うろーおにうろー

裁判記録(9)

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裁判記録

○天照大御神と天照皇大神の差違。
○ここでは、天照皇大神は《てんしやうかうたひじん》と読んで、《あまてらすすめおほかみ》とは読んでいない。
○ここは王仁三郎が混乱してわかりにくい個所です。

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。意味のまとまりごとに標題を付加した。

至聖殿の国霊石

午後(ごご)三時三十六分開廷

裁判長 王仁三郎(おにさぶらう)、此処(ここ)にね……神様(かみさま)(これ)一体(いつたい)なんです。

(石塊の紋付を着て(かんむり)(かぶ)れるを示す)

 それはね、何か石ですか。私は知りまへぬのですがな。見たことがありまへぬ。

 至聖(しせい)殿(でん)の奥に入つて()つたのですがね。

 (これ)にはな、曜の紋が付いて()る。出口家の紋が付いて()るよ。

 石ですか(これ)は……ちよつと触らして下さい。

 至聖(しせい)殿(でん)の中に入つて()つたのです、(これ)を御(まつり)して()つた訳かね。

 木は(くさる)(をそれ)がありまするから、石ならば腐らない。

 それは大本(おほもと)金竜海(きんりうかい)かどつかに上つた石です。

 それで、国霊(くにたま)にしたのです。結局(けつきよく)それで、()の石と寄せて頭にしたらしい。()の石の上つたのを私は聞いて()ります。

 紋付を着て()るね、(これ)至聖(しせい)殿(でん)の一番貴重(きちよう)な所に……。

 (これ)は池の底から出たのです。綾部(あやべ)の池から出たから、丹波(たんば)国霊(くにたま)の神として(まつ)つて()つたのです。

 (これ)至聖(しせい)殿(でん)の奥にあつたから、(これ)は一番尊い神様(かみさま)ぢやないのか。

 (ちが)ひます。(これ)至聖(しせい)殿(でん)守護(しゆご)して()る神です。

 ミロク大祭(たいさい)()の前でやつた位だらう、()神様(かみさま)の前であつたのだらう。

 それはあつたのですけれども、こんなものを(まつ)つたら悪いのですか。

 私悪いと思ひまへぬがね。

 いや悪いとか……。

 ()の石が出たと()ふことは知つて()りましても、誰かが(まつ)つて()れたのです。

 国霊(くにたま)ですね。

 さうです。


天照皇大神と天照大御神

 此処(ここ)で一つ()きますがね、()天照皇大神(あまてらすめおほかみ)()神様(かみさま)如何(いか)なる神格(しんかく)(およ)び、神業(しんげう)()さるヽ神様(かみさま)ですか。

 それは、(わが)皇室(くわうしつ)御先祖(ごせんぞ)様であつて、宇宙を総統してござる神様(かみさま)で、宇宙の主宰(しゆさい)神です。

 (つま)天之御中主神(あめのみなかぬし)が言ふやうに霊です。そして、霊の力が高御産霊(たかみむすび)()ふ一つの(たひ)で、霊力(れいりよく)体力(たいりよく)とを、(すなは)ち、信仰(しんかう)()ふのです。

 高御産霊(たかみむすび)神産霊(かみむすび)との霊が寄つて、それが御完成(くわんせい)して顕現(けんげん)されたのが天照皇大神であります。それが所謂(いはゆる)世界の神様(かみさま)であります。

 能く判りました。

 さうすると、天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)顕現(けんげん)されたものが天照皇大神と……さう()ふ訳ですな。

 それはどつかに書いてあると存じます。

 判りました。

 (わが)皇室(くわうしつ)はそれの御延長(えんちやう)ですからそれで世界を統一(とういつ)()さる資格(しかく)がある上言ふのです、さう言ふことを神道(しんだう)家は言ふのです、我々(われわれ)も教はつて()る──。

 天照大御神(あまてらすおほみかみ)と天照皇大神とは、御神格(ごしんかく)並に御神業(ごしんげふ)(おい)差異(さゐ)ありますか。

 あります。

 天照大御神(あまてらすおほみかみ)と天照皇大神と……。

 天照大御神(あまてらすおほみかみ)と天照皇大神とは同じ方ではあります。同じ神様(かみさま)でありますが、()の間申しましたやうに、あの天照(あまてらす)(すめ)大神様(おほかみさま)は、(たと)へて言ひますならば内閣総理大臣、ああ天皇陛下に(たと)へると恐多いから内閣総理大臣を出しますが、内閣総理大臣公爵伊藤博文と言ふのと、それから公爵伊藤博文と言ふだけ位違ふのです。責任がそれだけ違ふのです。

 同じ方でも……公爵伊藤博文でも国家(こくか)(ため)(つく)して()りますから、普通(ふつう)の人とは思ひませぬから、国家(こくか)(ため)(つく)して()る人やと()ふことが判ります。

 (つま)りそれ位違ふと言ふのです。

 それで、御伊勢(いせ)様には天子様(てんしさま)の御宗廟(そうびやう)として(まつ)つて()るから天照皇大神、延喜式の祝詞(のりと)にもさう書いてある。

 天津(あまつ)神社(じんじや)でも北京神社(じんじや)でも皆天照大御神(あまてらすおほみかみ)様が(まつ)つてある。(これ)新聞(しんぶん)御覧(ごらん)になつたと思ひますが同じ神でちよつと……。

 ()大本(おほもと)(おい)ては天照大御神(あまてらすおほみかみ)天界(てんかい)()ける主宰(しゆさい)神と……。

 ()の時に……昔、さうであつたのです。

 主宰(しゆさい)神と説いて()るのぢやないですか。

 それは古事記(こじき)にありまして、伊邪那岐(いざなぎ)尊の御神勅(ごしんちよく)()の時にさうなつて()つたと()ふ……。

 それで、(これ)神代(じんだひ)史を説く上に(おい)()の時のことを説いたのでありまして、今日(こんにち)はさうぢやありませぬ。

 今日(こんにち)はさうぢやない。()の時の()神代(じんだひ)史の評論(ひやうろん)を書いたのです。

 ()の時には、天照大御神(あまてらすおほみかみ)高天原(たかあまはら)素盞鳴(すさのおを)命が大海原(おほうなばら)

 (しか)し、素盞鳴(すさのおを)命が力がなくて悪神(あくがみ)が出てしようがない、泣いてばかり()りました。

 さうして、天照大御神(あまてらすおほみかみ)が心配されて、「お前は此処(ここ)()資格(しかく)がないから、母の()黄泉(よみ)の国に行け」と(おつ)しやつた。

 それはあとから()きますがね。

 天照大御神(あまてらすおほみかみ)は、さうすると、天界(てんかい)のみの主宰(しゆさい)神と()ふことは、今はさうぢやないと()ふことか。

 今はさうぢやないと()ふことです。

 古事記(こじき)説明(せつめい)の時はさうだつたのです。

 今日(こんにち)は、現に、天津(あまつ)神社(じんじや)にも行つて()らしやるでせう。奉天(ほうてん)(まつ)つてありまつしやらう。

 今はさうぢやないと、今は地上(ちじやう)主宰(しゆさい)して()ると、()う言ふのだな。

 ()の時の古事記(こじき)神勅(しんちよく)の段の説明(せつめい)をした時にはさうやつたのです。けれども、今日(こんにち)はもう変つて()ります。

 さうすると天照大御神(あまてらすおほみかみ)皇大神(すめおほかみ)とはどう()ふ風に違ふのか。

 それはなぜ違ふかと()ふと、天皇陛下が直接に御参りになる。宮様が宮司(ぐうじ)になつて()らはつしやり、皇族様が……御伊勢(いせ)様はそれだけ資格(しかく)が上なんです。天照皇大神様はー外の神様(かみさま)官幣(くわんぺい)大社(たいしや)でも、中社(ちうしや)でも、天照(あまてらす)大御神(おほみかみ)様が(まつ)つてある。御伊勢(いせ)様だけが皇大神として(まつ)つてある。

 それで、矢張(やつぱ)り、伊勢(いせ)神宮となると(ちが)ひます。刑法(けいほふ)でも伊勢(いせ)神宮は……それから外の神社(じんじや)と比べて不敬なことでもあればな、刑法(けいほふ)の罪にしても重くなつて()ります。伊勢(いせ)は別に罪が重うなります。

 それだけ、矢張(やつぱ)り尊重されて()る。

 それから、(いづれ)()うなる。熱田の宮もさうなる。御伊勢(いせ)様と同じ扱ひに今度(こんど)なつたのです。

 ああ、あなたの主張は判りましたがね。天照皇大神と()ふのは天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)極徳(きよくとく)発揮(はつき)された神であつて、天照大御神(あまてらすおほみかみ)様が天界(てんかい)のみの主宰(しゆさい)神として、神格(しんかく)神業(しんげう)(おい)大変(たいへん)な差があると()ふことを……。

 それは前に、一遍(いつぺん)評論(ひやうろん)として、言霊学(げんれいがく)見地(けんち)から説いたのです。伊勢(いせ)(まつ)つてあるのと(ほか)のとは違ふと()ふ意味で、言霊学(げんれいがく)で説いた。

 (これ)言霊学(げんれいがく)見地(けんち)から説いたので、今日(こんにち)それを大本(おほもと)教義(けうぎ)として()るのではありませぬ。

 (これ)言霊学(げんれいがく)上から見た所の天照大御神(あまてらすおほみかみ)様の()()ふ字が入つて()るだけで違ふのです。

 同じ方でも、(つま)り、公爵伊藤博文に総理大臣と()ふのが入つて()るのと同じなんです。()()ふことは、()べると()ふことです。


霊界物語の四十七巻の天照皇大神と天照大御神

 此処(ここ)霊界物語(れいかいものがたり)の四十七巻に()()ふことが書いてあるが、

大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)御神徳(ごしんとく)の完全に発揮(はつき)されたのが天照皇大神と(たた)(まつ)るのであります」

 それも同じことです。

 一番(しま)ひに、「天照皇大神と天照大御神(あまてらすおほみかみ)様とは、()位置(ゐち)(おい)て、神格(しんかく)(おい)て、諸種(しよしゆ)神業(しんげう)(おい)て、大変(たいへん)差異(さゐ)差等があることを考へねばなりませぬ」と()ふことを書いて()りますが。

 それはさうです、()の間申した通り──。

 天照大御神(あまてらすおほみかみ)以上(いじやう)に皇大神様(おほかみさま)は上に来とるやうに……。

 さうです、上なんです、それは上なんです。

 それから、大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)はんは、(また)御名(みな)天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)と書いてあるのであります、大国常立尊(おほくにとこたちのみこと)天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)とは同じものなんです。日本書紀の方には国常立尊(くにとこたちのみこと)(また)天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)と書いて()る。

 さうすると、王仁三郎(おにさぶらう)は家に御(まつ)りして()神様(かみさま)はどう()神様(かみさま)(しよう)するのか、言ふのか。

 それは、天照皇大神様……。

 天照大御神(あまてらすおほみかみ)様ぢやないのか。

 皇大神です、外にありますのが天照大御神(あまてらすおほみかみ)

 (しか)しながら皇大神と()ふのは大本(おほもと)(おい)てのみさう言うて()るのだと主張するのだな。

 いや、さうぢやありまへぬ大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)が……。

 名前はどうでも()いがね。

 それで、御伊勢(いせ)さんは天照皇大神、大本(おほもと)(しよう)して()るのは大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)。天照皇大神は大本(おほもと)ばかりぢやない、世界全部(ぜんぶ)です、先の答は……。

 それは、私が一緒(いつしよ)くたにしてしまつたのです。

それは御判りになつとると思つて()つたのです。合点(がつてん)して()つたのです。

 大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)は天照皇大神と繰返(くりかへ)して()りますがね。

 さう御()きになつたのを、私がそれを誤解(ごかい)したのです。

 天照皇大神様は大本(おほもと)の、みぢやない、日本全国(ぜんこく)(おい)(たた)へて()る。

 大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)大本(おほもと)信者(しんじや)(たた)へて()神様(かみさま)です。

 それ以外(いぐわい)神様(かみさま)は、大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)(たた)へてやつて()るのだと()()ふのだな。

 さうです。


国常立尊退隠及再現、豊雲野尊の退隠及再現

 ()の次は大本(おほもと)(おい)ては立替立直(たてかへたてなほし)、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)を必要とする理由。(すなは)ち、大本(おほもと)根本(こんぽん)理論として国常立尊(くにとこたちのみこと)退隠(たゐゐん)(およ)び再現、並に、豊雲野尊(とよくもぬのみこと)退隠(たゐゐん)再現のことを説いて()るのではありませぬか。

 それも説いて()りませう。説いて()りましやろ。

 まつしやろぢや困る。

 どこにあると()いて(もら)ふても判らぬのです。どこの方にあると()ふことを()かれても、私は覚えて()りまへぬ。

 今日(こんにち)国常立尊(くにとこたちのみこと)霊界(れいかい)ですつかり現はれて活動(くわつどう)をやつて()るのです。

 ()の次、()国常立尊(くにとこたちのみこと)退隠(たゐゐん)(およ)び再現の理論はだね。

 はあ。

 天之巻(てんのまき)火之巻(ひのまき)各所(かくしよ)にも断片(だんぺん)的に記載してあるが、教祖(けうそ)筆先(ふでさき)()ふものは……教祖(けうそ)筆先(ふでさき)以外(いぐわい)のものであつて(まとま)つて掲載(けいさい)してある所の大正(たいしやう)七年の二月神霊界(しんれいかい)、「太古(たいこ)の神の因縁(いんねん)霊界物語(れいかいものがたり)の……判るでせう、霊界物語(れいかいものがたり)の一篇の「国祖(こくそ)御隠退(ごいんたい)の御因縁(いんねん)霊界物語(れいかいものがたり)四十七篇総則。是等(これら)の、今言うたやうなものに、()国常立尊(くにとこたちのみこと)退隠(たゐゐん)再現のことが説かれて()るのですか。

 それは言つてあると思ひます。

 こつちの言ふたことが判つたかね。

 ちよつと頭がぐら/\して判らぬ。

 国常立尊(くにとこたちのみこと)退隠(たゐゐん)再現の理論です。

 それは判りました。

 段々(だんだん)()きますが、天之巻(てんのまき)にも火之巻(ひのまき)にも断片(だんぺん)的には書いて()りますがね。(まとま)つて書いたものとしては、「霊界(れいかい)の情勢」、それから「国祖(こくそ)御隠退(ごいんたい)の御因縁(いんねん)」、「盤古大神(ばんこだいじん)塩長彦命」、霊界物語(れいかいものがたり)の総説、此処(ここ)の中に書いてあるのですね。

 さうですか。

 さうと思ひます。

 教祖(けうそ)が書いたのはちよこ/\断片(だんぺん)的に書いてあります。

 私は、()の間申したやうに、どんな文献を見ても判りまへぬ。

 (うしとら)金神(こんじん)(ひつじさる)金神(こんじん)、さうして、(これ)神様(かみさま)のことで……私が修養(しうやう)結果(けつくわ)神様(かみさま)(かか)して(もら)うて、()の「太古の神の因縁(いんねん)」とか()ふことを、神様(かみさま)に知らして(もら)うて書いた。

 (これ)は、直の書いた断片(だんぺん)的のことは、私の頭にヒントを得て()つたかも知れぬが、(しか)しあれでも判りまへぬから、神様(かみさま)御願(おねがひ)をして、さうして神様(かみさま)(これ)を知らして(もら)ふことになつた。

 「太古の神の因縁(いんねん)」とか霊界物語(れいかいものがたり)……。

 書物(しよもつ)にないのです。外に書物(しよもつ)の参考にすべきものがないのです。

 ()天之巻(てんのまき)火之巻(ひのまき)に書いてあるがね。

 いや太古の因縁(いんねん)とか()ふことが外の文献にはないのです。それでさう()ふことを……。

 それぢや書いてあることは読まぬでも(よろ)しいか。

 なんですか今の所は。

 霊界(れいかい)の情勢とかそんなことは読まぬでも判つて()ると思ひますがね。

 ()の間予審で厭程読んで聴かされましたわ。

 (これ)は四十七篇の総則、判るだらう。

(書類を示す)

 はあ。

 盤古大神(ばんこだいじん)

 予審ですつかり読んで目の中に入つて()る。

 自分で書いたものだからか。

 自分はしやべつただけで読んだことはありませぬ。

 印刷は予審で初めて見た位です。割とは上手(じやうづ)に書いてあるな。わしが書いて()るのぢやないから。

 神様(かみさま)の御力で書かれて()るものと思ひましたけれども、割とは細かいことが書いてあると()ふことが判りました。

 見せて(もら)はぬでも()いか。

 判つて()りますから。暇が(ひま)要つて(かな)ひまへぬ。

 (これ)は私も読んで見たのだが、()大本(おほもと)国常立尊(くにとこたちのみこと)退隠(たゐゐん)再現の根本(こんぽん)理論として説く所の要旨と()ふものは、()の予審終結決定(けつてい)大本(おほもと)教義(けうぎ)(1)と書いてある所になりやせぬかね。

 大本(おほもと)教義(けうぎ)の要旨と()ふのはどう()ふ訳ですか。

 要旨と()ふのは、書いてある趣旨(しゆし)(これ)を能く読んで見ると国常立尊(くにとこたちのみこと)の隠退再現の理論と()ふものが此処(ここ)に書いてあるね。決定(けつてい)の(1)として書いてあることになりはせぬかと()ふのだね。

 決定(けつてい)の(1)にどう()ふことが書いてあるのですか。どんなことが書いてあるのですか。予審決定(けつてい)は読んで()りませぬ。

 大分(だいぶん)国常立尊(くにとこたちのみこと)の隠退再現のことが書いてあるのです、()くなりはせぬかと()ふのです。

 (それ)がどうと(おつ)しやるのですか。

 (1)と書いてあるでせう、三枚目の中頃──此処(ここ)色々(いろいろ)なことが書いてありませう。

 同じやうに、(これ)に書いてある所を()く読んで見るとぢやね、()教義(けうぎ)として説いて()る所は、決定(けつてい)(1)のやうなことになりはせぬかと()ふのです。

 まあ、(これ)は準備手続(てつづき)の時に、「霊界(れいかい)のことである、盤古大神(ばんこだいじん)(すなは)瓊々杵尊(ににぎのみこと)は否認する。(すなは)ち、(あるひ)は、王仁三郎(おにさぶらう)が日本の統治者になることは否認する。それ以外(いぐわい)のことは()の通り」だと……。

 (ちが)ひを言へと(おつ)しやるのですか。

 違ふことは違ふと言つて(もら)ひたい。

 (これ)神様(かみさま)が言はれたのです。(これ)は善いとか悪いとか言ふ権利はありませぬ。(これ)神様(かみさま)が書いた説ですから私は(これ)は違ふとか違はぬとか()ふやうなことはないと思ひます。

清瀬弁護人 被告に注意(ちうい)したいのですが、ちよつと出口さん、()の先刻来()いて()りますとですね、あなたが興奮せられて御答を御急ぎになる結果(けつくわ)、裁判長の話が、(また)余程(よほど)、それでですな、同じことを繰返(くりかへ)すことになるから、()落着(おちつ)いて、明日(あす)もあることですから、裁判長の問のすつかり済んでから御答へ願ひたい。

 それからして、今、あなたが御覧(ごらん)になつたものは神様(かみさま)が書いたことぢやない、予審判事が書いたものですから……。

 さうですか。

清瀬弁護人 非常(ひじやう)に大切なことだから、ちよつと時間を拝借してゆつくり目を通して御答(をこた)へなさい。

 さうすると(これ)はなんですか……。

清瀬弁護人 それから「天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)……」より()の次の「伊邪那岐(いざなぎ)尊の神勅(しんちよく)()り」(まで)ですね、其処(そこ)迄ちよつと二枚ばかりありますから……それをあなた一遍(いつぺん)も読まぬと(おつ)しやるから、読んですつかり眼を通して……私はあなたの(おつ)しやる所はピントが合はぬやうに思ひますから──それは神様(かみさま)()つしやつたことではないのですよ。

高山弁護人 時間がなんですから、()の次にしたら如何(いか)ですか。

 一つ/\言ふてもなんですから、ミロク菩薩(ぼさつ)()ふのは、ミロク菩薩(ぼさつ)(これ)(ちが)ひますわ。

 (これ)宣伝使(せんでんし)()ふやうなもので、ミロクの神様(かみさま)(これ)天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)ですけれども……。

 大分(だいぶん)(つか)れたでせう。今日(けふ)(これ)だけにしませうか。

 どうも頭がくしや/\として()る。

 今日(けふ)(これ)だけにしませう。

 ()いか、()決定(けつてい)は準備手続(てつづき)で一時間も……。

 さうですか、こんな無茶なことを……私(これ)は初めてだと思ひます。

 大分(だいぶん)今朝から喋つて()りましたから、頭が悪うなつて……。

 では、今日(けふ)(これ)だけにしませう。

清瀬弁護人 ちよつと御待(おま)ち下さい。

 明日(あす)はそれを読んで来てゆつくり御答へ願ひたい。

 ()の前の準備の時は……。

 読むとムツとして来るので、(たま)らぬので読まなんだ。

清瀬弁護人 腹が立つた位は(おさへ)へてしつかりやらぬといけませぬよ。

 まあ、今日(けふ)(これ)だけにして置きます。

 それから、ちよつと御相談(ごさうだん)ですが、明日はですね、八時半頃から開きたいと思ひますが如何(いかが)ですか。

前田弁護人 暑い折柄(をりから)ですから、午後(ごご)になつて来ると相当(さうたう)草臥(くたび)れるのですな。

 それで、朝八時半頃から開いて(いただ)きたいのです。

裁判長 さうすれば、正八時半とします。駈引はありませぬよ。では、八時半から──今日(けふ)(これ)だけにして置きます。

 今の点は()く考へて置いて下さい。

午後四時七分閉廷