人種論と12の流れ

前の関連論考

※2015年1月現在、ここに書かれていることとは別の考え方をするようになりました。いつか書きたいと思います。

1.王仁三郎文献中の人種

2.三大民族

3.ハムとセム


1.王仁三郎文献中の人種

王仁三郎の文献中では、人種は日本人、支那人、西洋人または、有色人種、白色人種などの一般的な意味で使われる場合が多いです。ここでは、一般的な意味以上に意味がありそうな所を検討します。 

参考資料

三鏡の中で、人種について触れられているところがあります。これが人種についてはいちばんはっきり書かれています。

神の国 1932/12三大民族

太古、世界には三大民族があつた。即ちセム族、ハム族、ヤヘツト族である。セムの言霊はスとなり、ハムの言霊はフとなり、ヤヘツトの言霊はヨとなる。故にスの言霊に該当する民族が、(1){神の選民と云ふことになり、}日本人、朝鮮人、満洲人、蒙古人、コーカス人等である。ユダヤ人もセム族に属する。次がハム族で支那人、印度人又は小亜細亜やヨーロツパの一部に居る民族である。ヨの民族即ちヤヘツト族と云ふのはアフリカ等に居る黒人族である。しかし現在は各民族共悉く混血して居るのであつて、日本人の中にもハム族等の血が多数に混入して居る。又欧米人の中にはハム族とヤヘツト族とが混血したのがある。イスラエルの流れと云ふことがあるが、イは発声音で、スラエの言霊はセとなるが故に、イセ(伊勢)の流れと云ふことになる、即ちセム族の事である。

下の文章は上の三大民族の「日本人、朝鮮人、満洲人、蒙古人、コーカス人、ユダヤ人」に当てはまりそうですね。

物語41-0-1 1922/11 舎身活躍辰 序文

地球上の各国家の建設は、古来におけるある優秀なる人種の首長たるものが、高天原すなはち天教山や地教山、アーメニヤ、埃及、メソポタミヤ、エルサレム、オノコロ島もしくは其の首都などにおいて、その子孫ならびに従属者の中より特に俊逸なるものを選抜して、完全なる遠征的の冒険隊を組織し、以てその国土万物を開発経営したものなることは、神示の『霊界物語』に由つて見るも明白なる事実であります。古典にいはゆる国津神なる民族にも、北種もあり南種もあつて、その数六七種に及んでをります。
 結局、高天原人種すなはち天津神族に全く吸収せられ血化せられて高加索民族なるものが現はれたり、また大和民族なる君民同祖の一血族一家的の団体に成つたのもあります。しかしながら真の太古の神人族その他の関係を知悉するには、たうてい三種や五種の古伝記にては九牛の一毛だも判然するものではない。この物語も亦その通りであつて、なにほど現代の著書より見れば浩瀚なものだと謂つても、その大要さへ表示することは困難であります。

天孫民族は最初富士山に住んでいた、それが、地球に散っていった、ということでしょうか。

物語37-1-1 1922/10 舎身活躍子 富士山

 この地点(十数万年以前の富士山)を高天原と称され、その土地に住める神人を、高天原人種または天孫民族と称へられた。現在の富士山は、古来の富士地帯の八合目以上が残つてゐるのである。周囲ほとんど一千三百里の富士地帯は、青木ケ原と総称し、世界最大の高地であつて、五風十雨の順序よく、五穀豊穣し、果実稔り、真に世界の楽土と称へられてゐた。そのため、生存 競争の弊害もなく、神の選民として、天与の恩恵を楽しみつつあつたのである。
 近江の琵琶湖は富士地帯の陥落せし時、その亀裂より生じたものである。そして古代の富士山地帯は、ほとんど三合目あたりに、現代の富士の頂上のごとき高さを保ち、雲が取巻いてゐた。故に天孫民族は、四合目以上の地帯に安住してゐた。外の国々より見れば、ほとんど雲を隔てて、その上に住居してゐたのである。皇孫瓊々杵命が、天の八重雲を伊都の千別に千別て、葦原の中津国に天降り玉ひき、といふ古言は、すなはちこの世界最高の富士地帯より、低地の国々へ降つて来られた事を言ふのである。決して太陽の世界とか、金星の世界からお降りになつたのでないことは勿論である。

「人種」が使われている部分。

物語31-2-7 1922/08 海洋万里午 妻の選挙

『コリヤ俺を何と心得てゐる。俺は秋山別と云つて人種だぞ。貴様は土人ぢやないか。チツと身分を考へて見い』
人種無差別論の盛なのを貴様は知らぬのか。どこ迄も昔の家閥を振りまはし、貴族面をしやがつて威張つたつて、昔なら通用するか知らぬが、文明開化の今日は、そンな古い頭は買手がないぞ。文化生活と云ふ事を貴様は何と心得とるかい、秋公』

物語64上-3-15 1923/07 山河草木卯 大相撲

『到底人間の分際として神様の御経綸は分りませぬが、私がルートバハーの教示により、おかげを頂いてをりますのは、将来の国家を永遠に統御すべき人種の信仰力、忍耐力ならびに霊覚力といふものは、到底世界に比ぶべきものがございませぬ。私は先申しました二大勢力よりも、も一つ奥に大勢力が潜み最後の世界を統一するものと神示によつて確信してをります。

神の国 1925/09/08 道の栞第一巻下(二)

五二 天帝が人種は憎いとの差別を為したまふ道理なし。
五三 然るに其の天帝の御心をも弁へずに、自惚心を起して、日本人のみ神の直系の尊いものなど云ふは、主神に対し奉りて仇となるのであるから、神の道にあるものは、最も慎まねばならぬ。
五四 日本の国の尊き訳は、此の世界を治め給ふ霊の現はれました故である。夫故に殊更に神の御国と称ふと雖も、神は日本許りでなく世界中一様に守護遊ばし玉ふ。

物語15-2-11 1922/04 如意宝珠寅 大蛇退治の段

足名椎、手名椎は天津神

明治三十一年の秋瑞の御魂の神代に須佐之男神神懸したまひて綾部の地の高天原に降りまし、老夫と老女の合体神なる出口教祖に対面して汝等は誰ぞと問ひたまひし時に、厳の御魂の神代なる教祖の口を藉りて僕は国津神の中心神にして大山住の神也。神の中の神にして天津神の足名椎となり手名椎となりて、天の下のオトメを平かに安らかに守り助けむとして、七年の昔より肥の河上に御禊の神事を仕へ奉れり。又この肉体の女の名は櫛名田姫と申し、本守護神は禁闕要の大神なりと謂し玉ひしは、以上の御本文の実現なり。クシナダの

(中略)

 以上の御本文を言霊学の上より解約すると、吾が守護する大地球上に生息する、息女即ち男子や女子は、八男と女と云つて、種々の沢山な神の御子たる人種民族が有るが、年と共に人民の霊性は、鬼蛇の精神に悪化し来り至粋至醇の神の分霊を喫ひ破られて了つた。高志の八岐の遠呂智と云ふ悪神の口や舌の剣に懸つて歳月と共に天を畏れず地の恩恵を忘れ、不正無業の行動を為すものばかり、人民の八分迄は、皆悪神の容器に為れて、身体も霊魂も、酔生夢死体主霊従に落下し、猶も変じて八岐の遠呂智の尾となり盲従を続けて、天下の騒乱、国家の滅亡を来しつつ、最後に残る神国の人民の身魂までも、喫ひ破り亡ぼさむとする時機が迫つて来たので如何にしてか此の世界の惨状を救ひ助け、天津大神に申上げむと、心を千々に砕き天下国家の前途を思ひはかりて、泣き悲しむなりと答へ玉うたと曰ふことなり。

「神々の水火によりて生れたまひし神系と、また天足彦、胞場姫の人間の祖より生れいでたる人間との、二種に区別があり」の解釈は微妙です。

青字の部分では、髪の色を言っていますから、肉体的な特徴を指しているのでしょう。この部分は天声社の版では、カットされています。外国人差別とされたのでしょう。

物語02-0-2 1921/11 霊主体従丑 総説

 また神様が人間姿となつて御活動になつたその始は、国大立命、稚桜姫命が最初であり、稚桜姫命は日月の精を吸引し、国祖の神が気吹によつて生れたまひ、国大立命は月の精より生れ出でたまうた人間姿の神様である。それよりおひおひ神々の水火によりて生れたまひし神系と、また天足彦、胞場姫の人間の祖より生れいでたる人間との、二種に区別があり、神の直接の水火より生れたる直系の人間と、天足彦、胞場姫の系統より生れいでたる人間とは、その性質において大変な相違がある。そして神の直接の水火より生れ出たる人間は、その頭髪黒くして漆の如く、天足彦、胞場姫より生れたるたる人間の子孫は赤色の頭髪を有している。天足彦、胞場姫といへども、元は大神の直系より生れたのであれども、世の初発にあたり、神命に背きたるその体主霊従の罪によつて、人間に差別が自然にできたのである。
 されども何れの人種平等の至当なるを叫ばるるに立いたつたのである。

下の文章では、「動物が生れ変って、人間の人種になった」とあります。また、「竜神が人間に生れ変る」というのもあったはずですから、「上の、神系と、また天足彦、胞場姫の人間の祖より生れいでたる人間との、二種」と合せると、人間の祖はいろいろあったということでしょう。
ただし、ここで注意するのは、霊魂なのか肉体なのか、どちらのことを言っているのでしょうか?

物語04-4-28 1921/12 霊主体従卯 武器制限

 かくして武装を除去されたる竜族は、漸次に進化して人間と生れ、あるひは神と生るるにいたるものなり。また獅子、虎、豹、熊、狼なぞは、世とともに進化して、人間と変じ、牛馬と生れ、犬猫などと生れ変りたるなり。その中に百獣の王たりし、獅子や虎豹なぞはその身魂の善進したるものは人間と変化したり。ゆゑに人間、ことに或る人種の性質は、いまに太古の精神までも多少遺伝して、人情冷やかく、色食の慾にのみ耽り、体主霊従の行動を取り居るもの多し。

物語32-2-13 1922/08 海洋万里未 平等愛

 古の怪しき獣は、今日に比ぶれば、其数に於て其種類に於て最も夥しかつた。併しながら三五教の神の仁慈と言霊の妙用によつて、追々に浄化し、人体となつて生れ来ることとなつた。故に霊の因縁性来等に於て、今日と雖も、高下勝劣の差別を来たすこととなつたのである。

有色人種と白色人種。天国ではどうか。

物語20-99-1 1922/05 如意宝珠未 霊の礎(六)

一、第一天国たる最高最勝の位置を占めたる天国の天人の姿は、実に花のごとく、黄金のごとく、瑠璃光のごとく、かつ金剛石の幾十倍とも知れないやうな、肌の色を保つてをる天人ばかりである。そして大抵は有色人種は比較的に少いやうである。

次のなどが文章が、中矢氏の根源人種論につながる部分でしょうか。

神霊界 1919/11/01 随筆

 日本人は黄色人種である事を自覚して、各自天賦の人格を研き、世界各国の人民を治め導かねば成らぬ天職を、惟神的に具備して居る事を悟り、夢にだも外人を畏れては成らねのであるが、現代の日本人には指で数る程より斯の理を弁知したものが在りませぬ。故に神諭にも、斯の尊い日本神国の人民が、我の身分を忘れて他国人に化かされ、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ目が覚めぬ、困つたもので在るぞよ、と出て居るのも、無理なき事と思ふのであります。

物語47-3-21 1923/01 舎身活躍戌 跋文

地上における最太古の人間は、すなはち天的人間であつて、相応そのものに由つて思索し、彼らの眼前に横たはれる世間の自然的事物は、彼ら天的人間が思索をなすところの方便に過ぎなかつたのである。太古の人間は、天人とたがひに相交はり相語り、天界と世間との和合は、彼らを通して成就したのである。これの時代を黄金時代といふのである。次に天界の住民は、地上の人間と共にをり、人間と交はること朋侶のごとくであつた。されど最早この時代の人間は、相応そのものより思索せずして、相応の知識よりせるに由つて、なほ天と人との和合はあつたけれども、以前のやうには親密でなかつた。この時代を白銀時代と日ふ。またこの白銀時代を継いだものは、相応は知らぬにはあらざれども、その思索は相応の知識に由らなかつた。ゆゑに彼らがをるところの善徳なるものは、自然的のものであつて、前時代の人のごとく霊的たることを得なかつた。これを赤銅時代と日つたのである。この時代以後は、人間は次第次第に外的となり、つひに肉体的となりをへ、従つて相応の知識なるもの全く地に墜ちて、天界の知識ことごとく亡び、霊界に関する数多の事項も、おひおひと会得しがたくなつたのである。また黄金は相応によつて天国の善を表はし、最太古の人のをりし境遇である.また白銀は霊国の善を表はし、中古の人のをりし境遇であつた。赤銅は自然界の善を表はし、古の人のをりし境遇である。更に下つて、黒鉄時代を現出した。黒鉄なるものは、冷酷なる真を表はし、善はこれにをらない時代である。これを思ふに、現今の時代は、全く黒鉄時代を過ぎて、泥土世界と堕落し、善も真もその影を没してしまつた暗黒無明の地獄である。国祖の神は、かくのごとき惨澹たる世界をして、松の代、三五の代、天国の代に復活せしめむとして、不断的愛善と信真のために御活動を遊ばしたまひつつあることを思へば、われわれは安閑としてこの現代を看過することは出来ないのである。天下国家を憂ふるの士は、一日も早く神の教に眼を醒まし、善のために善を励み、真のために真を光して、空前絶後の大神業に参加されむことを希望する次第であります。

物語48-2-9 1923/01 舎身活躍亥 罪人橋

しかるに現代は、遠き神代の黄金時代は何時しか去り、白銀時代、赤銅時代、黒鉄時代と漸次堕落して、今や混沌たる泥海世界となつてしまつたのである。これも人間に、神より自由を与へて、十二分の神的活動を来たさしめ給はむとしたまうたのを、人間が次第次第に神に背き、八岐大蛇や曲神などの捕虜となり、つひに自ら神に反き、神の存在をも無視するに至つたために、かかる暗黒無明の世界が現出したのである。しかしながら、物窮すれば達するといつて、至仁至愛にして無限絶対の権力を具備したまふ大神は、何時までもこれを看過したまふべき。ここに大神は、現幽神三界の大革正を遂行せむがために、予言者を地上に降し、ある一定の猶予期間を与へて、愚昧兇悪なる人間に対し、神の愛を悟らしめ、勝手気ままの行動を改めしめむと劃策したまうたのである。これを思へばわれわれ人間は、大慈大悲の大神の神慮を奉戴し、造次にも顛沛にも精霊を磨き、改過遷善の道を挙ぐるに力めねばならぬのである。

これは、西洋の白人に対する考えだと思います。王仁三郎が直接白人について述べたところはあまりないのですが、ここははっきりしています。

神の国 1928/11 日本人目覚めよ

西洋諸国には古来幾回かの人種が出てこれに代はり、転滅戦につぐに全滅戦をもつて今日に至つたので、残虐の継続が今日を築き上げたものとみられる。そして西洋思想は実にここから生まれてゐる。

日本人が優秀民族であるというのは、誰もがこの時代には、よく言っていることです。しかし、王仁三郎は、若い頃には「皆同じ神の子」と言っています。この変化はどういうことなのか考える必要があります。

神聖 1935/11 優秀・日本

余は四十年来、日本人は世界第一の優秀民族であつて、今に必ず全世界に驚異的飛躍をなす時代が出て来るといふことを明言し、白色人種の立てた文明は当然行詰り、終に崩壊混乱の世を出現するものであることを力説したのである。

神の国 1925/09/08 道の栞第一巻下(二)

五二 天帝が人種は憎いとの差別を為したまふ道理なし。


2.三大民族

三鏡の中の文章

三鏡の人種論から検討しましょう。 

神の国 1932/12三大民族

太古、世界には三大民族があつた。即ちセム族、ハム族、ヤヘツト族である。セムの言霊はスとなり、ハムの言霊はフとなり、ヤヘツトの言霊はヨとなる。故にスの言霊に該当する民族が、(1){神の選民と云ふことになり、}日本人、朝鮮人、満洲人、蒙古人、コーカス人等である。ユダヤ人もセム族に属する。次がハム族で支那人、印度人又は小亜細亜やヨーロツパの一部に居る民族である。ヨの民族即ちヤヘツト族と云ふのはアフリカ等に居る黒人族である。しかし現在は各民族共悉く混血して居るのであつて、日本人の中にもハム族等の血が多数に混入して居る。又欧米人の中にはハム族とヤヘツト族とが混血したのがある。イスラエルの流れと云ふことがあるが、イは発声音で、スラエの言霊はセとなるが故に、イセ(伊勢)の流れと云ふことになる、即ちセム族の事である。

セガリヤ・シッチンは『神々との遭遇(上)』の中で次のように語っています。

P.160
 聖書は、「民族の系図」(創世記10章)の中で、ノアの3人の息子たちに引き継がれた、種族国家をリストアップしている。3人の名前は、セム、ハム、ヤフェトで、この3つの主要なグループは、今でも、近東のセム系の人々、および、アフリカ系のハム系の人々、そして、ヨーロッパとインドに広がる、アナトリアとコーカサスのインド・ヨーロッパ系の人たち、として知られている。

*この文章より、ヤフェトはインド・ヨーロッパ系とした

また、人種の元となったのは、ノアの息子だけではなく、「ノアの箱舟には、ノアの家族だけでなく、ノアの友人や、舟の建造を手伝った者もあったようだ」としています。

■人種についての一般的な理解

昭和60年頃の『広辞苑(第3版)』では次のようになっていました。

セム族:西アジア・アラビア半島・北アフリカに分布するセム語系の言語を話す諸民族の総称。アラビア人・エチオピア人・ユダヤ人が含まれ、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教を生んだ。

ハム族:ノアの次子ハムの子孫と伝説にいわれる民族群。セム族・アリアン族と共に欧州三大種族の一。アフリカの東部・北部に住み、ハム語に属する言語を用いる諸民族の総称。

しかし、現在では、ウイキペディアによると次のような理解がされています。

 セム語派(Semitic language)は、アフロ・アジア語族(Afro-Asiatic languages)の一語派。かつてはセム語族あるいはセム・ハム語族として分類されていたが、いまは使われなくなっている。
 今日ふつうに話されているセム語は、アラビア語・アムハラ語・ヘブライ語・ティグレ語である。
 ハム語(Hamitic languages)は、おもに北アフリカで話される言語の旧分類。セム語派とともにアフロ・アジア語族として統括されたが、現在ではあまり用いられない。エジプト語、クシ諸語(ソマリ語、ガラ語、ベジャ語など)、ベルベル諸語(タマシェク語、シルハ語、カビール語、ムザブ語など)、チャド諸語(ハウサ語など)がこの語派に属するとされていた。話し手はセム語派ほどは多くないが、これらの言語グループ一つ一つがセム語派に匹敵するため、現在では上記の分類に分割されている。

  セム ハム ヤフェト
聖書 イスラエルの民として、アブラハムなどを出して、聖書の当事者になる エジプトやアッシリヤ、カナン、シドン、アモリ人など、イスラエル周辺の重要な敵対国 ゴメルとかマゴクとか遠くの北方民族の国
王仁三郎 日本人、朝鮮人、満洲人、蒙古人、コーカス人、ユダヤ人 支那人、印度人又は小亜細亜やヨーロツパの一部に居る民族 アフリカ等に居る黒人族である。
シッチン 近東 アフリカ系 ヨーロッパとインドに広がる、アナトリアとコーカサスのインド・ヨーロッパ系の人
事典 西アジア・アラビア半島・北アフリカに分布するセム語系の言語を話す諸民族の総称。アラビア人・エチオピア人・ユダヤ人 アフリカの東部・北部に住み、ハム語に属する言語を用いる諸民族の総称。
 

以下Wikipediaより引用。

コーカソイドとは人種のひとつ。肌は白く、顔の彫りが深く、鼻が高い。主に「白人」を指すと思われている。ちなみにインド人は、その肌の黒さのため、しばしば黒人と勘違いされるが、実際は歴史時代の初期に流れ込んだアーリア人であり、コーカソイドに分類される。またトルコやイラン、アラブ諸国に住む人々も、人種的にはコーカソイドなので、一概にコーカソイドが白人とは言えない。また、中央アジアでは、その歴史的背景からモンゴロイドとの混血が進んだ。

王仁三郎はコーカス人=セム、印度人又は小亜細亜やヨーロツパの一部に居る民族=ハムとしています。
ここでは、コーカス人=コーカソイドの意味ではなく、たぶん、ハム人が白人のような気がするのですが、どうでしょうか?この解釈によって物語の意味が違ってきますので、慎重に考えるべき問題です。

物語36巻では、白色人種と、有色人種、コーカス人種を区別しています。

物語36-1-1 1922/09 海洋万里亥 二教対立

 釈迦はこの島より仏教を、印度、西蔵、安南、シヤム、支那、朝鮮と、その教勢東漸して、つひに自転倒島の我が日本国にまで、その勢力を及ぼしたのである。仏教は概して、有色人種もまた、仏教の感化を受けたこと最も大なるものがあつた。


3.ハムとセム

15巻第1章

(区切り狭依彦)

千早振る遠き神代の物語   常夜の闇を晴らさむと
ノアの子孫のハム族が    中にも強き婆羅門の
神の御言は常世国      大国彦の末の御子
大国別を神の王と      迎へまつりて挨及の
イホの都に宮柱       太しく建てて宣り伝ふ
その言霊はかすかにも    この世の瀬戸の海越えて
希臘 伊太利 仏蘭西や   つひに進みて小亜細亜
メソポタミヤの顕恩郷    ここに根拠を築き固め
次第しだいに道を布き    更に波斯を横断りて
印度を指して進み来る    エデンの河を打ち渡り
ハムの一族ことごとく    顕恩郷を中心に
婆羅門教を開きける     

              セムの流裔(ながれ)と聞こえたる
コーカス山の神人は     婆羅門教を言向けて
誠の道を開かむと      広道別の宣伝使
太玉の命を遣はして     顕恩郷に攻めて行く
奇しき神代の物語      十五の巻の入口に
述べ始むるぞ面白き。

(一部略)

八頭八尾の大蛇、悪狐の邪霊は、コーカス山の都を奪はれ、したがつてウラル山、アーメニヤ危険に瀕したれば、ウラル彦、ウラル姫は、遠く常世国に逃れ、ここに大自在天大国彦の末裔大国別、醜国姫の夫婦をして、埃及のイホの都に現はれ、第二のウラル教たる婆羅門教を開設し、大国別を大自在天と奉称し、ここに極端なる難行苦行をもつて、神の御心に叶うとなせる教理を樹立し、進んでメソポタミヤの秀妻の国に来たり、エデンの園および顕恩郷(めぐみのさと)を根拠としたりける。それが為に聖地エルサレムの旧都に於ける黄金山の三五教は忽ち蚕食せられ、埴安彦、埴安姫の教理は殆ど破壊さるる悲境に陥りたるなり。
  茲にコーカス山に坐ます素盞嗚神は、日の出神、日の出別神をして、ハム族の樹立せる婆羅門教の邪神を帰順せしめむとし給ひ、霊鷲山より現はれたる三葉彦命の又の御名広道別の宣伝使太玉命は、松代姫をコーカス山に残し、夜を日に継いでエデンの河上に現はれ、エデンの花園を回復して根拠とし、ハム族の侵入を防がしめむとし給ひ、太玉命は安彦、国彦、道彦の三柱と共に、エデンの園に宮殿を造り、ハム族の侵入に備へ居たり。されど河下の顕恩郷は遂に婆羅門教の占領する所となり了りぬ。ここに太玉命は、その娘照妙姫をエデンの花園に残し置き、安彦、国彦、道彦を引連れて、顕恩郷の宣伝に向ひたり。この安彦と云ふは弥次彦の改名、国彦は与太彦の改名、道彦は勝彦の改名せし者なり。

ハム族の移動

(1)ウラル彦、ウラル姫

アーメニヤ、ウラル山 => コーカス山 => 常世国

(2)大国別、醜国姫

常世国 => エジプト(イホの都) => エデンの園 => 顕恩郷
            ↓
             => ギリシャ => イタリア => フランス

(2)の動きは、エジプト->バビロン->メソポタミヤの順で移動していったユダヤ人の動きとも考えられますが、下の分派の動きを考えると、そうではないようです。また、現代の動きと考えることもできますが、古代のことと考える方が自然でしょう。

(狭依彦の独自の考え)
ハム族は白人系のアーリア人であると思います。
ギリシャだけが不明ですが、この流れは、デヴィッド・アイクの言う、ブラザー・フッドの移動と重なり合っています。
ということは、バラモン教は、ブラザー・フッドの教える教えで、色々な宗教の原点になったものです。

セム族とハム族の対立

ここで、三五教の中心はセム族であり、バラモン・ウラル教の中心はハム族であることが語られています。
ただし、三五教の宣伝使は、ウラル教、バラモン教からの転向者が多く、三五教はセム族であると言い切ることはできないと思います。



第1版 2004/11/18
第1.1版(一部修正)2015/01/02



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