うろーおにうろー

裁判記録(25)

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裁判記録

○憑霊
○下位
○悪の頭
○国体と政体
○霊代
○外流と内流
○大本祝詞

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。

争点 憑霊

 よし、それから今井弁護人から註文のあつた霊に関することは余り調べて()りませぬので、()の点に関しては、今被告人から段々(だんだん)()いたのですが、大審院に(おい)ても、()の前の事件に(おい)ては大審院でもお判りにならぬで、鑑定(かんてい)を二回程さして()るやうですね。

 鎮魂帰神(ちんこんきしん)の関係やら、色々(いろいろ)(これ)に出て来ますが、一つ御覧(ごらん)下さい。

 実は私等(わたくしら)も霊のことは余り……鎮魂帰神(ちんこんきしん)のことも余り判らぬ、大体(だいたい)のことなら──。

出口 今村博士(はかせ)は精神家〔科の誤り〕の何で、神懸(かむがか)りのことは判らぬ人で、私は嫌です。

 杉田直樹と云ふ人が調べて()れました。

裁判長 (これ)は今村博士(はかせ)鑑定(かんてい)書です。杉田博士(はかせ)も能く書いて()ります。

 神書(しんしよ)とか何とかに出て()りますが、それを医学(いがく)方面(はうめん)から全部(ぜんぶ)信用(しんよう)しないが御覧(ごらん)になつては──。

今井弁護人 有難(ありがた)うございます。

足立弁護人 何号ですか。

裁判長 四千九百九十五号の十一号、十三号となつて()ります。

今井弁護人 松なんとか云ふ人が鑑定(かんてい)して()ります。

 「神が(かか)ると云ふことは(たし)かにあります、()の他のことは知らぬ」と云ふやうなことが書いてあります。

裁判長 探して見ませう。

今井弁護人 鳥の鳴声(なきごゑ)を知ると云ふ名高(なだか)い人です、浅野和三郎に付ての検事の聴取がありますが、参考にしてお調べを願ひたいと思ひます。

出口 ()の浅野の調べられたのは聞かせて(いただ)きました。

裁判長 弁護人の方から註文があつたから。

 私に下(とう)の霊が(かか)つて()る、と馬鹿(ばか)にして()ります。下(とう)動物霊(どうぶつれい)が懸つて()ると……。

 専門的のことは……王仁三郎(おにさぶらう)のことは千五百六十一丁以下(いか)(くは)しく出て()ります。之も御覧(ごらん)なすつて下さい。

出口 私は済んだのですか。


争点 下位

裁判長 裁判所(さいばんしよ)()かうとする所は(これ)大体(だいたい)……一番(しま)ひに(また)検事に対する意見も()かなければなりませぬから、一応裁判所(さいばんしよ)としては(これ)くらいに止めようと思ひますが、補充訊問(じんもん)()の際なさいますか。

清瀬弁護人 休の時に此処(ここ)協議(けふぎ)をして見たのですが、補充訊問(じんもん)として。

裁判長 (出口に向ひながら)腰を()けて()つて(よろ)しい。

清瀬弁護人 四、五大きいのがありますけれども、被告も大変(たいへん)疲労(ひらう)(いた)して()るやうでありますし、(また)関聯(かんれん)して他の被告の陳述を()いてから後が便宜(べんぎ)のことがありませうから、それは他日に(いた)したい。

 (ただ)()の席が遠くして聞へなかつたこともありますし、(また)見受(みう)けする所、裁判長は記録(きろく)のお出し()(とう)に意をお取りになつて被告の言つたことが耳に入つたかどうか知らぬと思ふやうな点がありますから、簡単なことばかり一、二だけ、それは補充訊問(じんもん)ぢやなく釈明訊問(じんもん)と云ふやうな……。

裁判長 どつちでも(よろ)しうございます。

清瀬弁護人 それで今日(きやう)は終りたいと云ふ皆の意見であります。

 (よろ)しうございますか。

裁判長 (よろ)しうございます。

清瀬弁護人 私から逆になりますけれども、今の統管(とうかん)旗の説明(せつめい)をした時分(じぶん)に、「下位が構はぬ/\と言つて伊太利でも、やつて来た」と云ふことをちよつと言つたやうに思ひましたが。

裁判長 言つて()りましたね、無論(むろん)さう()いて()ります。

清瀬弁護人 下位が伊太利で誰がやつたと云ふのでありませうか、下位自身(じしん)がやつたのか、誰か他の人がやつたのか。

出口 ムツソリーニがやつて()つたですわ。自分()一緒(いつしよ)にやつて()つたと云ふのです。

清瀬弁護人 ()の方だから構はないと云ふ意味ですね、それだけのことですね。書類をお()りになつて()りましたから……。

裁判長 ……。

清瀬弁護人 それから。

出口 「総て向ふは()うするのや、あゝするのや」と指図(さしず)したのです。


争点 悪の頭

清瀬弁護人 もう少し前に遡つて、今の「悪の頭」と云ふ御訊問(じんもん)に、高木と言ひましたか私も聞へなかつたのでありますが、「高木が『悪の頭』に見せるのぢやと言うて見せました」と云ふ真似(まね)を、ちよつと其処(そこ)でして()られたやうですが、あのことをもう一遍──。

裁判長 確めて置きませうか。

出口 ()の時は「悪の頭」に書いて見せてやらうと云ふので弥仙山の上へ持つて行きましたのは、後の出口慶太郎、四尾、山の上へは中村竹造。

 中村竹造は何の方へ元伊勢(もといせ)へも持つて行きました。さうして、戻り(がけ)気狂(きちがひ)になつてしまつた。二日月が出た。六日月は聞いたことはあるが、二日月は聞いたことがない。それから気狂になつて糞を(くら)ふやうになつて死んでしまうた。

 (また)、慶太郎(たらう)はそれから後睾丸(きんたま)()れて、それが因で病気になつて死んでしまつた。

 矢張(やつぱ)り、「神さんの言ふ通り度胸がなければいかぬ。命掛や」と言つて置つた位であります。さう云ふたことはあつたのであります。

裁判長 あつたからどうだつたと言ふのだ。

 それで矢張(やつぱ)悪霊(あくがみ)()んなことをやつた。

 悪霊(あくがみ)改心(かいしん)せいと云ふことの(ため)に見せに行つた山へ……。

裁判長 悪霊(あくがみ)を。

清瀬弁護人 悪霊(あくがみ)にでせう。

出口 悪霊(あくがみ)に見せたのです、悪霊(あくがみ)に見せるやうに持つて行つた、戻りに矢張(やつぱ)り気狂になつたり、病気になつた。

清瀬弁護人 筆先(ふでさき)ですか。

出口 筆先(ふでさき)です。教祖(けうそ)が書いたのを皆持つて行つたのです。

 それは、誰も(こわ)がつてよう行かなかつたのです。

清瀬弁護人 此処(ここ)の「今の番頭(ばんとう)のふなく腰ではとてもこはがつて、こんなものを見せてやるだけの度胸はありは(いた)すまい」と云ふのが、それの所ですね。

出口 大本(おほもと)番頭(ばんとう)なんです。

裁判長 それから……そのことは判りました。

清瀬弁護人 そのことと合して「悪に見せる」と云ふことが意味が通ずるのであります。

清瀬弁護人 それから。

出口 於与岐の弥仙山にも吉崎仙人(せんにん)と云ふのが()りまして、それも矢張(やつぱ)り枝に()けまして、「天に見せて天魔に知らして改心(かいしん)さす」と言つて書いて()りました、それと同じことをやつたのです。


争点 国体と政体

清瀬弁護人 昨日(きのふ)のことに(さかのぼ)りまするが、「大本(おほもと)教義(けうぎ)国体(こくたい)変更(へんかう)はさら/\考へては()らぬ。政体(せいたい)のことに付ては変へなければならぬ」と言つたやうな話が交換(かうくわん)されたが、()言葉(ことば)は判つたのだけれども、裁判長並に私共は法律の意味で使用する言葉(ことば)諒解(りやうかい)しますが、(しか)し法律家の間には決つた意味でありますが、被告の言ふ後先を()くと、出口被告は国体(こくたい)は成る程天立(てんりつ)君主(くんしゆ)立憲国だと言つて、誠に其処(そこ)国体(こくたい)の意味ははつきり(かつ)(また)法律家と同じに使ひましたが、政体(せいたい)と云ふ意味が我々(われわれ)の使ふ意味と違ふのぢやないか。

 政治のやり方は風俗(ふうぞく)とか、(あるひ)腐敗(ふはい)とか言つたやうな風に言ふべき所を、政体(せいたい)と言つて()られるやうにも聞いたのであります。

 昨日(きのふ)言はれた政体(せいたい)と云ふことをもう一度言ひ直して(もら)ひたい。

裁判長 政休と云ふことは、どう云ふことですか、腰()けて()つて宜

しい。

出口 近衛内閣以前のやり方と……

 近衛内閣になつてから総動員になり、(また)色々(いろいろ)やり方をお変へになりまして、(これ)政体(せいたい)が変つたのやと思ふのであります。

 近衛内閣になつてから、戦争(せんさう)にぶつかると変つて参りました。やり方がすつくり変つて参りました。それで経済(けいざい)の統制やとか何とかあゝ()ふことを、私は一つの政体(せいたい)が変つて()るのやと思つて()ります。

 自由経済(けいざい)が統制経済(けいざい)になつたのは、今迄(いままで)自由経済(けいざい)だつたけれども、それは今度(こんど)国民(こくみん)精神総動員になつて一つになると()ふことになつた。

 ()()ふことになつたことを政体(せいたい)が変つたのやと思ふのであります。

裁判長 法律上の……。


争点 霊代

清瀬弁護人 我々(われわれ)は先入主がありますから、()のことを調書に……速記がありますけれども、それからですね、霊界(れいかい)のことも経験がないから理解(りかい)しないかと思ひますが、霊代のことです、霊代(たましろ)です。

 ()る場所には、「小松林(こまつばやし)命は腹に始終(しじう)()る」と()ふことを言つて()られました。

 さうすると、出口さんは生涯(しやうがい)を通じて小松林(こまつばやし)命の霊代であられるやうです。

 それを()くと、何時(いつ)其処(そこ)から見れば小松林(こまつばやし)命が宿つて()られる。

 (しか)し、素盞鳴(すさのおを)尊のことを(うけたま)はると内流(ないりう)された其時(そのとき)だけが霊代のことのやうにも見える。

 尊い神さんと()ふのは、(あるひ)は一時的にお宿りになつた時だけ、小松林(こまつばやし)命なんどは継続(けいぞく)的の霊代と()ふことでありませうか。其処(そこ)を一つ──。

裁判長 ()いて見ませうかね、どうぢや王仁三郎(おにさぶらう)

 小松林(こまつばやし)命は私が鎮魂(ちんこん)修業(しうげふ)した結果(けつくわ)、体中に収つて()るのです。

 さうして、始終(しじう)、それが耳に()はられたりして、()の霊を通じて素盞鳴(すさのおを)(あるひ)国常立尊(くにとこたちのみこと)がそつと私に物をお教へになつたり、お告げになつたり、(あるひ)精霊(せいれい)の目を通し、耳を通して……

 我々(われわれ)はそれを霊代と言うて()るのです。

裁判長 今、弁護人の言ふことと違ふぞ。素盞鳴(すさのおを)尊の(ごと)きえらい方は通常()いて()られないのか。

 始終(しじう)()られませぬ。

 小松林(こまつばやし)命が媒介(ばいかい)天人(てんにん)になつてお願ひするから、精霊(せいれい)を通して素盞鳴(すさのおを)尊がお降りになると()ふのです。それは間接になります。

 小松林(こまつばやし)命と言へば直接内流(ないりう)、私は間接内流(ないりう)()神様(かみさま)から来るのを──外から来たのは外流(がゐりう)です。


裁判長 霊代と()ふのは、さう()ふ関係の霊代か。

清瀬弁護人 それが、矢張(やつぱ)り、本件に大変(たいへん)関係する。

出口 霊代のことを能く判るやうにするのには、セーデン・ボルグの「天上(てんじやう)地獄(ぢごく)」を読んで(もら)つたら書いてあると思ひます。

清瀬弁護人 関係しますのは、ちよつと予審決定(けつてい)だけを見ると一方的には、永続(ゑいぞく)的に教祖(けうそ)乃至(ないし)王仁三郎(おにさぶらう)天之御中主(あめのみなかぬし)で、王仁三郎(おにさぶらう)素盞鳴(すさのおを)尊であつて、稍々(やや)(これ)相反(あひはん)するやうな意味になる。

 ()素盞鳴(すさのおを)尊の神徳(しんとく)で世界が統一(とういつ)される、と()ふことになるから、大分(だいぶん)誤解(ごかい)を生じて来る。

 霊代と言つても、小松林(こまつばやし)命の精霊(せいれい)()つて移つて来られる間だけが霊代ですね。

出口 さうです。

清瀬弁護人 大変(たいへん)重要なことですから。

裁判長 ()の次は──。


争点 外流と内流

清瀬弁護人 それから被告が勾留されて()りますから、弁護人でありながらちよつと面接の(いとま)がありませぬので神憑(かむがかり)の……筆先(ふでさき)()ふものは、(これ)原則(げんそく)として移られた霊の意思(いし)を手で伝へるものだ、が(しか)し、平生の人間としての体験(たいけん)から自分の知つて()ることが先行する。私の意思(いし)も交つて()ると()ふことを言つたが。

裁判長 言つて()ります。

清瀬弁護人 (ところ)がね、もう一遍(これ)をお()きを願ひたいのであります。それはどう()ふ意味だか。

裁判長 どう()ふ意味です。

出口 それは神が(かか)つて来るのに付ては、自感、他感、神感と()ふ銘々に深い浅いがありまして、自感は自ら感ずる、他感は他から感ずる、神感は直接内流(ないりう)です、他感は直接外流(がゐりう)です。

 それから、さう()具合(ぐあひ)に神の移る場合(ばあひ)が違つて()ります。

 今なんですか、ひよつと忘れて……。

清瀬弁護人 それで、自分の意思(いし)も交つて()ると()ふのですか。

 それは意思(いし)と云ふ意味ではありませぬけれども、意思(いし)と云ふものではないけれども、(つま)外流(がゐりう)と云ふ方は、今迄(いままで)総てにあるから、自分の頭に何時(いつ)と云ふことなしに入つて来て()るのが、それが時に()ると、言うたら潜在意識(いしき)とか、今日(こんにち)学者(がくしや)が言ふやうに、其処(そこ)に入つて()る。

 それが入つて()(やつ)は、何時(いつ)とはなしに神憑(かむがか)り時に一つ緒くたに混つて()る、と云ふやうな私は意味やと思ふのです。


清瀬弁護人 さうすると混つて出るのは混ぜようと欲して混ぜるのでなく、自ら体にあるものだから混ざると云ふ意味ですな。

 さうです、混るのは、所謂(いはゆる)良い酒は飲んでも後に何も残らぬ、沢之鶴と云ふやうな酒は所謂(いはゆる)二日酔などをして仕様(しやう)がない。

 それと同じやうに、良い事はずつと頭へ入つてしまつて覚えて()ない。悪い事は入らないので後で頭に残つて()る。それで覚えて()る。

 (しか)し、何時(いつ)になつても(めう)なことを覚えて()るのは、それは悪いことが残つて()るので、良い事は霊魂(みたま)餌食(ゑさ)になつてしまうて()る。

 良い事は()(まま)入つてしまつて忘れてしまふ。(しか)し、矢張(やつぱ)り中に入つて()るのだから神さんの喋つたことを聞いたりなんかして見ると、何時(いつ)やら、何時(いつ)か自分も聞いたことがある、想ひ起すと云ふさう云ふ意味なんでございます。

裁判長 自然に出て来ると云ふのですな、(つま)り。

出口 意思(いし)を以てやるのぢやありませぬから。

裁判長 それも現れると云ふのだね、何時(いつ)と云ふことなしに……。

清瀬弁護人 さうだらうと聞きましたが、意思(いし)と云ふ言葉(ことば)邪魔(じやま)になつて……。

出口 用語(ようご)が余りはつきりせぬものですから──。

裁判長 判つた/\。


争点 大本祝詞

清瀬弁護人 難しいことぢやないのですが、昨日(きのふ)……一昨日の終りか、大本教(おほもとけう)の一番根本(こんぽん)要諦(えうたい)と云ふお問に対して、教義(けうぎ)祝詞(のりと)等と言つて祝詞(のりと)の一節を誦んじて説明(せつめい)して()りましたが、あの祝詞(のりと)全文(ぜんぶん)詳細(しやうさひ)に註釈を付けてお手許(てもと)に……

 私も受取(うけと)りましたが、此処(ここ)()きたいのは、あれは何時(いつ)出来(でき)たかと云ふことなんです。

 ちよつとそれも言ひましたけれども、(これ)は私がどうかしてよう()き取れませぬでした。

出口 善言美詞(ぜんげんびし)でせう、(これ)に載つて()るでせう。

清瀬弁護人 昨日(きのふ)あなたが言つて(をつ)たのを移さしたのですから──。

出口 (これ)善言美詞(ぜんげんびし)の中の一節です。

裁判長 それは何時(いつ)出来(でき)た。

 それは私が皇典(くわうてん)講究所(かうきうしよ)へ行きまして、さうして明治(めいじ)四十年、それ(まで)祝詞(のりと)を上げて()りました……大祓(おほはらひ)祝詞(のりと)(みそぎ)祝詞(のりと)──皇典(くわうてん)講究所(かうきうしよ)ですつかり神道(しんだう)を教へて(もら)ひまして、古事記(こじき)やとか万葉集(まんゑふしふ)とか色々(いろいろ)の古典を集めまして学校で卒業論文(ろんぶん)の代りにそれを出した、非常(ひじやう)に能く出来(でき)()ると言つて()められました。

裁判長 さうですか。

 今迄(いままで)誰も判つて()なかつたのを、古典ばかり集めて大本(おほもと)の精神を()んだのであります。

 四十一年か。

 四十年です、私が学校を卒業したのは四十年です。

清瀬弁護人 さうして。

裁判長 四十年。

 四十年に出来(でき)て印刷するやうになつたのは四十三、四年頃です。

 それ(まで)信者(しんじや)も少ないから、写して読んで()つたのです。

清瀬弁護人 さうですか、神前(しんぜん)朝夕(あさゆふ)奏するやうになつたのは、何時(いつ)からですか。

 それは毎日(まいにち)、四十年から毎日(まいにち)です、信者(しんじや)の少ない時から──。

清瀬弁護人 独り大本(おほもと)の本部別院(べつゐん)(とう)の所で奏上(そうじやう)して()るのみならず、信者(しんじや)朝夕(あさゆふ)(これ)奏上(そうじやう)するのですね。

出口 はい、さうです。(これ)()つて出雲(いづも)に行つた時に、()祝詞(のりと)を上げて──()祝詞(のりと)を見て国学者の湯川貫一さんは、それを見て、(これ)でなければ日本の国はいかぬと云ふので信者(しんじや)にお(はい)りになつたと云ふことを聞いて()りました。

 それは(うそ)本真(ほんま)か、知りまへぬが、そそなことを言つて()る人がありました。

清瀬弁護人 私が承りたいのはそれだけです。

裁判長 それでは(また)補充訊問(じんもん)もありませうが、今日(きやう)王仁三郎(おにさぶらう)に付ては(これ)だけにして置きます。

 五分間ばかり休んで伊佐男を三十分ばかりやりませうか。

清瀬弁護人 どうでせうか、()程度(ていど)で五分間休憩すれば三、四十分しか時間がありませぬが。

裁判長 経歴ぐらいちよつと()いて置きませうか、ぢや五分間ばかり休憩(きうけい)(いた)します。

午後(ごご)三時十五分休憩

(大本教団所蔵)