神示の宇宙

1.第四六章 神示の宇宙 (その一)

2.第四七章 神示の宇宙 (その二)

3.第四八章 神示の宇宙 (その三)

4.第四九章 神示の宇宙 (その四)

5.第五〇章 神示の宇宙 (その五)

6.神の国に所載の文章

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1.霊界物語 第4巻 第四六章 神示の宇宙(その一)

(1) 大宇宙と小宇宙

 吾々の肉眼にて見得るところの天文学者のいはゆる太陽系天体小宇宙といふ。
 大宇宙には、かくの如き小宇宙の数は、神示によれば、五十六億七千万宇宙ありといふ。宇宙全体を総称して大宇宙といふ。

(2) 大空と大地

 わが小宇宙の高さは、縦に五十六億七千万里あり、横に同じく、五十六億七千万里あり、小宇宙の霊界を修理固成せし神を国常立命といひ、大宇宙を総括する神を大六合常立尊(おほくにとこたちのみこと)といひ、また天之御中主大神と奉称す。

 小宇宙を大空大地とに二大別す。しかして大空の厚さは、二十八億三千五百万里あり、大地の厚さも同じく二十八億三千五百万里あり。

(3) 宇宙の構造

 大空には太陽および諸星が配置され、大空と大地の中間すなはち中空には太陰および北極星、北斗星、三ツ星等が配置され、大地には地球および地汐(ちげき)、地星が、大空の星の数と同様に地底の各所に撤布されあり。大空にてはこれを火水といひ、大地にてはこれを水火といふ。大空の星はそれぞれ各自の光を有するあり、光なき暗星ありて、すべて球竿状をなしゐるなり。大地氷山の最高部と大空の最濃厚部とは密着して、大空は清く軽く、大地は濁りて重し。

 大空の中心には太陽が結晶し、その大きさは大空の約百五十万分の一にあたり、地球も亦大地の約百五十万分の一の容積を有せり。しかして太陽の背後には太陽とほとんど同形の水球がありて球竿状をなしをれり。その水球より水気を適宜に湧出し、元来暗黒なる太陽体を助けて火を発せしめ、現に見るごとき光輝を放射せしめゐるなり。ゆゑに太陽の光は火のごとく赤くならず白色を帯ぶるは、この水球の水気に原因するがゆゑなり。太陽はかくのごとくして、小宇宙の大空の中心に安定し、呼吸作用を起しつつあるなり。

 また、地球(いはゆる地球は神示によれば円球ならずしてむしろ地平なれども、今説明の便利のため従来の如く仮りに地球と称しておく)は、四分の三まで水をもつて覆はれあり、水は白色なり。この大地はその中心に地球とほとんど同容積の火球ありて、地球に熱を与へ、かつ光輝を発射し、呼吸作用を営みゐるなり。しかして、太陽は呼吸作用により吸収放射の活用をなし、自動的傾斜運動を起しゐるなり。されど太陽の位置は大空の中心にありて、少しも固定的位置を変ずることは無し。

 地球は大地表面の中心にありて、大地全体とともに自動的傾斜運動をおこなひ、その傾斜の程度の如何によりて、昼夜をなし春夏秋冬の区別をなすものなり。自動的小傾斜は一日に行はれ、白動的大傾斜は四季に行はる。彼岸の中日には太陽と地球の大傾斜が一様に揃ふものなり。また六十年目ごとにも約三百六十年目ごとにも、それぞれの大々傾斜が行はれ、大地および地球の大変動を来す時はすなはち極大傾斜の行はるる時なり。

 太陽は東より出でて西に入るがごとく見ゆるも、それは地上の吾人より見たる現象にして、神の眼より見る時は、太陽、地球ともに少しも位置を変ずることなく、前述のごとく、たんに自動的傾斜を行ひてゐるのみなり。

 天に火星、水星、木星、金星、土星、天王星、海王星その他億兆無数の星体あるごとく、大地にもまた同様に、同数同形の汐球が配列されありて、大空の諸星も、大地の諸汐球も、太陽に水球があるごとく、地球に火球があるごとく、すべて球竿状をなしゐるものにして、おのおのそれ自体の光を有しゐるなり。なほ、暗星の数は光星の百倍以上はたしかにあるなり。

 太陰は特に大空大地の中心すなはち中空に、太陽と同じ容積を有して一定不変の軌道を運行し、天地の水気を調節し、太陽をして酷熱ならしめず、大地をして極寒極暑ならしめざるやう保護の任に当りゐるものなり。

 しかして太陰の形は円球をなし、半面は水にして透明体なり。しかし、それ自体の光輝を有し、他の半面は全く火球となりゐるなり。

 太陰は大空大地の中心を西より東に運行するにともなひ、地汐をして或ひは水を地球に送らしめ、あるひは退かしむるがゆゑに、満潮干潮の現象自然に起るものなり。

 神諭に
 『月の大神様はこの世の御先祖様である』と示しあるは、月が大空と大地の呼吸作用たる火水を調節するの謂(いひ)なり。火球は呼気作用を司り、地汐は吸気作用を司る。

 『富士と鳴門の仕組が致してある』といふ神示は、火球の出口は富士山にして、地汐は鳴門を入口として水を地底に注吸してゐることを指示せるものなり。火球および地汐よりは、なほ人体に幾多の血管神経の交錯せるごとく、四方八方に相交錯したる脈絡をもつて、地球の表面に通じゐるものなり。

(大正十年十二月十五日 旧十一月十七日桜井重雄録)


2.第四七章 神示の宇宙 (その二)

 前章に述べたるところを補ふために、さらに少しく断片的に説明を加へおくべし。しかし自分の宇宙観はすべて神示のままなれば、現代の天文学といかなる交渉を有するや否やは、全然自分の関知するところにあらず。

 自分は神示に接してより二十四年間、ほとんど全く世界の出版物その物から絶縁しゐたり。したがつて現在の天文学がいかなる程度にまで進歩発達しゐるかは無論知らざるなり。ゆゑに自分の述ぶる宇宙観に対して、ただちに現代の天文学的知識をもつて臨むとも、にはかに首肯し難き点が少なからざるべし。

 前章に引きつづき太陽のことより順次述ぶることとせり。

 太陽は暗体にして、太陽の色が白色を加へたるごとき赤色に見ゆるは、水が光りゐるが故なり。暗夜に赤布と白布とを比較して見れば、白布の方がハツキリ見ゆるものなり。これによりて見るも水の光りゐることが判明し得るなり。
 大宇宙間の各小宇宙はたがひに牽引しゐるものにして、それと同じく太陽がその位置を支持するは諸星の牽引力によるものなり。ゆゑに天主は太陽を支持するために先づ諸星辰を造りたり。(第一巻第三篇天地剖判 第二〇章日地月の発生参照)

 太陽と吾が地球との距離は、小宇宙の直径五十六億七千万里の八分の一に当り、しかして大空の諸星は皆それ自体の光を放ちつつ、太陽の高さ以上の位置を占めゐるなり。太陽の光は、決して大空に向つては放射されず、あたかも懐中電燈のごとく、すべて大地に向つてのみ放射さるるなり。

 普通吾々は太陽の昇る方角を東としてゐるが、本来宇宙それ自体よりいへば、東西南北の別なし。仏説に、
 『本来無東西何処有南北』
とあるも、この理に由る。いま、東西南北の区別を立つれば、大地の中心たる地球が北極に当る。北とは気垂(きたる)、水火垂(いきたる)、呼吸垂(いきたる)、の意なり。南とは皆見えるといふ意味の言霊なり。地球は前述のごとく、世の学者らの信ずるごとき円球にあらずして、地平なり。吾々のいはゆる地球は、大地の中心なる極めて一小部分にて、大地はことごとく氷山なり。しかして、その氷山は地球を相距るほどいよい険峻になりゆく。普通氷山の解けるといふことは、地球の中央に接近せる氷山の解けるのみにして、大部分の氷山は決して解くることはなきものなり。

 地球説の一つの証拠として、人が海岸に立ちて沖へゆく舟を眺める場合に、船がだんだん沖へ行くに従ひて、最初は船体を没し、次第にマストを没してゆくといふ事実を挙げられるが、それは吾々の眼球がすでに円球に造られてあるが故なり。望遠鏡は凹鏡なるがゆゑに、人間の瞳との関係にて、遠方が見えるなり。ゆゑに地球説を固執する人々は、先づ人間の眼球そのものの研究より始めざるべからず。

 地球はまた一種の光輝を有し、暗体にあらず。

 宇宙全体の上にもっとも重大なる役目を有するは、太陰すなはち月なり。太陽の恩恵によりて万物の生成化育しゆくことは誰しも知おほるところなるが、蔽はれたる月の洪大無辺なる恩恵を知る者はほとんど全く無し。

 宇宙の万物は、この月の運行に、微妙にしてかつ重大なる関係をもてり。月は二十九日余、すなはち普通の一月にて、中空を一周す。ただし自転的運行をするにはあらず、単に同一の姿勢を保ちて運行するに過ぎず。大空における月の位置の、たとへば月の三日には甲天に四日には乙天と順次に変りゆくは月が静止してゐるにあらずして、西より東に向ひて運行しゐる証拠なり。

 月が吾々の眼に見ゆるは、上線を月が運行してゐる場合にして、下線を通過してゐる時は全然吾々には見えず。月が上線を運行する時は、月読命の活動にして、下線を運行する時は素蓋鳴尊の活動なり。

 次に月を眺めて第一におこる疑間は、あの月面の模様なり。昔から猿と兎が餅をつきゐるといはるるあの模様は、吾々のいはゆる五大洲の影が月面に映りゐるなり。それゆゑ、何時も同じ模様が見ゆるなり。蝕(か)けたる月の半面に朧げなる影が見ゆるは、月それ自体の影なり。つまり月の半面たる火球の部分が見ゆるが故なり。月蝕の起るは、月が背後から太陽に直射されたる場合なり。日蝕は、月が太陽と地球との中間に入りて、太陽を遮りたる場合なり。銀河は、太陽の光が大地の氷山に放射され、それがまた大空に反射して、大空に在る無数の暗星がその反射の光によりて吾々の眼に見ゆるなり。銀河の外縁に凸凹あるは、氷山の高低に凸凹あるがためなり。

 また彗星は大虚空を運行し時に大地より眺めらる。大虚空とは小宇宙の圏外を称し、青色を呈せり。大空の色は緑色なり。しかし、吾々は大空の色のみならず、青色の大虚空をも共に通して見るがゆゑに、碧色に見ゆるなり。

 この小宇宙を外より見れば、大空は大地よりははなはだ薄き紫、赤、青等各色の霊衣をもつて覆はれ、大地は黄、浅黄、白等各色の厚き霊衣をもつて包まる。そしてこの宇宙を全体として見る時は紫色を呈せり。これを顕国の御玉といふ。わが小宇宙はこれを中心として他の諸宇宙と、それぞれ霊線をもつて蜘蛛の巣のごとく四方八方に連絡し相通じており、それらの宇宙には、吾々の地球上の人間や動植物と同じごときものは生息せず。我が小宇宙における、地球以外の星にも神々は坐せども、地球上に棲息するごとき生物は断じてをらず。

(大正十年十二月十五日 旧十一月十七日桜井重雄録)


3.第四八章 神示の宇宙 (その三)

(前略)

 前述のごとく、太陰(月)は、太陽と大地の中間に、一定の軌道を採りて公行し、三角星、三ツ星、スバル星、北斗星の牽引力によりて、中空にその位置を保ちて公行しゐるなり。月とこれらの星の間には、月を中心として、あたかも交感神経系統のごとくに、一種の微妙なる霊線をもつて、維持されあるなり。

 太陽と、大空の諸星との関係もまた同様に太陽を中心として、交感神経系統のごとくに一種微妙の霊線をもつて保維され、動、静、解、凝、引、弛、合、分の八大神力の、適度の調節によりて、同位置に安定しつつ、小自動傾斜と、大自動傾斜を永遠につづけて、太陽自体の呼吸作用を営みゐるなり。

 大地もまたその中心の地球をして、諸汐球との連絡を保たしめ、火水の調節によりて呼吸作用を営みゐることは、太陽と同様なり。地球を中心として、地中の諸汐球は、交感神経系統のごとく微妙なる霊線を通じて、地球の安定を保維しゐるなり。

 また地球面を大地の北極といふ意味は、キタとは、前述の如く、火水垂(いきた)るといふことにして、太陽の水火と、大地の中心の水火と、大地上の四方の氷山の水火と、太陰の水火の垂下したる中心の意昧なり。

 人間が地球の陸地に出生して活動するを、水火定(いきる)といふ。ゆゑに地球は生物の安住所にして、活動経綸場なり。また水火すなはち霊体分離していはゆる死亡するを、身枯留(まかる)、水枯定(まかる)といふは、火水の調節の破れたる時の意なり。されど霊魂上より見る時は生なく、死なく、老幼の区別なく、万劫末代生通しにして、霊魂すなはち吾人の本守護神より見れば、単にその容器を代へるまでなり。

(大正十年十一月二十七日 旧十一月二十九日加藤明子録)


4.第四九章 神示の宇宙 (その四)

『瑞月憑虚空、照破万界暗』
とは神示の一端なり。
 王仁は前述のごとく、現代の盛んなる学説に少しも拘泥せず、霊界にありて見聞きせるそのままを、出放題にしやべるばかりなり。これにつきては、満天下の智者学者が邪説怪論として、攻撃の矢を向け来るべし。

 大空に懸かる無数の星辰の中には、その光度に強弱あり、厚薄ありて、その色光一定しをらざるは、決して星の老若大小に依るにあらずして、その水火調節の分量および金、銀、銅、鉄等の包含の多少の如何によりて、種々に光色変りて見ゆるまでなり。水の分量の多き時は白光を顕はし、火の分量の多き星は赤色を表はす。ゆゑに星の高低や位置によりて種々の光色を各自に発射してゐるなり。星の光の☆のごとく五光射形に地球より見ゆるは火の分量の多き星にして、◇(六角形)のごとく六光射形に見ゆるは水の分量の多き星なり。

 火の字の各端に○点を附して見れば、★(中心から五本出ている)のごとく五つの○点となる。
 五は天を象り、火を象る。また水の字の各端に○点を附して見るに、*の如く六つの○点となる。六は水を象り、地を象る。ゆゑに五光射星と六光射星は天上にありて水火の包含量の多少を顕はしてゐるなり。
 また星は太陽のごとく、自動傾斜運動をなさず、月球のやうに星自体が安定して光りてをるゆゑ、五光射、六光射がよく地球上から見得るものなり。

 太陽もまた星の如く、安定し自体の傾斜運動をなさざれば、五光射体と見え、または六光射体と見ゆれども、その自動的傾斜運動の激しきために、その光射体が円く見ゆるなり。譬へば蓄音機の円盤に、色々の画や文字を書き記しおきて、これを廻して見れば、その色々の形の書画が盤と同様に、丸くなりて見ゆる如きものなり。

 また北斗星は、北極星に近き星にして、俗にこれを七剣星、または破軍星と称へられる。この七剣星はまた天の瓊矛ともいひ、伊邪那岐の神、伊邪那美の神が天の浮橋に立ちて漂へる泥海の地の世界を、塩古淤呂古淤呂にかき鳴らしたまひし宇宙修理固成の神器なり。今日もなほ我国より見る大空の中北部に位置を占めて、太古のまま日、地、月の安定を保維しをるなり。

 また北斗星は、円を画きて運行しつつあるごとく地上より見ゆるが、これは大空の傾斜運動と丶大地の傾斜運動の作用によりて、北斗星が運行するごとくに見ゆるなり。万一北斗星が運行する如きことあらば、天地の大変を来すものなり。しかし他の星は、地上より見て、東天より西天に没するごとくに見ゆるにかかはらず、北斗星の運行軌道の、東南西北に頭を向けて、天界を循環するがごとくに見ゆるは、その大空の中心と、大地の北中心に位してをるため、他の諸星と同じやうに見えぬのみなり。たとへば、雨傘を拡げて、その最高中心部に北極星、やや下つて北斗星の画を描き、その他の傘の各所一面に、星を描きて直立しその傘の柄を握り、東南西北と傾斜運動をさせて見れば、北斗星は円を描きて軌道を巡るごとく見え、広い端になるほどその描きたる星が、東より西へ運行するやうに見ゆる。これを見ても、北斗星が北極星を中心として円き軌道を運行するにあらざること判明せむ。

 また太陽の光線の直射の中心は赤道なるが、大地の中心は北極すなはち地球なり。大地の中心に向つて、大空の中心たる太陽が合せ鏡のごとくに位置を占めをるとすれば、地球の中心たる北部の中津国、すなはち我が日本が赤道ならざるべからずといふ人あり。それは太陽の傾斜運動と、地球の傾斜運動のある関係より、光線の中心が地球の中心すなはち北部なるわが日本に直射せざる故なり。

 また赤道を南に距るほど、北斗星や北極星がだんだんと低く見え、終には見えざるに至るは、大空と大地の傾斜の程度と、自分のをる地位とに関係するが故なり。これも雨傘を上と下と二本合して傾斜廻転をなしつつ考へ見れば、その原因が判然と分るなり。
(大正十年十二月ニ十七日旧十一月二十九日外山豊二録)


5.第五〇章 神示の宇宙 (その五)

 宇宙間には、神霊原子といふものあり。また単に霊素とも火素ともいふ。火素は万物一切のうちに包含されてあり、空中にも沢山に充実せり。また体素といふものありて単に水素ともいふ。火素水素相抱擁帰一して、精気なるもの宇宙に発生す。火素水素のもつとも完全に活用を始めて発生したるものなり。この精気より電子生れ、電子は発達して宇宙間に電気を発生し、一切の万物活動の原動力となるなり。

 しかしてこの霊素を神界にては、高御産巣日神といひ、体素を神御産巣日神といふ。この霊体二素の神霊より、つひに今日の学者のいはゆる電気が発生し、宇宙に動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力完成し、つひに大宇宙、小宇宙形成されたり。

 物質文明は日に月に発達し、神秘の鍵をもつて、神界の秘門を開きたるごとくに感ぜらるる世の中になりたりといひて、現代の人間は誇りをれども、まだまだ宇宙の真理や科学は、神界の門口にも達しをらず。しかし今日は、高皇産霊(霊系)、神皇産霊(体系)の二大原動力より発生したる電気の応用は多少すすみきて、無線電信や、電話やラヂオが活用され来たるは、五六七の神政の魁として、もつとも結構なことなり。しかしながら物には一利一害のともなふものにして、善悪相混じ、美醜たがひに交はる造化の法則に漏れず、便利になればなるほど、一方にまたそれに匹敵するところの不便利なることが出来るものなり。電気なるものは、前述のごとく宇宙の霊素、体素より生成したものなるが、その電気の濫用のために、宇宙の霊妙なる精気を費消すればするだけ、反対に邪気を発生せしめて宇宙の精気を抹消し、ために人間その他一切の生物をして軟弱ならしめ、精神的に退化せしめ、邪悪の気宇宙に充つれば満つるほど、空気は濁り悪病発生し害虫増加す。されど今日の人間としては、これ以上の発明は未だ出来てをらず、ゆゑに五六七神世出現の過渡時代においては、もつとも有益にして必要なものとなりをるなり。も一歩進みて不増不減の霊気をもつて電気に代へることになれば、宇宙に忌はしき邪気の発生を防ぎ、至粋至純の精気によりて、世界は完全に治まり来るなり。この域に達するにも、今日のごとき浅薄なるものを捨て、神霊に目醒めざるべからず。大本信者の中には、電気燈を排斥する方々が、たまたまあるやに聞けども、それはあまり気が早過ぎるなり。これ以上の文明利器が発明されて、昔の行燈が不用になりしごとくに、電燈不用の時機に電気を廃すればよし。

 また宇宙には無限の精気が充満せるゆゑに、何ほど電気を費消しても無尽蔵なり。決して、無くなるといふ心配はいらず。また一旦電気濫費より発生したる邪気も宇宙無限の水火の活動によりて、新陳代謝が始終行はれをるゆゑ大丈夫なり。この新陳代謝の活用こそ、神典にいはゆる祓戸四柱の大神の不断的活動によるものなり。

 人間は宇宙の縮図にして天地の移写なり。ゆゑに人体一切の組織と活用が判れば、宇宙の真相は明瞭になるなり。諺にいふ「燈台下暗し」と、吾人の体内にて間断なく天の御柱なる五大父音と、国の御柱なる九大母音が声音を発して生理作用を営みゐるごとく、宇宙にもまた無限絶大の声音が鳴り鳴りて、鳴り余りつつあり。しかして大空は主として五大父音を発声し、地上および地中は主として九大母音が鳴り鳴りて、鳴り足らざる部分は天空の五大父音をもつてこれを補ひ、生成化育の神業を完成しつつあり。天空もまた大地の九大母音の補ひによりて、よく安静を保ち、光温を生成化育しつつあり。またこの天地父母の十四大音声の言霊力によりて、キシチニヒミイリヰの火の言霊を生成し、またケセテネヘメエレヱの水の言霊と、コソトノホモヨロヲの地の言霊と、クスツヌフムユルウの結(即ち神霊)の言霊とを生成し、天地間の森羅万象を活き働かしめつつ、造化の神業が永遠無窮に行はれゐるなり。試みに天空の声を聞かむとすれば、深夜心を鎮めて、左右の人指を左右の耳に堅く当てて見れば、たしかにアオウエイの五大父音を歴然と聞くことを得るなり。王仁の無学者がかかることをいひても、現代の学者は迂遠きはまる愚論と一笑に附し去るならむが、身体を循環する呼吸器音や、血液や、食道管や、腸胃の蠕動音がそれなり。しかるにその音声をもつて宇宙の音響と見なすなど、実にあきれて物がいへぬと笑はるべし。いづくんぞ知らむ、人間の体内に発生する音響そのものは、宇宙の神音霊声なることを。いま医家の使用する聴診器を応用して考へ見るときは、心臓部より上半身の体内の音響は、五大父音が主として鳴り轟き、以下の内臓部の音響は九大母音鳴り渡り、その他の火水地結の音声の互ひに交叉運動せる模様を聞くことを得るなり。人体にして、これらの音声休止する時は、生活作用の廃絶したる時なり。宇宙もまたこの大音声休止せば、宇宙はここに潰滅するなり。地中の神音は人間下体部の音響と同一なり。ただ宇宙と人体とは大小の区別あるをもつて、その音声にも大小あるまでなり。大声俚耳に入らず、ゆゑに天眼通、いはゆる透視を為すに瞑目するがごとく、宇宙の大声を聞かむとすれば、第一に閉耳するの必要あり。神典に日ふ、「鳴り鳴りて鳴り余れる処一所あり、鳴り鳴りて鳴り足らざる処一所あり」と、これ大空および大地の音声活用の神理を示されたるものなり。聖書に日ふ「太初に道あり云々」と、これによりて宇宙言霊の如何なる活用あるかを窺知すべきなり。
(大正十年十二月二十八日旧十一月三十日松村仙造録)


6.神の国 1932/05神示の宇宙

 『霊界物語』に神示の宇宙として示してあることは、決して今日の学者に分らせむが為ではない。幾百年後の智者学者の為めに書き残して置くのである。王仁の云ふ地平説は、決して扁平な方形を云ふのではない。例へば餅の如き形を云ふのである。月は大地を一周するが、太陽も地球もただ傾斜運動をするだけで、同じ処を動かないものである。その傾斜にも大傾斜、中傾斜、小傾斜がある。六十年目に大傾斜するのであつて、その為めに気候も変化する。最近の気候の変化はラヂオなどの影響ばかりではない。
 月は西から出て東に廻り、一ケ月で一周する。天体のことは傘をひろげて廻して見れば分り易い。

神の国 1931/01地平説に就て

 霊界物語第四巻『神示の宇宙』に述べてある地平説に就て、合点がゆかぬと首をひねる人が多いとか、尤もな話である。今の学者の頭では分らぬのは無理もない。あれは後日の学者の為めに書いておいたのである。科学がウンと進歩し、余程明晰な頭の持主でなくては分らぬのである。豚に与ふる真珠とまでにはあらねど、今の学者には中々分らぬ。強ひて説明するにも及ばぬ。



第1版 2005年頃

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