王仁三郎とユダヤ

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1.はじめに

2.日猶同祖論(宇野正美氏)

3.泉田瑞顕氏と中矢氏

4.同祖論概観

5.『新月の光』から

6.物語64巻 日猶同祖論的表現

7.64巻の検討

8.その他資料のユダヤ関係

9.12の流れ

10.マツソン・フリーメーソン・石屋

11.まとめ


1.はじめに

霊界物語の64巻上には、日猶同祖論のような表現が見受けられ、また、大正10年の第一次事件前の文献には、マッソンという言葉が使われているところがあります。

また、『新月の光』には、ユダヤ関係の話がいくつか出ており、フリーメーソンについても不思議な話が一つあります。

このテーマを考察する際に大切なのは、その時代に立って考えるということです。

例えば、今、我々は宇野正美氏のユダヤ論を知っています。また、王仁三郎ファンであれば中矢氏のユダヤ論にもなじんでいるでしょう。しかし、それは、現在のものなのです。それを忘れて、王仁三郎を読むと、混乱して、王仁三郎の先見性も分らなくなります。

後で詳細に述べますが、例えば、王仁三郎は日猶同祖論を唱えていますが、王仁三郎の時代の同祖論は「反ユダヤ主義」ではなかったのです。「反ユダヤ主義」(広い意味での)と同祖論が結びついたのは、1990年代と、ごく最近のことなのです。


2.日猶同祖論(宇野正美氏)

まず、現代の日猶同祖論を概観しておきます。

日猶同祖論では宇野正美氏が有名でしょう。私も下記の本を読みました。ところが、下記の本を読むときに注意することは、王仁三郎は大正時代、宇野氏は昭和の終りから平成時代ということです。最初、私も、このことに気付かず、王仁三郎と宇野氏の書かれた日猶同祖論とを比較していました。

宇野氏の主要な著作を時代順に見てみましょう。

(1)宇野正美『ユダヤがわかると世界が見える』日本文芸社 1986年4月

この本では日猶同祖論は出てきません。

●ユダヤ人はシオン議定書に書かれているように世界を支配しようとしている。
 すべてのユダヤ人が悪いのではなく一部が悪い。
●アメリカの政治・経済はほとんどユダヤ系に握られている。

(2)宇野正美『古代ユダヤは日本に封印された』日本文芸社 1992年12月
(3)宇野正美『古代ユダヤは日本で復活する』日本文芸社 1994年11月

●日本は単一民族国家ではなく、多民族国家である。古代ユダヤから失われた10部族が、スキタイによって連れてこられて、日本の民族の一つになった。同じアジア系であるので顔などは似ている。
●古代ユダヤ語で民謡が解ける。東北にキリストの墓がある。(古くから言われている)
●天の橋立にある元伊勢の籠神社ではある人が「籠神社で祭られている豊受大神は古代イスラエルの神である」と明言した。
●古代ユダヤの契約の箱が日本に来ている。ユダヤの一族が居住していた四国の剣山に隠されている。
●隠されたユダヤ一族は将来復活して世界の希望となる。
●天皇家とユダヤの一族とは関係がある可能性がある。
●聖書に出てくる古代ユダヤ人(スファラディ)はセム系の民族である。現在、ユダヤ人と言われている白人系の人々(アシュケナージ)は、カザール人の子孫である。カザール人はカスピ海周辺に住んでいた民族で、8世紀に王から奴隷に至るまで、国をあげてユダヤ教に改宗した。12世紀に元が侵入して、帝国を捨て、ロシア北部に定住した。

宇野氏の同祖論は、戦前の同祖論と比較して、最後のカザール人の話が加わっています。
宇野氏がアーサー・ケストラーの本を訳しており、その訳者序に、それまでは、ユダヤ人は一種類だけだと思っていたが、ケストラーの本ではじめてカザール人のことを知ったと書かれています。ということは、カザール人論は、アーサー・ケストラーから始まったということです。

ケストラーの原書『ユダヤとは何か』は1976年に出版となっています。
宇野氏が翻訳して、『ユダヤ人とは誰か―第十三支族・カザール王国の謎』で出したのが1990年。
日本では、それまでは、良いユダヤ人・悪いユダヤ人と分ける反ユダヤ主義はあったとしても、ユダヤ人を2つに分けて考える同祖論はなかったのはないでしょうか。 


3.泉田瑞顕氏と中矢氏

ここでは、大本裏神業系の泉田氏と中矢氏をとりあげますが、「ユダヤ人は……」という表現を見るためのもので、狭依彦は、泉田氏=「わからない」、中谷氏=「信じられない」、との立場です。

泉田瑞顕氏『出口王仁三郎の大警告』(心交社 1987年)で次のように述べています。

「悪魔の霊的集団と、ユダヤ人の人間集団とは、存立の次元が全然ちがう」(P.59)

「フリーメーソンを道具に使っているアメリカの地下政府は、ユダヤ人ではなくてオロシヤの悪神即ち悪魔(サタン)である。若しかりにその“見えざる政府”の中枢が、ユダヤ人で構成されているとしても、そのユダヤ人は体主霊従的悪魔の使途であって、純粋なユダヤ神教の信奉者ではない。」(P.75)

「伊都能売神諭には、この悪魔の大将のことを「ガガアル」の悪霊と示されている。ユダヤ人の各国にある地下政府組織を「ケヒラ」という。このケヒラは地球上の各地にあるが、その最強最大のケヒラは、現在アメリカのニューヨークにあるケヒラといわれている。そのケヒラを牛耳っている陰の帝王が即ち「ガガアル」である。」(P.75)

この書では、泉田氏は「ユダヤ人は…である」という言い方はしていません。また、カザールとガガール、かなり似ている言葉ですが、泉田氏は-ユダヤ人には二種類あるという「セファラディとアシュケナージ」またはカザールの概念は使っていません。また、当然イルミナティという言葉・概念も出てきません。

また、同祖論に関しては、騎馬民族流入説をとり、侵入した扶与族(元遊牧民族)が、行方不明となったイスラエル民族の十支族としています。

これまで、私は、この論考を書くまでは、この本の意味はよく理解できませんでした。中谷氏の説を概観するために、この本を開くと、64巻についてもこれから私が論及しようとしているところが引かれている。この書は、王仁三郎から出発していると考えられるので、王仁三郎を信奉する者は、裏神業であると避けずに、検討する必要があるのではないかと感じます。

中矢氏

『ユダヤの救世主が日本に現われる』(徳間書店 1992年

ここでは、カザール人論が取り入れられています(P.132)
話の中心は、日猶同祖論です。言い回しは「ユダヤ人は……」と言う言い方が多くなっています。

『日月神示 艮の戦』(徳間書店 1993年

ここでは、石屋=イルミナティ となっており、「ユダヤ人は……」と言う表現はほとんど出てきません。
「ユダヤ教徒は…」などという表現を使っています。


4.同祖論概観

王仁三郎を考えるためには、昭和10年までの同祖論を概観する必要があります。それ以後は、『新月の光』の発言以外は王仁三郎は発言していません。

同祖論の代表的な文献

1908年(明治41年)「太秦を論ず」佐伯好郎  関連サイト

1
911年(明治44年)「世界的研究に基づく日本太古史」木村鷹太郎 (別項で詳しくとりあげます)

1928年(昭和 3年)「橄欖山上疑問の錦旗」「天孫民族と神選民族」酒井勝軍 関連サイト 年譜

1930年(昭和 5年)「日本及び日本人の起源」小矢部全一郎

1933年(昭和 8年)「聖書より見たる日本」 中田重治  関連サイト


『ユダヤ人陰謀説』(デヴィッド・グッドマン/宮沢正典 講談社)による概観

佐伯好郎、小矢部全一郎、中田重治が同祖論を唱えた主な人物。
この三人は親ユダヤでした、上にあげた人物で反ユダヤは酒井勝軍だけ。

佐伯好郎は「秦氏はユダヤ人説」を唱えた学者です。早稲田の法学部を出て、トロント大学で学んだ。洗礼を受けたキリスト教徒だった。「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という立場だった。

小矢部全一郎は「ジンギス・ハンは源義経」説で有名。エール大学で神学博士号を得た。「日本人と天皇はユダヤの子孫」という説を唱え、「キリスト教の原理と神道の原理は同じである」と言っている。ユダヤ人をアジア人とみなし、「西洋人がアジア人を排斥するのは間違いである。われわれがかれらを真似て、ユダヤ人を差別するのもまちがいである。なぜならユダヤ人は日本人と人種も文化も同じだから、そんな行いは、大アジア主義をすてて、アジアを死に導くことを意味する」と言っている。

中田重治もアメリカで学び、ホーリネス教会を設立した。彼の説は「日本民族の救済はユダヤ民族の救済と分かちがたく結びついている」というもので、「神に選ばれた日本の使命として、大陸を征服して、ユダヤ民族を救え」と軍国主義を肯定していた。

同様な考えを持ったものに、『日本ヘブル詩歌の研究』を著した川守田英二がいる。

彼らは皆、アメリカで学んだキリスト教徒であり、日本にもアメリカにも帰属していない境界的な存在だった。彼らは、日本人とユダヤ人は祖先が同じだから日本は神国であるというナショナリズムを神学を持ったといえる。これは、かれらにとって、キリスト教徒と日本人であることを両立させる企てだった。

内村鑑三の無教会主義と同様に、同祖論は西洋文化を回避し、西洋の宣教師たちの権威をくつがえす試みであった。


同祖論を扱ったサイトの一部  批判的なものも含む

原田実氏の説

同祖論を扱ったサイト(1)

同祖論を扱ったサイト(2)

同祖論を扱ったサイト(3)

同祖論を扱ったサイト(4)


反ユダヤ主義

『ユダヤ人陰謀説』(デヴィッド・グッドマン/宮沢正典) 講談社

反ユダヤ主義は、1918~22年のシベリア出兵がきっかけとなって、『シオン賢者の議定書』が日本に紹介されたことが発端となっていた。

当時、議定書は、シベリア駐屯の白ロシア人とウクライナ兵士の必読書として配布されていた。それを日本兵がもらって帰った。樋口艶之助や安江仙弘が紹介した。(この安江という人物はその後、軍でユダヤ問題とかかわりを持ちます。ユダヤ人を満州に定住させようという「河豚計画」とも関係があります。)

議定書の描く内容は、日本に以前からあった「キリスト教排外思想」とよく似たものだったので、日本人の中には受け入れる者が多く、敵がキリスト教からユダヤ人に変った。 

酒井勝軍は、シベリア出兵、国粋主義、反ユダヤの典型であった。彼は、アメリカの中田重治と同じくムーディ聖書学院で学び、はじめは新米で、民主主義と平和を支持していた。しかし、シベリアに行った後は、国粋主義に傾いた。1924年には議定書にもとづいた反ユダヤ書を三冊出版している。酒井は反ユダヤ主義の思想を表明していたが、ユダヤ人のパレスチナ帰還運動であるシオン運動に賛成していた。また、日猶同祖論を唱えていたが、反ユダヤであった。その理由は、「日本人こそはユダヤ人を指導する立場にあるからだ。それなのに、日本人は外国にあこがれるばかりで、(ユダヤの)大陰謀の黒い手がわが国にのびてきているとこに気がついていない」、「敵であるユダヤ人を撃退したあかつきには、地上に神政復古を完成するために、彼らと協同するとことができる」と考えた。

反ユダヤ主義は、1920年代には一握りの極端な思想家たちの特異な考えにすぎなかったが、1940年代には超国家主義のれっきとした一部分に昇格していた。

例えば、吉野作造は1920年代に、議定書を批判している。また、樋口、安江、酒井などの反ユダヤ主義者は、自由主義者や保守主義者の良心的な人々から批判されもした。

日本がヒットラーを支持して、反ユダヤに傾くのは、1935年(大本第二次弾圧の年)を境としている。


5.『新月の光』から

王仁三郎が直接ユダヤについて語ったものとしては、『新月の光』にとりあげられた話があります。

ユダヤについて述べたところ。

上P.193 
 昭和7,8年頃、聖師様が「天風海濤」と書かれました。その頃、琵琶湖があれて舟が転覆したり水が赤くなったりしたことがありました。聖師様は「ユダヤの竜神と日本の竜神との戦いであった。江州はユダヤの型でここが開けんと世界は開けん。宣伝歌を歌って、琵琶湖を一周するように」と教えられました。

上P.356
 ユダがしばらく世界を統一する。それから○○の番だ。
(昭和17年)

下P.116
 ユダヤ問題が判らぬと駄目だぞ。王仁の文献にはユダヤのことを悪く書いたところないやろ。
(昭和18年)

下P.116
 昭和18年大本農園にて、内海健朗氏がユダヤのことをいろいろ申しますと「王仁はユダヤのことを悪く書いたところはない。これを読め」と『霊界物語』第64巻(校訂本では64巻上)を示されました。
(昭和18年)

下P.120
 キリストが青森県に来ているというのは、実は弟のことである。実際のキリストは○○であって、滑稽諧謔口をついて出るという面白い人間であったから、女郎などまで救う事が出来たのである。今のキリスト教徒は誤解しているのである。
(昭和18年) これはキリストの話であるが日猶同祖論との関係

下P.150 艮の金神とユダヤ
 ユダヤは神の選民で、艮の金神が道具に使っていられる。ユダヤは悪に見せて善をやるのや。ユダヤは九つのしるしあるものを探しているのだ。ユダヤは十八階級のうち一階級三人。二階級十八人。三階級三十六人。日本人でもユダヤに這入っているが、十二階級以下である。一階級上のことは全然判らぬから、最高幹部の考えていることは判らぬ。ユダヤの仕組で十六魔王を戦争で戦いぬかして倒してしまう。東条も十六魔王のうち。
 王仁が白紙委任を頂くようになってから、天国の姿の通り移して制度を日本に立てるのだ。ユダヤの最高幹部やこちらは判っているから出来上がったら、この仕事は艮の金神様の仕事やと王仁は証明するだけや。艮の金神様が天の大神様から勝手にやれとまかされたのやと思うのや。わしらは今から思うと笑いがとまらぬ。水も漏らさぬ仕組とはよく言ったものだ。イスラエル民族の十二の支族のうち十一は外国にある。日本にも一つの流れがあるが変質しているから本当のは少ない。
(昭和十九年四月十日一)

下P.183 天孫民族とユダヤ
 ユダヤということは、神命奉仕者ということで、神様から選ばれたのだから神の選民なのだ。イスラエルというのはユダヤと同じ事。天孫民族とは全然違う。日本は天孫民族だから選民とは違うんや。直系や。ユダヤ人の三分の一は良いので三分の二は○いので、これがフリーメーソンをやっているのである。今の戦はこれがやっている。イスラエルの十二の支族は選ばれたのや。一番いいのが日本へ来ているので日本民族だ。
(昭和19年6月9日)

■フリーメーソン関係

上P.363
 大本第二次事件の予審調書がフリーメーソン本部に入ったから、もう大本は大丈夫だ。
(昭和17年)

ここで考えなければならないのは、「王仁の文献にはユダヤのことを悪く書いたところないやろ」、「ユダヤは悪に見せて善をやるのや。」、「ユダヤ人の三分の一は良いので三分の二は○いので、これがフリーメーソンをやっているのである」という言葉です。

この言葉から想像できるのは、次のことがらです。(3)の可能性も捨てがたい。

(1) 王仁三郎は反ユダヤであるが、ユダヤ問題をぼかして逃げていた

(2) 良いユダヤと悪いユダヤ(フリーメーソン)があり、日猶同祖論から言って、日本は良いユダヤと関係がある。
 王仁三郎は親ユダヤである。

(3) 王仁三郎・大本がフリーメーソンの一員であった。

文献を見ると、第一次大本事件の時には、大本は反マツソン(フリーメーソン)であったように思います。
そして、第一次事件の後に、王仁三郎は文献のマツソンという字をほとんど削ってしまいますが、それでも、一部マツソンという言葉が使われています。


私(狭依彦は)、デーヴィッド・アイクに出会うまではフリーメーソン=ユダヤが自分の中で常識のようになっていました。

今は、フリーメーソン≠ユダヤであり、「フリーメーソン(マツソン)は ユダヤの一部 白人の一部 日本人の一部 ○○人(すべての人種)の一部を含む」と考えています。

また、フリーメーソンは表向きは世界的な結社であり、アメリカでは「メーソン人口約200万人。成人男子約5000万人のうち、白人系の4000万人の20人に1人がメーソン」というような現状だそうです。

これを考えると、フリーメーソンはやはり世界の上流階級の社交クラブのようなものと考えるほうがよさそうです。

そこで、フリーメーソンの会員は自覚していないが、その会員の一部だけがコンタクトできる、フリーメーソンを操る秘密組織を考えるべきかも知れません。それを、デーヴィッド・アイクのように、イルミナティと呼びます。

すると、ユダヤ≠フリーメーソン≠イルミナティとなります。


6.物語64巻 日猶同祖論的表現

それではまず、物語64巻からみてみましょう。  64巻資料集 <= ここで取り上げる原文全部

ここでは『新月の光』の次の文章を中心に考察します。

昭和18年大本農園にて、内海健朗氏がユダヤのことをいろいろ申しますと「王仁はユダヤのことを悪く書いたところはない。これを読め」と『霊界物語』第64巻(校訂本では64巻上)を示されました。

物語64巻上は、何も考えずに読むと、日本に救世主が登場しているがそれはユダヤ人が待ち望んでいたものと同じだ、という日猶同祖論と同様の主張となると思います。そして、その部分ばかりに目がゆくので、64巻上は日猶同祖論だと思ってしまいます。

日猶同祖論的な部分

1章

その方も東方の星とか、メシヤが日出島より再臨するとか申して、夢幻の境遇にさまよふ馬鹿者、この方の託宣を耳を洗つて謹みて承れ。

汝の四十年来待ち焦れてゐるメシヤと称するものは、無抵抗主義を標榜せる瑞の御霊と申す腰抜人物だ。

5章

『しかし今日のユダヤ人にお任せにならむが為に、数千年前からこの美はしい使命を与へて選民たるの資格を備へしめむとして、四十年間三百万の人間を苦しめ給ふたのです。三百万の者が飲むに水無く、食ふに食物の出来ない所で、あるひは親が死に子が死に、何代も続いて四十年間苦行を嘗めさせ玉ふたのも、イスラエル帝国の国民性を養はむがための御経綸であつたのだと考へらるるのです』
猶太人が現はれて世界を統一した時において、凡ての異教国の人民に対して復仇的態度に出づるやうなことはありますまいかなア』
『多くの同胞の中には左様な考へを持つてゐる者があるかも知れませぬが、イスラエル人は比較的善良な民族ですから、一時はたとへ過激な行動に出づるやも知れませぬが、何といつても神に従ふ心が深いのですから、誠のメシヤが判りて来ましたら、きつと其の命に従ふものだと吾々は国民性の上から判断をいたしまして、メシヤの再臨を待ち望んでをるのでございます。そして猶太人は世界を統一してシオン帝国を建設する事があつても、自ら帝王に成らうなぞとは夢想だもしてをりませぬ。ただ聖書の予言を確信し、メシヤは東の空より雲に乗りて降臨すべきもの、また吾等の永遠に奉仕すべき帝王は日出の嶋より現はれ玉ふべきものたることを確信してをりますよ。イスラエル民族はこの信仰の下に、数千年間の艱苦や迫害を忍んで来たのですからなア
『私はそのメシヤも帝王もみな高砂島にチヤンと準備され、数千年の昔から今日の世のために保存されて在るといふことを信じてをります。一天一地一君の治め玉ふ仁慈の神代は既に已に近づきつつあるやうに思ひます。しかしそれまでには、如何しても一つの大峠が世界に出現するだらうと思ひます』

メシヤと帝王と別物のように書かれていますから、
メシヤ=王仁三郎、帝王=天皇。
これは、検閲への予防線、もしくは検閲に引っ掛かるように書いた。

8章

『いかにも救世主を現はしたこのパレスチナの聖地は偉大です。いな荘厳味が津々として湧くやうです。再臨のキリストを出した綾の聖地もまた、偉大といはねばなりませぬわ

11章

いづれ日出島から救世主が降臨になれば、上下運否のなきやう桝かけ引きならして、おれ達までも安心さして下さるのだからなア

15章

15章は後で取り上げますが、全章、日猶同祖論というところで、予言も入っていると思われます。

この日出島とパレスチナとは何か一つの脈絡が神界から結ばれてあるやうに思はれます。一方は言向和すをもつて国の精神となし、征伐侵略などは夢想だもせざる神国であり、二千六百年前に建国の基礎が確立し、ユダヤはまた前に述べた通り二千六百年前に国を亡ぼし、そして今やその亡国はやうやく建国の曙光を認めたぢやありませぬか。私は屹度このエルサレムが救世主の現はれ給ふ聖地と固く信じ、万里の海を渡り雲に乗つて神業のために参つたのでございます。

64巻を読む人は、たぶん、上の表現と予言の部分に目がゆくと思います。私が最初に考察した時もそうでした。
ところが、最近、私は「王仁三郎はなぜ、そんなに、自分を救世主だ救世主だと大きな声で言うのだろう」という疑問を持っています。

信者の人は、64巻を読むときに上の部分を読んでありがたがるかも知れない。非信者の我々は、この部分が目に入るので、「64巻なんてたいしたことないじゃない。日猶同祖論さ」と思ってしまう。

次の節では、試みに、日猶同祖論の部分を無視することにして、「ユダヤのことを悪く書いたところはない」かどうか検証してみましょう。


7.64巻の検討

後で気が付いたのですが、次の読み方は、、泉田氏が『出口王仁三郎の大警告』でやっているのとほぼ同じです。
しかし、私も、独自に気が付いたと思うので自分の意見として出しておきます。

緑の字は、同祖論とは違う個所。茶色の字が同祖論(メシア待望)です。
 

物語64上-1-11923/07 山河草木卯 橄欖山

 エルサレムの郊外にアメリカン・コロニーといふ宏壮な建築物があつて、雲を圧して聳え立つてゐる。今より四十年ばかり以前に、アメリカからスバツフオードといふユダヤ人は十数名集まつてゐる。
 創立者の子息スバツフオードは熱烈な信仰者で、マグダラのマリヤといふ猶太人は、この神の広い教旨を聞いてゐるにかかはらず、民族的偏見に囚はれ、彼等は特有な、いい意味のヂレッタント的の性質からこの域まで深く達し得る者の少ない
のに、かれ団体員は神意を克くも体得し、抱擁帰一博愛平等の大精神を有してゐる公平無私な態度には、感歎せざるを得ないのである。
  ○
 スバツフオードは朝早くから、一間に立て籠り熱心に神の宣示を祈つてゐる。そこへマグダラのマリヤが、少し顔色を赤らめながら忙がしげに走り来たり、両手を突いて、
『聖師様、妾は何だか昨夕から身体の様子が変つて来たやうでございますが、一つ何神の
神がかりなりや、ただしはサタンの襲来なりや、厳重なる審判神をしていただきたうございます』
 聖師はマリヤを一瞥して、眉をひそめながら、
『なるほど、あなたは御様子が変ですよ。どうれ、私が及ばずながら審神者を勤めさしていただきませう。ずゐぶん強烈な感じ方ですわ』
 マリヤは、
『何分よろしくお願ひ申し上げます』
と言つたきり、聖師の前に座を占め両手をキチンと胸のあたりに組合せ、
『この方は
大黒主の神、八岐大蛇の守護神であるぞよ。汝スバツフオード、よつく聞け、メシヤの再臨を夢想して、今日まで殆ど四十年間数多の愚人を誑惑し来たつた横道者奴、メシヤなぞがこの聖地に降つて何になるか』
『これは怪しからぬ。汝は今自白いたした八岐大蛇の化神悪神の張本、わが言霊の神剣の威力を知らぬか』
『アハハハハ、今この方が憑依してゐるマリヤなるものは、汝と同様に無智迷矇の婦人、到底度し難き代物なれども、憑るべき身魂なきゆゑに、不満足ながらもこの方が御用に使つたのだ。この婦人は
ユダヤの生れ、神の選民と申して威張つてゐるに由つて、懲しめの為この肉体を臨時苦しい用に使つたのだ。その方も東方の星とか、メシヤが日出島より再臨するとか申して、夢幻の境遇にさまよふ馬鹿者、この方の託宣を耳を洗つて謹みて承れ。今より三千年以前に、パレスチナの本国を他民族に奪はれ、世界到る処において虐げ苦しめられ、無籍者のくせに吾々は天の選民なりと主張し、メシヤを待ち望みてゐるではないか。左様な根拠もなき妄想にふけるよりも、心を改めてこの方の言葉を承り、汝ら民族のために全力を尽す心はなきや』
『現代のごとき常闇の世となれば、到底今日までの宗教や政治の行り方では駄目だから、吾々は大聖主メシヤの再臨を待つてゐるのだ。
聖書の中にも、吾々猶太民族が天下を支配すべき神権を保有することは明らかに示されてある。ゆゑに吾々はこの予言の実現すべきことは確信してゐる。然しながら、この世界は神の保護を離れては無事泰平なることは出来得ない。ついては超人間的の大偉人すなはちメシヤが現はれなくては如何とも成すことは出来ない。それゆゑに吾々は神を信じ神を愛し、何事も惟神に任せて行動してゐるのだ。汝いづれの魔神かは知らねども、吾々の信仰に対して妨害を加へむとするか。悪神の覇張つた世の中は今までの事だ。今日はもはやメシヤ再臨の時期に近づいたのだから、悪神の出て威張る時ではない。一時も早くマリヤの肉体より退出いたせ』
と威丈高に詰問すれば、マリヤの憑霊は大口開けて高笑し、
『アハハハハ愚なり汝スバツフオード、
汝の四十年来待ち焦れてゐるメシヤと称するものは、無抵抗主義を標榜せる瑞の御霊と申す腰抜人物だ。この方の幕下の神のために散々に苦しめられ、聖場を破壊され、身の置き所を失つて仕方なしに、このパレスチナの国へ逃げ来たらむとしてゐる狼狽ものだ。手具脛ひいて待つてゐる大黒主山田颪のこの方の繩張内へウカウカ来たる大馬鹿ものだ。左様なものをメシヤと称して待つてゐるその方等の心根が可憐しいわい。アハハハハ、とかく現世は権力と金の世界だ。黄金万能主義だ。世界の富を七分まで占領いたしてゐるユダヤの元の聖地を取り返したのも、皆この方が経綸の現はれ口、サアこれよりは山田颪様の天下だ。汝等も今の間に改心いたしてメシヤ再臨の妄想を止めないと、やがては呑噬の悔を遺すであらう』
吾々は国籍はたとへユダヤ人は真の神を忘れ汝ごとき邪神の幕下となり、体主霊従的行動をもつて、九分九厘まで世界を惑乱いたして来よつたが、もはや悪神の運の尽きだ。早く改心いたしたが良からうぞ』
『テモさても愚鈍な奴だなア。汝は愛国心のない大痴漢だ。
汝等の祖先は何れもキリスト教国に圧迫され、アラビヤの荒野に四十年の艱苦を嘗めた事を知らぬか。今までは彼のキリスト教国の天下であつたが、世は廻り持ちだ。何時までも持ち切りには為せられないぞ。今に山田颪の守るユダヤ民族の熱烈なる信仰力も皆この方の守護のためだ。アハハハハ』
『シオンとは日の下または日向といふ意味ではないか。日の下は神の国だ。その神の国は高砂島だ。神の国よりメシヤを迎へるのは当然ぢやないか。その方の言葉は実に自家撞着の甚だしきものだ。もはや吾々に用はない。早くマリヤの肉体より脱出いたさぬか』
『アハハハハ日の下とは即ちパレスチナのことだ。太陽は東より昇り、中天に来た所を日の下といふではないか。高砂島は東の国すなはち日の出島だ。世界の中心は太陽の真下だ。試みにパレスチナを中心として、約七千哩、八千哩の半径をもつて大きな円環を引き廻して見よ。八千哩東に当つて高砂島がある。西八千哩にメキシコあり、北六千八百哩に、ナウルエーがみな這入つてゐる。世界における国といふ国は皆この円環の内に這入つてゐる。かかる尊きパレスチナこそ世界の中心だ、日の下だ、日向の国だ。
ここに国を建てたのは即ちこの方の仕組だ。何を苦しみて、高砂島から雲に乗つて来るとかいふキリスト教の神を待つ必要があるか。馬鹿だのう』
と怒鳴り立てる。
 聖師は一生懸命に大神に祈願をなし、天津祝詞を奏上するや、さすがの大黒主山田颪も聖師の言霊の威力に打たれ、マリヤの肉体をその場に倒して逃げ去つてしまつた。マリヤは初めて正気になり、
『聖師様、妾には何だか憑依してゐたやうでございましたなア。善神でせうか、邪神でせうかなア』
『イヤもう、大変な元気な事をいふ神でございましたが、私の祈願によつて漸く貴女の体を退却しました。油断のならぬことになつて来ました。悪神の仕組もよほど進みてをりますから、吾々団員はよほどしつかり致さねばなりませぬ。しかしながら
誠の大神様が邪神と化つて、吾々の信仰をお試しになつたのではあるまいかと、俄かにソンナ気分になつて来ました』
『吾々はどこまでもメシヤの再臨を信じて父祖以来待つてゐるのですから、今になつて心を変へることは到底出来ませぬからなア』
『左様です。お互ひにその心でをりませう』
『聖師様、妾は何だか俄かに橄欖山へ登りたくなりましたから、ちよつと参拝して参ります。何だかメシヤ様に遇はれるやうな心持がいたしますから』
『あなたは平素から立派な霊感者だから、何か神様の御都合があるのかも知れませぬ。早く参つてお出でなさいませ』
『ハイ有難う。後はよろしくお願ひいたします』
といそいそとして軽装のまま、エルサレムの停車場へと、知らず識らず何ものにか引かるる心地して駅前に着きける。

緑の部分を抜き出してみます。

現われたのは、大黒主の神、八岐大蛇の守護神。

●メシア待望は根拠なき妄想である。

現世は権力と金の世界だ。黄金万能主義だ。世界の富を七分まで占領いたしてゐるユダヤ人は、大黒主の何れも幕下だ。世界のあらゆる強大国を片つ端から崩壊させたのは、皆この方の三千年来の経綸の賜だ。今にモ一つの高砂島を崩壊すれば、三千世界は大黒主山田颪の意のままだ。

ユダヤの元の聖地を取り返したのも、皆この方(大黒主山田颪)が経綸の現はれ口、サアこれよりは山田颪様の天下だ。

吾々は国籍はたとへユダヤ人は真の神を忘れ汝ごとき邪神の幕下となり、体主霊従的行動をもつて、九分九厘まで世界を惑乱いたして来よつた。

今までは彼のキリスト教国の天下であつたが、世は廻り持ちだ。何時までも持ち切りには為せられないぞ。今に山田颪の守るユダヤ民族が全世界を支配いたすのだ。

やうやくパレスチナの本国を手に入れた以上は、如何に天下広しといへども、もはやこの方の自由だ。シオン団の活動も、ユダヤ民族の熱烈なる信仰力も皆この方の守護のためだ。

高砂島から雲に乗つて来るとかいふキリスト教の神。

ここでは、はっきり、ユダヤ人を操っているのは、大黒主の神、八岐大蛇の守護神であることが示されています。


物語64上-1-3 1923/07 山河草木卯 聖地夜

現実のユダヤ人が描写されています。


物語64上-1-41923/07 山河草木卯 訪問客

ここは同祖論に立ったところでしょう。

メシアと帝王は別々のものとして描かれている。どちらも日本から生れると言っています。
素直に読むと、メシアは王仁三郎、帝王は天皇ということになるでしょう。

(前略)

 そこへ「御免下さい」と静かに声をかけて扉をたたいたのは、猶太人らしき品格の高い人好きのしさうな老紳士なりし。
『何れの方かは存じませぬが、まづお這入り下さいませ』
と自ら立つて快く扉を開いて吾が室へと迎へ入れる。
 老紳士はさも満足気にブラバーサの手を握つて、その顔を熟々ながめ、早くも両眼から涙さへ流しゐたり。
『貴師は何れの方でございますか。何となく懐かしくなつて参りました』
『ハイ、私はアメリカン・コロニーの執事でスバツフオードと申す瘠浪人でございます。昨夜はマリヤさまが、大変な失礼をしたので再びお顔を拝する訳にはゆかないから、私に一度、この僧院の二階の第九番に御逗留だから謝罪に行つて下さるまいかと大変に心配してをられますので、私はその御無礼のお詫びを兼ねて尊い貴師に拝顔の栄を得たいと存じ、朝早くからお邪魔をいたしました』
『アア貴師がマリヤ様と御一緒にコロニーを司宰遊ばすスバツフオード様でございましたか。よくマアお訪ね下さいました。サアどうか此方へ』
と椅子を進める。老紳士は、
『ハイ有難う』
と与へられた椅子に腰打ちかけ、香りの強い煙草を燻らし初めたり。
『マリヤ様は親切に聖地の案内をして下さいましたので、大変な便宜を得ましたのです。私の方からお礼に参らねばならないのですが、夜前突然お姿を見失つたものですから、ツイ失礼を致してをりましたが、コロニーへお帰りになつてをらるると承り、それで私もヤツと胸が落着きました』
『何分マリヤさまは霊感者ですから、時々脱線的行動を始められ、後になつて毎時も自分で心配をされるのです。コンナ事は今日に初まつたことではありませぬ。私はマリヤさまの弁解と詫役とにいつも使はれてゐるのです。アハハハハ』
『マリヤ様は途中において何物かを霊視されたのでせうか』
『話によれば、
貴師の眉間より最も強烈なる光輝が放出し、神威に打たれて同行することが出来なくなり、思はず知らず恐怖心に追はれて尊き貴師を見捨てて逃げ帰つたと申してをられました。私はコリヤきつと邪神の憑依だらうと思つて審神を行つて見たところ、案に違はず山田颪の悪霊が憑依してをりまして、貴師の聖地へ来られたことを大層恐れ、且つ嫌つてをるのです。悪霊の退散した後のマリヤ様は立派な方ですが、あまり貴師にすまないからと言つて心を痛め、私に謝罪に行つて来よとのことでございました』
『ハア決して左様な御心配は要りませぬから、どうか宜しくおつしやつて下さいませ』
『ハイそのお言葉を伝へますれば、マリヤさまも大いに喜ばれませう。昨夜貴師の御案内を為すべく、それも神示によつてコロニーを立つて行かれたのです。どうか聖師様、一度コロニーまで玉歩を枉げて戴けますまいか』
『ハイ有難うございます。是非是非お世話にあづかりたうございます。時にスバツフオード様
、イスラエル民族たる猶太人も三千年の艱苦を忍びてやうやく故国を取り還しましたねー。時節の力といふものは実に恐ろしいものですなア』
『ハイ有難う。私等もやつぱりイスラエル民族でございますが、やうやくにして自分の公然たる国が小さいながら立つやうになりました。
世界の三大強国がいづれも必死の勢ひでこのパレスチナを手に入れやうとして、つひには御承知の世界戦争までおつ初めたのですもの。それが放浪の民たる吾々民族のものに還つて来たといふのは全く天祐と申すより外はありませぬ。要するにメシヤ再臨の準備として、神様が吾々に国を持たして下さつたのだと思ひます
『地球の中心すなはちシオンの国ですから、独英米なぞの強国は欲しがるのも無理はありますまい』
独逸の造つたバクダツト鉄道や、英国の拵へたアフリカ鉄道、アメリカが拵へかけてゐるサイベリヤ経由の大鉄道も皆このパレスチナを目標としてゐるのですが、かうなる以上はこれらの大鉄道もまた、イスラエル民族たる吾々のために利用さるることとなつてしまひました。この鉄道さへ利用すればユダヤ民族が世界を統一し得ることは明白な事実であります。しかし今日のユダヤ人にお任せにならむが為に、数千年前からこの美はしい使命を与へて選民たるの資格を備へしめむとして、四十年間三百万の人間を苦しめ給ふたのです。三百万の者が飲むに水無く、食ふに食物の出来ない所で、あるひは親が死に子が死に、何代も続いて四十年間苦行を嘗めさせ玉ふたのも、イスラエル帝国の国民性を養はむがための御経綸であつたのだと考へらるるのです
猶太人が現はれて世界を統一した時において、凡ての異教国の人民に対して復仇的態度に出づるやうなことはありますまいかなア
多くの同胞の中には左様な考へを持つてゐる者があるかも知れませぬが、イスラエル人は比較的善良な民族ですから、一時はたとへ過激な行動に出づるやも知れませぬが、何といつても神に従ふ心が深いのですから、誠のメシヤが判りて来ましたら、きつと其の命に従ふものだと吾々は国民性の上から判断をいたしまして、メシヤの再臨を待ち望んでをるのでございます。そして猶太人は世界を統一してシオン帝国を建設する事があつても、自ら帝王に成らうなぞとは夢想だもしてをりませぬ。ただ聖書の予言を確信し、メシヤは東の空より雲に乗りて降臨すべきもの、また吾等の永遠に奉仕すべき帝王は日出の嶋より現はれ玉ふべきものたることを確信してをりますよ。イスラエル民族はこの信仰の下に、数千年間の艱苦や迫害を忍んで来たのですからなア
私はそのメシヤも帝王もみな高砂島にチヤンと準備され、数千年の昔から今日の世のために保存されて在るといふことを信じてをります。一天一地一君の治め玉ふ仁慈の神代は既に已に近づきつつあるやうに思ひます。しかしそれまでには、如何しても一つの大峠が世界に出現するだらうと思ひます
『なるほど、吾々も貴師と同意見です。天の神様がいよいよ地上に現はれて善悪正邪を立別け立直し玉ふは聖言の示したまふところです。一日も早く身魂を研いて神心になり、世の終りの準備にかからねばなりませぬ。そして高砂島からメシヤと帝王が現はれたまふといふ貴師のお説には私は少しも疑ひませぬ。サア長らくお手を止めまして済みませなんだ。如何です、一度アメリカン・コロニーまで御足労を願はれますまいか』
『ハイ有難うございます。然らばお言葉に従ひお供を致しませう』
と僧院の監督にその旨を明かしおき、老紳士の跡に従つてコロニーへと進み行く。
(大正十二年七月十日 旧五月二十七日 加藤明子録)


物語64上-2-61923/07 山河草木卯 偶像の都

現実のユダヤの風景が描写されています。


物語64上-2-71923/07 山河草木卯 巡礼者

この部分が王仁三郎の現実のユダヤ人に対する考えではないでしょうか。

 マリヤは再び寺院を辞して、ユダヤ人「慟哭の壁」を見に行かうではありますまいか。とブラバーサを顧みた。ブラバーサはあまり気乗りがせなかつたけれども、折角の案内でもあり、また一度は参考のために是非調べておきたいと思つたので、マリヤに一任して従いて行く。
 荒い大きい石で築き上げた壁の間を迷宮のやうに廻つて行くと、「神殿の広場」のふもとの丈の高い壁に突き当つた。石畳になつた路は壁に引添うて三十間ばかり走つてゐて、その先はピタツと行き詰りになつてゐる。その周囲は何となく恐ろしいやうな気味の悪い感じを与へる。ここで
ユダヤ人の祭典日には、老若男女すべての階級の人々が集まつて、その中の長老らしきものが、
 壊たれたる宮のために
と歌ふと群集は異口同音に、
 吾等はひとり坐して泣く
と答へて歌ふ
その有様は、実に物凄い感じを両人の心に与へた。また、
 毀たれたる宮のために
 潰えたる城壁のために
 過ぎ去りし偉大のために
 われ等は死せる偉人のために
 焼かれたる宝玉のために
といふ風に謡ふと群衆は同じやうに、
 われ等はひとり坐して泣く
と答へて涙をしぼつてゐる。
 壁にはユダヤ時代、ローマ時代、アラブ時代に築き上げられた部分が明瞭に見分けられて、一番下層の大石はユダヤ時代の物だと伝へられてゐる。それらの年代と人々の触接との関係とによつて非常に黒ずんで汚なくなり、その表面にヘブリユーの文字が無数に書き録されてある。またその大石には方々に沢山の釘が打ち込んであるが、これ等は諸国に散在してゐる信仰強きユダヤ人が、祖先の地を訪れて遥々とここに来た時に打ち込んだ釘で、それが石に確りと刺つてをればをるほど、神様が彼らを捕へてをらるることが確かだとの信仰に基づくものである。
 両人はここに停立して往時の追懐にふけつてゐた。
そこへ十二三人の人が集まつて来て、その壁に頭をつけて接吻し始め出した。ブラバーサはこの態を見て一種名状すべからざる感じに襲はれた。それは勿論宗教的のものでもなく、また憐愍や同情に由来するものでもなく、また普通のキリスト教徒のユダヤ人に対してもつてゐる反感から来たる応報的感じでは勿論ない。それは気味悪いほど根深いもので、たとへば執拗な運命に対する恐れとでも言つたら良ささうな本能的のものである。この光景を見た両人は、他の英米人のやうに微笑しながら平気で彼らの動作を見つづけたり、その光景を撮影したりするやうなことは到底出来ない悲哀に閉ざされてしまつた。一分間といへどもそこに立ち止まつて傍観するにたへずなり、仔細にその有様や壁などの歴史的構造にも注目してゐる暇なく、顔を背けてマリヤと共にその場を逸早く立ち去つた。
 ここは実にエルサレムにおける最も深刻味の湧いて来る場所である。「永劫のユダヤ人ばかりでなく、世界人類の大多数である。聖書の予言にかなはせむが為とはいへ、あまりに可哀さうだ。彼等はキリストの懐に帰つて罪の赦しを乞ふことなしに、何時までメシヤを待望して世界を放浪するのであらうか。

物語64上-2-81923/07 山河草木卯 自動車

茶色は同祖論。青は一般的な感想。

(略)

『有名なマヂの泉から発端として申し上げます。マヂの泉は一名マリアの泉といつてゐます。その前の名の由来は幼児キリストを拝すべく、星の導きを便りに遥々と尋ねて来た東方の博士らは、ここまで来てその星を見失ひ、途方に暮れてゐたところ、この井戸の水を汲み、疲労を癒やさむと立ち止まつた時に、案内に立つた星が泉の水に反映してゐるのを見付け、歓喜に充たされて彼らは再びこれに従つて進んだので、マヂの泉と称へられたといひます。第二の名は聖なる家族がベツレヘムの道にここに息つたと想像されるところから、マリアの泉と称へられたと伝はつてゐるのでございます。またこの丘を下る途中の右側の小石が無数に沢山ゴロついてゐる小豆の原がございますが、伝説によると、キリストがある時この場所をお通りになると、一人の野良男が畑で働いてゐたので、キリストがお前は今何を蒔いてゐるかと問はれたら、かの男は豆を蒔いてゐながら石を蒔いてをるのだと答へた、それから後収穫時になつて、彼の男は豆の代りに石ばかりを収穫しなければならなかつたといふことでございます』
高砂島にも空海の事蹟について石芋なぞの伝説もあります。すべて伝説といふものは、古今東西相似のものの多いのは不可思議といふより外はありませぬ。何かこの小豆ケ原にも神秘的の意味が含まれてあるのかも知れませぬから、伝説だといつて余り馬鹿にもなりますまいアハハハハ。時にマリアの泉に映つた星は、高砂島に今日も現はれて玉の井の水に影をうつし、万民の罪穢を洗ひ清めてをられます。私はこのマリアの泉のお話を聞いて、何となく崇高偉大なる瑞の御魂の聖主の俤が偲ばれてなりませぬわ。一度玉の井の水を汲み取るものは、直ちに天国の門に進み得る良い手蔓に取りつくことが出来るのです』
『ウヅンバラ・チヤンダー聖主が一日も早くこの聖地に降臨されて、霊の清水にかわいた吾々に生命の露の恵みを与へ玉ふ日が待ち遠しくございます』
『マリヤ様、有名なラケルの墓は何れの方面にございますか』
『ラケルの墓ですか。それはこの道端の小さい近代的の建築物でありますが、そこにヤコブが愛妻の亡骸を葬つたと伝へられてをります。それよりも美しい物語ののこつてゐるのはダビデの泉ですわ』
『その美しい物語を拝聴いたしたいものですなア』
『ある時ダビデが敵軍に取り囲まれ、疲れ果てて彼の故郷なるベツレヘムの門外にあるこの清泉の一杯の水を渇望して止まなかつた。ところが、忠実なる部下の一人がダビデのこの泉水を渇望してゐることを探知して、黙つて一人で出かけて非常なる危険を冒した後、やうやく少しばかりの水を汲んで帰つて来たのです。ダビデは部下のものが自分に対する真心の愛から、種々の危険を賭してこの霊水を汲み得て帰つて来たその辛苦を思ふて、その水をば一介の人間の飲み物にするには余り勿体ないから神様の供物にせむと、恭しく神に感謝を捧げた上大地にそそいでしまつた、といひ伝へてをります。信仰もそこまでゆかないと駄目ですなア』
『信仰の力は山嶽をも移す、とか申しまして、世の中に信仰心ほど強く清く、かつ尊いものはありませぬなア』
『左様です、信仰の力ほど偉大なものはありませぬわ。妾だつて三十の坂を越えながら未だセリバシー生活に甘んじてをりますのも、やつぱり信仰心のためですもの。
ベツレヘムの町が幾つもの丘の上に美しく位してをりますが、かれは世界における最も小さきものとしられてをります。しかしながら妾は決して小さきものとは思ひませぬ。なぜならば、信仰の対照物、いな御本尊なるエス・キリストを、イスラエル民族のみならず世界全人類救ひのために主を産み出しましたからです』
いかにも救世主を現はしたこのパレスチナの聖地は偉大です。いな荘厳味が津々として湧くやうです。再臨のキリストを出した綾の聖地もまた、偉大といはねばなりませぬわ
『この聖地には近代的の教会やホスピースや僧院が諸所に沢山建つてをりまして、まだ古い古いユダヤ人街が彼方こちらに残つてをりますので、妾はそこを通行する度ごとにキリストの当時を偲ぶのでございます。アレあの通り、往来の真中に駱駝が呑気さうに寝そべつて噛みなほしをやつてゐます。サアこれから車は止めにして、徐そろテクルことにいたしませうか。自動車で素通りばかりいたしましても余り有益な見学にもなりませぬからなア』
 ブラバーサは何事も一切マリヤに任してゐたので、いふがままにマリヤの後から従いて行くのであつた。
二人は後になり前になりしながら道を行くと、相貌の品の良いユダヤ人に幾人も出逢ふた。ブラバーサは心の中にて、
『なるほど、イスラエルの流れを汲んだユダヤ人崇敬の気分が頭を擡げて来さうだ。
そして神の独子と称するキリストの聖跡を尋ねてゐる自分は、層一層、神様より重大なる使命を与へられてをるやうだ』
と心に種々の感想を抱いてゐる。

物語64上-2-91923/07 山河草木卯 膝栗毛

ユダヤの歴史と現実的な風景が描写されています。


物語64上-3-111923/07 山河草木卯 公憤私憤

ここでは回教徒の立場から書かれていますが、ユダヤ人を悪く言ったところはありません。

また、「ユダヤ人にも種々ある」と書かれています。

 夏風に青葉のそよぐ橄欖山の頂上に、三人のアラブが立つて雑談に耽つてゐる。キドロンの谷からは白い煙のやうな雲がしづしづと橄欖山上目がけて襲ふてくる。ユダヤ人の計画したシオン大学の基礎工事はほとんど落成に近付き、樵夫や大工や手伝が幾十人となく忙がしげに活動を為しゐたり。
 アラブはテク、トンク、ツーロといふ三人である。
テク『オイ、吾々は回々教のピユリタンとして朝夕忠実に神に仕へ、そして僅の賃金をもらつて異教徒の頤使に甘んじ、駱駝のやうにこき使はれてゐるのも、あまり気が利かぬぢやないか。
たうとうユダヤ人は一弗の俸給を貰ひ、おれ達は半弗よりくれやがらぬのだから……本当に亡国の民になりたくないものだなア
ツーロ『
何といつても仕方がないサ、強い者の強い、弱い者の弱い時節だからなア。ユダヤ人だつて、二千六百年が間、亡国の民として今まで苦しんで来たのだから仕方がないよ。チツとは威張らしてやつてもよかろ。なア、トンク』
トンク『彼奴ア、世界統一を夢みてゐやがつたのだが、到頭時節が到来して神の選まれたパレスチナの本国を吾が手に入れたのだから、何といつても世界の覇者だ。長い物に巻かれ……といふのだから、おれ達の身の安全を計らうと思へばマア辛抱するのだな。
半分でも月給くれるのはまだしも得だよ、贅沢さへしなけりや、生活を続けてゆけるのだからなア。さう不平をいふものだないワ、何事も有難い有難いで暮しさへすれば世の中は無事泰平だ。神様のために働くと思へば何ほど月給が安くても、待遇に差別があつても構はぬぢやないか。それを忍ぶのが回々教のピユリタンたる務めだからなア
テク『何といつても、おれは不平でたまらないワ。おれは自分一人の生活がどうだのかうだのといつて、ソンナケチなことをボヤクのだない、アラブ一党のためにこの差別的待遇を憤慨するのだ。不平にも色々の色合があつて、公憤と私憤がある。おれたちのは決して私憤ではない天下の公憤だよ』
ツーロ『なんぼ公憤だといつても、蚯蚓が土中でないてるよなもので、何の影響も及ぼすまい。おれ達だつてテクの言ぐらゐには興奮し、大いにアラブのために気焔を吐くところまではゆかない。何事も時節だからなア』
『貴様はそれだから、何時までもラクダの尻叩きばかりしてをらねばならぬのだ。公憤のないやうな人間は最早人間の資格がないのだ』
『ヘン、汝のはあまり公憤でもあるまいぢやないか。大体の問題がわづか半弗の喰違ひから起つたのだらう、そんなところへ公憤を使つてもらつちや、公憤が落涙するだらう。そもそも公憤とは社会とか団体とか、国家とかいふ大問題に対して、自分の主張を充たすに到らない場合に起す意気の発動であつて、極めて愉快な面白い男性的気分を有したものでなくてはなるまい。自己の慾望を満たすに足りないといつて、発動するところの感情の動作といふものは所謂私憤だ。
そんな女性的気分に充たされたことをいふと、ユダヤ人が聞いたら馬鹿にするぞ。国家社会を憂慮する念最も強しといへども、時代はその意志を容れてくれず、感慨措く能はずして切腹するごとき、あるひは社会を思ふの情急激にして、刻苦勉励よくその用をなし社会に尽すごとき、時に自分が他人に冷笑されて大いに憤慨するところあり、日夜自分の向上に勉励して、以てよく社会的立場を作るごとき、これらは皆公憤に属するもので男らしい面白い不平だ。天の配剤その妙を得ず、嬶の待遇その当を得ざるに憤激し吾が家を飛び出し、青楼に上つて酒と女でその不平を忘れむとするごとき、また夕食の膳部がお粗末だといつて、膳を投げたり茶碗を破壊するごとき、あるひは自分のズボラを棚に上げ、他人の賃金の多きに反感を抱き不平を起すごとき、または主人の乱倫に不平を起し、妻君が役者狂ひをするごとき、また妻君の乱行に主人が自暴自棄となり、芸者買ひをなすがごとき、或は世人に冷笑嘲罵されて不平のやりどころなく、自宅へ帰つて嬶の頭や窓硝子を叩きわるがごときは、みな私憤に属するものだ。それよりも怒るなら、ドツトはり込んで天地の怒りを発したらどうだ。汝のやうにホイト坊主が貰ひ酒をこぼしたやうに、あはれつぽい声を出して涙交りにボヤいてをるやうなことでどうならうかい。卑屈きはまる行動だ。それだからおれ達は時勢を見るの明があるから、ここ暫くは隠忍してゐるのだ。いづれ日出島から救世主が降臨になれば、上下運否のなきやう桝かけ引きならして、おれ達までも安心さして下さるのだからなア
実際そんな事があるだらうか。おれ達はキリストの再臨を、聖書によつて先祖代々から待ちあぐみ、到頭この聖地で年をよらしてしまつたのだが、これだけの不公平の世の中を神様がなぜ公憤を起して、早く平等な愛の世界にして下さらぬのだらう……と私かに公憤をもらしてをつたのだ』
トンク『アハハハハ』
ツーロ『私かの公憤が聞いて呆れるワイ。
しかしながら天道様の不平といふのは、暴風を起し豪雨を降らして大洪水とし、地の不平は地震を起して、山川草木を転覆させ、悪人を亡ぼし大掃除をなさるのが、天地の公憤だ、汝の公憤とは大分違うだろ。窓硝子の一枚ぐらゐ壊いでみたところで、あまり世界の改造も出来ぬぢやないか』
テク『
一体このシオン大学とかいふのは何をするのだらうな。またしてもユダヤ人が頭をもちやげて、おれ達を圧迫する機関だあるまいか。それだとすれば、世界人類の為におれ達は節義を重んじ、たとへ半日でも人足に使はれる訳にはゆかぬだないか、鷹は飢ゑても穂をつまぬといふからなア』
世界のあらゆる哲学者を集めて神政成就の基礎を固めるのだ。このシオンの国は太陽の天に冲した真下に当る霊国だから、いはば時計の竜頭のやうなものだ。茲において世界を支配するのは最も天地の経綸上適当の場所だから、さう心配するには及ばないよ。おれ達だつて、やつぱりその恩恵に浴する時が来るのだから、辛抱せい。回々教だとか基督教だとか猶太教だとか、自分の心の中に障壁を設けてひがむから妙な不平が起るのだ。誠の神様は唯一柱よりないのだ。人間を相手にする必要はない。何事もみな神様の御経綸だからなア
それでもあまりユダヤ人がイバリちらすだないか。それが俺は気にくはないのだ。チツタ不平も起らうかい』
ユダヤ人にも種々あつて、ポンポンぬかす奴ア、カスピンのコンマ以下の代物だよ。丁度おれ達と同じやうな境遇にゐる劣等人種が威張るのだ。あんな者を数に入れて不平をもらすやうな馬鹿があるかい。キリスト再臨の近づいた今日、そんな偏狭な心はスツカリ放擲して天空海濶日月と心を斉しうする襟度にならぬか。アラブの為にいい面汚しだぞ。所は世界の中心地、エルサレムの橄欖山上に身をおきながら不平をいふ奴がどこにあるかい。のうトンク』
トンク『ウン、そらさうだ。人は何事も思ひやうが肝腎だ。おれ達のやうな労働者は労働者らしくしてをつたらいいのだ、紳士の真似をせうたつて、到底出来ないからな、あの紳士だつて、元は俺達と同様労働者だつたのだ、精神的労働をやるか、肉体的労働をやるかだけの違ひだ。
たとへアラブでも紳士紳商となればユダヤ人を頤で使ふことが出来るからなア
テク『俺は紳士なんか大嫌ひだ。本物の紳士は今日の世の中には一人もない。みな我利我利紳士ばかりだよ。虚偽的生活に甘んじて紳士なんていつてる奴の面を見るとなぐりたくなつてくるワ。まづ今日紳士といふ奴は第一、美装をなすこと、第二、大建造物に住居すること、第三、一箇所以上の別荘を有すること、第四、妾宅を設くること、第五、物見遊山のしげきこと、第六、一切の労働を禁じ、茶一つ自分の手より汲まぬこと、第七、一日に何回となく宴会に列して、妖婦を枕頭に侍らし、妖婦の膝を枕に痛飲馬食して、その胃袋に差支へなき程度のものたること……この位のものだ。どこに紳士の本領があるかい』
ツーロ『そりや汝のいふ紳士と、俺のいふ紳士とは大いに趣きが違ふ。俺のいふ紳士は……第一、人格の最も高きこと、第二、慈悲心に富めること、第三、礼儀を守ること、第四、政治慾を断ち社会のために私財を擲つて貢献すること、第五、一夫一婦の制を遵奉すること、第六、沢山な住宅を有ち無料にて他人に自由に使用せしむること、第七、神を信じ、家内睦じく感謝の生活を送ること……マアこんなものだ。これを称して紳士といふのだ』
トンク『そんな紳士が今日の世の中に一人でも半分でもあるだらうかな』
ツーロ『ないから尊いのだ。ダイヤモンドだつて金だつて、ヨルダン河の砂礫のやうにそこらにごろついてあつてみよ、誰だつて貴重品扱ひはしてくれないよ。無いから尊いよ、太陽だつて一つだから皆が拝むのだよ。あの星みい、誰も一つホシイといふ奴がないだないか』
テク『オイ、ツーロ、ソンナツーロくせぬことをいふない。それよりも現代の紳士を標準として考へるのが適確だ。その紳士といふ奴を、俺達が労働総同盟でも起して、警告を与へ改良さしてやるのだなア。今日の紳士の資格を考へてみると、妾宅の数如何によつて、紳士仲間の等級に差別を生じ、宴会の度数と妖婦相識の数如何は人気に大なる関係を及ぼすのだ。これが今日の所謂紳士規定だ。何と不道理な見解だないか。今日の彼等が健康状態は日夜刻々に害されつつあるのだ。殊に性慾の随時随所でみたさるるその半面を考へてみよ。幾多の忌はしい病毒のために、睾丸内に発生する精虫はおひおひと減殺され、子孫は漸次減少するに至るの種を蒔いてゐるのだ。きやつ等の乱淫乱行はますます民力を減殺せしむるのみならず、家庭の妻女はその反動で、狂気的に異性の男子を求め、性慾の満足と反感の慰安に家を外にして飛び出し、役者部屋へ這ひ込むのだ。紳士の家庭の妻女といふものに婦徳や貞節は薬にしたくも無いくらゐだ。そして冷い深窓に、男も女も呻吟してゐるのだ。体質の貧弱なる彼奴らの子孫は世の中に立つて何事もなすの力なく、遂には子孫が滅亡するより途はない。だといつてこれも自業自得だから仕方があるまい。今のうちに彼奴らが目をさまし、共同の友や同族の友と共に働くの妙味を見出だし、貧民と共に今までの態度を改めて社会に活動するやうにならなくちや、彼奴らも最早世の終りだ。いつまでも世は持ち切りにはさせぬと、どこやらの神さまがおつしやつたからなア』
トンク『
オイ、俺達はまだ時間が来てゐないのに、この木の小蔭でさぼつてゐるのだから、ユダヤ人は勤勉だから、仕事の能率が倍以上になるのだから、汝たちのやうに俸給の額のみで不平をいつたつて駄目だ。サア、チツと働かう。土木監督に見つかつたら大変だぞ
テク『エエ仕方がないなア、食はぬが悲しさかい』
とスコツプを手に提げながら、作事場の方へ厭さうに進んで行く。日は漸く暮れはて、労働終結のラツパが橄欖山の峰に轟いてきた。
三人はスコツプをかたげたまま逸早く団子石のゴロゴロした坂路を嬉しさうに下つて行く。数多の大工や手伝人足は、単縦陣を張つて黒蟻のやうに各家路を指して帰り行く。これらの連中は皆エルサレムの街に寄宿してゐるユダヤ人が大多数を占めてゐた。
 そこへ金剛杖をついて上つて来る一人の男があつた。これは日出島からはるばる聖地へ、キリスト再臨の先駆としてやつて来た、ルートバハーの宣伝使ブラバーサであつた。ブラバーサは山上の最も見はらしよき地点に停立し、をりから輝く八日の月を眺め、

『仰ぎ見れば月は真空をやや過ぎて
  あたり輝く星のかずかず
 たまさかの月の夜なればこもりゐの
  たへ難くして登り来たりぬ』

 かく歌ひて、月の光にエルサレムの街を見おろしながら懐郷の念に駆られてゐる。そこへ慌ただしく上り来たる一つの影がある。果して何人ならむか。
(大正十二年七月十二日 旧五月二十九日 松村真澄録)

物語64上-3-151923/07 山河草木卯 大相撲

この部分が64巻では予言としていちばん取り上げられている部分でしょう。

流れで言うと、

日本と米国の戦い=>その奥に別の大勢力が隠れている=>同祖論

一般的な同祖論から言えば、日本と米国の戦い=>同祖論=>その奥に別の大勢力が隠れている となるはずです。

この部分は意味深長でしょう。帝王とメシアを述べた部分との関連で考える必要がありますが、王仁三郎への基本認識につながる部分かも知れませんので、慎重に考える必要があります。

私は、この部分は権力に対して、不敬罪として取り上げられるようにワザとこう書いたような気がするのですが、どうでしょうか。

簡単に結論を出してはならないと思います。

 カトリツクの僧院ホテルに滞在してゐるブラバーサの居間を訪ねて来た一人の老紳士があつた。これはバハイ教の宣伝使バハーウラーである。ボーイの案内につれてブラバーサの居間に通り、
『御免なさいませ』
と言ひながら、軽く一礼を施した。ブラバーサは手づから椅子をとりよせて、
『やあ、あなたは汽車中でお目にかかつたバハーウラー様でございましたか。一度お訪ねしたいと存じてをりましたが、なにぶん処慣れないものですから、彼方こちらと見学してをりました。ようお訪ね下さいました』
と挨拶すれば、バハーウラーはテーブルを中におき、両方から向かひ合ひとなり、
『ハイ、私も一度お訪ねしたいと思つてゐましたが、何だか彼これととり紛れ漸く今日となりました。どうです、聖地においでになつてからの貴方の御感想は?』
『ハイ、見るもの、聞くものが日の出島と違つてをりますので面喰ひましたよ。やうやく地理も分り空気にも慣れましたとみえ、少しばかり落ちついて参りました』
『なるほど、私も同感ですよ。常世の国から此処までやつて来ましたが、いやもう見るもの聞くもの変つたことばかり、かやうな処へ救世主がお降りにかるかと思へば、何だか奇異の感にうたれます。国にをります時は聖地エルサレムエルサレムといつて日夜憧憬してゐましたが、古く荒さびた神都の跡、いづれも涙の種ならぬはありませぬ。黄金の花が咲き匂ふてると思つた私の期待はスツカリ裏切られてしまひましたよ。アハハハハハ』

[救世主の降臨]

『都会は人が作り、田舎は神が作るとか申しまして、かやうな田舎びた処でないと到底神様はお降りになりますまい。紅塵万丈の巷に、霊肉ともに穢してゐる人の集まつてる処へは救世主はお降りになる筈はありませぬ』
『なるほど、さう承ればさうかも知れませぬな。数年以前、バルカン半島に現はれた一朶の黒煙は燎原を焼く勢ひで全欧羅巴に蔓延し、全世界の地をして戦雲に包んでしまひましたが為に、その後の人心はますます悪化し、二進も三進もゆかなくなつて来たぢやありませぬか。かやうな処へ救世主が御降臨になつたところで、足一つ踏み込まれる処はありますまいな。一人でも多く心を研き魂を研いて神心となつて、救世主の降臨を待たねばなりませぬ。実に常暗の世の中となつたものでございますわい』

[出口なおの予言と数字の一致]

『ルートバハーの教祖ヨハネの教にも、三千世界の大戦ひが初まるぞよ、と三十年以前から仰せられましたが、到頭世界の大戦争が起りました。さうしてヨハネの教祖は、先達の世界戦争の開戦期間の日数一千五百六十七日を終り平和条約が締結された其の朝、すなはち自転倒島でいへば大正七年(旧)十月三日の朝昇天されました。その後といふものは実に世の中は目もあけてゐられないやうな惨怛たる現状でござります』
『先達の戦争について交戦国の総面積を調ぶれば、四千三百四十万二千七百六十二平方哩すなはち世界面積の七割五分八厘にあまり、又その戦争に参加した人員の数は無慮十六億一千百九十二万人に達し、世界人口の九割二分五厘に相当する空前の大戦争でござりました。あたかも秋霜烈日の大威力を示して、満天下の草木を一夜の中に凋落せしめてしまひました。ただ常磐木のみ巍然として聳え、また、別に数種の紅黄紫青などの僅かに艶を競ふて世の終末の美を暫時誇つてゐるくらゐであります。
アア恐るべき世界の大戦争はもはや之で根絶したでございませうか。大戦後の世界は何処の果てを見ましても、平和の象徴を見ることは出来ぬぢやありませぬか。到るところ小戦争行はれ、餓鬼畜生修羅の惨状を遺憾なく曝露してるぢやありませぬか。ハルマゲドンの戦争とは、先達ての戦争をいつてるのぢやありますまいか。ハルマゲドンの戦争が済めば世の終りが近づくとの聖書の教、どうも物騒になつて来ました。暑い時に寒い風が吹き、作物は思ふやうに発達せず、到る処火山は爆発し、地震洪水の悩み、強盗殺人に諸種の面白からぬ運動、到底人間として此の世を如何することも出来ますまい。もうこの上は救世主の降臨を仰ぐより外に道はございますまいなア

[二大勢力の争い]

救世主はきつと御降臨になつて、世界を無事太平に治めて下さることを私は確信してゐます。しかしそれまでに一つ大峠が出て来るでせう。ハルマゲドンの戦争は、私は今後に勃発するものと思ひます。今日は世界に二大勢力があつて、虎視眈々として互ひに狙ひつつある現状ですから、到底このままでは治まりますまい。世の立替へ立直しは、今日の人間の力つき鼻柱が折れ、手の施す余地がなくなつてからでなくては開始いたしますまい。九分九厘、千騎一騎になつて救世主が降臨なされるのが神様の経綸と存じます
『なるほど御同感です。そして貴方の二大勢力とは何を指して仰せらるるのですか』
『今日この地球上において二つの大勢力が互ひに暗々裡に争つてゐますのは、あなたも大抵御承知のことだと思ひます。
一方には強大なる一新勢力を発揮し、全世界に活動飛躍を試み傍若無人的の振舞ひをなし、不自然きはまる人為的暴圧力によつて膨脹拡大し、弱肉強食をもつて唯一の国是となせる強大なる国家があり、一方には鎖国攘夷の夢を破り一躍して全世界の舞台に現はれ、列強と相伍し、再躍して世界の一大強国となつた国家がございます。世界万民はこの二大勢力に対して驚異の眼を以てのぞみ、茫然自失の体でございます。その発展ぶりたるや前古未聞の大事実でございますけれども、しかもその発展は頗る公明正大と唱へられてゐるのでございます。一方はピラミツドのごとく極めて壮観なれども真の生命なき建築物であり、一方は喬木のごとく生き生きとし、その壮観の度においては到底かのピラミツドの建築には及びませぬけれども、真に生命ある成長を遂げつつあるのであります。そして此の二大勢力は一つは極東の一小孤島、一つは極西の一大大陸です。一つは現今における最古の国、一つは列強中の最も新しき国、一は建国以来の王国、一は建国以来の民国、一は万世一系の皇統を誇り、一は四年交代の主権を誇り、一は天孫の稜威を本位とし、一は億兆烏合の民権を本位としてゐます。そしてその国民性たるや、一は義につき一は利につき、一は強国といひながら神国と自称し、一は基督教国といひなが民国と自称し、一は親子の経的関係をもつて家庭の本位となし、一は夫婦の緯的関係をもつて家庭の本位とし、一は男尊女卑の関係をもつて人倫の本位とし、一は女尊男卑の関係をもつて人倫の本位とし、一は太陽をもつて国章となし、一は星をもつて国章となしてゐる。故に自らその国情と使命において相容れないのは当然ではありませぬか』
『なるほど、いま貴方の仰有つたのは実に時代を達観した宣言だと思ひます。一方は日出国、一方は常世の国に、と世界に相対立してゐる現状をお示しになつたのでせうな。諺にも両雄相戦はば勢ひ共に全からずとか申しまして、どちらか一方に統一されねばなりますまい。実に困つた世の中になつたものでございますな。政治といひ経済といひ、思想といひ宗教といひ、何もかも一切今日ほど行きつまりの世の中はござりますまい。どうしてもこの悩みはどこかで破裂せなくてはおかない道理でございますな』
『さうです。かくのごとく今や東西の大関が世界の大土俵上に、褌を〆めて腕を鳴らせ肉を躍らせて相対するの奇観を呈してる以上は、一方が屈服するか、ただしは引込まない以上は、早晩虎搏撃壤の幕が切つて落とされるは火を睹るより明らかでせう。ハルマゲドン、すなはち世界最後の戦争はたうてい免れなくなつてゐます。それで大神様は地上をして天国の讃美郷に安住せしめむがために、ヨハネ、キリストの身魂を世に降して、天国の福音を普く万民に伝へしめられつつあるのです。さりながら常暗の世になれきつた地上の人類は、一人としてこの大神様の御真意を悟り得る者なく、ただ僅かに忠実なる神の僕が誠を尽し、神を念じて待つてゐるばかり、実に世界は惨めな有様でございます。かやうな邪悪に満ちた三千世界を立替へ立直し遊ばす神様の御神業も、実に大謨ではございますまいか』
『この世界の人類は、みな神様の同じ御水火より生れたる尊い御子でございますから、吾々人類は皆兄弟でござります。しかしながら今日の状態では、到底われわれ宗教家が何ほどあせつたところで駄目でございませう。偉大なる救世主が現はれて整理して下さらねば、乱麻のごとき世界はたうてい収拾する事はできますまい。しかしこの二大勢力は一旦、どちらが天下を統一するとお考へになりますか。常世の国でせうか、日出島でございませうか。貴方のお考へを承りたいものでございますが』

[二大勢力の奥の大勢力]

『到底人間の分際として神様の御経綸は分りませぬが、私がルートバハーの教示により、おかげを頂いてをりますのは、将来の国家を永遠に統御すべき人種は決して常世の国人ではなからうと思ひます。二千六百年、亡国の民となつてをつた讃美郷の人々は、先達の大戦争によつて神から賜はつたパレスチナを回復し、今や旭日昇天の勢ひでございます。そしてその人種の信仰力、忍耐力ならびに霊覚力といふものは、到底世界に比ぶべきものがございませぬ。
私は先申しました二大勢力よりも、も一つ奥に大勢力が潜み最後の世界を統一するものと神示によつて確信してをります。

[同祖論を述べた部分]

ユダヤ人は七つの不思議があります、それは、
第一、万世一系の皇統を戴きつつ自ら其の国を亡ぼしたこと、
第二は、亡国以来二千六百年なるにもかかはらず、今日もなほ依然として吾等は神の選民なりと自認してゐること、
第三は、二千六百年来の亡国を復興して、たとへ小なりといへどもパレスチナに国家を建設したこと、
第四は、自国の言語を忘却し、国語を語るものを大学者と呼びなすまでになつてをつてもその国を忘れず、信仰をまげないこと、
第五は、如何なる場合にも決して他の国民と同化せないこと、
第六には、亡国人の身をもちながら、不断的に世界の統一を計画してゐること、
第七は、今日の世界全体は政治上、経済上、学術上、ユダヤ人の意のままに自由自在に展開しつつあることです』
『なるほど、それは実に驚くべきものでございますわ。如何にも神の選民と称へられるだけありて偉いものでございますわい。それから、一方の奥の勢力とは何でございますか』
『それは日出島の七不思議でございます。
先づ第一に、万世一系の皇統を戴き終始一貫義を以て立ち、一度も他の侵略を受けず、国家ますます隆昌に赴きつつあること、
第二は、自ら神洲と唱へながら、自ら神の選民または神民と称ふるものの尠ないこと、
第三は、王政復古の経歴を有するも未だ一度も国を再興したる事なきこと、
第四は、国語を進化せしめたるも之を死語とせしこともなく、従つて国語を復活せしめた事のなきこと、
第五は、同化し難い国民のやうに見ゆれどもその実、何れの国の風俗にも同化し易く、かつ何れの思想も宗教も抱擁帰一し、ややもすれば吾が生国を忘れむとする国民の出づること、
第六は、一方常世の国は世界統一のためには手段を選ばざるも、日出島は常に正義公道即ち惟神によつて雄飛せむとすること、
第七は、世界は寄つてかかつて日出島を孤立せしめむと計画しつつあれども、日出島は未だ世界的の計画を持たず、ユダヤとは趣きを異にしてゐる事であります。
これを考へて見ればどうしても、この日出島とパレスチナとは何か一つの脈絡が神界から結ばれてあるやうに思はれます。一方は言向和すをもつて国の精神となし、征伐侵略などは夢想だもせざる神国であり、二千六百年前に建国の基礎が確立し、ユダヤはまた前に述べた通り二千六百年前に国を亡ぼし、そして今やその亡国はやうやく建国の曙光を認めたぢやありませぬか。私は屹度このエルサレムが救世主の現はれ給ふ聖地と固く信じ、万里の海を渡り雲に乗つて神業のために参つたのでございます


『今貴方は雲に乗つて来たと仰せられましたが、飛行機のことぢやありませぬか』
『いえ雲と申しますのは自転倒島の古言で舟のことでございますよ。雲も凹に通ひますから、舟に乗つて来るのを雲に乗つて来ると聖書に現はれてるのですよ』
『なるほど、それで救世主の雲に乗つてお降りになるといふことも諒解いたしました。いや有難うございました。お邪魔をいたしまして……またお目にかかりませう。ちつと御寸暇にお訪ね下さいませ。ヨルダン川の辺に形ばかりの館を作つて吾々の信者が集まつてをりますから……』
『ハイ有難うございます。いづれ近い中にお邪魔をいたします。左様ならばこれにてお別れいたしませう』
(大正十二年七月十二日 旧五月二十九日 北村隆光録)


物語64上-5-27 1923/07 山河草木卯 再転

イスラエルの十二の流れが出てくる場面で、同祖論と考えればよいでしょう。

『さぞお困りでございませう。しかしあなたはキリストの再臨についてお出でになつたといふ先達のお話でしたが、私は世界各国を廻りましたが、印度にも支那にも日本にも露国にもまた南米、メキシコにも救世主が現はれてをりますよ。何れどつかの或地点に救世主がお集まりになつて国会開きをお始めにならなくては、真の救世主が人間としては分らないと思ひます。あなたは何う思ひますか』
ともかく世界の救世主が一所へお集まりになり、その中で最も公平無私にして仁慈に富める御方が真の救世主と選ばれるでせう。イスラエルの十二の流れから一人づつ救世主が出るといふことですから、その中から大救世主が出現されることと思ひます
『成程、それは公平なる見解です。そして御降臨の場所はどこだとお考へですか』
『無論私はエルサレムだと思つて遥々ここへ参つたのでございます』
『なるほど聖書の予言によりますればエルサレムでせうが、しかし救世主は何処へお降りになるか分りますまい。私は決してエルサレムと限つたものとは思ひませぬ。或は日の出島へ現はれ玉ふかも知れませぬ
『さうかも分りませぬなア』

物語64下-2-10 1925/08 山河草木卯 拘淫

この部分も、現実描写でしょう。現在のイスラエル国家が建設される前の、各人種の関係がよく分ります。
ユダヤ人を悪くは言っていません。

橄欖山の坂道の木蔭に四五人のドルーズ人や、アラブや、猶太人が労働服を着たまま面白さうに雑談に耽りゐる。その中の一人なるバルガンは、
『オイ、ガクシー、汝はこの間の戦争に行つたといふ話だが、金鵄勲章でも貰つたのか。花々しき功名手柄をして帰るなぞといひよつて、近所合壁に送られ、大変な勢ひであつたが、凱旋祝ひも根つから聞いたこともなし、いつの間にか吾々労働者仲間に舞ひ戻つて来よつたが、一体戦ひの状況はどうなつたのぢやい』

8.その他資料のユダヤ関係

この部分で使った資料全文   資料集

64巻以外の霊界物語

邪神には三種類ありました。八頭八尾の大蛇、金毛九尾白面の悪狐、六面八臂の邪鬼。そして、邪鬼は猶太の土地で発生したと言っています。これは、霊界物語を考える上でも、最も重要なことだと思います。別の論考で検討します。

物語01-2-18 1921/10 霊主体従子 霊界の情勢

さうかうするうちに、露国のあたりに天地の邪気が凝りかたまつて悪霊が発生した。これがすなはち素盞嗚命の言向和された、かの醜い形の八頭八尾の大蛇の姿をしてゐたのである。この八頭八尾の大蛇の霊が霊を分けて、国々の国魂神および番頭神なる八王八頭の身魂を冒し、次第に神界を悪化させるやうに努力しながら現在にいたつたのである。しかるに一方印度においては、極陰性の邪気が凝りかたまつて金毛九尾白面の悪狐が発生した。この霊はおのおのまた霊を分けて、国々の八王八頭の相手方の女の霊にのり憑つた。
 しかして、また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。しかしながら日本国は特殊なる神国であつて、この三種の悪神の侵害を免れ、地上に儼然として、万古不動に卓立してをることができた。この悪霊の三つ巴のはたらきによつて、諸国の国魂の神の統制力はなくなり、地上の世界は憤怒と、憎悪と、嫉妬と、羨望と、争闘などの諸罪悪に充ち満ちて、つひに収拾すべからざる三界の紛乱状態を醸したのである。

万教同根で、少名彦司=キリストと言っている場面で、地名として猶太が出てきます。猶太に対する評価はしていません。

物語06-4-22 1922/01 霊主体従巳 神業無辺

 而してこの淡島の国魂として、言霊別命の再来なる少名彦命は手足を下すに由なく、つひに蛭子の神となりてか弱き葦舟に乗り、常世の国に永く留まり、その半分の身魂は根の国に落ち行き、幽界の救済に奉仕されたるなり。
 この因縁によりて、後世猶太の国に救世主となりて現はれ、撞の御柱の廻り合ひの過ちの因縁によりて、十字架の惨苦を嘗め、万民の贖罪主となりにける。

物語06-4-23 1922/01 霊主体従巳 万教同根

 少名彦司は幽界を遍歴し、天地に上下し、天津神の命をうけ猶太に降誕して、天国の福音を地上に宣伝したまふ。

これも、万教同根の考え。猶太の評価はしていない。

物語入蒙-99-1 1932/02 入蒙余禄 大本経綸と満蒙

 愛といふことは基督も、マホメツトも説いてゐる。仏教は慈悲心を説き、あるひは十善といふ事を説いてゐる。各神道、各仏教はみな愛と善との外に出てゐないのであります。しかし今までの宗教は国によつて皆垣を造つてゐる、出雲八重垣を造つてゐる。すなはち猶太の神、支那は支那の神といふ風に自分一国の神様にしてゐる。この垣を、この出雲八重垣を破るのには、人類愛善といふ大風呂敷を頭から被せて行くのが一番よいのであります。


裁判資料

ここでは猶太=悪神と位置付けています。猶太人とは言っていないので注意すべきかもしれません。なお、「いやな方」というのを天皇と読んで不敬罪になるわけです。

答 詰り、矢張り、霊界にある所の霊界の「悪の頭」を言ふたのです。
問 霊界の「悪の頭」か──悉くがか。
答 是が、仏教で言へば、阿修羅王とか、大黒天とか、天魔波旬とか、四魔波旬とかは「悪の頭」です。
 それから、又、外国の方で言へばクレノス・ゴロス、是は「悪の頭」で、日本で言へば八十禍津神などは是は「悪の頭」であります、総ての宗教には善の神の頭もあれば悪の神の頭もある。

問 それで同一文章の中に……
 出口の午前の注意に依つて読んで見たが、「悪神の頭目」とか、「極悪の頭」とか「悪の霊」と云ふものがあるが、是はどう云ふ意味だ。
答 是は詰り、猶太の悪神の大将と云ふやうなものとか、或は悪神の霊と言つたり……。

問 此処で「いやな方の血統」と云ふのはどなたを……。
答 「いやな方」と言つたら悪霊です。
 日本で言へば馬子やとか、道鏡とか、北条義時の血統とか、さう云ふものを言ふのです、「いやな方」と云ふことに付てもう一つ言へば、猶太の血統やとか、ロシヤの赤い奴の血統とか、さう云ふ意味を言ふのです、「いやな方」と云ふのは……。


神霊界

同祖論的な論調です。エホバ=天御中主神。イスラエルだけが神の選民ではない。日本人だけが神の選民でないのも同じです。ここでも、イスラエル民族=ユダヤ人を総体では悪く言っていません。

神霊界 1917/02/01 信仰の堕落

  一
然り而して、此基督教の本源は何れに在るかと言えば、他でもない猶太教である。

 猶太民族は、バビロン、エジプト、ギリシャ等の諸国の為めに取り囲まれて居たのであるが、是等の諸国は、皆多神教を奉じて居た。多神教徒は種々雑多の神々に奉事する結果、其信仰は概して動揺不安定に流れ、一心不乱の堅固なる信仰に入る事が出来ない。かかる周囲の状態の下にありて、モーゼがシナイ山頂でエホバの神から一神教的の訓戒を受けたと言って、之を其同族に伝えたのは、民族自衛の点から極めて必要の事であったに相違ない。

 「エホバ」と唱える名称は、いかなる神を指すのか。一部の人士には分りにくく、中には単に外国の神のように思って、余所事に聞き流すもあろうが、「エホバ」というはヘブルー語で、昔も在り、今も在り、又将来も在る所の根本の神、「宇宙の本体」という意義である。して見れば、取りも直さず日本民族が、太古に於て天御中主神とたたえた神を指すに外ならぬので、我等が為めには、極めて大切な国祖である事が判るのである。只此神の神徳の説き方が、甚だ人為的で不備偏狭を免れぬという欠点があるのである。

  二
前段述ぶるが如く、
我が天御中主神のことを、アブラハムも、モーゼも、其他すべてのイスラエル民族が専有すべき神でなく、実に又、我日本統治の神であり、各個人の保護の神である。

  三
 往時の偏狭固陋な国学者などは、、此日本ばかりが神国のように考えて居た。これは
イスラエルばかりを守護するように考えたのと同じような僻見と言わねばならぬ。

ダニエルの予言の場面ですが、ここでは猶太は特に意味はないと思います。

神霊界 1918/04/15 国教樹立に就て(承前)

 次の鉄の脛はギリシャ帝国を征服し、紀元前百六十一年に猶太国民と契約を結び、遂に天下を統御した羅馬帝国を代表したものであったのである。

伊都能売神諭。同祖論的な表現です。伊勢=イスラエルは三鏡の中でも言っています。ここでは、伊勢神宮にイスラエルとルビがふってあります。同祖論で、日本の王が世界を治める神権を持つという思想の初期のものでしょう。十二の流れについては次節で検討します。  

神霊界 1919/03/15 神諭

 国常立尊が変性女子の手を藉て、世界改造の次第を書きおくぞよ。明治二十五年から神政開祖大出口直の手を借り口を借りて、警告た事の実地が現はれる時節が参りたぞよ。伊勢神宮《イスラエル》の五十鈴川の十二の支流《わかれ》も今までは、其源泉を知らなんだなれど、弥々天の岩戸を開く時節が参りて来たから、斯の清き流の末の濁りを、真澄の鏡の言霊に清め改め、世界を十二の国に立別け、一つの源の流れに立直し、十二の国を一つの神国の天津日嗣の神皇《きみ》様が、平らけく安らけく治め玉ふ松の御代に立代るに付て、神政開祖《よはね》の身魂に二十五年に渡りて、人民の身魂を五十鈴川の流に洗い清めて、漸やく大正六年からは一段奥の鎮魂帰神の神法に依り、変性女子の御魂を御用に立てゝ、艮めの経綸に使ふて在るなれど、(後略)


三鏡

上の12の流れに関係しています。日本人もユダヤ人も同じセム族であるから同祖。くわしくは別項で検討します。  人種論

神の国 1932/12三大民族

太古、世界には三大民族があつた。即ちセム族、ハム族、ヤヘツト族である。セムの言霊はスとなり、ハムの言霊はフとなり、ヤヘツトの言霊はヨとなる。故にスの言霊に該当する民族が、(1){神の選民と云ふことになり、}日本人、朝鮮人、満洲人、蒙古人、コーカス人等である。ユダヤ人もセム族に属する。次がハム族で支那人、印度人又は小亜細亜やヨーロツパの一部に居る民族である。ヨの民族即ちヤヘツト族と云ふのはアフリカ等に居る黒人族である。しかし現在は各民族共悉く混血して居るのであつて、日本人の中にもハム族等の血が多数に混入して居る。又欧米人の中にはハム族とヤヘツト族とが混血したのがある。イスラエルの流れと云ふことがあるが、イは発声音で、スラエの言霊はセとなるが故に、イセ(伊勢)の流れと云ふことになる、即ちセム族の事である。

ここではユダヤ人の風貌について語っています。

神の国 1926/02人相と其性質

曲り鼻の持主は、親分になり度い、頭になりたいと兎角人の上になりたがる傾向があるが、先が曲つて引込んで居るので、【てん】と明かん、猶太人の鼻がそれである。

当時の一般的な歴史的認識でしょう。

下記の文章の原文にはキリスト教に関する重大な指摘がありますが、各版によっていろいろ削除されています。これを見ると、宗教団体としての「大本」の対応が分る部分だと思いますが、ここでは検討の対象外とします。

神の国 1930/09 キリストの再来

猶太国のナザレに生れた大工の子キリストが降誕してから既に一千九百三十年を経過した。

下記は同祖論そのものと言えるでしょう。

神の国 1932/12 高い鼻

セム
族は太古に於ては鼻が高かつた。それが土蜘蛛族(日本に古くより住んで居た土族)と混血したので、次第に鼻が低くなつて了つた。外国人は今でも鼻が高く非常に発達して居るから、物の匂ひをかぐことを好み、且つ嗅覚が強い。故に香水等の匂物を多く使用するのである。しかし香水は情慾を起し易く、其慾念を益々昂進せしめるものである。

昭和神聖会関係の文章。昭和9年。これは、時代を反映しているせいか、もしくは王仁三郎の認識が変ったせいか、完全に「反ユダヤ主義」です。

本史料集成Ⅱ1934/11/28 統管随筆第二篇

 猶太人の陰謀は最近に始まつた事ではなく、約二千年以前からの根強き活動である。そして世界の経済界の八分以上は猶太が掌握してゐるのだ。上流社会にも深く喰ひ入つて日本を危機に陥れつゝあるのだ。
 独逸の独裁総統ヒツトラー氏の著書『我が戦ひ』の中にも左記のやうな事実が掲載されてある。
猶太人は、すベての国家を日本反対の地位に就かしめむと試みてゐる。之恰も往年独逸に対して試みたと同じ手段ではないか』(以下省略)
と我国に対しても説き及んでゐる。忠誠なる我同胞は十二分の注意を払ふべき緊要事であると思へ。

9.12の流れ

日猶同祖論との関係で、12の流れについて検討しておきます。

123×4で数秘学では人間的な全体性、総体性、統体性を示すとされています。イスラエルの12部族も、12使徒もその意味だそうです。

天的神聖さを表し、地的全体性を表します。3+4完全な数で天地を支配する神の完全(神的完全)を象徴するようです。

王仁三郎の文献では、次の文章はよくとりあげられるものです。伊勢神宮にイスラエルとルビがうってあります。

神霊界 1919/03/15 神諭

国常立尊が変性女子の手を藉て、世界改造の次第を書きおくぞよ。明治二十五年から神政開祖大出口直の手を借り口を借りて、警告た事の実地が現はれる時節が参りたぞよ。伊勢神宮《イスラエル》の五十鈴川の十二の国を一つの神国の天津日嗣の神皇《きみ》様が、平らけく安らけく治め玉ふ松の御代に立代るに付て、神政開祖《よはね》の身魂に二十五年に渡りて、人民の身魂を五十鈴川の流に洗い清めて、漸やく大正六年からは一段奥の鎮魂帰神の神法に依り、変性女子の御魂を御用に立てゝ、艮めの経綸に使ふて在るなれど、今の世界の人民は、間口の広い奥行の短かい、学斗りに迷信いたして、斯世は物質的学さえ修めたら、世界は安全に治まる如うに取違い斗り致して居るから、天地の元の先祖の申す事はチツトも耳へ這入らず、却て反対に迷信いたして、世界を恐喝やうに悪るく誤解て、種々と斯大本を世間から攻撃いたす者も出来て居るなれど、誠の神はソンナ少さい事に往生は致さんから、今に実地を世界へ表はして見せて与るから、何なりと申して反対いたすが良いぞよ。

関連する三鏡の文章としては次のものがあります。

 神の国 1931/04たまがへしの二三種

富士はたまがへし【ひ】となる。即ち富士山と云ふのは火の山の義である。又霊の山の義である。
 【キウ】は【ク】にかへる。シユウはスにかへる。九州の事をクスと云ふのは此理由である。
 【イソ】の館と云ふのは【イミゾノ】(斎苑)のかへしで、イミのかへし【イ】、ソノのかへし【ソ】である。
 イスラエルに当るといふのである。ルは助辞である。
 霊界物語中にあるワツクスは和吉、イルは宇吉、サールは宗吉と云ふ意味になる。
 トルマン国はツマと云ふ事になる、即ち秀妻の国である。ビクトリヤはたまがへし【ブタ】となる、即ち支那にあたる。

霊界物語では下記の部分で12の流れが出てきます。次の2つの文章は「国会開き」ということで共通点があります。

物語57-0-2 1923/03 真善愛美申 総説歌

総説歌
神が表に現はれて        善と悪とを立別ける
善の中にも悪があり       悪の中にも善がある
善悪正邪は人間《オーニー》の  知識の程度で判らない
ただ何事も惟神         神の御旨に任すのみ
この世を造りし神直日      心も広き大直日
ただ何事も人の世は       直日に見直し聞直し
世の過ちは宣り直せ       人は神の子神の宮
天津使のエンゼルの       その精霊に神格を
充たされ肉体人に容り      天地経綸の神業に
奉仕せむため生れ来ぬ      あ丶惟神惟神
御霊幸はへましまして      この世の終りに日地月
誠の神が降りまし        瑞の御霊に神業を
任さし玉ひし尊さよ       世は常暗となり果てて
黒白も判かぬ時なれど      光の神は御空より
鳩のごとくに降りまし      空前絶後の神業を
経綸さるるぞ有難き       国の御祖の大御神
厳の精霊に神格を        充たし予言者の体に依り
出口の守と現はれて       この世を照らしたまふ世は
やうやく近づき来たりけり    仰ぎ敬へ四方の国
青人草の末までも        三五教の御教は
最後の光明艮めなり       眼を醒ませ耳開き
神の生宮予言者の        貴の言霊守るべし
あ丶惟神惟神          御霊幸はへましませよ
朝日は照るとも曇るとも     月は盈つとも虧くるとも
地震り海は浅するとも      誠一つは世を救ふ
エスペラントやバハイ教     紅卍字教や普化教も
残らず元津大神の        仕組み給ひし御経綸
そのほか諸々の神教は      この世の末に現はれて
世を立直す為ぞかし       国会開きが始まりて
十二の流れ一時に        清く流るる和田の原
底井も知れぬ海潮の       深き思ひぞ計れかし

いよいよ五六七の世となれば   山河草木いふもさら
禽獣虫魚もおし並べて      神の仁慈の露にぬれ
一入清き霊光を         照らし栄ふる世とならむ
仰ぎ敬へ神の徳         慶び奉れ神の愛。
  大正十二年旧二月十日 皆生温泉にて

物語64上-5-27 1923/07 山河草木卯 再転

『さぞお困りでございませう。しかしあなたはキリストの再臨についてお出でになつたといふ先達のお話でしたが、私は世界各国を廻りましたが、印度にも支那にも日本にも露国にもまた南米、メキシコにも救世主が現はれてをりますよ。何れどつかの或地点に救世主がお集まりになつて国会開きをお始めにならなくては、真の救世主が人間としては分らないと思ひます。あなたは何う思ひますか』
『ともかく世界の救世主が一所へお集まりになり、その中で最も公平無私にして仁慈に富める御方が真の救世主と選ばれるでせう。イスラエルの十二の流れから一人づつ救世主が出るといふことですから、その中から大救世主が出現されることと思ひます
『成程、それは公平なる見解です。そして御降臨の場所はどこだとお考へですか』
『無論私はエルサレムだと思つて遥々ここへ参つたのでございます』
『なるほど聖書の予言によりますればエルサレムでせうが、しかし救世主は何処へお降りになるか分りますまい。私は決してエルサレムと限つたものとは思ひませぬ。或は日の出島へ現はれ玉ふかも知れませぬ。

その他、霊界物語で出てくる12の例です。

物語01-3-21 1921/10 霊主体従子 大地の修理固成

国常立尊はそこで、きはめて荘厳な、厳格な犯すことのできない、すばらしく偉大な御姿を顕はし給ひて、地の世界最高の山巓にお登り遊ばされて四方を見渡したまへば、もはや天に日月星辰完全に顕現せられ、地に山川草木は発生したとはいへ、樹草の類はほとんど葱のやうに繊弱く、葦のやうに柔かなものであつた。そこで国祖は、その御口より息吹を放つて風を吹きおこし給うた。その息吹によつて十二の神々が御出現遊ばされた。
 ここに十二の神々は、おのおの分担を定めて、風を吹き起したまうたが、その風の力によつて松、竹、梅をはじめ、一切の樹草はベタベタに、その根本より吹倒されてしまうた。大国常立尊はこの有様を眺めたまうて、御自身の胸の骨をば一本抜きとり、自ら歯をもつてコナゴナに咬みくだき、四方に撒布したまうた。
 すべての軟かき動植物は、その骨の粉末を吸収して、その質非常に堅くなり、倒れてゐた樹草は直立し、海鼠のやうに柔軟匍匐してゐた人間その他の諸動物も、この時はじめて骨が具はり、敏活に動作することが出来るやうになつた。五穀が実るやうになり、葱のやうに一様に柔かくして、区別さへ殆どつかなかつた一切の植物は、はつきりと、おのおの特有の形体をとるやうになつたのも此の時である。骨の粉末の固まり着いた所には岩石ができ、諸々の鉱物が発生した。これを称して岩の神と申し上げる。


物語01-3-23 1921/10 霊主体従子 黄金の大橋

自分はこの大橋を足の裏がくすぐつたいやうな、眩しいやうな心持でだんだんと彼岸へ渡つた。少し油断をすると上りには滑り、下りになれば仰向けに転倒するやうなことが幾度もある。要するにこの黄金の大橋は、十二の太鼓橋が繋がつてゐるやうなもので、欄干が無いから、橋を渡るには一切の荷物を捨てて跣足となり、足の裏を平たく喰付けて歩かねばならぬ。


物語01-4-28 1921/10 霊主体従子 崑崙山の戦闘

険峻な山に似ず、山巓には非常な平原が広く展開されてあり、いろいろの草花が爛漫と咲き乱れ、珍らしい果実が沢山に実つてゐた。大八洲彦命の一隊は、非常に空腹を感じたために、その果物を取つておのおの食料に代へた。胸長彦の軍勢は、またもや山麓に押寄せて八方より喊声を揚げた。見ると、数百万の魔軍が蟻の這ひ出る隙もなきまでヒシヒシと取り巻いてゐる。しかしてその軍勢は十二の山道を伝うて十二方より、一度に攻め上つて来た。めいめいに手分して、大八洲彦命の軍勢は各自各部署を定め上りくる軍勢を、そこに実つてゐる桃の実を取つて打ちつけた。たちまち敵軍はいづれも、雪崩の如くになつて潰え、山麓に落ち込んだ。


物語01-5-37 1921/10 霊主体従子 顕国の御玉

稚姫君命は多年の労苦を謝し、かつ神勅に違はず、数万年間これを守護せしその功績を激賞し、種々の珍しき宝を十二の天人にそれぞれ与へたまうた。


物語01-5-38 1921/10 霊主体従子 黄金水の精

天の真奈井の清泉はにはかに金色と変じ、その水の精は、十二個の美しき玉となつて中空に舞ひ上り、種々の色と変じ、ふたたび地上に降下した。このとき眼ざとくも田依彦、玉彦、芳彦、神彦、鶴若、亀彦、高倉、杉生彦、高杉別、森高彦、猿彦、時彦の十二の神司は争うてこれを拾ひ、各自に珍蔵して天運循環の好期を待たむとした。
 この十二の玉はおのおの特徴を備へ、神変不可思議の神力を具有せるものである。

イスラエルの12の支族については、『新月の光』の発言が、我々が触れられる王仁三郎の発言の最後のものとなります。他の発言を総合してみても、12のうち1つが日本に来ているというのが、王仁三郎の考えでしょう。

下P.150 艮の金神とユダヤ
イスラエル民族の十二の支族のうち十一は外国にある。日本にも一つの流れがあるが変質しているから本当のは少ない。
(昭和十九年四月十日一)

下P.183 天孫民族とユダヤ
 ユダヤということは、神命奉仕者ということで、神様から選ばれたのだから神の選民なのだ。イスラエルというのはユダヤと同じ事。天孫民族とは全然違う。日本は天孫民族だから選民とは違うんや。直系や。ユダヤ人の三分の一は良いので三分の二は○いので、これがフリーメーソンをやっているのである。今の戦はこれがやっている。イスラエルの十二の支族は選ばれたのや。一番いいのが日本へ来ているので日本民族だ。
(昭和19年6月9日)

10.マツソン・フリーメーソン・石屋

ここでは、マツソン=フリーメーソン=石屋は同じものとして考察します。

シオンの議定書について。

神霊界 1919/12/15 随筆

『本年五月十日(大正八年)伊勢御礼参拝の途次、数名の随行員と共に東都に上り、某氏の手より、魔素の陰謀シオンの決議書を手に入れ熟読すれば、故教祖の御手を通じて国祖国常立尊の予告し、警告し玉ひし、外国の悪神の秘密計画書にして、神諭の所謂「外国から廻ってきた筆先」であることを知って非常に驚倒すると共に、注意周到なる大神の天眼通力に感服せざるを得ませんでした。神諭に石屋の陰謀とか、【我が在る】の悪計とか出て在るのは、即ち魔素(マツソン)秘密結社の事を示されたものである。吾人は天下の形勢に鑑み、慎重の態度を採って赤裸々に発表することを見合せて居ったのであるが、時機の切迫と共に東京の「公論」という雑誌に、弥々今回発表されて了ったから、有志の諸君は同誌を一部購入して、明治ニ十五年からの大本の神諭と、対照されたならば、実に大本大神(国祖大神)の数千年間の御苦心と、故教祖の天下無比の神格者で在った事が首肯される事と思ふのであります』

マツソンについて一番くわしく書かれている部分。マツソンとユダヤの関係は書かれていません。

神霊界 1920/01/15 随筆

 敦賀駐剳の露国副領事フエロドフ氏はマツソン結社の別働隊だ。何時も国家の不祥事は彼等の団体から起るのを見てもわかる。日本の官憲では日本に過激思想伝播を警戒して居るが、神戸横浜と斗りで見当が付かぬらしいが、マツソニア・クラブが立派に組織されて居る。
 日本は是までは彼等から全く除外されて居たが、ボツ/\朝鮮等に其黒い手が延びたらしい。警戒しないと大事になる云々」
 フエドロフ氏は日本は是までは彼等の秘密結社から全く除外されて居たと云ふて居るが、それは氏の誤解である。マツソン化して尊厳無比なる我国体の精華を疎んじ、外来の悪思想に心酔して了ふて、此上も無き真理の如うに思つて騒ぎ廻り、ヤレ普通選挙だの、ヤレ労働問題だの、華族廃止問題だの、民本主義だの、自由平等だのと得意に成つて騒ぎ廻つて居るのである。日本国には天地開闢の太初より惟神の大道が開かれて在るのだ。今日までは神界の摂理で和光同塵の神策を採つて来た日本国も弥々天運循環して五六七神政の成就に近づいたのであるから、一日も早く真の日本人に立返り、日本神国臣民の使命を自覚して天地に代る大功を永遠に立てねばならぬのである。

マツソンと英国の関係は興味深い。石屋は、源義経の時代からあるそうです。明治25年からの大本神諭が石屋を指しているとすれば、石屋はユダヤ人では有り得ないと思います。

神霊界 1920/01/21 随筆 流行性感冒

マツソンの流感に罹つた連中が敬神尊皇の大義を忘れて了つて、不健実な害国思想に心酔して居ると終には神を軽んじ、大君の大恩を忘れ、悪神に乗ぜられて大切な生命までも抹損せなければ成らぬやうになるので在る。

神霊界 1920/03/11 随筆  代議士 マツソンの先導者

東京市内電車従業員の怠業、八幡製鉄所の暴動的再度の罷業、軍隊警官の出動、侠客連の抜刀隊出現、短銃発射、議会解散前后の景況、実に常夜往天の岩戸隠れの実現なり。今回万一議会を解散せざりしならば、弥々日本国体の根本的破壊を速進〔「促進」の意味か〕したるならむも、原敬床次内相の英断に由りて一時の急を免れたり。然れど之は瞬間の小康のみマツソンに使役されつゝある民衆の迷夢は容易に醒むベくもあらず、一層猛威を逞ふして、捲土重来するは明白なる事実なり。大本は此際一日一時も空費せず、天下の志士を説き集め以て神政成就の準備を怠る可らず。
 
 鈴木梅四郎なる代偽士帝国議会に於て滔々駄法螺を吹き立て終に至つて「我英国は」と呶鳴り脱線も甚だしと各議員連中に嘲笑さる。併し皇道大本の霊学上の見地よりすれば、彼は決して脱線せしにあらず、本音を吹きたる也。
 彼の肉体は日本人なれども、彼の守護神は遠の昔に英国へ帰化し居るが故に、知らず/\の間に自白せしものなり。大本教祖の御神諭に「外国魂に化り切りた守護神が我と我手に白状致す時節が参るぞよ」と示されて在る神示の実現である。今後も追々と外国魂の守護神が神界の審判に依つて化けの皮を露はさるゝに至る可し。アゝ尊き哉、教祖の神諭。
 普選問題の裏面には最も険悪なる計画の伏在し、国家の制度を根底より破壊すべき恐れある事を看破したる原敬氏以下の現内閣員の処置は、実に神示の上より見るも神慮に叶ひ奉る大手柄である。忌いましい今井嘉幸やどうの河野のヒヨロ中や、外国魂の犬飼の親玉や、尾さき真暗の憂危雄や、鬼竹の奸一などが、マツソン結社の不知/\の先導者と成つて天下の愚民を煽動し、恐れ多くも御膝元で騒ぎ廻り、天下の大政治家を以て自任しつゝある危険人物である、否天地容れざる国賊である。

神霊界 1920/02/01 随筆 午頭天王

 平田篤胤曾て午頭天王暦神辯を著はして曰く、世に午頭天王と申すのは建速須佐之男命に坐し、暦法家に謂ゆる天道神も須佐之男命、歳徳神は稲田姫命、八将神はこの二神の御子に坐すなど言へども、皆家相方位家の人惑しにして、片腹痛きことなりと謂へるは、最もなる所説と言ふべし。午頭天皇とは言霊学上、午頭天王と成るのである。世俗謬り伝へて、午頭天王を素蓋鳴尊と為すは、大神に対し奉りて、実に不敬の甚だしきものである。古伝に曰く、
 午頭天皇、竜王の娘頗梨采女を妻とし、以て八王子を得たり。其一は総光天王大歳神、二は魔王天王大将軍、三は倶摩羅天王大陰神、四は得達神天王歳刑神、五は良侍天王歳破神、六は侍神相天王歳殺神、七は宅神相天王黄幡神、八は蛇毒気神豹尾神、以上は八将軍。(八尾八頭)也。
 その眷属八万四千六百五十四神あり。午頭天王、后妃及び八王子諸眷属を率ひて、広遠国(日本国)に到り、彼の鬼館に入り、諸の眷属と共に乱入して巨旦を滅ぼすとあるは、大日本国の国祖、艮の大金神を征伐した事の意義である。天地開闢の大初より、八頭八尾と邪鬼と、金毛九尾の悪神が現はれ、天下を魔の世界に為として、天の大神ヘ種々の奏問を成し、終には根の国へ神退ひに退ひ、猶飽き足らずして、艮の鬼門大神の神館に乱入して、巨旦大王(艮金神)の屍を切断し、各々五節に配当し、神事、仏事共に、艮の金神調伏の儀式を行ひ、広遠国をソミコンに預けておいて、誓つて日ふ、我末代に疫病を流行する神と成らむ。併しソミコン(抹損の眷属)の子孫と日はば、妨碍すべからずと、「がが在る」の味方のみを助け、他の種族は之を疫病にて滅ぼすと云ふ、虫の良い誓言である。又た彼は末代の衆生が寒熱の二病を受くるは、則ち午頭天王の眷属の行為であるから、若し此の病を退けむと欲せば、則ち外に五節の祭礼を違へず、内に二六の秘文を収めて、須らく敬信せよと言つて、天下の衆生を、一々「我が在る」の好策に曳き入れ来たつたのである。「二六の秘文とは、ソミコン子孫と唱へることである」
 今日までに、神事、仏事に五節の祭礼を執行して居たのは、甘々午頭天王の悪神に誑惑されて居つて、気が附かなかつたのである。五節の祭礼の一なる正月元旦の赤白の鏡餅は、巨旦(艮金神)が骨肉也。三月三日の蓬來の草餅は、巨旦が皮膚也。五月五日の菖蒲の結粽は、巨旦が髪髪也。七月七日の小麦の索麺は、巨旦が継也、九月九日の黄菊の酒水は巨旦が血脈なり。又た鞠は巨旦の頭なり。弓の的は巨旦の眼なり。門松は巨旦の墓験なりと唱へしめ、威是れ艮の金神調伏の儀式として、今日まで神仏の儀式に用ゐて来たので在るから、天下に真の神の守護が絶無となり、悪魔の横行濶歩したのも無理はないので在る。然るに有難き事には天運こゝに循り来つて、艮の金神大国常立尊が、地の高天原に、変性男子の身魂に依りて顕現せられ、天下の悪鬼邪神を言向和し玉ふ神代が到来したので在るから、今迄の五節の祭礼も、自然に改め無ければ成らぬ事に成て来たのであります。
 附言午頭天王を素蓋鳴尊なりと唱へ出したのは、吉備公が唐より帰朝の際従ひ来りし、金毛九尾、白面の悪狐に何時の間にか我精霊を魅せられて、途方も無き説を暦法に加ヘられたのが、日本人のマツソンの霊魂に誑惑された初めである。

神霊界 1919/08/15 随筆

今の日本の上に立ちて働く守護神に、神国に生れて神国の政治を致し乍ら、神国の精神を忘れて、外国の石屋に知らず/\に抱き込まれ、抱落しに懸られて、外国に対しては神国の威勢を惰し、多数の人民に対しては深き恨を買い乍ら、利己主義の精神を立貫かうと致して、臭い物に蓋をする如うな、頭を隠して尻をかくさぬ、向ふ見ずの世の持ち方、是では国が潰れるより仕方が無いではないか。吾々は二十余年来所在艱苦に堪えつゝ社会から狂人扱ひにされつゝ、至誠至忠、素志を飽く迄も貫徹し、現代の窮状を救はむ為めに、一切の体慾にはなれて、以て斯道を天下に拡充しつゝあるのであるが、今日は上の守護神の力では、到底これを修斎して、神国の天賦的国体の活用を全うする事は出来ぬ。此上は神明の加護と、皇上の御稜威と、下国民の忠良なる至誠に依るより、外に道はないのである。

 東京の活版職工同盟罷業の為、数日間帝都をして精神的暗黒界と化せしめた事実は、果て何を語る者で有うか。上下に押並べて邪神の感化を不知案内の間に受けて居るのである。悪神に使はれて暴動せる、石屋の活動、邪神の暴動は、激烈になるから、日本国民は皇道を遵奉し、神と君と国との為に、至誠神通的の大活動を忘れてはならぬのである。

神霊界 1919/11/01 随筆

 万々一にも此の事を忘れて、外来の思想に迷つたならば、最早や日本神国の人民とは申されませぬ。神界に対し奉り、天地容れざる逆臣逆賊であります。其故に艮の金神、大国常立尊は、世界の中心地の高天原なる下ツ岩根の竜宮館に出現遊ばして、変性男子の身魂を機関として、石屋の世界を攪乱しつつある悪の陰謀を、日本の人民に警告されたので在ります。悪神の計略に甘々と乗せられ切つて居る。国民は盲目や聾と同じく、誰一人として真実に耳を藉すものも無く、眼を開くものも無かつたので在りますが、今や神諭の実現は時々刻々に顕著に成つて来ましたから、一日も早く覚醒して頂き度いものです。
  △
 源九郎義経を助けて置いた石屋の悪神も、艮の金神、坤の金神を知らざりし為に、何程「我が在る」大将でも、初陣に損害を受け、末尾に大損昔からの大計謀を、一朝にして破壊さるゝ運命に立到るは、大本神諭より観察して瞭かな次第で在る。

神霊界 1919/11/01 伊都能売神諭

艮の金神大国常立尊が明治二十五年から、変性男子の御魂の宿りて居る、出口直の手と口とで、永らく知らした事の実地が現はれて来たぞよ。今に成りてからは、何程日本の守護神が焦慮りたとて、最ふ上げも下ろしも成らん所まで世が迫りて来たから、何程守護神人民が地団駄踏みたとて、到底人民の力ではニジリとも出来ぬから、此上は神力に頼よるより外に道はないから、世に出て居れる方の日本の守護神は、早く身魂を研ひて、この結構な先祖から続いた国を守護いたさぬと、今度行り損なうたら、万劫末代取返しの成らん事になりて、世界は石屋の自由自在にして仕舞はれるぞよ。

物語08-6-41 1922/02 霊主体従未 言霊解(三)

次に『御胸には火雷居り』といふことは、今日学者階級とか、知識階級とか、大宗教家とかいふところの偽聖者が、こぞつて大本の出現を忌み嫌ひ、百方火のごとき激烈なる反対演説や、反対論を新聞や雑誌書籍等に掲載し、以て天下の思想界を攪乱せむとする石屋の手先が、口の続くかぎり筆の続くきはみ、大々的妨害しつつあるは、即ち胸に居る火雷であります。

三鏡にはほとんどマツソンは出ていません。

神の国 1926/05 牛頭天王と午頭天王

牛頭天王は素盞嗚命の御事であり、午頭天王はマツソンは大神様の名を僣して、まぎらはしい午頭天王などと云ふたのである。牛と午との違ひである。


神の国 1929/00地租委譲問題

地租委譲問題は地方分権制度でマツソンの仕組である。

昭和時代には歌の一部に出てくるだけです。1934年の歌は、マツソン=ユダヤと読める個所です。

昭和 1933/12 神国日本

マツソンは世界の隅ずみおちもなく世を乱さむとたくらみて居り
世の中の万事万端マツソンの計略のわなにおち入りてをり
地の上の国のことごと占有し壊さむとするフリーメーソン

昭和 1933/06 大道を歩む

マツソンの世界覆滅大陰謀着着爪牙をあらはし来れり

昭和青年 1930/08 昭和青年会へ

外になき是れの尊き神国を乱さんとするフリーメーソン

人類愛善新聞 1934/08 皇道経済我観

国々の経済界を掻き乱し猶太の邪神は北叟笑みつゝ
国といふ国は悉くマツソンの経済戦に艱まされ居り


11.まとめ

反ユダヤ文献・反ユダヤについて書かれた文献にはあまり王仁三郎のことは出てきません。たぶん宇野氏の著作(宇野氏は反ユダヤではないと言っている)にも出てこないのだけれど、これは王仁三郎が親ユダヤだったと思われていたからでしょうか。

王仁三郎が『新月の光』で「王仁の文献にはユダヤのことを悪く書いたところないやろ。」と語っているように、王仁三郎のユダヤ観は、最初は同祖論で「親ユダヤ」の立場であったように思えます。また、石屋(マツソン)とユダヤとは最初は関係しているような書き方はしていません。

ただし、王仁三郎の後期の文献を読む限り、反マツソンであったように思うのですが、どうでしょうか。

マツソンとユダヤを関係づけるのは、昭和に入って、神聖会運動を開始してからのような気がしますがどうでしょうか。そうであるとすると、同祖論と反ユダヤの歴史的な流れと一致してくるように思えます。

そして、昭和19年には、『新月の光』で「ユダヤ人の三分の一は良いので三分の二は○いので、これがフリーメーソンをやっているのである。今の戦はこれがやっている。」と語っています。

また、『新月の光』には気になる表現があります。

上P.363
 大本第二次事件の予審調書がフリーメーソン本部に入ったから、もう大本は大丈夫だ。
(昭和17年)

下P.150 艮の金神とユダヤ
 ユダヤは神の選民で、艮の金神が道具に使っていられる。ユダヤは悪に見せて善をやるのや。
 王仁が白紙委任を頂くようになってから、天国の姿の通り移して制度を日本に立てるのだ。
(昭和十九年四月十日)

この2つを見る限り、王仁三郎はフリーメーソンと深い関係があったとも考えられます。

霊界物語では、フリーメーソンというよりは秘教関係の用語が結構出ています。  秘教用語

狭依彦が考えるには、霊界物語に登場する悪の組織は、フリーメーソンよりも、デヴィッド・アイクの言うブラザー・フッド(フリーメーソンはその下部組織のひとつ)と考えたほうが良いと思うのですが、真実はどうだったのでしょうか?いつか結論を出したいと思っています。



第1版  2004/11/18
第1.1版(一部修正)2015/01/02



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