王仁三郎の思想とインデアン思想との関連性

インディアン思想の古典とも言われる『ブラック・エルクは語る』を読んで、王仁三郎の思想との類似点を感じたので、この本の内容を紹介します。


■『ブラック・エルクは語る』(1932年)
ジョン・G・ナイハルト著 宮下嶺夫訳(2001年 ㈱めるくまーる)

ブラック・エルク
インディアン、スー族のメディスンマン。
1863年生まれ-1950年死去。
1890年12月29日 ウーンデット・ニーの大虐殺
1904年 カトリック教徒となる。

王仁三郎 1871年生まれ-1948年死去。
1890年 明治23年 王仁三郎 20歳
第一回衆議院総選挙、教育勅語発布、第一回帝国議会


■アメリカ・インディアンが征服された時代

アメリカ・インディアンの受難の時代は、それほど前のことではなく、日本の明治維新から明治初期と重なる。

もしかしたら、艮の金神の怒りは、日本人も含めた有色人種を滅ぼそうとする勢力(ワシチュー)に向けたものかも知れない。

ブラック・エルクは、神々からビジョンを見せられ、自分の部族がウーンデット・ニーで虐殺されることを暗示するビジョンも見せられている。また、病気治しなどの力も得ている。しかし、実際には、ウーンデット・ニーの虐殺は起こり、一つの時代の終焉を生きることとなる。

王仁三郎も神の子として、仕組みをして世を去ったという考え方が、王仁三郎研究者・崇拝者の一般的なものだろうが、ブラック・エルクが自分の部族の終焉・大虐殺に立ち会わなければならなかった、それに対して何も出来なかったのと同じような悲しみを味わった・・・そんな仮説も立てられはしないだろうか・・・


■本の内容の簡単な紹介

○ブラック・エルクは9歳の夏に、二人の男に連れられて、空を矢のように大変な速さで飛び、大地の中心の山に行き、6人の父祖達(神々)よりビジョンを授けられる。
 ブラック・エルクが大地の中心に行っている間、肉体は、足が痛み出し、両脚、両腕がぱんぱんに膨れ上がり、12日間も死んだように眠っていた。
 このビジョンは神々の意志を示すものであり、未来の出来事も示されていた。ブラック・エルクは病気治しなどの力を与えられた。

○ブラック・エルクがビジョンで与えられた力を実際に使えるようになるためには、そのビジョンと同じ事を寸劇(儀式)-ビジョン・クエストとして行う必要があった。

○ブラック・エルクは一族が保留地に入れられた時、インディアンの見世物をするために、ヨーロッパに渡った。イギリスではエリザベス女王から招かれることになる。マザー・イングランド(女王)を立派な人だと気に入っている。

○パリで病気になり、3日間眠り続ける。その間、意識は雲にのり超高速で、生まれ故郷に帰り、空から父母や同胞が保留地に閉じ込められているのを見ている。意識が故郷から戻ると、死んだと思われていたものが、生き返った。

○ゴースト・ダンス
ウーンデット・ニーの大虐殺の原因となったゴースト・ダンスは、パイユート族の聖なる人から始まった。この聖なる人はグレート・スピリット(神)の息子であり、ブラック・エルクもそれを認めている。


■気になったことば

P.17 聖なる話
 聖なる話、語るに値する話とは、すべての生命の物語だ。その物語の中では、われわれ二本脚のものだけでなく、四本脚も、空をゆく翼も、すべての緑のものも共に暮らしている。これら生きとし生けるものは、すべて、同じ母親から生まれた子どもなのだ。父親は同じ一つのスピリットなのだ。

P.55 聖なるビジョンの一部
 私はまだ鹿毛の馬に乗つていた。そしてまたしても私の後に、西、北、東、南の騎手たちが元のように隊列をつくつてついてくるのを感じた。われわれは東に向かつて進んでいるのだった。前方に、岩や森林におおわれた山々が見えた。山々はありとあらゆる色の光を天に向かつて放つていた。やがて私は山々の中で一番高い峰に立つていた。私の足もとを取り巻くように、全世界の輪が広がつていた。そこに立つて私は、言葉になる以上のものを見、見た以上のものを理解した。私は、聖なる作法に則つて、あらゆるものの形を、そのスピリットの姿において見ていたのだ。あらゆるものの形を、それらが一体となつて共に生きる、一つの形の中にとらえていたのだ。

P.95 現界は霊界の映し鏡
 しかし、父の言うのには、クレイジー・ホースは夢を見て、その夢の中で、あらゆるもののスピリットだけが住む世界に入つていつたのだそうだ。その世界とは、われわれの住むこの世界の裏側にある真の世界であり、われわれが目で見ているすべてのものは、その真の世界から投げかけられた影のようなものなのだという。彼はその世界で自分の馬に乗つていた。その馬も、馬に乗つた彼自身も、木や草や石も、何もかもスピリットによつて出来ていて、固いものは何一つなく、すべてがふわふわと漂っているようだつた。彼の馬はその場所にじつと立つていたが、そのくせ、まるで影だけで出来た馬のようにあたりを踊りまわつてもいるのだつた。

P.175 ビジョンと儀式
(儀式の途中で)
 私は周囲を見まわした。いまここでやつていることは、天空のあのヴィジョンが、地上に投影されてできた影のようなものなのだと思つた。ヴィジョンは明るくくっきりと見えた。真実は遠い雲のかなたにあるのだ。地上のことがらは、その真実の影、ほの暗い夢でしかないのだと思つた。

P.198 大地の父祖の願い
 六人の父祖たちは、この世界に無数のものを住まわせた。そのいずれもが、幸せにならなければならないのだ。どのように小さなつまらないものも、何かをなすためにこの世に遣わされてきた。その何かの中に、幸せがあるはずだ。幸せになる力があるはずだ。野に生えた草の葉と葉はお互いに優しい顔を見せ合っている。われわれ人間もそれと同じことをすべきなのだ。お互いに優しくあるべきなのだ。それこそが、天地をつかさどる父祖たちの願いなのだ。

P.217 バッファローの絶滅
 前にお話ししたとおり、私がエルクの儀式をしたのは、二十歳の年(一八八三年)の夏のことだ。確か、その年の秋に、ワシチューたちによつて、バッファローの最後の群れが皆殺しにされた。バッファローが数えきれないほど多くいたころのことを、私は覚えている。しかし、ワシチューどもが続々と押しかけてきて、バッファローを殺し、しまいには、かつてバッファローが群れていた場所に、彼らの骨の山ばかりが見られるようになつてしまつた。ワシチューは、バッファローを食べるために殺したのではない。連中を狂わせるあの金属ほしさに殺したのだ。彼らは、ただ皮だけをはいで、それを売つた。ときには、皮さえもはがず、舌だけ切り取つた。乾したバッファローの舌ばかり積んだ火の船(蒸気船)が何隻もミズーリ川を下つていつたそうだ。まつたく正気の沙汰ではなかった。ときには、舌を切り取ることさえしなかつた。ただ殺すのが楽しくて殺しまくつたのだ。われわれがバッファロー狩りをしたときには、必要なだけのバッファローを殺した。それ以上のことはしなかつた。バッファローが殺しつくされ骨の山があるだけになつてからも、ワシチューどもはやつて来た。今度はその骨を集めて、それを売つた。

 注:ワシチュー 白人のこと



第1.1版(一部修正)2015/01/02

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