王仁三郎と原爆


■裏金神

私は一昨年(2003年)「裏金神」を読みました。

当時私は作った王仁三郎の著作を参照しているデータを作っていたのですが、「裏金神」に関して「教祖」の神諭について、該当部分がどこなのか調べるのにとても苦労した覚えがあります。

私は、「裏金神」については「原爆」との関係が一番重要で、我々がよく考えてみなければならない、そして、もしかしたら論駁して否定すべき問題ではないかと思った記憶があります。まあ、読み返さないと、どんな問題だったかはっきりしないのですが……

※引用には原文のままではない部分があります

ミロク神像と原爆裏金神

P.134

王仁三郎が関東大震災の翌日、九州で現在は山鹿市となっている町のとある信徒の家で、家の中に祭ってある石像の観音を見た。石像は王仁三郎の等身大であった。(写真)王仁三郎が触れると、胸の辺りに月のような白い形が浮出た。王仁三郎は、石像を「観音ではなく弥勒最勝如来だと」いい、後に、「屋内では自分が自由に活動できないので、この石像を屋外に出して雨ざらしにせよ。」とういうような指示を出したという。 

P.203

王仁三郎はミロク神像出現の日本という雛形で何を霊的に仕掛けたのか、これを解かない限り王仁三郎のからくりは見えない。そのからくりを解くかぎが、九州にあるミロク神像なのだ。
関東大震災の後、王仁三郎がこのミロク神像と深く関わるのが、昭和9年9月21日のことである。この日、王仁三郎は代理の者を参拝に行かせている。そして、このとき、室戸台風が日本を襲い、大惨事を引き起こした。と、同時に、湯川英樹博士が原爆理論の基ともなるべき中間子理論を完成させている。


五島 勉「日本・原爆開発の真実」

『新月の光』下P.298に原爆について次のようにあります。

○原爆の発明

原子爆弾は日本の博士が発明して「日本は人道上使えぬ」といってドイツへやった。それをドイツでも使わず、アメリカに使われたのである。悪い事ばかり考えるから、日本に落とされたのだ。日本人が造ったから日本に落ちた。(昭和20年9月4日)

 
五島 勉「日本・原爆開発の真実」では上とは違う説をとっています。
 
この本の主題は。日本でも高性能の小型原爆を完成して、アメリカ軍の基地に落とす準備まで行っていた。しかし、昭和天皇は
数カ国がその新兵器(原爆)開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注して完成させ使ってくるようになるであろうから、全人類を滅亡させることになる。
 それでは日本が人類滅亡の悪の宗家になるではないか。
 またハワイに投下する計画とのことだが、ハワイには、日本の同胞が多数移住し、現地民とともに苦労し今日を築きあげたところである。そのような場所に新兵器を使用することは賛成しかねる

と使用を拒否された。

五島氏の前掲書では、終戦の詔下の緑の部分)が上記の天皇発言と同じ発想から出たとしてとりあげられています。

 『朕(ちん)、深く世界の大勢と、帝国の現状とにかんがみ、非常の措置をもって、時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。朕は、帝国政府をして、米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。 

 そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)をはかり、万邦共栄の楽を共にするは、皇祖皇宗の遺範にして、朕の挙々おかざるところ。先に米英二国に宣戦せるゆえんも、また実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに、出でて他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより朕が意志にあらず。しかるに、交戦すでに四歳をけみし、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるにかかわらず、戦局、かならずしも好転せず、世界の大勢、また我に利あらず。しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか。ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし。かくのごとくむは、朕、何をもってか、億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れるゆえんなり。 

 朕は帝国とともに、終始、東亜の開放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるをえず。帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に倒れたる者、及びその遺族に想を致せば、五内ために裂く。かつ戦傷を負い、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)するところなり。おもうに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむくところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。 

 朕はここに、国体を護持しえて、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共にあり、もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ。』 

(御名御璽) 


第1版 2004年頃
第1.1版(一部修正)2015/01/02

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