うろーおにうろー
裁判記録(18)
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裁判記録
○王仁三郎の体調
○組織方針
○建造物
○宣伝使
○神諭、霊界物語の拝読
○皇道大本への改称と宗教博覧会
○機関紙
○絶対服従
○書籍の掲載確認
○昭和青年会のはじまり
○昭和青年会の軍隊式訓練
原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。
進行 王仁三郎の体調
昭和十三年八月十三日(土曜日)
京都地方裁判所
午前九時十分開廷
裁判長
全部
(
ぜんぶ
)
立つて。
前回に
引続
(
ひきつづ
)
いて続行します。
坐
(
すわ
)
つて……。
前田弁護人
裁判長、前回の御審理の際に出口は、
大本
(
おほもと
)
の
教義
(
けうぎ
)
と
云
(
い
)
ふものはどう
云
(
い
)
ふものかと
云
(
い
)
ふと、「
大本
(
おほもと
)
の
教義
(
けうぎ
)
と
云
(
い
)
ふものは
祝詞
(
のりと
)
に
依
(
よ
)
つて尽きて
居
(
を
)
るのだ」と、
斯
(
か
)
う
云
(
い
)
ふことを
申上
(
まをしあげ
)
げました。
それで、
甚
(
はなは
)
だ
是
(
これ
)
はなんですが、
是
(
これ
)
は
御参考
(
ごさんかう
)
の
為
(
ため
)
に
裁判所
(
さいばんしよ
)
に一つ、どうぞ書記の方にも一つ(と謄写物を渡しながら)
之
(
これ
)
を読んで下さい。
裁判長
結構
(
けつこう
)
ですね。
祝詞
(
のりと
)
……。
出口
裁判長閣下にちよつと
申上
(
まをしあげ
)
げます。
言訳
(
いひわけ
)
でもなんでもございまへぬが、私
去年
(
きよねん
)
の一月から、
非常
(
ひじやう
)
に
此
(
こ
)
の、
血圧
(
けつあつ
)
が高うなりまして、御医者様が、
始終
(
しじう
)
のぼせますので、未だに
入浴
(
にふよく
)
を許して下さりまへぬ。さうして、
運動
(
うんどう
)
も許されて
居
(
を
)
りまへぬ。
それで、頭は別に悪いことはないのですけれども、少し長うなりますと、ふつとして判らなくなります。
ちよつと休みますと、
又
(
また
)
、治つて来ます。
昨日
(
きのふ
)
も、御問と
齟齬
(
そご
)
したことやら、御答すべきことでないことを答へたり、御答へすべき所を御答へ
申上
(
まをしあげ
)
げないやうに思ひますけれども、
是
(
これ
)
はどうぞ、
終
(
しま
)
ひの日で
宜
(
よろ
)
しうございますから、頭が良くなつた日に、もう一遍ちよつとをかしい所がありましたら、
訊
(
き
)
いて下さりませ。
問
をかしい所があつたらね。
答
私の答と
矛盾
(
むじゆん
)
して
居
(
を
)
る所が、
御訊
(
をたずね
)
と違ふことを言つた所があるかも判りまへぬから、私もちよつと言はして
戴
(
いただ
)
きたいことがあるのでございますから……。
問
是
(
これ
)
から言ふ
機会
(
きくわい
)
は
幾
(
いく
)
らもありますから、最終にもありますし、検事の意見に対してもありますし、それから終結する
場合
(
ばあひ
)
にも
訊
(
き
)
く
機会
(
きくわい
)
はありますから……。
答
そんなら、
又
(
また
)
後で……。
問
心配ないですよ。
幾
(
いく
)
らでも
機会
(
きくわい
)
は与へます。言落したことのないやうに十二分に
訊
(
き
)
くから……。
答
左様
(
さやう
)
でございますか。
争点 組織方針
問
それぢや、
王仁三郎
(
おにさぶらう
)
、
訊
(
たづ
)
ねます。
被告人
王仁三郎
(
おにさぶらう
)
は、昭和三年の三月三日より同十年の十一月上旬頃
迄
(
まで
)
の間に
於
(
おい
)
て、右
綾部町
(
あやべちやう
)
本宮
(
ほんぐう
)
及
(
およ
)
び
亀岡町
(
かめをかちやう
)
の
天恩郷
(
てんおんきやう
)
に
於
(
おい
)
て
大本
(
おほもと
)
の
為
(
ため
)
に、
大本
(
おほもと
)
の重要なる組織
方針
(
はうしん
)
並に
活動
(
くわつどう
)
方針
(
はうしん
)
を
樹立
(
じゆりつ
)
して、
幹部
(
かんぶ
)
役員
等
(
たふ
)
をして
実行
(
じつかう
)
せしめたる
事実
(
じじつ
)
がありますか。
答
何を
実行
(
じつかう
)
させたと
云
(
い
)
ふのですか。
問
組織
方針
(
はうしん
)
、
活動
(
くわつどう
)
方針
(
はうしん
)
。
答
それはあります、あの規則の通りにやつて
居
(
を
)
りますから──。
問
詰
(
つま
)
り、
砕
(
くだ
)
いて申しますと、組織
方針
(
はうしん
)
はどう
云
(
い
)
ふ風に担当するかと
云
(
い
)
ふ
方針
(
はうしん
)
を立てゝ役員
等
(
たふ
)
に
実行
(
じつかう
)
せしめた
事実
(
じじつ
)
と
云
(
い
)
ふことです。
是
(
これ
)
は統轄して
居
(
を
)
る関係上……。
答
私が統轄して
居
(
を
)
りまして、
役員
(
やくゐん
)
が
銘々
(
めひめひ
)
に
其
(
そ
)
の規則に
依
(
よ
)
つて働いて
居
(
を
)
りました。
問
規則に
依
(
よ
)
つて
役員
(
やくゐん
)
幹部
(
かんぶ
)
はやらして
居
(
を
)
る訳だな、自分が
指揮
(
しき
)
して……。
答
へえ。
問
今のは十二月
迄
(
まで
)
の、検挙迄だが
宜
(
よろ
)
しいかね。
答
はあ。
問
宜
(
よろ
)
しいかね。
答
何がですか。
問
宜
(
よろ
)
しいか、今の
訊
(
たづ
)
ねたことは。
答
兎
(
と
)
も
角
(
かく
)
、私が
指揮
(
しき
)
したことになりますから、私は
修業
(
しうげふ
)
ばかりやつて
居
(
を
)
りまして、皆規則の通りにやつて
呉
(
く
)
れて
居
(
を
)
ると思ひますけれども、
結局
(
けつきよく
)
は、まあ、私が
大将
(
たいしやう
)
ですから私が
指揮
(
しき
)
したも同じことです。私が
指揮
(
しき
)
してさしたも同じことになります。
問
併
(
しか
)
し、重要事項は皆
全部
(
ぜんぶ
)
自分がやつて
居
(
を
)
つたのでせう。相談を受けて、自分がやつて
居
(
を
)
つたのでせう。
答
はあ。
歴史 建造物
問
それから、
決定
(
けつてい
)
に書いてあることだが、「
矢張
(
やつぱ
)
り、
大本
(
おほもと
)
の
為
(
ため
)
に各種の
建造物
(
けんざうぶつ
)
を増築して
大本
(
おほもと
)
の設備を
充実
(
じゆうじつ
)
し、
色々
(
いろいろ
)
其
(
そ
)
の
建造物
(
けんざうぶつ
)
を増築して、
建物
(
たてもの
)
を増築して、
大本
(
おほもと
)
の設備を
充分
(
じうぶん
)
にし、それから
大本
(
おほもと
)
の
最高
(
さいかう
)
幹部
(
かんぶ
)
、総務、
大宣伝使
(
だいせんでんし
)
等
(
とう
)
を
任命
(
にんめい
)
し、それから
駐在
(
ちゆうざい
)
宣伝使
(
せんでんし
)
及
(
およ
)
特派
宣伝使
(
せんでんし
)
を選定して、
各地
(
かくち
)
に派遣し
分所
(
ぶんしよ
)
支部
(
しぶ
)
等
(
とう
)
の宣伝
活動
(
くわつどう
)
を
指揮
(
しき
)
監督
(
かんとく
)
せしめ、それから
幹部
(
かんぶ
)
役員
(
やくゐん
)
をして
天恩郷
(
てんおんきやう
)
大祥殿
(
たいしやうでん
)
に
於
(
おい
)
て
大本
(
おほもと
)
教義
(
けうぎ
)
の講義
講演
(
かうえん
)
を
為
(
な
)
さしめ、それから
大本
(
おほもと
)
信者
(
しんじや
)
から
大本
(
おほもと
)
の
活動
(
くわつどう
)
資金
及
(
およ
)
び建築資金を徴収し、
機関
(
きくわん
)
紙神の国の
真如
(
しんによ
)
の光、
瑞祥
(
ずゐしやう
)
新聞
(
しんぶん
)
、
明光
(
めいくわう
)
及
(
およ
)
び
人類
(
じんるゐ
)
愛善
(
あいぜん
)
新聞
(
しんぶん
)
其
(
そ
)
の他
大本
(
おほもと
)
教義
(
けうぎ
)
を
掲載
(
けいさい
)
したる
霊界物語
(
れいかいものがたり
)
、出口
王仁三郎
(
おにさぶらう
)
全集
等
(
とう
)
を
発行
(
はつかう
)
し、
尚
(
なほ
)
昭和八年の一月
大本
(
おほもと
)
瑞祥会
(
ずゐしやうくわい
)
を廃し、同時に
大本
(
おほもと
)
を
皇道
(
こうだう
)
大本
(
おほもと
)
と改
称
(
しよう
)
し、
大本
(
おほもと
)
の
活動
(
くわつどう
)
機関
(
きくわん
)
として昭和
青年
(
せいねん
)
会、昭和
坤生会
(
こんせひかひ
)
と
云
(
い
)
ふのか。」
答
はい。
問
それと、「
大本
(
おほもと
)
の
補助
(
ほじよ
)
機関
(
きくわん
)
、外廓
団体
(
だんたひ
)
としては昭和
神聖会
(
しんせひかひ
)
を各強化する等
大本
(
おほもと
)
の
拡大
(
くわくだひ
)
強化に努めた」と
云
(
い
)
ふことはどうですかね。
答
さうでございます。
問
能く判つたでせうね。
決定
(
けつてい
)
にも書いてありますし、準備でも
能
(
よ
)
く
訊
(
き
)
いて
居
(
を
)
りますし……。
答
其処
(
そこ
)
にちよつとなんとか
仰
(
お
)
つしやいましたが、昭和
坤生会
(
こんせひかひ
)
とか
神聖会
(
しんせひかひ
)
とか各……。
問
外廓
団体
(
だんたひ
)
……。
答
外廓でなしに……。
問
拡大
(
くわくだひ
)
強化……。
答
違
(
ちが
)
ひます、
其処
(
そこ
)
に一字何か各が
入
(
はい
)
りましたね。
問
大本
(
おほもと
)
の
活動
(
くわつどう
)
機関
(
きくわん
)
として昭和
青年
(
せいねん
)
会、昭和
坤生会
(
こんせひかい
)
……。
答
会の一番
終
(
しま
)
ひに各と
云
(
い
)
ふのが……。
問
創立
(
さうりつ
)
、昭和
青年
(
せいねん
)
会を
創立
(
さうりつ
)
したと
云
(
い
)
ふこと、昭和
青年
(
せいねん
)
会、
坤生会
(
こんせひかひ
)
を各
創立
(
さうりつ
)
した……。
答
はあ。
問
斯
(
か
)
う
云
(
い
)
ふ会でしたね。「
大本
(
おほもと
)
の大きくなるのに努力した」と
云
(
い
)
ふ、
是
(
これ
)
は
間違
(
まちが
)
ひないか。
答
其
(
そ
)
の通りでございます。
其処
(
そこ
)
は
違
(
ちが
)
ひありまへぬ。
問
準備でも認めて
居
(
を
)
つたからね。
尚
(
なほ
)
、
此
(
こ
)
の点に関しては予審の四十六回、四十七回、四十八回に
於
(
おい
)
てだね、
詳細
(
しやうさひ
)
のことを述べて
居
(
を
)
るやうですがね、書いてあるやうだが、
是
(
これ
)
は予審に
於
(
おい
)
てどう
云
(
い
)
ふことを言うたかは覚えて
居
(
を
)
りますか。
答
覚えて
居
(
を
)
りまへぬ。私は、
意思
(
いし
)
にないことを
訊
(
たづ
)
ねられたから、皆
其
(
そ
)
の通り言うて置きました。
問
それぢや、こちらから読みますからね。
清瀬弁護人
今の拡と
云
(
い
)
ふのは
拡大
(
くわくだひ
)
強化と
云
(
い
)
ふ
言葉
(
ことば
)
を……。
裁判長
各
創立
(
さうりつ
)
したと
云
(
い
)
ふことです。
出口
各々
(
おのおの
)
と
云
(
い
)
ふ意味と
違
(
ちが
)
ひますか。
裁判長
昭和
神聖会
(
しんせひかひ
)
と
坤生会
(
こんせひかひ
)
と三つあるから各を付けたのです。
先づ、
之
(
これ
)
を、建築物の増築の点を予審で言うて
居
(
を
)
る点を
訊
(
き
)
きますがね、
宜
(
よ
)
いかい、四十六回の一問答に
於
(
おい
)
て、「
大本
(
おほもと
)
の設備に付ては昭和三年七月二日
亀岡
(
かめをか
)
天恩郷
(
てんおんきやう
)
内に先づ
明光
(
めいくわう
)
殿を建て、
其処
(
そこ
)
には
明光社
(
めいくわうしや
)
を置き、それから
同年
(
どうねん
)
の十一月十六日には同月明殿、
其処
(
そこ
)
には
天照皇大神
(
あまてらすすめおほかみ
)
を
祀
(
まつ
)
つた。」
答
月明殿ですか。
問
名前はどうでも
宜
(
よ
)
い。
答
ちよつと待つて下さい。月明殿は
違
(
ちが
)
ひます。
問
月宮殿
(
げつきうでん
)
ですか。
答
さうです、
月宮殿
(
げつきうでん
)
です。
問
それから、「昭和四年の十月二十八日には、同じく、
智照館
(
ちせうくわん
)
を建て、
大本
(
おほもと
)
の宣伝用の写真の作成
及
(
およ
)
び販売所とし、それから、
同年
(
どうねん
)
の十二月二十七日豊生館を建てゝ、昭和六年八月には第二豊生館を建て、昭和
青年
(
せいねん
)
会の寄宿舎とし、武術部とし」……。
答
更生
(
かうせい
)
館と
云
(
い
)
ふのは寄宿舎のことか知りまへぬが、
更生
(
かうせい
)
館と言ひましたかな。
問
豊生館だよ。
答
あーさうですか。どんな字が書いてあります、豊ですか。
問
それから、「昭和五年の四月に
綾部
(
あやべ
)
に
穹天閣
(
きうてんかく
)
を建て、同閣の二階を
宝物庫
(
ほうもつこ
)
とし階下を私
及
(
およ
)
び澄の
居室
(
きよしつ
)
とし」……。
答
穹天閣
(
きうてんかく
)
……。
問
穹天閣
(
きうてんかく
)
、
宜
(
よ
)
いか。
答
はあ。
問
それから、「昭和六年の八月、
天恩郷
(
てんおんきやう
)
に
更生
(
かうせい
)
館を建てゝ、
大本
(
おほもと
)
の宣伝の軸物、写真
等
(
とう
)
を
陳列
(
ちんれつ
)
した。」
答
それは私の六十一の祝で、
還暦
(
かんれき
)
の
記念
(
きねん
)
に建てたのです。
それで、私に関した一枚額とか
色々
(
いろいろ
)
なものは皆
其処
(
そこ
)
に並べることにしたのです。さうして、それを
又
(
また
)
、宣伝にも
一緒
(
いつしよ
)
に使ふとつたのです。
問
それから、「八月の二十二日に
御三体
(
ごさんたい
)
の
大神様
(
おほかみさま
)
を祭る
為
(
ため
)
に
長生
(
ちやうせひ
)
殿の
基礎
(
きそ
)
工事
(
こうじ
)
を竣功せしめ、それから七年の二月二十日
天恩郷
(
てんおんきやう
)
に
天声社
(
てんせいしや
)
を建て、
大本
(
おほもと
)
の出版物の印刷
発行
(
はつかう
)
所とし」……。
答
何月ですか。
問
七月二十日です、
間違
(
まちが
)
ひないよ。
答
天声社
(
てんせいしや
)
、
瑞祥閣
(
ずゐしやうかく
)
と
違
(
ちが
)
ひますか。
問
瑞祥閣
(
ずゐしやうかく
)
は、
又
(
また
)
違
(
ちが
)
ひます。印刷所、
是
(
これ
)
は
間違
(
まちが
)
ひないね。
答
違
(
ちが
)
ひありまへぬ。
問
文献もあるが、念の
為
(
ため
)
に……。
「
大本
(
おほもと
)
の
愛善
(
あいぜん
)
運動
(
うんどう
)
の
為
(
ため
)
に
天恩郷
(
てんおんきやう
)
に
愛善
(
あいぜん
)
幼稚
(
えうち
)
園を建て、七月二十二日
亀岡
(
かめをか
)
の
瑞祥閣
(
ずゐしやうかく
)
を建て、
大本
(
おほもと
)
の受付、庶務
会計
(
くわいけい
)
等
(
とう
)
の事務所とし、同十年の一月二十五日
天恩郷
(
てんおんきやう
)
に透明殿を建てゝ、私と高木鉄男とが
寄居
(
ききよ
)
し、
同殿
(
どうでん
)
を昭和
神聖会
(
しんせひかひ
)
の
統管
(
とうかん
)
部とした。」
是
(
これ
)
は
宜
(
よろ
)
しいね。
答
はあ。
歴史 宣伝使
問
其
(
そ
)
の次は
信仰
(
しんかう
)
の宣伝です。
「昭和四年の三月
信教
(
しんけう
)
宣伝使
(
せんでんし
)
を
大宣伝使
(
だいせんでんし
)
、
正宣伝使
(
せひせんでんし
)
、
準宣伝使
(
じゆんせんでんし
)
及
(
およ
)
び
宣伝使試補
(
せんでんししほ
)
の四階に分け、
大宣伝使
(
だいせんでんし
)
は一級
乃至
(
ないし
)
七級とし、
正宣伝使
(
せひせんでんし
)
は七級
乃至
(
ないし
)
十二級とし、
準宣伝使
(
じゆんせんでんし
)
は十三級とし、
宣伝使試補
(
せんでんししほ
)
は十四級
乃至
(
ないし
)
十六級として、
信教
(
しんけう
)
宣伝使
(
せんでんし
)
を増員した。」
是
(
これ
)
は
間違
(
まちが
)
ないね。
答
はあ。
問
其
(
そ
)
の次は、「
今度
(
こんど
)
は
大本
(
おほもと
)
の
最高
(
さいかう
)
幹部
(
かんぶ
)
、総務
及
(
およ
)
び
大宣伝使
(
だいせんでんし
)
を
任命
(
にんめい
)
し、
大本
(
おほもと
)
の
役員
(
やくゐん
)
及
(
およ
)
び職員を増員した。それから
其
(
そ
)
の次は、昭和六年の二月より
大本
(
おほもと
)
信者
(
しんじや
)
、
大本
(
おほもと
)
分所
(
ぶんしよ
)
支部
(
しぶ
)
及
(
およ
)
び
大本
(
おほもと
)
の
機関
(
きくわん
)
紙、神の国、
明光
(
めいくわう
)
、
人類
(
じんるゐ
)
愛善
(
あいぜん
)
新聞
(
しんぶん
)
の各
梅花
(
ばいくわ
)
運動
(
うんどう
)
、
即
(
すなは
)
ち五
倍加
(
ばいか
)
運動
(
うんどう
)
を
為
(
な
)
さしめた」と、
是
(
これ
)
も
此
(
こ
)
の通りだね。
答
はい。
問
それから、「昭和七年のに月二十日より
全国
(
ぜんこく
)
総市
町村
(
ちやうそん
)
に
大本
(
おほもと
)
の
分所
(
ぶんしよ
)
支部
(
しぶ
)
を
設置
(
せつち
)
する
運動
(
うんどう
)
を
為
(
な
)
さしめ、それから
駐在
(
ちゆうざい
)
宣伝使
(
せんでんし
)
及
(
およ
)
び
特派
(
とくは
)
宣伝使
(
せんでんし
)
を
各地
(
かくち
)
に派遣して
大本
(
おほもと
)
の
主義
(
しゆぎ
)
主張
及
(
およ
)
び目的を宣伝せしめ、
信者
(
しんじや
)
の獲得に努めしむると共に、主会、聯合会、
分所
(
ぶんしよ
)
支部
(
しぶ
)
の宣伝
活動
(
くわつどう
)
を
指揮
(
しき
)
監督
(
かんとく
)
せしめ、
又
(
また
)
随時
幹部
(
かんぶ
)
役員
(
やくゐん
)
を
各地
(
かくち
)
に出張せしめて
大本
(
おほもと
)
の
教義
(
けうぎ
)
を宣伝せしめた」と
云
(
い
)
ふ訳だね。
それから、「
大本
(
おほもと
)
の
幹部
(
かんぶ
)
役員
(
やくゐん
)
をして
天恩郷
(
てんおんきやう
)
大祥殿
(
たいしやうでん
)
に
於
(
おい
)
て
大本
(
おほもと
)
の
主義
(
しゆぎ
)
主張
及
(
およ
)
び目的
等
(
とう
)
に付て講義
講演
(
かうえん
)
を
為
(
な
)
さしめて、
信者
(
しんじや
)
の
意識
(
いしき
)
昂揚を図らせ、
又
(
また
)
、毎年
春秋
(
しゆんじう
)
の
大祭
(
たいさい
)
の時には
信者
(
しんじや
)
大会
(
たいくわい
)
を開き、私は
其
(
そ
)
の席
上に
(
かみ
)
於
(
おい
)
て、
信者
(
しんじや
)
に対し、『
大本
(
おほもと
)
の目的達成の
為
(
ため
)
に努力せられたき』旨を述べて激励した。」
是
(
これ
)
も
間違
(
まちが
)
ひないのだね。
答
はい。
歴史 神諭、霊界物語の拝読
問
それから、「
役員
(
やくゐん
)
、
信者
(
しんじや
)
に対し
神諭
(
しんゆ
)
及
(
およ
)
び
霊界物語
(
れいかいものがたり
)
の熟読を激励し、
毎日
(
まいにち
)
大祥殿
(
たいしやうでん
)
に
於
(
おい
)
て
教祖
(
けうそ
)
の
神諭
(
しんゆ
)
を朗読し、昭和五年頃より出口伊佐男を
会長
(
くわいちやう
)
として
大祥殿
(
たいしやうでん
)
に
於
(
おい
)
て
霊界物語
(
れいかいものがたり
)
拝読
(
はいどく
)
会を
開催
(
かいさい
)
せしめて、
神書
(
しんしよ
)
中の
宣伝歌
(
せんでんか
)
の一部をレコードに吹込んで宣伝し」、
是
(
これ
)
も
間違
(
まちが
)
ひないね。
答
間違
(
まちが
)
ひありまへぬ。
歴史 皇道大本への改称と宗教博覧会
問
「昭和八年の一月二十一日
大本
(
おほもと
)
の
瑞祥会
(
ずゐしやうくわい
)
を
廃止
(
はいし
)
して、それ迄単に
大本
(
おほもと
)
と
称
(
しよう
)
して
居
(
をつ
)
たのを
皇道
(
こうだう
)
大本
(
おほもと
)
と改
称
(
しよう
)
し、同時に
大本
(
おほもと
)
の
信条
(
しんでう
)
及
(
およ
)
規約を
改正
(
かいせい
)
し
綾部
(
あやべ
)
を総本部、
亀岡
(
かめをか
)
を本部とし」、
是
(
これ
)
も
間違
(
まちが
)
ないね。
それから、「
大本
(
おほもと
)
信者
(
しんじや
)
をして、
大本
(
おほもと
)
の
活動
(
くわつどう
)
資金
及
(
およ
)
び建築資金を献金せしめ」……。
答
最前
皇道
(
こうだう
)
大本
(
おほもと
)
と改
称
(
しよう
)
したと
云
(
い
)
ふのは復
称
(
しよう
)
したのです。改称は復称の意味です。
問
今度
(
こんど
)
元に復つた訳だね。
それか、「
御手代
(
みてしろ
)
と
称
(
しよう
)
し、
杓子
(
しやくし
)
に私の拇印を
捺
(
を
)
して
宣伝使
(
せんでんし
)
に
所持
(
しよぢ
)
せしめ、
宣伝使
(
せんでんし
)
をして病気
平癒
(
へいゆ
)
の
祈祷
(
きたふ
)
禁厭
(
まじなひ
)
等
(
とう
)
を
為
(
な
)
さしめた。」
是
(
これ
)
もやつて
居
(
を
)
つたやうだね。
それから、
是
(
これ
)
も
訊
(
き
)
いて置くがね、「昭和五年の春に
宗教博
(
しうけうはく
)
覧会に
参加
(
さんか
)
して
大本
(
おほもと
)
の宣伝を
為
(
な
)
し、
其
(
そ
)
の際私は
信者
(
しんじや
)
の川人如水と
云
(
い
)
ふ洋
画家
(
ぐわか
)
に『
愛善
(
あいぜん
)
の花
天上
(
てんじやう
)
一家
(
いつか
)
の春』と題した油絵を画かせて同博覧会に出品せしめた。
答
それは
其処
(
そこ
)
の所、ちよつと私知らぬで
居
(
を
)
つたのです。如水が画いて
呉
(
く
)
れて送つて来たのです。私が命令せぬのに寄
附
(
ふ
)
して
呉
(
く
)
れたのです。
問
さうか、
是
(
これ
)
は知らぬか。
答
其
(
そ
)
の
拵
(
こしら
)
へた時は知らなかつたのです、命令したのやないのです、向ふの
有志
(
いうし
)
で画いて来たのですからー。
歴史 機関紙
問
さうか、それから、
機関
(
きくわん
)
紙のことをちよつと
訊
(
き
)
いて置くが、「
大本
(
おほもと
)
の
機関
(
きくわん
)
紙として神の国、
真如
(
しんによ
)
の光、
瑞祥
(
ずゐしやう
)
新聞
(
しんぶん
)
、
明光
(
めいくわう
)
、ベエルダモンド、
人類
(
じんるゐ
)
愛善
(
あいぜん
)
新聞
(
しんぶん
)
等
(
とう
)
を
発行
(
はつかう
)
し、
信者
(
しんじや
)
及
(
およ
)
び
未信者
(
みしんじや
)
に閲読せしめた」ことは
間違
(
まちが
)
ひないことだね。
答
はい。
問
神の国は
大本
(
おほもと
)
の……
是
(
これ
)
は
昨日
(
きのふ
)
読みましたね、
此
(
こ
)
の
機関
(
きくわん
)
紙の性質と
云
(
い
)
ふことは、
是
(
これ
)
は
昨日
(
きのふ
)
読みましたね。
答
さうでしたかいな、私も覚えて
居
(
を
)
りまへぬ。
問
もう一遍読みせう。
「神の国は、
大本
(
おほもと
)
の
其
(
そ
)
の主張目的
等
(
とう
)
を
大本
(
おほもと
)
の
役員
(
やくゐん
)
信者
(
しんじや
)
に知らしむる目的を以て、
大正
(
たいしやう
)
十年八月
以来
(
いらい
)
主として
大本
(
おほもと
)
教義
(
けうぎ
)
、
神諭
(
しんゆ
)
、
大本
(
おほもと
)
の
活動
(
くわつどう
)
方針
(
はうしん
)
、
活動
(
くわつどう
)
状況
(
じやうきやう
)
等
(
とう
)
を
掲載
(
けいさい
)
発行
(
はつかう
)
せしめ、最近一万五千
人位
(
じんゐ
)
の
読者
(
どくしや
)
がありました。」
答
それは
昨日
(
きのふ
)
聴
(
き
)
きました、思ひ出しました。
問
是
(
これ
)
は
間違
(
まちが
)
ひないね。
答
え丶。
問
それから
書籍
(
しよせき
)
の
発行
(
はつかう
)
の点ですがね、「昭和四年の四月三日から昭和九年の十二月三十日の間二
霊界物語
(
れいかいものがたり
)
第七十二篇
乃至
(
ないし
)
第八十一篇を
発行
(
はつかう
)
し」、
是
(
これ
)
も
間違
(
まちが
)
ひないね。「四年の四月から九年の十二月、それから昭和九年の六月三日から十年の十月二十五日の間に出口
王仁三郎
(
おにさぶらう
)
全集第一巻
乃至
(
ないし
)
第八巻を
発行
(
はつかう
)
し」、
宜
(
よろ
)
しいね。
答
はい。
問
「
其
(
そ
)
の編纂に付ては出口元男が編纂委員長、岩田久太郎が編纂主任、伊佐男、井上、高木、御田村、山口、吉野、桜井等が編纂委員となつて委員会を開いて、私が
書籍
(
しよせき
)
、
新聞
(
しんぶん
)
、雑誌
等
(
とう
)
に
掲
(
かか
)
げて
発行
(
はつかう
)
した
記事
(
きじ
)
、並に、私の書いた
霊界物語
(
れいかいものがたり
)
、
其
(
そ
)
の他未発表の
原稿
(
げんかう
)
中から
選択
(
せんたく
)
して
掲載
(
けいさい
)
したのであります。全集に
掲載
(
けいさい
)
したのは、何れも、私に
於
(
おい
)
て
掲載
(
けいさい
)
方を承認したものであります。右の外
大本
(
おほもと
)
の
主義
(
しゆぎ
)
主張目的
等
(
とう
)
を書いた
単行本
(
たんかうぼん
)
数十
(
すうじふ
)
冊を
発行
(
はつかう
)
し、昭和八年三月
皇道
(
こうだう
)
大本
(
おほもと
)
事務便覧を
発行
(
はつかう
)
し」、
是
(
これ
)
も
間違
(
まちが
)
ひないね。
答
はい。
争点 絶対服従
問
それから、ちよつと、「
役員
(
やくゐん
)
信者
(
しんじや
)
等
(
とう
)
に対して、私の命令に絶対
服従
(
ふくじう
)
して、
大本
(
おほもと
)
の目的達成の
為
(
ため
)
に
舎身
(
しやしん
)
活躍
(
かつやく
)
すべき旨を激励し、
若
(
も
)
し、
信者
(
しんじや
)
が私に対して直接、『ミロク
神政
(
しんせい
)
成就
(
じやうじゆ
)
とは御
皇室
(
くわうしつ
)
が替ることでないかとか、
或
(
あるひ
)
は
立替立直
(
たてかへたてなほし
)
等
(
とう
)
も御
皇室
(
くわうしつ
)
も
立替立直
(
たてかへたてなほし
)
するのではないかとか、
聖師様
(
せいしさま
)
が日本
及
(
およ
)
び世界の統治者になるのではないか』と
云
(
い
)
ふ質問をせられた
場合
(
ばあひ
)
には、私は
大抵
(
たいてい
)
表
面上
(
めんじやう
)
では、『決してそんな
馬鹿
(
ばか
)
なことはない』と否定して
居
(
を
)
りましたが」……。
答
其処
(
そこ
)
の所はちよつと……。
問
「他
方面
(
はうめん
)
に
於
(
おい
)
ては
神諭
(
しんゆ
)
及
(
およ
)
び
霊界物語
(
れいかいものがたり
)
等
(
とう
)
の熟読方を
奨励
(
しやうれい
)
し、
神諭
(
しんゆ
)
及
(
およ
)
び
霊界物語
(
れいかいものがたり
)
等
(
とう
)
を読んで
大本
(
おほもと
)
の真の目的
等
(
とう
)
を
悟
(
さと
)
らせるやうに
仕向
(
しむ
)
けて
居
(
を
)
りました。」
答
それは、私は「さうぢやらう」と言うて御書きになつたので、私はそんなことは
正面
(
しやうめん
)
から違つて
居
(
を
)
りまして、私からそんなことを「何せい」なんと
云
(
い
)
ふことは書いてありやしまへぬし、言うて
居
(
を
)
りやしまへぬ。
私に絶対
服従
(
ふくじう
)
なんと
云
(
い
)
ふそんな
慢心
(
まんしん
)
したことは思うて
居
(
を
)
りまへぬ。
皆
同行
(
どうぎやう
)
、同じ道を行くものと思ひます。皆呼び付けしまへぬ、家の養子だけは宇智麿とか
日出麿
(
ひでまる
)
とか言ひますけれども、高木さんとか井上さんとか皆
同行
(
どうぎやう
)
と思つて
居
(
を
)
りますから、絶対
服従
(
ふくじう
)
は思つて
居
(
を
)
りまへぬ。
神様
(
かみさま
)
に対して絶対
服従
(
ふくじう
)
、と
云
(
い
)
ふことは言うて
居
(
を
)
ります。
争点 書籍の掲載確認
田代弁護人
裁判長ちよつと時間が過ぎたやうですが、
只今
(
ただいま
)
の十五の
書籍
(
しよせき
)
の
発行
(
はつかう
)
に付てですな、「全集に
掲載
(
けいさい
)
してあるものは、何れも、自分に
於
(
おい
)
て
掲載
(
けいさい
)
方を
承諾
(
しようだく
)
したのだ」と
云
(
い
)
ふことであるが、所が、
此
(
こ
)
の前の陳述ではですね、「知らぬ中に皆編輯係がやるのだから、自分は
全然
(
ぜんぜん
)
知らなかつたのだ」と
云
(
い
)
ふことを言うて
居
(
を
)
りますが、
其処
(
そこ
)
をもう一遍……。
出口
それは知らなかつたのでありますけれども、私が許した
以上
(
いじやう
)
は、私が
承諾
(
しようだく
)
したと言はなければならぬやうなもの。私が
役員
(
やくゐん
)
を
任命
(
にんめい
)
したのだから、私が許したことにしなければしやうがありまへぬもの。
問
さう
云
(
い
)
ふ意味か、
宜
(
よろ
)
し。
答
其
(
そ
)
の意味で私は御答へして
居
(
を
)
るのです。総て編輯を私は御答して
居
(
を
)
るのです。
問
十五
迄
(
まで
)
にして十六
以下
(
いか
)
は略して置きます、
決定
(
けつてい
)
事項に関係がないから──。
答
其
(
そ
)
の外の
書物
(
しよもつ
)
でも
一々
(
いちいち
)
私が命令して書かして
一々
(
いちいち
)
調べたのではありまへぬが、私が命令したことにならなければなりませぬ。
問
其処
(
そこ
)
は能く考へて
訊
(
き
)
くが、
其処
(
そこ
)
は、「
斯
(
か
)
う
云
(
い
)
ふことを
掲載
(
けいさい
)
した方が
宜
(
よ
)
い」と思つて、委員会で
決定
(
けつてい
)
した所を
王仁三郎
(
おにさぶらう
)
の所へ持つて来てそれに署名したのではないか。
答
そんなことはありまへぬ。
私は
方々
(
はうばう
)
へ行つて
居
(
を
)
りまして……日記を見て
貰
(
もら
)
うたら判ります、いつ
何日
(
いつ
)
にはどこに
居
(
を
)
るかと
云
(
い
)
ふことが判ります。いつ
何日
(
いつ
)
には
何々
(
なになに
)
の雑誌を校正したとか見たとか
云
(
い
)
ふ……
其
(
そ
)
の私の日記は
大正
(
たいしやう
)
十五年からずつと昭和十年迄ありますから、昭和十年迄それを見ましたらはつきり判るのです。
さうして、印刷してから私の机の所へ、一部上納やとかなんとか
云
(
い
)
ふことで
以
(
もって
)
て来て
居
(
を
)
ります。それで見に来ますけれども、
迚
(
ちつと
)
も見る間も何もありやしまへぬ。見た所が、載つてしまつてから後で事後承認見たいなものですから任してあるだけです。
全部
(
ぜんぶ
)
銘々に
知識
(
ちしき
)
のある人ばかりですから、私よりも
賢
(
かしこ
)
い人、
大学
(
だいがく
)
を卒業した人もあるのです。私などよりももつと
学問
(
がくもん
)
のある人が
居
(
を
)
るのですから、私は
一々
(
いちいち
)
調べることも必要ありまへぬし、調べる間もありまへぬ。
けれども、私が任したのやから私がしたと
云
(
い
)
ふ意味になるので、
且
(
か
)
つ私は責任を
逃
(
のが
)
れると
云
(
い
)
ふことは嫌ひですから、そこで申した。
問
全部
(
ぜんぶ
)
ぢやないが、自分の
斯
(
か
)
う
云
(
い
)
ふことを
掲載
(
けいさい
)
するのを承認を求めて来た
場合
(
ばあひ
)
もあると
云
(
い
)
ふのだな。
答
そんなことはありまへぬ、ちやんと
原稿
(
げんかう
)
を持つて来て見て
呉
(
く
)
れと
云
(
い
)
ふだけです。
問
持つては来るけれども見たことがないと
云
(
い
)
ふのだな。
答
原稿
(
げんかう
)
を持つて来た時は見たことはありますが、十遍に一遍もありまへぬ、
方々
(
はうばう
)
歩いて
居
(
を
)
りますから。
十年からこつちは
現界的
(
げんかいてき
)
活動
(
くわつどう
)
をやると
云
(
い
)
ふので、
方々
(
はうばう
)
廻
(
まは
)
つて
居
(
を
)
るのです。
日記を見て
貰
(
もら
)
ひますと、「
斯
(
か
)
うしたとか
斯
(
か
)
うせい」とか、「
何日
(
いつ
)
の
瑞祥
(
ずゐしやう
)
新聞
(
しんぶん
)
を持つて来たから
斯
(
か
)
うせい」と
云
(
い
)
ふ歌を、
全部
(
ぜんぶ
)
書いてあります。
問
さうか。責任上さうなるが、実際はさうぢやないと
云
(
い
)
ふ意味なんだな。
宜
(
よろ
)
しく。
答
さうです。
歴史 昭和青年会のはじまり
問
さう
云
(
い
)
ふやうに書いて置いて下さい(書記に向ひ)
十六
以下
(
いか
)
は関係ないから読まないことにします、十五迄……それから昭和
青年
(
せいねん
)
会と昭和
坤生会
(
こんせひかひ
)
と昭和
神聖会
(
しんせひかひ
)
を
創立
(
さうりつ
)
した、と
云
(
い
)
ふのは念の
為
(
ため
)
に読んで置くが、「
是
(
これ
)
は四十七回昭和
青年
(
せいねん
)
会は、
最初
(
さいしよ
)
、昭和二年頃に
天恩郷
(
てんおんきやう
)
に
居
(
を
)
つた
青年
(
せいねん
)
の
奉仕
(
ほうし
)
者五、六人が集つて昭和
青年
(
せいねん
)
と
云
(
い
)
ふ雑誌を
拵
(
こしら
)
へて
居
(
を
)
りましたが、
其
(
そ
)
の後大深浩三の
指導
(
しだう
)
で
天恩郷
(
てんおんきやう
)
の
青年
(
せいねん
)
奉仕
(
ほうし
)
者、二、三十名を集めて昭和
青年
(
せいねん
)
会を組織しました。
尤
(
もつと
)
も、
当時
(
たうじ
)
の昭和
青年
(
せいねん
)
会と
云
(
い
)
ふのは
会員
(
くわいゐん
)
の
知識
(
ちしき
)
交換
(
かうくわん
)
、
会員
(
くわいゐん
)
間の親睦を目的として
居
(
を
)
りました。」
是
(
これ
)
はさうか。
答
それは一番初め五、六人の者がたつた一枚の雑誌を書きまして、一冊のやつを六人か七人が替る/\
廻
(
まは
)
り読みの本を
拵
(
こしら
)
へて
居
(
を
)
つたのです。
会員
(
くわいゐん
)
がずつと
廻
(
まは
)
つて読むやうに、それが二回目になつて、
蒟蒻
(
こんにやく
)
版になり、三回目か四回目からちつと大きくなつて来たのです。
初まりは、それで誰も、
幹部
(
かんぶ
)
の者も知らなんで、若い者だけがやつて
居
(
を
)
つたのです。
それで、
其
(
そ
)
の
熱心
(
ねつしん
)
を認めて
其
(
そ
)
の時に──書いてありますが、御田村さんが
一円
(
いちゑん
)
かなんぼ金をやつたのです。
其
(
そ
)
の会に、
青年
(
せいねん
)
会へ、私もなんでも五円か十円か寄
附
(
ふ
)
してやつて、初めはそんなものやつたのです。それも書いてあります、前の
青年
(
せいねん
)
会の雑誌に書いてあります。
問
今読んだことはどうですか、今読み聴けた所はどうですか。
答
青年
(
せいねん
)
会のことばかりでしたか……
大抵
(
たいてい
)
さうでございます。
問
大深浩三が……。
答
……やつたのです、大深浩三が主にやつたことです。
問
それは、「発
端
(
たん
)
はそんなことで、所が昭和六年の九月頃
満洲
(
まんしう
)
事変
(
じへん
)
が起り軍事
思想
(
しさう
)
が盛になつて来たので、私は
此
(
こ
)
の
機会
(
きくわい
)
に」──私と
云
(
い
)
ふのは
王仁三郎
(
おにさぶらう
)
のこと、「既存の昭和
青年
(
せいねん
)
会を軍隊式と
為
(
な
)
し、
大本
(
おほもと
)
信者
(
しんじや
)
全部
(
ぜんぶ
)
を
会員
(
くわいゐん
)
と
為
(
な
)
し、
団体
(
だんたひ
)
運動
(
うんどう
)
の
訓練
(
くんれん
)
を
為
(
な
)
し、
会員
(
くわいゐん
)
は私の命令に絶対
服従
(
ふくじう
)
すべきものとし、統制の取れるやうにして置けば
愈々
(
いよいよ
)
立替立直
(
たてかへたてなほし
)
の際に
武力
(
ぶりよく
)
を用ひるやうな際には
非常
(
ひじやう
)
に役立つと思ひ、昭和六年の十月頃
天恩郷
(
てんおんきやう
)
に
於
(
おい
)
て伊佐男、大深浩三に対し私の
意思
(
いし
)
を伝へ、右の目的の下に昭和
青年
(
せいねん
)
会を再組織するやうに命じました。」
「
其
(
そ
)
の
結果
(
けつくわ
)
昭和六年十月十八日に昭和
青年
(
せいねん
)
会を
創立
(
さうりつ
)
し、
同年
(
どうねん
)
十一月五日
発行
(
はつかう
)
の
真如
(
しんによ
)
の光五十六頁
以下
(
いか
)
に同会々則を
掲載
(
けいさい
)
発表し、
其
(
そ
)
の後同会則は七年の十二月二十四日に改め、
改正
(
かいせい
)
した会則は事務便覧第百十九頁
以下
(
いか
)
に
掲載
(
けいさい
)
してあります。昭和六年十月に
制定
(
せいてい
)
した会則二条には『本会は
人類
(
じんるゐ
)
愛善
(
あいぜん
)
の大精神に基き昭和の
大神業
(
だひしんぎやう
)
の為献身的
活動
(
くわつどう
)
奉仕
(
ほうし
)
を
為
(
な
)
すを以て目的とす』とありますが、
是
(
これ
)
は『昭和
青年
(
せいねん
)
会は
至仁至愛
(
みろく
)
の
国家
(
こくか
)
建設の為、献身的
活動
(
くわつどう
)
を
為
(
な
)
すを以て目的とす』と
云
(
い
)
ふ意味であります。
又
(
また
)
、
改正
(
かいせい
)
したに条は、『本会は
皇道
(
こうだう
)
の
本義
(
ほんぎ
)
に基き、
人類
(
じんるゐ
)
愛善
(
あいぜん
)
の大精神を以て昭和の
大神業
(
だひしんぎやう
)
の為、献身的
活動
(
くわつどう
)
奉仕
(
ほうし
)
を
為
(
な
)
すを以て目的とす』とありますが、
此
(
こ
)
の
皇道
(
こうだう
)
の
本義
(
ほんぎ
)
は
皇道
(
こうだう
)
大本
(
おほもと
)
規定
(
きてい
)
第一条に」、
宜
(
よ
)
いかい、「
皇道
(
こうだう
)
大本
(
おほもと
)
は
経緯
(
たてよこ
)
の
神示
(
しんじ
)
に
依
(
よ
)
つて
闡明
(
せんめい
)
されたる
皇道
(
こうだう
)
の
本義
(
ほんぎ
)
を
宣布
(
せんぷ
)
実践
(
じつせん
)
し、以て世界の平和と
神人
(
しんじん
)
相愛
(
あひあい
)
の
為
(
ため
)
に
神国
(
しんこく
)
成就
(
じやうじゆ
)
の
実現
(
じつげん
)
を期するものとす」とある。
「
皇道
(
こうだう
)
の
本義
(
ほんぎ
)
と同じ意味で
結局
(
けつきよく
)
教祖
(
けうそ
)
の
筆先
(
ふでさき
)
、私の
筆先
(
ふでさき
)
及
(
およ
)
び
霊界物語
(
れいかいものがたり
)
に
於
(
おい
)
て述べてある
大本
(
おほもと
)
教義
(
けうぎ
)
が同会則に
所謂
(
いはゆる
)
皇道
(
こうだう
)
の
本義
(
ほんぎ
)
であります」と
斯
(
か
)
う言うて
居
(
を
)
るね。
答
それは私はちよつと
申上
(
まをしあげ
)
げたいことがございます。それは、あの……。
問
ちよつと待つて。
而
(
しか
)
して、
結局
(
けつきよく
)
、昭和
青年
(
せいねん
)
会の目的は
大本
(
おほもと
)
の目的と
同一
(
どういつ
)
であると
昨日
(
きのふ
)
是
(
これ
)
は認めて
居
(
を
)
つたが、
活動
(
くわつどう
)
機関
(
きくわん
)
の
状態
(
じやうたい
)
は
昨日
(
きのふ
)
否認して
居
(
を
)
つたから改めて言ひませぬ。
答
同一
(
どういつ
)
でありまするが、
其処
(
そこ
)
に書いてあることに違ふことが
沢山
(
たくさん
)
あります。
問
創立
(
さうりつ
)
の形式は
宜
(
よろ
)
しいか。
答
それから
満洲
(
まんしう
)
事変
(
じへん
)
が起りましてから、益々
軍部
(
ぐんぶ
)
の方の人が出て来て、「
矢張
(
やつぱ
)
り、
是
(
これ
)
は、
国民
(
こくみん
)
の
訓練
(
くんれん
)
と
云
(
い
)
ふことが必要やから、あんた
等
(
ら
)
も
訓練
(
くんれん
)
をして軍隊組織の方が、
是
(
これ
)
は総ての組織の中で一番優れたるものは軍隊組織であるから、
信仰
(
しんかう
)
でも救世軍とか
云
(
い
)
ふ軍隊組織のものがあるのやから、
矢張
(
やつぱ
)
り軍隊組織の方が
活気
(
くわつき
)
が
出来
(
でき
)
る」と
云
(
い
)
ふ意味を言つた人があつたものですから、
始終
(
しじう
)
来るものですから、それから
非常
(
ひじやう
)
に
青年
(
せいねん
)
会は、
是
(
これ
)
は皆
精神的
(
せいしんてき
)
の
青年
(
せいねん
)
会にしようと
云
(
い
)
ふので、爺も婆もそれに入会したいと
云
(
い
)
ふ者は皆
青年
(
せいねん
)
会員
(
くわいゐん
)
にしたのです。
さうした所が、
真逆
(
まさか
)
の時には
武力
(
ぶりよく
)
を以て
斯
(
か
)
うすると
云
(
い
)
ふやうな……
大本
(
おほもと
)
にはピストル一つ持つて
居
(
を
)
る
信者
(
しんじや
)
はありまへぬです。
武力
(
ぶりよく
)
を以てするのならば、
幾
(
いく
)
分か準備をして
居
(
を
)
りますけれども、
武力
(
ぶりよく
)
と
云
(
い
)
ふものは一つもありまへぬ。
そんなことを以てやると
云
(
い
)
ふのではないのです。
銃後の
活動
(
くわつどう
)
をしようと、銃後の
国民
(
こくみん
)
となる、と
云
(
い
)
ふ、
今日
(
こんにち
)
で言ふ銃後の
国民
(
こくみん
)
あゝ
云
(
い
)
ふ
具合
(
ぐあひ
)
に
百姓
(
ひやくしやう
)
は鍬を以て闘ひ、それは耕作をやる。木樵は斧を以てやると
云
(
い
)
ふことは、
是
(
これ
)
は皆それが木樵の
武器
(
ぶき
)
は斧である、
百姓
(
ひやくしやう
)
は鍬を以て働くのやから、さうして銃後の守をやる、と
云
(
い
)
ふことは言うて
居
(
を
)
りますけれども、
武器
(
ぶき
)
を以て何せい、と
云
(
い
)
ふやうなことは言うたことがない。
それに
違
(
ちが
)
ひないと言うて、さう御書きになつたのです。
其処
(
そこ
)
は──それからまだ
終
(
しま
)
ひの方に何かちよつと違ふことがありましたが、今ちよつと……。
問
其
(
そ
)
の
趣旨
(
しゆし
)
に帰省するのでせうが、目的はさう書いてありますが、要するにあれかね、
此
(
こ
)
の
青年
(
せいねん
)
会と
云
(
い
)
ふのは何名位
居
(
を
)
つたのです、
全部
(
ぜんぶ
)
……。
答
殆
(
ほとん
)
ど
大本
(
おほもと
)
信者
(
しんじや
)
のなんです。
大本
(
おほもと
)
信者
(
しんじや
)
が、例へば、百人あるとすれば、七十人か八十人位迄
青年
(
せいねん
)
会になつたかも知れませぬ。
爺も婆もなつたのですから、
赤坊
(
あかんばう
)
やら小さい子やらはなつて
居
(
を
)
りまへぬから、さうすると半分位やつたかも知れまへぬ。
問
数ははつきり判らないと。
答
かと思ふのです。
兎
(
と
)
も
角
(
かく
)
、十四、五から下の者は入つて
居
(
を
)
りまへぬ。
問
一万二、三千も
居
(
を
)
りましたか。
答
居
(
を
)
つたかも知れまへぬ。
青年
(
せいねん
)
会の
青年
(
せいねん
)
の
千人
(
せんにん
)
程集つたことがありますから、それよりは見て
居
(
を
)
りまへぬけれども。
併
(
しか
)
し、どこ
其処
(
そこ
)
の
代表
(
だいへう
)
と
云
(
い
)
ふやうなことを言うて
居
(
を
)
りますから、
全国
(
ぜんこく
)
何
支部
(
しぶ
)
の
代表
(
だいへう
)
、
支部
(
しぶ
)
に五十人
居
(
を
)
るか三十人
居
(
を
)
るかそれは判りまへぬ。
問
それぢや、
信者
(
しんじや
)
の七割と
訊
(
き
)
いたら
宜
(
よろ
)
しいね。
答
それ位、五割か七割……。
問
実際集つたのを見たのは、千人位であると……。
答
けれども、それは、
代表者
(
だいへうしや
)
が皆来たのです。
歴史 昭和青年会の軍隊式訓練
問
宜
(
よろ
)
し、
而
(
しか
)
して、有留弘泰と
云
(
い
)
ふ人だね。
此
(
こ
)
の人が軍隊式の
訓練
(
くんれん
)
をやつて
居
(
を
)
つたのか。
答
さうです。
此
(
こ
)
の有留と
云
(
い
)
ふことを予審で初めて
訊
(
き
)
いたのですがね。私は神本はんと
聴
(
き
)
いて
居
(
を
)
つたのです。私は神本が本当かと思ひます。
其
(
そ
)
の人やと思ひます、有留はんは。
其
(
そ
)の人は軍隊へ入つて
居
(
を
)
つた人で、
其
(
そ
)
の人が
始終
(
しじう
)
教へて
居
(
を
)
つたのです。それから、十師団からも来て、憲兵隊からも来て、教へて
居
(
を
)
りました。
問
小隊、中隊、大隊になつて
居
(
を
)
つたのか。
答
なんでも、そんな、ずつと書いてありましたけれども、まだ
其処
(
そこ
)
迄
(
まで
)
は
完成
(
くわんせい
)
して
居
(
を
)
らなんだやうに思ひますけれども……。
問
矢張
(
やつぱ
)
り、分列式などもやつて
居
(
を
)
つたのか。
答
それはやつて
居
(
を
)
つたのです。
一年に一度づつ、
亀岡
(
かめをか
)
に出て来て、
大祭
(
たいさい
)
の翌日より出て来て、
其
(
そ
)
の
序
(
つひで
)
でにやつて
居
(
を
)
つたのです。
問
それから動員計画をして、一方の
日光
(
につくわう
)
部、
月光
(
げつくわう
)
部、星光部、さう
云
(
い
)
ふ
具合
(
ぐあひ
)
に分けて動員計画をして
居
(
を
)
つたのか。
答
まだ計画もして
居
(
を
)
りまへぬけれども、動員計画と
云
(
い
)
ふことの規則は
拵
(
こしら
)
へて
居
(
を
)
りました。
それは
何故
(
なぜ
)
かと言ひますと、日本は
是
(
これ
)
から先は……。
問
日光
(
につくわう
)
部と
云
(
い
)
ふのはどう
云
(
い
)
ふのか。
答
是
(
これ
)
は若い人であつて、
煩累
(
はんるい
)
のない、兵役にも関係なければ仕事の関係もなくして、
身体
(
からだ
)
の自由になる人で、男やとか、どこへ行つても
宜
(
よ
)
いと
云
(
い
)
ふ人です。
そ
れから、私がまだ発表はして
居
(
を
)
りませぬでしたが、南洋のポナペ島と
云
(
い
)
ふ所に、百町歩程
政府
(
せいふ
)
から買つたのです。さうして、
其処
(
そこ
)
で糖業をやつたり、
色々
(
いろいろ
)
なことをやつて
居
(
を
)
つたのです。
農業
(
のうげふ
)
をやつたり、それで海軍の方が
御出
(
おい
)
でになると、皆海の上ばかりで
脚気
(
かつけ
)
になるから気の毒だと
云
(
い
)
ふので、水瓜だとか
芋
(
いも
)
を作つて
献上
(
けんじやう
)
して
居
(
を
)
つた。
それから、
又
(
また
)
、後から三百町歩程
御願
(
おねがひ
)
ひして許可になると
云
(
い
)
ふことになつて、さうしたら、
愈々
(
いよいよ
)
、四、五百人はどうしても、
其
(
そ
)
の
日光
(
につくわう
)
部になる
連中
(
れんちう
)
は
其処
(
そこ
)
へ連れて行かうと
云
(
い
)
ふ考を有つて
居
(
を
)
つたのです。
南洋を
開拓
(
かいたく
)
すると、さうすると
国防
(
こくばう
)
上にも日本の
為
(
ため
)
になる、と
云
(
い
)
ふ考で、さうして東京へ、
或
(
あるひ
)
は敵が何どき
攻
(
せ
)
めて来るかも知れまへぬ。
問
目的はどうでも
宜
(
よ
)
いが、何れも係累のない人だね。いつでも警備は何して
居
(
を
)
つたのだね。
答
さうです。
問
動員計画に対して、ではさう
云
(
い
)
ふ考を有つて
居
(
を
)
つたと、
月光
(
げつくわう
)
部員と
云
(
い
)
ふのは……。
答
それはどうでつしやろ、
其
(
そ
)
の通り
位
(
くらゐ
)
かと思ひます。
問
星光部と
云
(
い
)
ふのは。
答
それは
年寄
(
としより
)
やと思ひます。家に
居
(
を
)
つて、
矢張
(
やつぱ
)
り、家を守つたり何かする人……。
問
月光
(
げつくわう
)
部と
云
(
い
)
ふのは短
期間
(
きかん
)
の動員計画だね……。
答
はい。
問
而
(
しか
)
して、
是等
(
これら
)
の
青年
(
せいねん
)
会員
(
くわいゐん
)
達には、
王仁三郎
(
おにさぶらう
)
の命令には絶対
服従
(
ふくじう
)
するやうに
訓練
(
くんれん
)
して
居
(
を
)
らなかつたか。
答
それはしたのでせう。
問
したのでせう……。
答
私はそんなことは、「何せい」なんと
云
(
い
)
ふことは、私はいつも潜越なことは嫌ひですから申しまへぬけれども、向ふで
同志
(
どうし
)
が
拵
(
こしら
)
へたのです。
問
武器
(
ぶき
)
なんかは
用意
(
ようい
)
して
居
(
を
)
つたのか。
答
そんなものはありまへぬ。
それは、
大本
(
おほもと
)
では
此
(
こ
)
の前に事件が起つた時には、私は刀が好で二千本もありました。
其
(
そ
)
の
為
(
ため
)
に、「こんな
武器
(
ぶき
)
を集めて
居
(
を
)
る」と言はれたから、私は
軍人
(
ぐんじん
)
の人が来たから皆やつてしまひました。
それから、
又
(
また
)
持つて来たのが三百か四百ありましたけれども、それは皆白
鞘
(
さや
)
が主です。
問
刀はどうするのです。
答
どうもしやしまへぬ。
又
(
また
)
、
戦争
(
せんさう
)
が起つたら、
軍人
(
ぐんじん
)
に与へようと思つて
居
(
を
)
つたのです。
問
与へようと思つて準備をして
居
(
を
)
つたのか。皆あつた刀は
軍人
(
ぐんじん
)
に……。
答
軍人
(
ぐんじん
)
で
御出
(
おい
)
でになつた方には上げます。
問
競売になつたか。
答
今度
(
こんど
)
は、
丸
(
まる
)
で金がなくなつてしやうがないから、ちつとでも金を
拵
(
こしら
)
へようと思つて売つたのです。
問
こつちへ上つて
居
(
を
)
つたものでも
大分
(
だいぶん
)
あるのぢやないか。大したものでせう。
答
さうはありまへぬやらう、向ふに二、三百こつちに二十程しかありまへぬやらう。
問
一体
(
いつたい
)
どうするのだ、軍隊式の
訓練
(
くんれん
)
をして──。
答
さうですけれども……。
問
目標
(
もくひやう
)
はどこにあるのですか。
答
それは
信者
(
しんじや
)
の固めにのるのです。
信者
(
しんじや
)
の結束を固めるやうに、ぶら/\と
信者
(
しんじや
)
と
云
(
い
)
ふものは
妙
(
めう
)
なもので
今日
(
こんにち
)
こつちの
信者
(
しんじや
)
で
居
(
を
)
るかと思ふと、浮草者とか
信者
(
しんじや
)
巡礼
(
じゆんれい
)
と言ひまして、浮草のやうなものですから、
又
(
また
)
、次から次へと行く。それをやらないやうに結束するのです。
今日
(
こんにち
)
は
金光教
(
こんくわうけう
)
やと思つたら、
大本
(
おほもと
)
になつたり、
大本
(
おほもと
)
やと思つたら、
天理教
(
てんりけう
)
になつたり、
是
(
これ
)
は
信者
(
しんじや
)
の
癖
(
くせ
)
で、
信仰
(
しんかう
)
巡礼
(
じゆんれい
)
と言ひまして……
之
(
これ
)
を
喰
(
く
)
止める
為
(
ため
)
には、皆同じ着物を着て同じやうに
信仰
(
しんかう
)
せなんだら
喰
(
く
)
止められまへぬ。
問
是
(
これ
)
は、
立替立直
(
たてかへたてなほし
)
になつた
場合
(
ばあひ
)
には
武力
(
ぶりよく
)
に
愬
(
うつたえ
)
へる、と
云
(
い
)
ふことの準備ぢやないでせうね。
答
そんなことぢやありまへぬ。そんなこつちやつたら、
武力
(
ぶりよく
)
の準備をせにやなりまへぬもの。
其処
(
そこ
)
を能く調べて
貰
(
もら
)
うたら判ります。
煩累 はんるい 名)スル わずらわしい物事。また、物事にわずらわされること。
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