出口和明氏が語る霊界の構造

1..出口王仁三郎が語る 霊界の最高機密

2.部屋と空気とコップ

3.出口和明氏による霊界の構造

4.出口和明氏による幽の幽から顕の顕の四段階


1.出口王仁三郎が語る 霊界の最高機密

 出口和明氏の「出口王仁三郎が語る 霊界の最高機密」 KKロングセラーズ 平成7年

 この本では、出口王仁三郎の語る霊界について説明しています。
 ここでは、出口和明氏の考えた方をそのまま紹介します。

死とは何か 肉体と精霊の分離である。精霊は生き通しである。死とは、蝉がサナギの殻を脱皮するようなもの。
肉体と精霊 人間は肉体と精霊からできているが、人間の本体は精霊である。霊そのものはあらゆるもの、例えば鉱物などにもある。人間を含めて動物の霊を精霊と呼んでいる。
死の恐怖は 死はこの世に生まれてくるときほど苦しくない。死の恐怖は「神が与えた慈悲」である。人間が神の意志を実現する機関であるから、生きて意志を実現させたいから、神は人間に死の恐怖を与えている。
霊界の存在 目に見えるか見えないかではなく、人間が欲するか欲しないか。つまり、欲するものがあればそれは必ず存在する。霊界がブームになっていることは霊界の存在を裏付けている。

2.部屋と空気とコップ

 出口和明氏は霊界を説明するために、部屋空気と応接台に伏せられたコップを使用しています。

 部屋の中には<目に見えない=抽象的な空気や真空>がまず基本として先に在って、その前提の上で<目に見える=具体的なコップや応接台>がある。

 霊妙世界(霊界)=目に見えない空気や真空:抽象的な世界:宇宙:霊妙世界(霊界)

 現界       =目に見えるなコップや応接台:具体的な物質世界    

 伏せたコップの中には空気(霊界)が入っています。コップをどけたり、コップが壊れたりしたら、コップの中の空気は外の空気と混じりあいます。
 このコップは人間の肉体を表しています。人間の肉体は物質です。その肉体の中には霊界=こころ、精神が閉じ込められているのです。

●生きながら霊界にいる

 このように、出口王仁三郎は「われわれの肉体は現界にいる。ところが、われわれの精霊いまも霊界にいる。」といっています。つまり、霊界は死んでいくところではなく、生きているいま"ここ"こそが霊界という意味です。
 われわれが生きながら霊界のいるのに、それがわからないのは五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)が霊的五感の働きを妨害しているから。

霊界物語第6章松葉塵

●天国と地獄

 応接台のコップが割れると中の空気は外の空気と交じり合います。肉体が滅んで解放された心=魂は部屋の空気になると考えられます。

 このコップの中の空気は、コップ周辺の空気と単純に混じり合うのではありません。部屋の中の空気は暖かい部分(部屋の上部にある)から冷たい部分(部屋の床近く)に何段階にも分かれています。そこで、コップの中にあった空気が暖かいものであったら、上昇して暖かい空気と混じり合い(天国)、冷たいものであったら下降して冷たい空気(地獄)と混じりあいます。

  天国、地獄は霊界にあります。つまり、コップと同じ部屋にあるのです。

 つまり、いま、私たちが生きていても、心の中が天国であるなら、死んだら天国へ行く。重要なのは、生きているいまの心のありよう、心が天国レベルの人ならば、死んだら間違いなく天国へ召される、逆に心が地獄レベルの人は死んだら地獄へ招き寄せられることになります。他の力で、天国とか地獄に行くのではなく、自らそこへ行くのです。


3.出口和明氏による霊界の構造

下記にあげるのは「霊界の最高機密」の図です。論考では何度もとりあげています。

霊界物語とだいたい構造は一緒です。天の神界と地の神界が、天国と霊国に代っていて、兇党界が追加されています。

霊国、天国は例えば、霊界物語第63巻4章でも取り上げられています。

中有界 死んだ人が最初に行く世界。神道で天の八衡、仏教では六道の辻、キリスト教では精霊界と呼んでいます。

神界 神道は高天原、仏教は極楽浄土、キリスト教はヘブンと呼んでいます。

         天国は愛と善に満ちた精霊が行くところ。天国に住んでいる精霊を天人と呼ぶ。

    霊国は信真(まことの信心)や真理を追究する意識に満ちた精霊が行くところ。
         霊国に住んでいる精霊を天使と呼ぶ。

幽界 神道は根底の国、仏教では八万地獄、キリスト教ではヘルと呼んでいます。

    根の国 虚偽の世界。そこの精霊を兇鬼と言う。

    底の国 悪欲の世界。そこの精霊を兇霊(まがひ)と言う。

兇党界 中有界、神界、幽界のどれにもあてはまらない世界。兇党(悪いことをする輩)が集まっている世界。現実界に悪い影響を与えようとする。


4.出口和明氏による四段階

幽の幽から顕の顕は、「大本略儀」「山上の垂訓」で取り上げられていますが、出口和明氏もわかりやすく説明しています。

(1) 宇宙の活動力=エネルギーが神の本体

「王仁三郎は、その著『霊界物語』六七巻六章で次のように書いています。
宇宙の本源は活動カにして、即ち神なり。万有は活動カの発現にして一即ち神の断片なり
万有、つまりこの世のすべての具体的なモノは神の一部であり、神とは、それら具体物を動かす本源的な活動力のことである、と王仁三郎は言っているんです。”活動力”をもっとわかりやすい言葉で”エネルギー”と言い換えてもいいでしょう。この力(エネルギー)は、抽象的で目には見えないけれど、絶対に存在するものですよね。宇宙の星々を動かす力、病気になった人間の身体を自然に治癒する力、春になったら去年と同じ桜を咲かせる力……等等。この力そのものが”神”なんです。人間を生きさせる力、死なせる力(生を奪う力)、これももちろん、だから”神”です。」

(2) 見えない神を見る方法

▽「宇宙の星々が動くこと
▽「病気になった人間の身体が自然に治癒すること
▽「春になったら去年と同じ桜が咲くこと
これらの「こと」の中にも、私たちは、いっぱい”神”を感じ取ることができますよね。すべて、現象をちゃんと”頭=理性”で理解した後、”心=感性”を主にして受け止めているから、見えない”神”が見えてくるんです。

(3) 世界三大宗教の「神観」は究極的にはひとつ

一神観: 神は絶対神としてひとつである (キリスト教、ユダヤ教など)

多神観: 神は「やおよろず」と言って八百万いる (神道、ギリシャ神話など)

凡神観: 木に仏が宿っている、この葉っぱにも仏が、あの石ころにも仏が……(仏教、スピノザ、ゲーテなど)

王仁三郎の神観は「一神観」「多神観」「凡神観」すべてであると言います。

そして、和明氏は大本略義を引用します。

「宇宙根本の「力」を体現するものは、既に述ぶるが如く、宇宙を機関として、無限、絶対、無始、無終の活動を続け給う所の全一大祖神天之御中主神、一名大国常立尊である。此意義に於て、宇宙は一神であるが、宇宙の内部に発揮さるる力は、各々分担が異り、方面が異り、性質が異り、軽重大小が異り、千種万様、典窮極を知らない。そして是等の千種万様の力は、各々相当の体現者を以て代表されて居る。

 此意義に於ては、宇宙は多神に依りて経営され、所謂八百万神の御活動である。由来一神論と多神諭とは、相背馳して並立する事が出米ぬものの如く見なされ、今日に於ても尚お迷夢の覚めざる頑冥者流が多いが、実は一神諭も多神諭も、共にそれ丈では半面の真理しか捕らえて居ない。一神にして同時に多神、多神にして同時に一神、之を捲けば一神に集まり、之を放てば万神に分るのである。此の意義に於て、天地、日月、万有、一切悉く神であり、神の機関である。小天之御中主神である。」

(4) 人はひとり残らず神の霊と体を与えられている

 宇宙全体を統べる神は唯ひとつですから、この世のあらゆるものが、神の霊力体を与えられています。このことを分霊、分力、分体と言いますが、特に人間においては神の霊魂そのものを与えられていて、これを”一霊四魂”と言います。実は、この点が他の動物と人間とを決定的に区別しているんですね。

『人間は神の子である』

 われわれの魂は、神そのものなんですよ。

(5) 相応の理

和明氏は霊界物語を引用します。

『現界すなわち自然界の万物と、霊界の万物との間には、惟神の順序によって、相応なるものがある。また人間の万事と天界の事物との間には動かすべからざる理法があり、またその連結によって相応なるものがある』(『霊界物語』四八巻一〇章「天国の冨」

王仁三郎によれば、神のいる霊界と人間のいる現界との間は、《相応の理》によってつながっている。〈霊界=現界〉ということになるんです。

(6) 人と神の関係

 人と神の関係は、野球の監督=神、選手=人というような関係になります。

 そして、幽の幽から顕の顕までの四段階を説明しています。

 また、出口和明氏は、この系を会社組織に譬えています。

    ① 社長の頭の中 経営戦略

    ② 重役 経営戦略ははっきりした形をもつ

    ③ 中間管理職 それぞれの具体案になる

    ④ 社員 経営戦略が具体化したものを実行する

幽の幽は抽象、それがだんだん具体化してゆきます。



第1版 2003年10月頃
第1版(校正) 2015年1月


次=第1編 人間と霊界(本守護神、正守護神、副守護神)
メニューは画面上部の左端の三本線のボタンをクリックします。

メニューを閉じるには、コンテンツの部分をクリックしてください。下の画像では、赤い部分です。