られ愛想を尽され、疑はれ、云ふに云はれぬ辛抱もあり、悔しい残念を忍耐ねば成らぬ、気の毒な御役であるぞよと女子の行状を見て御蔭を落す人民も、沢山是から出て来るぞよ。女子は斯世の乱れた行り方が命してあるぞよ。申して、変性男子の手と口とで永らく気が付けて、三千世界の大化物じやと申してあろうがな。余り浅い精神やら小さい身魂では、途中で分らぬ様になりて、迯げて帰ぬぞよと申してあろうがな。二十七年の間の筆先を能く調ベて下されたら、何一言も申す事は無いぞよ。肝心の時に成りて御蔭を堕して、間曳かれんやうに致して下されと、毎度筆先で気を付けてあろうがな。神はチツトも困らねど其人民が可愛[哀]想ながら、呉々も気を附けておいたから、大本へ不足は申されんぞよ。

 変性女子の身魂が五六七の御用を致して下さる時節が参りたから、神界の経綸通り、変性男子の身魂は若姫君の命と一つになりて天ヘ上り、天からは若姫君之命、地からは国常立尊、天地の間は大出口国直霊主命が守護いたして、大国常立命と現はれて、世の立替の大掃除をいたすなり、地には変性女子の身魂が豊雲野命と現はれて、泥に浸りて、三千世界の世を立直して、天下泰平、末永き松の世ミロクの神世と致して、撞の大神豊国主之尊と現はれる経綸であるから、今の人民には見当は取れぬぞよ。

 何時神が女子の身魂を何処へ連れ参ろうやら知れぬから、何事を致さすも神の経綸であるから、別条は無いから、何時姿が見えぬやうになりても神が守護いたして居るから、役員の御方心配を致さずに、各自の御用を致して居りて下されよ。神が先に気を付けておくぞよ。

 是から変性女子の身魂に五六七の神政の御用を致さすに就ては、神界の経綸を致させねば、大望が後れて間に合はぬ事が出来いたしては、永らくの神界の仕組も水の泡になるよつて、秘密の守護を為せるから、其つもりで落付いて居りて下され。中々人民の思ふて居るやうなチヨロコイ経綸でないぞよ。末代動かぬ大望な仕組の苦労の花の咲くのは、一と通りや二通りや五通りでは行かぬぞよ。山の谷々までも深い経綸で在るから、誠の仕組を申したら、悪の守護神は大きな邪魔を致すから、大正八年の節分が過ぎたら、変性女子を神が御用に連れ参るから、微躯ともせずに平生の通り大本の中の御用を役員は勤めて居りて下されよ。

 今迄は誠の役員が揃はなんだから、女子の御用を命す所へは行かなんだので、神界の経綸の御用が後れて居りたなれど、誠の熱心な役員が、揃ふて御用を、大本の中と外とで致して下さる様になりて来たから、弥々女子の身魂を経綸の場所ヘ連れ参るぞよ。女子の誠実地の御用は是からが初りで在るぞよ。何時まで神が経綸の所へ連れ行きても、跡には禁闕要乃大神、木花咲耶姫命、彦火々出見尊の身魂が守護遊ばすから、暫時の間位は別条は無いから、安心いたして留守を為てをりて下されよ。

 一度に開く梅の花、開ひて散りて実を結ぶ御用に立てるは、変性女子の身魂の御用で在るぞよ。変性男子の御魂の御用は、三千世界一度に開く梅の花の仕組なり、女子の御用は、三千世界一度に開く梅の花の開ひて散りて跡の実を結ばせ、スの種を育てゝ、世界を一つに丸めて、天下は安穏に国土成就、万歳楽を来さす為の御用であるから、中々骨の折れる事業であるぞよ。

 是でも艮の金神は、此の身魂に守護いたして本望成就さして、三千世界の総方へ御眼に掛けるから、何事をいたしても細工は流々、仕上げを見て下され。水も漏さぬ仕組であるぞよ。たとへ大地が水中に沈むとも、神の仕組は動かぬから、金剛力を出して持上げさせるぞよ。是が一番要めの大望な瑞の御魂の今度の御用であるぞよ。人民の智慧や学力では一つも見当の取れん事斗りで在るぞよ。女子も今迄は乱れた行り方が致さして在りたから俄に神が御用に使ふと申せば、多勢の中には疑ふ者もあるで在ろうなれど、神は俄に手の掌を覆えして改心さして、誠の御用に立てるぞよと、永らく大出口直の手と口とで知らして在りた事の、実地を致さす時節が来たのであるぞよ。此者と直で無ければ実地の仕組の御用には連れ行かれん事であると申して、永らく筆先で知らしてありた事の、実地が出て来たのであるぞよ。大本はこれからは段々良くなるぞよ。気使いに成るぞよ。

第1版 2003年10頃

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