うろーおにうろー

裁判記録(13)

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裁判記録

○素盞鳴尊の神逐再現
○素盞鳴尊の神逐再現(続)
○国常立尊の退隠と素盞嗚の理論の齟齬
○大本祝詞解釈
○修養訓と大教宣布の御詔勅

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。内容のまとまりごとに標題を付加した。

争点 素盞鳴尊の神逐再現

 第三の教義(けうぎ)のことに(はい)りますが、大本(おほもと)(おい)ては、大本(おほもと)教義(けうぎ)の一つとして、素盞鳴(すさのおを)尊の神逐(かみやらゐ)再現のことを説いて()ますね。

 説いて()ります。

 それは此処(ここ)に書いてあるが、こちらで読みませうか、

 「伊邪那岐(いざなぎ)尊の神勅(しんちよく)により、天照大御神(あまてらすおほみかみ)高天原(たかあまはら)(すなは)ち、太陽界の主宰(しゆさい)神、素盞鳴(すさのおを)尊は大海原(おほうなばら)(すなは)ち、地球の主宰(しゆさい)神と定まり、天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)との区別、歴然(れきぜん)神定(かむさだ)まりたるを以て、日本は勿論(もちろん)、全地球は素盞鳴(すさのおを)(これ)を統治すべきものなること右神勅(しんちよく)()明瞭(めいれう)なり。従つて、同尊(およ)()御神系(ごしんけい)(おい)て日本を統治せられたらむには、天孫(てんそん)瓊々杵尊(ににぎのみこと)降臨(かうりん)の必要なかりしものなり。然るに、素盞鳴(すさのおを)尊は諸神(しよしん)反抗(はんかう)を受け、神逐(かみやらゐ)()はれ、次いて同尊の御子孫(ごしそん)なる大国主命(おほくにぬしのみこと)も、(また)天孫(てんそん)に帰順し、天津神(あまつかみ)なる瓊々杵尊(ににぎのみこと)降臨(かうりん)し給ひ、爾来(ぢらい)同尊の御系統(ごけいとう)なる現御皇統(くわうとう)(おい)て、日本を統治し来り給ひたるも、元来(ぐわんらい)国津神(くにつかみ)御系統(ごけいとう)の統治すべき日本を、天津神(あまつかみ)御系統(ごけいとう)(おい)て統治し給ふは、右伊邪那岐(いざなぎ)尊の神勅(しんちよく)背反(はいはん)するものにして、(これ)()現代(げんだい)(ごと)優勝劣敗(いうしようれつぱい)弱肉強食(じやくにくきやうしよく)の紛乱状態(じやうたい)(てい)するに至りたるものなり。(よつ)て、至仁至愛(みろく)の神、(およ)び、素盞鳴(すさのおを)尊は、出口王仁三郎(おにさぶらう)機関(きくわん)として顕現(けんげん)し、現代(げんだい)の紛乱世界を立替立直(たてかへたてなほし)して、至仁至愛(みろく)の世と()すこととなりたるを以て、王仁三郎(おにさぶらう)は、至仁至愛(みろく)の神、(およ)び、素盞鳴(すさのおを)(とう)霊代(たましろ)として、現御皇統(くわうとう)廃止(はいし)し、日本の統治者となるべきものなり」(とう)とあるが、(これ)は前ににも、準備の時にも()いたが今読んだのは判つたでせう。

 それは皆問違つて()りますわ。()の取り方が(ちが)ひます。

 御神勅(ごしんちよく)の通り行はれて()つたならば、皇孫が御降りにならなくとも治つたのですけれども、治まらぬやうになつたのは素盞鳴(すさのおを)尊が力がない()めに、八百万(やほよろづ)神様(かみさま)が抗して()つた……

 (しか)し、治めにやならぬ処の、国津神(くにつかみ)がさう()具合(ぐあひ)だから、天子様(てんしさま)(また)降臨(かうりん)にならなければ仕方(しかた)がない。

 要するに、今本職が読んだ要旨は、第一番目は伊邪那岐(いざなぎ)尊の神勅(しんちよく)のことを申したので、天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)歴然(れきぜん)たる区別(これ)は先に申した通り間違(まちが)ひはないのだらう。

 第二番目に(おい)ては、国津神(くにつかみ)たる素盞鳴(すさのおを)尊並に()御系統(ごけいとう)(おい)て、同じく()の地球を治めたならば、瓊々杵尊(ににぎのみこと)御系統(ごけいとう)がもう御降りになる必要がなかつたのだと()ふのですが、(ところ)降臨(かうりん)したから神勅(しんちよく)に違反して()る。

 世の中は()()ふ様に(みだ)れて来たのだ。

 それで、元に帰つて、素盞鳴(すさのおを)尊の系統(けいとう)で治めなければならぬのだ。

 ()霊代(たましろ)とは王仁三郎(おにさぶらう)だと()ふことに……。

 はあ。

 はあではない。

 (これ)素盞鳴(すさのおを)尊が治めにやならぬのに、()()ふことをしたから、今度(こんど)素盞鳴(すさのおを)尊が再び霊となつて現はれて、霊代(たましろ)に……現はれて私の身体(からだ)霊代(たましろ)として、そして今度(こんど)は世界の八岐(やまた)大蛇(をろち)退治(たいぢ)して、天孫(てんそん)に忠誠の心を(いた)すと()ふ意味が書いてあるのであります。

 書いてあるぢやないか……。

 ……が、()の意味なんです。

 素盞鳴(すさのおを)尊が今度(こんど)現れると()ふことは、八岐(やまた)大蛇(をろち)退治(たいぢ)する御用(ごよう)に出ると()ふことです。

 世界革正の()めにか。

 素盞鳴(すさのおを)尊と()言葉(ことば)は、神道(しんだう)の講義に()りますと、素盞鳴(すさのおを)尊は推進力、正義(せいぎ)の推進力と()ふのを素盞鳴(すさのおを)尊と申上(まをしあげ)げるのだ。

 今日(こんにち)の日本は神須佐之男命(かむすさのをのみこと)は……建速(たけはや)須佐之男命(すさのをのみこと)武器(ぶき)を持つて戦を進めて行くのだ、今日(こんにち)支那(しな)に対するのは、それは素盞鳴(すさのおを)尊であつて、今度(こんど)は、建速(たけはや)須佐之男命(すさのをのみこと)で、(しま)ひには日支親善、東洋(とうやう)平和の(ため)に神須佐之男命(すさのをのみこと)になる。

 今度(こんど)愈々(いよいよ)素盞鳴(すさのおを)尊が働いて()ると()ふことになる。

 今の日本の皇軍は素盞鳴(すさのおを)尊の……神須佐之男命(すさのをのみこと)やと()ふことになるのです。

 さうか、「天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)神勅(しんちよく)()つて、歴然(れきぜん)たる区別があること、瓊々杵尊様(ににぎのみことさま)の統治なされて()現世(げんせ)(みだ)れて()る」と()ふことも認める訳だな。

 さうです。

 神勅(しんちよく)に違反して()ると()ふことはどうなるのだ。

 ()の時に素盞鳴(すさのおを)尊は違反したのだ。

 神勅(しんちよく)に違反して()るから、(みだ)れたと()ふことは、どうなるのです。

 神勅(しんちよく)に違反したと()ふことは……素盞鳴(すさのおを)尊は神勅(しんちよく)に違反した基です。

 それやから、天孫(てんそん)が御降臨(かうりん)になつたのです、それで(みだ)れて来てしまうたのです。

 神勅(しんちよく)に違反すると()ふことを誤解(ごかい)していけませぬよ、「国津神(くにつかみ)で治めるべき所を天津神(あまつかみ)で治めたから(みだ)れた」と()ふことが書いてあるが……。

 書いてあるのが間違(まちが)つて()ります。

 予審の調書で決定(けつてい)の通りのことを言うて()るがね。

 私はそんなことは知りまへぬ。そんな意味ぢやないのです。

 神勅(しんちよく)に違反の点は認めない訳だね。

 神勅(しんちよく)の違反は素盞鳴(すさのおを)尊が違反したのです。

 「現世(げんせ)(みだ)れて()る」と()ふのは、どう()ふ理由だと()ふのだ。

 ()の理由は神様(かみさま)(ため)の理由ぢやない。

 (ただ)国常立尊(くにとこたちのみこと)あれ(ヽヽ)して、(かげ)から(まも)る神がなくなつたから、すつかり優勝劣敗(いうしようれつぱい)になつたと()ふのです。

 それは体主霊従(たいしゆれいじゆう)ですか。

 裏から()へば、国常立尊(くにとこたちのみこと)の──体主霊従(たいしゆれいじゆう)……。

 さうです。

 ()の世の中が、全部(ぜんぶ)体主霊従(たいしゆれいじゆう)になつてしまつたから(みだ)れたのです。

 それで其処(そこ)(まで)判りました。

 今度(こんど)はどうすると()ふのだ。

 ()決定(けつてい)に書いてある処を見ると、「素盞鳴(すさのおを)尊が現れて立替立直(たてかへたてなほし)をする」と、()()ふのだが。

 そんな、素盞鳴(すさのおを)尊の形のない霊界(れいかい)のものが、実際現れて、現界(げんかい)の政治をすると()ふやうなことに解釈(かいしやく)するのが、間違(まちが)うて居るぢやありませぬか。

 ありませぬかぢやない。お前に()かなければならぬのだが。

 私は(ちが)うて()ると思ひます。

 最前申したやうに、素盞鳴(すさのおを)尊は霊界(れいかい)……。

 それを()ふのだつたら素盞鳴(すさのおを)尊は霊界(れいかい)……現界(げんかい)だから、瓊々杵尊(ににぎのみこと)素盞鳴(すさのおを)尊は現界(げんかい)の……生きた人。

 けれども今は神界(しんかい)である。

 それは判つて()る。

 素盞鳴(すさのおを)尊はどうすると()ふのだ。

 移つて来て総ての教をして、(かげ)から皇軍を守り、日本を(まも)ると()ふのです。

 どうして守るかと()はれても、それは判りまへぬのであります。

 現在の世の中を、どうする()うすると()ふのぢやないのか。

 守つて良い方に進めて行くと()ふのです。

 日本が世界の宗主国(そうしゆこく)になるやうにするのが、素盞鳴(すさのおを)尊の仕事なんです。

 今度(こんど)改心(かいしん)して、素盞鳴(すさのおを)尊が忠義(ちうぎ)を尽すと()ふことになつて()る。

 それが王仁三郎(おにさぶらう)顕現(けんげん)してやるのか。

 私に直接移つて知らすと()ふのです。

 移つて来た間だけが素盞鳴(すさのおを)尊の霊代(たましろ)です。()の他の時は何でもありませぬ。

 素盞鳴(すさのおを)尊にばかり体を()して()るのぢやありませぬ、他の神様(かみさま)にも体を()して()るのであります。



争点 素盞鳴尊の神逐再現(続)

 ()(くらゐ)にして置きませう。

 それで、()神勅(しんちよく)違反の点は(めづ)らしいことを()うて()るやうだが、「至誠(しせい)殿落成式所感」と()(さき)に示したのに()()ふことが書いてあるのだ。

 「天孫(てんそん)が御降臨(かうりん)なさらないでも、()の国は伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)神様(かみさま)御神勅(ごしんちよく)が行はれて()つたならば、天孫(てんそん)の御降臨(かうりん)の必要はないのである」と()ふことを書いて()る。

 ()の通りです。

 まあお()き。

 (これ)に、「神勅(しんちよく)の通りならば、降臨(かうりん)がなくても()いのだ」と()ふことを書いて、「(これ)伊邪那岐(いざなぎ)尊の神勅(しんちよく)が行はれなかつたのであるから、天孫(てんそん)降臨(かうりん)伊邪那岐(いざなぎ)尊の神勅(しんちよく)に反する」と()ふことを(かげ)の方から言ふて()るのぢやないか。

 それは(ちが)ひます。

 神勅(しんちよく)が行はれなかつたと()ふことは、素盞鳴(すさのおを)尊が弱かつた()めに、行はれなかつたので、それで、()し強かつたなら神勅(しんちよく)の通り、お降りにならなくても()かつた。弱かつたから御心配(ごしんぱい)になつて神勅(しんちよく)をお下しになつて、お降りになつたと()ふ意味です。

 さう()ふ意味ぢやありませぬよ、二十二回の二問答(もんだふ)に──(ちが)ひますな。

 私が言ふたのぢやありまへぬ。

 もう一つ()んなことを言うて()る。

 王仁三郎(おにさぶらう)の二十三回の一問答(もんだふ)の所に、()()事実(じじつ)があつたやうに書いてある。

 「昭和五、六年頃に、王仁三郎(おにさぶらう)谷村(たにむら)正友と()ふ人に対して、地の世界は伊邪那岐(いざなぎ)尊の神勅(しんちよく)()り、素盞鳴(すさのおを)尊の統治することを定めて()りますから、同尊の霊統(れいとう)()り統治すべきものである。天津神(あまつかみ)である天照大神(あまてらすおほかみ)瓊々杵尊(ににぎのみこと)主宰(しゆさい)神と定めて降臨(かうりん)せしめられたのは、権限外のことをなされたのである」と()趣旨(しゆし)のことを話して()ます。

 それは言うて()りまへぬ。向ふが勝手(かつて)に書いて行かれたのです。

 お前が言うたと()ふやうに……。

 片つ方の相手(あいて)が死んでしまうて()るし、書いてあるのだと言やはるから仕方(しかた)がない。証拠(しようこ)のないことだから認めて(もら)へまへぬ。全部(ぜんぶ)(ちご)うて()りますわ。

 権限がないと()ふことは、神勅(しんちよく)違反と()ふことになる訳ですね。

 権限も何も、そんな話をして()ない。

 古事記(こじき)の講釈をしたことはあります。

 東尾も七回にさう()ふことを()つて()りますね。

 東尾が予審でも、さう()ふことを()つて()ると()ふことを聞きましたが、東尾が()つて()るならば……東尾が()()うて()ると()はれても、仕様(しやう)がないもの──。

 それから一番お(しま)ひの点で、日本の皇統(くわうとう)を否認して、日本の統治者になると()ふ点に(おい)ては、二十六回で(くは)しく述べて()るやうだが、決定(けつてい)の通りのことを……読んで見ませうか。

 読んで見ておくれやす。

 「素盞鳴(すさのおを)尊は()つて八岐(やまた)大蛇(をろち)を平らげ地上(ちじやう)(きよ)め、天照大神(あまてらすおほかみ)にお目に()けたと同様(どうやう)今度(こんど)再現した素盞鳴(すさのおを)尊は悪神(あくがみ)霊統(れいとう)である現御皇室(くわうしつ)(およ)び諸外国を(たほ)して、日本国内(こくない)(およ)び世界全体(ぜんたい)天下(てんか)泰平(たいへい)に治め御三体(ごさんたい)大神様(おほかみさま)にお目に()け、先づ日本の統治者となり、次いで世界の統治者となるのである」と()ふ意味のことを暗示(あんじ)したものであります。

 (これ)(さき)に述べた(ごと)く、「素盞鳴(すさのおを)尊の霊代(たましろ)と主張して()りましたから、私が素盞鳴(すさのおを)尊の霊代(たましろ)として、現御皇室(くわうしつ)(およ)び諸外国の統治者を(たほ)して、日本の統治者となり、次いで世界を統一(とういつ)して世界の統治者となる」と()趣旨(しゆし)のことを()つて、国祖(こくそ)御隠退(ごいんたい)因縁(いんねん)の所で説明(せつめい)して()りますね。

 それは申上(まをしあげ)げますが、全部(ぜんぶ)(うそ)です。全部(ぜんぶ)それは向ふがさう書かれたので、「宇智麿が()()うて()る、伊佐男が()()うて()る」と()ふので、私ももう仕方(しかた)がないから……

 弁護士(べんごし)にも会ひまたしけれども、ちよつと面会(めんくわい)に来た時に申しました、型に()めました、私は一定の型が決つて()る、其処(そこ)()めましたと申しました。

 私は昔、江木先生に()いて()りますが、「予審では、無理(むり)が通らなかつたら()うて置け、予審の陳述と()ふものは、証拠(しようこ)の参考になるだけだから、予審が難しかつたら、向ふの()ふ通りにして置いても()い」と()ふことを聞いて()りましたから、安心してさう()うて()りました、向ふは勝手(かつて)に書かれた、私の陳述になつて()りますけれども、構やしまへぬと、()の積りで放つて置いたのです。


争点 国常立尊の退隠と素盞嗚の理論の齟齬

 よし、第三の教義(けうぎ)を出したのは、教祖(けうそ)ナカの死亡(しぼう)後のことでせうね、素盞鳴(すさのおを)神逐(かみやらゐ)再現のことは──。

 死亡(しぼう)前から申して()つたと思ひますが。

 それは理窟(りくつ)に合はぬぢやないか。

 素盞鳴(すさのおを)尊のことは教祖(けうそ)の生きて()る中に……。

 ()()ふことは。

 それは後からとも思ひますが。

 素盞鳴(すさのおを)尊の一件を説き出したのは、小山(こやま)弁護士(べんごし)からも話があつたやうに、古事記(こじき)神代(じんだい)記事(きじ)を基本にして、地球は大国主命(おほくにぬしのみこと)が統治すべきものであると()ふ理論を持出したのぢやないのですか、基本にして……。

 それは読んでは()りませぬけれども、私は矢張(やつぱ)りそんなことを作つたら間違(まちが)ひますから、神様(かみさま)にそれを()いて、神様(かみさま)(こしら)へて(もら)つたのです。

 ()の通り八回の訊問(じんもん)でも言うて()るやうですから、(これ)は予審でも──。

 私はそんな馬鹿(ばか)なことを……お書きになつたのです、そんな不利益(ふりえき)なことを、私が()ふ訳がありませぬ。()ひもしなければ答へもしまへぬ。

 (めう)なことを()やはりましたから、私も牢の中から神が「よう()はぬわ」と二度()ひました。

 八回の二問答(もんだふ)(おい)て、曲解(きよくかい)して、地球は素盞鳴(すさのおを)尊だと()ふことを──要領(えうりやう)だけを書いて()るやうだが、(ちが)ひますか。

 私が書いたのぢやありまへぬ。私の意思(いし)で書いたものぢやありまへぬ。

 大本(おほもと)教義(けうぎ)として、国常立尊(くにとこたちのみこと)(かく)退再現の理論を()ひながら、素盞鳴(すさのおを)尊の神逐再現の理論を説いたのは、どう()ふ訳ですか。

 それは要するに、神さんが(ちが)ひます。()国常立(くにとこたち)の神さんと(ちが)ひます。

 素盞鳴(すさのおを)尊を主とする神もあれば、国常立尊(くにとこたちのみこと)を主とする神もあり、国常立尊(くにとこたちのみこと)が現れて来ればそれを主としてやります、素盞鳴(すさのおを)尊が現れて来れば、それを主としてやるのであります。

 基督教(キリストけう)にも現れれば基督(キリスト)を主としてやる、それだから、世界の大本(おほもと)とも()ふたのであります、総て何もかも……。


 それで国常立尊(くにとこたちのみこと)隠退(たゐゐん)再現のことに付て()つたのですが、(これ)教祖(けうそ)ナカに付ても、霊代(たましろ)であつたと()ふが、死亡(しぼう)後は国常立尊(くにとこたちのみこと)の言ふ訳はないから……。

 そやありませぬ。死亡(しぼう)後は、国常立尊(くにとこたちのみこと)はんに、私に移つて(もら)うたのです。

 それは本当の神さんかどうか判りまへぬが、私はさう信じた、移つて(もら)うたと信じて()りました。

 九回の訊問(じんもん)調書の第三問答(もんだふ)で、(くは)しく説明(せつめい)して()るやうだが。

 はい。

 説き方が違ふと()ふのだな、さう()ふ訳か。

 はい、素盞鳴(すさのおを)尊のことは、素盞鳴(すさのおを)尊のことであります、国常立尊(くにとこたちのみこと)国常立尊(くにとこたちのみこと)のことであります。

 予審で()つたのは覚えがない、と()ふのだな。

 はい。

 予審で言つたことも覚えて()らぬか。

 覚えて()りまへぬ。

 病気で寝さして(もら)つて()つたので、机の前で私は何も()いて()りまへぬ。

 ()の話は皆()けてしまひまして、全部(ぜんぶ)()けてしまひます。

 「私は、最初(さいしよ)、『豊雲野尊(とよくもぬのみこと)霊代(たましろ)として、国祖(こくそ)国常立尊(くにとこたちのみこと)神業(しんげう)補佐(ほさ)するのである』と()ふことを、言つて置きながら、後になつて、『私が素盞鳴(すさのおを)尊の霊代(たましろ)として、立替立直(たてかへたてなほし)をなすのである』と説くと、前後(ぜんご)の連絡が付きませぬので、()の連絡を付ける()めに、『豊雲野尊(とよくもぬのみこと)素盞鳴(すさのおを)尊を霊代(たましろ)として顕現(けんげん)し、素盞鳴(すさのおを)尊が(これ)霊代(たましろ)として顕現(けんげん)したのである』と()ふ、勝手(かつて)理窟(りくつ)を案出したのである」と()ふことを()つて()りますね。

 さうぢやありまへぬ。

 向ふは、「()うやらう、()うやらう」と()はれるから、そんな馬鹿(ばか)なことを私が()ふ訳がありまへぬ、もうむかついて腹が立つて……

 (裁判長に向ひながら)失礼なことばかり申上(まをしあげ)げまして、()ひ声が、自然大きくなりますので……。

 要するに予審終結決定(けつてい)書の趣旨(しゆし)総括(そうくわつ)して見れば、「現御皇統(くわうとう)は、日本を御統治なさる御系統(ごけいとう)であらせられないから、()の神の霊代(たましろ)である自分が御皇統(くわうとう)を廃して、日本を統治すべきものなり」と()趣旨(しゆし)のやうに、(これ)決定(けつてい)になつて()りますが、絶対に否認する訳ですな。

 さうです。

 よく考へて下さい、御三体(ごさんたい)神様(かみさま)天照皇大神(あまてらすおほかみ)で、()神様(かみさま)の命令を受けて、さうして()(うしとら)金神(こんじん)が出て()るのぢやありませぬか。

 それをどうして、日本の御皇統(くわうとう)を何して我々(われわれ)が……そんなことはありまへぬ。

 事実(じじつ)(おい)てもさうぢやありまへんか。

 (わが)が御皇統(くわうとう)は、天照皇大神(あまてらすおほかみ)の御延長(えんちやう)です。それが、(すなは)ち、大本(おほもと)大神様(おほかみさま)我々(われわれ)は唱へて()る。

 ()大神様(おほかみさま)御命令(ごめいれい)を受けて世の中を治めると()ふのです。

 ()神様(かみさま)御命令(ごめいれい)を受けた神様(かみさま)の、御系統(ごけいとう)をなくすると()ふことは、そんなことは理窟(りくつ)に合はないぢやありまへぬか。


思想 大本祝詞解釈

 よしよし。それぢや、予審終結決定(けつてい)に書いてある教義(けうぎ)訊問(じんもん)を終つたが、お前さんの考へて()大本(おほもと)教義(けうぎ)()ふものはどう()ふものか、概括して中心点(ちうしんてん)()ふものはどう()ふ点にあるかと()ふことを考へて置いて、昼から()きます。

 私は考へないでも、それは決り切つて()ります、善言美詞(ぜんげんびし)全部(ぜんぶ)書いてあります。

 それは読んで()ります。

 それに大本(おほもと)善言美詞(ぜんげんびし)は……。

 今簡単に申述べますか、余り長くなりますなら……。

 余り長くなりませぬ。

 最前申しましたやうに、私は国常立尊(くにとこたちのみこと)を初めとして、祝詞(のりと)には……。

 大本(おほもと)教義(けうぎ)ですよ。

 祝詞(のりと)に書いてあります。

 ()の「国之常立尊の堅磐(かきは)常磐(ときは)に鎮り()()して」御治めになつた国である。

 それだから、「皇御孫命の(てん)石位(いはくら)放ち、(てん)八重(やへ)雲を伊都(いづ)千別(ちわき)千別(ちわき)て、天降(あまくだ)(たま)ひてより動くことなく変ることなく、人の心は直く正しく」なりますやうにと()ふことを、お祈りするのが(もと)であつて、「天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)高御座(たかみくら)天地(あめつち)日月(じつげつ)と共に動き傾く事無く、生()す親王等諸王()は、朝日(あさひ)豊栄登(とよさかのぼ)に……」

 成るべくゆつくり──書いて()りますから……

 速記は商売ですが……。

 私は今()ふたことを、もう一遍申します、「天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)高御座(たかみくら)天地(あめつち)日月(じつげつ)と共に動き傾く事無く生()す親王等諸王()朝日(あさひ)豊栄登(とよさかのぼ)に咲栄えませ」もう一つは、「邂逅(かいこう)に礼無く(きたなき)き心以て、射向(いむかへ)(まつ)る敵在る時は国民(こくみん)(こぞ)り、御祖(みおやの)神の伝へ(たま)へる敏心(さとごころ)倭心(やまとごごろ)振起(ふりおこ)し、(つるぎ)手頭(たがしら)取り締り、厳の雄健(をたけ)()健び厳の嘖譲(しやくじやう)を起して、海()かば水漬(みづ)(かばね)()かば草生屍(くさむすかばね)大君(おほぎみ)の辺にこそ死なめ、(のど)には死なじ(かへりみ)()じ」とあるが、(これ)今日(こんにち)来らむとする世界の戦争(せんさう)やなんかの用意(ようい)神様(かみさま)に願つて、祝詞(のりと)にちやんと日本の精神を決めるやう、(また)大本(おほもと)信者(しんじや)の精神も決めるやうに、(これ)祝詞(のりと)として朝晩(あさばん)(をが)んで()言葉(ことば)であります。

 それの意義(いぎ)()かなければならぬが。

 (これ)は日本の国に無礼(ぶれい)を加へるものがあり、(また)(あるひ)は、日本の国民(こくみん)無礼(ぶれい)をするものがあるならば、国民(こくみん)承知(しようち)をしない、それで国民(こくみん)挙りさうして倭心(やまとごごろ)を以て至誠(しせい)の誠の心を以て、それでさうして倭心を振起(しんき)し、劔の手頭取り締り……刀の此処(ここ)です(と手真似(まね)をしながら)刀を()いて厳の雄健(をたけ)()健び──と()ふのは勇気(ゆうき)を起すことであります。

 何処迄(どこまで)も悪に向つては平げて行くと()ふ意味です。

 厳の雄健(をたけ)()健び国賊を平げると()ふ意味です。

 「噴譲を起して海征かば水潰屍山征かば草生屍大君(おほぎみ)の辺にこそ死なめ顧はせじ、草の中で(しかばね)(さら)すとも」、海で(さら)すとも、天皇の(ため)にはと()大君(おほぎみ)の、陛下の(ため)なら死ぬ、それ以外(いぐわい)には我々(われわれ)は、日本男子は死なないと()ふことを祈つて()ると()ふ意味です。

 それは大本(おほもと)の本当の精神です。

 本当の教義(けうぎ)なんだね。

 さうです、朝晩(あさばん)(これ)は六、七歳の子供(こども)にも暗誦(あんせう)さして、()ります。

 長い祝詞(のりと)ですけれども、(これ)が本当の大本の教義(けうぎ)であります。

 皇室(くわうしつ)中心か。

 皇室(くわうしつ)中心主義(しゆぎ)ですとも。

 皇室(くわうしつ)中心であり、皇室(くわうしつ)があつて、世界がないと()ふ……。


 それで尽きて()りますか。

 尽きては()りませぬ。

 (また)何処(いづこ)にもありまつしやろ。

 道の(ため)に働くものが病気になる時は助けて下さり、(また)五穀が豊穣するやうにとか、(あるひ)は官々に仕へまつる人達(ひとたち)は……。

 官と()ふのは……。

 (たと)へば申上(まをしあげ)げますと、裁判官なら裁判官、警、閏察官なら警察官、が官々に仕へ政を行ふことで「茂鉾の中執持ちて」と()ふことは中心、真ん中の所です。「茂鉾」と()ふことは中と()ふことの枕言葉(まくらことば)です。

 「大御前(おほみまへ)の事()さしめ給ひ」と()ふことは天皇陛下の御前(ごぜん)()ふことです。

 それで、正しき政治が出来(でき)るよう、正しきお裁きが出来(でき)るようにと()ふことを「茂鉾の中執持ちて大御前(おほみまへ)のことを白さしめ給ひ」と()ふ、()()ふ意味です、()()ふこと迄も、ちやんと言つて()る。

 大本(おほもと)根本(こんぽん)教義(けうぎ)は、大(つか)みにすると、毎朝の祝詞(のりと)にも書いてある、()趣旨(しゆし)は、皇室(くわうしつ)中心主義(しゆぎ)と、今()うたやうなことだ、さう()ふことになる訳なのだね。

 さうです、(これ)を予審の時にも、()のことを言はうと思ひましたけれども、()()うたら、私の利益(りえき)なことやと思うたらそれを湮滅(ゐんめつ)されたら困ると思つて、(これ)は公判まで残して置いたのです。

 それはもう、今迄(いままで)に言はむことを、公判で皆申すことが沢山(たくさん)あります、調書の中に沢山(たくさん)あります。


思想 修養訓と大教宣布の御詔勅

 今言はむとしたことは判りました。

 教義(けうぎ)に付て、()の他に付け加へて置く点はありませぬか。

 私、今忘れてしまふて()りましたが、矢張(やつぱ)信条(しんでう)もあります。

 趣旨(しゆし)は変りはないか。

 変りありませぬ、明治(めいじ)三年三月三日に天皇陛下がお出しになりました、修養(しうやう)訓と()ふものがあります。

 それは、「天理(てんり)人道(じんだう)を明かにすべきこと」、「敬神(けいしん)愛国(あいこく)(むね)を体すべきこと」、「皇上を奉戴(ほうたい)し、朝旨(ちやうし)に尽力〔(また)遵守(じゆんしゆ)〕せしむべきこと」()の三つが大本(おほもと)教義(けうぎ)に入つて()るのです。

 何処(どこ)()れてあるか。

 どつかにあると思ひます、印刷物の中に。

 それを、三条の教訓(けうくん)分析(ぶんせき)して、色々(いろいろ)としてそれを教義(けうぎ)にしたのです。

 分析(ぶんせき)してね。

 三条の御教訓(けうくん)を書いたものは、一箇所(かしよ)か二箇所(かしよ)ありますけれども、それを細かく(くは)しく書いたものが大本(おほもと)教義(けうぎ)であります。

 他に付け加へて置きたい点はありませぬか。

 それから大教宣布(せんぷ)の御詔勅(しやうちよく)があります、()の御詔勅(しやうちよく)に基いて()大本(おほもと)なに(ヽヽ)出来(でき)た。

 (つま)りちよつと。……ちよつと頭が悪くなつて出ませぬけれども、えゝと。

 ()の大教を天下(てんか)普及(ふきふ)せしめることが明治(めいじ)天皇様の……。

 ……いや。

 今想出せなかつたら、書面で出したら(よろ)しい。

 書面と()ふても参考書がありませぬ。もう何もありませぬ。

 私は刑務所に入ると、「古事記(こじき)と日本書紀と信仰(しんかう)書だけは、(これ)差入(さしい)れることはならぬ、読むことはならぬ」と厳命を受けた。

 参考書も何もありませぬ。神道(しんだう)のは(これ)はちよつとも許されて()りませぬ。法律の本も一度見たいと思ひますが、それも許されて()りませぬ。今は読んで()りまへぬ。

 教義(けうぎ)に付て想ひ付いたことがあれば。

 ちよつと具体的(たいてき)に想ひ出せませぬ。

 後で想ひ出したら書いて出すのは、差支(さしつか)ないよ。

 有難(ありがた)御座(ござ)います。

 大本(おほもと)の文献を見て(もら)うたら、大抵(たいてい)書いてあります、素盞鳴(すさのおを)尊のことでも──。

 急に答へ得なかつたら後でも()いぢやないか。

 十二年の神霊界(しんれいかい)のニ月号か、三月号にあつたと思ふのです。

 何がです、もう一遍()つて下さい。

 十年のニ月か三月の、神霊界(しんれいかい)にきつと書いてあります。どつかに……

 私はもう十年のニ月に未決に入つて()りましたのですけれども、大抵(たいてい)私が直接書いて()るものを、出したのであります。

裁判長 午前は()れだけにして置きませう、午後(ごご)は一時からやりますから、勉強して……。

十二時十三分休憩(きうけい)


嘖 さけぶ