アインシュタイン

1.アインシュタイン知っていますか

2.アインシュタインの生涯

3.霊界物語25巻のアインシュタイン

4.第10巻総説歌

5.量子力学との類似性

6.狭依彦の考え


1.アインシュタイン知っていますか

アインシュタイン知っていますか。知ってますよね。相対性原理を唱えた人。好きですか?たぶん、嫌いじゃないでしょう。あの姿、なぜか親しみが持てるんですよね。相対性原理分りますか。私は、全く理解できません。

ところで、アインシュタインがアメリカに亡命して当時の大統領に、「原爆の製造を急げ」という内容の手紙を書いたこと知ってますか。後から、日本に原爆が落とされて、心を痛め、平和運動に余生を捧げたのですが。

じゃ、あなたは、一人の日本人として、原爆につながる理論を唱え、原爆の製造を勧告した、天才科学者を許せますか。私は、ずっと、「天才科学者である以上、自分の説がどのように使われるか見通し、それが危険なものになりそうだったら、どんなすばらしい説でも発表するべきではなかった」と思っていたのですが。

それでは、アインシュタインと出口王仁三郎の旅へ出かけましょう。

アインシュタインに対する一般的な理解としては次のようなものでしょう

54歳の時ヒトラ-(ヒトラ-はユダヤ人が大嫌いだったため意味もなく殺したりした)がドイツの首相となる。
ユダヤ系ドイツ人であったアインシュタインは、アメリカ合衆国に逃げ大学教授となる。
アインシュタインはある日ヒトラ-が第二次世界大戦を始め、原子爆弾を作っていることを耳にする。
「ヒトラ-に原爆を作らせてはは世界が滅びてしまう」と考えたアインシュタインは、ルーズベルト米大統領にヒトラーより先に原子爆弾をつくることを観める。(マンハッタン計画)
1945年7月16日最初の原爆実験成功。
しかし、成功する2カ月前にドイツは降伏、ル-ズベルト大統領も亡くなってた。
次の大統領トル-マンは、たった二発しかない原爆を日本に落そうとした。
アインシュタインは反対したが原爆は広島と長崎に落とされた。
自分の責任だと悲しんだアインシュタインは、原水爆戦争をなくし、平和を守るために一生をつくした。(平和主義者)
79歳でこの世を去る。
1921年ノ-ベル物理学賞受賞。 

日本人がアインシュタインへの手紙を書いた

 戦後、ようやく、原爆の被害写真が公表された頃、アインシュタインに、手紙を書いた日本人がいた。
 アインシュタインから、返ってきた書簡は、いま、東京の地下金庫に保存されている。
 なぜ、平和主義者のアインシュタインが、原爆の開発を進めるルーズベルトの手紙に、署名したのか
---アインシュタインの平和思想の根本を鋭く問いただしたのは、雑誌『改造』編集者の篠原正瑛(しのはらせいえい)だった。
  篠原の手紙「その第一の目的が、人類の福祉と幸福に奉仕すべき科学が、なぜにあのように恐ろしい結果を、もたらすようになったのか。偉大な科学者として、原爆製造に重要な役割を演じられたあなたは、日本国民の精神的苦痛を救う資格がある」 
 アインシュタインは、礼儀に反して、あえて、篠原の手紙の裏に返事を書いて、送り返してきた。
 そして追伸には、「人を批判するときは、よく相手のことを調べてからにすべきだ」と、怒りをあらわにしていた。
 アインシュタインの返信には次のようにある。「原爆が、人類にとって恐るべき結果をもたらすことを、私は知っていました。しかし、ドイツでも、原爆開発に成功するかも知れないという可能性が、私にサインさせたのです。」
 そして、アインシュタインは、戦争が許される条件を示した。「私に敵があって、その無条件の目的が、私と私の家族を殺すことである場合です。」

私には、原爆を落とされた日本人が、この考え方を理解し許していて、アインシュタインを憎んでいないか不思議です。こうも言っています

○アインシュタイン(サンデーエクスプレス紙 46.8.18)
 (2つの原爆投下は)ソ連の参戦以前に太平洋戦争を何としても終結させたいという願望・・・もしフランクリン・ローズヴェルト大統領がまだ生きていたら、そのうちのいずれもありえなかっただろうと私は確信している。ローズヴェルトであればこのような行為を禁じたであろう。(『核時代に生きる』)

この理由でゆけば、日本もアメリカから原爆を落とされるなら、原爆作ってもよかったというとになるのですが。

私のベージで原爆についてはここでとりあげています。 


インターネットで検索したアインシュタインのサイトをあげておきます

アインシュタイン参考サイト(量子力学他)

アインシュタイン参考サイト(ルーズベルトへの手紙)


アインシュタインと出口王仁三郎検索結果

(1) どちらも76年生きている

76年1ヶ月と4日の生涯 
アルバート・アインシュタイン Albert Einstein (1879.03.14~1955.04.18) 胆嚢炎---魚座

76年6ヶ月と7日の生涯
出口王仁三郎 Onisaburou Deguchi (1871.07.12~1948.01.19) 脳溢血---蟹座

これは面白い偶然、というよりも、王仁三郎にとって数字はマジックのようにつきまとっています。

(2) 「天下の無法松より一言」より

JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル (m00000256)より転載

グリーンで色付けした部分はアインシュタインの予言として知られています。

 以上のような例えは実は無法松独自のものでは無く、既にある方によって例えられております。その方とは大本教の教主であった出口王仁三郎で、「世界の雛型と呼ばれている日本が変わることにより、世界をも変える事が出来るのである。」と語っております。

 又、昭和19年の秋頃より、「広島はひどいめにあう」と語り、信徒の疎開を指示しております。

 この出口王仁三郎は弟子達に、生長の家の創設者である「谷口雅春」や心霊学者の浅野和三郎等がおり、日本の宗教界に大きな影響を与えた人です。

 では最後にニッポンの明治時代のクリスチャンこと内村鑑三と、アメリカ合衆国の市民権を得たアルバート・アインシュタインの言葉で終わりますが、又、皆様からのこの無法松のメールマガジンへの反論をお待ち申しております。

 「自分は日本の為に、日本は世界の為に、世界はキリストの為に、凡ては神の為に」・・・・内村鑑三

 「近代日本の発展ほど世界を驚かしたものはない。その驚異的発展には他の国と違った何者かがなくてはならない。果たせるかな、この国の歴史がそれである。この長い歴史を通じて、一系の天皇を戴いてきた、という比類ない国体を有することが、それこそ今日の日本をあらしめたのである。私はいつもこの広い世界のどこかに、一   カ所くらいはこのようように尊い国がなくてはならないと考えていた。なぜならば世界は進むだけ進んで、その間、幾度も戦争を繰り返したが、最後には、闘争に疲れる時が来るであろう。この時人類は、必ず真の平和を求めて、世界の盟主を挙げねばならぬ時が来るに違いない。その盟主こそは、武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古く、かつ尊い家柄でなくてはならない。世界の文化は、アジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国をつくっておいてくれたことを。」・・・・アルバート・アインシュタイン

(3) 上記の文章のグリーンの部分は日之元研究のホームページにも掲載されています。


2.アインシュタインの生涯

1879年 3月1日 生まれた 
1900年 8月 チューリッヒ連邦工科大学
1902年 6月16日 特許局の3級技術専門職に就く(スイス 公務員) 
1903年 1月 アインシュタインは、ミレーバと結婚。 
1905年 特殊相対(性理)論発表 
1907年 12月 アインシュタインの学究としての人生のスタート 
1912年 チューリッヒ連邦工科大学の教授となった 
1912年 「空間」は曲がっていることを発見する 
1913年 重力に関する新しい理論の基礎を発表した 
1916年 一般相対性理論を提唱 

1919年 日食観測によって一般相対性理論を実証する .
           11月10日 『ニューヨーク・タイムズ』紙の見出し、「天国の光がすべてゆがむ」「アインシュタインの理論勝利」。新聞のこのような書き方から、アインシュタインは一般大衆から世界的人物として認知されることとなる。

1920年 ボーアとベルリンにて初めて会う。 
1920年 ベルリンで一般相対性理論に反対する大衆集会。
1922年 統一場理論に関する初めての論文を完成。
1922年 ノーベル賞を受賞。光電効果の法則と理論物理学の領域における仕事に対して。
1922年 11月日本訪問
1927年 第5回ソルベイ会議。E.とボーアとの間で量子力学の基礎についての論争が始まる。

1929年 6月28日 プランクが最初の、E.が2番目のプランク・メダルを受賞。E.は、自分が量子力学に寄与したものというのはすべて、「主要な問題についての実りない努力」をするうちに生まれた「偶然の知見」であるから、そのような光栄に浴するのは「恥ずかしい」と述べている。

1933年 10月 アメリカに亡命し、永住することになる。
1939年 ルーズベルト大統領宛の原爆の開発をうながす手紙に署名した 
1945年 8月 広島・長崎への原子爆弾の投下 
1955年 4月18日 プリンストンの病院で逝去 

※量子力学の確率的世界像に対し、統一場理論を夢見たアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言った。


3.霊界物語25巻のアインシュタイン

これが書かれたのは、大正11年(1922年)7月7日。アインシュタインがノーベル章を受賞した年。この年の11月にアインシュタンが日本を訪問しています。

■霊界物語25巻2章与太理縮(ヨタリスク)

黄竜姫の母ムカデ姫が、黄竜姫の昔の夫友彦が攻めてくると聞いて、部下に出陣の用意を命じました。
黄竜姫は無抵抗主義を標榜しています。

黄竜姫『母様、あなたはそれだから困ります。三五教の御教をお忘れになりましたか』

ムカデ姫『工ー、融通の利かぬ娘だな。三五教の教は天下太平の御代には実に重宝な教だが、危機一髪のこの際、あのやうな柔弱な無抵抗主義の教理は、マドロしうて聞いてゐられますものか。神様が無抵抗主義を採れとおつしやるのは……為(す)な、せい……といふ謎ぢや。お前さまは何といつてもまだ年が若いから正直に聞くので困る。口の端に乳がついてゐるやうなこと言って……どうしてこの地恩城が維持できますか』

と最後の言葉に力を入れて、畳を握拳(にぎりこぶし)でポンと叩いてみせた。

黄竜姫『アゝ情けない母様の御精神、どうしたら本当の改心をして下さるであらう。……どうぞ神様、一時も早く真の道が、私の一人よりない大切な母に解りますやうに、どうぞ心の鏡に光明を与へ、心の暗黒を照らして下さいませ。あゝ惟神霊幸倍坐世』

と合掌し涙含(なみだぐ)む。

ムカデ姫『なにほど人間が改心したといつても、元から悪の素質を持つてゐるわれわれの身魂、たとへて言へば、大きな鉢の中へ泥水を盛り、それが時節の力で泥は鉢の底に沈(いさ)り、表面は清水に澄み渡つてをつても、何か一つ揺さぶるものがあると、せつかく底に、沈(いさ)つてゐた泥がまたもや浮き上がり、元の泥水となるのは自然の道理だ。これが惟神のお道です。体をもつて体に対し、霊をもつて霊に対し、力をもつて力に対するは天地の道理ぢやありませぬか。アインスタインの相対性原理の説明だってさうぢやないか。お前さまのやうな、そんな時代遅れのことを言つてゐると、蟹の手足をもぎ取り、烏の翼を剥ぎ取ったやうな目に遭はされますぞ。三千世界に子を思はぬ親がありませうか。お前が可愛いばつかりに妾はお気に召さぬことを言ふのだが、親の意見と茄子(なすび)の花は、千に一つも仇花はありませぬぞ。良薬口に苦し、甘いものは蛔虫の源、どうぞ母が一生のお願ひだから、出陣を見合はすことは、思ひ止まつて下さい。妾もこれから清公の左守司を引き率(つ)れ、年寄の花を咲かし、冥途の土産に一戦(ひといくさ)やつてみようほどに、必ず必ず柔弱な精神を発揮して、せつかく張りつめた母の勇猛心を挫(くじ)いて下さるな。親が子に手を合はして頼みます。海往かば水漬く屍、山往かば草生す屍、大神の辺にこそ死なめ、閑(のど)には死なじ、顧みはせじと、いや進みに進み、いや逼(せまり)りに逼り、友彦が軍勢を山の尾ごとに追ひ伏せ、河の瀬ごとに薙ぎ散らして服(まつろ)へ和し、一泡吹かして懲らしめくれむは案の中(うち)、必ず邪魔召(め)さるな』

ここでは、相対性原理を説明して、「体をもつて体に対し、霊をもつて霊に対し、力をもつて力に対するは天地の道理」と言っている。

どういうことでしょうか?

また、太平洋戦争で人々を戦争に駆り立てたという「万葉集」の歌も同じ個所に書かれています。


4.第10巻総説歌

「霊界物語第10巻総説歌」中で次のように歌われています。
 
ナザレの聖者キリストは  神を楯としパンを説き 

マルクス麺麭以て神を説く

月照彦の霊の裔印度の釈迦の方便は そのまま真如実相か 

般若心経を宗とする 竜樹菩薩の空々は これまた真理の実相か

物理に根ざせる哲学者  アインシュタインの唱へたる

相対性の原理説は 絶対真理の究明か

宗教学者の主張せる 死神死仏をはうむりて

最後の光は墓を蹴り よみがへらすは五六七神

胎蔵し天地の根本改造の大光明

尽十方無碍光如来なり 菩提樹のもと聖者をば

起たしめたるは暁の 天明ひらめく太白星

東の方の博士をば 馬槽にみちびく怪星も

否定の闇を打ちやぶる 大統一の太陽も

捨身供養の炎まで のこらず五六七の顕現ぞ

精神上の迷信に 根ざす宗教はいふもさら

物質的の迷信に 根ざせる科学を焼きつくし

迷へる魂を神国に 復し助くる導火線と

私が、15年前に最初にこの歌を読み、聞いたとき、大変感動した覚えがあります。

「精神上の迷信に 根ざす宗教はいふもさら、物質的の迷信に 根ざせる科学を焼きつくし」というところに15年前の当時の時代風景を重ね合わせていました。

しかし、実際に、これが歌われたのは、大正11年(1922年)2月27日です。

物質的の迷信に 根ざせる科学

今から考えれば、「物質的の迷信に 根ざせる科学」と言えるけど、この時代ではどうだったのでしょうか。ちょっと考えると、科学は明るい未来をもたらしてくれるものではなかったのではないでしょうか。

アインシュタインの唱へたる 相対性の原理説は 絶対真理の究明か

この歌は、当時出口宇知麿が朗詠していて、現在もカセットで手に入るのですが、その朗詠では、この部分は省略されています。だから、霊界物語を読まないと全文が分らないのです。

1919年に一般相対性理論が証明されたとあります。ドイツでは一般民衆の間で、一般相対性理論に反対している集会がありました。そして、相対性理論は理解しがたい。現代でもどれくらいの人が理解しているでしょうか。森野正春『相対性理論の大嘘』(徳間書店 2005年)によると、誰も理解している人はいないが、理解しているふりをしているとあります。理論自体は実際に応用ができるのだけれど、それが意味するものを誰も理解していないということです。

最初、歌のこの部分を読んだ時には、はやりの言葉を入れただけだと考えていました。だから、朗詠の時には外したのだと思いました。

否定の闇を打ちやぶる 大統一の太陽も

このフレーズ意味が分りませんでしたが、15年前からずっと頭に入っていました。たぶん仏教用語だと思うのですが、インターネットで検索した限りは出てきませんでした。

この大統一とはアインシュタインが打ち立てたかった「大統一理論」のことだと分かりました。これについては後述します。


5.量子力学との類似性

私は、2003年の8月に王仁三郎のWebを作り、本格的に霊界物語を読み始めたのですが、その15年前に霊界物語を一度読んでいたのですが、内容はほとんど忘れています。それからは、データベースを作ることを思い立ち、結構真剣に読んでいます。特に、単語の入力をしているので、単語には敏感になっています。逆に、王仁三郎や大本の解説書はなるべく読まないようにしています。

それで「真黒黒助」がトトロに出てくる妖精(妖怪)と同じと気づいたので、霊界物語Onlineに投稿してみました。これは遊びです。可能性としては、全く関係ないか、トトロの関係者が霊界物語を読み、それを使った、のどちらかです。この時の意見に、「こういう霊界の物語系統の本よんでるとシンクロして似たような情報に偶然間接的な流だか偶然耳にすると」というのがありました。(2003・12・31)この意見はしっかり心にたたきこんでおかなければなりません。

私は本を買うのは100円の本がほとんどなので、この本も偶然出会ったと思いたいのですが、昨年12月中旬に『ここまで来た「あの世」の科学』 (祥伝社)という本に出会いました。

量子力学と霊界の関係を扱った本です。この本が出たのが平成6年、私が、王仁三郎と離れていた時期。この本を読むまで、量子力学と霊界の関係も、ほとんど知りませんでした。「量子力学が神の存在を証明するかもしれない」ことくらいは知っていましたが。また、ヒッポファミリークラブの『量子力学の冒険』という本を持っていたと思います。ただし、内容は全く理解できなかったと思うのですが。

この本、王仁三郎の言っていることと完全に重なっていると思います。たぶん読まれた方が多いと思うのですが。王仁三郎の目を持っている方で、読んでいない方は読んでみてください。

その中で、「大統一理論」というのが出てきます。1970代に言われ始めた、アインシュタインの考えと量子力学を統一しようとする理論です。アインシュタインは量子力学に反対していたようで、自分で「統一場理論」というものを作り出そうとしていたそうですが関係あるのでしょうか。

また、量子力学は東洋思想に価値を求めて、「空」の概念に近づいたというのも本にありました。「空」も総説歌に出ています。

*結論*

出口王仁三郎は天才でしたから、その当時に相対性理論がきちっとした形で出版されていたら相対性理論を理解したと思います。

今後、この時代の歴史を調べればいろいろ分るでしょう。しかし、総説歌にある「空」「大統一」などの言葉との偶然、第25巻の謎の言葉と「アインシュタインが原爆を勧める手紙にサインしたこと」、王仁三郎のファンとしてはただの偶然とはかたずけられないような気がします。

大きな問題としては、相対性理論と霊界の関係、アインシュタインの政治論・平和論と王仁三郎の考え方の関係が出てくると思います。簡単にはわからない。


6.狭依彦の考え

アインシュタインについてのまとまった記事がありました。
アインシュタインの日本を礼賛した予言は偽物だったらしいです。

http://www.yorozubp.com/0502/050228.htm

私は、王仁三郎が霊界物語で何度もアインシュタインを取り上げているので「何かある」と思っています。簡単に言うと、「日本人がアインシュタインを好きなのはマインドコントロールの一種である」のではないかということです。
日本の近代では、例えば伊等博文や岩倉具視など歴史の裏で蠢いた人たちを、「歴史を作った」偉人として表で崇拝させられていることがあるのではないでしょうか。
アインシュタインの映画を見たり、こうやって勉強すると、アインシュタインもその操作の一つではないかという感を強くします。

この論考の記事では、アインシュタインの日本に原爆が落とされた時の嘆きは本物だと言い、それ以後、真剣に平和運動に取り組んだというが、その証拠は?
東大の先生ではなく、オールタナティブな情報ソースがそれを確認しているのだろうか?

実を言うと、今、「相対性理論は古代の知恵(宇宙人から受け継いだもの)をアインシュタインが発表しただけのもの。だから、相対性理論の数式を使わない説明-確か2つの列車を用いてした説明は分りにくい。そして、マルクスの資本論の最初に出てくる労働の価値の話と同じくらい分りにくい」と考えている。(確信ではないけれど)



第1版 2004/01/03
第1.1版(一部修正)2015/01/02

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