うろーおにうろー

裁判記録(12)

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裁判記録

○弁護士の確認
○神の言葉が創造か
○国常立尊と大国主命、盤古大神と瓊々杵尊の関係
○天孫降臨
○天津神と国津神
○大国主命と天照大神の武力使用の意味
○天皇の統治、国常立尊の守護

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。意味のまとまりごとに標題を付加した。

進行 弁護士の確認

午前十一時開廷

小山(こやま)(昇)弁護人 裁判長、ちよつと希望を申上(まをしあげ)げたいのですが。

裁判長 進行(しんかう)上ですか。

小山(こやま)(昇)弁護人 被告人の方で答弁(いた)しますことが、裁判所(さいばんしよ)の御問に対しまして、途中(とちう)で何かと見当(けんたう)(ちが)ひのやうな感じを(いた)しますことがありまして、さう云ふ際には裁判所(さいばんしよ)の方で、其所(そこ)見当(けんたう)が違ふからと言はれて、また御問ひになることがあるのですが、()(かく)一応の答弁を……出来(でき)ますことなれば、大凡(をほよそ)言はむとする趣旨(しゆし)を、()の際一つ明かにして、さうして御進行(しんかう)を願ひたいと思ひますのです。

 ()の前も丁度(ちやうど)神政(しんせい)成就(じやうじゆ)と云ふことが、所謂(いはゆる)公認教になると云ふ意味が、一つ(ふく)まれて()るのぢやと云ふが(ごと)くに準備の時に思ひましたことは、後に至りまして、それも一つの神政(しんせい)成就(じやうじゆ)だと云ふことが、非常(ひじやう)にはつきりしたやうなこともありますので、()の点を一つ、出来(でき)ますことならば──非常(ひじやう)慎重(しんちよう)に御審議(しんぎ)(いただ)きますので喜んで()りますが、もう一つ御願(おねがひ)ひしたいと思ひます。

 それから、只今(ただいま)の御問に対しまして、今日(こんにち)一寸(ちよつと)私として御問と答とが、全然(ぜんぜん)なんかちぐはぐになつたやうに思ひましたので、もう一度──一番後の所の「国常立尊(くにとこたちのみこと)の再現の理論は何に基いて出来(でき)たのか」と云ふ御問であつたのか、「どう云ふ根拠(こんきよ)から出たのか」と云ふ御問だつたのか、()く私もはつきり(いた)しませぬのですが、被告人の方の答弁と(いた)しましては、()(かく)宗教としてはミロクの菩薩(ぼさつ)下生(げしやう)とかキリストの再現とか云ふことが生命だ、と()う云ふやうな答だつたと思ひます。

 御問と()の答とがなんだかちぐはぐのやうに思ひますので、もう一つ最後(さいご)の所を御確(をたしか)めを願ひたいと思ひます、それだけ希望を申上(まをしあげ)げて置きます。

裁判長 第一番目の点は御尤(ごもつと)もです、後からの問題(もんだい)は、ちぐはぐになつたから具体的(たいてき)に、……だから古事記(こじき)とか日本書紀の国常立尊(くにとこたちのみこと)の点、弥勒(みろく)上生経、聖書の点などを加減(かげん)して、国常立尊(くにとこたちのみこと)(かく)退再現の教義(けうぎ)と云ふものが、出て来たのかと云ふことを聞いたのです。

小山(こやま)(昇)弁護人 裁判所(さいばんしよ)の御問は、私の方で感じましたことは、(これ)はどう云ふ資料に基いて作製したのかと云ふ、御問だつたと思ひます。

裁判長 根拠(こんきよ)です。教義(けうぎ)出来(でき)根拠(こんきよ)l。

小山(こやま)(昇)弁護人 教義(けうぎ)出来(でき)根拠(こんきよ)が、今迄(いままで)色々(いろいろ)聞いて()ります処に()ると、「神様(かみさま)が言はれて出来(でき)たのだ」と云ふやうに思へますし、今のでは、宗教の生命だから入つて()るのだと云ふやうな答にも思はれるし、そこの所がはつきりしませぬが──。

裁判長 はつきりせぬ点もあるかも知れませぬが、それは此方(こちら)決定(けつてい)に書いて()るので、()れだけは()かねばなりませぬから()いたのです。

小山(こやま)(昇)弁護人 どう云ふやうに御()き下さいましたか、私の方にはつきりしませぬから……。

裁判長 問に対して答がなつて()りませぬから、具体的に決定(けつてい)のことを()いたのです、第一の国常立尊(くにとこたちのみこと)出来(でき)根拠(こんきよ)は、さうぢやないかと()いた訳です、しつかり()いて(もら)はぬと困りますね。

小山(こやま)(昇)弁護人 しつかり()いて()りますが、はつきりしませぬのです、御訊の趣旨(しゆし)はどう云ふ趣旨(しゆし)でございましたのでせうか。

裁判長 国常立尊(くにとこたちのみこと)退隠(たゐゐん)再現の根拠(こんきよ)如何(いかん)、と云ふ問です。

小山(こやま)(昇)弁護人 大本(おほもと)教義(けうぎ)の……。

裁判長 国常立尊(くにとこたちのみこと)退隠(たゐゐん)再現の根拠(こんきよ)如何(いかん)と云ふ問は、変な問をして()りましたから、それで具体的(たいてき)決定(けつてい)に書いてあることを()いたのであります。

小山(こやま)(昇)弁護人 根拠(こんきよ)如何(いかん)()趣旨(しゆし)は、どう()ふ所から、どう()ふ所から出て来たのだと()ふことですか。

裁判長 初の方は抽象的に()いたので判らなかつたから、(また)、具体的に()いたのです。

竹川弁護人 それは私も同じやうに感ずる。

 根拠(こんきよ)如何(いかん)()ふことを言はれると、どう()ふ文献の根拠(こんきよ)があるのか。

 神憑(かむがか)根拠(こんきよ)であるのか、(あるひ)はそれを政略に使つた、手段(じゆだん)に使つてやつたのであるかと()ふやうな説のやうに、思はれるが、どれか一つになりさうである。

 そこで、再現とか()ふことはどこの宗教でもある。(ところ)が、さう()ふと、何だか一つの手段(しゆだん)に見える。

 ()の答弁がちよつと裁判所(さいばんしよ)のお問ひになつたのと、我々(われわれ)の期待して()ることと、少し(ちが)うやうに思ひますから、もう一遍(いつぺん)(たし)かめ願ひたい。

小山(こやま)(昇)弁護人 其処(そこ)まで言ふと、誘導するやうに聞えますが、要点は其処(そこ)なんです。

出口 もう一遍(いつぺん)言はして(もら)ひたい。

裁判長 決定(けつてい)の所には、「古事記(こじき)日本書紀(にほんしよき)のことが色々(いろいろ)書いてあり、国常立尊(くにとこたちのみこと)退隠(たゐゐん)再現のことを出したのだ」と書いてありますね。

 (これ)を実は()かなければなりませぬ。

 裁判所(さいばんしよ)は、それを、私の方ぢや先つ先に()きまして、根拠(こんきよ)如何(いかん)()いたこともです。

 判らなかつたから(これ)()いたのです。

小山(こやま)(昇)弁護人 (おそ)()りますが、答弁をもう一度聞かして(いただ)きたいのでございます。


争点 神の言葉が創造か

裁判長 さうですか、それでは判つたね、具体的の方です。

出口 日本書紀(にほんしよき)古事記(こじき)は、()の間も申したやうに、参考に読んで置いたのであります。

 さうして、(これ)は、「神憑(かむがか)りと()ふものは総て神典(しんてん)を読んで置く」と()ふのが法則(ほふそく)です。

 それで、私が別に基督教(キリストけう)をやり、何かを寄せて来て(こしら)へた、作成したのではないのです。

 (ただ)、さう()ふことは自分の頭に、外流(がゐりう)して入つて()りましたが、()(うしとら)金神(こんじん)のミロクやとか、(あるひ)は退隠の理由やと()ふことは我々(われわれ)には判らないから、それで神憑(かむがかり)となつて神様(かみさま)に直接知らして(もら)つて(こしら)へた。

 神様(かみさま)が直接にお知らせになつたことを、ずつと教義(けうぎ)としてやつて見たのでありまして、別に私が創作したのでも何でもない。

 (しか)し、基督教(キリストけう)でも何でもないと()ふことは参考に申上(まをしあ)げた。

 (うしとら)金神(こんじん)さんが再現されると()ふのも、()はば、基督教(キリストけう)が再現すると()ふのも同じ意味でございます、と言ふことを言うたのであります。

 別に、基督教(キリストけう)主義(しゆぎ)からやつたと()ふのぢやございませぬ。基督教(キリストけう)主義(しゆぎ)真似(まね)て、()教義(けうぎ)(こしら)へたと()ふのぢやありませぬ。

 (ただ)、例に申上(まをしあ)げたのであります。

裁判長 今(たづ)ねるやうなことは、知つて()つたのだね。

 何です。

 古事記(こじき)日本書紀(にほんしよき)にあることは──。

 一生懸命(いつしやうけんめい)研究して()りますから、体のどつかに()みて()ります。

 それで、神憑(かむがか)りの修業(しうげふ)をするのには、第一条件として、神典(しんてん)を詳読し、神徳(しんとく)を清くすべし、と()ふことが、修業(しうげふ)の条件であります。

裁判長 それで(よろ)しう御座(ござ)()ますか。

小山(こやま)(昇)弁護人 判りました。

裁判長 ()の点に付きましては、さつきは、()の点に付ては、予審の第一回の二問答に(おい)て、「古事記(こじき)には()う々々、それからミロク下生(げしやう)教には()う々々、基督(キリスト)の再現の何々(なになに)、木村鷹太郎(たかたらう)何々(なになに)のことを想像(さうざう)して、国常立尊(くにとこたちのみこと)の退隠再現の理論をば案出したので、()の理論が出て()つたけれども、()の発表は差(ひか)へて何した」と()ふことになつて()るが、()()ふことが書いてあるから、それの弁解を()きたかつた。

 其所(そこ)の所はさう申しました。

 ()むを得ぬから、さう申しましたけれども、実際はさうぢやない。

 (しか)しながら、神さんと()ふことを、向ふが認めて()れぬのです。それだから、仕様(しやう)がないから、神さんを()きにして、人間的(にんげんてき)に、「()うです/\」と()ふのは、仕様(しやう)がないからさう申しました。

 私は申しましたけれども、私の本心(ほんしん)ぢやありませぬ。其処(そこ)の所は、仕方(しかた)がないから申しました。

 読んだ書物(しよもつ)のことを(なら)べて……。

 神と()ふことになつて来るのだな。

 神様(かみさま)御神示(ごしんじ)であつたのだけれども、私が作つたと()ふのでなければ、承知(しようち)して()れませぬから、神さんを()きにして、(こしら)へなければ……。

 実は、此処(ここ)()きたかつたのだ、それでは──。

 其処(そこ)の所は、私が申したことです。

 今、(おつ)しやつたことは、木村鷹太郎が()()ふことは仕方(しかた)がないから私が……神さんを認めて()れないから、返事の仕方(しかた)がありませぬから、(ただ)神さんだけを()きにして置いたのです。

 (しか)し、其処(そこ)の所は、どんなことが書いてあるか知らぬか……統一(とういつ)するとか何とか。

 材料のことは申したが……さう()はなければ通りませぬから、さう申したのです。

 自分で読んで、頭に入つて()つたのか。

 それも半分は事実(じじつ)です。

 神懸(かむがか)りで、さう()ふことを()ひ出すやうになつたと()ふことか。

 それだけの書物(しよもつ)を、何十(なんじふ)年間かにポツ/\あちらこちらで読みましたのが、それがつまり体に()み込んで()つた意味はあるのです。

 さうでなければ、神憑(かむがか)りは出来(でき)ない。

 ()程度(ていど)で、()の点の訊問(じんもん)(よろ)しうございますか。


争点 国常立尊と大国主命、盤古大神と瓊々杵尊の関係

竹川弁護人 (よろ)しいです。

 教義(けうぎ)の理由。之も前に(たづ)ねたことと重複するかも知れないが、()かなければならぬが、王仁三郎(おにさぶらう)、聞いて()れよ。

 大本教(おほもとけう)(ひとつ)教義(けうぎ)として国常立尊(くにとこたちのみこと)の名前を()りて、大国主命(おほくにぬしのみこと)御事(おんこと)、それから盤古大神(ばんこだいじん)なる神名(しんめい)()りて、瓊々杵尊(ににぎのみこと)のことを説いて、決定(けつてい)(ごと)き第二の理由を主張して()りましたか。

 ()りませぬ。

 そんなことは初めて聞いたのです。

 要するに、国常立尊(くにとこたちのみこと)の名前を()りて大国主命(おほくにぬしのみこと)のことを説いて、さうして、()の第二の大本(おほもと)教義(けうぎ)を主張して()りませぬでしたか。

 全然(ぜんぜん)ありませぬ。

 ()の点を始終(しじう)やられたのです、盤古(ばんこ)が何やとか、国常立尊(くにとこたちのみこと)が……大国主命(おほくにぬしのみこと)が……とさう()ふことを言はなければ、今度(こんど)の事件が巧く行かぬから──

 (しか)し、そんなことはありまへぬ。大国主命(おほくにぬしのみこと)のことを説いたものは、(ただ)評論(ひやうろん)として説いただけで、他にありまへぬ。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)のことは、随分(ずゐぶん)書いてあります。

 全部(ぜんぶ)読んで御覧(ごらん)なさい。

 自分で準備に(おい)ては認めた点もありますから、全部(ぜんぶ)違ふかどうか、明かにして置かなければならぬから──

 決定(けつてい)の二、四枚目の(2)と書いてありませう。

 是は……。

 ()く、全部(ぜんぶ)読んで下さい。

 先のことを忘れてしまふから、三行程位づつ言はして(もら)はないと、(また)、本へ戻つてしまふです。

 ()の頃、頭を悪くして()りますから──一つ、ぼつ/\、断片(だんぺん)的に言はして(もら)つて……さうして(いただ)きます。

 よし/\。


思想 天孫降臨

 (これ)をちよつと、少しづつ言はして(いただ)きます。

 よし。

 ()の「伊邪那岐(いざなぎ)尊の神勅(しんちよく)()り、天照大神(あまてらすおほかみ)云々(うんぬん)」と()ふことは、(これ)古事記(こじき)にも、本文に書いてあることでありまして、(これ)は「大海原(おほうなばら)(すなは)ち地球の主宰(しゆさい)神、素盞鳴(すさのおを)尊は大海原(おほうなばら)を治めせよ」と書いてありますが、治める力がないから、(これ)取消(とりけし)になつて()ります。

 神勅(しんちよく)で──()のことを……評論(ひやうろん)的に書いたのです、「天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)との間には歴然(れきぜん)たる区別がある」──(これ)は本当にある。

 天は天照大神(あまてらすおほかみ)、地は(つま)素盞鳴(すさのおを)尊、月界(げつかい)月読命(つきよみのみこと)()ふことに決つて()つたのです。

 (これ)は、歴然(れきぜん)たる区別が付いて()つた。「素盞鳴(すさのおを)尊の御子孫(ごしそん)にして国津神(くにつかみ)なる」──()んなことは書いてありまへぬ。

 「大国主(おほくにぬし)神が武力(ぶりよく)を以て統治し()られたる処」──(これ)素盞鳴(すさのおを)尊が勝手(かつて)大国主命(おほくにぬしのみこと)を命じたのです。朝鮮(てうせん)素盞鳴(すさのおを)尊が行かれた時に、素盞鳴(すさのおを)尊が、大己貴命(おほなむずのみこと)(すなは)大国主命(おほくにぬしのみこと)の元の名ですが、それが朝鮮(てうせん)の国から()げて帰る時にちよつと待て──と()つて、素盞鳴(すさのおを)尊が「(なんぢ)は国へ帰つたら大国主命(おほくにぬしのみこと)となつてやれ」と言はれたが、(しか)大国主命(おほくにぬしのみこと)となつてやれと言はれても、素盞鳴(すさのおをの)尊は、(すで)に権利がなくなつて()るのだから、()の権利のない人が命令して、大国主命(おほくにぬしのみこと)となつて()つたのですから、それで天孫(てんそん)国土(こくど)奉還(はうかん)するのは当り前の話です

 (また)天孫(てんそん)が御降臨(かうりん)になつて、「(これ)を返せ」と(おつ)しやつたことは当り前です。

 私は()のことに付て、別に(これ)が悪いとか、何とか()ふことは言うて()りまへぬ。

 さうして、(これ)丁度(ちやうど)言ひますと、大国主命(おほくにぬしのみこと)が御帰順なさつたのは、一通りの帰順でなかつた」と()ふことを書いたことを、非常(ひじやう)に悪いことのやうに言はれますけれども……さうです、丁度(ちやうど)今日(こんにち)支那(しな)です、支那(しな)愛善使(あいぜんし)をやつて、(つま)り、言うたら日本から公使をやつて、さうして、「日支親善をやらうぢやないか、東洋(とうやう)平和の()めにやらうぢやないか」と言つたが、聴かない。

 今度(こんど)は、天之稚日子命(あめのわかひこのみこと)、能く判る人ですが

(これ)をやつたが判らない。

 今度(こんど)は、愛善使(あいぜんし)ぢやなく、商買の方で、貿易の方でやらうと、経済(けいざい)使節(しせつ)をやられたが、(これ)も聴かなかつたから、今日(こんにち)の日支事変(じへん)が起つた。(これ)健御雷之男神(たけみかづちをのかみ)経津主神(ふつぬしのかみ)武力(ぶりよく)を以てやられたのです。

 愈々(いよいよ)、蒋介石が日本に屈服した処で、(これ)は心からの屈服ぢやありませぬ、力尽きての屈服である。

 ()の裏には──建御名方神(たけみなかたのかみ)()ふ……大国主命(おほくにぬしのみこと)が屈服して、(また)建御名方神(たけみなかたのかみ)が後から邪魔(じやま)をした。

 (これ)は、今から()へばロシヤとか、英国とか()ふものが今日(こんにち)残つてる。()の蒋介石が日本に従つても、とても真からの通常の屈服ぢやない。

 (これ)は、「()大国主命(おほくにぬしのみこと)も通常の屈服ぢやない、それだけ三遍(さんべん)四遍(よんへん)も使を出したのに、一遍(いつぺん)に忠誠を現はすのならば、一遍に国土(こくど)を返上せんならぬのに、三遍(さんべん)四遍(よんへん)も闘うて、抵抗(ていかう)した」と()ふことを、私が申したのです。

 「(これ)は尋常の降服(かうふく)ぢやなかつた」と()ふことを言つたのです、

 それを、(うらみ)を持つて()つて行はれたから、(うしとら)金神(こんじん)のことにして取られたのです。

 ちよつと待つて下さい……大国主命(おほくにぬしのみこと)は力尽きて日本の統治権を……日本の統治権とは私は何も書いて()りまへぬ、()地方(ちはう)の統治権を返還された。

 御返しになつた後の、日本(およ)び世界を統治せんが(ため)に、天孫(てんそん)は御降臨(かうりん)になつた。

 ()の時、天照大神(あまてらすおほかみ)御神勅(ごしんちよく)に、「()豊葦原(とよあしはら)瑞穂国(みづほのくに)へ爾子孫の君たるべき地なり、行いて治めよ」と宜はせられた。(これ)言霊学(げんれいがく)で言へば、地球の総称(そうしよう)であるけれども、完成(くわんせい)するに(いた)らず、弱肉強食(じやくにくきやうしよく)(ちまた)と化した。そして今日(こんにち)迄まだ完成(くわんせい)して()らぬ。


 それで、天孫(てんそん)御降(をくだ)しになつた時から、日本書紀にも「百七十余万年の後の遼遠の地未だ良沢(りやうたく)(うるほ)はず」、愈々(いよいよ)悪魔(あくま)が栄へて()つて、天孫(てんそん)(おつ)しやつた通り、まだ統一(とういつ)出来(でき)()らなかつた証拠(しようこ)であります。

 (しか)し、神武(じんむ)天皇様が、天孫(てんそん)の御降臨(かうりん)になつた日向(ひむか)から、東征を起されて、さうして、愈々(いよいよ)日本国と云ふものを御立てになつた。

 (これ)神勅(しんちよく)実行(じつかう)の初めであつて、さうして、愈々(いよいよ)今度(こんど)()御神勅(ごしんちよく)実行(じつかう)になり、愈々(いよいよ)()れから昭和の御代(みよ)から実行(じつかう)になると()ふ意味です。

 それ(まで)には色々(いろいろ)悪霊(あくがみ)もあり、悪い神もあつて、まだ天孫(てんそん)御神勅(ごしんちよく)実行(じつかう)する迄(いた)らなかつたが、()れからはさうなると()ふのです。

 (うしとら)金神(こんじん)(かげ)から、御守護(しゆご)をして行くと()ふことになつて()ります。

 それから、「盤古大神(ばんこだいじん)(すなは)ち……」()れからが間違(まちが)つてる。三千万言の中に何も書いてありまへぬ。「国常立尊(くにとこたちのみこと)のことを、()(まま)持つて行つて書いたのや」と、()うして作られたのです。

 (これ)(ちが)ひます。国常立尊(くにとこたちのみこと)ぢやありませぬ。(これ)大国主命(おほくにぬしのみこと)のことを言うたのです。大国主命(おほくにぬしのみこと)のことです。

 ()記事(きじ)は……それで「盤古大神(ばんこだいじん)(すなは)瓊々杵尊(ににぎのみこと)」、こんなことは書いてありまへぬ、思うたこともない、(これ)盤古大神(ばんこだいじん)なる霊が──世界に根を()つてる処の悪霊(あくがみ)邪魔(じやま)をして()るから、それで()の日本が今日(こんにち)(まで)天孫(てんそん)御神勅(ごしんちよく)通り、世界を統一(とういつ)することがまだ出来(でき)()らぬ、と()ふ意味で、世界には色々(いろいろ)悪魔(あくま)()ると()ふのです。


思想 天津神と国津神

 さうすると()ふと、()の「伊邪那岐(いざなぎ)尊の御神勅(ごしんちよく)()つて、天照大神(あまてらすおほかみ)高天原(たかあまはら)素盞鳴(すさのおを)尊は大海原(おほうなばら)主宰(しゆさい)神となつて、天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)の区別が、歴然(れきぜん)となつて来た」と()ふのは、(これ)はどうだ。

 (これ)古事記(こじき)に書いてある神話(しんわ)の通りでありまして、天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)()ふことは、一方には天と地とありますが、()の国で()へば、天は(すなは)高御座(たかみくら)です、地は人民(じんみん)です、天と地と──君臣(くんしん)の分が明らかに決つて()る。

 それで天津神(あまつかみ)()ふのが(すなは)ち天皇陛下、(すなは)ち、天津神(あまつかみ)は天皇陛下の官吏(くわんり)です。

 それから、国津神(くにつかみ)()ふのが公吏(こうり)です。今日(こんにち)()へば、(つま)官吏(くわんり)公吏(こうり)のことであります。国津神(くにつかみ)公吏(こうり)であります。

 天津神(あまつかみ)は──。

 天津神(あまつかみ)は天皇の家来ですから、天皇はんの役人(やくにん)です、官吏(くわんり)様は天津神(あまつかみ)の中に入るのです。

 なんですか。

 天津神(あまつかみ)も──。

 官吏(くわんり)役人(やくにん)天津神(あまつかみ)……。

 さうです、天皇が天ですから、地が国津神(くにつかみ)、……と()ふのは公吏(こうり)()ふのです、市長とか(あるひ)村長(そんちやう)とか()ふのは公吏(こうり)です。それを、国津神(くにつかみ)と日本の神道(しんだう)では言うて()る。

 それで、天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)とは、歴然(れきぜん)と分れて()ると()ふのです。

 「天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)の区別がある」と()ふのは、神勅(しんちよく)()つて判るのだが、「天津神(あまつかみ)官吏(くわんり)で、国津神(くにつかみ)公吏(こうり)のことだ、官公吏の区別が伊邪那岐(いざなぎ)尊の神勅(しんちよく)()ると()ふのですか──。

 今日(こんにち)()へば──神勅(しんちよく)にも、天は天、地は地、天は治めるものと、はつきり分つて()ると()ふ意味です。

 天を治める天と()ふのは──。

 天と()へば、(わが)が国で()へば上の役です。

 天皇陛下が基であつて、天皇陛下に文武百官が付いて()る、親任官あたりです。地方(ちはう)長官(ちやうくわん)国津神(くにつかみ)になり、地方(ちはう)長官(ちやうくわん)と言へば……。

 公吏(こうり)ぢやないぢやないか。

 大きく言へば官吏(くわんり)公吏(こうり)、細かく言へば親任官は天津神(あまつかみ)で、地方(ちはう)長官(ちやうくわん)以下(いか)国津神(くにつかみ)(これ)神道(しんだう)が皆(これ)を説いて教へる処です。

 伊邪那岐(いざなぎ)神勅(しんちよく)に明らかになつて()るのだね。

 知食(しろしめ)せと(おつ)しやつたのですけれども、知食(しろしめ)めさなかつたのです。

 ちよつと待て、さうすると、神勅(しんちよく)に書いてあることは()いが、今の親任官以上(いじやう)だと()ふのだな、国津神(くにつかみ)地方(ちはう)長官(ちやうくわん)以下(いか)役人(やくにん)──。

 今で言へばさうです。

 「歴然(れきぜん)たる区別あり」と()ふのはどうなんだ。

 はつきり区別が分つて()ると()ふのです。

 勅任官と親任官の区別があると()ふのですか。

 さうです、明かですわ、それは──。

 ……。

 (しか)し、()時分(じぶん)伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美尊(いざなみのみこと)時分(じぶん)は、地球やとか何とか書いてあるけれども、()の「古事記(こじき)()ふものは総て世界の予言(よげん)書なり」と()ふて()る。

 私は(これ)を世界の予言(よげん)書と見做(みな)して()る。

 素盞鳴(すさのおを)尊が八岐(やまた)大蛇(をろち)退治(たいぢ)すると()ふことも、世界の悪魔(あくま)を平げることを()ふのだと思つて、それを予言(よげん)と信じて()ります。

 (ところ)で、()の点に関して王仁(おに)全集の一巻の「至誠(しせい)殿落成式所感」に、「矢張(やつぱ)神勅(しんちよく)()つて、()()ふ区別は明かに付いて()つた」とは、書いてありませぬが、後の続き具合(ぐあひ)を読んで見ましても、さう()ふことでないやうに思へますが。

 其処(そこ)の所は説き方があります。

 天界(てんかい)の方の神様(かみさま)と、地上(ちじやう)現界(げんかい)()ける神様(かみさま)と、区別したやうに書いてあるぢやありませぬか。

 書いてあります。

 それは本当ぢやないか、書いたものがあるのぢやないか、「至誠(しせい)殿落成式所感」に……「天津神(あまつかみ)()ふのは天界(てんかい)()ける神、地球上(ちきうじやう)の神は国津神(くにつかみ)」……。

 それはさう()ふやうに説くのです。

 ()の時の按配で、地上(ちじやう)()へば()の地にも天地(てんち)がある、太陽界にも天地(てんち)がある。それを一様に取られては困る、其処(そこ)に言うたのは、本当の天と地とを()うたのです。私が今言うたのは天地(てんち)の事を()うたのです。


 本職が(たづ)ねるのは、現界(げんかい)地球上(ちきうじやう)()ふのぢやないか。

 此処(ここ)ですが、(これ)()の時に天と地と月と、矢張(やつぱ)()く昔のことですから、お前は地球を──お前は何をと()ふやうに。

 (たづ)ねた通りぢやないか、それで()いぢやないか、親任官……地方(ちはう)長官(ちやうくわん)は要らない訳ぢやないか。

 けれども、それは細かく()うたので、地上(ちじやう)には()()ふものがあるのだ、(たと)へて()へばそんなもの。

 地上(ちじやう)には()んなものがある──親任官、奏任官は要らぬ訳だな、此処(ここ)に書いてある天津神(あまつかみ)……。

 地球が出来(でき)たのは()く昔で、人類(じんるゐ)発生(はつせい)して()らぬ時ですから、そんなに世の中は治つて()りませぬ。

 だから天津神(あまつかみ)は天、国津神(くにつかみ)は地球、さうですね。

 さうです、他にはさう()ふ意味ぢやない所もある、親任官の場合(ばあひ)も……。


争点 大国主命と天照大神の武力使用の意味

 親任官、奏任官もありますと()ふ訳だな、全部(ぜんぶ)書いて置きませう……最後(さいご)の、「日本は素盞鳴(すさのおを)尊の御子孫(ごしそん)にして、国津神(くにつかみ)なる大国主命(おほくにぬしのみこと)が、武力(ぶりよく)を以て統治し()られたけれども、」──(これ)はなんかはつきりしませぬか。

 それは(つま)り最前申したやうに、大国主(おほくにぬし)神に権利のない(くせ)に、……素盞鳴(すさのおを)尊の権利がなくなつて()るのに、大国主命(おほくにぬしのみこと)息子(むすこ)やと言つて、武力(ぶりよく)を以つてやつて()つた。(これ)体主霊従(たいしゆれいじゆう)です。

 葦原(あしはら)中津国(なかつくに)は……天孫(てんそん)霊主体従(れいしゆたいじゆう)であり、こつちは体主霊従(たいしゆれいじゆう)です、刀を以て振ひ(まは)して()つた。

 (これ)()の通りで()いのだな。

 さうです。

 「豊葦原(とよあしはら)瑞穂国(みづほのくに)は、大国主命(おほくにぬしのみこと)武力(ぶりよく)を以て云々(うんぬん)」と、書いてあつたのだから、其処(そこ)を取つて書いたのでありませう。

 それから、「天照大神(あまてらすおほかみ)は、天孫(てんそん)降臨(かうりん)に際して、天使(てんし)を三回迄派遣せられ、(つひ)武力(ぶりよく)を以て云々(うんぬん)」とありますが、(これ)はどうだ。

 さつき申上(まをしあげ)げました通り、()むを得ず武力(ぶりよく)を用ひたのです。

 今日(こんにち)の日支事変(じへん)(ごと)く、日本は(いく)さする積りぢやないが、蒋介石が聞かないから──それと同じ事です、天孫(てんそん)武力(ぶりよく)を以てやられたのも──。

 「大国主命(おほくにぬしのみこと)は力尽きて云々(うんぬん)」と()ふことはどうです。

 (これ)は、()ふたら、出雲(いづも)の国に根拠(こんきよ)を構へて──()時分(じぶん)には、日本と()つては()なかつたのですが、神武(じんむ)天皇様(まで)は日本と()ふものはなかつたのです。

 それは現代(げんだい)の日本の意味を言ふたのです。

 ()の日本を統治されると()ふことは、現代(げんだい)の……今の日本の中の西部の方面(はうめん)をやつて()つたのです。統治権を天祖(てんそ)奉還(ほうかん)したと()ふことは、お返ししたと()ふことです。

 それから、「()の後の日本(およ)び世界を統治せられる()めに行かれた」──(これ)はどうぢや。

 ()の後は、(これ)は否認するのだな、()の後はどうなつたと()ふのだ。

 ()の後は今日(こんにち)(まで)状態(じやうたい)、世界の状態(じやうたい)であります。

 世界がまだ(わが)が天皇の統治下になつて()らぬ。

 (これ)優勝劣敗(いうしようれつぱい)弱肉強食(じやくにくきやうしよく)ばかりです、()()しばかりです、それで弱肉強食(じやくにくきやうしよく)現世(げんせ)となつて()るのです。


争点 天皇の統治、国常立尊の守護

 ()(まま)であつて()ると()ふのだね、瓊々杵尊(ににぎのみこと)以来(いらい)、ずつと──それでどうしなければならぬと()ふのですか。

 それで、愈々天皇に上還(じやうかん)しまして、天照大神(あまてらすおほかみ)が、()(うしとら)に幽閉されて()つた国常立尊(くにとこたちのみこと)に命令を出されて、「神界(しんかい)から(まも)れ」と()はれた。「神界(しんかい)から現界(げんかい)を護つて()れ」と()はれた。

 さうしたら、それと共に(わが)が皇位が──(すなは)ち、今()うたことから、皇御孫命(すめみまのろみこと)から、続いて来て()る処の天皇様が、世界の主となり、世界の師となり、親となり、──主師親になられると()ふのが目的です、(これ)からさうなるのです。

 (しか)瓊々杵尊様(ににぎのみことさま)以来(いらい)の現御皇統(くわうとう)(おい)て、治めて()現世(げんせ)が、弱肉強食(じやくにくきやうしよく)修羅(しうら)(ちまた)となつて()るが、国常立尊(くにとこたちのみこと)は再現なされて、どうすると()ふのです、()の世の中を。

 それで(わが)日嗣(ひつぎ)天皇の御世(みよ)にすると()ふのです。大日本にすると()ふのです。

 大日本と()ふのは……。

 全部(ぜんぶ)の日本です。

 外国は()きにしてか。

 日本ばかりぢやない。今度(こんど)は、世界中(せかいぢう)一つにすると()ふのです。日本だけぢやなしに、外国も一緒(いつしよ)に──。

 日本はどうすると()ふのだ。

 日本は()の中の基ですわ。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)は再現してどうすると()ふのです。

 外国あたりは……。

 外国も無論(むろん)国常立尊(くにとこたちのみこと)世界中(せかいぢう)国霊(くにたま)になつて(まも)ると()ふのです。

 立替立直(たてかへたてなほし)は要らぬのか。

 (まも)るからして立替立直(たてかへたてなほし)出来(でき)る。(まも)るからして出来(でき)る。

 日本は天祐(てんいう)を保全しとあるが、神が守護(しゆご)をして居る。

 (つま)り、神が守つて、日本が世界を統一(とういつ)するやうになると()ふことの()る力を(もら)うたと()ふのが、(すなは)ち、世界を(まも)ると()ふのです。

 それで、今日(こんにち)迄英国であらうが、何処(どこ)であらうが、(これ)神勅(しんちよく)()れば日本のものであるのに、それを勝手(かつて)にやつて()るのです。

 統治権は()(まま)にして置いて、国常立尊(くにとこたちのみこと)が再現なされて(まも)ると()ふ意味ですね。

 さうです、護つて、そして世界を一つにすると()ふのです。

 此処(ここ)の点に対しての、被告人の不利益(ふりえき)証拠(しようこ)として、王仁三郎(おにさぶらう)のに十五回の一問答(もんだふ)(おい)て、「盤古大神(ばんこだいじん)瓊々杵尊(ににぎのみこと)……盤古大神(ばんこだいじん)の名前を()りて、瓊々杵尊(ににぎのみこと)のことを国常立尊(くにとこたちのみこと)神名(しんめい)に仮託して、大国主命(おほくにぬしのみこと)のことを書いた」と()ふやうな──決定(けつてい)通りのやうなことに供述して()ますがね。

 私はさう()ひまへぬ、向ふで勝手(かつて)に書かれたのです、「(すなは)ち」を()れて、「盤古大神(ばんこだいじん)(すなは)瓊々杵尊(ににぎのみこと)」と()ふやうな風にされたのです。

 ()れだけにして置きます。

 それだつたら私は予審判事さんと話をします、私は決してそんなことは()つて()りまへぬ。