裁判記録
○更始会
○愛善会と神聖会
○昭和青年会
○機関紙
○昭和の教勢発展
○王仁三郎の地方訪問 |
原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。
歴史 更始会
問 是等はどう云(ふものかね。
どう云(ふものかね、更始会と云(ふのは。
答 更始会と云(ふものは大正(十三年の甲子(の年で、甲子と云(ふのは「こうし」と読みます。更始と云(ふことと音が相通ずるから、更(に始めると云(ふ意味で更始会と書いたのです。
それで、私が満洲(……満洲(ぢやない蒙古(のウランバートルの活仏(に用があつて会ひに行く為(に、道を弘める為(に……其(の時にあの更始会と云(ふものを始めて、さうして此(の向ふへ甲子の年に行きましたので更始会としたのであります。
其(の時に金を幾(らか出して呉(れた人を更始会員(としたのであります。それが始まりであります。
それから、其(の後に大本(を助ける為(に金を出して呉(れる人を更始会員(と云(ふことになつたのであります。
問 それでね、大本(の瑞祥会(、天声社(、其(の他先に述べた所の各種の大本団体(の本質(はどう云(ふ本質(か。並に、大本(との関係に付てはですね、被告人に対する予審訊問(調書の四十七回の二問答に於(て詳(しく書いて居(る。
此(の通りに訊(いて置いて宜(しいかな。
答 ちよつと一遍見せて下さい、判りまへぬから。
大抵(間違(ひないと思ひますけれども。
問 間違(ひないだらうと思つて居(りますがね。
(此時(裁判長は被告人に対し右記録(を示す)
答 書物(に依(つて書いたのなら、違(ひありまへぬ。
問 書物(に依(つたか何かそいつは判らぬ。ずつと皆書いてありますがね。更始会も総て……四十七回になつて居(ませう。
答 さうです、瑞祥会(も大本(も同じものです。
問 瑞祥会(はどう云(ふものか、更始会はどう云(ふものか、天声社(はどう云(ふものか皆書いてあるね、エスペラント普及(会、人類愛善会(……。
答 之(は私がしやべつたことかいな……。
問 之(はまあ間違(ひないと思ひますがね、念の為(に……。
答 はつきり見へませぬけれども、此(の会の目的は私大抵(其(の時の更始会やとかなんとかの本を見せて貰(ふて言ふたと思ひますから、それに違(ひないと思ひます。
問 それでは大本(の関係も宜(いかね、同じか。
答 同じです。
問 之(は外廓団体(だと、之(は宜(しいか。
答 同じことです、宜(いと思ひます。
問 まあ考へて見て訂正(する点があつたら訂正(しても構はぬよ。
答 読むのが迚(も……併(し大本(と其(の外の会とはちよつとも変つてやしまへぬわ。
それの為(の、大本(を拡(める為(に色々(と変つて居(るのですから、趣意が違ふて居(りやしまへぬ。
歴史 愛善会と神聖会
問 大本(の信者(以外(の者も入つて居(る団体(がある。それを、まあ、外廓団体(と云(ふ。併(し、目的は同じだ上言ふことになつて居(るのだね。
答 さうです、さうです。
愛善(会が少し信者(以外(の人が入つて居(るのです。
それから、神聖会(と云(ふのが、あれが殆(ど入つて居(るのです。
それより外は皆大本(信者(でせう。
問 目的は同じでせう。
答 同じです、さうして神聖会(は、あれは思想(団体(で皇道(発揮(の為(に特にそればかりやつて居(つたのです。
問 それからと、今度(は大本(の機関(紙、本だね並に其(の目的は……。
清瀬弁護人 裁判長、其(の今の四十七回の団体(のことですが、之(で宜(いと言つたのはどの辺迄宜(いと言つたのでありませうか。
この中で、例へば、日光(運動(は……。
裁判長 ちよつと、どこですか。
清瀬弁護人 今の四十七回を挙げて、「各団体(はこの通りだらうが」と云(ふお問に対して……。
裁判長 詰(り、皇室(と大本(との関係……。
清瀬弁護人 関係ですが、七項迄ありますが、どの辺迄を総括(してのお調べでありませうか。
全部(と云(ふことになりますと……。
裁判長 さうしたら、斯(う云(ふことにしませうか……関係と云(ふので判ると思ひますがね。
清瀬弁護人 全体(と云(ふことになると……。
裁判長 大本(の本質(と大本(との関係と云(ふことだけで、判りやせぬかと思ひますがね。
争点 昭和青年会
清瀬弁護人 大本(の外廓団体(なることはそれで宜(いのでありますが、この中には第七の昭和青年(会の記事(が……。
裁判長 それはまあ、訊(かなければならぬが、目的の……。
清瀬弁護人 「決死(隊が出来(たり、平生より旅費(を持つて居(つた」と云(ふやうなことなどがずつと書いてありますが、之(などが認められたやうなことになりますと、此処(では判りますけれども、「其(の機会(を利用して、みろく神政(を成就(しやうと思ひます」と云(ふのは、之(は前のみろく神政(成就(……。
裁判長 昭和青年(会のことが……。
答 そんな細かいことが書いてありますか。それは、ちよつと申上(げなければならぬことがあります。
昭和青年(会のことが其処(に書いてありますか。
問 それは青年(会のことを言ふて居(ることも覚えて居(りますか。
答 大抵(覚えて居(ります。
其(の日光(部とか月光(部とか分けてありませう、それは信者(会員(には言ふて居(りませぬけれども、之(は「一つ時に招集する」とか何とか云(ふことを言ふて居(るけれども、之(は私が南洋のポナペ島に四百町歩程認可を受けて土地を政府(から買ふことになり、又(百町歩程は既(に買つてあるのです、其処(に南洋を拓(く為(に、私は蒙古(を開くとか、満洲(を拓(くとか云(ふことは寒うて迚(も苦労が多くして益が少い。
南洋やつたら、非常(に都合(が良い、と云(ふので、私は其(の準備をやる為(にさう云(ふ青年(会を拵(へて居(つたのです。
問 それでは、此処(迄を訊(いて置きませう、昭和青年(会はだね、「会員(は皇道(の本義(、人類(愛善(の大精神に基き──誓ふ」とありましたね。
それから、一番後に、「昭和青年(会の目的は、同会の目的は大本(と同一(であります」と、之迄(にして置きませうね。
其処(迄、それから組織訓練(とか旗のこととか動員令のことやら色々(書いてありますが、この点はどうですか。
答 私は動員令と云(ふても兵隊を動かす意味でも何でもない。今日(の国民(の精神総動員と云(ふやうな意味も、私は含(んで居(つて、皆一緒(こたになる──神の命令に依(つて、さうして開墾(事業(なり総ての事業(に尽す、と云(ふ意味を私は言ふて居(るのです。さう感じて居(るのです。
それで、其(の動員と云(ふたつて、兵隊ばかりの動員ぢやありまへぬ。けれども、京都府では動員と云(ふことを何して、「お前は之(から謀叛(を起して青年(隊を使ふて戦をするのやらう」と言ひましたが、そんなことは違(ひます。
問 さう言ふことにして置きませうね。それ迄(は宜(いでせうね。
之(はもう判つて居(ると。
答 はあ。
歴史 機関紙
問 それから機関(紙の問題(だがね、東尾が十三回の三問答で詳(しく述べて居(るのだがね。之(は略した方が便宜(かと思ひますがね。
之(は簡単だから読まぬで宜(いでせうね。東尾(の十三回の三問答です。「機関(紙の問題(を大正(十年以後(の皇道(大本(の機関(紙は、月刊雑誌神の国、之(は大正(十年八月以来(大本(から発行(し、大本(の主義(主張の宜伝(機関(紙で、神の国には大本(の教義(に関することを中心として掲(げてあります。神の国は神霊界(を改称(したものであります、それから瑞祥(新聞(」……。
答 宜(しうございます。
問 「同新聞(は大本(の主義(主張の宣伝機関(紙で、同新聞(には大本(の主義(主張を掲(げてあります」、宜(しいか。
答 はあ。
問 それから、其(の次は、月四回発行(の雑誌真如(の光、「之(は大正(十四年十一月以来(大本(から発行(し、それから、大本(の本部と支部(分所(等(との連絡機関(紙で、大本(本部及(大本(の各外廓運動(団体(の会報、地方(通信等(を掲(げて居(る、前からあつた瑞祥会(報を改題したものであります。」
「それから、月三回発行(の人類(愛善(新聞(、之(は同新聞(は十四年の十月以来(人類(愛善(新聞社(が発行(して居(る。」
「同新聞(は最初(は人類愛善会(の機関(紙でありましたが、昭和九年の七月に昭和神聖会(創立(後は同新聞(は人類愛善会(及(び昭和神聖会(の主義(主張の宣伝機関(紙と為(し、愛善(会及(び神聖会(の主義(主張を掲(げて居(ります。」
「月刊雑誌の昭和。之(は昭和六年の十月以来(昭和青年(会から発行(して、同雑誌は昭和青年(会及(び、昭和坤生会(の目的及(び主義(の宣伝機関(紙で、同雑誌には青年(会及(坤生会(の指導(精神である、青年(会を大本(主義(に指導(して行く記事(を掲(げて居(ります。」。宜(いかね。
答 昭和青年(と云(ふ雑誌が後には昭和と云(ふことになりましたのは其(の通りです。
問 「月刊雑誌神聖(、昭和九年の十月以来(昭和神聖会(より発行(して、同雑誌は神聖会(の目的及(主義(の宣伝記事(を掲(げて居(ります。月刊雑誌明光(。明光(は昭和二年八月以来(大本(本部内に在る明光社(より発行(し、文芸(運動(を通じて、大本(教義(を宣伝し、信者(に大本(主義(を会得せしむる為(の機関(誌で、明光(には大本(の主義(主張を礼讃(する趣旨(の和歌(、冠句(を沢山(掲(げてあります。」宜(しいか。
答 はあ。それは、其(の明光(は大本(の何を礼讃(するばかりぢやありまへぬ、総ての歌もあれば総てのこともあるのですから、それも掲(げてあるのです。一部は……。
問 宜(し、それぢや大本(の機関(誌、東尾に対する十三回の三問答のことはさう訊(いて置いても宜(しいでせうね。
機関(誌の配布(数に付ては、伊佐男の三十三回の五問答に於(て斯(う云(ふことになつて居(るのだがね。
答 配布(の部数ですか。部数は私判りまへぬ。
伊佐男が言ふて居(るやらうと思ひます。伊佐男がそれは知つとるのですから、私はそれを知りまへぬ。伊佐男が言ふて居(るのが私は本当やと思ひます。
自分が直接に掛(つて居(るのですから……。
問 大した問題(ではないのですけれどもね。
答 私は部数はちつとも存じまへぬ。どれも之も存じまへぬ。
問 三十三回の五問答に、神の国は約一万四千、瑞新は約一万二千、真如(の光は約四千五百、人類(愛善(新聞(は約二、三十万、昭和九年頃には百万部(を突破(したことがある、昭和は約一万、神聖(は約三万、明光(は約千数百(部、之(れは本当でせうね。
答 そんなものです。
歴史 昭和の教勢発展
問 この大本(が昭和三年の三月三日以来(は目覚(しい発展(をしたのぢやありませぬか。
答 幾(分か日に月に進んでは居(りますけれども、余り目覚(しい発展(をして居(りまへぬ。
信者(
それで、表から見ますと非常(ひじやう)に発展(はつてん)したやうですが、実際の数に於(おい)ては発展(はつてん)して居(を)りまへぬ。
其(そ)の本を見たら判ります。其(そ)の雑誌の売れ方を見たら……。
問 あヽさうか。それで三十七回の四問答に依(よ)ると斯(か)う云(い)ふことが書いてありますね。
答 私のですか。
問 うん。「三年三月三日以後(いご)、同日至聖(しせい)殿に昇殿した私等(わたくしら)十九名、大本(おほもと)の最高(さいかう)幹部(かんぶ)信者(しんじや)等が協力(けふりよく)して組織した大本(おほもと)の目的を達成せしめんとして、天恩郷(てんおんきやう)に月明殿(げつめひでん)を建て、綾部(あやべ)には穹天閣(きうてんかく)、亀岡(かめをか)には透明殿(たうめひでん)を建て、其(そ)の他第十表に御示しの……
之(これ)は色々(いろいろ)な建物(たてもの)がありますがね。
答 其(そ)の意味の発展(はつてん)はして居(を)ります。建物(たてもの)の意味の──私は信者(しんじや)のことやと思ひました。
問 建物(たてもの)の意味ね。
「大本(おほもと)の……それから大本(おほもと)の補助(ほじよ)機関(きくわん)、外廓団体(だんたひ)である人類愛善会(じんるゐあいぜんくわい)の拡大(くわくだひ)、人類(じんるゐ)愛善(あいぜん)新聞(しんぶん)の読者百万人獲得運動(うんどう)があつた。」
「それから、大本(おほもと)の信者(しんじや)及(およ)び分所(ぶんしよ)、支部(しぶ)の倍加(ばいか)運動(うんどう)を起し、それから大本(おほもと)の活動(くわつどう)機関(きくわん)として昭和青年(せいねん)会、昭和坤生会(こんせひかい)を創設し、大本(おほもと)の補助(ほじよ)機関(きくわん)外廓団体(だんたひ)として、昭和神聖会(しんせひかひ)を組織し、同会の会員(くわいゐん)百万人、賛同者一千万人獲得の運動(うんどう)、大本(おほもと)及(およ)び大本(おほもと)の外廓団体(だんたひ)に於(おい)て各種の機関(きくわん)紙を発行(はつかう)し、既(すで)に発表した私の主張及(およ)び所説を纒(まと)めて、王仁三郎(おにさぶらう)全集を発行(はつかう)し、其(そ)の他大本(おほもと)教義(けうぎ)を書いた単行本(たんかうぼん)を発行(はつかう)し、大本(おほもと)の本部及(およ)び分所(ぶんしよ)、支部(しぶ)に於(おい)て、大本(おほもと)教義(けうぎ)の講義、講演(かうえん)を為(な)し、特派宣伝使(せんでんし)を派遣して大本(おほもと)の教義(けうぎ)を宣伝せしめ、且(か)つ主会、聯合会、分所(ぶんしよ)及(およ)び支部(しぶ)の活動(くわつどう)等(とう)を監督(かんとく)指導(しだう)せしめ、それから昭和八年の一月二十六日に大本(おほもと)瑞祥会(ずゐしやうくわい)を廃すと共に、それ迄、単に大本(おほもと)と称(しよう)して居(を)つたのを再び皇道(こうだう)大本(おほもと)と、今度(こんど)は改称(しよう)した。」
之(これ)は遠慮(ゑんりよ)して元に復した訳だね。
答 遠慮(ゑんりよ)して居(を)つたのです。
問 「大本(おほもと)の拡大(くわくだひ)強化を図つた結果(けつくわ)、三年三月三日熊本県吉松(よしまつ)村と横浜市滝の上とに別院(べつゐん)があつて、分所(ぶんしよ)、支部(しぶ)は五百八十数ケ所、大本(おほもと)信者(しんじや)は約一万人余りでありましたのが増加をして、昭和十年の十二月の検挙当時(たうじ)に於きましては、大本(おほもと)の別院(べつゐん)は二十七ケ所、分院は三十九ケ所、主会は三十四会、聯合会は百四十数会、それから分所(ぶんしよ)、支部(しぶ)は千九百八十数ケ所、大本(おほもと)信老数、約七万人位になりました。」
其(そ)の通り書いてあるがね。
答 それは申上(まをしあげ)げますが、二万とか七万人とか云(い)ふことは、之(これ)は……。
問 それは大体(だいたい)のことでありませう。約と書いてあるからね。位と書いてあるからね。
之(これ)は、「建物(たてもの)の方に於(おい)て、宣伝機関(きくわん)に於(おい)て、外廓団体(だんたひ)に於(おい)て、信者(しんじや)の方に於(おい)て之だけになつた」と云(い)ふことを書いて居(を)るが、之(これ)はどうぢや。
問 それはさうですけれども、其(そ)の位(くらゐ)のことは……余り華々しいことぢやないと思ひますが。
五万や六万、世界でニ十億もあるのに、たつた大本(おほもと)に六万や七万出来(でき)たところで、私は華々しいとも何とも思ひませぬ。
歴史 王仁三郎の地方訪問
問 さうか。それから、王仁三郎(おにさぶらう)は昭和三年三月以来(いらい)、昭和十年の十二月上旬迄(まで)の間に──決定(けつてい)のことですよ、各所(かくしよ)の分所(ぶんしよ)及(およ)び支部(しぶ)等(とう)を巡回(じゆんくわい)して役員(やくゐん)信者(しんじや)等(とう)に対して大本(おほもと)の目的達成の為(ため)に舎身(しやしん)活動(くわつどう)すべきことを激励し、又(また)、随行(ずゐかう)の役員(やくゐん)をして大本(おほもと)の教義(けうぎ)宣伝を為(な)さしめた事実(じじつ)はありますか。
之(これ)は、決定(けつてい)の通り訊(き)いて居(を)るのだよ。
答 私は最前も申しました通り、何処(どこ)へ行つても唯(ただ)歌ばかり書いて居(を)りまして……。
問 日記を……。
答 人に話したことはございませぬ。演説もようせない。付いて行つた人は演説をしたり話したりして呉(く)れました。
私は、只(ただ)もう、本当の遊歴したやうなものですけれども、私の顔を見ると信者(しんじや)が気が強うなつて拡張の幾(いく)分か助けになるのです。
けれども、この神聖会(しんせひかひ)を起してからは、非常(ひじやう)に能(よ)くしやべるやうになつたのです。
問 激励と云(い)ふ程ではないのですね。
答 併(しか)し、私が廻(まは)つたから激励になつたかも知れまへぬ。
私の眼から見たら、信者(しんじや)が甦(よみがへ)つて来ますから。
問 さうか。
答 それは事実(じじつ)ですから……。
問 其(そ)の地方(ちはう)巡回(じゆんくわい)の詳細(しやうさい)は四十五回のに問答以下(いか)に於(おい)て──二問答に於(おい)て、それから終り迄(まで)の所で詳細(しやうさい)述べて居(を)るが、之(これ)は此(こ)の通り訊(き)いて宜(よ)からうね。
答 知りまへぬ。
問 三月十四日には何処(どこ)へ、五月六日には何処(どこ)へと書いてあるがね。
答 それはもう間違(まちが)ひありまへぬ。それは本を見て、雑誌を見て言ひましたから。
問 間違(まちが)ひないね。
答 それはもうちつとも間違(まちが)ひないと思ひます。
問 詳細(しやうさい)はね……。
答 何日(いつ)に何処(どこ)へ行つて、何処(どこ)へ行つてどうしたと云(い)ふことは文献を見て……。
問 何処(いづこ)へ行つて怎(ど)うしたと云(い)ふことを書いてありますよ。
「演説した」とは書いてありませぬがね、「演説さした」とか何とか云(い)ふことは書いてありますよ。
答 さうでございませう、それはもうあつちやこつちやで演説して居(を)りますもの、せぬ所もありますけれども……。
問 それは認めますかな。どう云(い)ふことを言ふたか。
答 宣伝使(せんでんし)がどう云(い)ふことを宣伝して居(を)るか、それは知りまへぬ。
清瀬弁護人 何回ですか。
裁判長 四十五回のニ問答。
答 どんなことを言ふて居(を)るか知りまへぬ。
問 宜(よ)いと言ふなら宜(よ)いのですけれども。
答 宜(よ)いです。
問 一、二、三、之(これ)はもう別に問題(もんだい)はないね。
何時(いつ)何処(どこ)其処(そこ)に廻(まは)つて、何時(いつ)帰つたと云(い)ふやうなことは、十一、十二は宜(よろ)しいね。
唯(ただ)、十六の終(しま)ひの所で、「私は以上(いじやう)の如(ごと)く内地(ないち)及(およ)び台湾(たいわん)の大本(おほもと)の別院(べつゐん)、分院、分所(ぶんしよ)、支部(しぶ)を視察(しさつ)し、役員(やくゐん)及(およ)び信者(しんじや)に対しみろく神政(しんせい)成就(じやうじゆ)の為舎身(しやしん)活動(くわつどう)するやう激励し」と……。
答 それは口で言ふたこともありまへぬし。詰(つま)り、先程(さきほど)言ふたやうに激励するやうになるかも知れまへぬが……。
問 判りました。それから、其(そ)の次、一、二、三の三の終りの所に、「台湾(たいわん)や色々(いろいろ)な所を廻(まは)つて、昭和神聖会(しんせひかひ)を開いて、同会の信者(しんじや)、賛同者獲得運動(うんどう)をしました」と、斯(か)うあるが、之(これ)はどうぢや。
答 神聖会(しんせひかひ)のですか。それは、獲得運動(うんどう)をやつたのです。私は唯(ただ)演説ばかりして居(を)りましたけれども、皆(みな)がそれに依(よ)つて獲得運動(うんどう)をやつたのです。
問 やつたか、それはまあ宜(よろ)しい。其(そ)の前にちよつと──大本教(おほもとけう)の座談会──之(これ)はまあ宜(よ)いでせうね。
「座談会を開いて大本(おほもと)教義(けうぎ)を宣伝し」、之(これ)はまあ宜(よ)いでせう、「指揮(しき)監督(かんとく)せしめました」とあるが。
答 まあ一遍……。
問 「随行(ずゐかう)の役員(やくゐん)をして分所(ぶんしよ)、支部(しぶ)の組織方針(はうしん)、活動(くわつどう)方針(はうしん)を指揮(しき)監督(かんとく)せしめました」と云(い)ふことになつて居(を)るが……。
答 せしめました、と言つても役員(やくゐん)は其(そ)の役ですけれども、私は申しまへぬ。
ミロク神政(しんせい)の為(ため)に布教すると云(い)ふことは大本(おほもと)の発展(はつてん)の為(ため)に宜(よ)いと思ふて居(を)りますから、どつか一度位は言ふたかも知れまへぬ。信者(しんじや)に言ふたことがあるかも知れまへぬ。
問 それぢや之(これ)は此通(このとほ)り認めたことにして別に差障(さしさわ)りないやうですね。
答 もう休まして貰(もら)ひたい。
〔省略、次の開廷日の打合せの問答〕
午後(ごご)四時十分閉廷