裁判記録
○長生殿の建築
○指揮命令系統
○大本の財政状態
○不敬関係書籍など |
原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。
歴史 長生殿の建築
問 「昭和十年九月頃、王仁三郎が伊佐男に、『愈々(綾部(本宮山(の長生殿の建築に着手(するから準備せよ』と云ふ話があつたので、其(の頃光照殿(に伊佐男、高木、岩田、東尾が集つて最高(幹部(会を開き、長生殿の建築事務は亀岡(本部に於(て取扱(ふこと、其(の建築費用は亀岡(に建築する万祥殿の建築費用と合併して、両殿の建築費用を神殿(造営(献金名義で信者より献金せしめ、長生殿は大本(の最高(の宮であるから、信者(全部(から献金せしむることに協議(決定(しました。同年(十月二十七日の秋季大祭(に長生殿の斧始式を執行(すると云ふことは、既(に同年(八月十日の弥勒殿(に於(ける信者(大会(の席上に於(て王仁三郎(が信者(に予言(してありましたので、右決議以来(続々献金する者が出来(て、神殿(造営(献金額は、昭和十年十二月迄二約七、八万円となり、万祥殿建築費の献金は右以外(に約九万円決つて居(りました。それで、長生殿の斧始式は予定通り十月二十七日二執行(しました。王仁三郎(は昭和三年三月三日頃から、『同日には王仁三郎(がみろく菩薩(として此(の世に下生(し、月宮殿(が出来(ればみろく如来(となり、本宮山(の御宮(が出来(たらみろくの神となるのである』と言うて居(りました」と書いてあるが……。
答 それは、みろくの神になるなんて、そんなことは言うて居(りまへぬ。
それは聴(き損ひです。
問 それから此(の後はどうなんです、長生殿の建築の会議(は。
答 それは会議(は相談したに違(ひありまへぬ。
それで、金はなんぼ要つたかそれは私知りまへぬけれど、私は昔から四十年程神様(に仕へて居(りますけれども、金のことは一遍も扱つたことはないのです。皆役員(に任してありますから──家の会計(も役員(さんがして呉(れて居(ります。
問 それから、昭和十年十月光(照殿に於(て伊佐男、高木、大深、東尾が大本(の今後(の活動(方針(に付て協議(をして、是(からは長生殿及(び万祥殿の造営(に主力を注ぎ、青年(会及(び坤生会も外廓運動(を手控(へて両殿の造営(に力を注ぐこと。信者(の期待する長生殿が出来(るのであるから、此(の機会(に信者(の信仰(を向上(せしむること。昭和神聖会(の運動(は中止するのではないが、内容充実(に入つたものと心得(させること。右方針(を信者(に徹底(せしむる為、井上(及(び有留を東班とし、大深及(び大谷を西班として各地(方に派遣すること、信者(獲得の為には支部(の設置(を簡易にせねばならぬから、信者(十戸以上(あれば支部(の新設を許可し、支部(の外に会合所を設けることとし、会合所は信者(二、三人でも宜(いこととし、是迄(のやうに十人以下(の支部(はないことゝする代り、会合所を設置(することゝ決定(し、其(の決定(事項は十月二十七日の秋季大祭(の時信者(に発表して実行(を奨励(しました。以上(の外、昭和六年頃以来(は各大祭(の前日(に総務会議(を開き、大祭(に於(て信者(に報告する事項、信者(を指令する事項等(を協議(決定(しました。」
さうですか、此(の点は宜(いかね。
答 はあ。
問 さうすると是等(の点の……。
答 其(の十月頃のことは、もう私、余り詳(しう存じまへぬけれども、それで間違(ひないと思ひます。何が言うとるのですから──東尾はんが言うとるのなら間違(ひないと思ひます。
問 はつきり覚えて居(らぬが、東尾が言うとるのなら間違(ひはないと言ふのだね。
答 さうです。
歴史 指揮命令系統
問 それでは其(の点は……
それから、ちよつと訊(いて置くが、大本(の総本部、又(は本部と分所(支部(等(の連絡、並に、之(が指導(方法(はどう云ふ風にして居(つたのか。
答 本部から、ずつとなんでつしやらう、分所(へ伝へたり、分所(から支部(に伝へたり、それから、直接の支部(もあつたでせう。分所(に属して居(らぬ支部(も──それは本部から直接に支部(へやつて居(つたのだらうと思ひますけれども、私が初まりにやつて居(つた時分(はさうでしたが、それから後は東尾はんのやつて居(つたのはどう云ふ風にしてやつて居(つたのか存じまへぬ。
問 指導(方法(はどう云ふ風にやつて居(つたのか。
答 指導(方法(は矢張(り特派宣伝使(と云ふのが地方(に行つて指導(して居(つたのだらうと思ひますけれども、なんとか……特派宣伝使(、それからもう一つなんとか云ふ、なんや知らぬけれども特別(に地方(に、九州(なら九州(、四国(なら四国(、それを受持つて行つて居(る人がありまして、なんと云ふか名前は忘れましたが、銘々其(の地方(々々へ行つて其(の人が指導(するやうな具合(になつて居(つた。
台湾(は台湾(で受持つて行つて居(つたのです。受持宣伝使(かなんか、それをまあ受持つて行つて居(る人がありました(此(の時苦しさうな声を出す)
問 宜(しいか。差支(ないか。悪かつたら休むが……。
答 いえ私の癖(です。
問 此(の点に付て、ちよつと伊佐男が三十三回の十問答と三十四回の二問答に斯(う云ふことを言うとるがね。
ちよつと聴(いて居(なさい、三十三回の十問答ではですね、「聖師(、教主(、総裁(、総裁(補、総統、総統補、総務、総本部主事(、主事(補、瑞祥(会長(、同会長(補、本部統理、統理補、天声社(長、駐在(宣伝使(、特派宣伝使(、地方(宣伝課長、編輯課長等(は下部(に対し大本(の教義(及(び活動(方針(を指揮(して居(つたものと言へるだらうと思ひます。尤(も、主会長(、課長等(は上部(の指導(命令を受けて下部(を指導(し、大本(の教義(及(び活動(方針(を」……。
答 かぶに(対しとは。
問 下部(は、下の方。
答 あゝさうですか。
問 「大本(の教義(及(び活動(方針(を指導(して居(つたものと言へるかも知れませぬと思ひます。尤(も、主会長(、課長等(は上部(の指揮(命令を受けて、下部(を指導(し、自己(の裁量で下部(を指導(するやうなことは余りありませぬでした」。斯(う言うて居(るがね。
答 さうなつて居(つたでせう。
問 それから三十四回のに問答では、「大本(関係の諸活動(に関する指揮(命令は、瑞祥会(のあつた時は、同会長(より各課長及(び主会長(に、同会廃止(後は綾部(総本部に於(て主事(」……。
答 しゆじ(と云ふのは……。
問 主(と云ふ字。
答 判りました。
問 「綾部(総本部に於(て主事(より各課長に、亀岡(本部に於(ては、本部統理又(は統理補より各課長及(び主会長(に通達し、地方(に於(ては、主会長(より聯合会長(に、聯合会長(より分所(支部長(に、分所(支部長(より信者(会員(に通達して実行(せしめて居(りました。其(の指揮(命令の伝達(方法(は年四回の、大祭(の折、又(は課長会議(、主会長(、聯合会長(会議(、主会、聯合会、分所(支部(の代表者(大会(、又(は信者(大会(の席上に於(て、父王仁三郎(、又(は、瑞祥(会長(、統理、統理補、外廓団体(の責任者が趣旨(を述べて伝達(し、急速(を要する場合(は書面に依(り、又(は本部員を派遣して伝達(したこともあります。大本(及(大本(関係の諸活動(方針(は大抵(関係機関(紙に掲載(しました。」
こんなことであつたな。宜(いかね、判つたかね、今言うたこと。
答 はあ大抵(判りました。
歴史 大本の財政状態
問 それから、ちよつと、大本(の財政状態(のことを訊(きたいのだが、財政状態(のことは判りませぬか。
答 私は、最前申したやうに、ちよつとも携つて居(らぬものですから財政状態(が判らぬのです。
それは外の人の方が、役員(の方が能く知つて居(ります。
問 判らぬかね。
答 私には判りまへぬ。
問 此(の東尾が二十二回の十問答で斯(う云ふことを言うて居(るが、判らぬか。
答 仰(つしやつて下さい。
問 宜(し。
「大本(の基本財産(としては土地建物(で、それは王仁三郎(及(び澄(名義になつて居(ります。今回(警察で綾部(に金塊(及(び金貨があつたと云ふことを聞きましたが、私は金塊(や金貨のあることは知りませぬでした。大本(の総本部及(び本部の最近の財政状態(は、収入(は一箇年約十万円余で、其(の内訳は更始会の収入(約五万四千円、弥勒殿(及(び祖霊社(の玉串(料約二万四千円、大祭(四回分の玉串(料約八千円、天声社(の収入(約一万五千円、安生館(の実収約五千円で、支出(は一箇年約十五万円で、其(の主なるものは綾部(及(び亀岡(の奉仕(者約五百人の手当(金約五万円、諸税約三万円、修繕(費、宣伝費、内事費、雑費等約七万円であります。右収入(の外に、信者(から王仁三郎(に直接献金する金も相当(多額であると思ひますが、其(の金は王仁三郎(が保管しますので、私等(には其(の額は判りませぬ。又(、右支出(の外に、臨時の建築費等(は信者(より献金させます。大本(の主会、聯合会、分所(支部(等(の費用は各其(の地方(に於(て自弁し本部から補助(するやうなことはありませぬ。愛善(会の費用は大本(本部より出し、愛善(新聞社(は新聞(収入(に依(り同社を経営(して、尚(純益がある位であります、北国夕刊は殆(ど自給自足で丹州(時報(は大本々部(から月三百円位補助(して居(りましたと書いてありますがね。
答 其処(の中で、金のことは知りまへぬけれども、私に金を呉(れた人はありましたけれども、それで明光社(も拵(へたり、是(は会の方から出たのではありまへぬ。
明光社(、さうして智照館(を拵(へたり、明鏡館と云ふのを──明鏡館と云ふのはなんですね、写真を、又(、銅板に取る所ですわ、それを拵(へたり、さう云ふことに皆使うてしまひました、それで私の金は持つて居(りまへぬです。
問 個人(の献金はどの位あつたか。
答 月二百円もある時もありますし……。
問 そんなものか。
答 又(、もつと少い場合(もあります。
それから此(の古物の古金が好きで、古金を集めるのが私の趣味(でしたから、それを蓄めて置いたが、別にどうと云ふ考もなかつた。唯(、それは趣味(で持つて居(つたのです。銀貨(の赤いやつだとか、昔の一円(やらあゝ云ふものを寄せて居(つたのです。
問 献金はあつたけれども覚えて居(らぬと。百円あつたこともあり、もつと少いこともある。古金はあつたけれども、それは其(のものに付ての趣味(で持つて居つたのだ。献金をして貰(つたのは全部(建築物に使つて自分は持つて居(らぬと言ふのだな。
答 はい。
問 王仁三郎(個人(の資産(状態(はどうだ。
答 それは、どれが私の名になつて居(るのか、亀岡(はお澄(と私の名になつて居(るが、人に任して居(る。
役員(さんが、勝手(に、是(はなんの名義にして置かうとやつて居(るから私は判りまへぬ。
問 動産は総て王仁三郎(の名義になつて居(つたのか。
答 いや、家内(の名になつて居(つたのです。
名義は私ですけれども、自分の物とは思つて居(りまへぬもの。
問 自分としての不動産はどう自分の物になつて居(り、又(其(の他の資産(もどの位あるかと云ふことは判らぬか。
答 それは判りまへぬ。
亀岡(にあつたのは私と澄(と二人(のものになつて居(つて……。
問 凡(そは。
答 それはどう云ふ財産(の意味ですか。
問 個人(の財産(。
答 時価の……。
問 時価々々。
答 今日(の時価ですね。
大本(が盛んな時には一坪百円もしました。
五十円でも百円でも売つて呉(れやしまへぬが、斯(うなつてしまうと二足三文ですから、今の値やつたら百円した所が一円(にもなつて居(るやらうし、さうやからちよつと判らぬのです。
問 どれ位あるのか。
答 五万坪位あると思ひます。
問 時価は判らぬね。其(の他の個人(の名義の動産、不動産と云ふやうなものはないのか。
答 それも……。
問 不動産……。
答 家内(がなんでも、借家をちよい/\建てゝ居(ると云ふことを聞いて居(りましたけれども、私には判りまへぬ。
問 是(は皆売つたのぢやないか。
答 売つたのぢやないかと思ひます、借家は──。
問 五万坪の……。
答 是(は売らされたのです。
無理(に売らされたのだから、返して貰(はうと思つて裁判して貰(はうと思つて居(ります。
売つたことになつて居(るが、そんな百円も五十円もするものを坪八銭や十銭で売りさうなことがありまへぬもの。
問 何か蓄へて居(るものがあるのか。
答 ありまへぬ。
唯(調べられた時にあすこにあつただけです。
私はもう金のことを訊(かれるとかなはぬから……唯(古い金だけを玩具(にして居(つたのです。
争点 不敬関係書籍など
問 それでは第二の不敬のことを訊(ねますがね。
是(も、大体(、準備手続(に於(ては詳(しく弁解を訊(いて置いたけれども、尚(詳(しく訊(ねるが、此(の亀岡町(の天恩郷(で発行(された所の、昭和八年の六月三十日の霊界物語(の六十巻の三版、是(は昭和七年の十月三十日の矢張(り同物語の第七巻の三版、それから昭和八年の四月十日同物語の三十八巻の第四版、同年(六月十日同物語六十一巻の第四版、昭和九年の十二月二十五日同物語十巻の第三版、それから昭和八年の七月一日から昭和十年の四月一日迄(の瑞祥(新聞(、昭和九年の十一月九日の昭和十年日記の各編輯者及(び発行者は何人(でありますか。
詰(り、此(の問題(になつて居(る、此(の刊行物の発行者並に編輯人のことを訊(くのですがね。
答 それは、私一つも覚えて居(りまへぬわ。本を見て貰(はねば……
──本に書いてある通りです。
問 本に書いてある通りか。
答 それは編輯人、発行(人は本に書いてある通りに違(ひございまへぬ。
私は覚えて居(りまへぬ。
問 それからね、其(の編輯者が神諭(なり或(は王仁三郎(の作歌(を霊界物語(や、或(は新聞(等(に、瑞祥(新聞(等(に掲載(することに付ては被告人が承認を与へたのかな。
答 与へるも与へないもない。
皆、ずつと、私の書いたことは皆載(せることになつて居(るのですから、随意に好きな所に、余白があつたら余白の所に持つて行くやうになつて居(ります。
載(せることは許してあるのです。どこへ載(せても……。
問 いやそれぢやなしに、今言うた問題(になつて居(るのは能く判つて居(りませう。
何が問題(になつて居(ると云ふことは判つて居(りませう。
答 判つて居(ります。
問 あの文に付て、刊行物と新聞(とありませう。
あれに載(せるに付ては、被告人は承諾(を与へたかと云ふことに付て訊(きたいのだが。
答 それは、「之(を載(せますから調査下さい」と言はれたのぢやなしに、唯(私の書いたことを皆載(せると云ふことは許して居(つたのですから……。
問 さうか。
答 それで、「此処(の所を、之(を載(せますから」とそんなことはちつとも聴かしまへぬ。
私の作つたものとか、口から出たものは、皆喜んで載(せたのですから──それは一つとして調べては居(りまへぬです。
問 それでは王仁三郎(……。
林弁護人 ちよつと裁判長、苦しいのぢやないかと思ひますが、非常(に苦しさうに見えますが。
裁判長 「斯(う云ふ癖(があるから心配せぬで呉(れ」と云ふのですが、どうぢや休むか。
林弁護人 此(