裁判記録
○昭和坤生会
○昭和青年会と五・一五事件
○昭和神聖会創立
○昭和神聖会綱領
○昭和神聖会の状況
○神聖会は思想団体か実行団体か
○重要事項の実行機関 |
原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。
歴史 昭和坤生会
問 さうとは思はぬ、さうぢやありませぬかと訊いたのぢやないか、さうするとそれで宜(いのぢやないか。ないと言ふのだから──「昭和坤生会(と云(ふのは、私の意見に依(り昭和青年(会の婦人(部を独立させて昭和七年の十一月一日に創立(した」のだね。
同会の規約の第二条には、「本会は地上(に真の平和と幸福(を齎(す為、愛善(の大精神に基いて、最善(の誠を謁(し、歓喜(に充(てる明るき世界の実現(を図るを以て目的とす」とありますが、是(は同会は至仁至愛(の国家(の建設を以て目的とすると云(ふ意味で、同会の目的も大本(の目的と同一(で、同会は世界の活動(機関(の一つで昭和青年(会の……。
答 世界の……。
問 「大本(の活動(機関(の一つとして昭和青年(会の後継(部隊とも言ふべきもので、昭和坤生会(の総裁(は私で、会長(は出口澄であります。同会にも本部及(び支部(に会旗があつて、同会の総本部を綾部(に、本部を亀岡(に置き、最近支部(約三百箇所(、会員(約一万五千人位(ありました」と、斯(うなつて居(るが、是(はどうぢや。
答 是(は矢張(り……。
問 書いて居(ることはどうぢや。
答 書いて居(ることは……
是(は、昭和青年(会と同じ精神です。同じ精神であつて、唯(、婦人(団体(、女の団体(と云(ふだけです。
それで……。
争点 昭和青年会と五・一五事件
赤塚弁護人 裁判長、中途(で甚(だ恐縮(でございますが、昭和青年(会のことに付て御訊問(になつた序(でありますが、今御調べになりました日光(とか月光(とか星光とか云(ふやうなものの直(ぐ次の方にあります記載事項であります。
詰(り、「被告が此(の横浜(に於(て、関東に滞在中に何か東京に於(て五・一五事件の起る其(の噂(があつたと云(ふので、大深をして何か動員した」ことが書いてありますが、それに付て……。
出口 それは嘘(です。
裁判長 ちよつと待つて、被告人の否認しさうな不利益(な点は省いて、認めさうな所は読んだ訳ですがね、今の、「大深浩三にどう云(ふ計画がある」と云(ふことは故意に訊(かなかつたのですが、訊(ねませうかね。
赤塚弁護人 ちよと其処(を。
出口 それは違(ひます。
五・一五事件の時には青年(会と云(ふものはまだそんなに立派に出来(て居(りまへぬ。五・一五事件の時にはありましたけれども、六年からあつたけれども……。
裁判長 それぢや弁護人から御訊(ねでありましたから、訊(ねて見ますがね。
出口 五・一五事件は知らなんだのです。私は知らなんだから、そんな答はありまへぬ。
問 今御訊(ねになつたやうな事実(はあつたかどうか。
答 ありまへぬです。
問 実際、其(の大深浩三に対して、「是(だけの時間にどれだけの人が動員出来(るか」と云(ふ調査をして出せと……。
答 それは五・一五事件の後ですもの。
問 後でも、其(の当時(でも宜(しいが。
答 それは、横浜(に居(りましたのは九年です。
若(しも、九年に五・一五事件のやうなことがありさうな噂(があつたら、私は、「国家(の一大事やから、信者(は気を付けて、真逆(のことがあつたら、御国(の為(になるやうなことをせにやいかぬ。併(し、我々(は武器(を持つてはいかぬぞ」と云(ふことだけは言うたことはあります。
問 大深に。
答 大深に、「さあ」と言うたら、「何人程人が出て来られるか」と云(ふやうなことを御訊(ねとありますけれども、それは九年です。
問 時期(は宜(しいが、其(の時の調査報告と云(ふものは聴(きましたか。
答 聴(きまへぬ。話をしただけですから。それをせいとは言ひまへぬでした。
それで、調査したのは初めて予審で見せて貰(うたのです。
問 宜(し。
而(して、此(の軍部(の中堅階級(に於(て、不穏(の空気があると云(ふことを聞いてそれに合流するやうな考はあつたのぢやなからうね。
答 それはありまへぬ。
問 さう云(ふ気配があつたやうな供述を……。
答 それは、さう云(ふ風に持つて行かれたのですけれども、ありまへぬです。
軍部(の者の方とは余り関係して居(りまへぬのです。
それは、ちよこ/\横浜(に居(りますと云(ふと、田中文吉と云(ふ人が能(く来ました。其(の人は能く来て居(つたのです。
あれはなか/\激しい男やなと思つて、それで私は訪ねに来ましたから、「雑誌を以て雑誌の講演(をして呉(れ」と言うて、「あんた、何やないか。あんたのやうな人は満洲(のなんとか云(ふ人と騒動(を起さうとして居(る、と云(ふやうな話があるが」……
それは少尉時代にはそんな心になつたこともありますけれども、今は父になつて嬶(や子供(があつて、もうそんなことは考へて居(りまへぬ。
問 それぢや予審で述べた点は事実(と相違(と訊(いて宜(いかね。
答 はいさうです。
けれども、其処(へ持つて行かなければ、何か意味のあるやうに──「違(ひます」と云(ふことは言はれまへぬです。早く済ましたいのが一念でしたから。黙(つて其(の儘(にして置いたのです。
問 それぢや、さう訊(いて置きませう。
それから、其(の次に、昭和坤生会(と云(ふものは婦人(部、男子部があると云(ふ訳で、目的は同じだと斯(う言ふのだね。
答 さうです。
歴史 昭和神聖会創立
問 それから会員(も一万四、五千人あると云(ふことも認める訳だね。
昭和神聖会(のことは四十八回の二の所に詳細(のことに付ては書いてある、此処(にある──「私は昭和九年の一月より横浜(市の根岸町の滝上の関東別院(、静岡県(の田方郡湯ケ島の伊豆(別院(、それから東京市の杉並区の紫雲(郷別院(等(に時々(滞在して、東京及(び横浜(の各方面の人から話を聴(いて、又(新聞(記事(に依(ると日本の情勢、政治的(に於(ても経済的(に於(ても行詰(つて居(つて政党(の腐敗(、経済(界の逼迫(、外交(の不振、少壮軍人(の脱線(、内閣の不信用(、軍縮(会議(脱退等があつて、日本国内(の内乱が起るとか、日本と外国との間に戦争(が起るやうな気がしますので、昭和青年(会を中心として大本(を支持(する大衆(団体(を作り大本(の基礎(を確立(し、日本国内(に内乱が起り、又(は日本と外国との問に戦争(が起つた機会(に大本(の目的であるミロク神政(を成就(せしめようと考へ、昭和九年の七月六日に関東別院(に大深浩三と深町孝之輔、国分義一、内海健郎、岡本霊祥、林次郎の六名を集めて昭和神聖会(を創立(するやう命じ、同月七日東京市日本橋区の料亭の常盤(に於(て私、出口伊佐男、大深浩三、深町孝之輔、御田村竜吉、米倉嘉平、米倉恭一郎、河津雄次郎、内海健郎、岡本……。」
答 判つて居(ります。出来(るだけ略して下さい。
問 判つて居(るか、是々(だね、「集つて、会合して昭和神聖会(の創立(委員会を開催(し、其(の席上に於(て、私は、『今日(の日本の情勢は非常(に行詰(つて居(る故、神業(成就(の為大本(は大衆(に土台(を持つことにせねばならぬので、昭和神聖会(を創立(するのでありますから、創立(に付て協議(して貰(ひたい』と述べ、大深浩三が声名書、主義(綱領(等及(び会則等(の草案に付て説明(を為(し、集会(者一同が大体(承認したので、私は御田村竜吉を昭和神聖会(創立(準備委員長に、米倉嘉平を同副委員長に、専任委員に大深浩三、委員に河津、是等(の人を命じて創立(準備を為(さしめ、同年(七月二十二日九段下の軍人(会館に於(て昭和神聖会(の発会式を挙行して同会を創立(し、私は発会式に於(て参集者に対し、『如何(なる難関(に遭遇(するとも初心(に向つて邁進(する詰(りであるから、援助(を願ひたい』と挨拶(をしました。」
「私は昭和神聖会(の統管(として」……創立(の纏末だね、「私は統管(として昭和七年の十月十日二統管(随筆と題しました単行本(を発行(しました。」
其(の中に色々(書いてあることをずつと説明(して居(りますがね、是(はちよつと言ひますかね。
答 はあ。
問 其(の四頁には、「絶対服従(は天下(統治の大本(なり。私意を加へ言論(を為(す者は、断然(除名して神聖会(の統制を保つ覚悟(を要する」と書いてあり、五頁には「天上(の月も日も一体(だ。地上(の主権者(も亦(一柱(なるが真理(だ。神聖会(亦(統制上一人の独裁を要する」と書き、九頁には「神聖(会員(は総て統管(の命令に絶対服従(すべきである」と書き、第十三頁には、「議会(主義(は駄目(だ、独裁政治に限るのだ、殊(に日本は君主(専制(の神国(だ」、十九頁には、「大事を為(すものは光鋭強化せる一団体(の威力(だ、どうしても一つの団体(が強くならねば駄目(だ、さうなれば外の団体(は後から付いて来るやうになる」とあり、二十七頁の「会員(は憲法の定むる道に依(つて多数(の国民(の賛同と認識を獲得、それに依(つて日本国民(に相応(せる大日本国を造り、此(の時期(を招来(せむとするものである」とあり、二十八頁には、「一千万人の理解(ある賛同者を獲得する迄(は決して褌(を緩(めてはならぬ」と書いてありますね。
さう書いてありますね。
答 それは天にも太陽がある如(く、此(の日本も一天(万乗の君がある如(くに、団体(も矢張(り一つの統制者があつて其(の者の言ふ通りに聴かなかつたらばら/\になつてしまふ、と云(ふ意味であつたのですから、それを妙(な方へ取られたのです。
問 予審では斯(う云(ふことを言うて居(る。
「今の説明(に付ては、此(の四頁から九頁迄(に書いて居(る点は、神聖(会員(は私の命令に絶対服従(すべきものだ、と云(ふ意味であります。」
答 それはさうです。
問 「地球は一人の主権者(に依(り統治するのが真理(であり、神聖会(も私一人の独裁と云(ふ意味である」、是(もさうだらうね。
「帝国(議会(の制度(は駄目(である。独裁政治に限る。日本は神の霊代(たる君主(、即(ち私の専制(の神国(である」と云(ふ意味である。
是(はちよつと……。
答 私は、其処(の所は政党(政治の意味やつたけれども、間違(つたのです。
「自分の専制(にしなければならぬ。君主国(にしなければならぬ」と云(ふのは、それは違(ひます。
詰(り、一つの神聖会(を率ゆる為(に、其処(を強く言つたのです。
問 「ミロク神政(を成就(する為(には昭和神聖会(を強化しなければならぬ」と云(ふことを説いて居(るね。
答 ちよつと、ミロク神政(を成就(する、と云(ふのは、此(の間言はれたやうに国体(変更(の意味ぢやないから、其処(の所を能(く書いて置いて欲しい。
問 だから、其処(を専制(と云(ふことを訊(いて居(るのでせう。
お前の言うて居(る所は、「ミロク神政(を成就(する為(には神聖会(を強化しなければならぬ」と云(ふ意味で、「大本(の説いて居(る所の道に依(つて、多数(の大本(の賛同者、信者(を獲得し、日本国民に相応(せる大日本国、即(ち私を統治者とする至仁至愛(の国家(を建設せむとする意味を暗示(したのである。」
是(は違ふのだな。
答 それは、「暗示(した」と云(ふことは違ふのです。其(の「暗示(」と云(ふことから、「即(ち」から先が皆違ふのです。
問 それは判りますけれども、七は「一千万人の昭和神聖会(の賛同者を獲得する迄(は気を緩(めちやならぬ」と云(ふ意味であると、是(も宜(いね。
それから、「統管(随筆中には、『日本は皇室(を戴く家族的制度(の国なり、万世一系の御皇室(の方々(以外(には、余は頭上(に戴くべき何人(もないのだ』と書き、其(の他にも、『神聖会(は我(が日本帝国(の国体(に反することを目的とするのではない』やうに書いてあるが、それは神聖会(は大本(信者(のみの会でなくして信者(以外(の会員(も沢山(居(りますから、其(の関係上表看板(に書いたものであります。」
答 それは違ひます。
問 それは否認だね。
答 私はそんなことは言やしまへぬ。さう御書きになつたのです。
歴史 昭和神聖会綱領
問 それから、此(の昭和神聖会(の綱領(に付て書いてあることは、是(は問違(ひなからうね。
答 其(の昭和神聖会(の綱領(は、それは大深が起草しましたものであります。
問 それから、此(の綱領(は、此(の神聖会(の綱領(は、是(は、まあ、真如(の光等(にも書いてありますが、是(は読まなくても宜(いでせう。
答 其(の通りでございます。
それを正解して、其(の文字の通り解して貰(うたら実に良いことやと思ひます。
問 是(は予審では表看板(と言うたが、是(は文字の通りに解釈(して貰(ひたいとさう云(ふ意味だね。
答 へえ。
是(は僻(んだ根性(で言ふと、「表看板(」やとか「保護色(」やとか言はれるけれども、本当の正しい考で白紙(になつて読んで貰(うたら別に悪いことやない、と私は思ふのです。
又(、別に裏を含(んで居(るやうなことは……
是(は清き明き誠の心を以て、神に仕へて居(る者がそんなことをする筈(がないのであります。
問 是(は目的のことゝちよつと関係するのだが、神聖会(の会則の第二条には、「本会は神聖(なる皇道(に則り鴻業(を翼賛し、神洲(日本の使命(達成を図るを以て目的とす」とありますが、此(の意味は大本(教義(に則り立替立直(の神業(を翼賛して至仁至愛(の国家(の建設を図るを以て目的とするものでありまして、昭和神聖会(と大本(の目的とは同一(の目的であります。」
是(はどうだ。
答 それも嘘(です。
其(の本文の通り解釈(下さつたら判ります。
問 「神聖会(の目的は大本(の目的と同様(だ」と云(ふことは宜(いのでせう。
答 さうですとも。
其処(にありましたのをちよつと聴(きましたが、ちよつとをかしい所が……本文の通り解釈(して貰(へば私はちつとも差支(ないと思ひます。
問 併(し目的は大本(と同じだと。
答 さうです。総て……
けれども、是(は宗教の方でなしに思想(方面(だけが大本(と同じだと云(ふのです。
信仰(させるのぢやないのですから、此(の人は信仰(せないのだから思想(だけ賛成(するのです。
問 それから此(の神聖会(は大本(の外廓団体(だと云(ふことは宜(いでせうね。
是(は信者(も入つて居(るから──。
答 さうです。
問 それから此(の組織の点に付てぢやね、「是(は東京に総本部を置いて、統管(は自分で、副統管(は内田良平及(び出口伊佐男、其(の他役員(の任命(、是(はまあ参謀、参議、」
此(の点はまあ間違(ひないでせうね。
答 間違(ひありまへぬ。
問 それから斯(う云(ふことをちよつと言うて居(るが、「昭和九年の」……。
答 ちよつと頭がふら/\しました。
問 「昭和九年八月二十一日に、綾部(の本宮山(に於(て、自分の生れた祭の際に、生誕(祭に表賀式場で大本(信者(に対して、『どうか昭和青年(会の諸子(も昭和坤生会(の諸子(も、武道宣揚会の諸子(も、此(の私の六十四歳を御祝(ひ下さると共に、昭和神聖会(の為(に大々的(活動(あらむことを希望致(します。私は愈々(乗出(した以上(は進展(主義(で後には引かない。如何(なることがあつても、如何(にしても進まねば置かぬ主義(を以て三十七年間を終始(して来たのであります。それでどんなことがあつても、是(はもう国家(の為(に、今より立替立直(をして仕上(る迄(は、一歩も退かない考であります』と述べた。此(の中の『国家(の為』とあるのは、大本(の為だと云(ふ意味だ」と言うて居(るが。
答 さうぢやありまへぬ。
大本(の為(でもあり、国家(の為(であります。国家(の為は大本(の為(であります。
鴻業 こうげふ 大きな事業
歴史 昭和神聖会の状況
問 宜(し。
それから、昭和九年の十一月二十七日にだね、「神聖会(に対して、昭和十年の七月二十二日迄(に同会の会員(百万人、同会の賛同者を一千万人獲得すべく指令した。」
是(も宜(しいでせうね。
答 それは出来(ぬことは判つて居(りますが、其処(迄言はなければ一生懸命(にならぬから言つたのですけれども、それだけは肚(の中ではそんなに出来(ると思つて居(りまへぬ。
問 「神聖会(の賛同者は七百万人位出来(たと思ふ」と述べて居(つたね。
答 其(の位出来(たと思うて居(つたのですが、百二、三十万人位しかないやうな按配でした。
九州(辺りでも三十五万も一頃は出来(ましたから、それを考へると七百万位は出来(て居(ると考へて居(りましたが、実際は百三十何万と云(ふことを大正(〔昭和の誤り〕十年の四月頃に聞きました。
問 それぢや、まあ、それだけ、昭和神聖会(の創立(の纒末(、其(の後の状況(はそれだけにして……。
争点 神聖会は思想団体か実行団体か
富沢弁護人 裁判長、ちよつと。
今の神聖会(のことですが、思想(団体(であるか実行(団体(であるか、と云(ふことを御訊(き願ひたいと思ひます。
裁判長 どうぢや、思想(団体(であるか、実行(団体(であるか。
出口 それは、固(より、思想(団体(と云(ふことは書いてあります。
問 宜(し。それから。
答 実行(と云(ふ意味は、皆の思想(を其処(へ向ける、と云(ふ意味で、形の上の実行(ぢやないのです。
争点 重要事項の実行機関
問 それから、ちよつと先へ戻るやうだが、どう云(ふ手続(に依(つて其(の重要事項を実行(して居(つたのですか、大本(の重要事項は……。
答 重要事項と云(ふのは……。
問 大本(に於(ては其(の重要な事項がありませう、其(の重要事項はどう云(ふ手続(に依(つて実行(して居(つたのか。
答 どう云(ふ手続(と云(ふと……。
問 銘々にやつて居(つたのですか。
答 それは最高(幹部(会、総務会に依(つてやつて居(つたのです。総務会とか最高(幹部(会とか拵(へてはやつて居(つたのです。
問 最高(幹部(会とか総務会に掛(けてやつて居(つたのか。
答 さうです。
問 其(の点に付ては三十七回の一問答に依(ると、昭和神聖会(はそんな総務会には掛(けて居(りませぬね、それは別な団体(だから……。
答 大本(のことは皆総務会に掛(けて居(りました。
問 三十七回の一問答に於(て、最高(幹部(会とか、それから総務会に掛(けて実行(に移したる重要事項の詳細(のことは覚えて居(りますか。
答 そんなことは覚えて居(りはしまへぬ。
唯(、大本(の宗教を弘めるだけの為(の会議(ですから、それより外に変つたことは何もありやしまへぬ。
問 いや/\、いつ、どう云(ふことを最高(幹部(会なり、或(は総務会に掛(けて、それを承認して実行(に移したかと云(ふことの一々(を覚えて居(りますか、と云(ふことです。
答 それは、一々(覚えて居(りまへぬ。書いたものを見まへぬと……
其(の綜合日誌とか何かに書いてあるやらうと思ひますけれども。さう一々(覚えて居(れるものぢやありまへぬ。
問 成る程ね。
答 ちよつと五分間(程、どうも頭がをかしうございますので休まして下さい。
問 ちよつと腰を掛(けて休みなさい。
それぢや、五分間(、ちよつと休憩(します。
午前十時十五分休憩(