うろーおにうろー

裁判記録(17)

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裁判記録

○更始会
○愛善会と神聖会
○昭和青年会
○機関紙
○昭和の教勢発展
○王仁三郎の地方訪問

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。

歴史 更始会

 是等(これら)はどう()ふものかね。

 どう()ふものかね、更始会と()ふのは。

 更始会と()ふものは大正(たいしやう)十三年の甲子(きのえね)の年で、甲子と()ふのは「こうし」と読みます。更始と()ふことと音が相通ずるから、(さら)に始めると()ふ意味で更始会と書いたのです。

 それで、私が満洲(まんしう)……満洲(まんしう)ぢやない蒙古(もうこ)のウランバートルの活仏(かつぶつ)に用があつて会ひに行く(ため)に、道を弘める(ため)に……()の時にあの更始会と()ふものを始めて、さうして()の向ふへ甲子の年に行きましたので更始会としたのであります。

 ()の時に金を(いく)らか出して()れた人を更始会員(くわいゐん)としたのであります。それが始まりであります。

 それから、()の後に大本(おほもと)を助ける(ため)に金を出して()れる人を更始会員(くわいゐん)()ふことになつたのであります。

 それでね、大本(おほもと)瑞祥会(ずゐしやうくわい)天声社(てんせいしや)()の他先に述べた所の各種の大本団体(おほもとだんたい)本質(ほんしつ)はどう()本質(ほんしつ)か。並に、大本(おほもと)との関係に付てはですね、被告人に対する予審訊問(じんもん)調書の四十七回の二問答に(おい)(くは)しく書いて()る。

 ()の通りに()いて置いて(よろ)しいかな。

 ちよつと一遍見せて下さい、判りまへぬから。

 大抵(たいてい)間違(まちが)ひないと思ひますけれども。

 間違(まちが)ひないだらうと思つて()りますがね。

此時(このとき)裁判長は被告人に対し右記録(きろく)を示す)

 書物(しよもつ)()つて書いたのなら、(ちが)ひありまへぬ。

 書物(しよもつ)()つたか何かそいつは判らぬ。ずつと皆書いてありますがね。更始会も総て……四十七回になつて()ませう。

 さうです、瑞祥会(ずゐしやうくわい)大本(おほもと)も同じものです。

 瑞祥会(ずゐしやうくわい)はどう()ふものか、更始会はどう()ふものか、天声社(てんせいしや)はどう()ふものか皆書いてあるね、エスペラント普及(ふきふ)会、人類愛善会(じんるゐあいぜんくわい)……。

 (これ)は私がしやべつたことかいな……。

 (これ)はまあ間違(まちが)ひないと思ひますがね、念の(ため)に……。

 はつきり見へませぬけれども、()の会の目的は私大抵(たいてい)()の時の更始会やとかなんとかの本を見せて(もら)ふて言ふたと思ひますから、それに(ちが)ひないと思ひます。

 それでは大本(おほもと)の関係も()いかね、同じか。

 同じです。

 (これ)は外廓団体(だんたひ)だと、(これ)(よろ)しいか。

 同じことです、()いと思ひます。

 まあ考へて見て訂正(ていせい)する点があつたら訂正(ていせい)しても構はぬよ。

 読むのが(とて)も……(しか)大本(おほもと)()の外の会とはちよつとも変つてやしまへぬわ。

 それの(ため)の、大本(おほもと)(ひろ)める(ため)色々(いろいろ)と変つて()るのですから、趣意が違ふて()りやしまへぬ。



歴史 愛善会と神聖会

 大本(おほもと)信者(しんじや)以外(いぐわい)の者も入つて()団体(だんたひ)がある。それを、まあ、外廓団体(だんたひ)()ふ。(しか)し、目的は同じだ上言ふことになつて()るのだね。

 さうです、さうです。

 愛善(あいぜん)会が少し信者(しんじや)以外(いぐわい)の人が入つて()るのです。

 それから、神聖会(しんせひかひ)()ふのが、あれが(ほとん)ど入つて()るのです。

 それより外は皆大本(おほもと)信者(しんじや)でせう。

 目的は同じでせう。

 同じです、さうして神聖会(しんせひかひ)は、あれは思想(しさう)団体(だんたひ)皇道(こうだう)発揮(はつき)(ため)に特にそればかりやつて()つたのです。

 それからと、今度(こんど)大本(おほもと)機関(きくわん)紙、本だね並に()の目的は……。

清瀬弁護人 裁判長、()の今の四十七回の団体(だんたひ)のことですが、(これ)()いと言つたのはどの辺迄()いと言つたのでありませうか。

 この中で、例へば、日光(につくわう)運動(うんどう)は……。

裁判長 ちよつと、どこですか。

清瀬弁護人 今の四十七回を挙げて、「各団体(だんたひ)はこの通りだらうが」と()ふお問に対して……。

裁判長 (つま)り、皇室(くわうしつ)大本(おほもと)との関係……。

清瀬弁護人 関係ですが、七項迄ありますが、どの辺迄を総括(そうくわつ)してのお調べでありませうか。

 全部(ぜんぶ)()ふことになりますと……。

裁判長 さうしたら、()()ふことにしませうか……関係と()ふので判ると思ひますがね。

清瀬弁護人 全体(ぜんたい)()ふことになると……。

裁判長 大本(おほもと)本質(ほんしつ)大本(おほもと)との関係と()ふことだけで、判りやせぬかと思ひますがね。


争点 昭和青年会

清瀬弁護人 大本(おほもと)の外廓団体(だんたひ)なることはそれで()いのでありますが、この中には第七の昭和青年(せいねん)会の記事(きじ)が……。

裁判長 それはまあ、()かなければならぬが、目的の……。

清瀬弁護人 決死(けつし)隊が出来(でき)たり、平生より旅費(りよひ)を持つて()つた」と()ふやうなことなどがずつと書いてありますが、(これ)などが認められたやうなことになりますと、此処(ここ)では判りますけれども、「()機会(きくわい)を利用して、みろく神政(しんせい)成就(じやうじゆ)しやうと思ひます」と()ふのは、(これ)は前のみろく神政(しんせい)成就(じやうじゆ)……。

裁判長 昭和青年(せいねん)会のことが……。

 そんな細かいことが書いてありますか。それは、ちよつと申上(まをしあげ)げなければならぬことがあります。

 昭和青年(せいねん)会のことが其処(そこ)に書いてありますか。

 それは青年(せいねん)会のことを言ふて()ることも覚えて()りますか。

 大抵(たいてい)覚えて()ります。

 ()日光(につくわう)部とか月光(げつくわう)部とか分けてありませう、それは信者(しんじや)会員(くわいゐん)には言ふて()りませぬけれども、(これ)は「一つ時に招集する」とか何とか()ふことを言ふて()るけれども、(これ)は私が南洋のポナペ島に四百町歩程認可を受けて土地を政府(せいふ)から買ふことになり、(また)百町歩程は(すで)に買つてあるのです、其処(そこ)に南洋を(ひら)(ため)に、私は蒙古(もうこ)を開くとか、満洲(まんしう)(ひら)くとか()ふことは寒うて(とて)も苦労が多くして益が少い。

 南洋やつたら、非常(ひじやう)都合(つがふ)が良い、と()ふので、私は()の準備をやる(ため)にさう()青年(せいねん)会を(こしら)へて()つたのです。


 それでは、此処(ここ)迄を()いて置きませう、昭和青年(せいねん)会はだね、「会員(くわいゐん)皇道(こうだう)本義(ほんぎ)人類(じんるゐ)愛善(あいぜん)の大精神に基き──誓ふ」とありましたね。

 それから、一番後に、「昭和青年(せいねん)会の目的は、同会の目的は大本(おほもと)同一(どういつ)であります」と、之(まで)にして置きませうね。

 其処(そこ)迄、それから組織訓練(くんれん)とか旗のこととか動員令のことやら色々(いろいろ)書いてありますが、この点はどうですか。

 私は動員令と()ふても兵隊を動かす意味でも何でもない。今日(こんにち)国民(こくみん)の精神総動員と()ふやうな意味も、私は(ふく)んで()つて、皆一緒(いつしよ)こたになる──神の命令に()つて、さうして開墾(かいこん)事業(じげう)なり総ての事業(じげう)に尽す、と()ふ意味を私は言ふて()るのです。さう感じて()るのです。

 それで、()の動員と()ふたつて、兵隊ばかりの動員ぢやありまへぬ。けれども、京都府では動員と()ふことを何して、「お前は(これ)から謀叛(むほん)を起して青年(せいねん)隊を使ふて戦をするのやらう」と言ひましたが、そんなことは(ちが)ひます。

 さう言ふことにして置きませうね。それ(まで)()いでせうね。

 (これ)はもう判つて()ると。

 はあ。


歴史 機関紙

 それから機関(きくわん)紙の問題(もんだい)だがね、東尾が十三回の三問答で(くは)しく述べて()るのだがね。(これ)は略した方が便宜(べんぎ)かと思ひますがね。

 (これ)は簡単だから読まぬで()いでせうね。東()の十三回の三問答です。「機関(きくわん)紙の問題(もんだい)大正(たいしやう)十年以後(いご)皇道(こうだう)大本(おほもと)機関(きくわん)紙は、月刊雑誌神の国、(これ)大正(たいしやう)十年八月以来(いらい)大本(おほもと)から発行(はつかう)し、大本(おほもと)主義(しゆぎ)主張の宜伝(せんでん)機関(きくわん)紙で、神の国には大本(おほもと)教義(けうぎ)に関することを中心として(かか)げてあります。神の国は神霊界(しんれいかい)を改(しよう)したものであります、それから瑞祥(ずゐしやう)新聞(しんぶん)」……。

 (よろ)しうございます。

 「同新聞(しんぶん)大本(おほもと)主義(しゆぎ)主張の宣伝機関(きくわん)紙で、同新聞(しんぶん)には大本(おほもと)主義(しゆぎ)主張を(かか)げてあります」、(よろ)しいか。

 はあ。

 それから、()の次は、月四回発行(はつかう)の雑誌真如(しんによ)の光、「(これ)大正(たいしやう)十四年十一月以来(いらい)大本(おほもと)から発行(はつかう)し、それから、大本(おほもと)の本部と支部(しぶ)分所(ぶんしよ)(とう)との連絡機関(きくわん)紙で、大本(おほもと)本部(および)大本(おほもと)の各外廓運動(うんどう)団体(だんたひ)の会報、地方(ちはう)通信(とう)(かか)げて()る、前からあつた瑞祥会(ずゐしやうくわい)報を改題したものであります。」

 「それから、月三回発行(はつかう)人類(じんるゐ)愛善(あいぜん)新聞(しんぶん)(これ)は同新聞(しんぶん)は十四年の十月以来(いらい)人類(じんるゐ)愛善(あいぜん)新聞社(しんぶんしや)発行(はつかう)して()る。」

 「同新聞(しんぶん)最初(さいしよ)人類愛善会(じんるゐあいぜんくわい)機関(きくわん)紙でありましたが、昭和九年の七月に昭和神聖会(しんせひかひ)創立(さうりつ)後は同新聞(しんぶん)人類愛善会(じんるゐあいぜんくわい)(およ)び昭和神聖会(しんせひかひ)主義(しゆぎ)主張の宣伝機関(きくわん)紙と()し、愛善(あいぜん)(およ)神聖会(しんせひかひ)主義(しゆぎ)主張を(かか)げて()ります。」

 「月刊雑誌の昭和。(これ)は昭和六年の十月以来(いらい)昭和青年(せいねん)会から発行(はつかう)して、同雑誌は昭和青年(せいねん)(およ)び、昭和坤生会(こんせいかい)の目的(およ)主義(しゆぎ)の宣伝機関(きくわん)紙で、同雑誌には青年(せいねん)(および)坤生会(こんせいかい)指導(しだう)精神である、青年(せいねん)会を大本(おほもと)主義(しゆぎ)指導(しだう)して行く記事(きじ)(かか)げて()ります。」。()いかね。

 昭和青年(せいねん)()ふ雑誌が後には昭和と()ふことになりましたのは()の通りです。

 「月刊雑誌神聖(しんせい)、昭和九年の十月以来(いらい)昭和神聖会(しんせひかひ)より発行(はつかう)して、同雑誌は神聖会(しんせひかひ)の目的(および)主義(しゆぎ)の宣伝記事(きじ)(かか)げて()ります。月刊雑誌明光(めいくわう)明光(めいくわう)は昭和二年八月以来(いらい)大本(おほもと)本部内に在る明光社(めいくわうしや)より発行(はつかう)し、文芸(ぶんげい)運動(うんどう)を通じて、大本(おほもと)教義(けうぎ)を宣伝し、信者(しんじや)大本(おほもと)主義(しゆぎ)を会得せしむる(ため)機関(きくわん)誌で、明光(めいくわう)には大本(おほもと)主義(しゆぎ)主張を礼讃(らいさん)する趣旨(しゆし)和歌(わか)冠句(くわんく)沢山(たくさん)(かか)げてあります。」(よろ)しいか。

 はあ。それは、()明光(めいくわう)大本(おほもと)の何を礼讃(らいさん)するばかりぢやありまへぬ、総ての歌もあれば総てのこともあるのですから、それも(かか)げてあるのです。一部は……。

 (よろ)し、それぢや大本(おほもと)機関(きくわん)誌、東尾に対する十三回の三問答のことはさう()いて置いても(よろ)しいでせうね。

 機関(きくわん)誌の配布(はいふ)数に付ては、伊佐男の三十三回の五問答に(おい)()()ふことになつて()るのだがね。

 配布(はいふ)の部数ですか。部数は私判りまへぬ。

 伊佐男が言ふて()るやらうと思ひます。伊佐男がそれは知つとるのですから、私はそれを知りまへぬ。伊佐男が言ふて()るのが私は本当やと思ひます。

 自分が直接に(かか)つて()るのですから……。

 大した問題(もんだい)ではないのですけれどもね。

 私は部数はちつとも存じまへぬ。どれも之も存じまへぬ。

 三十三回の五問答に、神の国は約一万四千、瑞新は約一万二千、真如(しんによ)の光は約四千五百、人類(じんるゐ)愛善(あいぜん)新聞(しんぶん)は約二、三十万、昭和九年頃には百万部(ひやくまんぶ)突破(とつぱ)したことがある、昭和は約一万、神聖(しんせい)は約三万、明光(めいくわう)は約千数百(すうひやく)部、()れは本当でせうね。

 そんなものです。


歴史 昭和の教勢発展

 この大本(おほもと)が昭和三年の三月三日以来(いらい)目覚(めざま)しい発展(はつてん)をしたのぢやありませぬか。

 (いく)分か日に月に進んでは()りますけれども、余り目覚(めざま)しい発展(はつてん)をして()りまへぬ。

 信者(しんじや)が()へもすりや、死んだ人もあり減つた人もありますから、余り目覚(めざま)しい発展(はつてん)はして()りまへぬが、(しか)し、支部(しぶ)の数を()やしたと()ふのは、一つ支部(しぶ)が四つも五つも分れて余計になつて()るので、支部(しぶ)がたつた三人か四人の信者(しんじや)()るやうな所もあるのです。

 それで、表から見ますと非常(ひじやう)発展(はつてん)したやうですが、実際の数に(おい)ては発展(はつてん)して()りまへぬ。

 ()の本を見たら判ります。()の雑誌の売れ方を見たら……。

 あヽさうか。それで三十七回の四問答に()ると()()ふことが書いてありますね。

 私のですか。

 うん。「三年三月三日以後(いご)、同日至聖(しせい)殿に昇殿した私等(わたくしら)十九名、大本(おほもと)最高(さいかう)幹部(かんぶ)信者(しんじや)等が協力(けふりよく)して組織した大本(おほもと)の目的を達成せしめんとして、天恩郷(てんおんきやう)月明殿(げつめひでん)を建て、綾部(あやべ)には穹天閣(きうてんかく)亀岡(かめをか)には透明殿(たうめひでん)を建て、()の他第十表に御示しの……

 (これ)色々(いろいろ)建物(たてもの)がありますがね。

 ()の意味の発展(はつてん)はして()ります。建物(たてもの)の意味の──私は信者(しんじや)のことやと思ひました。

 建物(たてもの)の意味ね。

 「大本(おほもと)の……それから大本(おほもと)補助(ほじよ)機関(きくわん)、外廓団体(だんたひ)である人類愛善会(じんるゐあいぜんくわい)拡大(くわくだひ)人類(じんるゐ)愛善(あいぜん)新聞(しんぶん)の読者百万人獲得運動(うんどう)があつた。」

 「それから、大本(おほもと)信者(しんじや)(およ)分所(ぶんしよ)支部(しぶ)倍加(ばいか)運動(うんどう)を起し、それから大本(おほもと)活動(くわつどう)機関(きくわん)として昭和青年(せいねん)会、昭和坤生会(こんせひかい)を創設し、大本(おほもと)補助(ほじよ)機関(きくわん)外廓団体(だんたひ)として、昭和神聖会(しんせひかひ)を組織し、同会の会員(くわいゐん)百万人、賛同者一千万人獲得の運動(うんどう)大本(おほもと)(およ)大本(おほもと)の外廓団体(だんたひ)(おい)て各種の機関(きくわん)紙を発行(はつかう)し、(すで)に発表した私の主張(およ)び所説を(まと)めて、王仁三郎(おにさぶらう)全集を発行(はつかう)し、()の他大本(おほもと)教義(けうぎ)を書いた単行本(たんかうぼん)発行(はつかう)し、大本(おほもと)の本部(およ)分所(ぶんしよ)支部(しぶ)(おい)て、大本(おほもと)教義(けうぎ)の講義、講演(かうえん)()し、特派宣伝使(せんでんし)を派遣して大本(おほもと)教義(けうぎ)を宣伝せしめ、()つ主会、聯合会、分所(ぶんしよ)(およ)支部(しぶ)活動(くわつどう)(とう)監督(かんとく)指導(しだう)せしめ、それから昭和八年の一月二十六日に大本(おほもと)瑞祥会(ずゐしやうくわい)を廃すと共に、それ迄、単に大本(おほもと)(しよう)して()つたのを再び皇道(こうだう)大本(おほもと)と、今度(こんど)は改(しよう)した。」

 (これ)遠慮(ゑんりよ)して元に復した訳だね。

 遠慮(ゑんりよ)して()つたのです。

 「大本(おほもと)拡大(くわくだひ)強化を図つた結果(けつくわ)、三年三月三日熊本県吉松(よしまつ)村と横浜市滝の上とに別院(べつゐん)があつて、分所(ぶんしよ)支部(しぶ)は五百八十数ケ所、大本(おほもと)信者(しんじや)は約一万人余りでありましたのが増加をして、昭和十年の十二月の検挙当時(たうじ)に於きましては、大本(おほもと)別院(べつゐん)は二十七ケ所、分院は三十九ケ所、主会は三十四会、聯合会は百四十数会、それから分所(ぶんしよ)支部(しぶ)は千九百八十数ケ所、大本(おほもと)信老数、約七万人位になりました。」

 ()の通り書いてあるがね。

 それは申上(まをしあげ)げますが、二万とか七万人とか()ふことは、(これ)は……。

 それは大体(だいたい)のことでありませう。約と書いてあるからね。位と書いてあるからね。

 (これ)は、「建物(たてもの)の方に(おい)て、宣伝機関(きくわん)(おい)て、外廓団体(だんたひ)(おい)て、信者(しんじや)の方に(おい)て之だけになつた」と()ふことを書いて()るが、(これ)はどうぢや。

 それはさうですけれども、()(くらゐ)のことは……余り華々しいことぢやないと思ひますが。

 五万や六万、世界でニ十億もあるのに、たつた大本(おほもと)に六万や七万出来(でき)たところで、私は華々しいとも何とも思ひませぬ。


歴史 王仁三郎の地方訪問

 さうか。それから、王仁三郎(おにさぶらう)は昭和三年三月以来(いらい)、昭和十年の十二月上旬(まで)の間に──決定(けつてい)のことですよ、各所(かくしよ)分所(ぶんしよ)(およ)支部(しぶ)(とう)巡回(じゆんくわい)して役員(やくゐん)信者(しんじや)(とう)に対して大本(おほもと)の目的達成の(ため)舎身(しやしん)活動(くわつどう)すべきことを激励し、(また)随行(ずゐかう)役員(やくゐん)をして大本(おほもと)教義(けうぎ)宣伝を()さしめた事実(じじつ)はありますか。

 (これ)は、決定(けつてい)の通り()いて()るのだよ。

 私は最前も申しました通り、何処(どこ)へ行つても(ただ)歌ばかり書いて()りまして……。

 日記を……。

 人に話したことはございませぬ。演説もようせない。付いて行つた人は演説をしたり話したりして()れました。

 私は、(ただ)もう、本当の遊歴したやうなものですけれども、私の顔を見ると信者(しんじや)が気が強うなつて拡張の(いく)分か助けになるのです。

 けれども、この神聖会(しんせひかひ)を起してからは、非常(ひじやう)()くしやべるやうになつたのです。

 激励と()ふ程ではないのですね。

 (しか)し、私が(まは)つたから激励になつたかも知れまへぬ。

 私の眼から見たら、信者(しんじや)(よみがへ)つて来ますから。

 さうか。

 それは事実(じじつ)ですから……。

 ()地方(ちはう)巡回(じゆんくわい)詳細(しやうさい)は四十五回のに問答以下(いか)(おい)て──二問答に(おい)て、それから終り(まで)の所で詳細(しやうさい)述べて()るが、(これ)()の通り()いて()からうね。

 知りまへぬ。

 三月十四日には何処(どこ)へ、五月六日には何処(どこ)へと書いてあるがね。

 それはもう間違(まちが)ひありまへぬ。それは本を見て、雑誌を見て言ひましたから。

 間違(まちが)ひないね。

 それはもうちつとも間違(まちが)ひないと思ひます。

 詳細(しやうさい)はね……。

 何日(いつ)何処(どこ)へ行つて、何処(どこ)へ行つてどうしたと()ふことは文献を見て……。

 何処(いづこ)へ行つて()うしたと()ふことを書いてありますよ。

 「演説した」とは書いてありませぬがね、「演説さした」とか何とか()ふことは書いてありますよ。

 さうでございませう、それはもうあつちやこつちやで演説して()りますもの、せぬ所もありますけれども……。

 それは認めますかな。どう()ふことを言ふたか。

 宣伝使(せんでんし)がどう()ふことを宣伝して()るか、それは知りまへぬ。

清瀬弁護人 何回ですか。

裁判長 四十五回のニ問答。

 どんなことを言ふて()るか知りまへぬ。

 ()いと言ふなら()いのですけれども。

 ()いです。

 一、二、三、(これ)はもう別に問題(もんだい)はないね。

 何時(いつ)何処(どこ)其処(そこ)(まは)つて、何時(いつ)帰つたと()ふやうなことは、十一、十二は(よろ)しいね。

 (ただ)、十六の(しま)ひの所で、「私は以上(いじやう)(ごと)内地(ないち)(およ)台湾(たいわん)大本(おほもと)別院(べつゐん)、分院、分所(ぶんしよ)支部(しぶ)視察(しさつ)し、役員(やくゐん)(およ)信者(しんじや)に対しみろく神政(しんせい)成就(じやうじゆ)の為舎身(しやしん)活動(くわつどう)するやう激励し」と……。

 それは口で言ふたこともありまへぬし。(つま)り、先程(さきほど)言ふたやうに激励するやうになるかも知れまへぬが……。

 判りました。それから、()の次、一、二、三の三の終りの所に、「台湾(たいわん)色々(いろいろ)な所を(まは)つて、昭和神聖会(しんせひかひ)を開いて、同会の信者(しんじや)、賛同者獲得運動(うんどう)をしました」と、()うあるが、(これ)はどうぢや。

 神聖会(しんせひかひ)のですか。それは、獲得運動(うんどう)をやつたのです。私は(ただ)演説ばかりして()りましたけれども、(みな)がそれに()つて獲得運動(うんどう)をやつたのです。

 やつたか、それはまあ(よろ)しい。()の前にちよつと──大本教(おほもとけう)の座談会──(これ)はまあ()いでせうね。

 「座談会を開いて大本(おほもと)教義(けうぎ)を宣伝し」、(これ)はまあ()いでせう、「指揮(しき)監督(かんとく)せしめました」とあるが。

 まあ一遍……。

 「随行(ずゐかう)役員(やくゐん)をして分所(ぶんしよ)支部(しぶ)の組織方針(はうしん)活動(くわつどう)方針(はうしん)指揮(しき)監督(かんとく)せしめました」と()ふことになつて()るが……。

 せしめました、と言つても役員(やくゐん)()の役ですけれども、私は申しまへぬ。

 ミロク神政(しんせい)(ため)に布教すると()ふことは大本(おほもと)発展(はつてん)(ため)()いと思ふて()りますから、どつか一度位は言ふたかも知れまへぬ。信者(しんじや)に言ふたことがあるかも知れまへぬ。

 それぢや(これ)此通(このとほ)り認めたことにして別に差障(さしさわ)りないやうですね。

 もう休まして(もら)ひたい。

〔省略、次の開廷日の打合せの問答〕

午後(ごご)四時十分閉廷