うろーおにうろー

裁判記録(10)

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裁判記録

○弥勒菩薩は宣伝使
○大国常立尊様は天皇陛下に当たるといっている。
○この部分は、大本事件の核心でもあるので、王仁三郎も混乱しているようだ。ゆっくり吟味が必要であろう。

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。意味のまとまりごとに標題を付加した。

進行 二日目冒頭部

昭和十三年八月十一日(木曜日)

京都地方(ちはう)裁判所(さいばんしよ)

午前八時四十八分開廷

裁判長 被告全部(ぜんぶ)立つて──それでは昨日に引続(ひきつづ)いて取調べをします。

 腰を()けて……。

清瀬弁護人 開廷前にちよつと一分間ばかり……。

(裁判長に本を提出(ていしゆつ)

 (はなは)だ失礼なものですが、私が先年(せんねん)少閑(せうかん)(をし)んで書きましたもので、()の五十九頁以下(いか)御覧(ごらん)下さると、維新(ゐしん)以後(いご)の宗教法と()ふものが書いてある。

 明治(めいじ)の一番初めの祭政一致(いつち)をやつたこと。

 十九年に教導(けうだう)職を廃したこと(とう)の宗教の沿革を拙文で(さう)したものでありますが、()の内の六十六頁を御覧(ごらん)下さいまし。其処(そこ)明治(めいじ)十九年の太政官布告第十九号と()ふものを摘録(しやうろく)して()りますが、()の十九号に()りまして、今宗教の公認をするのでありますが、宗教のことは今の官制では大体(だいたい)文部省所管となつて()りまするが、()のことだけは内務省の管轄で、第三条に(おい)て宗教、それから四条に神道(しんだう)と分けまして、以上(いじやう)神道(しんだう)の管長の定むる所と()ふのに、教義(けうぎ)教主(けうしゆ)たるの分限、(および)()の称号に関すること、教主(けうしゆ)の等級は、矢張(やつぱ)()の旧法を用ひて公認をやつて()るのであります。

 昨日(きのふ)も「開廷前に御調べを願ひたい」と()つて希望しました、大本(おほもと)の公認運動(うんどう)……今日(こんにち)御調べ下さることと存じますが、(これ)()りまして、政府(せいふ)の認めてくれる教義(けうぎ)、それから教主(けうしゆ)の分限等級と()つたやうなものを(ふく)んだ願書を出したに相違(さうゐ)ないのであります。

 弁護人の見る所に()ると、大本教(おほもとけう)は以前大正(たいしやう)十年に不敬事件を起したものでありますから、(いく)分世の中に──世間的(せけんてき)に悪い所があつたのでありませうが、それを省いて()い所ばかりにして、旧に倍して純化して昭和三年三月三日に出発(しゆつぱつ)しやうと、()()ふことを計画して()るのだと()ふ弁護人の主張でありますから、()の時に、旧法制を御覧(ごらん)願つて……昨日(きのふ)出口君がまるで坊主(ばうず)の頭だと()つたやうに、早口で()つたのを、私は耳にしたのでありますが、早口でありましたから、御耳(おんみみ)に止らなかつたかと思ひまするが、「大本教(おほもとけう)のことは言はなければならぬし、言ふことも出来(でき)ず」と()つたやうな事柄(ことがら)の、何だか秘密指令があるやうに、予審では誤解(ごかい)されたのでありますが、(これ)仏法(ぶつぽふ)のことで、妙法(めうはふ)蓮華(れんげ)経と()ふ……(めう)の字は若き女の(ごと)くなり等一々(いちいち)歌があります。

 「法は(のり)の道、僧は(ちやう)(ごと)くなり、言ふに言はれず、説くに説かれず」と()ふ歌がありますが、()のことを出口氏が、頭に置いて()はれたかどうか知りませぬが、余程(よほど)世間(せけん)喧伝(けんでん)して()ることでありますが、私はさう()ふ意味に解して()るのであります。

裁判長 拝見して置きます。

出口 ちよつと、裁判長御願(おねがひ)ひがございます。

 昨日(きのふ)、私、階段で滑りまして腰を打ちまして、それは痛うございましたが、()の時にピンと頭に来た。それからずつと、(しばら)くあつちへ行つて(これ)は山科に()るのか、此処(ここ)()るのか判らぬ状態(じやうたい)になつて()りましたが、愈々(いよいよ)此所(ここ)であると云ふことがはつきり判つて、こつちへ来ましたけれども、昨日(きのふ)また日の暮に(これ)(たづ)ねられた時には、何だかもうそれが判りまへなんだ、それで後ろの方に弁護士(べんごし)が来て()られましたから、()しもさう云ふ、間違(まちが)うて()ることや矛盾(むじゆん)したやうなことがあつたら、後に弁護士(べんごし)から訂正(ていせい)するやうに、私はもう一遍()き直して(いただ)きたいのでございます。

裁判長 それは()()いて()りますから──。

出口 それからちよつと申上(まをしあげ)げますが、能く聞きますが、「被告と云ふものは、総て公判廷に行つて前に言つたことを言はぬと言つて、違ふと()つて引つくり返へす者が八分まである」と云ふことを、弁護士(べんごし)()の間聞きました。

 弁護士(べんごし)からそんなことを言はれるのは、私は実に残念でありました。

 何故(なぜ)かと云ふと、私は神の道に仕へて()る者である。清き明るき正しき直き誠の心を以て、神に仕へて()る者である。

 (これ)()し、曲つた心であつたならば、神に仕へることは出来(でき)ない。神に直ぐに罰せられてしまふ。けれども、私は、警察以来(いらい)(これ)はどうしても()の人は、()の警部さんは(これ)以上(いじやう)に判らぬのだから、どうしても言ふた所で、暖簾(のれん)(うで)押をするやうなものだから、早う向ふの言ふ通りにして皆の者を(たす)けてやつて(もら)ひたいと思ひますから、箱根の関所を越すには関所守の意志(いし)に合うやうにしなければならぬと思つて、()の関所を越えたのでありますから、()の積りで、私は心ならずも向ふの()つしやる通りに(だま)つて()つた。

 で、検事局の方は「()の通り言へ」と言はれたから言うた。「早う通してやる」と言はれたから、私は馬鹿(ばか)正直に私は言つた。

 私は(だま)された。

 それから……。

裁判長 それはね、昨日(きのふ)()く言うた。

出口 言ひましたか。

裁判長 もう何遍(なんべん)も/\繰返(くりかへ)しく言つて()る。

 お前の弁解を()くのが趣旨(しゆし)()いて()るのだから……。

出口 あ、さうですか。

 それで、昨日(きのふ)は。

 それから、今日は(これ)を(予審終結決定(けつてい))持つて参りました。


争点 盤古大神と瓊々杵尊

 いゝかね。(たづ)ねるからね……

 立替立直(たてかへたてなほし)、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)に関する、(すなは)ち、大本(おほもと)根本(こんぽん)目的はどう云ふものであるかと云ふことを書いた「太古(たいこ)の神の因縁(いんねん)」、「霊界(れいかい)の情勢」、「国祖(こくそ)御退隠(ごたいいん)の御因縁(いんねん)」、「盤古大神塩長彦(ばんこだいじんしほながひこ)云々(うんぬん)」、それから、霊界物語(れいかいものがたり)の第四十一篇の総説の所を読んで見ますと、予審終結決定(けつてい)()ける大本(おほもと)教義(けうぎ)要旨の一の(ごと)くなるぢやないか、(これ)を読んで見ると、決定(けつてい)に書いてあるやうなことになりはせぬかと云ふことを()くのだが──。

 なるのぢやございませぬ。

 どう云ふ点が違ふか言うて御覧(ごらん)なさい。

 盤古大神(ばんこだいじん)と申しますのは、(これ)支那(しな)の古い赤県(もろこし)太古(たいこ)伝にもあれば、支那(しな)の歴史にも一番初めに出て()ります。日本の国常立尊(くにとこたちのみこと)と同じ位置(ゐち)になつて()ります。

 (これ)は世界神話(しんわ)集にも出て()ります。 世界神話(しんわ)集、(これ)に……

 盤古大神(ばんこだいじん)と云ふ神様(かみさま)はどう云ふ神様(かみさま)かと云ふことから申上(まをしあげ)げます。

 盤古(ばんこ)と云ふのは宇宙間(うちうかん)に一つのポツとしたものが出来(でき)た。それが一日に十(ぢやう)背が高くなつた。大きくなつた。さうすると、天が(また)(ぢやう)高くなつた。(また)、明くる日、背が十(ぢやう)高くなると、天が十(ぢやう)高くなつたと云ふやうに、天地(てんち)の間が、盤古(ばんこ)が大きくなるに従つて、ずつと天と地がこんなに()(はな)れてしまつた。それ程に高い──盤古(ばんこ)は背の高い神様(かみさま)である。

 (しか)し、それは、(これ)神話(しんわ)に書いてあるのですが、それが世界中(せかいぢう)に根を()つた。それから世界の一本の木となつた。(これ)盤古大神(ばんこだいじん)と云ふことであります。

 さうすると……。

 支那(しな)で生れたのか。

 支那(しな)で生れた。さうして、()神話(しんわ)の密意は何であるかと云ふことを大島(おほしま)先生に()きましたところ、(これ)は、「世界中(せかいぢう)に根を()つたと云ふことは、()盤古大神(ばんこだいじん)が日本国中(こくぢう)体主霊従(たいしゆれいじゆう)のやり方で、優勝劣敗(いうしようれつぱい)の国にしてしまうた」と云ふ意味で、それを国常立尊(くにとこたちのみこと)は、さう云ふことはさせてはいかぬと思つて、一生懸命(いつしやうけんめい)(これ)勇敢(ゆうかん)御戦(おたたか)ひになつた。

 さうして、結局(けつきよく)衆寡(しうくわ)敵せずで、天照大神(あまてらすおほかみ)(すなは)ち、(てん)御三体(ごさんたい)神様(かみさま)も、「(これ)はどうしても一時、間に合はせなければ仕様(しやう)がない、盤古(ばんこ)にして置かなければならぬ、盤古(ばんこ)の云ふ様にして時節(じせつ)()たなければならぬ……仕様(しやう)がない」と云ふので、国常立尊(くにとこたちのみこと)に、「御前(ごぜん)は控えて()れ」と()つしやつた──(これ)が一つの神話(しんわ)であります。


 さうして、此処(ここ)に書いてある、()う云ふ、太古の因縁(いんねん)と云ふやうなことは、決して総ての何ぢやありませぬ。

 文献には、(これ)は皆私が神懸(かむがか)りになつて神に()かなければならぬから、神様(かみさま)()いて()う云ふことを書いたのであつて、(これ)は極く天地(てんち)の創りの時、(これ)神界(しんかい)では、もう、世の中が出来(でき)てから三千年、三千年と云ふことは三千劫と云ふことやさうです。

 それで、「現界(げんかい)の五百年を以て、神界(しんかい)の一日とする」と云ふことは、(これ)仏教(ぶつけう)にも書いてあります。さうすると、一劫は(すなは)ち一年。()の一劫はどれだけの時間が掛かるかと云ふことは、仏書に()りますと、「四十間四方(よも)の一つの岩がある。()の四十間四方(よも)の岩のぐるりに、一年に一遍宛天人(てんにん)天降(あまくだ)つて来て、()天人(てんにん)(まひ)()ふ。()(そで)が岩に(さは)つて、それが磨滅(まめつ)してなくなつてしまふ、()の岩がなくなる間を一劫と云ふとある」

 それから、今日(こんにち)(まで)は三千劫(くらゐ)経つて()ると云ふのです。

 それから、()の皇孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)地上(ちじやう)へ御下りになつたことは日本書記に()りまして、(これ)は日本の歴史の正史と云ふ位でありまして、一百七十余万年を経て()り、神武(じんむ)天皇様迄瓊々杵尊様(ににぎのみことさま)から百四十余万年位あります。

 さうすると、どう云ふことになるのだ。

 ちよつと──国常立尊(くにとこたちのみこと)教義(けうぎ)決定(けつてい)に書いてある通りか。

 (これ)は前の事を読んで見ると、綜合すると()うなりはせぬかと云ふ(たづ)ねなんだがね。

 具合(ぐあひ)が悪くてどうも判りまへぬ。

 教義(けうぎ)は前にもあるでせう。準備手続(てつづ)()()いたでせう。三十分も説明(せつめい)して()つたでせう──。

 さうですか。

 ()の要旨を(せん)()めると、盤古大神(ばんこだいじん)(そく)瓊々杵尊(ににぎのみこと)と書いてあるが……。

 それは違ふのです。

 ちよつと待て。

 それで一番御しまひに、「現御皇統(くわうとう)廃止(はいし)して日本の統治者となるべきものなり」とあるが、()の点を否認すると云ふのか。

 さうですとも、そんな馬鹿(ばか)なことはありませぬ。

 「()の他のことは()の通り(ちが)ひありませぬ」と言つて()つたね。

 さうです、後は(ちが)ひないと思ひます。

 なると云ふことはないか。

 判らなくなつてしまつた。一つも判らなくなつてしまふ。

 何十(なんじふ)万年だとかと云ふことになると判らなくなる。

 盤古大神(ばんこだいじん)の時代と瓊々杵尊(ににぎのみこと)さんの時代とは違ふ。それで、其処(そこ)()つて来て、それであヽや()うやと()つては、無理(むり)にこじ付けてやられるから、それを申上(まをしあげ)げて()るのです。

 それで、瓊々杵尊様(ににぎのみことさま)御降(をくだ)りにならないでも、神武(じんむ)……ぢやない、素盞鳴(すさのおを)尊が力があれば。

 それは(三)の方に書いてあります。

 書いてありますか。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)の御引退(いんたい)後に、地上(ちじやう)に再現になつた点を()いて()るのです、それの、みに限局して、……関連するならば言つても構ひませぬが……。

 それは私は最前言ふ通り、文献で見たのぢやありませぬ。神懸(かむがか)りで書かせられた。

 だから、神様(かみさま)の言ふたことだから、それを信ずるより仕方(しかた)がない。

 それを書いたのは、誰それと云ふことぢやない、それを読んで綜合して見ると、()う云ふ結論になるぢやないかと云ふことです。

 なりませぬ。

 「なりませぬ」と云ふ要点は、盤古大神(ばんこだいじん)が、(すなは)ち、瓊々杵尊(ににぎのみこと)だと()つてはならぬと云ふのだが、()の他のものは()いのか。現御皇統(くわうとう)廃止(はいし)するとか、日本の統治者になると云ふやうなことは、絶対にないのだな。

 そんなことはありませぬ。

 実に、もう私は、(しやく)(さは)つて()まらぬ。

 「()の他のと云ふのは、()の通りぢやありませぬ」と云ふやうに、準備手続(てつづ)(おい)ては言ふて()るね、前の方は。

 ()の通りでありますが、此処(ここ)間違(まちが)つて()るのです。

 「現御皇統(くわうとう)廃止(はいし)して」と云ふ所は、(これ)はすつくり間違(まちが)つて()る。(これ)は、霊代(たましろ)と云ふことに付て、「私が治めるとか何とか云ふ」ことを言やはりますけれども、書いてありますけれども、治めると云ふのは私が治めるのぢやない、ちよつと(たと)へると、暗い道を提灯(ちやうちん)が通りまつしやろ、人がそれを見ると、「あそこの暗い道を、提灯(ちやうちん)が通つて行くわい」と言ふけれども、提灯(ちやうちん)が通つて()るのぢやない。

 (しか)し、「人が提灯(ちやうちん)の火を点じて、それを持つて通る」とは言はない、「提灯(ちやうちん)が通る」と()ひます、さう云ふやうな意味で書いてあるのです、──決して提灯(ちやうちん)が物を言ふのでも、提灯(ちやうちん)が動くのでもありませぬ、出口直が霊代(たましろ)──なつて、()うするとか、あゝするとか云ふことは提灯(ちやうちん)だ──思ひます、本人ぢやありませぬ。

 「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」から「(ひつじさる)金神(こんじん)となりたり」迄、(これ)(よろ)しいのでせう。(これ)間違(まちが)ひないと思ふが、どうぢや。

 何処(どこ)に書いてありますか、(と探しながら)、あゝさうですか。


思想 ミロク菩薩と王仁三郎

 (これ)王仁三郎(おにさぶらう)神諭(しんゆ)を、()(まま)取つて来たのだから──。

 「(てん)の御祖先ミロク菩薩(ぼさつ)」と云ふことはをかしい。

 教を人に()いて、人に知らせると云ふ、宣伝使(せんでんし)と云ふのが、弥勒(みろく)菩薩(ぼさつ)ですから()のミロク菩薩(ぼさつ)と書いてあるのは、をかしい。

 書いてあるから、さう書いてあるので──。

 (これ)間違(まちが)つて()る。

 至仁至愛(みろく)の神は判つて()りますが、ミロク菩薩(ぼさつ)はをかしい。()しも書いてあつたら、(これ)間違(まちが)ひです。

 ()の前から云ふて()るから、それは判つて()る。

 それから「(つき)大神(おほかみ)」と書いてありますのは、(これ)天照大神(あまてらすおほかみ)(また)御名(みな)つきさかき……。

 判つて()ります。

 それで天之御中主神(あめのみなかぬし)天之御中主神(あめのみなかぬし)()はずに、善の神、天津神(あまつかみ)と云ふたりする、それで(つき)の神、(つき)神様(かみさま)と長く()はずに、(ただ)(つき)神様(かみさま)()へば判かる。

 (これ)は、ちよつと、私言ひましたやうに、地球の先祖と言つても、地面を修理固成(しうりこせい)した先祖であつて、別に地上(ちじやう)に政権を以つてどうとか()うとか云ふものの意味ぢやないのであります。三千万劫前の世の中のことが書いてあるのです。

 (つま)霊界(れいかい)のことを書いたと云ふのでせう、現界(げんかい)ぢやないと云ふ主張でせう。

 さうです、()の地球の見えて()る中にも、幽界(いうかい)もあり神界(しんかい)もあり現界(げんかい)もあるのです。

 ()の時代は、今の人類(じんるゐ)学者(がくしや)の説に()りますと、十万年先とかに十万年程前に人間が出来(でき)た。()時分(じぶん)(まで)は人間も何もありやしまへぬ。神さんばかりの世の中です。別に今日(こんにち)国民(こくみん)を統治したやうな時ぢやありませぬ。

 それは「部下の万神」と書いてありますよ。

 そうです。()の通りです。

 神さん同志(どうし)の昔の戦ひを書いたものでございます。

 けれども、(これ)は、私が神様(かみさま)のことを書いたのだけれども、神様(かみさま)ほんま(ヽヽヽ)のことを書いたか、神話(しんわ)創造(さうざう)せられたか、それも判りませぬから、私としては信ずるより外に仕方(しかた)がない。

 それは先に書いて()ります。

 神示(しんじ)によつて書いた物なるや、自分の意思(いし)の加はつた物なるやは、昨日(きのふ)()いて()ります。

 ()う云ふ所は、自分の意志(いし)(およ)ばぬ所ですから、(これ)意志(いし)は加はつて()りませぬ。

 「坤金神(ひつじさるのこんじん)となりたり」(まで)(よろ)しいのですか。

 はい、(よろ)しうございます。

 ()の次は。

 「盤古大神(ばんこだいじん)(すなは)ち、瓊々杵尊(ににぎのみこと)」は……。

 ……(これ)は違ふと云ふのだね、(よろ)しい。

 (これ)()しからぬことです。

 (よろ)し、後は(よろ)しいね。

 ちよつと待つて下さい。

 「爾来(ぢらい)瓊々杵尊(ににぎのみこと)」──(これ)は否認する訳ですね。

 ちよつと待つて下さい。

 (黙読しながら)「日本に渡来(とらい)せられ」──こんなことはありませぬ、盤古大神(ばんこだいじん)瓊々杵尊(ににぎのみこと)であると云ふやうな……。

 さうぢやないと云ふのだから、それで()いぢやないか。抹殺するのだから……。

 ああさうですか。(また)、「御系統(ごけいとう)(ましま)す現御皇統(くわうとう)(おい)て、日本を統治し給ひたる()め」──(これ)は、私が三千万言も書いた文献の中に一つも書いてありませぬ。

 「それが違ふと述べた」と書いて()るのだから……。

 あゝさうですか。

 「体主霊従(たいしゆれいじゆう)悪逆無道(あくぎやくむだう)の現社界を招来(せうらい)し、優勝劣敗(いうしようれつぱい)弱肉強食(じやくにくきやうしよく)惨状(さんじやう)(てい)するに至れり」

 (これ)()いのだね。

 ()の通りです。


思想 国常立尊と大国常立尊

 ()の次、「(ここ)(おい)て、国常立尊(くにとこたちのみこと)出現(しゆつげん)……」の問題(もんだい)ですがね。

 何処(どこ)ですか。

 (その)処々々(ところどころ)……さう云ふことになつたから、国常立尊(くにとこたちのみこと)の再現なされて、立替立直(たてかへたてなほし)をすることをあれしたのでせう。

 ちよつと待つて下さい、(黙読しながら)それから……。

 ちよつと読んで御覧(ごらん)なさい。

 (これ)は……。

 皆読んでからになさい。

 (これ)は最前申上(まをしあげ)げました通りに「王仁三郎(おにさぶらう)機関(きくわん)として顕現(けんげん)し」

 (これ)提灯(ちやうちん)やと云ふ意味です。

 さう云ふ意味ですか。

 さうです、霊代(たましろ)と云ふことも、器と同じで、物の容れ物になつたのです。それで……「現御皇室(くわうしつ)」から「統治者となるべきものなり」(まで)は、(これ)は全くないことでございます。

 否認だね。(よろ)しい。

 それで、「国常立尊(くにとこたちのみこと)豊雲野尊(とよくもぬのみこと)と共に、綾部(あやべ)に現はれて」云々(うんぬん)は、(これ)はどうだ。

 それは国常立尊(くにとこたちのみこと)と云ふのは、教祖(けうそ)(かか)つて来た──艮金神(うしとらのこんじん)として(かか)つて来たのが国常立尊(くにとこたちのみこと)坤金神(ひつじさるのこんじん)として(かか)つて来たのが豊雲野尊(とよくもぬのみこと)である。

 それで、直は、「昔は()うやつたから良かつたが」と云ふことを、神が(かか)つて来て言ふ。行先(ゆくさき)……過去・現在・未来のことを、法律の許す限りでやると云ふことになつたことを、書いたのです。

 (これ)()意義(いぎ)はどうです。

 何処(どこ)ですか。

 だから「綾部(あやべ)に再現し、現代(げんだい)混乱(こんらん)世界を立替立直(たてかへたてなほし)して、至仁至愛(みろく)の世と()し、(また)(つき)大神(おほかみ)神勅(しんちよく)……」

 それはですね、国常立(くにとこたち)尊様(みことさま)綾部(あやべ)に現はれたと云ふのです。さうして、(また)()の教を以つて、八百万(やほよろづ)幽界(いうかい)神様(かみさま)に対して、御注意(ちうい)すると云ふことが、書いてあります。

 神様(かみさま)から御改心(かいしん)をなさらぬと、現界(げんかい)は治まらぬと云ふのです。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)綾部(あやべ)に現はれて、八百万(やほよろづ)の神の──日本の総ての神様(かみさま)に教を……筆先(ふでさき)を書いたり、(また)、霊で教へたりすると云ふ意味を書いたのです。

 総て霊界(れいかい)のことだな、第一の点は──。

 さうです、霊界(れいかい)が良くなれば、現界(げんかい)の人間の下々(しもじも)も良くなると云ふのであります。


争点 立替立直は霊界のことか

 全部(ぜんぶ)霊界(れいかい)のことと()いて()いね。

 「綾部(あやべ)に現はれて、(たてかへたてなほし)」と云ふのを霊界(れいかい)のことを言ふのだと、()う云ふのだね。

 さうです、(もと)よりさうです、神様(かみさま)だから……。

 王仁三郎(おにさぶらう)提灯(ちやうちん)だと云ふことも、(これ)霊界(れいかい)のことの意味だな。

 さうです。私の口を通したり、手を通して、社会(しやくわい)に知らしたのです。

 さうすると、()いか王仁三郎(おにさぶらう)、今の問の答としては、大きい問題(もんだい)としては、(一)に書いてあると云ふのは総て霊界(れいかい)のことの現象(げんしやう)を書いたのである、「盤古大神(ばんこだいじん)(すなは)瓊々杵尊(ににぎのみこと)」と云ふこと、「爾来(ぢらい)瓊々杵尊(ににぎのみこと)御系統(ごけいとう)(まします)す現御皇統(くわうとう)(おい)て日本を統治し給ひたる為」と云ふのは、(これ)は否認するのだね。

 いや、瓊々杵尊様(ににぎのみことさま)御系統(ごけいとう)(おい)て、統治し給ふて()るのです。

 それは、盤古大神(ばんこだいじん)の続きになつて()るのですよ。

 「盤古大神(ばんこだいじん)(すなは)瓊々杵尊(ににぎのみこと)(これ)は否認(いた)します。

 それから「現御皇統(くわうとう)廃止(はいし)して、日本の統治者となるべきものなり」(これ)も否認。総て霊界(れいかい)のことだと云ふ訳だな。

 一番初めの「ミロク菩薩(ぼさつ)(これ)は違ふ、後は()の通りの主張になると云ふ訳だな。

 さうです(()の時出口疲労(ひらう)の色見ゆ)。

 さうすると(たとへ)でありますがね、王仁三郎(おにさぶらう)、よく()いて()なさいよ、昭和八年の皇道(こうだう)大本(おほもと)信条(しんでう)の六条に()りますと、「我等(われら)国祖(こくそ)大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)が、天照大神(あまてらすおほかみ)神旨(しんし)奉戴(ほうたい)して、世の立替立直(たてかへたてなほし)遂行(すゐかう)し、宇内(うだい)秩序(ちつじよ)安寧を確立(かくりつ)し給ふ現界(げんかい)神界(しんかい)の大守神(しゆしん)(まし)ますことを信奉す」と云ふことが書いてある。

 い丶かね、現界(げんかい)守神(しゆしん)……。

 それは……。

 ちよつと待つて、昨日(きのふ)見せた七年二月発行(はつかう)の、神霊界(しんれいかい)の「太古の神の因縁(いんねん)」と題する部分(ぶぶん)の九頁に()ると、「国常立尊(くにとこたちのみこと)現界(げんかい)主権者(しゆけんしや)である」と云ふやうなことが書いてある。

 霊界物語(れいかいものがたり)の一篇の十八章の()の中に、「ミロクの神は国常立尊(くにとこたちのみこと)御召(おめし)出しになり、神界(しんかい)(およ)現界(げんかい)立替(たてかへ)を、委任し給ふ」と云ふことが書いてあるね。

 はい。

 現界(げんかい)立直(たてなほ)しすると云ふやうに……。

 それは当り前です。

 太古の現界(げんかい)主権者(しゆけんしや)になる。

 それだから、信条(しんでう)にも、「現界(げんかい)神界(しんかい)両方(りやうはう)守神(しゆしん)になる」のだと云ふことが書いてあるが、さう云ふ趣旨(しゆし)()りまして、右に述べた所の決定(けつてい)大本(おほもと)教義(けうぎ)要旨の、(一)は(すなは)ち、地上(ちじやう)現界(げんかい)のことを論じたものであつて、国常立尊(くにとこたちのみこと)地上(ちじやう)霊界(れいかい)守神(しゆしん)と云ふことに書いてありますが、両方(りやうはう)此処(ここ)地上(ちじやう)現界(げんかい)守神(しゆしん)(すなは)地上(ちじやう)の主権を帯びて、国土(こくど)を統治し給ふたことを説いたのぢやないか。

 それは……。

 (つま)霊界(れいかい)ぢやなく、現界(げんかい)のことを説いたのぢやないかと云ふ趣旨(しゆし)に……。

 ちよつと申上(まをしあげ)げます。

 大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)と書いてありませう。(これ)は日本書紀に()りますと、「大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)(また)御名(みな)である」と書いてある。

 支那(しな)では天帝(てんてい)と申します。支那(しな)の、()の間も晋文柄(しんぶんへい)と云ふ日本に来て(をつ)た人が言ふてるのに、「支那(しな)天子(てんし)は国務大臣、日本は所謂(いはゆる)天帝(てんてい)様、天之御中主神(あめのみなかぬし)様が()(まま)(くだ)られて、生きた天帝(てんてい)様となつて()るので、国務大臣は天帝(てんてい)様の自由になるのである」と、()う云ふやうなことを云ふてる。

 ()(ごと)くに、我々(われわれ)の言ふて()るのも、「大国常立(くにとこたち)尊様(みことさま)()へば、天照皇大神の御延長(えんちやう)の天皇陛下のことに当ると云ふことであります。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)は、(また)別なんです。大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)です。

 「大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)此処(ここ)に書いてあるのは、国常立尊(くにとこたちのみこと)ぢやない」と、()う云ふ主張だな。

 同じことであります、国常立尊(くにとこたちのみこと)(とこし)へに立たせ給ふ神と云ふことでありますから、何時迄(いつまで)たつても──(また)神様(かみさま)の名は、御神霊(ごしんれい)の働きに()つて、神名(しんめい)が付くのです。

 ()世界中(せかいぢう)をずつと治められたから、天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇様は、何時(いつ)も、大国常立(くにとこたち)尊様(みことさま)になられる。何時(いつ)も、天照(あまてらす)──天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)今日(こんにち)の天皇陛下は事実(じじつ)上の世界の大国常立(くにとこたち)尊様(みことさま)です。世界の国の天皇になられると云ふ、それが(すなは)ち大国常立(くにとこたち)神様(かみさま)であります。

 ()の所を現界(げんかい)と云ふたのです。国常立尊(くにとこたちのみこと)霊界(れいかい)です。

 それはね、大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)国常立尊(くにとこたちのみこと)位は判つて()りますが、(ここ)で、大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)と書いてあるのは、(これ)国常立尊(くにとこたちのみこと)と違ふと云ふ主張になるのですかと、()いて()るのです。

 違はぬのでありますけれども、意味は違ふのです。

 違はぬか。

 名は同じですけれども、国常立尊(くにとこたちのみこと)の意味は日本の陛下のことになります。

 日本の……。

 世界中(せかいぢう)を治められた時の名です。世界中(せかいぢう)統一(とういつ)された時の名です。

 さう()いて置きませう。

 (しか)し、()の点に関して、十三回の一問答の所に()ると、「国祖(こくそ)大国主命(おほくにぬしのみこと)と云ふのは、全然(ぜんぜん)国祖(こくそ)国常立尊(くにとこたちのみこと)のことを指すのだ」と書いてあるが──。

 それは、私は何もそんなことを言やしまへぬ。

 そんな難しいことを(たづ)ねられまへぬもの……。


争点 太古の因縁

 それから先の、太古の因縁(いんねん)は……今のは判つたが、太古の因縁(いんねん)はどうだ、(うしとら)(ひつじさる)()()められたと云ふ……。

()の時証拠(しようこ)を示す)

 (つま)り、「国常立尊(くにとこたちのみこと)は、現界(げんかい)主権者(しゆけんしや)になるのだ」と書いてある。太古の因縁(いんねん)にさう書いた部分(ぶぶん)があるから──全体(ぜんたい)としてはどうか知らぬが──さう云ふ文字があるから、それは国常立尊(くにとこたちのみこと)霊界(れいかい)でなしに現界(げんかい)を……現界(げんかい)主権者(しゆけんしや)になるのぢやないか。

 それは書いてあつても、さうぢやございませぬ。

 霊界(れいかい)の情勢の分はどうだ。「()神界(しんかい)現界(げんかい)立替(たてかへ)を委任し給ふた」と書いてあるな。

 はい、さうです。

 現界(げんかい)神界(しんかい)と区別してあるね。

 さうです、教を布いて行けば、神界(しんかい)八百万(やほよろづ)の神もそれに従ひ、(また)現界(げんかい)の人間の心もすつくり改良されて、さうして総てのことを()へて来るのが、立替(たてかへ)です。

 現界(げんかい)と云ふのは人間です。

 神界(しんかい)には(あは)三石の神が、延喜式にはあるとあります。

 さう云ふ意味か。

 はい。

 (これ)極力(きよくりよく)主張することだが、供述の説明(せつめい)として、二十五回の一問答によると、「(これ)矢張(やつぱ)現界(げんかい)のことを説いて()るのだ」と云ふやうなことを──説いて()るのだと云ふ趣旨(おもむき)のこともあるやうだね。予審に()ると──。

 何と云ふて()りますか、覚えて()りまへぬが……。

 さう云ふやうに書いて()るやうだが。

 (しか)し自分()宗教家(しうけうか)であつて、宗教を本とし、宗教を土台(どだい)として()るのですから、申すことは総て政治家(せいぢか)の云ふのとは違ふ。

 政治家(せいぢか)の言ふやうに、現界(げんかい)のことを言ふのぢやありませぬ。現界(げんかい)と云ふても、現界(げんかい)の人の精神界(しんかい)のことを言ふのだから──。

 判つて()るよ、それから次に、「盤古大神(ばんこだいじん)(すなは)瓊々杵尊(ににぎのみこと)」と云ふことは、さうぢやないと云ふことに対して、ちよつと(たづ)ねたいのだが。

 はい。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)豊雲野尊(とよくもぬのみこと)(かく)退再現に関する、大本(おほもと)根本(こんぽん)理論と云ふものは、()いかい……神界(しんかい)霊界(れいかい)のことに仮託して、地上(ちじやう)現界(げんかい)()けることを説いたものであつて、盤古大神(ばんこだいじん)と云ふことは、盤古大神(ばんこだいじん)の名前を雑りて、瓊々杵尊(ににぎのみこと)を説いたのではありますまいか。

 そんなことはありませぬ。

 仮託して言ふて──瓊々杵尊(ににぎのみこと)の名前を言ふたのぢやありませぬか。

 それはありませぬ、それから瓊々杵尊(ににぎのみこと)さんのことを書いてありませぬ。(ただ)神代(じんだい)史の評論(ひやうろん)として、一所(ひとところ)申しただけです。

 それより外に何もありませぬ。


予審での取り調べ

 所がね、王仁三郎(おにさぶらう)、今の(たづ)ねる点に付いて、予審の廿五回の一問答の所に、こんな(と図示して)図面(づめん)を書いて、「盤古大神(ばんこだいじん)と云ふのは瓊々杵尊(ににぎのみこと)のことに仮託したのだ……。」

 そんなことは書いたのぢやありまへぬ。

 「()うやろ、()うやろ」と言やはり、二、三回も──何回かはつきりは覚えて()りまへぬが、絵に書かはりました。

 (これ)王仁(おに)が書いたのぢやないか。

 私は書きまへぬ。向ふが勝手(かつて)に書いて、「()うやろ、()うやろ」と言つた。

 ()図解(づかい)に関する……。

 それは向ふが、図解(づかい)して書いたので──一週間位向ふが書いて()り、私は一週間位(ただ)(にら)み合ひをして()つただけです。

 二十七回の一問答の所で、同じやうなことを。

 同じことです、私は(だま)つて()りました。

 伊佐男のに十一回の……。

 「伊佐男が()う云ふことを言つて()る、東尾も()う言つてる言うて()るから」……伊佐男が阿呆(あはう)なことをぬかす(笑声)、それで私は、「さう云ふことにして置かう」と言つたのです。

 いや、伊佐男はそれを明らかに言うて()るよ。

 私は、心から言うて()るのぢやなからうと思ひます。そんな馬鹿(ばか)はないと思ひます。

 伊佐男は私が調べられて()る時は終つて()りました。みんな──「誰が()う言つて()る、(かれ)()う言つて()る」と(おつ)しやつた。

 「仮託」は否認ですな。

 何ですか。

 仮託して言つたと云ふことは否認だな。

 霊界(れいかい)のことは昨日(きのふ)言うた通りに──現界(げんかい)のことは霊界(れいかい)に仮託しては(なほ)判らぬ。

 そんな事は(いた)しませぬ。思ふことは云ふ処、言ふ処は思ふこと──。