うろーおにうろー

裁判記録(15)

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裁判記録

○ミロク祭の準備
○ミロク大祭
○ミロク三会
○林檎、大根、芋
○参列者への挨拶
○ミロク菩薩として下生の意味

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。

歴史 ミロク祭の準備

 それから、三月二日の夜綾部町(あやべちやう)の、右綾部町(あやべちやう)本宮(ほんぐう)教主(けうしゆ)殿に右十七名を招きまたしか。

 それを私ははつきり覚えないのです、二日の日はまだ綾部(あやべ)()つたやうに思ふのですから、それがはつきりせないから……

 (はた)の者が知つて()るか知りませぬが。

 (しか)し、日記に()ると、「伊佐男を連れて帰つた」と書いてあるよ。

 さうですか。そんならさうでせう。

 長いことやから判りまへぬのや。

 それは忘れるのも無理(むり)もないね。

 ちよつと書いてあつたよ。

 なんでも、()のニ日の日の暮れ頃に帰つて、岩田さんの所に病人(びやうにん)見舞(みま)ひに行つたのを思ひ出しました。

 伊佐男を連れて帰つたか。

 帰つたでせう。覚えて()りませぬ。

 其処(そこ)に書いてある通りです。

 間違(まちが)ふたことを言ふても困るが……。

 いや、間違(まちが)ふたことは言はぬ積りであります。

 いや/\こつちで、日記を見ると、之(これ)が三月二日の日が金曜日雨降りと書いてあるが、聖師様(せいしさま)午後(ごご)四時四十分着列車で寿賀麿(すがまる)様、宇智麿(うちまる)様、八重野(やへの)様、御帰還(きかん)と書いてあるな。

 それは其処(そこ)に書いてある通りに(ちが)ひございませぬ。

 それは(ちが)ひないのです。

 さうか、それから病気見舞(みま)のこともちやんと書いて()るね。

 病気見舞(みま)……。

 「松村(まつむら)氏の病気見舞(みまゐ)に、それから、云々(うんぬん)」と書いてあるがね。

 三日の午後(ごご)宇智麿(うちまる)寿賀麿(すがまる)八重野(やへの)を連れて亀岡(かめをか)から帰つたやうになつて()るね。

 綾部(あやべ)へ帰つたのです。

 教主(けうしゆ)殿に、今の、選定した()の十六神将(しんしやう)の人は(これ)は認めたね、(これ)を集めましたか。

 それがはつきりせないのです。それが、私どう考へてもはつきりせないのです。

 十六人も来なんだと思ふのです。()集会(しうくわい)もしたかせなんだかそれも覚えて()らぬ。

 ()の十六人の中の人に()いて(もら)ふたら、記憶(きおく)も良いから判りませうが、私ちよつと思ひ出せない。

 三十五回の三問答(もんだふ)の三千五百十三丁では「全部(ぜんぶ)招致(せうち)」と、()()ふやうに書いてあるね。

 それから、(また)、五十二回の一問答(もんだふ)(おい)ては、西村昂三等十七名が来たと()ふ風に予審では言ふて()るがね。

 それは、私判らぬのです。今申すやうに判らぬけれども、さう書かはつたから書いといて(もら)ふより仕様(しやう)がない。

 西村昂三は、私は、未だに判りまへぬ。

 そんな人のことは……

 大体(だいたい)()(かく)十六神将(しんしやう)に当る人を呼び集めて、誰が来たかは別問題(もんだい)として、呼び集めたことは覚えて()りますか。招集したことは覚えて()りますか。

 それが、私無責任のやうでありますけれども、そいつがはつきりと覚にて()りまへぬ。宇智麿辺りに()いて(もら)ふ方が判るのです。

 どうも、()時分(じぶん)のことがなんぼ考へても判りまへぬ。招集したか知らぬけれども……

 来たに(ちが)ひありまへぬ。(あく)る日のお祭の打合せをせぬならぬことやから、明る日のお祭の打合せはしたに相違(さうゐ)ないのですから、──来たと思ふ方が本当やと思ひます。

 それが本当と思ふ……

 ()の時に、総務会議(くわいぎ)()ふものがあつたのか。

 ()の晩にはありまへぬ、別に総務会議(くわいぎ)()ふものは……。

 総務会議(くわいぎ)日誌に書いてあるよ。

 それは、総務会議(くわいぎ)()ふのでなしに、十六人が皆寄つてやつたのです。

 ()の十六人が総務やつたか何だか知りまへぬ。さうやつたら、総務会議(くわいぎ)です。

 三月二日総務会議(くわいぎ)をやつたと書いてあるぞ。

 それではやつたのかも知れまへぬ。

 大抵(たいてい)()の十六人は総務ばかりだから……。

 集つたのが本当だらう、と()ふことにして置きませう。能く覚えて()らぬと、()の位に()いて置きませうね。

 さうして、()の集つた者に対して、三月三日に愈々(いよいよ)ミロク菩薩(ぼさつ)として諸面諸菩薩(しよぼさつ)率ヰ(ひきゐ)()の世に下生(げしやう)し、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)の為現界的(げんかいてき)活動(くわつどう)()すこととなつた。

 諸面諸菩薩(しよぼさつ)は参集者十七名なるを以て、「明日(みやうにち)至聖(しせい)殿に昇殿すべき旨、明日(みやうにち)以後(いご)大本(おほもと)立替立直(たてかへたてなほ)したる大本(おほもと)なるに付、自分(およ)参集者十七名は従来の役職を返上し、同月三日一日間無役となる」(とう)を決めたことは事実(じじつ)でありますか。

 さうです。

 ありましたか。

 それは、()ミロク祭のことに付ては、今迄(いままで)全部(ぜんぶ)大本(おほもと)には雲が懸つて()ましたから、()の雲が懸つたのも()はば責任上神様(かみさま)に対して我々(われわれ)が悪いのであるから、()の罪をお詫びする(ため)に一日休むと()ふのが本当の本旨(ほんし)やつたのです。

 けれどもそんなことを皆に、「お前さんも罪がある」と()ふことは言へませぬから、私一人で思つて、さうしてあゝして一日無役になつた。

 それで、私が現界的(げんかいてき)活動(くわつどう)すると()ふことを言ふのは……。

 ちよつと待つて、言ふたか言はぬかと()ふことは、()の意味は後から()かうと思つて()る。

 ()現界(げんかい)を……。

 言ふとつたのが本当やと思ふのです。私は覚えて()らぬのです。

 けれども、一日休んだことを思ふたら、言ふたに(ちが)ひないと思ひます。

 準備手続(てつづ)(おい)ても、明かに言ふたやうに言つて()るね。

 はあ、さうですか。


歴史 ミロク大祭

 三年三月三日にはミロク大祭(たいさい)執行(しつかう)しましたか。

 しました。

 ミロク大祭(たいさい)状況(じやうきやう)に付て、一々(いちいち)時間が掛るから……

 こちらから(たづ)ねますから、それに答をして(もら)ひたい。言ひたいことがあつたら……

 状況(じやうきやう)のことは先づ、この至聖(しせい)殿には被告人(およ)澄が先に述べた十七名の者を率ヰ(ひきい)昇殿(しやうでん)をして、役員(やくゐん)信者(しんじや)(とう)はミロク殿(でん)の方に参列したのですか。

 さうです。

 何名(くらゐ)か、役員(やくゐん)信者(しんじや)は。

 千人(せんにん)()つたか、ニ千人(せんにん)()つたかはつきり覚えて()りまへぬ。

 千人(せんにん)とニ千人(せんにん)大分(だいぶん)違ふな。

 そんなことは勘定(かんぢやう)して()りまへぬ。二千人位(じんゐ)()つたかも知れまへぬ。

 出口家の家族の者も至聖(しせい)殿に上つたのですか。

 (のぼ)つた者も(のぼ)らぬ者もあります。浅野位でつしやらう。

 外の者は全く上つて()らぬと思ひます。それは十六七人が上つたら一杯になつて、神殿(しんでん)の中に誰も入ることが出来(でき)まへぬ。

 だから、誰も/\を許したら大変(たいへん)ですから、主なる人を選んだのです。皆の代表(だいへう)として()れたのです、十六人は総て信者(しんじや)代表(だいへう)を昇殿さしたのです。

 昇殿のことは後から()きたいと思ひますがね。

 それから、被告人(およ)(すみ)、それから出口家の者、十六神将(しんしやう)に準らへ者などはどう()ふ風に着席して()つたのか。

 ()(かく)、ずつと、()う並んだのです。

 ()()具合(ぐあひ)に、(と手()りで説明(せつめい)しながら)、()う並んだのです。

 ()の時には、私が一番中心に行きました。真ん中の所へ、さうしてずつと、()う並んだのです。

 ずつと並んだと()ふのだが、被告人と(すみ)至聖(しせい)殿(との)の階段の上の方にか。

 階段の上はちつとも上りませぬ。

 階段の前。

 階段の下です。

 後の十六神将(しんしやう)とか出口家の者は一段下の(そば)か。

──答一つしかありませぬ。階段があつて下は一つしかありませぬ。

 それで、ずつと一列に並びまして、(また)、足らぬ所には二列に……。

 さうすると、二列に、()うか。

 (つま)り、()うですね(と説明(せつめい)しながら)、私と家内(かない)と、(あるひ)日出麿(ひでまる)と三代と()ふやうな具合(ぐあひ)にして、それから後には余つた宇智麿とか井上さんとか並びまして、()うなるのです。

 さうか。

 八人づつ横縦陣を()つたのです。

 至聖(しせい)殿に向つて。

 至聖(しせい)殿に向つて、至聖(しせい)殿の中の神殿(しんでん)に向つて……それより場所が取れませぬもの。

 ()の下のミロク殿(でん)の……。

 ()の下に、一寸(ちよつと)境目がありまして、()の下にミロク殿が建ててありまして、()の下に……。

 それで、王仁三郎(おにさぶらう)神政(しんせい)成就(じやうじゆ)祈願(きぐわん)して()つたのか。

 もう、そないに祈願(きぐわん)して()る中に、許可が来るやらう来るやらう、と思つて()つたのです。

 許可のことは(また)()きますがね。

 王仁三郎(おにさぶらう)先立(せんだち)(もと)に、昇殿者である(すみ)なり、(あるひ)は、十七名の昇殿者がだね、一緒(いつしよ)神言(かみこと)奏上(そうじやう)して、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)祈願(きぐわん)したのか。

 さうです。一緒(いつしよ)祝詞(のりと)を上げたのです。同じ祝詞(のりと)ですから……。

 一緒(いつしよ)に口で言ふて。

 さうです。さうして、別に、神政(しんせい)成就(じやうじゆ)祝詞(のりと)()ふものは私は知りまへぬです。私は上げて()りまへぬ。

 「どうぞ早く世の中が良くなるやうに、神政(しんせい)成就(じやうじゆ)するやうに」と、口で言ふて()りまして、願ふとりまして、(ほとん)黙祷(もくたふ)見たいなことで、それから大本(おほもと)毎日(まいにち)唱へて()る所の善言美詞(ぜんげんびし)を唱へたのです。

 それは神言(かみこと)だね。

 さうです。

 神言(かみこと)を言ふてから祈願(きぐわん)したのでせう。

 さうです。私が真中(まんなか)になつて()ります。

 「高天原(たかあまはら)に神止まりまして」と()ふてから、皆の身体(からだ)(きよ)めて、それから黙祷をして、()(かく)、後で(また)、大きな声で祝詞(のりと)をずつと上げるのです。

 それは、ミロク殿に()信者(しんじや)も声を合せて、十六人ばかりぢやなく、信者(しんじや)一緒(いつしよ)こたです。

 それで、本当の祈願(きぐわん)すると()ふのは、(ただ)、「この世の中が一刻も早く良くなりますやうに」と()ふことだけで、それが祝詞(のりと)()ふやうな立派なものは別にないと思ひます。

 けれどもミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)祈願(きぐわん)すると()ふのは口頭で言ふたのか。

 さうです。

 皆……。

 それでも、それは御(たがひ)御願(おねがひ)ひして()るから、一緒(いつしよ)こたに言ふたら()いのです。

 そんな面倒(めんだう)くさいことは……。

 それでは、まあ、一緒(いつしよ)に言ふたことになるのだな。

 さうです。それは、(また)()の中に勝手(かつて)に一人でやつて()る人があつたかも知れまへぬ。

 あつたかも知らぬが、()の時にはまあ一緒(いつしよ)祈願(きぐわん)した訳でせう。

 さうです。

 そこでだね、()の昇殿をした被告人、(すみ)(ほか)十七名はだね、一致(いつち)団結をしてミロク神政(しんせい)(ため)に本格的の活動(くわつどう)()す、と()ふことを御(たがひ)にだね、御(たがひ)に心の中で(ちか)ひ合つたやうな事実(じじつ)はなかつたか。

 そんなことはありまへぬわ。

 そんなことを誓はぬで、前からの信者(しんじや)だから皆一生懸命(いつしやうけんめい)で、そんなことを(ちか)ひまへぬ。

 「どうしやうか、(ちか)ひませうか」なんと()ふことは言ひまへぬわ。

 「(ちか)ひませうか」と()ふことは言はないが、「愈々(いよいよ)本格的活動(くわつどう)をしませう」と()ふやうなことを……。

 それは、まあ、(これ)からミロク祭が出来(でき)たのやから、我々(われわれ)もしつかりして、それから布教しやう、と()観念(くわんねん)はそれはあります。

 十六人以外(いぐわい)の者も皆あります。

 三十五回の三問答の三千五百十六丁に()ると、御(たがひ)に心の中に(ちか)ひ合つたと()ふ、一致(いつち)団結して(これ)から(まはし)()め直して本格的活動(くわつどう)をすることを心の中で(ちか)ひ合つたと()ふことを言ふて()るがね。

 「それはさうぢやらう」と申されましたから、それは心で誓つたでせう、と言ふたのです。

 さうでせう。

 それは判りまへぬがな。銘々(めひめひ)口から出しまへから──。

 それで、むづかしいから、()いて()るのぢやないか。

 それから、次で王仁三郎(おにさぶらう)被告人は作歌(さくか)を朗詠しましたか。

 どう()ふ……。

 「万代(まんだい)常世(とこよ)の暗も明離(あけはな)れミロク三会(さんくわい)(あかつき)清し」と()ふ……。

 三会(さんくわい)ぢやなく三会(さんえ)です。

 この歌の意味は。

 (これ)はですね、常世(とこよ)の暗、万世と()ふことは(これ)は置言葉(ことば)にしたのです。(つま)り、枕言葉(まくらことば)です。

 総て神様(かみさま)は万の世を治め()さるから万世と。(しか)し、(これ)常世(とこよ)の暗になつて()つたのです。

 (つま)り、言へば、大本(おほもと)で、常世(とこよ)の暗とは昼なしばかりになつて()つた。皆閉がれて()つたのです。

 それが明離(あけはな)れて来たのであるから、さうしてミロクの三会の今日(こんにち)は世の中になつたから、ミロク三会の(あかつき)になつて清き心になつたと()ふ祝の言葉(ことば)です。


思想 ミロク三会

 ミロク三会と()ふのは。

 ミロク三会と()ふことは法会です、それで法身(はふしん)応身(おうしん)報身(はうしん)()ふ……。

 ミロクね。

 法身(はふしん)()ふのは教です。

 それから、応身(おうしん)()ふのは、()の教に応じて働く、と()ふことです。

 それから、報身(はうしん)も、(これ)は働いて効果(かうくわ)を現はすことです。

 それで、銘々に、愈々(いよいよ)(これ)から神様(かみさま)に尽すことが出来(でき)て来た、と()ふので、それで(みな)が勇んで()るから、(あかつき)が、世が明けた(ごと)く清く明るくなつた、と()ふ意味で、(これ)()んだ。御祝(おいはひ)言葉(ことば)です。祝歌です。

 予審の通りだね。三十五回の三問答の中頃に、「()の意味は私がミロク菩薩(ぼさつ)として、諸面諸菩薩(しよぼさつ)率ヰ(ひきゐ)()の世に下生(げしやう)して、之(まで)の暗黒の世を立替立直(たてかへたてなほし)をしてミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)(ため)に本格的活動(くわつどう)()すことになつたので、世の中が明るくなつたと()ふ意味であります」と書いてあるが。

 それは、向ふで言ふやはりましたから仕方(しかた)ありまへぬもの。

 (しか)し、あの気分(きぶん)非常(ひじやう)(うれ)しかつたから、()の歌が出たのです。


争点 林檎、大根、芋

 あヽさうか、それから()の神饌物の下渡(さげわた)しがありましたか。

 ありました。

 ()の神饌物を矢張(やつぱ)り十七名に分配(ぶんぱい)したのですか。

 それは其処(そこ)()つた者にやつたのですがね。

 それは、分配(ぶんぱい)する蓮根(れんこん)とか大根(だいこん)とか(いも)とか、さう()ふ物を与へた意味は……。

 余り深い意味はありませぬが、何か(ちな)んで皆やつたのです。

 さうして、私が林檎(りんご)三つ取つたと()ふのは、私の心得(こころえ)(ため)に、三輪を守る(ため)に……。

 林檎(りんご)()ふのは、護は守護(しゆご)の護です。輪を守ると()ふことです。人倫の倫ぢやなくて車編(くるまへん)のくじき破ると()ふ輪です。

 ()の三輪と()ふのは、()の間申上(まをしあげ)げた身輪、意輪、口輪です。冒頭の身輪と()ふのは、身体(からだ)の不殺生(せつしやう)、不邪淫(じやいん)、不倫盗、盗をせぬこと、殺生(せつしやう)をせぬこと、邪淫(じやいん)をやらぬこと、之が身輪です。

 口輪(くりん)()ふのは口の輪、不妄語、妄語せざること、濫りに言葉(ことば)を言はぬ、詭弁を(ろう)せざること、不詭語。それから、不両舌、二枚舌を使はない、不悪口、悪口せざること。

 私、此処(ここ)でちよつと謝つて置きますが、昨日(きのふ)余り興奮しまして予審判事さんのことをちよつと何か言ひましたけれども、(これ)は私は自ら(かへり)みて不悪口の禁を破つたと思つて……。

 それから、()きに(おこ)りますが、実は()(はら)が立ちます。(これ)は不瞋恚(しんい)と言つて、(これ)(また)ちよつとむづかしいのです。(これ)は不両舌、不悪口、不詭語、不妄語。

 それから、意輪と()ふのは、(これ)意識(いしき)の意です。(これ)は、貪、瞋、痴と()ふのです。貪慾(どんよく)、それから、瞋恚(しんい)です。

 腹が立つて(いか)る。それから愚痴(ぐち)(これ)(じや)見とも言ひます、心の(これ)が無痴と()ふ、白痴も(これ)は心の罪なんです。之も(また)一方には(じや)見とも解してあります。

 (これ)を、私が守らして(もら)(ため)に、私が林檎(りんご)を戴いたのです。


 それから(すみ)には大根(だいこん)とか(いも)を……。

 大根(だいこん)をやりました。

 大根(だいこん)(いも)か。

 (いも)をやりましたかな。

 大根(だいこん)は覚えて()りますのや。(つま)り、大根(だいこん)()ふことは、仏教(ぶつけう)に言ふ耳根、眼根、鼻根、舌根と()ふ皆総て根と()ひます。

 それで、()大根(だいこん)()ふ……家の家内(かない)は、ちよつと何ですわ、養子娘の故かなか/\気儘(きまま)であつて()きに(いか)るのです。それで、私に、(めう)な顔をしてふくれることもありますから、大根(だいこん)()ふのはなんぼ食つても当らぬのです、役者でも当らぬ役者は大根役者(だいこんやくしや)と言ふのです

 漫談見たいなことは止めて……。

 漫談ぢやありませぬ。()の意味で、「お前も当つたり何かしないで、おとなしうしろ」と()ふ意味を(ふく)んで()るのであります。

 それで、「何ぞやて杓子(しやくし)に当る悪い(かか)」と()ふやうな川柳(せんりゆう)がありますよ。何だと()ふと直きに杓子(しやくし)に当るから……

 私はそれの大根(だいこん)と、もう一つは仏教(ぶつけう)から出て()大根(おほね)大機(だいき)諸々(しゆじゆ)菩薩(ぼさつ)利益(りあく)()ふことがあります。

 大根(おほね)大機(だいき)()ふのは、耳根とか()のことを言ふたのです。

 それから、六根(ろつこん)清浄(せいじやう)()ふことを言ひますが、総ての六根(ろつこん)を大根は()ふたのです。

 六つのことをひつつけると大の字になります、それで、思慮(しりよ)温情(をんじやう)(とう)を与ふと()ふことが十善戒(じふぜんかゐ)に書いて()るのです。()のことをふつと思ひ出したから、大根(だいこん)を与へたのです。

 (いも)は。

 (いも)は、(ただ)もう、花も咲かず(ただ)土の中で(だま)つて()つて()つて黙々(もくもく)として子を生むのです。

 丁度(ちやうど)(これ)は、「ミロクさんは土の中に()つて、さうして土から今頭が出たんや」とかなんとか()ふやうな説があるのですが、昔からミロクさんの教をするのには、矢張(やつぱ)(だま)つて()つて偉さうにしなければ──花も咲かせにや、(いも)のやうに(ただ)黙々(もくもく)として()なければいけない。

 教を開くと()ふことです、信者(しんじや)(こしら)へる……。


 あ丶さうか。

 ()の点に付て三十六回の一問答に言ふて()るがね。

 「林檎(りんご)三つ取つたのは日、月、地の三輪に(なぞ)らへて取つたもので、それで(すみ)大根(だいこん)頭芋(かしらいも)を渡したのは、(すみ)大本(おほもと)教主(けうしゆ)だから、大本(おほもと)根本(こんぽん)大本(おほもと)の頭と()ふ意味で大根(だいこん)頭芋(かしらいも)を出口が渡したので、それから、(また)、外の者にも渡したのは、(これ)大本(おほもと)最高(さいかう)幹部(かんぶ)活動(くわつどう)する人だから、(つま)り、各部門の頭であるから渡した」と言ふて()るね。

 それは言ひました。

 今日(こんにち)のは大分(だいぶん)違ふぢやないか。

 宗教のこと、神様(かみさま)のことを言ふてもちつとも判りまへぬ。あの人の耳に入る様な程度(ていど)で言ふて置いた。私は、本当は、胡魔化(ごまか)して()つたのです。胡魔化(ごまか)すと()ふことは悪いかも知れまへぬが。

 胡魔化(ごまか)すと()ふことは……。

 悪うございました。今言ふた不詭語、不妄語……。

 (ばか)すとか()ふことは言ふてはいかぬ。胡魔化(ごまか)すなんと()ふことは気を付けにやいかぬ。

 それからね、この大祭(たいさい)が済んでから、参列の信者(しんじや)に対して挨拶(あいさつ)なんかしましたか。

 それはしたと思ひます。

 どう()具合(ぐあひ)にですか。

 どう()具合(ぐあひ)()ふてもちよつと思ひ出せまへぬが、私が()挨拶(あいさつ)をしましたら、私の言ふことは一言(いちごん)一句大本(おほもと)(くせ)として筆記者(ひつきしや)()つて書くのですから、それは大本(おほもと)の文献に書いてあるやらうし、書いてなかつたら私はしやべつて()りまへぬ。

 私は演説も何も……この前の神聖(しんせい)運動(うんどう)をする(まで)(はづ)かしがりで、人の前で演説したことはないのです。話したことは──。

 さうですか。

 はあ、()し私がしやべつて()りましたら、吃度(きつと)大本(おほもと)の文献に出て()ります。


大根 おほね 物事のおおもと。根本。

大機 だいき 大乗の教えをうけ、それを実践する能力・素質のある人。


歴史 参列者への挨拶

 まあ後から調べますがね。

 それから、昇殿した十六神将(しんしやう)の中から、参列者に挨拶(あいさつ)した者がありましたか。

 それはあつたでせう。()の中の一番主な人がしやべつたかも知れまへぬ。

 それから、次に、教主(けうしゆ)殿に引揚(ひきあ)げた時に十七名に対してミロク大祭(たいさい)意義(いぎ)説明(せつめい)したことがありますか。

 それは覚えまへぬ。

 (はた)の人に()いたら、それは、覚えて()るかも知れまへぬけれども……。

 三十六回の一問答の三千二百二十丁に(おい)説明(せつめい)したやうになつて()るが。

 それは、もう、()のお祭りがあつたから皆()いとつたかも知れぬと思ひましたから、「さうだ」(くらゐ)に言ふとかなきやしやうがないと()ふので言ふたのですけれども、実際は覚えて()らぬのです。

 ()し、さう()ふことがあつたら、一々(いちいち)大本(おほもと)の文献には書いて()るのです。役員(やくゐん)行動(かうどう)であらうがなんであらうが皆書いて()ります、綜合日誌の中に──。

 言ふて()るがね。

 「教主(けうしゆ)殿に帰つてから、十七名の者も教主(けうしゆ)殿に引揚(ひきあ)げて来ましたので、私は()の十七名の者に対して、『今至聖(しせい)殿に(おい)て自分が林檎(りんご)を三つ取つたのは、日、月、地三神(さんしん)(なぞ)らへて取つたので、二代(にだい)に[大]大根と頭芋を与へたのは大本(おほもと)根本(こんぽん)大本(おほもと)の頭と()ふ意味で渡したので、諸面諸菩薩(しよぼさつ)は十六神将又(また)は八王八頭(やつわうやつがしら)匹敵(ひつてき)するもので、大本(おほもと)の各部門の頭であるから渡したのである』」。

 それから……()きなさいよ、「今日(こんにち)から自分はミロク菩薩(ぼさつ)として諸面諸菩薩(しよぼさつ)率ヰ(ひきゐ)てミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)(ため)現界的(げんかいてき)活動(くわつどう)をなすこととなつたのであるから、皆も()の積りで自分の脇立(わきたち)となつて」と、まあ書いてあるがね。

 「脇立(わきたち)となつてミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)()めに活動(くわつどう)して(もら)ひたいと言ひました所、元男以下(いか)十七名は私(およ)び澄に協力(けふりよく)して、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)(ため)舎身(しやしん)活動(くわつどう)することを承諾(しようだく)しました」と、()()ふことを書いて()りますがね。

 「それはさうだらう」と()つしやるから、「さうでせう」と思ひましたから、言ふといたのですけれども、それははつきりして()りまへぬ。

 そんなことを私言ひまへぬわ。

 「自分がミロク菩薩(ぼさつ)になつたから」なんて、そんな慢心(まんしん)なことを言ふ……私は自分の口から、「今からミロク菩薩(ぼさつ)になつた」と()ふやうなことを一言も言ひまへぬ。

 予審判事から「()うだらう」と言はれたから、さう認めざるを得ぬことになつたのだと()う言ふのだな。

 さうです。

 それから()状況(じやうきやう)は、ミロク大祭(たいさい)状況(じやうきやう)は、真如(しんによ)の光の、三月五日と三月十五日付の真如(しんによ)の光に書いてありますがね。

 それは()の通りです。

 大体(だいたい)こちらから()いたことだと思ひますがね、大体(だいたい)こちらで()いたことを……。

 それで、()し、私が最前お()きになつた通り十七人の者に()きましたならば、十七人の中の者が私の言ふことは筆記して()るに、書いて()るに(ちが)ひありまへぬ。

 一言(いちごん)一句残さず書くのですから。()し、文献に書いてなかつたら、私は申して()りまへぬ。


争点 ミロク菩薩として下生の意味

 それから、(たづ)ねますが、被告人が「ミロク菩薩(ぼさつ)として諸面諸菩薩(しよぼさつ)を率ヰて()の世に下生(げしやう)して、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)(ため)現界的(げんかいてき)活動(くわつどう)をなすこととなつた」と()ふことは、どう()ふことを意味するのですか。

 それ(まで)は、私は、生神様(いきがみさま)として(まつ)られて()つたのです。

 私は、教主(けうしゆ)とか副教主(けうしゆ)とか言ふて、そうして(はた)の人が総務になつたりして()つたのです。

 それを、私は、「昔から言ふたら現界(げんかい)ぢやない神界(しんかい)(まつ)られて()つて、奥に引込んで()つた」と()ふ形で、それを、「井上さんか何か総務をやつて()つたやつを、私が井上さんの代りに総務になつて現界的(げんかいてき)活動(くわつどう)をする」とさう()ふ意味なんです。

 私は、ちやんとして、神様(かみさま)になつて(まつ)り込まれて()つたのです。

 それを、「神様(かみさま)らしい形をして()つて、(これ)は今から収つて()つては判らぬから、皆と同じやうに現界的(げんかいてき)活動(くわつどう)せにやいかぬ」と()()ふ意味なんです。

 ()の時に、私は、愈々(いよいよ)総務になつたのです。


 「最初(さいしよ)生神様(いきがみさま)(まつ)られて()つたやつを、今後(こんご)は自分が出て来て総務になつて布教の方に活動(くわつどう)するやうになつた」と、()()ふのか。

 さうです。

 さうすると、ミロク菩薩(ぼさつ)とか諸面諸菩薩(しよぼさつ)とか()ふのはどう()ふことなんだ。

 それは愛の宣伝使(せんでんし)()ふ意味です。ミロクは仁愛(みろく)ですから。

 それで、ミロクさんは天に()つて帰つて来ては()りまへぬから……愛の宣伝使(せんでんし)()ふことをミロク菩薩(ぼさつ)()ふたのです。

 現界的(げんかいてき)活動(くわつどう)()ひますと、私がなんでも政治家(せいぢか)にでもなつて、さうしてやるやうに取られたのです。


 ちよつと私申上(まをしあげ)げますが、後は……(また)、おかしうなりましたから、五分間(ごふんかん)ちよつと休まして下さい。

裁判長それでは五分間(ごふんかん)休憩(きうけい)

午後二時五十分休憩(きうけい)