縄文について

金生遺跡の中空土偶(上の画像)
トップの赤い画像は山梨県の金生遺跡の縄文後期~晩期の中空土偶「ちゅうた君」を二方向から撮影したものを、絵のようにしたものです。
実際の色は土の色ですが、赤くしてみました。
諏訪から山梨にかけての八ヶ岳周辺は縄文中期には大変栄えていましたが、時代が下がるにつれ、寒冷化したためか、人口が激減してしまい、ちゅうた君が作られた当時はまばらな人口で、この土偶は、呪術に使われたと考えられています。
呪術と言われて、一目見ると、非常に「あやしげ」なのですが、見方によっては「かわいい」ように思えます。
縄文時代はたそがれて、人口が減り、いきづまり、別の人種が主導する弥生時代がやってきたように言われますが、最近、私は縄文後期~晩期の土偶を見て、「本当にたそがれていたのか」、疑問に思っています。
今後、そのような記事も書いてゆきたいと考えています。
王仁三郎と縄文
村上重良さんの出口王仁三郎に関する本では、表紙に縄文土器が使われていました。
『日月神事』に関係している人の話にも「縄文神」という語が使われています。
じゃ、『霊界物語』の神様は縄文神であると言えるのかというと、これらの神様は宇宙の開始から存在するわけで、縄文神よりはずっとずっと古いわけで、縄文神とは言い切れないと思います。
実際、誰かが縄文との関係を説明しているものはあるのでしょうか?
でも、『霊界物語』に縄文のにおいがすることは確かです。
私は、これまで霊界物語には縄文のにおいはするが、やはり、米作など弥生時代の方が霊界物語にはふさわしいのではと考えてきました。しかし、弥生時代初期に米作をすすめたのは渡来人ではなく、縄文人であるとの説を知り、霊界物語と縄文の関係を極めたいと考えています。
顔面付釣手形土器
縄文は当サイトの第二のテーマとするつもりですが、まだコンテンツを作っていません。

次の絵は、伊那の顔面付釣手形土器(伊那市御殿場遺跡出土)の裏、表です。
表の顔もちょっとカワイイからは微妙に外れているかも知れません。
裏は地獄の冥王のような顔をしています。鶏みたいに見えますね。
この土器、中に油を入れて、夜、シャーマンの家に吊るしていたようです。

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