鎮魂帰神について

1.鎮魂帰神とは

2.幽斎修行の方法

3.審神者の守るべきこと

4.修行の装置

5.幽斎と顕斎

6.国の広宮

7.人間と霊界

8.霊界物語での鎮魂帰神


1.鎮魂帰神とは

この論考は「本教創世記」を元に鎮魂帰神について考察します。引用文献が書かれていないところは全て同書からの引用です。

鎮魂帰神については、後年、王仁三郎が大本教での修行を禁止してしまいます。また、霊界物語にも論文形式では鎮魂帰神の方法は書かれていませんので、「本教創世記」は重要な資料となります。

鎮魂(ちんこん)

神祗を祭祀する奥義は、神界に感合の道を修するつまり鎮魂帰神を学ぶことです。しかし、鎮魂帰神は仏法が日本に入ってから衰えたと言います。

 治国の大本は神祇を祭祀するにあり、神祗を祭祀するの蘊奥は、神界に感合の道を修するを以て専らとするなり。

 抑々(そもそも)神界に感合するの道は至尊至貴にして、濫(みだ)りに語るべき者にあらず。吾国は世界万邦の宗国なるにも拘(かか)わらず、古典に往々其実蹟を記載せりと難も、吾国、中世以降祭祀の道衰えて、其術を失う事久し。天祖の神伝によりて、神代の道に復するの時機到れり

 神人感合の道は玄理の窮極で、皇祖の以て皇孫に伝えたる治国平天下の大本義にして、祭祀の蘊奥である。蓋し幽斎の法たる、至厳至重なれば、最も深く戒慎し智徳円満にして神意に適合したる者にあらざれば、行うべかざるものとす。何人にも伝うべからざるの意も、茲(ここ)に存するのである。

鎮魂の法は、古事記や日本書紀に書かれています。

 鎮魂の法は、霊学の大本とも云うべきものであるから、その原因する所を論定し、其末法をを講明せなければならないのである。故に、余は今、皇典(古事記や日本書紀)に依拠して其の由来を述ぶるのである。

 「伊邪那岐命日く、『天照大神は高天原を知食(しろしめ)すべし』と詔り玉いて、御首玉の母由良(もゆら)に取り由良かして、天照大御神に賜いき。云々」とある。是即ち、其霊魂を付着して、現天の主宰たらしめん事を神定めたまうたものである。而して、此玉を天照大御神より皇祖(天皇家の祖先)ニニ岐(ににぎ)命へ御授けに成ったのである。其時の事実の『古事記』に見えて、「男喜志玉、男喜志鏡、剣」とある。此の三種の神宝を、帝位知食す御印しとして下し玉うて、以来御代々の帝王は申すも更なり、その大御心を心として万民悉く尊奉崇敬して怠らざりし故に、神の神たる所以の理由よりして、万般の利益や霊現を蒙りし事、国吏に照々として、日月と共に其の光りを争うと云うても、決して余の誣言でない事は知れてくるのである。

 尚詳細なる事は後に講明し、引証を以て其基く所を現わし、其霊妙なる所を感示、或は示して、益々天に代るの大功を干万世に建てんとするの目的であるが、是万物の霊長たる所の人類の義務であって、余が天より命ぜられたる使命の大主眼たるものである。

 『令の義解』にも、鎮魂の事が其の如くに云うて有る。「鎮は安なり。人の陽気を魂という。離遊の運魂を招き、身体の中府に止む。故に之を鎮魂と云う」と記載しあるを見ても、心を一にするという事がわかるのである。

古典による神懸りと帰神

 帰神の事に就て古典を調べて見るに、『古事記』には「天の岩戸」の段に至って、「神懸り」又「帰神」と現わしてある。又『日本書紀』には、「帰神」とのみ現わして「神懸り」とは無いが、何れも神人感合の事実を誌しされたので、意味に於ては同一である。

鎮魂の内容と修養年月

鎮魂の法は政治から家庭にまで及びます。また鎮魂法の修行には、長い年月が必要となります。

此鎮魂法は天授の神法であるから、上は天皇の治国平天下の御事よりして、下は人民修身斉家の基本、つづいて無形の神界を探知するの基礎であるから、宜しく之を懐中に秘して、事業の閑暇には謹んで之を省み、之を行い、霊魂の運転活動を学習するに於ては、遂に熟達し得らるる事を得るに至るのであるが、十分清浄なる精神で以て修業した所で、相当の教育のある者で五年、或は十年は、日子を費さねばならぬのである。

我が国の鎮魂帰神の現況

 吾国には、かかる貴重なる経典と法術とが有るにも拘らず、物質的文明に心酔せる吾邦人は、実に蒙昧頑固であるから、国家の重典や神法を顧みる者がなくて、法を外国の教えに求め、実を異邦の道に尋ねて、釈迦や孔子や基督や其他聖賢と唱らるる人物を崇拝して、天授の神法を度外視する習慣が常となり、汚穢日に加わり、国家の為めに実に悲しむべき事である。

2.幽斎修行の方法

幽冥に通じる道

幽冥(霊界と考えてよい)に通ずる道は唯修行にのみあります。

神界に感合するの道は、至尊至貴にして、神秘に属し、濫(みだ)りに語るべきものではないのである。

 吾が朝延の古典、就中(なかんずく)『古事記』『日本書紀』等に、往々其の実蹟を載せあるといえども、中つ御代に仏教が到来してから、我が国粋たる祭祀の大道なるものが追々に衰えて来て、共の実を失える事、既に久しき事があったが、天運循環して、神伝により、其の古代の法術に復帰するの機運が出て来たのである。是れ即ち玄理の窮極であって、皇祖の以て皇孫(代々の天皇)に伝え給える治国の大本であって、祭祀の蘊奥(奥義)である。

 蓋(けだ)し幽斎の法なるものは、至厳至重なる術であるから、深く戒慎し、其人に非ざればみだりに行うべからざるものがある。濫(みだ)りに伝授すべからざるの意は、茲(ここ)に存する次第である。然りと難も、其の精神にして、千艱万難に撓む事なくして、自ら彊(や)めて止まざるに於ては、竟(つい)に能く神人感合の妙境に達する事を得らるるに到る者もある。後の此伝を受けんとする行者は、右の理由を宜く諒察せねばならぬのである。

 幽冥に通ずるの道は、唯其の専修するにあるのであるが、茲に其の法を示さんと思う。

一、身体衣服を清潔にする事。
二、幽すいの地、閑静の家を撰ぶ事。
三、身躰を整え、瞑目静座する事。
四、一切の妄想を除去する事。
五、感覚を蕩尽して、意念を断滅する事。
六、心神を澄清にして、感触の為めに擾(みだ)れざるを務む可き事。
七、一意専心に、吾霊魂の天御中主大神の御許に至る事を、黙念すべき事。

 右の七章は、自修の要件を明示せしものであるが、凡て幽斎の研究なるものは、世務を棄却して、以て大死一番の境に至らねば、妙域に到達する事は出来ないのである

 幽斎の法は、至貴至厳なる神術であって、宇宙の主宰に感合し、親しく八百万の神に接するの道である。故に幽斎を修し得らるるに至っては、至大無外、至小無内、無遠近、無大小、無広狭、無明暗、過去と現在と未来とを間わず、一つも通ぜざるはないのである。是れ即ち惟神の妙法である。

修行者が守るべき注意

 修行者たるものは、常に服よう(心に留める)し置くべき者があるから、茲に其概略を挙げて置く次第である。

一、霊魂は神界の賦与にして、即ち分霊なれば、自ら之を尊重し、妖魅なぞの為めに誑かさるる事勿(なか)れ。
二、正邪理非の分別を明にすべし。
三、常に神典を誦読し、神徳を記憶すべし。
四、幽冥に正神界と邪神界とある事を了得すべし。
五、正神に百八十一の階級あり。妖魅又之に同じ。
六、精神正しければ、即ち正神に感合し、邪なれば乃ち邪神に感合すべし。吾精神の正邪と賢愚ただちは、直に幽冥に応ず。最も戒慎すべし。
七、正神界と邪神界とは、正邪の別、尊卑の差あり。其異なる、又天淵の遠あるを知るべし。以上は、只其概(あらまし)を掲ぐると難も、幽冥の事たるや深遠霊妙にして、其の至る所は、之を言詞の尽す能わざるものがある。只、其の人の修行の上に存するものである。


3.審神者の守るべきこと

神主(かんぬし 幽斎修行で、霊のかかる人
審神(さにわ)  幽斎修行で懸かった霊が正神なのか邪神なのかを見分ける人

審神者の守るべきこと

 此の帰神に最も重要なるものは審神者(さにわ)の役である。其人にあらざれば、即ち能わざるものである。其注意周到にして、胆力あり学識ありて理非を明かにするに速かなるを要する術である。左の八章は審神者の覚悟すべき事であって、最も重要なるものである。

審神者の覚悟
一、過去、現在、未来を伺うべし。
二、実神なるや、偽神なるや、弁ぜずばあるべからず。
三、神の上、中、下の品位を知らずばあるべからず。
四、神の功業を知らずばあるべからず。
五、荒魂、和魂、幸魂、奇魂を知らずばあるべからず。
六、天神、地祇の分別なかるべからず。
七、神に三等あるを知らずばあるべからず。
八、神に公憑、私憑あるを知らずばあるべからず。
私憑 本田親徳の説で、因縁があって特定の人に憑依する神懸りの状態
合せて八種の覚悟。

 審神者の事に就て古典を調ぶるに、『古事記』には「沙庭」と現われ、又『日本書紀』には「審神者」と現わして在るが、要するに、審神者なる役は神感を審判するものであって、「沙庭」も「審神者」も、其意味に於ては同一である。


4.修行の装置

■鎮魂の玉

 鎮魂に要する玉は、純黒にして正円なるを最もよしとするのである。重量は、七匁位(26グラム)から十匁位(38グラム)のその間のものが一等である。三宝の上に其の玉を安置して、修行者は、瞑目静座、一心不乱に其玉に向って吾霊魂を集中するのである。恰(あたか)も蛇が蛙に魅入れるが如く、猫が鼠をねろう如くに、一切の妄想なり感覚を蕩尽して修するのである。

修行の装置

 幽斎の修行には、少々修行場の装置を整えねばならぬ。閑静なる家や幽すいなる地を撰ぶべきは前述の通りで有るが、第一、「審神者台」という器具と、「帰神台」という器具が、是非共必要である。又此の台は、審神者なり神主の坐して修行する所の清所であるから、最も清潔を要するのである。又両種の台とも、檜木(ひのき)を以て造るのである。三尺四方の台にして、高さは五寸なければならぬのである。

 此の台の上面に荒ムシロを敷いて、身心を清めたる審神者なり神主が、静坐瞑目して神人の感合を祈る至清所なのである。神主というは、幽斎修行者の別称である。以下之に倣う。其れから審神者に必携すべき神器がある。それは「鎮魂の玉」と「天の岩笛」の二品である。「鎮魂の玉」は前章に記したる通りであるから、敢て説明の要はないから、「天の岩笛」に付て一言述ぶる必要がある。

■天然笛(天の岩笛)

 抑々(そもそも)「天の岩笛」なるものは、一に「天然笛」と云い、又「石笛」とも称えて、神代の楽器である。天然の石に自然穴のあいたもので、之れに口をあてて吹奏する時は、実に優美なる声音を発するものである。穴の全く貫通したのは最も上等であるが、半通のものでも用いられるものである。

 又、此を吹奏するには、余程鍛練を要するものである。吹き様によりて千差万別の音色を出すものであるが、総じて、耳に立って喧(やか)ましい。むやみに「ピューピュー」と吹くのはよくないのである。極めて耳に穏かに対(こた)えて、何となく優美な音色を発せしむるのは最もよろしいのである。「ユーユー」と、長く跡の音を引いて、「幽」と云う音色を発生せしめるのが第一等である。神人感合の道は至善至重なる術であるから、審神者も神主も最も厳粛の態度を持して掛らなければ、宇宙の主宰に感合し、亦た八百万神に親近するの道であるから、神界へ対して不敬を加える恐れがあるから、最も注意周到で無くては成らないのである。

 此の天然笛を吹奏するの術は、神主の霊魂と宇宙の正霊と互に感合するの媒介と成る可き、極めて貴重なる方法であるから、無意味に吹いたり、又狩人が鹿を呼ぶ様な吹き方をしては、神界の怒り触るるのみでなく、妖魅の襲来を招くの恐があるのである。

神主の衣装

 神主には清浄なる白衣を着せしめ、下部は赤か紫の木綿袴を穿(うが)たしめて、婦人なれば総髪に仕て置くが便利である。

季節

 幽斎修行に最も適当なる気候は春秋である。夏は蚊蝿が沢山な上に汗が流れるので、余程修行の妨害となるなり。冬は寒気の為に自由の行動が取れず、且又、山中なぞは積雪の為めに其目的を達するに於て万事の障害と成る者である。

神主の年齢と男女

王仁三郎は女性蔑視のように見えますが、他のところでは女性を持ち上げています。この時代は男尊女卑であったことを考えておくべきでしょう。

 神主の適齢は、女子にて十二、三歳から十五歳位までが最も上等である。其の上の年齢になると修行の結果が面白くない者である。

 凡て婦人の神主は、老人程結果が面白くない。総て婦人は精神狭量にして無智者が多いから、婦女なれば十二、三歳に限るというても宜(よ)い位なものである。亦男子の神主は十五、六歳が適当齢で、夫(そ)れから三十歳まで位である。(女性蔑視?

 男子は余程感じ難き傾向があるから、男子の神主は、余程審神者に於て苦辛するのである。第一に、男子は智識あり、学力あり、胆力あるもので、徳義心の篤き者で無いと、正しき神主と成る事は出来難い。亦宜しき神主に成る性質の者は、余程英敏であって、何所(どこ)となく凡人に勝れた所の在る者で無いと、完備した神主には成り難い者である。感合する事は、三週間か四、五週間の修行で感ずるが、すっかり、邪神界の神主に成り果る者であるから、濫(みだ)りに幽斎は人に伝授すべからざるの術である。


5.幽斎と顕斎

■幽斎と顕斎

幽斎は祈祷、顕斎は儀式である。

 幽斎の法は、霊を以て霊に対するのであるから、神像も有る無く宮舎も有る無く、てん幣(神に捧げるぬさ)も有る無く、祭文も有る無く、唯吾が霊魂を以て宇宙の霊魂に対すれば宜(よ)いのである。要は真神を祈るの道で有る。

 顕斎は、形を以て形に対するの法式であるから、神像も有り、宮殿も有り、へい幣(ぬさ)も有り、祭文も有って、像神を祭るの道である。

 顕斎は祭祀の道であって、神明に対し奉りて其洪大無辺なる恩徳を奉謝するの儀式である。

 幽斎は祈祷の道でありて、神明に対し奉りて、公正なる願望を成就せしめ玉わん事を祈り、又神術の進歩発達して神人感合の妙域に到達せん事を祈るの大道で、真理蘊奥、万業の基礎たる可き神幽斎式は、前記の如く、霊を以て霊に対するのであるから、顕斎は不必要かと云えば、決して不必要では無い。幽斎にして顕斎ならざるも非なり。顕斎にして幽斎ならざるも亦非なり。一方ゆえにのみ偏するは必ずしも真理では無いのである。故に余は、幽斎の修行を開始するに当りて、先ず神殿を作り、幣束を安置し、祭文を奉唱して、修業する事にしたのである。

ぬさ 麻や神を垂らし棒に結びつけた幣で、神にささげる) 

■既成宗教

 彼の祭祀と祈祷との大義を誤解し、混同して、以て偶像教なぞと誹毀する某教の教理の如きは、実に偏見極まる邪説である。亦た御岳教敬神教会、ひもろぎ教会の徒の如く、「神降」と称して神憑を祈るに際し、幣帛を捧げたり、大音で祭文を称えながら幽斎を修するのは大不都合といわねばならぬ。先ず顕斎式を了して、而して後に悠然として幽斎式に着手すべきものである。

 現時の神学者及宗教家たるものは、頑迷にして、祭祀と祈祷の厳然たる区別を弁えず、日夜神怒に触るる事のみに熱中しつつ、平然として宗教者、神学者を以て自ら任じつつあるは、実に憐むべきの到りである。

■道の栞

幽斎は祈薦(いの)るの道なり。誠の神天帝とは主神のことだから、主神については幽斎、その他の神については顕斎と説かれている。

1904/05 道の栞第三

七六 神を斎き奉るには、幽斎の区別を弁え知らざるべからず。
 茂穎茲に、其の事を証しせん。
 顕斎は、天津神・国津神・八百万《やおよろづ》の神を祭るものにして、宮あり、祝詞あり、供物あり、御幣《みてくら》ありて、神の御恩徳を称えて感謝の心を現わす尊とき業《わざ》なり。
 幽斎は、誠の神天帝を祈るものなれば、宮も社もなく、祝詞もなく、御幣もなく、供物もなし。只願う所の事を、霊魂を以て祈り奉る道なり。
 約《つづ》めて云う時は、幽斎は祈薦《いの》るの道なり。
七七 誠の神は霊なれば、其尊とき霊に対して祈るは、霊を以てせざるべからず。
七八 幽斎のみに偏り過ぎるも悪しきなり。
 或宗派の如く、霊魂のみに偏りて、形あるものを祭る事を嫌いて偶像教などと謗るも、余り偏り過ぎて全き教と云うべからず。
七九 祭るには偶像も悪しからず。偶像目当てにして幸わいを祈るは宜しからず。祈りは霊魂《みたま》を以て天の御霊《みたま》に祈るべきなり。

6.国の広宮

幽斎と顕斎について、霊界物語で触れられているところです。

通常竜山別グループは邪神、大八州彦命グループは正神とします。すると、顕斎の必要性を説いたところになります。幽神である主神に対しては幽斎、顕の幽の神は天使(天人)に当りますから、それに対しては顕斎ということでしょうか。前述の道の栞で言われていることと通い合います。

また、竜山別は言霊別命の息子であることを考えると、深い意味があるかも知れません。

物語03-10-40 1921/12 霊主体従寅 国の広宮

国直姫命の上天されしより、地の高天原も、竜宮城も綱紀紊乱して、諸神司は日夜に暗闘をつづけ、ほとんど収拾すべからざるに立いたりぬ。ここに大八洲彦命、神国別命は国直姫命の神霊を奉安し、神助をえて地の高天原を統治せむことを企てたまひぬ。
 このとき竜山別、広若、船木姫らの一派は神殿造営に極力反抗し、竜山別は大八洲彦命にむかひ、
『国直姫命は、すでに上天したまひたれば、肉身ある神にあらず。神はすべて霊にして、形体なし。いたづらに土木を起し、神殿を造営するは、かへつて天地の神慮に反くものなり。神は金石木草をもつて造りたる社殿には住みたまはざるべし。霊を拝するには霊をもつてせざるべからず。神殿を造りて、これに拝跪するごときは、いはゆる偶像を拝する悪逆無道の行為にして神慮を傷つくるものなり
と強弁したれば、広若、船木姫らも手をうつて、その説に賛成の意を表しける。
 大八洲彦命は憤然として立上り、
『貴下の言一応は道理のごとく聞ゆれども、神は霊なりとしてこれを放任し、いたづらに天を拝するは、顕幽一致の神術に相反するの甚だしきものなり。神は絶対無限の神霊にして、かつ無形無声にましますは真理なれども、そは宇宙の大元霊たる天之御中主大神の御事にして、一旦肉身をもつて地上に顕現されし国直姫命のごときは幽神に非ず。今日は顕の幽神として上天したまへば、かならず荘厳なる宮殿を造り、神霊を祭祀し神助を仰がざるべからず
と宣言したまひければ、神国別命は、一も二もなく大八洲彦命の説に賛成し、いよいよ天の原といふ聖浄の地を選み、宮殿を造営することとなり、これを国の広宮ととなへられける。

7.人間と霊界

論考人間と霊界でも帰神について考察しています。

霊界物語の説明「舎身活躍亥 聖言」 本文は資料集にあります

帰神 人間の精霊が直接大元神すなはち主の神(大神)に向かつて神格の直接内流を受け、大神と和合する状態。自己の精霊の本源である大神の御神格に帰一和合すること。
予言者としては、霊界真相の伝達者となる。
神懸 大神の御神格に照らされ、知慧証覚を得、霊国に在つてエンゼルの地位に進んだ天人が、人間の精霊に降り来たって、神界の消息を、人間界に伝達すること。神格の間接内流ともいう。
予言者を求めてその精霊を充たし、神界の消息を、ある程度まで人間界に伝達するものである。
神憑 外部より人間の肉体に侵入し、罪悪と虚偽を行ふところの邪霊-悪霊または副守護神がついた情態。
偽予言者。

8.霊界物語での鎮魂帰神

霊界物語では鎮魂帰神については、6.で取り上げた「舎身活躍亥 聖言」が論文的に書かれた部分です。

それ以外は、資料に見えるように、鎮魂という言葉は頻出します。

物語での鎮魂とは、鎮魂の姿勢をとり、神言または天の数歌をとなえ自分以外の他者にかけるもののようです。

鎮魂帰神については、間違った鎮魂帰神で大変な目にあう場面が何度か出てきます。王仁三郎は、第一次事件後、大本での鎮魂帰神の修行を禁止させていますので、それと関係しているのだろうか。

帰神については「人間の精霊が直接大元神すなはち主の神(大神)に向かつて神格の直接内流を受け、大神と和合する状態。自己の精霊の本源である大神の御神格に帰一和合すること」という定義を6で取り上げていますが、物語のストーリーでは、邪神がついたときでも帰神としているところがあるから、帰神、神懸、神憑のどの場合なのかを判断する必要があるかも知れません。

ただし、下記の文章の場合は、いったい帰神、神懸、神憑のどの場合なのかはっきりしません。

物語29-1-2 1922/08 海洋万里辰 懸橋御殿

 因に曰ふ。竜国別一行が遥々海洋万里の浪を渡りて、玉の所在を尋ねむとしたるは、実は鷹依姫の帰神に迷信したるもの程、憐れむべきは無かるべし。然り乍ら又一方には、是によりて海外の布教宣伝を為し得たるは神慮と云ふべき也


第1版 2004/02/01
第2版 2005/09/05
第2版(校正) 2015/01/01

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