うろーおにうろー

裁判記録(11)

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裁判記録

○神懸りの説明
○厳の霊魂、瑞の霊魂の説明。
○経の役と、緯の役の説明。
○変性女子の説明。男の癖に女みたいに優しい所があつて、勇気がないのを、男女郎と云ふのである。これが変性女子。
○天孫降臨と盤古は時代が全く違っている。
○移写関係はよくわかります。
○世界の統治者で変わっていないのは日本の皇室だけである。
○天孫降臨はウランバートルあたり。
○木村鷹太郎という名前が出てくる。日猶同祖論に関わっている人物。

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。意味のまとまりごとに標題を付加した。

思想 直、王仁三郎は如何なる神の顕現か

 次の問題(もんだい)に付て(たづ)ねます。

 大本(おほもと)(おい)ては出口直(およ)び被告人王仁三郎(おにさぶらう)如何(いか)なる神の顕現(けんげん)(また)霊代(たましろ)なりと(しよう)して()つたのですか。

 それは沢山(たくさん)神様(かみさま)が移られますけれども、直は()(かく)国常立尊(くにとこたちのみこと)稚姫君命(わかひめぎみのみこと)霊代(たましろ)であると()つて()りました。

 ()霊代(たましろ)の関係は(よろ)し、次に八回の四問答で、王仁三郎(おにさぶらう)のことが書いてあるが、(これ)はどうでせう。

 どう書いてありますか。

 読んで御覧(ごらん)──。

 読んで下さい。

 「教祖(けうそ)直は(うしとら)金神(こんじん)国武彦(くにたけひこ)命、国常立尊(くにとこたちのみこと)稚日女(わかひめ)岐美(きみ)命、それから大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)、大六合常立命(くにひろとこたちのみこと)国治立尊(くにはるたちのみこと)稚桜姫命(わかざくらひめのみこと)初稚姫(はつわかひめ)命、それからお前さんは、()いかい、小松林(こまつばやし)命、それから坤金神(ひつじさるのこんじん)豊雲野尊(とよくもぬのみこと)素盞鳴(すさのおを)尊、大八洲彦命(おほやしまひこのみこと)、ミロクの神、(つき)大神(おほかみ)、月の大神(おほかみ)(ひつじさる)金神(こんじん)国常立尊(くにとこたちのみこと)伊都能売(いづのめ)大神(おほかみ)、それから天照(あまてらす)(すめ)大神(おほかみ)などが懸る」と()つて()るが、()()うて()るが。

 それは矢張(やつぱ)り移つたのです。

 (これ)は一遍でも移つた神様(かみさま)を云ふたのか。

 さうです。

 八回の四問答で、「(ひつじさる)金神(こんじん)国常立尊(くにとこたちのみこと)」と書いてあるが、(ひつじさる)ぢやない、(うしとら)金神(こんじん)の誤りであるね。

 坤金神(ひつじさるのこんじん)と書いてあつたら、豊雲野尊(とよくもぬのみこと)の誤りであります。

 それから、霊代(たましろ)とか、顕現(けんげん)と云ふことはどう云ふことを云ふのですか。

 現れて来ることです、移つて来ることです。

 どうなるのだ。

 神様(かみさま)身体(からだ)に移るのです。

 身体(からだ)に移るとは──。

 (つま)り私の耳を使うたり、目に移つたりして、移るのです。

 移ると云ふのは、つく(ヽヽ)()ふ意味か。

 (かか)ることです。神憑(かみがか)りとも、神つき(ヽヽ)とも()ふのです。神憑(しんぴよう)とも()ひます。それを神憑(かみがか)りと読むのです。

 普段もつい(ヽヽ)()るのか。

 精霊(せいれい)何時(いつ)もついて()ります。

 小松林(こまつばやし)命は何時(いつ)()ります。


 それから、素盞鳴(すさのおを)尊の霊代(たましろ)だと(しよう)したのは、明治(めいじ)三十六年十月頃からか。

 ()の頃やと思ひます。()の頃から移り始めたのてす。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)霊代(たましろ)顕現(けんげん)(しよう)したのは、出口直が死亡(しぼう)後の、大正(たいしやう)七年旧十月八日以後(いご)でせう。

 はい、それから私が一生懸命(いつしやうけんめい)になつて、国常立尊(くにとこたちのみこと)に移つて(もら)うたのです、それで別も……。


思想 厳の霊と瑞の霊、伊都能売の霊

 それは後で()く、大本(おほもと)では霊の性質として、(いづ)(みたま)(みづ)(みたま)と云ふことを説いて()りますか。

 説いて()ります。

 厳の霊、(これ)はどう云ふことですか。

 ちよつと(これ)は……厳の霊と云ふと、古事記(こじき)にあります、伊都能売(いづのめ)神と云ふのがあります、厳の霊と云ふのは厳粛な(たましひ)荒魂(あらみたま)和魂(にぎみたま)とが(まさ)つた神様(かみさま)が、厳の霊と云ふのであります。

 奇魂(くしみたま)幸魂(さちみたま)とが勝つた神様(かみさま)(みづ)の霊と云ふのです。

 霊魂(れいこん)上で()へば、愛魂(あひこん)(すなは)幸魂(さちみたま)です、奇魂(くしみたま)は智恵の(たましひ)で、是等(これら)(たましひ)の勝つた神様(かみさま)を、(みづ)の霊と云ふ。

 和魂(にぎみたま)親魂(しんこん)()ひ、(これ)荒魂(あらみたま)勇魂(いうこん)の勝つた神様(かみさま)のことを厳の霊と云ふ。 (これ)をちよつと申上(まをしあげ)げます、ちよつと長くなるのでありますが
()いて(もら)へまへぬか。

 判つて()りますが、簡単に判り易く()つて御覧(ごらん)なさい。

 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)素盞鳴(すさのおを)尊に対して、「お前は泣いてばかり()るならば母の国に行け」と()はれたので、「天照大神(あまてらすおほかみ)に一つ御挨拶(ごあいさつ)申上(まをしあげ)げて行かう」と()うて高天原(たかあまはら)に上られた。

 ()の時、天照大神(あまてらすおほかみ)は、「(これ)素盞鳴(すさのおを)尊が、天津(あまつ)国を取りに来た」と思つて、武装(ぶさう)()げて御迎(おむかい)へになつた。

 ()の時に素盞鳴(すさのおを)尊は「私はさうぢやない」と()うた。「私は父の命令に()つて母の国に帰りますから、御挨拶(ごあいさつ)に来ました」と()つたら、「さうぢやない、お前は腕力(わんりよく)()つて()の国を(ぬす)みに来たのだらう」と()はれた。

 ()の時に、天照大神(あまてらすおほかみ)の耳の輪と(くび)の輪と、五百津の珠を渡して、「(これ)(わし)(たましひ)は通つて()るから見て()れ」と(おつ)しやつた。

 ()の時に、素盞鳴(すさのおを)尊が珠を受けて、「狭噛(さが)みにかみて、吹棄つる息吹(いぶき)きの狭霧(さぎり)になりませる神の御名(みな)は、天之忍穂耳命(あめのおしなみみのみこと)()の次の霊が天之菩比能命(あめのほひのみこと)()の次の霊が(これ)天津日子根命(あまつひこねのみこと)、それから()の次の霊が活津日子根命(いくつひこねのみこと)()の次の霊が熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)」、()の五つの霊が現れたと、(これ)は厳の霊と云ふのです、厳粛の厳の霊です。(あるひ)(また)、五つの霊と云ふ。

 「それならばお前の心を」と()はれて、素盞鳴(すさのおを)尊は自分の十拳(とつか)(つるぎ)天照大神(あまてらすおほかみ)に渡され、(これ)を一()()つたら三つに折れてしまつた。

 「さがみにかみて吹棄つる気吹(いふき)狭霧(さぎり)になりませる神が、多紀理毘売命(たきりひめのみこと)、次に市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)()の次が、多岐都比売命(たきつひめのさみこと)」、皆(これ)は女の神様(かみさま)です。三柱(みはしら)神様(かみさま)です。愛と智との神様(かみさま)で、実におとなしい神様(かみさま)です。

 それで、素盞鳴(すさのおを)尊の悪意の無いことが判つたと云ふ。それで(みづ)の霊、厳の霊と云ふのが出来(でき)た。


 それで、天照大神(あまてらすおほかみ)の霊と、素盞鳴(すさのおを)尊の霊とが一緒(いつしよ)になつたのが、伊都能売神(いつのめのかみ)になるのであります。

 (これ)は私が云ふことでありませぬで、古事記(こじき)、日本書紀にちやんと出て()ります。


思想 経の役と緯の役

 それから大本(おほもと)(おい)ては、(たて)の役と、(よこ)の役とを説いて()るやうだな。

 さうか。

 さうです。

 どう云ふ訳か。

 (たて)縦糸(たていと)です、(よこ)は横糸です。

 機を織るのに(これ)を按配して完成(くわんせい)して織つて行くのが横糸で、それが脱線(だつせん)したり、(また)切れたりするけれども、横がないことには織れない、で(これ)経緯(たてよこ)と云ふのです。

 一切(いつさい)何事にも、総て経緯(たてよこ)がなければあかぬ。

 それで出口直は厳の霊、王仁三郎(おにさぶらう)が、(みづ)の霊であると云ふことを()つて()つたのか。

 それを言うて()つたのです。

 何故(なぜ)かと云ふと、「出口は稲荷(いなり)講社からの(まは)し者で、大本教(おほもとけう)を取りに来て()」と言はれて()つた。

 それで、さう云ふことを言つて()つたのです。

 私が(よこ)の役になつたのです。

 さうして、大本(おほもと)と云ふものを(こしら)へたのです。



思想 王仁三郎が伊都能売神の霊代(たましろ)

 それから王仁三郎(おにさぶらう)は、出口直の死亡(しぼう)後、厳の霊、(みづ)の霊、(すなは)(たて)の役を()ね備へた所の、伊都能売(いづのめ)神の霊代(たましろ)となつたと云ふことを、主張したのでありますか。

 さうです。

 伊都能売(いづのめ)神と云ふものは、(せん)()めれば、結局(けつきよく)天之御中主神(あめのみなかぬし)の極徳の顕現(けんげん)と同じか。

 それは(ちが)ひます。

 古事記(こじき)()う云ふことが書いてあります。

 伊邪那岐(いざなぎ)尊と伊邪那美尊(いざなみのみこと)が御夫婦の喧嘩(けんくわ)をなされて、伊邪那美尊(いざなみのみこと)黄泉(よみ)の国迄()げて行かれた。伊邪那岐(いざなぎ)尊がそれを黄泉の国迄追()けて行つた。伊邪那岐(いざなぎ)尊は黄泉比良坂(よもつひらさか)(くい)止めて、伊邪那岐(いざなぎ)尊の()り給はく、「(けが)き国に行つて(をつ)たから」と云ふので、(みそぎ)(はら)をすると云ふので、(みそぎ)(はら)をやつて(きよ)められた。

 ()の時に生れたのが、伊都能売(いづのめ)神、大直毘神(おほなをひのかみ)神直毘神(かむなをひのかみ)、それから大禍津日神(をほまがつひのかみわざはい)八十禍津日神(やそまがつひのかみ)などで、十一柱目に天照大神(あまてらすおほかみ)が御生れになつた、十二が素盞鳴(すさのおを)尊、十三が月読命(つきよみのみこと)、と()う書いてある。

 ()の時の伊都能売(いづのめ)神と云ふのは、垢を(はら)つた時の神さんです、(きよ)めた時に生れて、天之御中主(あめのみなかぬし)でも何でもありまへぬ。

 さうか。

 それで大直毘神と、神直毘神との間と云ふ意味です。


思想 変性男子と変性女子

 国常立尊(くにとこたちのみこと)霊代(たましろ)である、出口直が死亡(しぼう)した後に、「厳の霊も王仁三郎(おにさぶらう)に懸るやうになつたから、国常立尊(くにとこたちのみこと)霊代(たましろ)である」と云ふことを、主張するに(いた)つたのだな、さうですね。

 さうです、(つま)り言へば、直に移つた神様(かみさま)と、私に移つた神様(かみさま)合体(がつたい)して、両方(りやうはう)修業(しうげふ)して移るやうになつた()の意味です。

 大本(おほもと)(おい)ては、変性男子(へんせいだんし)変性(へんせい)女子(じよし)と云ふことを()うて()つたやうですね。

 変性男子(へんじやうなんし)変性(へんじやう)女子(によし)と云ふのです。(なんし)

 (これ)はどう云ふ意味です。

 (これ)仏教(ぶつけう)から出た言葉(ことば)でありまして、女と云ふものは、罪の(かたま)りであつて、どうしても成仏(じやうぶつ)出来(でき)ないと言ふ。仏教(ぶつけう)では、女人(によにん)成仏(じやうぶつ)出来(でき)ないと云ふ。

 それを、親鸞(しんらん)上人(しやうにん)や、法念上人(しやうにん)やなんかが現れて、「女人(によにん)でも成仏(じやうぶつ)さしてやるぞ、()の時女で成仏(じやうぶつ)出来(でき)なければ、変性(へんじやう)男子(なんし)として成仏(じやうぶつ)さしてやらう」と云ふことになつて、変性(へんじやう)男子(なんし)……。

 それから、男の(くせ)に女みたいに優しい所があつて、勇気(ゆうき)がないのを、男女郎(めらう)と云ふのである。(これ)変性(へんじやう)女子(によし)と云ふことになつて()る。

 誰を指すのか。

 私を変性(へんじやう)女子(によし)と、教祖(けうそ)の直が()ひ出したものだから、さう言はなければならなくなつた。

 変性(へんじやう)男子(なんし)は誰ですか。

 ナカが自分を……それは明治(めいじ)三十二年頃から言ひ出したと思ひます。

 変性(へんじやう)男子(なんし)と云ふことは、何故(なぜ)かと云ふと、野崎宗長と云ふ男が()つて、大本(おほもと)へ来まして一金光教(こんくわうけう)信者(しんじや)でありましたのが、親鸞(しんらん)上人(しやうにん)変性(へんじやう)男子(なんし)の話をして()りました。

 それから、変性(へんじやう)男子(なんし)出来(でき)た、それから変性(へんじやう)女子(によし)と云ふのは……。

 では、変性(へんじやう)女子(によし)と云ふのは男子(なんし)であつて、心が女々(めめ)しい者だ、さう云ふのだな。

 さうです、直は、女やけれども男みたいな、さう云ふ人だつたのです。


思想 霊代

 さう云ふ意味だつたのか。

 王仁三郎(おにさぶらう)が、素盞鳴(すさのおを)尊の霊代(たましろ)だと云ふことを説いて()以外(いぐわい)に、月の大神(おほかみ)霊代(たましろ)と云ふことも主張するのか。

 (これ)は、素盞鳴(すさのおを)尊の(また)の名は月読命(つきよみのみこと)です。

 月と言ふのか、大神(おほかみ)……。

 月界(げつかい)の神です。()の「つき」は月ですか。

 ……。

 それは矢張(やつぱ)り、御移(をうつ)りになつた時です。

 御移(をうつ)りとは。

 御移(をうつ)りになつた時です。月の大神(おほかみ)御移(をうつ)りになつた時です。

 それは、御移(をうつ)りになつたのですから……神様(かみさま)は太陽の光線(くわうせん)(ごと)く、同じやうに、神様(かみさま)はどんなえらい神様(かみさま)でも御移(をうつ)りになるのであります。

 予審では、九回の三問答で、()の訳を言つて()るやうだが、説明(せつめい)して()るやうだが──。

 私は説明(せつめい)して()らしまへぬ。

 一寸(ちよつと)聴かして下さい。

 聴かせませうか。

 「私は最初(さいしよ)月読命(つきよみのみこと)霊代(たましろ)として、国祖(こくそ)国常立尊(くにとこたちのみこと)神業(しんげう)補佐(ほさ)するのである。勿論(もちろん)、私は、教祖(けうそ)在世(ざいせ)中から、学問(がくもん)上か(うへ)()うても、知識(ちしき)から言うても私の方が、教祖(けうそ)よりはえらいと云ふ自信(じしん)があり……」

 それはあります。

 「(なほ)教祖(けうそ)は老齢でありましたから、私の肚の中では立替立直(たてかへたてなほし)をして、教祖(けうそ)を日本(およ)び世界の統治者にしようと云ふ気はありませぬてした。(また)教祖(けうそ)自身(じしん)も、日本(およ)び世界の統治者にならうと云ふ気はなかつたらうと思ひます。大本(おほもと)は、最初(さいしよ)教祖(けうそ)を中心にして、発展(はつてん)したのでありますから、私も教祖(けうそ)在世(ざいせ)中は、主として教祖(けうそ)を中心にして、国常立尊(くにとこたちのみこと)が再現して、教祖(けうそ)霊代(たましろ)として、()の世の立替立直(たてかへたてなほし)をするのであるとの教義(けうぎ)を立てて宣伝し、私は『月読命(つきよみのみこと)霊代(たましろ)として、国常立尊(くにとこたちのみこと)立替立直(たてかへたてなほし)神業(しんげう)補佐(ほさ)するのである』と説き、時には、立替立直(たてかへたてなほし)後統治者となる人は教祖(けうそ)であると思はせるやうな説き方をしたこともあります。他方に(おい)ては、(すで)教祖(けうそ)在世(ざいせ)中から、私が金輪王(また)は一つの王として、世を治めるのであると云ふ趣旨(しゆし)のことを暗示(あんじ)し、教祖(けうそ)が、国祖(こくそ)国常立尊(くにとこたちのみこと)霊代(たましろ)であると共に、(てん)主宰(しゆさい)神たる稚姫君命(わかひめぎみのみこと)霊代(たましろ)だからと、説いて()つたと同様(どうやう)、私が豊雲野尊(とよくもぬのみこと)霊代(たましろ)たると共に、(てん)主宰(しゆさい)神たる(つき)大神(おほかみ)、ミロクの神の霊代(たましろ)なりと(しよう)し、『教祖(けうそ)が書いた、梅で開いて松で治めるとある筆先(ふでさき)の意味は、梅(すなは)教祖(けうそ)は世の立替立直(たてかへたてなほし)後日(ごじつ)(およ)び世界を統治する者は、松(すなは)ち私である』と説いたりして()りました。」と、()う書いてあるね。

 それは大分(だいぶん)(うそ)が混つて()ります。

 本当のこともあります。

 何やら暗示(あんじ)し……私は暗示(あんじ)なんと云ふことは初めて聞いた、大分(だいぶん)(ちが)うて()ります。

 それから──。

 それで私は、最前申しましたやうに、別に現界(げんかい)(おい)て政治をすると云ふのぢやありませぬから、教祖(けうそ)が統治すると()つた処で、(これ)現界(げんかい)霊界(れいかい)のことです。

 現界(げんかい)()ける霊界(れいかい)のことを説いたのです。

 それでね、どう云ふ根拠(こんきよ)から、神の霊代(たましろ)だと云ふことを、主張したりするのか。

 それは、神が御移(をうつ)りになることを、霊代(たましろ)()ひます。霊媒(れいばい)とも()ひ、霊代(たましろ)とも云ふのです。

 何か霊代(たましろ)であると云ふ、根拠(こんきよ)でもありますか。

 それは神が云ふのです。神が移つたら霊代(たましろ)です。

 私は静岡(しづをか)試験(しけん)をして(もら)うて、得行証を(もら)うて、霊代(たましろ)と云ふことを確めて(もら)ひました。

 それ(まで)は、何かおかしなものが()いて()ると思うて()りましたが、それを、静岡(しづをか)へ調べに行つて、見て(もら)ひました。

 霊代(たましろ)を調べるのには方法(はうはふ)がありまして、それに()つて調べて(もら)うたのであります。

 ()の点に付て、八回の四問答で、変なことを言うて()るね。

 どう云ふことですか。

 「私が以上(いじやう)神々(かみがみ)霊代(たましろ)だと云ふことや、観音(くわんのん)、ミロク、キリストなどであると云ふことは、私が勝手(かつて)()ささうな神様(かみさま)などの名を取つて、()時々(ときどき)都合(つがふ)()いやうに出駄羅目を言うたもので、正しい理由や、根拠(こんきよ)があつて言ひ出したものではありませぬ」と──。

 それは、向ふが(おつ)しやつて書かれたものです。

 さう書いてありますけれども、「さうぢやないか」、「さうやろ」と書かれたのです。

 私はそんな出駄羅目なことを言ふ訳はありませぬ。

 私は(だま)つて()りました。

 「()うやないか」「()うやないか」と言はれたから、「はい、はい」(くらゐ)に返事をして()つた、仕様(しやう)がないから……。

 霊代(たましろ)関係から()して来ますと、()う云ふ結論になりは(いた)しませぬか。()霊界物語(れいかいものがたり)の第一編の十八章の「霊界(れいかい)の情勢」と云ふ所に、()記事(きじ)の中にミロクの神が国常立(くにとこたち)神に現界(げんかい)神界(しんかい)立替立直(たてかへたてなほし)を命じ給ふたこと。現界(げんかい)神界(しんかい)立直(たてなほ)をすると云ふ命令があつたと云ふこと。再現して立替立直(たてかへたてなほし)をせよと云ふことが書いてあり、盤古大神(ばんこだいじん)が、地上(ちじやう)一切(いつさい)のことを国常立尊(くにとこたちのみこと)に還付するの()むなきに(いた)つたと云ふことも、書いてありますね。

 さうです、それは──。


思想 歩く提灯

 だから、霊代(たましろ)関係から云ふと、王仁三郎(おにさぶらう)国常立尊(くにとこたちのみこと)霊代(たましろ)だと云ふことは、王仁三郎(おにさぶらう)国常立尊(くにとこたちのみこと)霊代(たましろ)として、日本の立替立直(たてかへたてなほし)をして、()の統治者となると云ふやうな、結論はつきませぬか。

 つきませぬ。

 そんな(はず)はありませぬ。それで()うです。

 ちよつと聞いて(もら)ひませう。

 あの、愈々(いよいよ)教祖(けうそ)に聞きました所の話は、「二十五年には盤古(ばんこ)(つま)(うしとら)金神(こんじん)さんが現界(げんかい)に出て来て、(うしとら)に押()められて()つた国霊が、二十七、八年の戦役で支那(しな)で戦をし、三十七、八年には「ろしや」と戦をし、それを()めて段々(だんだん)日本主義(しゆぎ)の世界にして来た。これが(うしとら)金神(こんじん)現界(げんかい)を治めると云ふことである。」

 それで、(うしとら)金神(こんじん)が政権を(にぎ)つたりするのではないのです。

 さう云ふ具合(ぐあひ)に世の中が(まは)つて来るやうに、神が指導(しだう)する意味です。

 現界(げんかい)()う云ふやうに立直(たてなほ)つて来るやうに、守護(しゆご)すると云ふ意味です。

 それで、最前申したやうに、私は提灯(ちやうちん)です。

 提灯(ちやうちん)……。

 提灯(ちやうちん)が歩いて()るのぢやありませぬ。神が歩いて()るのです。世界の神が現界(げんかい)を直して()れて()る。

 それは書いて置いて下さい。

 総て(もと)は宗教が(もと)ですから、宗教で説いて()るのだから、政治で説いて()るのぢやありませぬ。それを政治の方に取られるから、(めう)なものになる。

 それは、宗教の書物(しよもつ)沢山(たくさん)読んだ人ならば、滅多(めつた)()んな方に取る人はないと思ひます。仏教(ぶつけう)を読みましても、何を見ましても……。

 ちよつと疑問だから()くが、王仁三郎(おにさぶらう)()王仁三郎(おにさぶらう)の予審に()ける訊問(じんもん)調書に()りますと、「太古の神の因縁(いんねん)」「霊界(れいかい)の情勢」「国祖(こくそ)御隠退(ごいんたい)の御因縁(いんねん)」「盤古大神塩長彦(ばんこだいじんしほながひこ)命云云」と云ふやうなことを、大本教(おほもとけう)(おい)て、被告人がもじつて日本書紀(とう)大国主命(おほくにぬしのみこと)のことに関する記事(きじ)曲解(きよくかい)をして、国常立尊(くにとこたちのみこと)神名(しんめい)()りて、大国主命(おほくにぬしのみこと)のことを説いたものである云ふとことを、供述して()るやうだが……。

 私は知りまへぬ。向ふが勝手(かつて)にお書きになつたのです。創作です。

 ()の点に関しては、予審訊問(じんもん)調書の二十一回、廿五回、二十七回にルル(しばしば)述べて()るが……読み聞けはせぬがね。

 それは私の……。

 要旨は()うです。

 「神名(しんめい)()りて──国常立尊(くにとこたちのみこと)の名前を()りて大国主命(おほくにぬしのみこと)()うたのである。()根拠(こんきよ)は、古事記(こじき)や日本書紀に曲解(きよくかい)(ほどこ)して、国常立尊(くにとこたちのみこと)と書いたのだ」と云ふことを、(くは)しく二十一回、二十五回、二十七回に言つて()るやうだが──。

 それは私が()つたのぢやありまへぬ、向ふが曲解(きよくかい)されたのです。「さうぢやないか」と言はれるのです。

 (しか)し、此処(ここ)の所は私は申上(まをしあげ)げたい。

 丁度(ちやうど)最前申上(まをしあげ)げました通り、(てんそん)降臨(かうりん)の時と盤古(ばんこ)の時とは、時代が非常(ひじやう)(ちが)うて()ります、何億万年も(ちが)うて()ります。

 (ただ)、私は、素盞鳴(すさのおを)尊が意志(いし)薄弱(はくじやく)()めに所謂(いはゆる)変性(へんじやう)女子(によし)()めに泣いて()られたが故に、(よく)(をさま)らなんだ。

 ()しも、素盞鳴(すさのおを)尊が御神勅(ごしんちよく)通り治めて(をつ)たならば、天孫(てんそん)の御降臨(かうりん)はなくても()かつた。


 「素盞鳴(すさのおを)尊が力がない()めに、天子様(てんしさま)の御降臨(かうりん)御厄介(ごやくかい)になつたのである」と云ふことを、史論の神道(しんだう)史の一説として、私は書いただけであつて、他にそんなことは何も言うて()らへぬ。

 そこの所を()け込んで来て、「瓊々杵尊(ににぎのみこと)()うやとか、あゝや」とか、色々(いろいろ)大国主(おほくにぬし)の神のことを其処(そこ)へ持つて来て、「()うやつたのや」とか、「国常立尊(くにとこたちのみこと)にして不平(ふへい)があるのや」とか、色々(いろいろ)のことを言はれた。

 それを其処(そこ)二持つて来る。さうせぬことには問題(もんだい)(これ)はならぬと思うて……ならぬから、さうされたのであります。

 決してそんなことはありまへぬ。

 読んで見て下さい。三千万言の私の言葉(ことば)の中に、一つもそんなことはありまへぬ。

 予審判事も、()いて初めて判つたのでせう。

 向ふから……伊佐男はそんな馬鹿(ばか)なことを言うたかも知れませぬが、私はそんなことは言うたことはありまへぬ。

 悪く思うて()りまへぬ。

 後のところは、それを聞いて私は驚いたのです。私は何とも思うて()りまへぬが、余り(ひど)いです。


思想 大本祝詞

 「(ちが)ひます」と云ふのだね。

 (ちが)ひます。全然(ぜんぜん)(ちが)ひます。

 ()しも、私がさう云ふ悪いことがあれば、三千万言の中の書物(しよもつ)、文献を一々(いちいち)調べて(もら)うても判ります。

 (また)、それを反証する(ため)には、善言美詞(ぜんげんびし)──信徒(しんと)毎日(まいにち)唱へて()るのを見ても判る、

「皇御孫命の(てん)石位(いはくら)放ち(てん)八重(やへ)雲を伊都(いづ)千別(ちわき)千別(ちわき)天降(あまくだ)し給ひてより動くことなく変ることなく人の心は直く正しく……」

 (これ)毎日(まいにち)言うて祈つて()るのです。

 大本(おほもと)祝詞(のりと)には(また)──

 「邂逅(あくらは)礼無(いやな)(きたな)心以(こころも)て、射向奉(いむかひまつ)敵在(あだあ)る時は国民挙(くにたみこぞ)り、御祖神(みおやのかみ)(つた)(ため)へる敏心(とごゝろ)倭心(やまとごころ)振起(ふりおこ)し、(つるぎ)手頭取(たがみと)(しば)り、(いづ)雄健(をたけ)踏健(ふみたけ)(いず)嘖譲(こうび)を起して、海往(うみゆ)かば水漬屍(みづくかばね)山往(やまゆ)かば草生屍(くさむすかばね)大君(おほきみ)()にこそ()なめ、(のど)には()なじ(かひりみ)()じ」

 (これ)大本(おほもと)祝詞(のりと)です、(これ)()の通り、陛下の(ため)には、陛下の()めに捨てるならばと云ふやうに、大本(おほもと)信者(しんじや)一般の人が考へて()る。

 それが信者(しんじや)一般の精神です。

 私もそれを教へて()る。

 ()祝詞(のりと)を作つたのは、皇典(くわうてん)講究所(かうきうしよ)()りまして、卒業論文(ろんぶん)の代りに作つたのです。

 (ところ)がですね、伊佐男が予審の十五回の一問答の所で、国常立尊(くにとこたちのみこと)と云ふのは……。

 それは伊佐男の誤解(ごかい)です、あんな子供(こども)がそんなことを知りまへぬ、

 各々(おのおの)の意見があつても、それは違ふかも知れませぬが……それは伊佐男の誤解(ごかい)です。


争点 出口伊佐男の答弁について

 予審で見せて(もら)ひましたか。

 聴かして(もら)ひましたが、「誰は()う云ふて()る、あれは()う云ふて()る」と、ちよつと見せては……私の調書と云ふものは、伊佐男の調書と、()の他のに、三人の調書を並べて置いては書かれて、一週問位書いて()られまして、一週間程じつとして()るだけで、(また)()く時には、(また)、前の事を()やはる。そして、側に書記が書いて()る。

 どう云ふことを書いて()るか、そんなことは知らぬのだと云ふのだね。

 知りまへぬ、伊佐男の言ふたことは、私は認めまへぬ。


思想 移写関係

 それから、今度(こんど)大本(おほもと)では、移写(いしや)関係と云ふことを主張して()りますか。

 へい。

 言ふて()りましたね。

 移写(いしや)関係と云ふ事は──(これ)はどうですか。

 写ることです。

 写ることとは──。

 それは大本(おほもと)が言うたのぢやない、他の……。

 他所(よそ)の人はどうでも()いが、大本(おほもと)で言ふやうになつたこと、王仁三郎(おにさぶらう)()う云ふことであると()うて、説いて()つた点を()きたいのだ。

 私は、移写(いしや)関係と云ふことは、余り説いて居りまへぬ。

 「世界の事は大本(おほもと)に写るから、大本(おほもと)喧嘩(けんくわ)があると、世界に戦争(せんさう)がある。大本(おほもと)を見て()つたら、世界を見ないで(をつ)ても判る。大本(おほもと)で悪いことをしたら、世界に悪いことが起つて来る。大本(おほもと)間違(まちが)うたことをやれば、世界に間違(まちが)うたことが出来(でき)る。直のやり方と王仁(おに)のやり方を見て()れば、世の中が出来上(できあが)つたことが判る」と云ふことを、説いたのが、移写(いしや)関係です。

 移写(いしや)関係の霊界(れいかい)()けることは、現界(げんかい)(おい)ては、必ず、移写(いしや)実現(じつげん)すると云ふことは言へるのか。

 それもあります。

 霊界(れいかい)の悪いことは、私に写つて来る。

 そして、現界(げんかい)戦争(せんさう)も起れば……霊界(れいかい)戦争(せんさう)があれば、現界(げんかい)戦争(せんさう)がある。

 私は、五年も六年も前に、それを見て()る。霊界(れいかい)の戦さがあつたことを見て()る。

 だから、現界(げんかい)に戦さがあると云ふことを、予言(よげん)出来(でき)るが、予言(よげん)を現在はさせませぬ。

 霊界(れいかい)()ける現象(げんしやう)は、必ず現界(げんかい)実現(じつげん)すると、合せ鏡の(ごと)く写るのだと、現世(うつしよ)と云ふのは、それを云ふのだな。

 さうです。必ず移写(いしや)します。大抵(たいてい)遅いか早いか……。

 それは何十(なんじふ)年間も移写(いしや)しないことがあるか、事の軽重に()つては──。

 それはあります。

 さうすると、(たづ)ねて置くが、予審終結決定(けつてい)大本(おほもと)教義(けうぎ)要旨の一の所に、「霊界(れいかい)のことだと()うて()りますが、霊界(れいかい)の……盤古大神(ばんこだいじん)霊界(れいかい)のことであつて、国常立尊(くにとこたちのみこと)の後を(おそ)ひ、地上(ちじやう)神界(しんかい)を統治せられて()つたと」云ふことは、移写(いしや)関係から、盤古大神(ばんこだいじん)地上(ちじやう)現界(げんかい)(おい)ては、瓊々杵尊(ににぎのみこと)の御統治に当るのぢやありませぬかな。

 それは(ちが)ひます。

 大分(だいぶん)昔ですから……時代が(ちが)ひます。

 移写(いしや)関係から盤古大神(ばんこだいじん)が、国常立尊(くにとこたちのみこと)に返したのですから、今日(こんにち)霊界(れいかい)のことが現界(げんかい)(あら)はれて()るのは、今日(こんにち)の世界の状態(じやうたい)が、(これ)が顕れて()るのです。移写(いしや)して()るのです。

 さうすると、「盤古大神(ばんこだいじん)国常立尊(くにとこたちのみこと)の後を(おそ)はれて、神界(しんかい)を統治なされて()つた」と云ふことの、移写(いしや)関係は何に当りますか。

 今迄(いままで)の世界の情勢は優勝劣敗(いうしようれつぱい)弱肉強食(じやくにくきやうしよく)……。


思想 皇室が世界の統治者

 統治者は──。

 統治者は廃立したり、色々(いろいろ)して()りますけれども、(ただ)天照皇大神の御延長(えんちやう)たる、日本の皇室(くわうしつ)だけが、変つて()られない。御皇室(くわうしつ)だけが変つて()られない。

 それは変らないのです。(これ)霊界(れいかい)神界(しんかい)の元締ですから、変りませぬ。

 ちよつと今、少し判り難かつたがね。

 盤古大神(ばんこだいじん)神界(しんかい)()ける御統治の移写(いしや)関係は……。

 それは今日(こんにち)(まで)の世界の情況です。今日(こんにち)(まで)の……。

 移写(いしや)関係に()ける統治者は、どなたに当りますか。

 今日(こんにち)ですか、……国常立尊(くにとこたちのみこと)です。

 今日(こんにち)でも、何時(いつ)でも()いが、早い遅いは()いが、早い遅いの問題(もんだい)は別にして、()(かく)盤古大神(ばんこだいじん)神界(しんかい)()ける統治者の問題(もんだい)移写(いしや)関係は、現界(げんかい)(おい)てはどなたの御統治になる訳ですか。

 どなたの御統治になると云ふことは、(これ)国常立尊(くにとこたちのみこと)の御統治になるのです。お返へしになつたのですから。大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)の御統治になる。

 さうすると、最前申したやうに、(わが)皇室(くわうしつ)の御統治になる、愈々盤古大神(ばんこだいじん)国譲(くにゆづり)して来ると、(わが)皇室(くわうしつ)の世界に、全部(ぜんぶ)がなるのです。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)か。

 大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)です。

 盤古大神(ばんこだいじん)が御統治を返還せられたと云ふことになれば、大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)も返還したことになりはせぬのか。

 いや、大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)の返還はありませぬ、大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)は、万世動かない世の始まりですから──

 現界(げんかい)……。

 現界(げんかい)幽界(いうかい)一緒(いつしよ)です、国常立尊(くにとこたちのみこと)現幽(げんいう)一致(いつち)です、大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)現界(げんかい)幽界(いうかい)大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)なりと──それは日本の総て皇室(くわうしつ)が御治めになる。

 所謂(いはゆる)盤古大神(ばんこだいじん)が返したのですから、返したけれども、二十五年頃に返しただけで、直ぐはに十五年にはなるのぢやありませぬ、色々(いろいろ)経綸(けいりん)があつて、あちらを改正(かいせい)し、こちらを整理しなければならぬ。

 大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)の御統治に当ると云ふ、()経過(けいくわ)は、後の経過(けいくわ)は──。

 愈々(いよいよ)、ミロクの世になつて、(わが)が日本皇室(くわうしつ)の御治め遊ばす所の、地球上(ちきうじやう)がさうなつて来ると、アジアも欧羅巴(ヨーロツパ)も皆(わが)皇室(くわうしつ)が御治めになると云ふ

 けれどもそれは、五年やそこらにはなりませぬ。ぼつ/\です。ぼつ/\さうなつて参ります。


思想 天孫降臨はウランバートルあたり

 ()の点に関して、二十五回の一問答の処には、「(これ)移写(いしや)関係から云ふても、(これ)盤古大神(ばんこだいじん)は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)に当る」と云ふやうなことを、ちよつと(ほの)めかして()るやうだが。

 そんなことは絶対にありまへぬ。そんなことは言ひまへぬ。

 それは、支那(しな)の歴史の根本(こんぽん)でありまして、ロシアと支那(しな)との境目辺りの、今日(こんにち)のウランバートル辺りです。

 元の日本は豊葦原(とよあしはら)瑞穂(みづほ)の国、国常立尊(くにとこたちのみこと)時分(じぶん)()の世界が日本だつたのです。

 (これ)は木村鷹太郎(たかたらう)さんの説にも、さう書いてあります。

 木村さんから()きますと、支那(しな)の今の蒙古(もうこ)のウランバートル、あの辺りが中心で、其処(そこ)に天から御下りになつたと云ふことです。


 支那(しな)神様(かみさま)と云ふのですね。

 今から言ふ支那(しな)神様(かみさま)です。

 それが日本に渡つて来られたと云ふことになるのですね。

 エゝ、さうです。

 それから、「艮へ押()められて(をつ)た」と云ふのは……(うしとら)に当るのが日本の国です。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)失望(しつばう)して、母の国へ帰られた。其処(そこ)天孫(てんそん)が御降臨(かうりん)になつたことになつて()るのです。

 さうすると、盤古(ばんこ)……「支那(しな)に生れた処の盤古大神(ばんこだいじん)が、日本に渡つて来られて、神界(しんかい)を御統治なされた」と云ふことは、移写(いしや)関係から申すと、「現界(げんかい)(おい)ては大国主命(おほくにぬしのみこと)大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)現界(げんかい)を御統治なさつたと云ふこと」だと。

 大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)矢張(やつぱ)り、外国から渡つて来たものでせう。さうなりやせぬかね。

 さうですとも。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)も、(つま)り極東の日本ぢやない、今の亜細亜(アジア)の真ん中あたりから、此方(こちら)に来られたのです、亜細亜(アジア)の真ん中あたり.から、……ウランバートルあたりから来られたのです。

 そこで争が起つたのです。どちらも現今(げんこん)支那(しな)と言ふてますけれども、前には支那(しな)ぢやなかつたのであります。

 さうすると、日本を治めなすつて()る所の神様(かみさま)御系統(ごけいとう)は、外国から渡つて来たと云ふことになりやせぬのか。

 昔の──極く昔は外国も、日本もありまへぬ。

 そして国常立尊(くにとこたちのみこと)が日本へ、艮へ()()められた、其処(そこ)が一番綺麗(きれい)やつたから。

 天孫(てんそん)天照大神(あまてらすおほかみ)()の島に御降(をくだ)りになつた。

 それであつて、別に日本の国と云ふのは、神武(じんむ)天皇さまから、日本の国と云ふことになりましたが、それ(まで)陸続(りくつづ)きだつたのです。

 ちよつと移写(いしや)関係について()いて見たが、「昔は外国とか、日本と云ふものがなかつた」と云ふことでせう。

 はい。


思想 国常立尊の隠退再現は何時頃から説き出したか

 国常立尊(くにとこたちのみこと)隠退(たゐゐん)再現の、大本(おほもと)教義(けうぎ)と云ふものは、何時(いつ)頃から説き出したか。

 (これ)は直が説いたのは、二十五年からです。

 明治(めいじ)二十五年から……私が説いたのは、それを修業(しうげふ)しまして、色々(いろいろ)と直が(おつ)しやるだけでは、はつきりせぬ。

 私は十三の時から、神(がか)りを研究をして(をつ)た。そして、筆先(ふでさき)を書くやうになつてから、初めてはつきりした。

 それは最前申しました。三十何年だつたか、(あるひ)はちよつとあれですが、筆先(ふでさき)を書くやうになつたのは、直が死んでからだつたから、()当時(たうじ)からです。

 さうすると、出口直が説き出したのは、二十五年頃である。

 王仁三郎(おにさぶらう)の説き出したのは、何時(いつ)だ。

 最前申したと思ひますが、私が行つたのは卅二年七月に行つたのだから、それから研究しました結果(けつくわ)ですから、大正(たいしやう)七、八年頃ぢやないかと思ひます。

 ちよつと疑問があるのですが、()の出口ナカが国常立尊(くにとこたちのみこと)の再現されたことを、二十五年から説いて()ると言ふが、一体(いつたい)国常立尊(くにとこたちのみこと)と云ふことを言ひ出したのは、三十五年の秋頃ぢやないか。

 さうです。

 ()の前は(うしとら)金神(こんじん)だつたのです。

 それは何故(なぜ)言うたかと云ふに、丁度(ちやうど)()の時に、私が京都へ行つて()りました。学校へ行かうと思つて──さうしたら帰りましたら、「(うしとら)金神(こんじん)国常立尊(くにとこたちのみこと)や」と云ふことが、教祖(けうそ)筆先(ふでさき)に出て()つた。

 それで、何やと思つて見て見ましたら、息〔子〕の竹造(たけざう)と云ふものの(よめ)さんが(もら)つてあつた。()(よめ)さんが天理教(てんりけう)信者(しんじや)やつた。さうして、書き物を持つて来て、(うしとら)金神(こんじん)さんとか何とか云ふのが(もと)であつて、(これ)国常立尊(くにとこたちのみこと)はんやと云ふことを書いた。

 天理教(てんりけう)の書き物を持つて来たのです、さうして、お(ばあ)さんに言うて()つたのです。それで、ははあ──どうしても訳が判らぬやつたが、さうすると国常立尊(くにとこたちのみこと)はんやなと、()う云ふことになつたのです。

 さうすると、前の(うしとら)金神(こんじん)と云ふことは判らぬけれども、一番(もと)の偉い神さんやと云ふことを、言うて()つたのでせう。

 さうです。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)隠退(たゐゐん)再現の教義(けうぎ)は、二十五年からと云ふ訳に行かぬぢやないか、後からくつ付けたのぢやないか。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)と云ふことは、くつ付けたのぢやない。

 私が神(がか)りで、本当に国常立(くにとこたち)神様(かみさま)か、(ほか)の神であるかを、一生懸命(いつしやうけんめい)修業(しうげふ)した。()結果(けつくわ)であつて、別にそれを以つて、作つたのぢやありませぬ。

 さうすると、()の説き出したのは大正(たいしやう)七、八年頃だと云ふ、主張ですな。

 そんなものです。

 伊都能売(いづのめ)神の霊代(たましろ)と云ふことの主張をしたのは、大正(たいしやう)八年旧七月以後(いご)ぢやありますまいか。

 さうかも判りませぬ、移つて来た時は、移つて書くのですから、伊都能売(いづのめ)神が移つてるのか、それは私としては判りませぬ。

 伊都能売(いづのめ)神の霊代(たましろ)であると云ふことを言つて、それから、国常立尊(くにとこたちのみこと)霊代(たましろ)であると云ふことを言うて()るから、さうなるのぢやないか。

 さうかも判りませぬ。

 それで、()(かく)、一人や二人の神さんぢやないもの。

 沢山(たくさん)移つて来るのを、()の中で一番余計何遍(なんべん)何遍(なんべん)も移る神様(かみさま)の名を取つて、()の人の霊代(たましろ)としなければならぬ。大勢(おほぜい)神様(かみさま)霊代(たましろ)と云ふ訳には行かぬものです。

 多少根本的(こんぽんてき)になることだが、国常立尊(くにとこたちのみこと)霊代(たましろ)は、()根拠(こんきよ)はどう云ふ点にあるのですか。

 根拠(こんきよ)(つま)り……。

 どう云ふ所から持つて来た、()教義(けうぎ)出来(でき)たのは──。

 それはね、二つありますが、ちよつと申しますが、直は(うしとら)金神(こんじん)を「悪神(あくがみ)ぢやないぞよ、()の世を治める誠の神である、(これ)時日(じじつ)が来て現れるのだから、お前達(まへたち)信仰(しんかう)せよ。()の世界を御治めになる、世界の悪神(あくがみ)を治められて、天下(てんか)泰平(たいへい)にせられる神さんだ」と云ふことが、直の教義(けうぎ)やつたのです。

 それが根本(こんぽん)になつたのです。

 それで、私は、(また)皇典(くわうてん)講究所(かうきうしよ)に入つて、日本の神道(しんだう)()く知つて()りますから、日本の神道(しんだう)は要するに、世界各国(かくこく)に弘げたならば、日本の皇室(くわうしつ)稜威(みいづ)(かがや)くのであるから、(これ)を弘めさへすれば、日本の教を弘めさへすれば、世界が平穏(へいおん)無事に治まると云ふのが、根本(こんぽん)原理(げんり)ですから、日本の皇道(こうだう)宣布(せんぷ)する、世界に……それが元であります。

 (しか)し、宗教的(しうけうてき)にやるのですから、それで日本の神さんばかりと云ふ訳にいかぬ。支那(しな)の神さんの名をも取り、印度(いんど)の仏の名も使用したり、(あるひ)は能く判るやうにキリストの名も使つたりして()りますが、如何(いか)にも(これ)はキリストの言ふ、ゴッドと云ふのは、()の神さんだ、()の神さんであるとか云ふやうに、宗教宗教に判るやうな宗教名を付けたのです。

 それで、ミロクさんと云ふことは、実は私は日本の皇典(くわうてん)講究所(かうきうしよ)を出て()るので、仏の名は()きたくない、弥勒(みろく)なんか()ひたくない。

 (しか)しながら、さう()はなければ、宗教らしくならぬ、それで宗教らしくなければ、信仰(しんかう)流行(はや)らないと云ふので……。

 王仁三郎(おにさぶらう)の云ふことは判りました。

 (これ)(うそ)だと云ふのですね。

 ()教義(けうぎ)は、古事記(こじき)や日本書紀の国常立尊(くにとこたちのみこと)と、豊雲野尊(とよくもぬのみこと)記事(きじ)がありますね、()の書いてあることに、弥勒(みろく)下生(げしやう)経と云ふものがあります。

 (また)菩薩(ぼさつ)上生経や、キリスト教の再現とか、()う云ふ思想(しさう)を説いて、さうして()教義(けうぎ)出来(でき)たのぢやなからうか。

 宗教と云ふものは隠退とか、再現とか云ふことが、宗教としては生命です。

 人が待望する処の神様(かみさま)が、仮令(たとへ)作つたにもせよ、本当のことにもせよ、作つたにもせよ、(これ)はキリストの再現も、ミロクの出現(しゆつげん)も、私は同じことと思ひます。

 (また)(うしとら)金神(こんじん)の再現も、同じことと思ひます、一つです。

前田弁護人 裁判長、今日(きやう)はもう二時間やつて()りますから、五分(ごふん)か十分休憩(きうけい)したいと思ひます。

裁判長 それぢや、五分間(ごふんかん)休憩(きうけい)(いた)します。

十時三十七分休憩(きうけい)