裁判記録
○第一次事件後、王仁三郎は大本を公認宗教にしたかった。
○立替立直について。
○第一次事件後、信者は増えた。 |
原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。意味のまとまりごとに標題を付加した。
裁判進行 高橋警部の取り調べ
午後一時(二十分(開廷
清瀬弁護人 ちよつと被告を調べる前に私から願ひたい。
(此(の時雑誌を裁判所に提出()
此(の調べの劈頭に被告より高橋警部の御(調べに際しては、真実(を述べ能はざりし事情(を裁判長に対して、詳細(述べたのでありまするが、私は能く警察の調べのことは此(の事件(のみならず他の事件(に於(ても聴(きますが、近時矢張(り同様(のことがあるものである。
十年以前にはそれはどうも被告が言ふのだと思つて居りましたが、段々(此(の頃(の世相(から考へて、警察の調べの真相(は被告の訴(へ通りだらうと思ひ出したのであります。
此(の雑誌の四十四頁に『大本(事件(日記』と云(ふものがあります。京都府特高課長杭迫軍治と云(ふ人の執筆に掛(りますが、其(の末尾即(ち五十三頁──一番(終ひです、そこを御覧(下さると、
「本稿を草するに付ては高橋警部、倉元、小川(両警部補に負ふ所大なり」
そこでどう云ふことをしたかと言ひますると、頁の上段(を見ますると、一月二十五日の記事(には、
「彼等(は何れも最初(審理の節は宗教乃至(精神的(問題(に仮托(して、頑強(に事実(を否定、否認し続けたるが、事犯の全貌が証拠品調査、参考人の予備(的取調の結果(遂(に暴露(せるに至り、一切(を自供するに至つた」
其(の次です、
「三月三日に高橋警部は熱誠遂(に元兇王仁(を降す」
と書いてあります、まるが付いて居りますが、「熱誠」の言葉(は麗(しい言葉(でありますけれども、事件の半面には、余りにも高橋警部が職務(に熱誠の結果(遂(に「元兇王仁(を降す」と云ふ文字を書いて居りますが、其(の意にあらずして、前項の供述を取得(したるものであることは紙背に明瞭(であります。
此(の記録(を見ますると二月三日には調書がなくして、二月八日からに十二日迄十四日連続の調書があります。
之(に依(りますると、此(の記録(も随聴随録の記録(ではなく、うんと被告を抑(へて、恰(も右へ曲つてるものを或(程度(迄(は抑(へないと真直(ぐになりませぬが、抑(へ過ぎると左になるやうに、是(も曲り過ぎた記録(ではあるまいか。
本日の御調べに反抗(して、高橋のしたことを訴(へましたが、私聴(いて惻々として感ずる所があつたのであります。
後に証人として或(は高橋警部を喚(ぶやうなことが出るかも知れませぬが、此(の「熱誠の結果(王仁(を降す」と云ふ記事(を御覧(に供して置くと、段々(判ると思ひます。
是(は証拠として別に出しますが、単に御覧(下されば、今日(の所は宜(しうございます。
前田弁護人 午前に御許可を得ましたのですが、本日他の被告共に対しまして、自分に関する限りに於(てのノートを取らしめたいと思ふのであります。それで此処(にノートブツクと鉛筆を備付けて置きました。
裁判長の方の承諾(を御与へを願ひたいと思ひます。
尤(も之(には……。
裁判長 此処(に置いて行く訳ですね。
前田弁護人 無論(一冊のノートと鉛筆を渡しますが、各自(がそれに署名して置きまして、退廷の際に此処(に置いて行くと、斯(う云ふことにして置きたいと思ひます。
田代弁護人 尚(前田君の仰(しやつたことに附加しますが、被告にですな、其(のノートは他の被告が言うてることに違つて居(ると云ふやうなこととか、是(は何れ自分が言はなくちやならぬと思ふことを忘れ勝ちでありますから、それをば何日(の誰のと云ふやうに「メモ」を取つて置くと云ふやうにすれば、言ひそびれてしまふとか或(は忘れてしまつたと云ふやうなことがないやうになる。
其(の御趣旨(の下にノートブツクを御許しを願つたのだと云ふことを仰(しやつて戴(きたい。相被告の方は何の為(のノートブツクか御判りにならぬと思ひます。
裁判長 全部(起つて──。
(各被告人、全部(起立()
前田弁護人から御話がありましたが、王仁三郎(の供述なり、其(の他のことに付て裁判長に於(てはそれを引用することがあるかも知れませぬから、其(の時分(には自分は斯(う云ふ点は違ふ、あの点は……と云ふやうなことの考があつたらそれは後から言ひ落したと云ふことのないやうに十分に覚えて書いて置いて貰(ひたい。
必ず書かなければならぬことはありませぬよ。それで書いたものは此処(に置いて退廷する。
判つたな、ぢや座つて……。
(各被告着席)
必ず書いて置かなけひはならぬのぢやないよ。
(此(の時前田弁護人各被告にノートを渡す)
経歴 十年事件、保釈中の活動
それぢや王仁三郎(の訊問(をします、其(の儘(……被告人は大正(十年の二月、不敬並に新聞(紙法違反罪に依(つて起訴せられましたか。
答 はい。
問 右事件の犯罪事実(の内容は此(の通りですか。記録(の判決抄本、大阪(控訴院の判決。是(が出て居りますが是(は見せて貰(つたでせう。
(此(の時記録(を示す)
答 其(の時は蒙古(へ行つて居りましたですけれども、大抵(は判つて居ります。それは斯(うやつたろと聴(いて居ります。
問 それで王仁三郎(の此(の不敬事件が係属中も、尚(大本(の為(に活動(して居(つたやうであるが、是(はどう云ふ訳だ。
答 何をですか。
問 前の十年事件が係属中に尚(色々(の活動(をして居(つたやうなことですが。
答 活動(……私は決して是(は──。
問 それはどう云ふ訳であるか。
答 其(の訳は、私は決して自分では、さう云ふ不都合(な事はないと私は信じて居(つた。
それで是(は早く之(を──免罪を天下(に知らす為(には、一刻も早く、一人にでも余計に此(の教義(を知らすが宜(いと云ふ信念(の下に、布教致(しましたです。
悪いと思ひましたら、若(しも不都合(なことだと思うて居りましたら……私は神様(から色々(のことを聴(いて居りまして、決して罪ぢやないと思うて居りました。我々(も日本の臣民(だから悪いと思へば何もしやしまへぬ。其(の時は私は悪いとは思はなかつた。残念だと思つて居りました。
問 悪いとは思はぬからそれをやつて居(つたと云ふ訳ですな。
答 ……それで人が来れば布教して居(つた。
それから、神懸(りになりまして、其(の間布教やなしに霊界物語(を述べて居(つた訳です。
問 其(の時に大本(改良意見書〔「大本(七十年史」参照(〕──大本(は斯(う云ふやうに改良すると云ふ誓(ひの書付(見たいのが出て居(るやうだな。
答 はあ。
問 はあぢやない、自分で書いたのか。
答 書いたのかも知れませぬ、書いたやうにも思ひますし……ちよつと見せて下ざい。
(記録(を示す)
問 それの一番終(ひの所だ。
答 是(は書いたのです。
問 それに依(るとどうぢやな、悪いことをしたと云ふやうになつて居りやせぬか。
答 是(はもう私は言うたつて迚もあきまへぬから、「悪いことをしたと言ふて謝つて、早く予審をして貰(つて、予審ぢやない、保釈して貰(ひたいと思ひまして」予審判事のお気に入るやうに書いたのです。
問 さうすると自分の意思(に反することを書いた訳ですね。
答 意思(にあることもありますし、反したこともあります、けれども良いものにしたいことはしたい、矢張(り改良して良いものにしたい、幾(分か不都合(やと云ふ組織の点に於(ても、信仰(の点に於(ても幾(分か人から見て悪いと思へる所は直したいと云ふ考はありました。それからぼつ/\改良した積りで居ります。
問 此(の書いた物を見ると、是等(は純然たる宗教団体(として盛り立てて行くと云ふやうなことを書いて居りますね。
答 それはさうです。
問 それはさうぢや……。
答 宗教としてやつて行くと云ふことは、私の意思(ですから──。
問 それぢや宗教でなかつたのか。
答 いや本当の宗教−公認教にする積りだつた。宗教としてやつて行くと云ふことの為(に、其(の事件が済むと直ぐ平渡信と運動(をやつたのです。
問 立替立直(の趣旨(はどうも余り穏(かでないから、是(はやるべき……。
答 詰(り私はそんな国体(の変革と云ふやうな立替(ぢやない、総ての今日(のやり方、一切(の経済(の統制やとか云ふことの意味に於(ける立替立直(ですから、あゝ云ふことの意味を言うとるので、それを何だかへんな所に持つて行かれてしまうた。
さうせぬと云ふと、今日(の事件が起らぬ。それで、さう云ふ所に持つて行かれたのです。私は決してさう云ふことは夢にも思うて居りまへぬ。証拠には大本(信徒(が朝晩神前(に奏上(して居りまする所の善言美詞(と云ふ祝詞(を見て貰(ひましたらはつきり判ります。
是(は高橋警部の時にも、予審の時にも、何れの時にも申しませぬ、何で申さぬかと云ふと、宜(いことばかりが書いてあります。大本(の結構(なことばかりが──国家(に対する大事なことが書いてありますが、是(も亦(今迄(のやうに、「胡麻化(すとか、或(は保護色やとか、表看板や」とか言はれてけちを付けられては適はぬから、其(のことはちよつとも言はぬで、それが利益(のあるものやと言うたら湮滅させられてしまうたら大変(だと思うて、此(の公判迄(にそれは言はぬやうにしてのけて置いたのです。
私の利益(になるやうなことは言はぬやうに……予審でも言うて居りませぬ。
問 王仁三郎(に対する此(の事件の三十二回の問答に依(ると、「出る時は誓約(書通りに改良する意見であつたが、出て見ると信者(共がどうも筆先(を信用(して居(る。其(の為(に我々(の主張は正当(なことと考へて居(る。又(自分も国常立尊(は古事記(にも書いてあるし、本当とも思はれて居(る。それで改良はしなかつたのだ」と云ふことをば三十二回の問答に述べて居(るが、是(はどうなのだ、まるきり悪いことはして居らぬ──訂正(する必要はなかつたと思うて居(つたのか。
答 それはね、私は大して是(は悪いと云ふことは一つも思うて居りまへぬ。
宗教として之(をやりたい、本当の宗教にしたい、宗教類似ぢやなしに──斯(う云ふことを考へて居りましたし、又(私の言うたことよりも、少し向ふでは加減(して書いてありますから、私が言うたこととはちよつと違(うて居(る所があります。
ま一遍見せて……もう一遍聴かして下さい。
問 能く聴(いて居なくちやいけないよ、「自分は出る時に、予審判(事に対して提出(せる改正(意見の通りにする積りで居(たが、帰つて信者(に会つて見れば、矢張(り筆先(と云ふものは神様(のものであると信用(して居(る。」
答 さうです。
問 「又(色々(な関係で自分の是迄(の主張が国常立尊(の問題(とか、素盞鳴(尊の問題(と云ふやうなことは正常なことであると思つて居(る」と云ふやうなことを言つてるやうだな、さう予審記録(に書いてあるな。
答 ちよつと頭が判らなくなつちやつた、ちよつと待つて下さい。
もう一遍そこの所をはつきりして貰(はないと工台が悪いのです。
実は予審でね、予審判事さんの前で、筆先(は決して悪いものとは思つて居らぬ、絶対信用(して居(つた、それを悪いと仰(しやるし、又(筆先(が問題(になりますので、又(筆先(が問題(になつたやうなことの為(に、私がこんな所に入らなけひはならぬのだから、こんな所は改良しなければならぬ。こんな所は──問題(になるやうな所は焼いてしまふか、潰(してしまうたら宜(いと思つてほかさせなければならぬと云ふ信念(を有つて居りました。
問 それは前の問題(だね。
答 前の事件の時の予審判事の前で言うたことは、全部(焼く積りはなかつた、悪い所だけほかす積りだつたと云ふ考であつたが、予審判事さんはそれを全部(ほかすと云ふ意味に取られたが、私は皆はようほかさぬと思つて居(つたのです。
処(が戻つて来たら信者(が、「予審判事の前で焼くとかと云ふやうなことを言つた」と云ふので、私に迫(つて仕様(がない。そこで、私は、「済まぬが其(の時はさう云ふやうに言はなければならなかつたのだからこらへて呉(れ」と謝つて居(つた。
其(の時分(、予審判事さんの前で、仕様(がないからさう云ふやうに言ひました。仮令(九牛(の一毛(でも筆先(のいかぬことがあるのに、其(の筆先(を残すと云ふことは言へませぬがな……。
問 成る程。
答 それで、私は、「止めます」と言ふたけれども、肚の底では矢張(り止めたうなかつた。
経歴 十年事件中の大本の活動
問 それからね、大正(十年の不敬事件当時(の皇道(大本(の状況(はどう云ふ風でした。
答 事件中ですか。
問 事件中。
答 入つて居(つた当時(のことは知りまへぬが、人に聞いた位です。
事件当時(は江木博士(やとか、あゝ云ふ人が弁護して呉(れて居て、何かと用がありました。
私は其(の時には病気をしまして、十年から寝て居りまして、さうして霊が懸つて来て、筆先(を……筆先(ぢやない霊界物語(と云ふもののを書いた。
十月頃からそれから毎日(寝て居(つて書いたのです……書いて呉(れたのです。
十年、十一年、十二年頃迄(は殆(ど霊界物語(ばかりである。
問 自分としては……。
答 喋(つて居(つたのを人が書いて居(つたのです。
問 口述(要旨は後から訊(きます。
大本(の状況(は──。
答 其(の時の状況(と云ふものは、余り宣伝にも行つてるものがありませぬ。唯(何とか云ふ……。
問 積極(的の活動(を止めて居(つたのですね。
答 さうです、唯(二人(程宣伝をして居(つた。
満州へ行つたり、他所(へ行つたりして、内地では八方(塞(がりで──
問 信者(は減つたか。
答 減つて居りませぬ、それは殖(えて居りました。それは何故(かと云ふと、私が掴(へられた時には百二十四であつた支部(が、帰つた時は百五十四と、三十殖(えて居(つた。
何故(殖(えたと云ふと、大本(と云ふものはあの事件が出たものですから、大島(とか、琉球とか、朝鮮(とか、満州とか端々のさう云ふ所の人が、今迄(知らなんで居(つた人達(が、大本(事件があつたので初めて知つた。さうして一度見て来てやらうかと言うて来た人が来て信者(になつた。
問 予審の三十二回の訊問(調書に於(て、「一部の主だつた者が脱退して信者(も半減して居(る」と云ふことを言つてるが、是(はどうだ。
答 向ふがさう言うて聴かしまへぬもの……。
問 予審ですよ。
答 え、さう言やはるから仕様(がありまへぬ、減つて居りまへぬ。
問 減つて居らぬと云ふことは宜(しい。
答 減つた人がある代りに殖(えて居ります。
経歴 開窟奉賛祭
問 被告人王仁三郎(は右の不敬事件に付て、昭和二年の五月十七日大審院に於(て同年の勅令第十一号大赦令に依(つて免訴の判決を受けましたね。
答 はあ。
問 昭和二年の五月二十七日開窟奉賛祭を行ひましたか。
答 はい。
問 其(の際の模様はどうでした。
答 祭の模様は唯(斯(う云ふ事件が起つて、さうして大本(はまるで真(つくらがりになつて居(つたが、愈々(夜が明けた。それの御礼(の御祭(をしたのです。
其(の時に綾部(の人やら大分(祝ひに来て呉(れました、信者(や何かで千人位居(つたかと思ひます。
問 綾部(の弥勒殿(でやつた、千人程集つてやつた。
答 信者(やら町の人やらが集つて……。
問 さうして祝詞(を奏上(したと云ふ訳だね。
答 さうです、千人でしたか、千五百人でしたかはつきり覚えて居りまへぬが。
問 『真如能光(』に祝詞(が出て居(るね。
あれは見せて貰(はぬでも宜(いか。
答 祝詞(だから大抵(悪いことはないと思ひます。
湯川先生が書いたのです。
問 証第四千二百十五号の昭和二年六月五日発行(の『真如能光(』の第七十一頁、此処(に出て居(る訳だね。
是(へ見せて貰(はぬでも宜(いでせう。
答 へ、祝詞(はもう大抵(判つて居ります。
問 それからちよつと言うて置くが、同祭の目的はどう云ふ目的なんだ、奉(賛祭を催(した目的は──。
答 目的は祝の目的です。御礼(の目的です。我々(が喜んだ喜びを表する御祭(です。
問 処(が決定には、予審の決定に依(ると、奉賛祭と云ふのは、「開窟奉賛祭と云ふものは、役員(、信者(等(に対して、右の事件は大本(に反対する者の策動に起因(したるものと信ぜしめ、事件の為(に減じた信者(を本に帰らして、信者の結束の為(にやつたものである」と云ふことになつて居(るが。
答 それは御書きになつたのでしようがあらへぬ。
「判を捺さなんだら、お前は嘘(を言ふのか、三年も四年も是(から掛(つたらどうする、早う年寄(りは弱つて居(るからいなしてやらなければ可哀相だ、早ういなしてやらなければならぬのに」と、多勢(の者に言はれゝば仕様(がない。
私はそんなことは申しまへぬ、そんな阿呆(なこと。