うろーおにうろー

裁判記録(19)

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裁判記録

○昭和坤生会
○昭和青年会と五・一五事件
○昭和神聖会創立
○昭和神聖会綱領
○昭和神聖会の状況
○神聖会は思想団体か実行団体か
○重要事項の実行機関

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。

歴史 昭和坤生会

 さうとは思はぬ、さうぢやありませぬかと()いたのぢやないか、さうするとそれで()いのぢやないか。ないと言ふのだから──「昭和坤生会(こんせひかい)()ふのは、私の意見に()り昭和青年(せいねん)会の婦人(ふじん)部を独立させて昭和七年の十一月一日に創立(さうりつ)した」のだね。

 同会の規約の第二条には、「本会は地上(ちじやう)に真の平和と幸福(かうふく)(もたら)す為、愛善(あいぜん)の大精神に基いて、最善(さいぜん)の誠を(えつ)し、歓喜(くわんき)()てる明るき世界の実現(じつげん)を図るを以て目的とす」とありますが、(これ)は同会は至仁至愛(みろく)国家(こくか)の建設を以て目的とすると()ふ意味で、同会の目的も大本(おほもと)の目的と同一(どういつ)で、同会は世界の活動(くわつどう)機関(きくわん)の一つで昭和青年(せいねん)会の……。

 世界の……。

 「大本(おほもと)活動(くわつどう)機関(きくわん)の一つとして昭和青年(せいねん)会の後継(こうけい)部隊とも言ふべきもので、昭和坤生会(こんせひかい)総裁(そうさい)は私で、会長(くわいちやう)は出口澄であります。同会にも本部(およ)支部(しぶ)に会旗があつて、同会の総本部を綾部(あやべ)に、本部を亀岡(かめをか)に置き、最近支部(しぶ)約三百箇所(かしよ)会員(くわいゐん)約一万五千人(くらゐ)ありました」と、()うなつて()るが、(これ)はどうぢや。

 (これ)矢張(やつぱ)り……。

 書いて()ることはどうぢや。

 書いて()ることは……

 (これ)は、昭和青年(せいねん)会と同じ精神です。同じ精神であつて、(ただ)婦人(ふじん)団体(だんたひ)、女の団体(だんたひ)()ふだけです。

 それで……。


争点 昭和青年会と五・一五事件

赤塚弁護人 裁判長、中途(ちうと)(はなは)恐縮(きようしゆく)でございますが、昭和青年(せいねん)会のことに付て御訊問(じんもん)になつた(つひで)でありますが、今御調べになりました日光(につくわう)とか月光(げつくわう)とか星光とか()ふやうなものの()ぐ次の方にあります記載事項であります。

 (つま)り、「被告が()横浜(よこはま)(おい)て、関東に滞在中に何か東京に(おい)て五・一五事件の起る()(うはさ)があつたと()ふので、大深をして何か動員した」ことが書いてありますが、それに付て……。

出口 それは(うそ)です。

裁判長 ちよつと待つて、被告人の否認しさうな不利益(ふりえき)な点は省いて、認めさうな所は読んだ訳ですがね、今の、「大深浩三にどう()ふ計画がある」と()ふことは故意に()かなかつたのですが、(たづ)ねませうかね。

赤塚弁護人 ちよと其処(そこ)を。

出口 それは(ちが)ひます。

 五・一五事件の時には青年(せいねん)会と()ふものはまだそんなに立派に出来(でき)()りまへぬ。五・一五事件の時にはありましたけれども、六年からあつたけれども……。

裁判長 それぢや弁護人から御(たづ)ねでありましたから、(たづ)ねて見ますがね。

出口 五・一五事件は知らなんだのです。私は知らなんだから、そんな答はありまへぬ。

 今御(たづ)ねになつたやうな事実(じじつ)はあつたかどうか。

 ありまへぬです。

 実際、()の大深浩三に対して、「(これ)だけの時間にどれだけの人が動員出来(でき)るか」と()ふ調査をして出せと……。

 それは五・一五事件の後ですもの。

 後でも、()当時(たうじ)でも(よろ)しいが。

 それは、横浜(よこはま)()りましたのは九年です。

 ()しも、九年に五・一五事件のやうなことがありさうな(うはさ)があつたら、私は、「国家(こくか)の一大事やから、信者(しんじや)は気を付けて、真逆(まつさか)のことがあつたら、御国(をくに)(ため)になるやうなことをせにやいかぬ。(しか)し、我々(われわれ)武器(ぶき)を持つてはいかぬぞ」と()ふことだけは言うたことはあります。

 大深に。

 大深に、「さあ」と言うたら、「何人程人が出て来られるか」と()ふやうなことを御(たづ)ねとありますけれども、それは九年です。

 時期(じき)(よろ)しいが、()の時の調査報告と()ふものは()きましたか。

 ()きまへぬ。話をしただけですから。それをせいとは言ひまへぬでした。

 それで、調査したのは初めて予審で見せて(もら)うたのです。

 (よろ)し。

 (しか)して、()軍部(ぐんぶ)の中堅階級(かいきふ)(おい)て、不穏(ふおん)の空気があると()ふことを聞いてそれに合流するやうな考はあつたのぢやなからうね。

 それはありまへぬ。

 さう()ふ気配があつたやうな供述を……。

 それは、さう()ふ風に持つて行かれたのですけれども、ありまへぬです。

 軍部(ぐんぶ)の者の方とは余り関係して()りまへぬのです。

 それは、ちよこ/\横浜(よこはま)()りますと()ふと、田中文吉と()ふ人が()く来ました。()の人は能く来て()つたのです。

 あれはなか/\激しい男やなと思つて、それで私は訪ねに来ましたから、「雑誌を以て雑誌の講演(かうえん)をして()れ」と言うて、「あんた、何やないか。あんたのやうな人は満洲(まんしう)のなんとか()ふ人と騒動(さうだう)を起さうとして()る、と()ふやうな話があるが」……

 それは少尉時代にはそんな心になつたこともありますけれども、今は父になつて(かか)子供(こども)があつて、もうそんなことは考へて()りまへぬ。


 それぢや予審で述べた点は事実(じじつ)相違(さうゐ)()いて()いかね。

 はいさうです。

 けれども、其処(そこ)へ持つて行かなければ、何か意味のあるやうに──「(ちが)ひます」と()ふことは言はれまへぬです。早く済ましたいのが一念でしたから。(だま)つて()(まま)にして置いたのです。

 それぢや、さう()いて置きませう。

 それから、()の次に、昭和坤生会(こんせひかい)()ふものは婦人(ふじん)部、男子部があると()ふ訳で、目的は同じだと()う言ふのだね。

 さうです。


歴史 昭和神聖会創立

 それから会員(くわいゐん)も一万四、五千人あると()ふことも認める訳だね。

 昭和神聖会(しんせひかひ)のことは四十八回の二の所に詳細(しやうさい)のことに付ては書いてある、此処(ここ)にある──「私は昭和九年の一月より横浜(よこはま)市の根岸町の滝上の関東別院(べつゐん)静岡県(しづをかけん)の田方郡湯ケ島の伊豆(いづ)別院(べつゐん)、それから東京市の杉並区の紫雲(しうん)別院(べつゐん)(とう)時々(ときどき)滞在して、東京(およ)横浜(よこはま)の各方面の人から話を()いて、(また)新聞(しんぶん)記事(きじ)()ると日本の情勢、政治的(せいぢてき)(おい)ても経済的(けいざいてき)(おい)ても行詰(ゆきつま)つて()つて政党(せいたう)腐敗(ふはい)経済(けいざい)界の逼迫(ひつぱく)外交(ぐわいかう)の不振、少壮軍人(ぐんじん)脱線(だつせん)、内閣の不信用(しんよう)軍縮(ぐんしゆく)会議(くわいぎ)脱退等があつて、日本国内(こくない)の内乱が起るとか、日本と外国との間に戦争(せんさう)が起るやうな気がしますので、昭和青年(せいねん)会を中心として大本(おほもと)支持(しぢ)する大衆(たいしう)団体(だんたひ)を作り大本(おほもと)基礎(きそ)確立(かくりつ)し、日本国内(こくない)に内乱が起り、(また)は日本と外国との問に戦争(せんさう)が起つた機会(きくわい)大本(おほもと)の目的であるミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)せしめようと考へ、昭和九年の七月六日に関東別院(べつゐん)に大深浩三と深町孝之輔、国分義一、内海健郎、岡本霊祥、林次郎の六名を集めて昭和神聖会(しんせひかひ)創立(さうりつ)するやう命じ、同月七日東京市日本橋区の料亭の常盤(ときは)(おい)て私、出口伊佐男、大深浩三、深町孝之輔、御田村竜吉、米倉嘉平、米倉恭一郎、河津雄次郎、内海健郎、岡本……。」

 判つて()ります。出来(でき)るだけ略して下さい。

 判つて()るか、是々(これこれ)だね、「集つて、会合して昭和神聖会(しんせひかひ)創立(さうりつ)委員会を開催(かいさい)し、()の席上に(おい)て、私は、『今日(こんにち)の日本の情勢は非常(ひじやう)行詰(ゆきつま)つて()る故、神業(しんげう)成就(じやうじゆ)の為大本(おほもと)大衆(たいしう)土台(どだい)を持つことにせねばならぬので、昭和神聖会(しんせひかひ)創立(さうりつ)するのでありますから、創立(さうりつ)に付て協議(けふぎ)して(もら)ひたい』と述べ、大深浩三が声名書、主義(しゆぎ)綱領(かうりやう)(およ)び会則(とう)の草案に付て説明(せつめい)()し、集会(しうくわい)者一同が大体(だいたい)承認したので、私は御田村竜吉を昭和神聖会(しんせひかひ)創立(さうりつ)準備委員長に、米倉嘉平を同副委員長に、専任委員に大深浩三、委員に河津、是等(これら)の人を命じて創立(さうりつ)準備を()さしめ、同年(どうねん)七月二十二日九段下の軍人(ぐんじん)会館に(おい)て昭和神聖会(しんせひかひ)の発会式を挙行して同会を創立(さうりつ)し、私は発会式に(おい)て参集者に対し、『如何(いか)なる難関(なんくわん)遭遇(さうぐう)するとも初心(しよしん)に向つて邁進(まいしん)する(つも)りであるから、援助(ゑんじよ)を願ひたい』と挨拶(あいさつ)をしました。」

 「私は昭和神聖会(しんせひかひ)統管(とうかん)として」……創立(さうりつ)の纏末だね、「私は統管(とうかん)として昭和七年の十月十日二統管(とうかん)随筆と題しました単行本(たんかうぼん)発行(はつかう)しました。」

 ()の中に色々(いろいろ)書いてあることをずつと説明(せつめい)して()りますがね、(これ)はちよつと言ひますかね。

 はあ。

 ()の四頁には、「絶対服従(ふくじう)天下(てんか)統治の大本(おほもと)なり。私意を加へ言論(げんろん)()す者は、断然(だんぜん)除名して神聖会(しんせひかひ)の統制を保つ覚悟(かくご)を要する」と書いてあり、五頁には「天上(てんじやう)の月も日も一体(いつたい)だ。地上(ちじやう)主権者(しゆけんしや)(また)一柱(ひとはしら)なるが真理(しんり)だ。神聖会(しんせひかひ)(また)統制上一人の独裁を要する」と書き、九頁には「神聖(しんせい)会員(くわいゐん)は総て統管(とうかん)の命令に絶対服従(ふくじう)すべきである」と書き、第十三頁には、「議会(ぎくわい)主義(しゆぎ)駄目(だめ)だ、独裁政治に限るのだ、(こと)に日本は君主(くんしゆ)専制(せんせい)神国(しんこく)だ」、十九頁には、「大事を()すものは光鋭強化せる一団体(だんたひ)威力(ゐりよく)だ、どうしても一つの団体(だんたひ)が強くならねば駄目(だめ)だ、さうなれば外の団体(だんたひ)は後から付いて来るやうになる」とあり、二十七頁の「会員(くわいゐん)は憲法の定むる道に()つて多数(たすう)国民(こくみん)の賛同と認識を獲得、それに()つて日本国民(こくみん)相応(さうおう)せる大日本国を造り、()時期(じき)招来(せうらい)せむとするものである」とあり、二十八頁には、「一千万人の理解(りかい)ある賛同者を獲得する(まで)は決して(まはし)(ゆる)めてはならぬ」と書いてありますね。

 さう書いてありますね。

 それは天にも太陽がある(ごと)く、()の日本も一天(いつてん)万乗の君がある(ごと)くに、団体(だんたひ)矢張(やつぱ)り一つの統制者があつて()の者の言ふ通りに聴かなかつたらばら/\になつてしまふ、と()ふ意味であつたのですから、それを(めう)な方へ取られたのです。

 予審では()()ふことを言うて()る。

 「今の説明(せつめい)に付ては、()の四頁から九頁(まで)に書いて()る点は、神聖(しんせい)会員(くわいゐん)は私の命令に絶対服従(ふくじう)すべきものだ、と()ふ意味であります。」

 それはさうです。

 「地球は一人の主権者(しゆけんしや)()り統治するのが真理(しんり)であり、神聖会(しんせひかひ)も私一人の独裁と()ふ意味である」、(これ)もさうだらうね。

 「帝国(ていこく)議会(ぎくわい)制度(せいど)駄目(だめ)である。独裁政治に限る。日本は神の霊代(たましろ)たる君主(くんしゆ)(すなは)ち私の専制(せんせい)神国(しんこく)である」と()ふ意味である。

 (これ)はちよつと……。

 私は、其処(そこ)の所は政党(せいたう)政治の意味やつたけれども、間違(まちが)つたのです。

 「自分の専制(せんせい)にしなければならぬ。君主国(くんしゆこく)にしなければならぬ」と()ふのは、それは(ちが)ひます。

 (つま)り、一つの神聖会(しんせひかひ)を率ゆる(ため)に、其処(そこ)を強く言つたのです。

 「ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)する(ため)には昭和神聖会(しんせひかひ)を強化しなければならぬ」と()ふことを説いて()るね。

 ちよつと、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)する、と()ふのは、()の間言はれたやうに国体(こくたい)変更(へんかう)の意味ぢやないから、其処(そこ)の所を()く書いて置いて欲しい。

 だから、其処(そこ)専制(せんせい)()ふことを()いて()るのでせう。

 お前の言うて()る所は、「ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)する(ため)には神聖会(しんせひかひ)を強化しなければならぬ」と()ふ意味で、「大本(おほもと)の説いて()る所の道に()つて、多数(たすう)大本(おほもと)の賛同者、信者(しんじや)を獲得し、日本国民に相応(さうおう)せる大日本国、(すなは)ち私を統治者とする至仁至愛(みろく)国家(こくか)を建設せむとする意味を暗示(あんじ)したのである。」

 (これ)は違ふのだな。

 それは、「暗示(あんじ)した」と()ふことは違ふのです。()の「暗示(あんじ)」と()ふことから、「(すなは)ち」から先が皆違ふのです。

 それは判りますけれども、七は「一千万人の昭和神聖会(しんせひかひ)の賛同者を獲得する(まで)は気を(ゆる)めちやならぬ」と()ふ意味であると、(これ)()いね。

 それから、「統管(とうかん)随筆中には、『日本は皇室(くわうしつ)を戴く家族的制度(せいど)の国なり、万世一系の御皇室(くわうしつ)方々(かたがた)以外(いぐわい)には、余は頭上(づじやう)に戴くべき何人(なんぴと)もないのだ』と書き、()の他にも、『神聖会(しんせひかひ)(わが)が日本帝国(ていこく)国体(こくたい)に反することを目的とするのではない』やうに書いてあるが、それは神聖会(しんせひかひ)大本(おほもと)信者(しんじや)のみの会でなくして信者(しんじや)以外(いぐわい)会員(くわいゐん)沢山(たくさん)()りますから、()の関係上表看板(かんばん)に書いたものであります。」

 それは違ひます。

 それは否認だね。

 私はそんなことは言やしまへぬ。さう御書きになつたのです。


歴史 昭和神聖会綱領

 それから、()の昭和神聖会(しんせひかひ)綱領(かうりやう)に付て書いてあることは、(これ)は問(ちが)ひなからうね。

 ()の昭和神聖会(しんせひかひ)綱領(かうりやう)は、それは大深が起草しましたものであります。

 それから、()綱領(かうりやう)は、()神聖会(しんせひかひ)綱領(かうりやう)は、(これ)は、まあ、真如(しんによ)の光(とう)にも書いてありますが、(これ)は読まなくても()いでせう。

 ()の通りでございます。

 それを正解して、()の文字の通り解して(もら)うたら実に良いことやと思ひます。

 (これ)は予審では表看板(かんばん)と言うたが、(これ)は文字の通りに解釈(かいしやく)して(もら)ひたいとさう()ふ意味だね。

 へえ。

 (これ)(ひが)んだ根性(こんじやう)で言ふと、「表看板(かんばん)」やとか「保護色(ほごしよく)」やとか言はれるけれども、本当の正しい考で白紙(はくし)になつて読んで(もら)うたら別に悪いことやない、と私は思ふのです。

 (また)、別に裏を(ふく)んで()るやうなことは……

 (これ)は清き明き誠の心を以て、神に仕へて()る者がそんなことをする(はず)がないのであります。

 (これ)は目的のことゝちよつと関係するのだが、神聖会(しんせひかひ)の会則の第二条には、「本会は神聖(しんせい)なる皇道(こうだう)に則り鴻業(こうげふ)を翼賛し、神洲(しんしう)日本の使命(しめい)達成を図るを以て目的とす」とありますが、()の意味は大本(おほもと)教義(けうぎ)に則り立替立直(たてかへたてなほし)神業(しんげう)を翼賛して至仁至愛(みろく)国家(こくか)の建設を図るを以て目的とするものでありまして、昭和神聖会(しんせひかひ)大本(おほもと)の目的とは同一(どういつ)の目的であります。」

 (これ)はどうだ。

 それも(うそ)です。

 ()の本文の通り解釈(かいしやく)下さつたら判ります。

 「神聖会(しんせひかひ)の目的は大本(おほもと)の目的と同様(どうやう)だ」と()ふことは()いのでせう。

 さうですとも。

 其処(そこ)にありましたのをちよつと()きましたが、ちよつとをかしい所が……本文の通り解釈(かいしやく)して(もら)へば私はちつとも差支(さしつか)ないと思ひます。

 (しか)目的は大本(おほもと)と同じだと。

 さうです。総て……

 けれども、(これ)は宗教の方でなしに思想(しさう)方面(はうめん)だけが大本(おほもと)と同じだと()ふのです。

 信仰(しんかう)させるのぢやないのですから、()の人は信仰(しんかう)せないのだから思想(しさう)だけ賛成(さんせい)するのです。


 それから()神聖会(しんせひかひ)大本(おほもと)の外廓団体(だんたひ)だと()ふことは()いでせうね。

 (これ)信者(しんじや)も入つて()るから──。

 さうです。

 それから()の組織の点に付てぢやね、「(これ)は東京に総本部を置いて、統管(とうかん)は自分で、副統管(とうかん)は内田良平(およ)び出口伊佐男、()の他役員(やくゐん)任命(にんめい)(これ)はまあ参謀、参議、」

 ()の点はまあ間違(まちが)ひないでせうね。

 間違(まちが)ひありまへぬ。

 それから()()ふことをちよつと言うて()るが、「昭和九年の」……。

 ちよつと頭がふら/\しました。

 「昭和九年八月二十一日に、綾部(あやべ)本宮山(ほんぐうやま)(おい)て、自分の生れた祭の際に、生誕(せいたん)祭に表賀式場で大本(おほもと)信者(しんじや)に対して、『どうか昭和青年(せいねん)会の諸子(みんな)も昭和坤生会(こんせひかい)諸子(みんな)も、武道宣揚会の諸子(みんな)も、()の私の六十四歳を御祝(おいはひ)ひ下さると共に、昭和神聖会(しんせひかひ)(ため)大々的(だいだいてき)活動(くわつどう)あらむことを希望(いた)します。私は愈々(いよいよ)乗出(のりだ)した以上(いじやう)進展(しんてん)主義(しゆぎ)で後には引かない。如何(いか)なることがあつても、如何(いか)にしても進まねば置かぬ主義(しゆぎ)を以て三十七年間を終始(しうし)して来たのであります。それでどんなことがあつても、(これ)はもう国家(こくか)(ため)に、今より立替立直(たてかへたてなほし)をして仕上(しあが)(まで)は、一歩も退かない考であります』と述べた。()の中の『国家(こくか)の為』とあるのは、大本(おほもと)の為だと()ふ意味だ」と言うて()るが。

 さうぢやありまへぬ。

 大本(おほもと)(ため)でもあり、国家(こくか)(ため)であります。国家(こくか)の為は大本(おほもと)(ため)であります。


鴻業 こうげふ 大きな事業


歴史 昭和神聖会の状況

 (よろ)し。

 それから、昭和九年の十一月二十七日にだね、「神聖会(しんせひかひ)に対して、昭和十年の七月二十二日(まで)に同会の会員(くわいゐん)百万人、同会の賛同者を一千万人獲得すべく指令した。」

 (これ)(よろ)しいでせうね。

 それは出来(でき)ぬことは判つて()りますが、其処(そこ)迄言はなければ一生懸命(いつしやうけんめい)にならぬから言つたのですけれども、それだけは(はら)の中ではそんなに出来(でき)ると思つて()りまへぬ。

 「神聖会(しんせひかひ)の賛同者は七百万人位出来(でき)たと思ふ」と述べて()つたね。

 ()の位出来(でき)たと思うて()つたのですが、百二、三十万人位しかないやうな按配でした。

 九州(きうしう)辺りでも三十五万も一頃は出来(でき)ましたから、それを考へると七百万位は出来(でき)()ると考へて()りましたが、実際は百三十何万と()ふことを大正(たいしやう)〔昭和の誤り〕十年の四月頃に聞きました。

 それぢや、まあ、それだけ、昭和神聖会(しんせひかひ)創立(さうりつ)纒末(てんまつ)()の後の状況(じやうきやう)はそれだけにして……。


争点 神聖会は思想団体か実行団体か

富沢弁護人 裁判長、ちよつと。

 今の神聖会(しんせひかひ)のことですが、思想(しさう)団体(だんたひ)であるか実行(じつかう)団体(だんたひ)であるか、と()ふことを御()き願ひたいと思ひます。

裁判長 どうぢや、思想(しさう)団体(だんたひ)であるか、実行(じつかう)団体(だんたひ)であるか。

出口 それは、(もと)より、思想(しさう)団体(だんたひ)()ふことは書いてあります。

 (よろ)し。それから。

 実行(じつかう)()ふ意味は、皆の思想(しさう)其処(そこ)へ向ける、と()ふ意味で、形の上の実行(じつかう)ぢやないのです。


争点 重要事項の実行機関

 それから、ちよつと先へ戻るやうだが、どう()手続(てつづ)()つて()の重要事項を実行(じつかう)して()つたのですか、大本(おほもと)の重要事項は……。

 重要事項と()ふのは……。

 大本(おほもと)(おい)ては()の重要な事項がありませう、()の重要事項はどう()手続(てつづ)()つて実行(じつかう)して()つたのか。

 どう()手続(てつづ)()ふと……。

 銘々にやつて()つたのですか。

 それは最高(さいかう)幹部(かんぶ)会、総務会に()つてやつて()つたのです。総務会とか最高(さいかう)幹部(かんぶ)会とか(こしら)へてはやつて()つたのです。

 最高(さいかう)幹部(かんぶ)会とか総務会に()けてやつて()つたのか。

 さうです。

 ()の点に付ては三十七回の一問答に()ると、昭和神聖会(しんせひかひ)はそんな総務会には()けて()りませぬね、それは別な団体(だんたひ)だから……。

 大本(おほもと)のことは皆総務会に()けて()りました。

 三十七回の一問答に(おい)て、最高(さいかう)幹部(かんぶ)会とか、それから総務会に()けて実行(じつかう)に移したる重要事項の詳細(しやうさひ)のことは覚えて()りますか。

 そんなことは覚えて()りはしまへぬ。

 (ただ)大本(おほもと)の宗教を弘めるだけの(ため)会議(くわいぎ)ですから、それより外に変つたことは何もありやしまへぬ。

 いや/\、いつ、どう()ふことを最高(さいかう)幹部(かんぶ)会なり、(あるひ)は総務会に()けて、それを承認して実行(じつかう)に移したかと()ふことの一々(いちいち)を覚えて()りますか、と()ふことです。

 それは、一々(いちいち)覚えて()りまへぬ。書いたものを見まへぬと……

 ()の綜合日誌とか何かに書いてあるやらうと思ひますけれども。さう一々(いちいち)覚えて()れるものぢやありまへぬ。

 成る程ね。

 ちよつと五分間(ごふんかん)程、どうも頭がをかしうございますので休まして下さい。

 ちよつと腰を()けて休みなさい。

 それぢや、五分間(ごふんかん)、ちよつと休憩(きうけい)します。

午前十時十五分休憩(きうけい)