うろーおにうろー

裁判記録(6)

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裁判記録

○霊界物語の目的 大本の精神を世界に知らす為に、又一方では、小説的に娯楽の為にもやつたのです。
○セーデンボルグ「天国と地獄」の天国の所をちよつと引用した。他は引用なし。
○六十六巻から七十二巻は、蒙古関係。現代の小説のようなもの。
○幽の幽から、顕の顕について。
○神が憑るのは、自分で勉強している人のみ。何もない人に憑るわけではない。
○出口清吉の件。
○立替立直は、王仁三郎が大本に行く前に、直が言い始めた。
○愛善会は外国人に宣伝するためのもの。

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。意味のまとまりごとに標題を付加した。

経歴 霊界物語の発行

 ちよつと()いて居なさい。

 大正(たいしやう)十年の十月三十日から昭和九年の十二月三十日(まで)の間に、霊界物語(れいかいものがたり)八十一巻を発行(はつかう)しましたね。

 はい。

 是等(これら)の物は、皆御前(をまえ)に見せたことにして()いでせうね。

 そんなものは見ぬでも()い。判つて居りますから──予審でなそぼでも見せて(もら)ひました。

 霊界物語(れいかいものがたり)と云ふのは、被告人が口述(こうじゆつ)をして、口で述べて、外山豊二(とやまとよじ)加藤(かとう)新子、桜井重雄(さくらゐしげお)谷口清治(たにぐちきよはる)高木鉄雄(たかぎかねを)(とう)に筆記せしめたものを原稿(げんかう)として編纂したものですか。

 はい。

 それから霊界物語(れいかいものがたり)発行(はつかう)の目的は、どう云ふ目的であつたのか。

 それは大本(おほもと)の精神を世界に知らす(ため)に、(また)一方では、小説的に娯楽の(ため)にもやつたのです。

 私は体が悪くてえらいものだから、神様(かみさま)に楽しみの(ため)に作つて(もら)つたりしたものだ。だから、霊界物語(れいかいものがたり)は、病人(びやうにん)の──うん/\と言つてる人の前で読むと病気が(なほ)ると云ふ。さう云ふことも書いてあります。夢の所も書いてあります。


 私が小説的の物を作つたのは()の時が初めてです。私は文章は余り()う作らぬ方です。

 皆霊が(かか)らなかつたら作れない。

 (これ)はね、教祖(けうそ)ナカの書いた筆先(ふでさき)の補充説明(せつめい)趣旨(おもむき)のやうなものぢやないのですか。

 それもあります、()の所もあります、それから今迄(いままで)私の書いて来た裏の筆先(ふでさき)……神諭(しんゆ)の意味の所もあります。

 補充の意味か。

 さう云ふ所もあります。

 さうか。

 高橋はこないに言ひました。「そこらの本を剽窃して書いて()る」のだと──私は「はい/\」と言つて居りました。

 講談倶楽部式の所もありますと言うて置いたけれども、私は講談倶楽部からも採つて居やしまへぬ。

 (ただ)二頁か、三頁、四頁位は(これ)は参考としてセーデンボルグのそれを少し出した所があります。神様(かみさま)意思(いし)に合うて()る所だから出したけれども、それより外にちよつともそんな剽窃したりした所はありませぬ。

 それだけは採つた。さう云ふ種本を採つた所もあると言ふのだね。

 種本はない、それだけですわ。セーデンボルグだけですわ、「天国(てんごく)地獄(ぢごく)」の天国(てんごく)の所をちよつと……。

 後はお前さんの思ひ付き、感想(かんさう)か。

 口から出て来るのです。

 王仁三郎(おにさぶらう)の知つて()る所、感想(かんさう)()の時の思ひ付を書いたのか。

 感想(かんさう)ばかりぢやありまへぬ。()の時にちよつと感想(かんさう)と云ふか何か知りまへぬが……。

 ……知つてること。

 何時(いつ)仰向(あふむ)けに寝て()ると次から次へ出て来るのですわ、糸を繰るやうに駸々として纏つて出て来る。それを(しやべ)るだけです。

 それからね、六十五巻(まで)はさうして喋つた。

 それから、六十六巻から七十二巻(まで)は、(これ)蒙古(もうこ)へ行きまして、蒙古(もうこ)のあたりのことを見て松村や何かと……松村が()きまして私に話をして()れて、それ()をあつちやこつちやを何しまして(こしら)へたので、(これ)は本当は六十六巻から七十二巻(まで)現代(げんだい)の小説見たいな所がある。

 ……松村が向ふへ行つて書いたのか。

 私と二人で(こしら)へた。向ふで(こしら)へた。それをこちらに来て書直した。

 何故(なぜ)かと云ふと向ふで書いたのは取られてしまひましたから、パインタラで取られてしまうた。

 書いてあることは、現界(げんかい)のことも書いてあるのだな。

 それは蒙古(もうこ)あたりの神界(しんかい)のことや、現界(げんかい)のことやら色々(いろいろ)のことが書いてあります。

 印度(いんど)のことや、(あるひ)満洲(まんしう)のこと、シベリヤのことあたりが書いてあります。シベリヤとは書いてありませぬが……。

 霊界(れいかい)のことも書いてあるのだな。

 さうです、それは皆支那人(しなじん)のワンゲンキと()ふ者が通訳で随いて居りまして、支那(しな)の小説、蒙古(もうこ)の小説を訳して聴かして()れた。それが本になつて出来(でき)()る。

 ()の通りぢやありませぬ。()の通り写したら剽窃になりますから──。

 霊界(れいかい)のことに(かこつ)けて、現界(げんかい)のことを書いたのぢやあるまいな。

 それはありませぬとも。

 殊更(ことさら)判りにくい霊界(れいかい)のことを現界(げんかい)(かこつ)けることはあつても、現界(げんかい)のことを霊界(れいかい)(かこつ)けたら、(なほ)判らないやうになつてしまふ。

 (よろ)し/\。

 それで高橋さんが言ふのも、予審判(しんぱん)事さんの(おつ)しやるのもさう(おつ)しやるけれども、それは私は逆様やと思ひます。

 それは何か故意に、私を悪い者にしようと云ふ考がなかつたら、さう云ふことは言やはりまへぬ。

 さうなつて()るからさうだと言やせぬのだぞ。さうなつて()るから()くのだ。

 さう御()き下さるのが当り前で、私は(これ)を言はむと……(これ)を公判で言ひたうて、言はないで、()ると腹が立つて敵はぬのです。

 私はもう罪になつても言ふだけ言はして(もら)うたら、ほんまのことだけ言はして(もら)うたらそれで()いのです。

 年寄(としと)りだから何時(いつ)死んでも構はぬ。


思想 霊界について

 霊界(れいかい)のこともちよつと()きたいのだがね。此処(ここ)説明(せつめい)するかね。

 ちよつと霊界(れいかい)のことはむづかしいものです。あなたが霊界(れいかい)の素養がありますひは別ですが……

 霊界(れいかい)と云ふことは、丁度(ちやうど)()はば、「ぼた餅が(あま)いと云ふが、どう云ふ(あま)さかと言へば、食つて見なければ判らぬ」やうに、言葉(ことば)説明(せつめい)出来(でき)ぬ。

 お前さんの書いた本は大抵(たいてい)読んだぞ。

 あれは九牛(きうぎう)一毛(いちまう)で、言は意を尽さず……。

 霊界(れいかい)神秘(しんぴ)な所をコンデンスした所を、ちよつと()きたいのだがね。

 世の中には現界(げんかい)霊界(れいかい)の区別が二つあります。

 現界(げんかい)(これ)現世(うつしよ)と申します。それから霊界(れいかい)幽世(かくりよ)とも言ひます。霊は幽界(いうかい)とも言ひます。霊は(みたま)の世界、(また)神界(しんかい)とも言ひます。

 (しか)現界(げんかい)霊界(れいかい)が……

 霊界(れいかい)の中に神様(かみさま)があります。(これ)高天原(たかあまはら)と言ひ、仏法(ぶつぽふ)()浄土(じやうど)やとか極楽(ごくらく)とか云ふ所です。

 それから、地獄(ぢごく)と言ふ所もあります。地獄的(ぢごくてき)の所を今迄(いままで)幽界(いうかい)と言ふて居ります。幽冥界(ゐうめいかひ)幽界(いうかい)……。


 判つて()る。

 それで、其処(そこ)には、矢張(やつぱ)()現界(げんかい)と同じことで、神様(かみさま)は上は天照皇大神を(はぢ)め、ずつと百八十一段に精[正]神界の階級(かいきふ)出来(でき)て居られる。

 百八十一階級(かいきふ)の外に(また)こちらに邪神界(じやしんかひ)がある。幽冥界には邪神界(じやしんかひ)と云ふものがある。(これ)霊界物語(れいかいものがたり)でなくても、総て日本の古事記(こじき)であらうが、総て昔からの宗教、神道(しんだう)の文献にはあります。

 (これ)本田(ほんだ)先生、副島先生から私に授かつた神伝秘書に()りましても、(これ)も百八十一の階級(かいきふ)がある。

 両方(りやうはう)で三百六十にの階級(かいきふ)がある。

 (これ)感応(かんおう)するのが神人(しんじん)感応(かんおう)法であります。

 霊界(れいかい)を見るのには()(まま)は見られない。霊が霊界(れいかい)へ入つても見られない。それには、媒介(ばいかい)天と云ふ者が居ります。それを人間の精霊(せいれい)と言ひます。坊主(ばうず)の方では精霊(せいれい)と言つて居ります。精霊(せいれい)と言ひます、

 人間と云ふものは精霊(せいれい)の容れ物であつて、人間と言ふものは、所謂(いはゆる)人間()のものがあつて、(また)精霊(せいれい)と云ふものがある。()精霊(せいれい)を生かして、精霊(せいれい)を通して、霊界(れいかい)を見ると云ふと、神様(かみさま)も見えるし、精霊(せいれい)の耳を通せば自分の耳にも神の声が聞えるし、精霊(せいれい)を通さなかつたら(これ)は見えない。

 霊界(れいかい)(これ)法則(ほふそく)になつて居ります。

 それで霊界(れいかい)にある(ごと)く、現界(げんかい)にも百八十一の実際階級(かいきふ)があるさうです。私は知りまへぬけれども霊界(れいかい)()の通りやと云ふことになる。

 それで、現界(げんかい)では、大本(おほもと)には神と云ふことを──(これ)本田(ほんだ)先生の古事記(こじき)()つて分類された神の分け方ですが、(これ)に幽の幽と云ふのがあります、幽の現、現の幽、現の現があります。

 幽の幽と云ふことは幽霊の幽で、幽の幽であるから最も無形、無声の神様(かみさま)である。(これ)天御中主神(あめのみなかぬし)様と()申上(まをしあげ)げて()るのであります。()(かす)から現が出て来る。

 ()幽界(いうかい)の天御中主尊がずつと表現(へうげん)されだものが幽の現であつて、(これ)天照(あまてらす)大神様(おほかみさま)である。(これ)が幽の現である、(これ)は神から御出ましになつたから幽の現であつて、(これ)が初めて宇宙の主宰になる。幽の幽ではないのだから、幽の現であるから──

 (また)現の幽と云ふのは、現界(げんかい)に生れて()つた人が死んでしまふて、霊界(れいかい)(おい)神様(かみさま)になつて()る。大国主命(おほくにぬしのみこと)やとか、(あるひ)西郷(さいごう)隆盛(たかもり)やとか、楠正成が神様(かみさま)に祭られて()る。是等(これら)現界(げんかい)にあつて幽界(いうかい)に行つたから現の幽。

 現の現の神様(かみさま)は、上は天皇より下巡査(じゆんさ)に至る迄、(これ)は百八十一の階級(かいきふ)神様(かみさま)である。それで日本人は(これ)御上(おかみ)と言ふ。役人(やくにん)さんを御上(おかみ)と言ふ、(これ)所謂(いはゆる)神の分類です。

 それで、耶蘇教(やそけう)や何かが出て来まして、偶像なんと()う言ひますが決して偶像ぢやない。日本では矢張(やつぱ)現界(げんかい)に居られる人の幽であるから、日本の国家(こくか)では神様(かみさま)として祭つて()る。

 (しか)し、銅像(どうざう)やとか何とか云ふものの前に行つては誰も手を合せませぬ、太閤(たいかふ)さんに対しても豊国神社(じんじや)の前へ行くと霊が祭つてあるから頭を下げる、行つて拝むやうになります、それで日本人は決して偶像は拝んで居らぬ。偶像と云ふものは銅像(どうざう)とか何とか云ふあんな偶像です。()のことを私は大本(おほもと)始終(しじう)説明(せつめい)して()る。(これ)神様(かみさま)原理(げんり)と言ひますか、神様(かみさま)の何と言ふのですか、性質と言ふか、(つま)神様(かみさま)と云ふものは()う云ふ工合に大別があると云ふことを大本(おほもと)では説いて()るのです。


思想 霊界物語と神諭

 ()の関係が移写(いしや)関係……主宰神の所で(くは)しく()きませう。それはそれだけにして置きませう。

 次に移ります。

 さうすると、()霊界物語(れいかいものがたり)と云ふものは、(これ)矢張(やつぱ)神示(しんじ)と云ふことになりますか。

 神示(しんじ)とは、(つま)り仏のことを書いて()るのを仏書と云ふ(ごと)くに……。

王仁三郎(おにさぶらう)自身(じしん)感想(かんさう)なり思ひ付きなりを、考へて()るのを書いて()るのですか。

 考へたこともそれは入つて居りまつしやろ。

 間接外流(がゐりう)と云ふのがありませう、それは何かと云ふと私も何も知らぬぢやない、書物(しよもつ)を読んで()るから──(また)霊界(れいかい)神懸(かむがか)りになる方法(はうはふ)としては第一に神典を詳読し、神徳(しんとく)を清くすべしと書いてある……本田(ほんだ)先生のに。直ちに神様(かみさま)に移つて(もら)ふには神徳(しんとく)を──「()神様(かみさま)()う云ふ御神徳(ごしんとく)のある神様(かみさま)()神様(かみさま)()う云ふ歴史に出て()る」と云ふことを先に(さと)つて置くと云ふやうにしなければ、縁もゆかりもない所には神は移りやしまへぬ。

 (つま)りこちらの(たづ)ねる所は、神様(かみさま)王仁三郎(おにさぶらう)の口を()りて言ふたのか、王仁三郎(おにさぶらう)の考を自身(じしん)が言うたのか。

 何れも一緒(いつしよ)くたになつて居ります。(これ)外流(がゐりう)と言ふのです。

 それはさう云ふ点もあるし、自分の考もあると云ふ訳ですな。

 さうです、入つて()るに(ちが)ひありませぬ。

 第五回の予審訊問(じんもん)調書の七問答で、「自分の創作だ」と云ふことを言つて()る点は違ふ訳だね。

 さうです。

 (これ)は──調書と云ふものは、私は言ひ過ぎるかも知れないが、予審判事閣下の創作やと思ひます。

 まあ(よろ)しい。

 それから、是迄(これまで)(たづ)ねた神諭(しんゆ)だね。表神諭(しんゆ)裏神諭(うらのしんゆ)霊界物語(れいかいものがたり)()の三つは大本(おほもと)の教典になつて居りますか。

 はい、教典です。

 神諭(しんゆ)霊界物語(れいかいものがたり)……。

 神諭(しんゆ)には裏と表があるな。

 はい。


思想 大本教義

 (これ)大本教(おほもとけう)に関することは総括(そうくわつ)的に()きたいと思ふが、起訴事実(じじつ)に関することを()くが、()の教典には大本(おほもと)教義(けうぎ)に関する記載はありますか。

 大本(おほもと)教義(けうぎ)に関する……。

 書いてあるのか。

 それはあると思ひます。

 ()時々(ときどき)あつちやこつちやに断片的に書いてあると思ひます。()(かく)霊界物語(れいかいものがたり)でも大本(おほもと)(ため)に書いたものですから──。

 ()の教典は、信者(しんじや)なり未信者(みしんじや)に対しては、大本(おほもと)教義(けうぎ)なるものを知らしむる(ため)に、()の読むことを奨励(しやうれい)して()つたのか。

 それは売らんならんから。買ふて()れと云ふことは言はぬが……。

 売る為か。それとも知らしむる為か。

 知らしめる(ため)でありますけれども、売りもし、知らしめもし、それを両方(りやうはう)()ねてあるのですわ。

 大本(おほもと)教義(けうぎ)に付ては、()の疑点などに付ては、教義(けうぎ)の疑点に付ては、大本(おほもと)幹部(かんぶ)役員(やくゐん)の方から説明(せつめい)するとか、(あるひ)信者(しんじや)同志(どうし)()り合つて研究することがあつたのか。

 役員(やくゐん)弥勒殿(みろくでん)でやるとか大祥殿(たいしやうでん)日々(にちにち)を決めて、今日(けふ)は誰の番、誰の番と云ふやうに色々(いろいろ)のことをして居りましたが、()の外は私は役員(やくゐん)信者(しんじや)教義(けうぎ)のことに付てまだちよつとも話したことがありませぬ。役員(やくゐん)同志(どうし)がさう云ふことをして()つたと云ふことも余り知りまへぬ。

 それは何故(なぜ)かと言ふと、神様(かみさま)に毎日夜(にちや)の十一時から四時(まで)何時(いつ)()うして(と手を合せながら)拝んで()るのですから、昼は今日(けふ)(つま)言葉(ことば)で言ふと(まは)し者で、私を庇護する(ため)加藤(かとう)新子と云ふ者が()いて居りまして、──私の言ふたことを付ける役があつて、私がくしやみしても()に出るのです。


 幹部(かんぶ)から説明(せつめい)したことも聴かぬし、信者(しんじや)同志(どうし)幹部(かんぶ)連中(れんちう)同志(どうし)研究したと云ふことも聴かぬのだな。

 (ただ)弥勒殿(みろくでん)大祥殿(たいしやうでん)で、来た人に役員(やくゐん)が代る/\話をして()ることは知つて居ります。

 言霊学(げんれいがく)の話とか、大本(おほもと)の話とか──。

 さうすると大本(おほもと)教義(けうぎ)に付ては疑問があると云ふ場合(ばあひ)には、各々(おのおの)研究して、教典を読んで悟れと云ふ意味か。

 大抵(たいてい)解ることばかりですわ。

 ()の内容はむつかしいことぢやありまへぬが、それは毎日(まいにち)それを勉強してそれに掛かつて()ればむつかしくないのですが、初めての人が見ると随分(ずゐぶん)むつかしい言葉(ことば)があります。用語が(ちが)ひますから。宗教の用語と云ふものは現在の科学(くわがく)の用語とは(ちが)ひますから。総て(これ)から科学(くわがく)以外(いぐわい)の世界があると云ふことを知つて居らなけひは宗教のことは判らぬ。


経歴 大本瑞祥会

 むつかしいことはないから解る訳だと云ふ訳だね。

 大正(たいしやう)十一年のに月に大日本修斎会(だいにほんしうさいかひ)大本(おほもと)瑞祥会(ずゐしやうくわい)に改(しよう)して、(これ)大本(おほもと)活動(くわつどう)機関(きくわん)となしたのですか。

 はい、同じものですが名を変へただけです。前の大日(だいにち)本修斎会も活動(くわつどう)機関(きくわん)です。

 (これ)は形式的のものか。

 何故(なぜ)瑞祥会(ずゐしやうくわい)に変へましたかと言ひますと、大日(だいにち)本修斎会と云ふ間の時にあんな不吉な事件が起りましたから、今度(こんど)瑞祥(ずゐしやう)を祝ふと云ふやうに、瑞祥(ずゐしやう)になるやうにと云ふので、意味もなしに瑞祥会(ずゐしやうくわい)としたのです。目出度(めでた)いことが来るやうに──。

 さうか、()の後京都府の南桑田(みなみくはた)(ぐん)亀岡(かめをか)城趾を大本(おほもと)天恩郷(てんおんきやう)(しよう)し、大正(たいしやう)十四年六月大本(おほもと)の外廓団体(だんたひ)補助(ほじよ)機関(きくわん)として人類愛善会(じんるゐあいぜんくわい)と云ふものを組織しましたね。


経歴 人類愛善会

 それをちよつと言はして下さい。

 外廓団体(だんたひ)(これ)は後から(まと)めて()きたいとは思つて居りますが、形式だけ書いてあるから()いたので、本質(ほんしつ)論は纏めて()かう。

 (しか)し言ふなら言ふても構ひませぬけれども……。

 昭和二年に海外(かいがひ)(ため)に主に(こしら)へた愛善(あいぜん)会と云ふものは何かと申しますと、日本の国の法律は外国と条約(でうやく)を結んだ時に、()の時に明治(めいじ)維新の時に、日本の太政官がうつかりして()つて、宗教は日本の国に自由自在(じいうじざい)(ひろ)めても()いと云ふことを約束した。

 けれども、日本は宗教を支那(しな)でも何処(いづこ)でも(ひろ)めると云ふことの許可を得て置かなんだ。それで宗教団体(しうけうだんたい)であれば外国へ行けない。大本教(おほもとけう)では外国へは(ひろ)められない。

 それで、人類愛善会(じんるゐあいぜんくわい)と云ふ会にすれば外国人もそれに喜んで入る。

 それは初耳だね。

 日本の法律が、外国へ宗教を拡げると云ふ所の権利を取つて置いてくれなんだ(ため)に、仕様(しやう)がない。

 (しか)天理教(てんりけう)なども外国で拡げて居りますけれども、(これ)は日本人に対して──在外日本人に対しての宗教であつて、外国人に教へることは出来(でき)ない。

 愛善(あいぜん)会は外国人が信者(しんじや)になつて()る。()(ため)愛善(あいぜん)会と云ふものを(こしら)へた。

 日本にも(また)大本教(おほもとけう)と云ふ名を嫌ふ人がある。事件があつたものだから。

 ()の人は大本教(おほもとけう)へ入つて()ると云ふと、親類からごそ/\言はれる。愛善(あいぜん)会に入つて()ると云ふと何でもない。それで、入る人が内外共に()の名に()つてアレして来た。

 さう云ふ密接な関係があるのか。

 中には、大本教(おほもとけう)の看板の塗替と(おつ)しやいますけれども、塗替ではないのです。外国では大本(おほもと)はいけないのです。


経歴 綾部と亀岡

 (これ)は何でもないことだが、綾部町(あやべちやう)本宮(ほんぐう)を司祭の中心地(ここち)亀岡町(かめをかちやう)天恩郷(てんおんきやう)教義(けうぎ)宣伝の根拠地(こんきよち)としたるは、開窟奉賛祭を施行(しかう)した、()当時(たうじ)からですか。

 それよりも先や位と思ひます。

 ()(かく)綾部(あやべ)神聖(しんせい)の所や。亀岡(かめをか)で教を開く時は、矢張(やつぱ)りヘロ/\の(たましひ)の人も(あるひ)は悪い人も来まつしやろ。

 親鸞(しんらん)上人(しやうにん)が言つたやうに、宗教は悪人の(ため)に……善人(ぜんにん)ばかりだつたら宗教は要らぬ訳になる。

 亀岡(かめをか)では悪人が来て、善人(ぜんにん)になつたら、綾部(あやべ)へ参る。綾部(あやべ)へ良い人ばかりを連れて行かう。

 ()う云ふ訳で、亀岡(かめをか)を主として教義(けうぎ)宣伝の根拠地(こんきよち)とし、綾部(あやべ)祭祀(さいし)の中心地と決めたのであります。


思想 立替立直し

 それから、次は大本(おほもと)(おい)ては、所謂(いはゆる)立替立直(たてかへたてなほ)、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)と云ふことを強調(きやうてう)して居りますか。

 はい。

 所謂(いはゆる)立替立直(たてかへたてなほし)、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)と云ふのは大本(おほもと)根本(こんぽん)の目的です

か。

 さうですとも。

 ()立替立直(たてかへたてなほし)、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)と云ふのは何時(いつ)頃から主張して居りましたか。

 (これ)は──立替立直(たてかへたてなほし)と云ふことは出口教祖(けうそ)がに十五年から書いて()る。

 立替立直(たてかへたてなほし)と云ふことは、世の立替立直(たてかへたてなほし)と云ふことは(これ)はむつかしい。言ふたら革新です。

 大本(おほもと)(おい)てはミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)立替立直(たてかへたてなほし)としたのはに十五年からです、立替立直(たてかへたてなほし)と云ふことは教祖(けうそ)言葉(ことば)です、初まりは──それから始まつて今迄(いままで)ずつと使うて来て()る訳です。

 準備手続の時は三十年か三十一年頃からか主張して()つたと言ひましたね。

 さうですか、好い加減(かげん)に言うて()つたのでせう。

 それは困るね。

 三十一年頃から筆先(ふでさき)があつた。(しか)し、本当は二十五年頃から言うて()る。三十一年頃に書いたものがあるから三十一年と言うたのでせう。それでなければ証拠がありませぬから……。

 本職の前で出鱈目(でたらめ)を言つちや困るね。

 ()ほ……。

 三十一年はどう云ふ根拠か。

 それは根拠も余りありませぬ。私が行つたのは三十一年です。

 それ迄も、(ばあ)さんが立替立直(たてかへたてなほし)と云ふことは言うて()つたのか。

 言うて()つたのです。

 ()の書いたものがなくなつてしまつたのだから、さう言うて置いた。以前のことはさう(くは)しく判りませぬから。

 (しか)し、先に(たづ)ねたことだが、それに対する答でも、二十五年当時(たうじ)なり三十年頃(まで)(これ)と云ふ目標(もくひやう)もないやうぢやないか。

 それは目標(もくひやう)()う書いてあります。()う云ふことがあつたのです。

 我々(われわれ)はそれに一生懸命(いつしやうけんめい)になつて()つた。二十八年の……二十五年頃から教祖(けうそ)が、「戦争(せんさう)がある」と言うて()つた。さうして二十八年に戦争(せんさう)があつた。

 当時(たうじ)五十人程信者(しんじや)があつた。()の後に私が行つた時分(じぶん)には、「日本とロシアとの戦争(せんさう)が起る」と云ふことを始終(しじう)教祖(けうそ)が言つて()つた。筆先(ふでさき)に書いて()つた。

 所がロシアと戦争(せんさう)が起つたから大変(たいへん)なこつちやと思うて()つた。

 ()の時に、「出口清吉(せいきち)と云ふ者が日之出之神(ひのでのかみ)となつて帰つて来るのだ」と云ふやうなことを言つて()つた。

 それが出て来たらホンマやと言つて()つたから、それが来ると思つて()つた、それ(まで)の目的は──さうしたらねつから帰つて来ない。

 教祖(けうそ)()いた。「あなたは(うそ)ばかり言ひますな」と言つたら、「神様(かみさま)()いたら生きて帰つて来る」と言ふから、「生れ変つて来るのだらう」と言つて()つた。

 後から、今の伊佐男と云ふのが家へ養子に来た。それがなんや、清吉(せいきち)の生れ代りと云ふやうなことを夢に見て、皆それを信じてしまうた。

 ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)と云ふことは、幽世(ゐふかひ)立替立直(たてかへたてなほし)と云ふことは、二十五年から断定(だんてい)的に大本(おほもと)教義(けうぎ)だと言つて言ひ出したのぢやないね、二十五年からぢやないのだらう。

 直の教義(けうぎ)を取つて()言葉(ことば)を取つて言つたのは、もつと越えてから……。

 それを()いて()るのだ。

 それぢや矢張(やつぱ)り三十二年頃か四十二年頃、本当にはつきりしたのは四十二年頃です。

 よし/\。

 はつきりは四十二年、はつきりしないのは三十二年か。

 三十二年頃です。

 よし、では……。

 三十二年頃に私は行つた。

 四十二年は御嶽教(をんたけけう)へ行つて()つて帰つて行つた年で、それでさう思うて居ります。

裁判長 ちよつと五分間(ごふんかん)ばかり休憩(きうけい)(いた)します。



午後(ごご)二時二十分休憩(きうけい)