うろーおにうろー

裁判記録(16)

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裁判記録

○ミロク大祭の意義
○大本は宗教団体か
○宗教公認の問題
○昭和時代の役職員と組織

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。

争点 ミロク大祭の意義

午後三時開廷

 始めますがね、()のミロク大祭(たいさい)(おい)ては出口家以外(いぐわい)の者を至聖(しせい)殿に昇殿せしめた、と()ふのは、このミロク大祭(たいさい)重大(ぢうだい)意義(いぎ)があるのぢやないのですか。

 別に重大(ぢうだい)な意味はありませぬです。見た通りです。

 いや、今迄(いままで)出口家の者以外(いぐわい)には、祭主以外(いぐわい)には……。

 いや祭主は今迄(いままで)皆上つて()ります。

 祭主以外(いぐわい)の者は至聖(しせい)殿に昇殿したと()ふ者はないのでせう。

 ないのですが、今度(こんど)の十六人の者はいつも祭主になつて()つた者ですから、いつも上つて()つたのです。

 それは、一名も上らぬなんと()ふ者はちつともないのです。今迄(いままで)上つて()つた者ばかりです。お祭に上つて()つた者ばかりです。

 高木であらうが井上(ゐのうへ)であらうが、全部(ぜんぶ)上つて()つた者です。今迄(いままで)上つて()らぬ者を一人上げたら、(また)ごて/\、「わしを上げい/\」と言ひますから……。

 この三十五回の三問答の三千五百十六頁に、「従来、至聖(しせい)殿には出口家の者(およ)祭典(さいてん)以外(いぐわい)の者は昇殿を許さないことにして()りましたが、諸面諸菩薩(しよぼさつ)()した十七名は大本(おほもと)最高(さいかう)幹部(かんぶ)として、同大祭(たいさい)を機として一致(いつち)団結して大本(おほもと)の目的達成の(ため)に本格的活動(くわつどう)をなすこととなつたのでありますから、従来の例を破つて」、「破つて」と書いてあるが……。

 それは、そう()つしやつたから、しやうがないけれども、今の十六人と()ふ者は祭主以外(いぐわい)の者でも主なる人ですからいつも上つて()つたのです。

 それで、外の人は、今迄(いままで)上つて()らなんだ人は一人も上つてやしまへぬです。

 それは、けれども、「初めから特に昇殿さして、()うやらう/\」と言やはつたから、もうしやうがないから、「そんなやうなことは向ふの()ふ通りでどうでも()いわい。さうでなくても、外にもえらいことを言はれて、それだけでも罪になるのだから」。そんなことは無茶だけれども、向ふの()つしやつた通りに言ふて()つたのですわ。

 もうこんなやうなことは、向ふ言やはつた通りに、「()うやらう/\」と言やはつたから、「はい/\」と()ふて来たのです。

 それから、被告人は右十七名の者に対して、「三月三日一日(いちにち)は右十七名の者(およ)大宣伝使(だいせんでんし)等が役職を返上して無役となる」と()ふことを言ふて()りますが、全部(ぜんぶ)が無役となると()趣旨(しゆし)(ふく)めて言ふたのですか。

 あヽそうです、(みな)一旦(いつたん)なると()ふのですけれども、皆では大変(たいへん)やから上の者だけが代表(だいへう)的にやつたのです。

 あヽさうか。

 (つま)りなんでも彼でも(みな)がもう一遍は無役となり、無信者(しんじや)にもなりしてしまうても()い、と()ふやうな心持(こころもち)()つたのです。

 けれども、矢張(やつぱ)信者(しんじや)信者(しんじや)()り、役員(やくゐん)だけが謹慎(きんしん)を表する(ため)です。信者(しんじや)は止めてやらせぬのです。役員(やくゐん)を止めたのです。

 この十七名の役員(やくゐん)だけが無役になると()ふのではなくて、大本(おほもと)の役職員全部(ぜんぶ)が無役になると()ふことなんだね、 (これ)は、十六神将(しんしやう)の人は判つて()りますか。

 それは判つてやしまへぬ。

 誰も/\唯心(ゆゐしん)の中で神様(かみさま)に何す(ため)に、お詫びをする(ため)に……私の心だけです、十六人の人にはそんなこと言ふてありやしまへぬもの。

 「お前も悪かつたから、お前も悪い一部分(ぶぶん)やから、お詫びする(ため)にせい」と、そんなことは言ひやしまへぬ。

 大本(おほもと)役員(やくゐん)達が三月三日一日(いちにち)だけ無役になる、と()ふのはどう()ふ意味だ。

 「お詫びをする」と()ふ意味です。

 (ただ)責任を感じて、神様(かみさま)御宮(おみや)を潰されたりしたことは、我々(われわれ)行届(ゆきとど)かぬからさう()ふことになつたのだから、お詫びをする(ため)に、神様(かみさま)謹慎(きんしん)の意を表する(ため)()めたのです。

 私も()め、役員(やくゐん)()めたのです。

 謹慎(きんしん)を表する(ため)に止める、と()ふことは、それは役員(やくゐん)も知つて()りますやろ。

 なんで謹慎(きんしん)せにやならぬの……。

 それはあヽ()ふ事件が起つて、御宮(おみや)さんまて潰されてしまうた、それで我々(われわれ)申訳(まをしわけ)がない、と()ふのです。

 それで、謹慎(きんしん)(ため)にしたのです。無役になつてしまうたのです。役だけを止めてしまう。信者(しんじや)は止めませぬけれども、役だけは止めてしまう。()の一日だけ遠慮(ゑんりよ)したのです。

 この点に付てね、準備手続(てつづき)(おい)ては、「ミロク大祭(たいさい)()つて大本(おほもと)立替立直(たてかへたてなほし)をしやうと()ふのである。従来の大本(おほもと)ではいかぬから、改めて大本(おほもと)()ふものを組織する意味だ」と()ふことを言ふて()りますね、それは大本(おほもと)を組織する……。

 それは……。

 ちよつと()いて()なさい。

 弁護人からも釈明訊問(じんもん)()つて、「(これ)大本(おほもと)役員(やくゐん)の解除」と()ふやうな見方をして()りましたがね。

 さう言ふて()つたのぢやないのか。

 さうですとも。

 私の申上(まをしあげ)げるのは下手(へた)なことを申しますけれども、(つま)り、()ふたら、機構とか何とか()ふものを(しばら)く変へただけです。

 一日休んで……それで依然(いぜん)として元からの大本(おほもと)なんです。

 ()の時に、別に、ミロク教とも何教とも名を変へてやしまへぬ。前からの通りの名で行つて()るのです。

 それは、大本(おほもと)はちやんとやつて()る。(ただ)()の責任上、役員だけが一日止めると()ふ意味だつたのです。

 止めると()ふよりも、遠慮(ゑんりよ)すると()ふ意味です。一日だけ遠慮(ゑんりよ)して辞職(じしよく)すると。元の何もなしの真裸(まつぱだか)にならうと……。

 ……さう()ふ意味か。

 (また)(あくる)る日から改めて役をさして(もら)ふ。

 私もそれ迄神さんの席に(すわ)つて()つたのを止めて、私も役員(やくゐん)になつたのです。

 何もそんなことでは罪亡ぼしにもならぬぢやないか。

 誠意を表するのです。

 (つま)り、(これ)は心の問題(もんだい)です。誠意の問題(もんだい)です。

 それで以て、神様(かみさま)に許して(もら)ふと()ふ気なんです。縦令(たとえ)万分(まんぶん)の一でも許して(もら)ふと()ふ意味です。

 (しか)し、先に認めて()つた、教主(けうしゆ)殿に(おい)て十六神将(しんしやう)に言ふた言葉(ことば)の中には、「明日(あす)以後(いご)立替立直(たてかへたてなほし)をしたる大本(おほもと)(おい)重大(ぢうだい)なる役職に」……。

 そんなことは言ひまへぬわ。

 立替立直(たてかへたてなほし)()ふことは、心の中からの立替立直(たてかへたてなほし)をすると()ふ意味です。

 今迄(いままで)のやうな、ふわ/\した心持(こころもち)でなしに、と()ふ意味であります。今迄(いままで)のやうな、ずんだらな意味でなしに、本当の精神を立替立直(たてかへたてなほ)さう、と()ふ意味であります。

 さうかね。

 この点に付て()くのだが、三十五回の三問答の三千五百十五丁以下(いか)()()ふことが書いてあるがね、「三月三日のみろく大祭(たいさい)を機として、従来の大本(おほもと)立替立直(たてかへたてなほし)して、同人()と共に、大本(おほもと)の真の根本(こんぽん)目的達成の(ため)本格的(ほんかくてき)活動(くわつどう)をなす所の団体(だんたひ)を組織することを(うなが)しました所、(これ)はニ日のことでせうな、集つた人()は私の意中を察して、私の言ふ所を全部(ぜんぶ)承諾(しようだく)するに至つた。私(およ)幹部(かんぶ)十七名、並に大宣伝使(だいせんでんし)全部(ぜんぶ)が無役となる、と()ふことは、それ以外(いぐわい)大本(おほもと)の役職員(およ)宣伝使(せんでんし)(とう)全部(ぜんぶ)無役となると()趣旨(しゆし)のこと。(これ)は、まあそれで、(あらた)に三月三日一日(いちにち)だけ、私、初め、大本(おほもと)の役職員(およ)宣伝使(せんでんし)が従来の役職を辞すると()ふことは、従来の大本(おほもと)()団体(だんたひ)解散(かいさん)をして、新にみろく神政(しんせい)成就(じやうじゆ)の為現界的(げんかいてき)活動(くわつどう)をなす所の大本(おほもと)(しよう)する団体(だんたひ)を組織する訳であります。」

 ()()ふことを書いてあるがな。

 それは私が言ふたのぢやありまへぬ。「()うぢやないか」と言ふて、ずつとお書きになつたのです。

 しやうがありまへぬもの。違ふと言つたつて、怒鳴(どな)られるのでしやうがありまへぬもの。

 そんな意味ぢやございまへぬ。最前申上(まをしあげ)げた通りであります。

 王仁三郎(おにさぶらう)、……このみろく大祭(たいさい)()つて(すみ)なり昇殿者十八名と共にみろく神政(しんせい)成就(じやうじゆ)を目的とする団体(だんたひ)を組織して本格的活動(くわつどう)をすることになつたのぢやないのか。

 さうぢやございまへぬ。(ただ)お祭をしたのです。

 ()のお祭、三月三日のお祭を期して、それを大本(おほもと)としてそれから皆心の立替(たてかへ)をしやう、と()ふ意味になつたのです。信仰(しんかう)をもつと励んで活動(くわつどう)しやう、と()ふ意味になつたのです。

 (ただ)(これ)精神上(せいしんじやう)の革新をやつたのです。

 (これ)()の三十六回の三問答の三千五百二十六丁の所に、「之迄(これまで)大本(おほもと)の準備時代であつて、この時に一つ団体(だんたひ)を組織して、(これ)から本格的活動(くわつどう)をすることになつたのだ」と()ふことを、詳細(まつぶさ)述べて()るがね。

 それは、もう、さう言はれるから仕方(しかた)がないのです。

 けれども、別にそれは、大本(おほもと)今迄(いままで)ごちやくして()つたが、(これ)から大本(おほもと)がまだ/\拡大(くわくだひ)する、と()ふことを言ふたのです。

 それがさうなつたのですけれども、前からの大本(おほもと)ですもの。()大本(おほもと)を廃して、(また)大本(おほもと)(こしら)へたのぢやないのです。

 大本(おほもと)(これ)から益々(ますます)拡張しやうと、それを一つの……一紀元(きげん)としてやらうとしたのであります。この祭を紀元(きげん)としてやらうと()ふ意味なのです。

 (しか)し、「大本(おほもと)()(まま)であつて、役職員を変へたのみで、別に新たな組織は出来(でき)()らぬ」と()ふて()るが、瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)の、証拠(しようこ)品の第百四十四号、昭和三年三月十一日発行(はつかう)瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)ですがね、此処(ここ)に、「大本(おほもと)とは神意(しんい)実行(じつかう)する団体(だんたひ)、真の力の神の顕現(けんげん)」と題して……。

 それは誰の説ですか。


争点 大本は宗教団体か

 瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)に書いてあると()ふのだよ。

 (しか)して……能く()きなさいよ、「大本(おほもと)所謂(いはゆる)宗教ではない、大本(おほもと)は真に活用(くわつよう)をする団体(だんたひ)である。神意(しんい)実行(じつかう)する団体(だんたひ)である。神の教を教へる団体(だんたひ)である。単に教を()いて人に所謂(いはゆる)信仰心(しんかうしん)を起させる所のものではない。実用、活用(くわつよう)する団体(だんたひ)に変つた。」

 趣旨(しゆし)が変つたのぢやないか。

 それは誰か人の意見ですわ。

 「今迄(いままで)のやうな、善男善女を集めて説教(せつきやう)するやうなものぢやない、神の意思(いし)実行(じつかう)する団体(だんたひ)。」

 ははあ。

 ははあぢやない。此処(ここ)に出て()る。

 ちよつと見せて下さい。

 二段目(にだんめ)に大きく、「大本(おほもと)宗教団体(しうけうだんたい)ぢやない」と書いてある。

此時(このとき)、裁判長は被告人に証拠(しようこ)品を示す)

 (つま)り、(これ)は、大本(おほもと)は公認した宗教ではない。

 (つま)り、今の所は、神意(しんい)実行(じつかう)すると()ふのですけれども、矢張(やつぱ)(これ)は神の道を弘めてやると()ふのですから、矢張(やつぱ)(これ)は宗教です。

 (これ)は、表面の宗教ぢやなくても、宗教的(しうけうてき)皇道(こうだう)を説いて()るのです。

 誰が書いたのか知りまへぬけれども……。

 北村(きたむら)隆三が書いた……。

 (これ)北村(きたむら)隆三の考へでさう()ふ風に書いたのです。

 ……ではあるが、大本(おほもと)の考へでせう。北村(きたむら)が書いたのは大本(おほもと)の考へでせう。

 ちやんと予審に出て()る。三十六回の三問答で、「私等(わたくしら)最早(もはや)や、外形的の教説や組織に()つて惑はされない」……。

 そんなことは私は申しまへぬ。

 申さぬと言ふけれども書いてある。そんなものは掃き出す程どこにでもある。

 「(しか)し、真の力の神が出現(しゆつげん)して()るところは世界中(せかいぢう)(わが)大本(おほもと)の外にない。だから大本(おほもと)今迄(いままで)のやうに善男善女を集めて単に教を説くだけの宗教ではなくして、積極(せききよく)的に世界を立替立直(たてかへたてなほし)団体(だんたひ)なのである」と……。

 今迄(いままで)の宗教のやうに、と()ふ意味でせう。それでなければ、善男善女を集めて金を取つたりしては()りまへぬもの。

 今迄(いままで)の各宗教のやうに善男善女を集めるのぢやない。(ただ)惟神(かむながら)の道を説く、日本の本当の惟神(かむながら)の道を説く団体(だんたひ)である、実行(じつかう)する団体(だんたひ)である、と()()ふ意味を言ふたんでせう。

 それは、総て大本(おほもと)のものは今迄(いままで)既成(きせい)宗教のやうな、なまぐさ坊主(ばうず)のやうな宗教と同じやうに同視されることは非常(ひじやう)に嫌ふて()りますから、それで勢ひさう()ふことを書いたと思ひます。

 私は……。


争点 宗教公認の問題

 所で、この宗教公認の問題(もんだい)(たづ)ねるがね、弁護人からも話があつたが、宗教公認の運動(うんどう)は、当時(たうじ)、して()つたのか。

 して()つたのです。

 昭和二年からして()つたのです。私の所へ岡崎鉄首と()ふ者が来たのです。

 まああの経緯(いきさつ)()いたが、あの通りですか。

 あの通りです。

 それで、平渡信()ふ人に五万円渡して()ると()いたが。

 五万円か、(ほとん)ど五万円か渡したのであります。

 渡したのはいつですか。

 二年から三年頃(まで)です。

 三年のいつ頃。

 それは覚えて()りまへぬ。

 (これ)は岩田さんも()りましたし。何か知つて()ると思ふのです。

 中野岩太に御田村が──それで私は()の金は大本(おほもと)から出したと思ふ。

 平渡信に出したのは、いつ出したかそれは覚えないか。

 覚えまへぬ。

 (しか)し、(これ)はニ年から三年(まで)の間です。昭和三年(まで)の……。

 昭和三年のいつ頃。

 二月頃でせう。

 二月頃(まで)の間。

 へえ。

 二年の六、七月頃からだと思ひますと、それで相当(さうたう)見込(みこ)があつたのだね。

 それは向ふが見込(みこ)があるさかいに、(これ)は高等政策(せいさく)で、向ふの方から大本(おほもと)をぐら/\させて()つてはいかぬから早くやれと、(これ)間違(まちが)ひないと……。

 平渡と()ふ人が誰に手続(てつづ)をするのだ、運動(うんどう)するのだ。

 それは私い……。

 話の相手(あいて)()つちや可能性(かのうせい)もあるのだらうが……。

 それは政友会の何に話がしてやらうと言ふたのです、鈴木さんに──。

 鈴木喜三郎()ふ人か。

 はい。

 それからもう一人、文部大臣は()の時なんとか()ふ人でした。水野錬太郎さんでしたか。()時分(じぶん)の文部大臣、()の人に話せば出来(でき)ると、「()(かく)挨拶(あいさつ)に行け」と警保局長の家に私を連れて行つたのです。

 それから、(また)警視総監の所へ私を連れて行つたのです。

 それから、京都府の知事の杉山三四郎とか()ふ人、()の人が内務次官になりました。()の人の家にも連れて行かれ、()の時にも話したのです。

 ()の時に手応へがあつたのか。

 私は手応へがあると思ひました。

 とんちんかんの話ぢやなかつたのか、平渡に連れて行かれた時に……。

 一緒(いつしよ)に平渡と私と()つて、(これ)は確にあつたのです、私はあると思ひましたのです。

 さうしました所が、梅田寛一と()代議士(だいぎし)信者(しんじや)になつて()つたのです。さうしたら、「梅田寛一が今年御許しになつた所ぢやないか、事件が済んだばかりぢやないか、余り平渡に言はれても、そんなことは(かへつ)て不謹慎(きんしん)になるから」と話したので、それもそうだな、と私思つたのです。

 さうした所が、平渡が「政府(せいふ)に心配かけぬ方が()いのやから、ちやんと許されるのだから」と、(また)、一万円出し、一万円出し、約五万円位取られたのかと思ひます。

 運動(うんどう)やとか何とか言つて──()の時に平渡の家では猪野毛利栄と()ふ人に会ひました。

 さうした所が……。

 相当(さうたう)見込(みこ)があると思ふたのだね。

 思ふて()りました、それで願書まで出したのです。

 願書を出したのはいつだ。

 願書を出したのもニ年の(うち)やと思ひます。

 それで三月三日のみろく大祭(たいさい)と、それから宗教の公認の問題(もんだい)はどう()具合(ぐあひ)に……。

 それは、私、平渡に、「三月三日(まで)に許可して欲しい」と()ふたら、「もつとく早く出来(でき)る」と申しました。

 それは、早く出来(でき)ても三月三日に御祝(おいはひ)をしやうと思つて()つたのです。

 自分だけの考へか。誰にも言はなかつたのか。

 誰にも言ひませぬでした。

 ()し、不許可になつたら、皆に(かへつ)て悪い、と思ひましたから──けれども私は金がありまへぬから、金を(こしら)へて(もら)はにやなりまへぬから、宇智麿とか、それから井上(ゐのうへ)さんとか、それだけの者でこそ/\やつて()つたのです、それから御田村さん……。

 ()のみろく大祭(たいさい)()当時(たうじ)は公認になると……。

 ……思つて()つたのです。

 ()のお祝の意味でもあつたのか。

 さうです。

 ()のお祝の意味も入つて()つたのです。

 さう()ふことはちつとも言ふて()らぬね。

 言ふて()りまへぬ。

 記録(きろく)にも文献にもないね。

 ありまへぬ。

 どうしてだね、調べる時にも……。

 それは秘密でやつて()つたけれども、失敗しましたから。

 五万円も金を使ふて失敗したと()ふたら、御田村さんでも私でも信用(しんよう)を落します。

 平渡から一杯食はされたと言つて、願書を何か裂いてしまつたとか言つて()つたね、準備の時に……。

 私が裂いたのぢやない、向ふが願書をすつかり破つてしまつたのです。

 大海原知事が……。

 此処(ここ)の知事だね……いつ裂いた。

 それは三年頃に裂いたのです。

 平渡が金を……警視総監の前で、私が思ふて()りませぬのに、一二十万円も政友会に出させますから──「それは(をを)きに」と言ふて。

 それで、私は迷惑(めいわく)してしまうた。()の金は出来(でき)まへぬ。

 さうして、「手紙を書いてやる」と言つて、警視総監が警察部長やとか知事さんへ手紙をニ、三通書いて()れて、それを持つて知事さんに会つたのです。

 それで、()の平渡と()ふ人に対する五万円が、()運動(うんどう)が大海原と()ふ人に関係あるのか。

 それはどうか判りまへぬ。向ふがやつて()るのですから。こちらでは判らぬです。

 後から、裂いたと()ふことが判つたのです。それは十月頃に判つたのです。

 紅卍会が出来(でき)まして、さうして東京へ行つて、東京の震災(しんさい)に付て、金を何万(なんまん)円とか、米を二千石とか()ふのを寄()して()れたのです。支那(しな)から──

 それで、東京市長がそれをお礼の(ため)に招(えん)した、()の時私も(をつ)たのです。

 さうした、()の時、電話(でんわ)(かか)つて来て初めて判つたのです。破つたと()ふことが……。

 それぢや、公認と()ふことも一緒(いつしよ)にお祝ひしやうと()ふ意味があつたのぢやな。

 それが大本(おほもと)だけの所謂(いはゆる)神政(しんせい)成就(じやうじゆ)だつたのです。

 二色の意味があつた訳だな。

 さうです。


歴史 昭和時代の役職員と組織

 それから、三月三日当時(たうじ)()ける大本(おほもと)構成(こうせい)する主なる役職員はどうなつて()つたのだな。

 (これ)は、三十七回の一問答に()ると、()()具合(ぐあひ)に書いて()るが。(これ)(これ)間違(まちが)ひなからうな。

此時(このとき)裁判長は被告人に対し記録(きろく)を示す)

 それは()の時には……覚えて()りまへぬが、大本(おほもと)の何か文献を調べてお書きになつて()つた。

 文献から取つたのなら、間違(まちが)ひありまへぬ。

 お前が書いたのだから、間違(まちが)ひないぢやないか。

 それは、私も雑誌を見て言ふたのです。れて()つたから……。

 間違(まちが)ひないのでせう。

 書いてあつた通りですから。間違(まちが)ひありまへぬ。

 それから、昭和三年の三月三日以後(いご)昭和十年の十二月上旬(まで)大本(おほもと)の組織、役職員の氏名、(これ)は東尾に対する予審の十二回訊問(じんもん)調書にだね、()して()る第一表乃至(ないし)第六表の通りとありましたですがね。

 組織のことは東尾に(くは)しく()いて()るが、間違(まちが)ひないことと思ひますが……

 (これ)を見て御覧(ごらん)なさい。

此時(このとき)裁判長は被告人に対し右書類を示す)

 それは、書いてあることやつたら、間違(まちが)ひありまへぬわ。

 書類を調べて……。

 はあ、書類を調べて書いたのなら、間違(まちが)ひありまへぬ。

 昭和十年の十二月頃は、本部統理は出口元男で伊佐男ぢやないと()ふこと、(これ)はちよつと訂正(ていせい)してあるやうだが。

 (にはか)かに変つたのです。

 変つた。

 何か変つたと()ふことを聞いて()ります。

 あとは間違(まちが)ひないな。

 あとは間違(まちが)ひありませぬ。

 それだけは正直に書いてあります。文献に()つて書いたのだから。

 それから、大本(おほもと)総本部(およ)び本部の各課の担当事務、(およ)支部(しぶ)分所(ぶんしよ)使命(しめい)矢張(やつぱ)り東尾の第七表に書いてあるが、(これ)()の通りと()いて(よろ)しいかな。

 まあ、間違(まちが)ひなからうと思ふがね。

 ちよつと見せて(いただ)きませうか。

 (これ)は写したのだからね。間違(まちが)ひないことだらうと思ふがね。

此時(このとき)裁判長は被告人に対し記録(きろく)を示す)

 それは、書いてあるのやつたら、間違(まちが)ひありまへぬ。

 (これ)は東尾が色々(いろいろ)調べてやつたのだが。

 (これ)は、もう、()の通りです。

 間違(まちが)ひないね。それから、大本(おほもと)の総本部(およ)び本部の各課の担当事務、(これ)()の通り今()いたね。

 それから、まあ、色々(いろいろ)役職に付いたり辞めたりして()りますがね、王仁三郎(おにさぶらう)は、(しか)し、大本(おほもと)(おい)ては関係して以来(いらい)事実(じじつ)大本(おほもと)の統轄はして()つたのでせうね。

 事実(じじつ)上統轄して()つたのです。

 職を(はな)れたりして()るが、それから(また)みろく大祭(たいさい)の時は止めたり就いたりして()るが。

 実際は、皆、私がやつて()つたのです。

 統轄して()つたのだね。

 それから、外廓団体(だんたひ)大本(おほもと)人類愛善会(じんるゐあいぜんくわい)()の他大本(おほもと)の外廓団体(だんたひ)創立(さうりつ)時期(じき)(およ)び目的は東尾の第十二回訊問(じんもん)調書の第九表に(くは)しく書いてあるがね。

 此処(ここ)に書いてあるが、ちよつと見て御覧(ごらん)()の通りだと思ふがね。

 (つま)創立(さうりつ)時期(じき)と目的が()()ふことだと()ふことが書かれてあるが、間違(まちが)ひないだらうね。

此時(このとき)裁判長は被告人に対し右第九表を示す)

 間違(まちが)ひはありまへぬ。

 全部(ぜんぶ)は書いて()らぬやうだがね。

 愛善(あいぜん)会の……。

 愛善(あいぜん)会ばかりぢやない、青年(せいねん)会もある。

 神聖会(しんせひかひ)……。

 此処(ここ)青年(せいねん)会がある。

 (これ)は、皆、此処(ここ)色々(いろいろ)と変つて()りますけれども、(これ)は、結局(けつきよく)矢張(やつぱ)大本(おほもと)()めです。大本(おほもと)主義(しゆぎ)と同じことです。

 (これ)は、(また)後で、()きたいと思ひます。(これ)創立(さうりつ)時期(じき)()いのですな。

 (これ)()の通りです。

 (これ)()いと、今()ふた以外(いぐわい)に第九表の外に更始会、大日本武道宣揚会、エスペラント普及(ふきふ)会とか()大本(おほもと)関係の団体(だんたひ)はありますね。

 あります。