うろーおにうろー

裁判記録(4)

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裁判記録

○浅野和三郎との出会い。
○浅野正恭が勝手に、神諭の火之巻を出した。
○王仁三郎は神霊界にはあまりタッチしていなかったが、事件の際に全部罪を引き受けた。
○筆先は、教祖のオリジナルを減らして連結して作った。
○ご神体の筆先と、経典の筆先がある。
○外流と内流。
○裏の神諭について。
○教祖の神懸りの状態。

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。意味のまとまりごとに標題を付加した。

経歴 皇道大本と神霊界

 大正(たいしやう)五年の四月二十二日に、大本(おほもと)皇道(くわうだう)大本(おほもと)と改(しよう)して、同六年一月から機関(きくわん)神霊界(しんれいかい)を発行した。

 二月には皇道(くわうだう)大本(おほもと)教主となつて、ナカを教祖(けうそ)(また)開祖(かいそ)(しよう)することになつた。

 (これ)()の通りか。

 はい。

 ()神霊界(しんれいかい)()機関(きくわん)紙を発行するに至りたる事情(じじやう)、並に、()の目的はどう()ふ点にあつたのか。

 それはね、それ(まで)は、敷島新報(しきしましんぱう)ですが、それをやつて居りました。

 それから十二月(にぐわつ)に、(つま)り浅野さんの(おく)さんが私を(むか)へに来たのであります、浅野和三郎の──八木(やぎ)の海軍中佐の福島と()ふ者が横須賀の浅野さんの所で大本(おほもと)のことを話した。それで出て来た。私が居らぬので、家のおすみと話して帰つた。それから今度(こんど)(おく)さんが来て、浅野さんが「先生(せんせい)を呼んで来い」と()ふので私は初めて(おく)さんに連れられて行きました。

 さうして、十一月から十二月(まで)浅野の処に(とま)つて居つた。

 さうして、それからそこで大本(おほもと)のことを浅野はんが、日蓮宗の「人文」と()ふ雑誌に二回(にくわい)大本(おほもと)のことを()せた。さうして、(これ)大分(だいぶん)反響(はんきやう)があつたから、(これ)大本(おほもと)でも一つ雑誌を(こしら)へよう、()()ふことになつた。

 十二月に帰りまして準備(じゆんび)して置きまして、六年の一月から初号を発行した。

 ()の目的は。

 目的は前のと同じです、布教の目的です。

 布教と()ふと大本(おほもと)の宣伝か。

答さうです、布教も宣伝も同じです、宣伝は動作(どうさ)で、布教は(をしへ)で、ちよつと(ちが)うが同じやうなものです。


経歴 第一次事件時の大本の発展状況

 大本(おほもと)を宣伝して行つたと。

 それから、大正(たいしやう)十年、大正(たいしやう)十年の十二月に、被告人等に対して、不敬並に新聞(しんぶん)紙法違反に()つて、検挙があつた(ころ)(まで)()ける皇道(くわうだう)大本(おほもと)発展(はつてん)状況(じやうきやう)はどうだつたかな。

 神霊界(しんれいかい)を発行する。

 神霊界(しんれいかい)を発行(いた)しまして、さうして、約一年と()ふものは、経費も月の初めは五百円位出して居りました、終ひには七百円出しても、金は月に十円位しか入つて来なかつた。

 一年程すると、金を信者(しんじや)から送つて来るやうになりました、それから、雑誌が発行出来(でき)るやうになつた。()の時には、もう二千余り刷つて居りました。

 それから七年(ころ)には三千程になつた、雑誌が()えると共に、信者(しんじや)()えて来た。

 さうして、浅野さんが金竜殿(きんりようでん)()ふ所で、鎮魂(ちんこん)帰神(きしん)を受持つて居つた。私は金がなくて仕様(しやう)がないから、あつちやこつちやに金を借りに行き、そんなことばかりに年程して居た。

 神霊界(しんれいかい)の発行の状況(じやうきやう)()いたのだが、(なほ)(また)天の巻、火之巻(ひのまき)()の間に使つて居つたのぢやないか。

 それはね、私は編輯部の連中(れんちう)やら(みな)寄つてる所に、私も顔を出しましたけれども、神霊界(しんれいかい)()ふものは実際に、()の前に私が出したと()ひましたけれども、多勢の人が引つ()られた時に、「面倒(めんだう)(くさ)いから、(みな)私が引受(ひきう)けてしまつたらよい」と思つて、引受(ひきう)けてやりましたが、()の時分には浅野氏が出して居つた。帝大の学生なども連れて来てやつて居たし、編輯には吉田与一、神戸の桑原、さう()ふ人がやつて居た。

 さうして、火之巻(ひのまき)は知らぬ間に浅野正恭さんが出した。()の時に小牧斧助と()ふ陸軍の大佐が居ります。()の人が会長で、浅野正恭の顧問みたいになつて居つた、さうして、小牧さんがそれを持つて来ました。さうしたら、(これ)(めう)な歌がある、例へば……。

 内容は()いぢやないか。

 十年(じふねん)(まで)の間に。

 許可になつた、神霊界(しんれいかい)に出て居るものは、出しても()い、さう()事情(じじやう)でございました。

 八年(はちねん)の十一月に火之巻(ひのまき)を発行するやうになつたのだね。(これ)筆先(ふでさき)の……。

 さうです、(しか)火之巻(ひのまき)は発禁になつた。

 ()の時には発禁になつて居らなかつた。

 それで()()ふやうに宣伝をやり、信者(しんじや)も一万人位になり、(また)支部(しぶ)も百二十箇所位になつたのでせう。

 さうです、十年事件の起つた時に、百二十位であつたのが、帰つて見たら、百五十に()えて居りました。

 それを()ひましたけれども、高橋さんが()きませぬでした。た。

 それから建築などもやるやうになつたのぢやないか。

 え?

 建築物を……。

 ()く覚えて居りませぬが、初めはバラツク建の──。

 予審の六回に(おい)て述べて居りますね。教主殿を八年の九月に建て、(また)十一月に黄金閣(わうごんかく)を建て、それから九年の二月に弥勒(みろく)殿を建て、それから同年の旧八月に、至誠(しせい)殿を建て、それから八年の末(ころ)には、亀岡(かめをか)の城趾を買収し、瑞祥閣(ずゐしやうかく)を十年二月に建築して、(また)大正(たいしやう)日々(にちにち)新聞(しんぶん)を買収して、機関(きくわん)として居る、()うなつて居るが、さうですか。

 はい。


経歴 神霊界と筆先

 それから次は、()神霊界(しんれいかい)には、出口直事ナカの筆先(ふでさき)掲載(けいさい)して居つたのですね。

 それはね、沢山(たくさん)ありまして、もつとあつたのを、重ねて書いてあるのは、編輯部のものが先から先へと延ばして書いて居た。

 ()の時分には丁度(ちやうど)金借ばかりに歩いて居りましたから、滅多(めつた)に私は家に居りませぬからー自分で出しましたけれども、能く……。

 勿論(もちろん)()神霊界(しんれいかい)掲載(けいさい)せられたる、所謂(いはゆる)筆先(ふでさき)()ふものは、全然(まるで)出口ナカの書いたものを、それを出したのですね。

 さうです、後には私の書いたのもあるが、予審でも私が神(がか)りで()ふたことだと()ひましたら、(うそ)付けと(しか)られました。

 それは神(がか)りの状態(じやうたい)か、神(がか)りの状態(じやうたい)は後で()きます。

 教祖(けうそ)ナカの書いたものを、出して居つたのですね。

 それは()やすことはせずして、減して連絡をして行きました。下手(へた)に連絡したものもあり、非常(ひじやう)上手(じやうづ)にやつたのもある。筆先(ふでさき)を見ると、良く出来(でき)て居るのもある。

 ()のナカの書いた所の筆先(ふでさき)()ふものは、如何(いか)なる文字で書いてあるか。

 平仮名(ひらがな)です。

 ()筆先(ふでさき)は断片的のものであつて、意味が不明瞭(ふめいりやう)のやうなことはなかつたか。

 断片的であつて、意味の点は、(ただ)それだけを読んだら判らぬ。

 ずつと(みな)読んで見ますと、飛ばして行かぬやうに読みますと直ぐと判る。


 同じことを書いたのも沢山(たくさん)あります、二十枚綴、四十枚綴、六十枚綴、八十枚綴と()ふやうなのがあるのです。

()の時筆先(ふでさき)を示す)

 断片的なんです。

 さうか。

 それは御神体(ごしんたい)になつて居る、神様(かみさま)(まつ)つてある筆先(ふでさき)です。

 (しか)し、筆先(ふでさき)でせう。

 エ、(これ)は神体として(まつ)つて居つたものです。

 筆先(ふでさき)()()ふ書き()りだね。

 さうです、(みな)()の神さんの御神体(ごしんたい)にして居つたのです。

(また)別の筆先(ふでさき)を示す)

 (これ)もさうか。

 さうです。

 ()()ふやうに、断片的に書いて居つたのですね。

 同じ筆先(ふでさき)ですけれども、御神体(ごしんたい)は断片的で、教典の筆先(ふでさき)とは(ちが)ふ。

 教典としての筆先(ふでさき)とは(ちが)ふのですね、それは(ただ)一枚(いちまい)としてヵ。

 二十(にじふ)枚綴、四十(しじふ)枚綴、六十枚綴、と()ふものが続いて居つて、中の文句(もんく)が切れて居ると()ふのです。

()の時別の筆先(ふでさき)を示す)

 (これ)は──。

 それも御神体(ごしんたい)です。

 それでね、筆先(ふでさき)なるものは出口ナカが、被告人王仁三郎(おにさぶらう)他所(よそ)の人が()ふことをきいて、それを覚えて居つて書いたやうな事情(じじやう)はないですか。

 それは神憑りの基礎(きそ)(いた)しまして、間接外流(がゐりう)、直接外流(がゐりう)、直接内流(ないりう)、間接内流(ないりう)()ふものがある。

 或時(あるとき)に人に()いたのが先入主になつて居つて、それが一緒(いつしよ)くたに出ることがある、それは(つま)り間接外流(がゐりう)です。(つま)一旦(いつたん)消化(せうくわ)してしまつて、頭に入つてしまつて、消化(せうくわ)されて出て来て居る。それを間接外流(がゐりう)

 (また)直接外流(がゐりう)()方法(はうはふ)もあるのです。

 それで()の神(がか)りの道をするのにも、永沢先生(せんせい)本田(ほんだ)先生(せんせい)(おつ)しやるのには、「神書(しんしよ)始終(しじう)詳読して、神徳(しんとく)を覚えて置かなければならぬ、どうしてもさうでないと(えん)がないから、神様(かみさま)()いて来ないと」(おつ)しやる。


 総て(えん)がなければ、筆先(ふでさき)でも何も出て来ない。

 予審調書に、()()ふことが書いてあるがね。

 第四回の五問答(もんだふ)に(おい)ては、直が信者(しんじや)の話して居ることを、聞いて居つたことや、「私が話して居ることを()くと、直ぐそれを紙に書付けて筆先(ふでさき)にする(くせ)がある、それで」……。

 ……それは。

 ちよつと待て──「大正(たいしやう)二年(ころ)(まで)は、私の考へて居ることに都合(つがふ)の好い筆先(ふでさき)を書いて(もら)はうと思うたならば、執拗に()()ふことがあると()ふて、事実(じじつ)を話して、ヒントを(あた)へると、開祖(かいそ)()の私の話した一部分(いちぶぶん)を断片的に書くやうになつて居りました」、と()うあるね?

 それは異議ありませぬ、それは高橋さんが、さう()ふやうに書いたのです。

 予審もそれに(ちが)ひないかと(おつ)しやつたから、へい/\と()つて、争つても仕様(しやう)がないから、公判で()うたら()いと思つて居つたのですけれども、矢張(やつぱり)(これ)は間接外流(がゐりう)だと思ひます。

 本当の筆先(ふでさき)は、私の悪口ばかり()つてる。

 「上田(うへだ)やとか()(やつ)()()ふものだ、素盞鳴(すさのおを)尊の悪神(あくがみ)が付いて居る」とか、悪口を書いて居る。私が()ふたかと()つて、それを書くやうな人ぢやない、なか/\そんな恰好(かつかう)(ばあ)さんではありませぬ。

 直の筆先(ふでさき)として発表になつて居るものを見ますと、立派な文章体になつて居るやうだな。(これ)は断片的では()の意味が明瞭(めいれう)でないと()ふものを、王仁三郎(おにさぶらう)(おい)て、自分の考も加へて漢字(かんじ)交りの文章にしたやうなことはないのですか。

 私の考はありませぬ、私は(ただ)神様(かみさま)の書いて……。

 私の(たづ)ねたことが判りますか。

 私の心が入つて居るのぢやないかと、(おつ)しやりましたのやろ。

 ()の文章は漢字(かんじ)交りの立派なものになつて居るが、それには……。

 判りました。

 それはね、私に(れい)感があつて、神が直して()れたのです。神様(かみさま)の書いたことは、神様(かみさま)でなければいけない、(ばち)が当る。神(かか)りになつて、神様(かみさま)が直して()れる。直の手を通じ、口を借りて書いて居るが、判らない所は出口王仁三郎(おにさぶらう)の手を借る。

 だからナカの精神は、ちよつとも(ちが)うて居らへんのです、(つま)()へば、(するめ)鳥賊(いか)()うた位の(ちが)ひです。

 ()の点に関し、第四回の五問答の終りの方で、()()ふことが予審調書に書いてあるが、それはちよつと重要な点で、()れて置きたいと思ふが、筆先(ふでさき)文句(もんく)は断片的で、意味が不明瞭である、それで王仁三郎(おにさぶらう)自身(じしん)が自分の考を加へて、意味の判るやうな文章に書直して、漢字(かんじ)交りの文にして、意味の判るやうな文章にして、それを神諭(しんゆ)として、神霊界(しんれいかい)掲載(けいさい)して発行した。「神霊界(しんれいかい)掲載(けいさい)してある神諭(しんゆ)原稿(げんかう)は、私が書いたものであります。」

答ちよつと……。

 まあ()()きなさい。全部(ぜんぶ)()いてから──「(これ)(たと)へて()へば、開祖(かいそ)金米糖(こんぺいたう)の芯だけを(こしら)へて置き、()の芯に砂糖を付けて、火に()けて交ぜて、段々(だんだん)大きくして、立派な金米糖に仕上げたやうなものだと」()ふことを、書いてあるね。

 ()の事を()ふたのぢやない。

 (つま)教祖(けうそ)()ふ本があつて。……金米糖と()ふものは、角が沢山(たくさん)生へて居るけれども、決して(こは)いものではない。ねぶつて見ると(あま)いものである、味の美い物である、それだからして立派な教を、(これ)(こしら)へるやうにしたのです──と()ふことを()ふたのです。

 (この)所に書いて居ることは、自分の考が(くわわ)つて居るやうになつて居るが、自分の考も加つて居るやうに書いてあるが……。

 ……どう()ふことを。

 断片的で意味が判らぬから、自分の考を加へて判るやうに組立てたと()ふ……。

 そんな(めう)なことを()やはる訳がない。「あの(ばあ)さんが、そんなことを()ふものか」と、私は高橋さんに申しましたよ。

 学者(がくしや)智慧(ちゑ)者とは(ちが)ひます。学問(がくもん)智慧(ちゑ)は別だ。(かしこ)い人は多勢の人を使ふのに智慧(ちゑ)で使ふ、お直さんは無学者(がくしや)であつても、智慧(ちゑ)はあるのです。矢張(やつぱり)(かしこ)いことも()ひます。弥勒(みろく)()ふやうなことも神さんから()き、筆先(ふでさき)に書いた。


 それを(みな)私が、書いたやうにされてしまつた。それだから私は仕方(しかた)がないから、さうして置いたのです。仕様(しやう)がありまへぬもの。

 さうだとは()はんぞ。

 弁解を()かなければならぬから、()いて居るので、さうだと断定(だんてい)するのぢやない。

 へ、それは予審の……。

 さうだと()ふのぢやない。さう()ふ書方に居るから、弁解を()くのだ。

 はい。

 それからね、出口ナカの書いた、筆先(ふでさき)()ふものは、神示(しんじ)(また)神諭(しんゆ)であるのですか。

 神諭(しんゆ)であります。

 神様(かみさま)が直の手を借りて、口を借りて、さうして神様(かみさま)が……金米糖と()ふものはー一つ教祖(けうそ)()ふものがぽつんとあつて、其処(そこ)へ向けて色々(いろいろ)の教を集めて、金米糖になつたと()ふ位にです。

 さうすると矢張(やつぱり)神諭(しんゆ)か。

 神諭(しんゆ)()の他総てのものが……言霊学(げんれいがく)も入り、言霊学(げんれいがく)も一つのぼち/\です。一つの大本団体(おほもとだんたい)()ふものが──(あま)綺麗(きれい)な物が出来(でき)たと()ふことを、判るやうに金米糖と()つたのです。

 五回の四問答(もんだふ)に()()ふことを書いてあるのですがね、()いかい。

 「直自身(じしん)が神(がか)りにはなつて居るものとは思へぬ。自分は、直は神(がか)りになつて居らぬと思ふと()ふやうに思ふ」が──。

 へ、それは(たれ)()うたのですか。

 ちよつと待て、それで筆先(ふでさき)()ふものは、神示(しんじ)とか神諭(しんゆ)()ふことになつて居るが、さう()ふものはないのだ、と()ふやうに書いてあるが。

 それは向ふで勝手(かつて)に書いたのですがな。

 さう()ふことは知りまへぬ。勝手(かつて)に書かれましたので、仕方(しかた)がありませぬ。私は信じ切つて居ります。

 それから、出口ナカと()ふものの精神には、異常はなかつたのですか。

 私はなかつたと思ひます。

 ()る人は気(ちが)ひくと()ひますけれども、「世間(せけん)人達(ひとたち)がそれは(ちが)うて居るのだ、一種(いつしゆ)体主霊従(たいしゆれいじゆう)の「()れよし」の人とは(ちが)ふ。人を助けたいと()ふ気(ちが)ひである。」()()ふことを始終(しじう)(ばあ)さんが言うて居りました。

 「私は気(ちが)ひやと()ふけれども、それは一般(いつぱん)人達(ひとたち)(ちが)うて居るのや。儂から()へば、世間(せけん)一般(いつぱん)の人は気(ちが)ひや」と()ふやうに()つて居りました。

 (ばあ)さんは別に精神異状(いじやう)()ふやうなことは、なかつたやうに思ひます。

 普通(ふつう)の人とは変つたやうなことはなかつたか。

 それは変つて居りますとも──。

 どう()ふやうに。

 すべて変つて居ります。行ひから一切(いつさい)の事が変つて居ります。

 (つま)()うたら、()べる物でも普通(ふつう)のものは()はず、赤葉とか、(くさ)つたものでも勿体(もつたい)ない勿体(もつたい)ないと()つて()べた。

 それから、一切(いつさい)魚物は食ひませぬ、私も魚物は(きら)ひです。 それから、肉食(にくしよく)(きら)ひです。(また)正直なこと、(かた)いことは()の上ない人でした。それで、(また)(おこ)つたら()の代り(こは)い人です。(おに)みたいになつてしまひます、(また)優しいときはねぶり付きたい程可愛(かあい)い顔をする。


経歴 裏の神諭

 さう()ふ点が変つて居つたと()ふのだね。

 よし、()の次に(たづ)ねます、裏神諭(うらのしんゆ)(しよう)して、神霊界(しんれいかい)掲載(けいさい)して居つたものは、被告人の書いたものか。

 裏神諭(うらのしんゆ)()ふのは、私が神(がか)りで(みな)書いたのです。

 王仁三郎(おにさぶらう)が書いたものでせう、裏神諭(うらのしんゆ)は──。

 裏神諭(うらのしんゆ)、それはさうです、私が書いたのです。私に直接に(かか)つたものを裏神諭(うらのしんゆ)()ふのです。(みな)がそれを裏神諭(うらのしんゆ)裏神諭(うらのしんゆ)()ふことを、()ひ出した。

 教主ナカの存命中は裏神諭(うらのしんゆ)として、神霊界(しんれいかい)掲載(けいさい)して居つたし、(また)直が死亡後に(おい)ては、単に神諭(しんゆ)として、神霊界(しんれいかい)掲載(けいさい)したものであつて、裏神諭(うらのしんゆ)(しよう)して単行本になつて居るのと、それから、王仁(おに)文庫の第六(だいろく)多満(たま)(いしづゑ)、それから、同じく第九篇(みち)大本(おほもと)、それから、(たま)(はしら)第一篇、道能栞(みちのしほり)とか等に掲載(けいさい)したのか。

 はあ、さう()ふのは──教祖(けうそ)筆先(ふでさき)と、私の裏神諭(うらのしんゆ)(ちが)ひます、文章から()ふても、中味から()うても(ちが)ひます。読んでも判ります。(ちが)ひまつしやろ。

 裏神諭(うらのしんゆ)()ふのは、神諭(しんゆ)ですか。

 私は知つとつても、そんな勿体(もつたい)ないことを書きまへぬ、知つて()つても書きまへぬ。霊界物語(れいかいものがたり)でも神(かか)りで書いて居る。

 頭が大分(だいぶん)おかしいやうだが、どうか五分間休まして(いただ)きたい……。

裁判長 五分ぢやなく、休憩しませう。

 さうすると、()の点に付て、ちよつと。(これ)で終りにするから。

 神諭(しんゆ)()ふ……裏神諭(うらのしんゆ)神諭(しんゆ)ぢやないと()ふことを、第五回の六問答(もんだふ)
で、予審調書で……。

 私が神諭(しんゆ)ぢやないと()はなければ仕様(しやう)がない。

 ナカとか、被告人は神(がか)状態(じやうたい)になるのですか。

 なるのです。二人(ふたり)共なるのです。

 ナカの方はどう()ふやうになる。

 ナカの方は()うして、(と手真似(まね)をしながら)まるで百二百になつたやうな、お(ぢい)さんのやうな声になつて()つしやるのです。

 ()の時筆先(ふでさき)を書くのか。

 ()の時には書きまへぬ。何時(いつ)書くか判らぬ。昼書いたり、夜書いたり、(れい)のかかつた時に書く。(また)(れい)のかかるのが口と手とでは(ちが)ふ。

 王仁三郎(おにさぶらう)はどうです。

 私は、始まりは(うれ)しいが、落着(おちつ)かぬ。

 穴太(あなを)に居つた時分には、ちよつと人から見たら、気(ちが)ひぢやないかと、随分(ずゐぶん)()はれました。自分でも気(ちが)ひぢやないかと思ふ程、ぢつとして()つても飛び上り、声が(のど)から(もよほ)す。

 それで永沢先生の所に行き、鎮魂(ちんこん)をして(もら)うた。

 私の体には、小松林命の精霊(せいれい)何時(いつ)も入つて居ります。()精霊(せいれい)を通さぬことには、間接内流(ないりう)も、直接内流(ないりう)出来(でき)ない。()精霊(せいれい)を通して見ると、霊界(れいかい)消息(せうそく)も、(いく)分か判るのであります。

 能く判りました。それで()の予審の第九回の方の所に、(これ)に反する記載があるやうだが。

 自分は三十一年(ごろ)は……。

 ちよつと待て、此所(ここ)に書いてあることを()いて居るのですよ。

 書いてあることは、「他所(よそ)の人から(たの)まれて、(すわ)つて拝む。さうして、体が(ふる)へ出して来る。さうして死人(しにん)(にほひ)がするやうな気がすると、病気が(なほ)るか、(なほ)らぬかと()ふことが判る。それはそれで、それから神(がかり)状態(じやうたい)に付ては、人間に神が(かか)つたと()ふて、色々(いろいろ)なことを(しやべ)りますけれども、()(しやべ)ること等は、()の人が是迄(これまで)にきいて()つたことを自由に(しやべ)るので、()の人の智識(ちしき)以上(いじやう)には言へぬものである。神(がか)りと()ふことは、結局(けつきよく)()の神(がか)りになつたと思ふ人の人格作用(さよう)で、さうなつたに過ぎないと思ひます。私の考では、神の(れい)が人間に(かか)ると()ふことはないと思つて居る。」

 さう供述して居りますが、(これ)はどうだ。

 それは(みな)予審判事さんが、「さうぢやらう、さうぢやらうと()つて、()書きになつたのです。」

 私はそんなことを()ひさうなことはない。

 さうだらうね。

 ええ、第一(だいいち)に和気清麻呂の神勅(しんちよく)でさへ、疑ふやうな人ですから……。

 それから、裏神諭(うらのしんゆ)()ふのは(これ)だね。

()の時裏神諭(うらのしんゆ)を示す)

 さうです。

裁判長 それでは全部(ぜんぶ)起つて──。

(総員起立(きりつ)

午前は(これ)だけにして置きます、午後(ごご)一時(いちじ)から続行(いた)します。

午前十一時(いちじ)五十七分休憩