うろーおにうろー

裁判記録(23)

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裁判記録

○昭和八年七月一日の瑞祥新聞
○昭和八年十月一日の瑞祥新聞
○昭和九年九月一日の瑞祥新聞
○昭和十年三月一日の瑞祥新聞「いやな方の血統」
○昭和十年四月一日の瑞祥新聞
○昭和九年十一月九日の瑞祥新聞
○不敬の歌の総括
○不敬の歌「現世の君より…」
○王仁三郎登極
○外国で聖師の写真を祀る

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。

争点 昭和八年七月一日の瑞祥新聞

 それから、昭和八年七月一日の皇道(こうだう)大本(おほもと)機関(きくわん)瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)発行(はつかう)するに当つて、()の七頁乃至(ないし)八頁の所に、()う云ふことを書いたことがあるかね、()いかね……腰()けて()つても()いよ。

 腰()けて()ると聞えまへぬので──どつか言うて(もら)うたら判ります。

 判るかね。

 大きな取違(とりちが)(いた)して()りた、と云ふことが日本の上の守護神(しゆごじん)や下の人民(じんみん)に解りて来るのは、何れは向ふの国から()めて来るから、昔の世の本から日本の国にはこんな大望(たいもう)経綸(けいりん)()てありたことが何方(どちら)の国にも解りて来て、世界の人民(じんみん)があふんと(いた)して手も足も能う出さずに途方(とはう)に暮れること出来(しゆつたひ)するぞよ

とあるが……。

 判ります。

 (これ)間違(まちが)ないね。

 それは向ふから出て来た時に、日本は神国(しんこく)やから、神が()れさせない。

 愈々(いよいよ)になつたら敵を神徳(しんとく)で神が亡してしまふ。

 さうすると、日本人が、如何(いか)にも日本全体(ぜんたい)が本当の神国(しんこく)やと云ふことを(さと)る、と云ふ意味なんで、早く言へば──。

 「日本の上の守護神(しゆごじん)」と云ふのは誰を指すのか、「日本の上に立ちてをる守護神(しゆごじん)」と云ふことは……。

 それは、矢張(やつぱ)現界(げんかい)で言へば総理大臣──。

 総理大臣か。輔弼(ほひつ)の臣だね。

 守護神(しゆごじん)と云ふのは、守護神(しゆごじん)ですから輔弼(ほひつ)の臣です。

 さう云ふ意味かね。

 はい、けれども、警察とか、他では守護神(しゆごじん)と言つたら違ふやうに言やはりましたけれども──。


輔弼 ほひつ (名)スル (1)天子の政治をたすけること。また、その人。 (2)旧憲法で、天皇の権能行使に対し、助言を与えること。


争点 昭和八年十月一日の瑞祥新聞

 ()の次、昭和八年十月一日発行(はつかう)瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)第五頁に、

 (うしとら)金神(こんじん)変性男子(へんじやうなんし)の霊がすつくり現はれる時節(じせつ)が参りて来て、世界には(さわ)がしきことが始まるぞよ、世界の大洗濯が始まると、上は一旦(いつたん)は破れるし、下も()げて(しま)ふぞよ、上から(けが)れて来て()るから下の統制は出来(でき)(いた)さぬぞよ、かうなることは前の世から能く判りて()る、元からの活神(いきがみ)でないと、三千世界の世を持つのは自己(われ)よしの行方(ゆきかた)では()の世は持てぬぞよ

と云ふ文章を出して()ることは間違(まちが)ひないね。

 はい。

 (ところ)がね、「上は一旦(いつたん)破れるし」、「上から(けが)れて来て」と云ふ()の「上」と云ふのは、どなたを指したのか。

 (これ)は総ての国の「上」を指したのです。

 (これ)は日本の一番上の天皇陛下は指して()りませぬ。

 何故(なぜ)かと言へば、()御三体(ごさんたい)神様(かみさま)は、(すなは)ち、天照皇太神様の御命令(ごめいれい)を受けて、(うしとら)金神(こんじん)が出てやつてるのだから、御命令(ごめいれい)した方は別なんですから、矢張(やつぱ)()延長(えんちやう)たる天皇陛下は別ものです。

 それを除いての「上」、「下」で、世界中(せかいぢう)の「上」、「下」のことが書いてある。

 それをちよつと読んで見て下さい。

 「上」と云ふのは誰を指したのですか。

 守護神(しゆごじん)です。守護神(しゆごじん)を指したのです。

 守護神(しゆごじん)と云ふのは具体的(ぐたいてき)に誰を指したのです。現界(げんかい)で言へば──。

 現界(げんかい)で言へば、「上」は総理大臣以下(いか)です。(つま)り、それが「上」ですが、(しか)し、(これ)()の大臣を守護(しゆご)して()る所の霊を指したのです。大臣を守護(しゆご)して()る霊です。

 皆、人には一人づつの守護神(しゆごじん)が付いて()る。それで、肉体(にくたい)で言へば大臣であるが、霊界(れいかい)で言へば、(すなは)ち、守護神(しゆごじん)です。


 下層(かそう)階級(かいきふ)に対する上級(じやうきふ)階級(かいきふ)、と云ふ意味はないのだな。

 それもあります。

 上層も下層(かそう)もあります。上層が破れたら下層(かそう)も破れ、一旦(いつたん)はさうなります、大戦争が起つて来たりすると無茶苦茶(むちやくちや)になる。

 それは一旦(いつたん)滅茶(めちや)苦茶になると云ふことです。

 おかしいな。

 上層階級(かいきふ)と云ふ意味もあるし、下層(かそう)階級(かいきふ)に対する上層階級(かいきふ)と云ふ意味もあるし、それから総理大臣以下(いか)守護神(しゆごじん)のことも言ふと言ふのだね。

 そんな意味です。

 役人(やくにん)とすればさう云ふ意味です。さうでなければ、上層階級(かいきふ)下層(かそう)階級(かいきふ)の方の意味です。

 意味を一つばかり言つたのでありませぬから……。

 さうかね、それから──。

 戦争(せんさう)が起らいでも、(これ)から()の最前の予言(よげん)は世界戦争(せんさう)の意味になつて()りますが、日本も一緒(いつしよ)くたになつて戦争(せんさう)が起らなくても「上」が──上層階級(かいきふ)滅茶(めちや)苦茶に()げて()る、人道(じんだう)上……。


争点 昭和九年九月一日の瑞祥新聞

 それから、昭和九年九月一日瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)七頁以下(いか)()う云ふことが書いてある。

 (これ)掲載(けいさい)して発行(はつかう)したことは間違(まちが)ひないのだね。

 末代(まつだい)の事を仕組(しぐみ)(いた)すのは綾部(あやべ)大本(おほもと)より外に無いのであるのに、今迄(いままで)上へあがりて末代(まつだい)仕組(しぐみ)をしてありた上の守護神(しゆごじん)に余り大きな間違(まちが)で日本の経綸(けいりん)は早速には見当(けんたう)が取れまいよ、何も判らぬ守護神(しゆごじん)が外国の方がよく見えて肝腎(かんじん)本源(ほんげん)を下に見下(みくだ)して日本の国をえらい見損ひを(いた)してをるぞよ。

と云ふことが書いてあるが、()の「上の守護神(しゆごじん)」と云ふことは、誰を指したのですか。

 矢張(やつぱ)り最前申した総理大臣以下(いか)です。

 総理大臣以下(いか)を指したのか。

 さうです、それから仏教(ぶつけう)で言へば、仏教(ぶつけう)の管長とかさう云ふ意味も入つて()ります、それには──。

 霊界(れいかい)のことか、現界(げんかい)のことか。

 それは霊界(れいかい)のことです。

 現界(げんかい)で判るやうに言へば総理大臣です、けれども、それは全部(ぜんぶ)霊界(れいかい)のことです。

 「綾部(あやべ)守護(しゆご)して見下(みくだ)す」と云ふことは霊界(れいかい)のことです。現界(げんかい)ではそんな綾部(あやべ)はえらい所ではありませぬもの。


争点 昭和十年三月一日の瑞祥新聞「いやな方の血統」

 昭和十年三月一日の瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)の七頁に()う云ふ記事(きじ)を書いて、掲載(けいさい)したことがありますか、内容は──

 日本の国には世の根本(こんぽん)太古(むかし)から天地(てんち)の先祖の神が仕組(しぐみ)(いた)してあるので、二度目の建替(たてかへ)末代(まつだい)に一度より()られぬのであるから、何につけても大望(たいもう)なことであるぞよ、肝腎(かんじん)の事はあとへ(まは)して何も知らぬ、いやな方の血筋や下劣(げれつ)守護神(しゆごじん)が大事の仕組(しぐみ)も知らずに、我好(われよし)しのやり方でとん/\拍子(ひやうし)に出て来たなれど、九分九厘と云ふ所で往生(わうぜう)(いた)さなならん世になりたぞよ。

と書いてありますが、(これ)は記載してあることは間違(まちが)ひないね。

 はい。

 此処(ここ)で「いやな方の血統(ちすじ)」と云ふのはどなたを……。

 「いやな方」と言つたら悪霊(あくがみ)です。

 日本で言へば馬子(うまこ)やとか、道鏡(だうきやう)とか、北条義時の血統とか、さう云ふものを言ふのです、「いやな方」と云ふことに付てもう一つ言へば、猶太(ゆだや)の血統やとか、ロシヤの赤い(やつ)の血統とか、さう云ふ意味を言ふのです、「いやな方」と云ふのは……。

 能く判りました、日本では弓削道鏡とかさう云ふ方の血統を言ふ、と言ふのですね。

 はい。


争点 昭和十年四月一日の瑞祥新聞

 それから矢張(やつぱ)り十年の四月一日の瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)発行(はつかう)に当りて六頁(およ)八頁に()う云ふことが書いてある。

 日本も余り外国の真似(まね)(いた)して、全部(ぜんぶ)外国の性来(しやうらい)に成りて(しま)うて()るので、上の守護神(しゆごじん)人民(じんみん)に一日も早く改心(かいしん)(いた)せと申しても改心(かいしん)(いた)すやうな優しい守護神(しゆごじん)がないから、神はもう一切(いつさい)(いた)すより仕様(しやう)がないぞよ。

と書いてあります、それから(また)()の次に行つて、

 邪鬼(じやき)は世界を自由自在(じいうじざい)荒廻(あれまは)りて斯世(このよ)を乱さうと(かか)りて()るから、八頭八尾大蛇(をろち)露国(ろこく)の土地に育ちて、唐天竺(てんじく)までも混ぜ返し、(その)国の王の身魂(みたま)を使うて色々(いろいろ)体主霊従(あく)仕組(しぐみ)(いた)して、(しまひ)には、(その)国の王まで苦しめて世に落し、露国(ろこく)独逸(ドイツ)の王を(また)道具に使うて同じく(その)王を苦しめて世に落し、悪魔(あくま)(かげ)から舌を出してまだ()き足らいで、大海(たいかい)を越え(さら)仕組(しぐみ)(いた)して最後(さいご)には()(もと)へ渡りて来る、悪経綸(わるだくみ)(いた)して()るが、道具に使はれる肉体(にくたい)は真に気の毒なものであるぞよ、今に神国(しんこく)に手を出したら……

 そこで言ふ所の、「上の守護神(しゆごじん)」と云ふことが書いてあるが、(これ)はどなたをお指ししたのですか。

 (これ)はどなたでもありませぬ。()の時に「上」に立つて()役人(やくにん)に対しての意味です。

 前の方は。

 ちよつと忘れてしまうた。

 「日本も余り外国の真似(まね)をして……上の守護神(しゆごじん)人民(じんみん)に一日も早く改心(かいしん)(いた)せと」と云ふのは──。

 日本は、(つま)り、言うたら余り西洋の文物を日本へ吸収するのが急速(きふそく)(ため)に、日本の精神を忘れてしまうて、今迄(いままで)は外国の精神ばかり、外国の主義(しゆぎ)ばかりをやつて()つたから、それで日本の「上の守護神(しゆごじん)」──為政者に対して、日本の本当の神国(しんこく)たることを示してやらなければいかぬ、と云ふ意味なんです。

 「上の守護神(しゆごじん)」と云ふのは。

 為政者です。

 為政者とは──。

 政治を()す人であります。「上の守護神(しゆごじん)」と云ふのは為政者の意味であります。

 それから後の「道具に使はれる肉体(にくたい)」と云ふのは。

 誰ぢやと云ふことは決つて()りませぬ。()の時()の時に使はれるのだから……

 ()思想(しさう)感染(かんせん)した者が使はれる。悪い思想(しさう)感染(かんせん)したものが使はれる。日本精神をしつかり(にぎ)つて()らぬと云ふと皆使はれてしまふ。


争点 昭和九年十一月九日の瑞祥新聞

 それから、()の次の昭和九年十一月九日に、「昭和十年、日記を発行(はつかう)するに当つて」三百四十七頁の欄外に──

  言さやぐ君が御代(みよ)こそ忌々しけれ

      山河海の神もなげぎて

 と云ふのがあるが、(これ)はどうです。

 それは(ちが)ひありませぬ。

 (これ)はどう云ふ意味です。

 それは日本は惟神(かむながら)(ことあ)げせぬ国で、(だま)つて()つても(ただ)陛下の御命令(ごめいれい)だけで治るべき国です。

 日本は惟神(かむながら)(ことあ)げせぬ、(また)言霊(ことたま)(さちはう)国で、善言美詞(ぜんげんびし)を用ひたら()い国です、「言さやぐ」と云ふことは、コミンテルンやとか、(あるひ)社会(しやくわい)主義(しゆぎ)やとか、無産(むさん)党やとか、共産(きようさん)党やとか、自由主義(しゆぎ)やとか、無産(むさん)主義(しゆぎ)やとか、さう云ふやうな色々(いろいろ)の個人主義、さう云ふ説が日本に入つて来る。

 さうすると、(これ)銘々(めいめい)学者(がくしや)連中(れんちう)が説き、(かたはら)の者がそれに(なら)うて色々(いろいろ)の説を取つて(しや)べると云ふことが「言さやぐ」と云ふのです。

 近い例を申しますと、大学(だいがく)の立派な先生が()う云ふことを言うて()ります。──「人類(じんるゐ)学の上から言うて見ると、()古事記(こじき)に書いてある出雲(いづも)国譲(くにゆづ)りと云ふことは、(これ)は初に骨の……人骨から調べて来ると、出雲(いづも)地方(ちはう)には何が()つたかと言ふと、アイヌが住んで()つた。それをモンゴリヤ人が出て来てアイヌを他所(よそ)へやつてしまつた。さうして、其処(そこ)占領(せんりやう)した。そこへ(また)馬来(まれい)半島から馬来(まれい)人が出て来て()のモンゴリヤ人を追ひ払うてしまうた。(これ)古事記(こじき)では(うま)国譲(くにゆづ)のことに使うて()るのだけれども、実際は(これ)馬来(まれい)人とモンゴリヤ人──蒙古人(もうこじん)是等(これら)の者の喧嘩(けんくわ)であつた」──()んなことを帝大の名誉(めいよ)教授の小金井博士が言うて()ると云ふことは(たし)かで、私が此処(ここ)の支所に入つて来た時に、昭和十一年の四月に発行(はつかう)して()る「人」と云ふ新聞(しんぶん)があります、週刊新聞(しんぶん)があります。入監者が見せて(もら)うた新聞(しんぶん)ですが、それの五百三号の十頁にそんなことが立派に書いてある。

 ()んなことを言ふと、国体(こくたい)を尊重し古事記(こじき)を日本の宝と思ふて()るのに、馬来(まれい)人と蒙古人(もうこじん)喧嘩(けんくわ)であつたと云ふと、どうも天孫(てんそん)瓊々杵尊は馬来(まれい)人やないかと云ふやうな具合(ぐあひ)に人は思ふのぢやないかと思ひます。

 ()う云ふことが「言さやぐ」だと思ふのであります。

 色々(いろいろ)悪思想(あくしさう)が入つて来てと云ふ……。

 現在私が読んだのだから──それから「山河海の神」と云ふのは、柿本人磨の万葉集(まんゑふしふ)にも、時の(みかど)が河内国へ船に乗つて御遊びになつた()の時に、山は(にしき)を照らして、さうして、紅葉(もみぢ)して神様(かみさま)の……天皇陛下の御目(おんめ)を喜ばせようとし、河は清い清流(せいりう)が流れ、魚が出て来て、さうして、陛下の御儀になつた、と云ふやうな意味の歌がある。

 総て陛下に仕へて()るのに、()う云ふ山河までが、海までが陛下に仕へて()るのに、()う云ふことが出て来ると言ふと、山の神も河の神も嘆く、我々(われわれ)のみならず山河海の神までも嘆く、と云ふ意味なんです。


争点 不敬の歌の総括

 さうか、それで(たづ)ねるが、総括(そうくわつ)した点は、(ただ)今迄(いままで)(たづ)ねた所の中で「悪の頭」、瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)に出て()る「日本の上の守護神(しゆごじん)」、「上に立つて()守護神(しゆごじん)」とか、「いやな方の血統(ちすじ)」、「上の守護神(しゆごじん)」、「道具に使はれる肉体(にくたい)」と云ふものは、(かしこ)多くも日本の陛下を(しよう)(まつ)つたのではありませぬか。

 そんなことは何処(どこ)にもありまへぬ。

 それから、

  月の光昔も今も変らねど

      大内山にかゝる黒雲(くろくも)

それから

  言さやぐ君が御代(みよ)こそ忌々しけれ

      山河海の神もなげきて

と云ふ()の歌なるものは、御皇室(くわうしつ)呪咀(じゆそ)(たてまつ)つた歌ぢやありませぬか。

 そんなことはありませぬ、絶対にありませぬ。

 能く考へて(もら)うたら、盲人(めくら)が見ても、素人(しろうと)が見ても判ると思ひますが。


   千歳(ちとせ)経し聖の壷も地震の

   荒ひに逢は父もろく破れむ

   つがの木の(いや)つぎ/\に伝りて

   宝の壷もひゞぞ()りぬる

と云ふ()の歌は、御皇統(くわうとう)断絶(だんぜつ)暗示(あんじ)したやうな歌ぢやありませぬか。

 そんなことはありませぬ。思も寄らぬことであります。


争点 不敬の歌「現世の君より…」


   現世の君より外に君なしと

       おもふ人こそ(おろ)かなりけり

と云ふ()の歌は、(かしこ)くも天皇陛下の外に天皇がある(ごと)暗示(あんじ)したのぢやありませぬか。

 それは(ちが)ひます、「現世の君より外に」と云ふのは「幽世(かくりよ)にある」と云ふ意味です。

 現世の君だつたら、現界(げんかい)の外に幽界(いうかい)と云ふ意味が(ふく)んで()ると思ひます。

 ()の意味を書いたのであります。

 ()の点に関しては、被告人に対する五十一回の五問答の(一)、(二)(四)、(五)、(六)、六問答の中の(一)、(二)、(三)、(四)、(五)、(六)、それから七問答、是等(これら)の個所に(おい)て何れも今本職が(たづ)ねたやうな趣旨(しゆし)の意味なりと云ふことが供述してあるがね、読まぬでも判りますかね。

 はい、判ります。

 どんなことだ。

 それは、余り思も寄らぬこと(ばか)りお(たづ)ねになりますから、()の歌は常識で見ても判るもので、()の歌でさへも()う云ふ具合(ぐあひ)にもじつて(おつ)しやるのだから、(これ)を見ても知るべし、と云ふ訳で、私は(わざ)と答へた所が、(また)(けち)を付けられると思ひましたから──「表看板(かんばん)や」とか、「保護色(ほごしよく)や」とか言はれてしまひますから、(これ)は何も言はぬで向ふの(おつ)しやる通り「はあ/\」と言つて()つたのであります。

 (これ)は私の意思(いし)ぢやありませぬ。

 (これ)を見て(もら)うても、其処(そこ)の場所に書いてあるやうなことは意味を成さぬと云ふことは誰が見ても判ることですから、()う云ふ判り易いことを書いて置いて(もら)うた方が()いと思うた。

 そしてね、予審で言うたやうにも解釈(かいしやく)出来(でき)まいかね。

 予審では私は言うたことはありまへぬ。私は言うて()やしまへぬ。勝手(かつて)に書かれて、さうして、御書きになつたのです。私は言うたらかなはぬから言はしなかつたのです。

 (なほ)王仁三郎(おにさぶらう)は他の文献や行動(かうどう)(おい)て不敬に(わた)るやうな行為(かうゐ)()したことはないか。

 私はないと思ひます。

小山(昇)弁護人 ちよつと裁判長、「言さやぐ君が御代(みよ)こそ忌々(いまいま)しけれ」と(おつ)しやつたのですけれども、「忌々(いまいま)しけれ」と云ふやうに読むのぢやなく、「忌々(ゆゆ)しけれ」と読むのぢやないでせうか、「忌々(いまいま)しけれ」ではちよつと……。

出口 「忌々(ゆゆ)しけれ」と仮名(かな)も付いてあります。

小山(昇)弁護人 非常(ひじやう)に読み方に()つて、意味が違つて参りますから……。


争点 王仁三郎登極

裁判長 千四十三号の証拠(しようこ)物に、

()の時証拠(しようこ)を示す)

出口王仁三郎(おにさぶらう)聖師(せいし)と宛名が書いてあるが、(これ)はどうした。

 持つて来たのです。

 (これ)は何だね。

 私は()の人を初めて()の時に見たのですが、此処(ここ)にあるやうなことは思も染めぬことです、私を能く盲信して()る人がありますけれども私は知らぬことです。「何と云ふことを書くのか」と言つて(しか)つて、私が其処(そこ)の所を消したのです、破らうと思つたが、他所(よそ)(あわ)てゝ行つてしまうたのです。

 十年だな。

 十年です。

 信者(しんじや)か。

 信者(しんじや)やと思ひます、初めて会うた人です。

 「聖師(せいし)登極(とうぎよく)の日近し」と書いてあるな。

 「登極」と云ふことは何と云ふことだ、と言つて(おこ)つたのです。

 何で消した。

 (をそれ)多いことを書くから消したのであります。

 中には、「聖師(せいし)(おそれ)多くも陛下になるのだ」と云ふ考の人もあつたのぢやないか。

 あつたに(ちが)ひないのです。そんな迷信(めいしん)家もあつたのかも知れませぬ。なければそんなことを書いて来やしまへぬから……

 私はそれで非常(ひじやう)迷惑(めいわく)したのです。

 ()証拠(しようこ)は……。

()の時証拠(しようこ)を示す)

知つて()るか。

 知りまへぬ、それはおかしなことが書いてありました、初めて見ました。


争点 外国で聖師の写真を祀る

 ()(かく)、外国に()大本(おほもと)信者(しんじや)に対して、被告人王仁三郎(おにさぶらう)の写真を(まつ)らして()つたやうだな。

 さうです、外国では神さんがない。基督教(キリストけう)ばかりですからそれで何もないから写真なんか(まつ)らうと云ふことになつたのでせう。私に、「写真を送れ」と云ふから写真を写して……それを持つて行つたのです。

 (これ)はどこですな。

 シヤムと思ひました。

 シヤムの方の宣伝師か。

 (かけひ)と云ふ人がシヤムの方へ宣伝に行つて(をつ)たけれども、直ぐに後から、「写真を送つて()れ」と云ふので送つてやつたのです。

 十年の九月頃に行つたのか。

 さうだと思ひます。

出口 ちよつと、五分間(ごふんかん)ばかり……。

裁判長 よし/\、素盞鳴(すさのおを)尊は再び世に現はれて……。

出口 それは何の事です。

裁判長 休んで()つて(よろ)しい。

出口 頭がさつぱり……。

富沢弁護人 本人が(つか)れたやうですから、(また)、お調べ中御迷惑(ごめいわく)かも知れませぬけれども、五分間(ごふんかん)ばかり休憩(きうけい)さして(いただ)きたいと思ひます。

裁判長 よし/\、五分間(ごふんかん)ばかり休憩(きうけい)します。

午後(ごご)二時十五分休憩(きうけい)