うろーおにうろー

裁判記録(8)

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裁判記録

○霊主体従、体主霊従の説明
○教育論
○筆先中の天子の説明
○大本の主宰神について。天照皇大神と大本皇大神の違い。

原文はカタカナ書き。カタカナはひらがなに改めた。
また、読点を適宜句読点に改め、なるべく短い段落となるように改行した。意味のまとまりごとに標題を付加した。

争点 霊主体従と体主霊従

 よし、判りました。霊主体従(れいしゆたいじゆう)()ふことはどう()ふことを言ふのですか。

 霊主体従(れいしゆたいじゆう)()ふことは、字のごとく心を主とし体を従とすると()ふことで、体を──家を立派にする、身なりを立派にすると()ふことは(これ)は体が主になる。(すなは)体主霊従(たいしゆれいじゆう)であります。

 (つま)り、さうすることは霊が──心が従になつて、体が主人(しゆじん)になつて、しまひには悪いことをするやうになる。

 所が、霊主体従(れいしゆたいじゆう)(すなは)ち霊が主になつて()れば、ぼろ/\の着物を着て()つても、心が真直(まつすぐ)ぐであれば()い。(また)、体が従になるから、体は(きたな)い着物を着て()つても、心さへ真直(まつすぐ)ぐなれば()い。

 霊主体従(れいしゆたいじゆう)は善、体主霊従(たいしゆれいじゆう)は悪を()すの(もと)と書いてあります。霊主体従(れいしゆたいじゆう)は善を()(もと)と書いてあります。

 本田(ほんだ)先生の教です。今日(こんにち)国民(こくみん)精神総動員やら何とか()つて()るが、愈々(いよいよ)霊主体従(れいしゆたいじゆう)になつて来たのです、現代(げんだい)の政治が……。


争点 立替立直(2)

 ()立替(たてかへ)()ふのは破壊(はくわい)立直(たてなほ)()ふのは建設と()ふ意味ではないか。

 同じやうな意味です。

 余り細かい(ちが)ひはないと思ひます。言葉(ことば)の語呂で強ひて言へば違ふかも知らないが、()(かく)、革新と言ふても更生(かうせい)と言うても立替立直(たてかへたてなほし)だと思ひます。

 人間にも、矢張(やつぱ)り心の立替立直(たてかへたてなほし)があります。

 人間の行ひにも……人間を建築すると()言葉(ことば)がよう流行(はや)つて()ります。

 (これ)立替立直(たてかへたてなほし)のことを言ふのです、それが建築と()ふことは──。

 予審の第三十九回の一問答に()りますと、「大本(おほもと)所謂(いはゆる)立替立直(たてかへたてなほし)()ふのは、日本の現御皇統(くわうとう)廃止(はいし)して、王仁三郎(おにさぶらう)が日本の独裁君主(くんしゆ)になつて、次いで世界の主権者(しゆけんしや)となることを意味する」と()ふことになつて()るやうだが、(これ)は……。

 そんな馬鹿(ばか)なことを思うて()りましたら、それは気(ちが)ひです。

 (これ)も判を()して()るから()くのだが--るやうだが、(これ)は……。

 そんな馬鹿(ばか)なことを思うて()りましたら、それは気(ちが)ひです。

 (これ)も判を()して()るから()くのだが──。

 向ふが勝手(かつて)に書くのに、それを止める訳に行きまへぬ。三年も五年も()掛かられてはあかしまへんから──。

 弁解の趣旨(しゆし)も判りました。

 立替立直(たてかへたてなほし)と云ふことは、統治権者は()(まま)にして置くと云ふのだね。王仁三郎(おにさぶらう)の言ふことは──。

 日本は何処迄(どこまで)万世一系(ばんせいつけい)、日本は万世一系(ばんせいつけい)と法律に書いてあります。

 統治権者は()(まま)にして置いて、政治経済(けいざい)()の他の諸機構だけを変へると云ふだけです。

 段々(だんだん)進んで来て今日(けふ)の政治になつて。

 統治権者は万世一系(ばんせいつけい)で、()(まま)か。

 ()の他の政治機構なり、全部(ぜんぶ)立替立直(たてかへたてなほし)をすると云ふのですか。

 万世一系(ばんせいつけい)の天皇は、(すなは)国体(こくたい)でせう。国体(こくたい)は変らない。

 政体(せいたい)と云ふものは矢張(やつぱ)り変つて来ると云ふのです。政体(せいたい)国体(こくたい)は違ふ。

 国体(こくたい)万世一系(ばんせいつけい)です。政体(せいたい)の変革の意味を言つて()るのです。

 総て政体(せいたい)が変れば……。

 ……下まで変ります。

 今、政体(せいたい)が変つて()る。大分(だいぶん)に。

 (しか)し、国体(こくたい)は変りまへぬ。万世一系(ばんせいつけい)です。大本(おほもと)の唱へたのもそれであります。

 「天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)高御座(たかみくら)天地(てんち)日月(じつげつ)と共に動き傾く事無く、生坐(あれま)親王(みこ)()諸王(おほぎみ)(たち)朝日(あさひ)豊栄登(とよさかのぼり)咲栄(えみさか)えしめ給ひ」と、()う云ふ毎朝祝詞(のりと)を上げて()る。

 ()祝詞(のりと)を見ても判ります。

 大本(おほもと)立替立直(たてかへたてなほし)、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)と云ふことは、統治権者を除いては現在の制度(せいど)をどう云ふ風に改めると云ふことを主張して()るのですか。

 (これ)霊主体従(れいしゆたひじゆう)にしたいと云ふことです。

 具体的(たいてき)に申すと、例へば議会(ぎくわい)制度(せいど)をどうする、司法制度(せいど)はどうする。(あるひ)(また)、教育制度(せいど)はどうするとか、貨幣問題(もんだい)をどうする、経済(けいざい)問題(もんだい)をどうすると云ふことの問題(もんだい)()いて()るのです。

 それは大石凝(おほいしごり)先生の説を書いて、それに()せてありますが、それは私は古事記(こじき)言霊学(げんれいがく)で説いた()の説として述べたのでありまして、我々(われわれ)がそれをするのぢやありませぬよ。

 我々(われわれ)出来(でき)るものぢやありませぬ。さう云ふものは皇道(こうだう)()のものがするのです。

 出来(でき)出来(でき)ないは別問題(もんだい)として、第二番として後から()きませうが、()(かく)立替立直(たてかへたてなほし)、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)と云ふのは、統治権者は()(まま)にして置いて、現在の世の中をどう云ふ風にすると云ふことを主張して()つたのですか。

 それは、今日(こんにち)のやうな派手なやり方を変へて、さうして総て便宜(べんぎ)な世の中にしたい。

 教育方針(はうしん)でも、今のやうな、金さへあれば大学(だいがく)へ行つて戻つて来て、何も役場の小使にもなれぬやうな人に金を()れぬでも、もつと良い人に金を()れてやつたが良いと云ふやうなこととか、(あるひ)は、大国民(こくみん)教育とか、(あるひ)は小国民(こくみん)教育とか、()の人を適材を適所に使ふ所のそつ(ヽヽ)ない所の政治をやりたい。

 何でも彼でもさう云ふ意味です。

 それは書いてありますな。

 書いてあります。言霊学(げんれいがく)の教程に書いてあるのでございませう。

()の時に「皇道(こうだう)維新(ゐしん)経綸(けいりん)」を示せり)

 ()証拠(しようこ)番号千九百七十二号の「皇道(こうだう)維新(ゐしん)経綸(けいりん)」、(これ)に書いてありますな。

 ()の通りか、ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)は。

 それも参考になると云ふ意味です。参考に書いたのです。それが本当の教典ぢやない。参考書です、参考に書いたのです。

 ミロク神政(しんせい)成就(じやうじゆ)の意味は──。

 さう云ふ意味やと云ふことを……。

 ……()う云ふものにしたいと云ふ意味だらう。

 さうです。

 さうすると予審で言うたことと同じぢやないか。

 世の中は段々(だんだん)直つて来るのだから、それは其処(そこ)に書いてある通りです。


争点 ミロクの世の制度・統治権者

 議会(ぎくわい)制度(せいど)は予審で言うた通りか。司法制度(せいど)貨幣(くわへい)制度(せいど)……。

 それは本に書いてある所を()(まま)言うたのです。

けれども、それは、言霊学(げんれいがく)の教典に書いてあるのを、其処(そこ)に写したのだから、其処(そこ)(まで)はまだ/\我々(われわれ)の力がないから……。

 理想(りさう)だな。(これ)は予審で言うたことは、理想(りさう)を持つて()つたことは持つて(をつ)たに(ちが)ひないな。

 そこにあることを……。

 沢山(たくさん)あるが略したいと思ひます。

 はい、政体(せいたい)の改革やとか、何とか()ふことは、我々(われわれ)言論(げんろん)の自由で構はしまへぬと思ひますが、悪うございますか。

 私は法律を知りまへんから。

 (これ)は、我々(われわれ)判断(はんだん)しなければならぬ。

そんなことを説明(せつめい)する必要はないが……。

 政体(せいたい)()ふ大きな問題(もんだい)ぢやありませぬ、少しづつ直つて来ると()ふことです。

 統治者は()(まま)と、ちよつと()いて置かなければならぬことになるのだが……。

 (これ)古事記(こじき)にあることです。

 此処(ここ)に書いてあるやうな、今、予審で言うてあるやうなことに改革せむとするには、統治権者に関連がなくして実行(じつかう)し得ませうか。

 それは出来(でき)ますとも。

 それを信じて()る、天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇の大御稜威(みいづ)()つて出来(でき)る。

 それは、私は御稜威(みいづ)を信じ切つて()る。私は、「御稜威(みいづ)()つて御稜威(みいづ)紙幣(しへい)発行(はつかう)して何千万御出(おだ)しになつても、国民(こくみん)がそれを喜んで通用(つうよう)するやうにしなくちやいかぬ」と()ふこと(まで)言つてる。

 それで、ちよつと此処(ここ)齟齬(そご)するやうなことがあるのだが……。

出口 私は罪になつても()いと思ふが、()の自分の本当の考を判事閣下に申上(まをしあげ)げて、(また)此処(ここ)()の人も()いて()つてくれますから、弁護士(べんごし)さんなども──さうしたら自分は死んでも()い。死を決して()る、もう六十八ですもの、六十九になるのです。七十迄生きて底です、八十迄生きても十年もあらしまへん。

裁判長 そんな悲観(ひくわん)したことは言はぬで……。

出口 私に取つたら、本まにさうですわ。

裁判長 さう言はぬでも()いが。

出口 百も二百も生きられへんから、構はしまへん。

裁判長 自暴(じぼう)自棄(じき)のことを言はずに。

出口 自暴(じぼう)自棄(じき)ぢやありませぬ。

 本当のことです。徹底的(てつていてき)に……。

 それで、立替立直(たてかへたてなほし)に付ては、統治権者は立替立直(たてかへたてなほし)の中に入らぬと言ふが、今迄(いままで)の弁解では……。

 それは国体(こくたい)立直(たてなほ)すのぢやありませぬ。

 (これ)に付て申上(まをしあげ)げます。

 よその国は憲法に()つて帝王(ていわう)の権利を認めて()る。(これ)は立憲君主国(くんしゆこく)です。憲法に()つて元首を認めて()る点から──(わが)が国は天照大神(あまてらすおほかみ)御神勅(ごしんちよく)()つて天から定められた、天から立てられたから天立(てんりつ)君主(くんしゆ)君主(くんしゆ)が憲法を立てられたのだから、日本の国は立憲天立君主国(てんりつくんしゆこく)(すなは)ち、立憲政体(せいたい)です。

 それでなければいかぬと()ふことを言つて()るのです。

 立直(たてなほし)()ふのはどう()ふことだ。

 今の人はそれを知らない。

 立憲君主(くんしゆ)やと思うて()ります。

 天立(てんりつ)君主(くんしゆ)──立憲政治の国体(こくたい)立直(たてなほ)すと()ふことは……。

 心を立直(たてなほ)す。(さと)らしめると()ふことです。さう()ふやうに思はなくちやならぬと()ふことです。

 心を立替(たてかへ)すのですか。

 私は、それで、日本は天立(てんりつ)立憲君主(くんしゆ)……立憲君主(くんしゆ)が立てられた欽定憲法、よその国は憲法に()つて君主(くんしゆ)を認められたから立憲君主(くんしゆ)です。

 そんな立憲君主(くんしゆ)(わが)が国のやうな訳には行かない。日本は天立(てんりつ)君主(くんしゆ)立憲です。


争点 天子について

 思つて()る人も思はぬ人もあるから、思はぬ人はさう()ふやうに思はせなければならぬぞと()ふ意味だな。判りました。

 天之巻(てんのまき)の三頁に○を三つ書いて、「綾部(あやべ)仕組(しぐみ)がしてあるぞよ」としてあるが、(これ)はどう()ふ意味か。

 それは、私は()きましたが、天子(てんし)と言ひましたが、教祖(けうそ)()きましたら、「天子(てんし)とは日天子(てんし)、月天子(てんし)と言うて月の神には月天子(てんし)(ひつじさる)金神(こんじん)、それから日天使(につてんし)(うしとら)金神(こんじん)(これ)(うしとら)金神(こんじん)が日の神である」と()ふことでありまして、それで仏法(ぶつぽふ)では信者(しんじや)()ふことが天使(てんし)と言ひます。何々(なになに)菩薩(ぼさつ)は二万の天子(てんし)と共に、何々(なになに)菩薩(ぼさつ)は一万の天使(てんし)と共に……。

 それで丸の所へ、伏字はなんと()ふ字を書くのですか。

 使(つかひ)()ふ字です。

 天使(てんし)と書くのですな、「天使(てんし)綾部(あやべ)仕組(しぐみ)がしてあるぞよ。

 それは日天子(てんし)、月天子(てんし)のことやと私は承つて()ります。

 それなら「天使(てんし)」なんと伏字せぬでも()いぢやらう。

 私がやつたものぢやありませぬ、私の()らぬ時に……。

 まあ沢山(たくさん)あるがね。

 それからね、火の巻の四百九十二頁が、「地は出口の霊統(れいとう)で……。」

 天は天皇陛下が御治めになる。それから、地は民と()ふ意味です。人民(じんみん)()ふ意味です。教と()ふ意味です。

 人民(じんみん)を教へるのは、出口の血筋には教祖(けうそ)になつて世界を治めるとほらを(ヽヽ)いた所です。

 まださう()ふことにはいかぬけれども、先になれば地上(ちじやう)天使(てんし)になると()ふことです。

 それは二十五年頃に書いたので、(これ)は……。


思想 大本の主祭神

 それぢや、徹頭徹尾疑はれる点もあるけれども、今言つた通り間違(まちが)つて()らぬと()ふ答弁になる訳ですね。

 それから、立替立直(たてかへたてなほし)()ふことは……それからミロク神政(しんせい)()ふことに付てはそれだけにして置きませう。

 次は大本(おほもと)(おい)ては、如何(いか)なる神様(かみさま)を主祭神となし()りますか。

 全部(ぜんぶ)神様(かみさま)ですが、天照皇大神──天照皇大神、それから伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)(これ)造化(ざうくわ)三神(さんしん)御三体(ごさんたい)神様(かみさま)として、一番上の神様(かみさま)として()る。

 まあ一つくごちや/\言はぬで……それで御(まつ)りして()るのはどの神だ。

 天照皇大神(てんしやうくわうたいしん)

 天照皇大神(あまてらすすみおほかみ)を言ふのですか。

 さうです、それに御仕へして()る神として、国常立尊(くにとこたちのみこと)()うなつて()るのです。それが(うしとら)金神(こんじん)()うなつて()るのです。

 天照皇大御神(てんしやうくわうたいしん)と申すのは大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)同一(どういつ)神ですか。

 同一(どういつ)神ではありませぬ。

 天照皇大御神(てんしやうくわうたいしん)と言へば御一体(いつたい)です。

 大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)と言へば、天照大御神(あまてらすおほみかみ)()(ほか)世界の地の神、(てん)の神、皆合体(がつたい)したのを、大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)()(しよう)すと書いて()ります。

 書いて()るね。

 それで一体(いつたい)で拝む時には、天照皇大神(てんしやうくわうたいしん)、それで世界の総ての神を御一緒(いつしよ)に拝む時には大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)

 ()大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)には、一番大将(たいしやう)として天照皇大神(てんしやうくわうたいしん)がおはすことになります。

 同じことになる訳だな。

 同じことになりますけれども、数が多いと()ふことだけです。

 「守り給へ」と書いてあるね。

 それは天神地祗(てんしんちぎ)八百万(やほよろづ)の神の総司令、それを大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)と言うたら高橋さんは(おこ)つたが、天照皇大御神(てんしやうくわうたいしん)は、肝腎(かんじん)の御伊勢(いせ)様の祭神です。

 天照皇大神(てんしやうくわうたいしん)──。

 ()大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)()ふのは大本(おほもと)(おい)てのみ教へて()るのですか。

 さうです、天理教(てんりけう)では十柱の神を天理王命(てんりんわうのみこと)天理教(てんりけう)だけで言つて()る。それと同じやうに、大本(おほもと)だけです。

 ()大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)とは、大本(おほもと)信徒(しんと)だけが言つて()るのです。

 それを、八百万(やほよろづ)神を朝夕(あさゆふ)言つとつたら飯を食ふ暇もない位だから(まと)めて大本(おほもと)皇大神(すめおほかみ)と言ふのです。

 もう今日(けふ)は休ませて(もら)へまへぬか。

 ちよつと五分間(ごふんかん)ばかり休憩(きうけい)しませう。

 どうも済みまへぬ。

午後(ごご)三時三十分休憩(きうけい)