論考資料集 物語64巻


物語64上-1-11923/07 山河草木卯 橄欖山

 エルサレムの郊外にアメリカン・コロニーといふ宏壮な建築物があつて、雲を圧して聳え立つてゐる。今より四十年ばかり以前に、アメリカからスバツフオードといふ猶太人が、基督の再臨が近づいて、その場所は橄欖山の頂上だといつて、基督を迎へる準備のために来てをつたのが抑のはじまりで、その後は国籍や人種の異同を問はず、基督再臨を信ずる人びとが是に加はつて、自分らの財産を全部提出して共同生活を行つてゐる。各自がその分に相応して働いて得た利益は、これを共同生活のために使用するといふ基督教的の精神に基づく一つの団体が組織さるるにいたつた。その創立の最初には、人々は非常に狂信的で、自分の年頃になつた時も結婚さへしなかつたものだが、現時は人々の考へかたが余ほど自由になり、団体員の中で結婚をするやうになり、幾組かの家庭が出来て、今の団体員は第二の時代の人びとである。全体で約一百人ばかりで、たがひに兄妹と呼び合つてゐる。国籍は種々で、一番に多いのがスエーデン人である。そしてアメリカン・コロニーといふ名称が附されてある。創立者が亜米利加人であつたから此の名を附すことになつた。現今ではアメリカ人は数名に過ぎない。ユダヤ人は十数名集まつてゐる。
 創立者の子息スバツフオードは熱烈な信仰者で、マグダラのマリヤといふ猶太人の婦人が加はつてゐる。この婦人は、ほとんどスバツフオードと相並びて、アメリカン・コロニーの牛耳をとり大活動を続けてゐる。そして三十歳を過ぎたるにもかかはらず独身生活をやつてゐる。この団体員は、いづれも身の一切を主の神に任せきつてゐる態度といひ、人類に対する愛の発現といひ、到底他で見ることの出来ない美しさである。すべての猶太人は、この神の広い教旨を聞いてゐるにかかはらず、民族的偏見に囚はれ、彼等は特有な、いい意味のヂレッタント的の性質からこの域まで深く達し得る者の少ないのに、かれ団体員は神意を克くも体得し、抱擁帰一博愛平等の大精神を有してゐる公平無私な態度には、感歎せざるを得ないのである。
  ○
 スバツフオードは朝早くから、一間に立て籠り熱心に神の宣示を祈つてゐる。そこへマグダラのマリヤが、少し顔色を赤らめながら忙がしげに走り来たり、両手を突いて、
『聖師様、妾は何だか昨夕から身体の様子が変つて来たやうでございますが、一つ何神の神がかりなりや、ただしはサタンの襲来なりや、厳重なる審判神をしていただきたうございます』
 聖師はマリヤを一瞥して、眉をひそめながら、
『なるほど、あなたは御様子が変ですよ。どうれ、私が及ばずながら審神者を勤めさしていただきませう。ずゐぶん強烈な感じ方ですわ』
 マリヤは、
『何分よろしくお願ひ申し上げます』
と言つたきり、聖師の前に座を占め両手をキチンと胸のあたりに組合せ、
『この方は大黒主の神、八岐大蛇の守護神であるぞよ。汝スバツフオード、よつく聞け、メシヤの再臨を夢想して、今日まで殆ど四十年間数多の愚人を誑惑し来たつた横道者奴、メシヤなぞがこの聖地に降つて何になるか』
『これは怪しからぬ。汝は今自白いたした八岐大蛇の化神悪神の張本、わが言霊の神剣の威力を知らぬか』
『アハハハハ、今この方が憑依してゐるマリヤなるものは、汝と同様に無智迷矇の婦人、到底度し難き代物なれども、憑るべき身魂なきゆゑに、不満足ながらもこの方が御用に使つたのだ。この婦人はユダヤの生れ、神の選民と申して威張つてゐるに由つて、懲しめの為この肉体を臨時苦しい用に使つたのだ。その方も東方の星とか、メシヤが日出島より再臨するとか申して、夢幻の境遇にさまよふ馬鹿者、この方の託宣を耳を洗つて謹みて承れ。今より三千年以前に、パレスチナの本国を他民族に奪はれ、世界到る処において虐げ苦しめられ、無籍者のくせに吾々は天の選民なりと主張し、メシヤを待ち望みてゐるではないか。左様な根拠もなき妄想にふけるよりも、心を改めてこの方の言葉を承り、汝ら民族のために全力を尽す心はなきや』
『現代のごとき常闇の世となれば、到底今日までの宗教や政治の行り方では駄目だから、吾々は大聖主メシヤの再臨を待つてゐるのだ。聖書の中にも、吾々猶太民族が天下を支配すべき神権を保有することは明らかに示されてある。ゆゑに吾々はこの予言の実現すべきことは確信してゐる。然しながら、この世界は神の保護を離れては無事泰平なることは出来得ない。ついては超人間的の大偉人すなはちメシヤが現はれなくては如何とも成すことは出来ない。それゆゑに吾々は神を信じ神を愛し、何事も惟神に任せて行動してゐるのだ。汝いづれの魔神かは知らねども、吾々の信仰に対して妨害を加へむとするか。悪神の覇張つた世の中は今までの事だ。今日はもはやメシヤ再臨の時期に近づいたのだから、悪神の出て威張る時ではない。一時も早くマリヤの肉体より退出いたせ』
と威丈高に詰問すれば、マリヤの憑霊は大口開けて高笑し、
『アハハハハ愚なり汝スバツフオード、汝の四十年来待ち焦れてゐるメシヤと称するものは、無抵抗主義を標榜せる瑞の御霊と申す腰抜人物だ。この方の幕下の神のために散々に苦しめられ、聖場を破壊され、身の置き所を失つて仕方なしに、このパレスチナの国へ逃げ来たらむとしてゐる狼狽ものだ。手具脛ひいて待つてゐる大黒主山田颪のこの方の繩張内へウカウカ来たる大馬鹿ものだ。左様なものをメシヤと称して待つてゐるその方等の心根が可憐しいわい。アハハハハ、とかく現世は権力と金の世界だ。黄金万能主義だ。世界の富を七分まで占領いたしてゐるユダヤ人は、大黒主の何れも幕下だ。汝は同じユダヤに生を享けながら不心得千万、高砂島のメシヤを待望するとは何のこと、真正のメシヤはこの方山田颪様だ。世界のあらゆる強大国を片つ端から崩壊させたのは、皆この方の三千年来の経綸の賜だ。今にモ一つの高砂島を崩壊すれば、三千世界は大黒主山田颪の意のままだ。諺にも時の天下に従へ、長いものには巻かれよと申すではないか。三千年以来結構な神の国をキリスト教国に占領せられ、神の選民はあらゆる軽蔑と迫害とを蒙つてきたユダヤの元の聖地を取り返したのも、皆この方が経綸の現はれ口、サアこれよりは山田颪様の天下だ。汝等も今の間に改心いたしてメシヤ再臨の妄想を止めないと、やがては呑噬の悔を遺すであらう』
『吾々は国籍はたとへユダヤにおくとも、真の神の選民である。汝等のごとき悪神の選民ではない。今日のユダヤ人は真の神を忘れ汝ごとき邪神の幕下となり、体主霊従的行動をもつて、九分九厘まで世界を惑乱いたして来よつたが、もはや悪神の運の尽きだ。早く改心いたしたが良からうぞ』
『テモさても愚鈍な奴だなア。汝は愛国心のない大痴漢だ。汝等の祖先は何れもキリスト教国に圧迫され、アラビヤの荒野に四十年の艱苦を嘗めた事を知らぬか。今までは彼のキリスト教国の天下であつたが、世は廻り持ちだ。何時までも持ち切りには為せられないぞ。今に山田颪の守るユダヤ民族が全世界を支配いたすのだ。丑寅の金神などが種々とこの方の仕組の邪魔をいたしたるによつて、高砂島へ追ひやつたのも一つの仕組だ。大江山の酒呑童子と現はれて、一時活動をつづけたのも矢張りこの方大黒主山田颪様だ。しかしながら時期未だ来たらずと感じ、一旦引き揚げ、このパレスチナにおいて万事抜け目なき計画を廻らし、やうやくパレスチナの本国を手に入れた以上は、如何に天下広しといへども、もはやこの方の自由だ。シオン団の活動も、ユダヤ民族の熱烈なる信仰力も皆この方の守護のためだ。アハハハハ』
『シオンとは日の下または日向といふ意味ではないか。日の下は神の国だ。その神の国は高砂島だ。神の国よりメシヤを迎へるのは当然ぢやないか。その方の言葉は実に自家撞着の甚だしきものだ。もはや吾々に用はない。早くマリヤの肉体より脱出いたさぬか』
『アハハハハ日の下とは即ちパレスチナのことだ。太陽は東より昇り、中天に来た所を日の下といふではないか。高砂島は東の国すなはち日の出島だ。世界の中心は太陽の真下だ。試みにパレスチナを中心として、約七千哩、八千哩の半径をもつて大きな円環を引き廻して見よ。八千哩東に当つて高砂島がある。西八千哩にメキシコあり、北六千八百哩に、ナウルエーがみな這入つてゐる。世界における国といふ国は皆この円環の内に這入つてゐる。かかる尊きパレスチナこそ世界の中心だ、日の下だ、日向の国だ。ここに国を建てたのは即ちこの方の仕組だ。何を苦しみて、高砂島から雲に乗つて来るとかいふキリスト教の神を待つ必要があるか。馬鹿だのう』
と怒鳴り立てる。
 聖師は一生懸命に大神に祈願をなし、天津祝詞を奏上するや、さすがの大黒主山田颪も聖師の言霊の威力に打たれ、マリヤの肉体をその場に倒して逃げ去つてしまつた。マリヤは初めて正気になり、
『聖師様、妾には何だか憑依してゐたやうでございましたなア。善神でせうか、邪神でせうかなア』
『イヤもう、大変な元気な事をいふ神でございましたが、私の祈願によつて漸く貴女の体を退却しました。油断のならぬことになつて来ました。悪神の仕組もよほど進みてをりますから、吾々団員はよほどしつかり致さねばなりませぬ。しかしながら誠の大神様が邪神と化つて、吾々の信仰をお試しになつたのではあるまいかと、俄かにソンナ気分になつて来ました』
『吾々はどこまでもメシヤの再臨を信じて父祖以来待つてゐるのですから、今になつて心を変へることは到底出来ませぬからなア』
『左様です。お互ひにその心でをりませう』
『聖師様、妾は何だか俄かに橄欖山へ登りたくなりましたから、ちよつと参拝して参ります。何だかメシヤ様に遇はれるやうな心持がいたしますから』
『あなたは平素から立派な霊感者だから、何か神様の御都合があるのかも知れませぬ。早く参つてお出でなさいませ』
『ハイ有難う。後はよろしくお願ひいたします』
といそいそとして軽装のまま、エルサレムの停車場へと、知らず識らず何ものにか引かるる心地して駅前に着きける。



物語64上-1-3 1923/07 山河草木卯 聖地夜

 ダング・ゲートは昔この門から汚物を運び去つた所と伝へられてゐる。シロアムの村が眼下に展開してゐる。その門を這入つてユダヤ人街とマホメツト教徒街との間を通過し、ジヤツフアの門へと出た。
 現今のエルサレムの市街はアラブ、ユダヤ人、アルメニヤ人の住みてゐる三ツの区域によつて仕切られてゐる。神殿の跡に近い暗いアルカードの傍に、二三人のアラブが立つてゐて、手真似で訳の分らない言葉で両人を呼び止めた。両人は気味悪さうに聞かぬ風を装ひスタスタと足を早めた。
 ダマスカス、聖ステフアン、ゲツセマネと、かういふ名は熱烈な信仰者の胸に深刻な感動を与へるものである。ブラバーサはうつむきながら一足一足指の尖に力を入れ、ウンウンと独り心に囁きながら、マリヤの後について行く。しかし現代の多数の基督教徒、それらに対して宗教は無意味な形式、死し去つた伝統に過ぎない。呑気な基督教徒中に真にダマスカスの道にある使徒パウロの心を自身に体験し、キリストのゲツセマネの園における救世主のお悩みの一端だに汲み得る信徒が幾人あるであらうか、と慨歎の涙に暮れて知らず識らずにマリヤに半町ばかりも遅れてしまつた。

(中略)

 ダング・ゲートは昔この門から汚物を運び去つた所と伝へられてゐる。シロアムの村が眼下に展開してゐる。その門を這入つてユダヤ人街とマホメツト教徒街との間を通過し、ジヤツフアの門へと出た。
 現今のエルサレムの市街はアラブ、ユダヤ人、アルメニヤ人の住みてゐる三ツの区域によつて仕切られてゐる。神殿の跡に近い暗いアルカードの傍に、二三人のアラブが立つてゐて、手真似で訳の分らない言葉で両人を呼び止めた。両人は気味悪さうに聞かぬ風を装ひスタスタと足を早めた。

物語64上-1-41923/07 山河草木卯 訪問客

 ブラバーサは、マリヤの姿を見失ひしより止むを得ず、ただ一人にてカトリツクの僧院に帰つて見れば、四辺は寂として静まりかへり、ただ耳に入るものは自分の行歩に疲れた苦しげな鼻息と、その足音のみなりき。幸ひ表の門が開け放しになつてゐたので、与へられた二階の居間に帰り、ソフアの上に横たはりて前後も知らず夢幻の国へと突進したりける。
 ガンガンと響く僧院の梵鐘の声に夢を破られ、ツト身を起して見れば四辺はカラリと明け放れ、午前八時の時計が階下に響いてゐた。ブラバーサは時計の音を指を折つて数へつつ、
『アアもう八時だ。よくもマア寝込んだものだ。それにしても昨夜のマリヤさまはこのホテルには来てゐないだらうか。どことはなしに神経質な感傷的な婦女だつたが、神懸の婦女によく在る習ひ、にはかに神の命とか言つて心機一転してアメリカン・コロニーへ還つてしまつたのだらうか。あまり気持の良い婦女ではなかつたが、その熱烈な信念と親切な態度には実に感謝の至りだ』
と独語ちつつ洗面所に入り用を足して、再び自分の居間に帰つて来た。
 見れば食卓の上には二人前の膳部が並んでゐて、ボーイらしき者もゐない。ブラバーサはこの態を見て、
『ボーイは其処らに見当らないが、二人前の膳部が吾が居間に運ばれてあることを思へば、どうやらマリヤさまも外の居間に寝てゐたのかも知れない。ハテ不思議だなア』
と首をしきりに振つてゐる。
 そこへしづしづとして這入つて来たのは年の若い美しいボーイであつた。ブラバーサは、
『ボーイさま、夜前の相客たる一人の婦人は何処にをられますかな』
『ハイ、昨夜は貴下と御一緒に此の室でお休みになつたことだと思つて、お二人の膳部を運んで来たのでございます。別に外にはをられませぬ』
『ハテナ、合点の行かぬことだ。しかし何はともあれ朝飯を済まさむ』
と食卓について、半時ばかりの間に掻き込むやうにして朝の食事を済ませてしまつた。ボーイは是非なくマリヤの膳部をブツブツ小言をいひながら片付けてしまひ、ブラバーサの手から応分のポチを受取り、嬉々として次の室に姿を隠した。
 ブラバーサは椅子に依りかかつて、二階の窓からエルサレムの市街を心床しげに瞰下し無限の情想を漲らしゐたり。
 そこへ「御免下さい」と静かに声をかけて扉をたたいたのは、猶太人らしき品格の高い人好きのしさうな老紳士なりし。
『何れの方かは存じませぬが、まづお這入り下さいませ』
と自ら立つて快く扉を開いて吾が室へと迎へ入れる。
 老紳士はさも満足気にブラバーサの手を握つて、その顔を熟々ながめ、早くも両眼から涙さへ流しゐたり。
『貴師は何れの方でございますか。何となく懐かしくなつて参りました』
『ハイ、私はアメリカン・コロニーの執事でスバツフオードと申す瘠浪人でございます。昨夜はマリヤさまが、大変な失礼をしたので再びお顔を拝する訳にはゆかないから、私に一度、この僧院の二階の第九番に御逗留だから謝罪に行つて下さるまいかと大変に心配してをられますので、私はその御無礼のお詫びを兼ねて尊い貴師に拝顔の栄を得たいと存じ、朝早くからお邪魔をいたしました』
『アア貴師がマリヤ様と御一緒にコロニーを司宰遊ばすスバツフオード様でございましたか。よくマアお訪ね下さいました。サアどうか此方へ』
と椅子を進める。老紳士は、
『ハイ有難う』
と与へられた椅子に腰打ちかけ、香りの強い煙草を燻らし初めたり。
『マリヤ様は親切に聖地の案内をして下さいましたので、大変な便宜を得ましたのです。私の方からお礼に参らねばならないのですが、夜前突然お姿を見失つたものですから、ツイ失礼を致してをりましたが、コロニーへお帰りになつてをらるると承り、それで私もヤツと胸が落着きました』
『何分マリヤさまは霊感者ですから、時々脱線的行動を始められ、後になつて毎時も自分で心配をされるのです。コンナ事は今日に初まつたことではありませぬ。私はマリヤさまの弁解と詫役とにいつも使はれてゐるのです。アハハハハ』
『マリヤ様は途中において何物かを霊視されたのでせうか』
『話によれば、貴師の眉間より最も強烈なる光輝が放出し、神威に打たれて同行することが出来なくなり、思はず知らず恐怖心に追はれて尊き貴師を見捨てて逃げ帰つたと申してをられました。私はコリヤきつと邪神の憑依だらうと思つて審神を行つて見たところ、案に違はず山田颪の悪霊が憑依してをりまして、貴師の聖地へ来られたことを大層恐れ、且つ嫌つてをるのです。悪霊の退散した後のマリヤ様は立派な方ですが、あまり貴師にすまないからと言つて心を痛め、私に謝罪に行つて来よとのことでございました』
『ハア決して左様な御心配は要りませぬから、どうか宜しくおつしやつて下さいませ』
『ハイそのお言葉を伝へますれば、マリヤさまも大いに喜ばれませう。昨夜貴師の御案内を為すべく、それも神示によつてコロニーを立つて行かれたのです。どうか聖師様、一度コロニーまで玉歩を枉げて戴けますまいか』
『ハイ有難うございます。是非是非お世話にあづかりたうございます。時にスバツフオード様、イスラエル民族たる猶太人も三千年の艱苦を忍びてやうやく故国を取り還しましたねー。時節の力といふものは実に恐ろしいものですなア』
『ハイ有難う。私等もやつぱりイスラエル民族でございますが、やうやくにして自分の公然たる国が小さいながら立つやうになりました。世界の三大強国がいづれも必死の勢ひでこのパレスチナを手に入れやうとして、つひには御承知の世界戦争までおつ初めたのですもの。それが放浪の民たる吾々民族のものに還つて来たといふのは全く天祐と申すより外はありませぬ。要するにメシヤ再臨の準備として、神様が吾々に国を持たして下さつたのだと思ひます』
『地球の中心すなはちシオンの国ですから、独英米なぞの強国は欲しがるのも無理はありますまい』
『独逸の造つたバクダツト鉄道や、英国の拵へたアフリカ鉄道、アメリカが拵へかけてゐるサイベリヤ経由の大鉄道も皆このパレスチナを目標としてゐるのですが、かうなる以上はこれらの大鉄道もまた、イスラエル民族たる吾々のために利用さるることとなつてしまひました。この鉄道さへ利用すればユダヤ民族が世界を統一し得ることは明白な事実であります。しかし今日の猶太人は物質慾が強きため、肝心の神様を忘れてゐる者が多いので困ります。人間の知恵や力量では九分九厘までは何事でも成功いたしますが、最後の艮めはどうしても神様の力でなくてはなりませぬ、それゆゑ吾々は大神の表現神たるメシヤの再臨を待つてゐるのでございます。昔パレスチナが神の選民と称へられたイスラエル人の手に与へられた当時は、蜜滴り乳流るると言はるるカナンの国で、サフラン薫じ橄欖匂ふ聖場と詩人に謳はれた麗しい景色の好い所でありましたが、今日となつてはその面影もなく荒れ果ててしまつたのですが、そのパレスチナが再びユダヤ人の手に戻つて、昔の橄欖山の美しい景色がだんだんと出て来るやうになつて来ました。天に坐します神様はメシヤの再臨に先だち、パレスチナを御自分の選みたまひましたところのユダヤ人にお任せにならむが為に、数千年前からこの美はしい使命を与へて選民たるの資格を備へしめむとして、四十年間三百万の人間を苦しめ給ふたのです。三百万の者が飲むに水無く、食ふに食物の出来ない所で、あるひは親が死に子が死に、何代も続いて四十年間苦行を嘗めさせ玉ふたのも、イスラエル帝国の国民性を養はむがための御経綸であつたのだと考へらるるのです』
猶太人はキリストを殺したために、他民族から排斥され、種々の困難を嘗めて来たのではありますまいか。さうすれば若しも有力なる猶太人が現はれて世界を統一した時において、凡ての異教国の人民に対して復仇的態度に出づるやうなことはありますまいかなア』
『多くの同胞の中には左様な考へを持つてゐる者があるかも知れませぬが、イスラエル人は比較的善良な民族ですから、一時はたとへ過激な行動に出づるやも知れませぬが、何といつても神に従ふ心が深いのですから、誠のメシヤが判りて来ましたら、きつと其の命に従ふものだと吾々は国民性の上から判断をいたしまして、メシヤの再臨を待ち望んでをるのでございます。そして猶太人は世界を統一してシオン帝国を建設する事があつても、自ら帝王に成らうなぞとは夢想だもしてをりませぬ。ただ聖書の予言を確信し、メシヤは東の空より雲に乗りて降臨すべきもの、また吾等の永遠に奉仕すべき帝王は日出の嶋より現はれ玉ふべきものたることを確信してをりますよ。イスラエル民族はこの信仰の下に、数千年間の艱苦や迫害を忍んで来たのですからなア』
『私はそのメシヤも帝王もみな高砂島にチヤンと準備され、数千年の昔から今日の世のために保存されて在るといふことを信じてをります。一天一地一君の治め玉ふ仁慈の神代は既に已に近づきつつあるやうに思ひます。しかしそれまでには、如何しても一つの大峠が世界に出現するだらうと思ひます』
『なるほど、吾々も貴師と同意見です。天の神様がいよいよ地上に現はれて善悪正邪を立別け立直し玉ふは聖言の示したまふところです。一日も早く身魂を研いて神心になり、世の終りの準備にかからねばなりませぬ。そして高砂島からメシヤと帝王が現はれたまふといふ貴師のお説には私は少しも疑ひませぬ。サア長らくお手を止めまして済みませなんだ。如何です、一度アメリカン・コロニーまで御足労を願はれますまいか』
『ハイ有難うございます。然らばお言葉に従ひお供を致しませう』
と僧院の監督にその旨を明かしおき、老紳士の跡に従つてコロニーへと進み行く。
(大正十二年七月十日 旧五月二十七日 加藤明子録)


物語64上-2-61923/07 山河草木卯 偶像の都

(前略)

 外のユダヤ人街から来るのか、内部から発したのか知らぬが、一種異様の厭な臭気が襲つて来る。そして内部は凡てキリストの磔刑に関するあらゆる由緒ある場所によつて充たされてゐて、何となく物悲しい寂しい感じを与へる。精霊が八衢を越えて地獄の入口に達した時のやうな気分になつて来る。

(中略)

『ここがキリスト様が母上様に会見遊ばした所で、熱烈な信徒の立ち止まつて動かない地点でございます。あすこに「この人を見よ」のアーチがございませう。あれはピラトの訊問を受けた後にキリスト様がユダヤ人の群集の前に引き出だされ、種々の迫害と嘲罵とを受けたまふた所です』
と涙ぐまし気にそろそろと歩みながら、後ふり返つてはブラバーサの顔を見詰めて、
『イエス荊の冕を被ぶり紫の袍を着て外に出づ。ピラト彼等に曰ひけるは「見よ是人の子也」と馬太伝に誌されてある事実で、キリスト様が二度目に倒れたまふた地点はここだといふことです。そしてキリスト様に従つて来たと話された地点はここですわ。このチヤペルにチヤンと彫り込んであります』
と丁寧親切に案内したりける。

物語64上-2-71923/07 山河草木卯 巡礼者


 マリヤは再び寺院を辞して、ユダヤ人クオーターの西端なる所謂ユダヤ人「慟哭の壁」を見に行かうではありますまいか。とブラバーサを顧みた。ブラバーサはあまり気乗りがせなかつたけれども、折角の案内でもあり、また一度は参考のために是非調べておきたいと思つたので、マリヤに一任して従いて行く。
 荒い大きい石で築き上げた壁の間を迷宮のやうに廻つて行くと、「神殿の広場」のふもとの丈の高い壁に突き当つた。石畳になつた路は壁に引添うて三十間ばかり走つてゐて、その先はピタツと行き詰りになつてゐる。その周囲は何となく恐ろしいやうな気味の悪い感じを与へる。ここでユダヤ人は滅亡したエルサレムのために、声をかぎりに号泣するのである。いつも幾何かのユダヤ人がここに出て来て、しきりに祈祷を捧げたり聖書を拝誦して、ユダヤ民族の過去の光栄を思ひ浮かべて泣くのである。そして金曜日と土曜日との夕刻には、最も多人数が集まつて来るのである。またベツスオーウー(渝越節)のやうなユダヤ人の祭典日には、老若男女すべての階級の人々が集まつて、その中の長老らしきものが、

 壊たれたる宮のために

と歌ふと群集は異口同音に、

 吾等はひとり坐して泣く

と答へて歌ふその有様は、実に物凄い感じを両人の心に与へた。また、

 毀たれたる宮のために
 潰えたる城壁のために
 過ぎ去りし偉大のために
 われ等は死せる偉人のために
 焼かれたる宝玉のために

といふ風に謡ふと群衆は同じやうに、

 われ等はひとり坐して泣く

と答へて涙をしぼつてゐる。
 壁にはユダヤ時代、ローマ時代、アラブ時代に築き上げられた部分が明瞭に見分けられて、一番下層の大石はユダヤ時代の物だと伝へられてゐる。それらの年代と人々の触接との関係とによつて非常に黒ずんで汚なくなり、その表面にヘブリユーの文字が無数に書き録されてある。またその大石には方々に沢山の釘が打ち込んであるが、これ等は諸国に散在してゐる信仰強きユダヤ人が、祖先の地を訪れて遥々とここに来た時に打ち込んだ釘で、それが石に確りと刺つてをればをるほど、神様が彼らを捕へてをらるることが確かだとの信仰に基づくものである。
 両人はここに停立して往時の追懐にふけつてゐた。そこへ十二三人の人が集まつて来て、その壁に頭をつけて接吻し始め出した。ブラバーサはこの態を見て一種名状すべからざる感じに襲はれた。それは勿論宗教的のものでもなく、また憐愍や同情に由来するものでもなく、また普通のキリスト教徒のユダヤ人に対してもつてゐる反感から来たる応報的感じでは勿論ない。それは気味悪いほど根深いもので、たとへば執拗な運命に対する恐れとでも言つたら良ささうな本能的のものである。この光景を見た両人は、他の英米人のやうに微笑しながら平気で彼らの動作を見つづけたり、その光景を撮影したりするやうなことは到底出来ない悲哀に閉ざされてしまつた。一分間といへどもそこに立ち止まつて傍観するにたへずなり、仔細にその有様や壁などの歴史的構造にも注目してゐる暇なく、顔を背けてマリヤと共にその場を逸早く立ち去つた。
 ここは実にエルサレムにおける最も深刻味の湧いて来る場所である。「永劫のユダヤ人」といふ声が何処からともなく耳に響いて来る。是らの干涸びた老人らは、いづれもアブラハムの裔ダビデの裔である神より選ばれたるイスラエル民族の代表者である彼らの中から、全人類の救ひ主イエス・キリストが生れたまふのだ。彼らは二千六百年の間、祖先の光栄と正反対に人の世の中の一番擯斥せられ、軽蔑せらるるものとして、その落着くべき祖国を有たずして世界を漂浪してゐたのである。欧州大戦後このパレスチナの故国は漸くユダヤ人のものと成つたが、未だ世界に漂浪してゐるものがその大部分を占めてゐるといふ有様である。これもキリストを十字架につけた彼等の祖先の罪業の報いともいふべきものだらうか。それにしては余り残酷過ぎると思ふ。キリストを釘付けにしたのは彼等ばかりでなく、人類全体なのである。キリストを救世主と仰がなかつたものは彼ユダヤ人ばかりでなく、世界人類の大多数である。聖書の予言にかなはせむが為とはいへ、あまりに可哀さうだ。彼等はキリストの懐に帰つて罪の赦しを乞ふことなしに、何時までメシヤを待望して世界を放浪するのであらうか。それにしてもアメリカン・コロニーの人達は、早くも目を醒ましてユダヤ人にも似ずキリストの再臨を神妙に生命、財産その他一切を捧げて待つてゐる信念の力の強いのには、感激の至りだとブラバーサの心は忽ちコロニーへと走つてしまつた。
 マリヤに導かれて「汚物の門」を出で、シロアムの谷を見下ろしながら城壁に添ふて歩み出した。キリストが盲者の目を癒されたシロアムの池や、バアージンが水を汲んだ泉や、ユダがキリストを売つた金で買ひ求めた「血の畑」や、そのくびれた木なぞの所在を案内されつつダビデ王の墓の在る所からシオンの門を入り、ダビデ塔の下を通つて、漸くマリヤと共に一先づカトリツクの僧院ホテルに帰つて息を休め、夕餉を済ませることとした。
 ホテルの食卓では英米人四五人と同席せなければならなかつた。紳士を装つて威厳を持した長い沈黙と、無意味なあたり障りのない会話とには流石のブラバーサも堪へ得られなくなり、いま親切に二度までも案内してくれたユダヤの婦人マリヤとの対照を思つて、宗教信者と非信者との温情の程度に雲泥の相違あることを感得したのである。
 食堂の何十といふ顔の何れを見ても、本当の信仰に燃え立つた巡礼の心に駆られてこの聖地に参つてゐると思ふやうな人は、一人も見ることが出来なかつた。彼等は何れも物見遊山的の心でやつて来て、万事に贅沢をつくし、六コースもあるやうな食事を一日に二度もしながら、それに自ら疑問を抱き謙遜な心持ちになることなしに、満足し切つて盲滅法的に暮してゐる酔生夢死の徒とよりは見えなかつた。
 ブラバーサは曾て耽読した「二人の巡礼者」といふトルストイの童話を思ひ出して、なつかしまずにはをられなかつた。二人の敬虔なロシアの百姓は、一生かかつてその目的のために働いて貯へた金で聖地の巡礼に出かけたが、その中の一人は途中で不図したことから一家全体が疫病になやむだ。他の一人は途すがら全家挙つて疫病にかかつてゐた不幸な全員を介抱し始めたために、友とはぐれて旅費に持つて来た金はその為に残らず使つてしまひ、結局目的の巡礼を為し遂げずして故郷に帰つた。第一の巡礼者は彼の友に逢つて巡礼をしなかつた彼の友の方が、自分よりも却つて本当の巡礼者であつたことを認めたといふ文句を心中に繰り返しつつ、食卓を離れて吾が居間に帰り、長椅子の上に横たはつた。マリヤは又もや例の神懸気分になり、ブラバーサに軽く挨拶を交はし、周章て再会を約しながらアメリカン・コロニーをさして帰り行く。
 ブラバーサは大神の神号を唱へ天津祝詞を奏上し終り、窓外の家々の薄明かるい燈火を見下ろしながら、草臥れてソフアの上に白川夜舟を漕ぐこととなりぬ。
(大正十二年七月十一日 旧五月二十八日 北村隆光録)

物語64上-2-81923/07 山河草木卯 自動車

 マリヤはその翌早朝から又もやブラバーサを訪問して、聖地エルサレム市街附近の案内をなすべく、愴惶として僧院ホテルへやつて来た。ブラバーサも聖地附近の様子を一応調査しておく必要もあり、高砂島の故国へも報告せなくてはならないので、この婦人の親切な案内振りを非常に感謝の誠意をもつて迎へたのである。マリヤもブラバーサの人格には非常に尊敬の念を払つてゐた。独身者のマリヤに取つては、実にブラバーサこそ唯一の心の友であり力となりしなり。
 ブラバーサは今日も早朝からマリヤに導かれて、聖地の巡覧にホテルを立ち出づることとなつた。ジヤツフア門外から出発する乗合自動車でベツレヘムに往復することとした。自動車は土埃を立てながらゲヘンナの谷へと降つて行く。
 元はエルサレムの市の西南にあつて、北はシオンの山、南は岡でもつて区画された深い細長い谷である。ここは昔
ユダヤとベニヤミン族の境になつてゐて、ソロモン以後、ここで恐ろしい人の犠牲が行はれたが、その後は屍体や市の汚穢物を捨てる場所となつてしまつたのである。悪人の運命につけて「ゲヘンナに投げ入れらるべし」といはれてゐるのは即ち此処である。
 急がしく馳走しつつ自動車は高みになつた豊饒な平野を横ぎる。古い橄欖樹の植わつた野や小丘である。道路は九十九折になつて、緩勾配の坂道を上つて行く。左手の遠方に前景ときはだつて違つた長い一列の山脈が見える。その麓の深き所に、竹熊の終焉所なる有名な死海が照つてゐるのである。
 自動車が小高い丘の上に来たので、窓から首を出して眺めると、死海の面が強烈な太陽の光を受けてキラキラと輝いてゐるのが見える。驢馬や駱駝に乗つた田舎人の群れが幾組ともなく通つてゐる。
 自動車を丘の上に停めて、ブラバーサとマリヤの二人は四方の景色を瞰下しながら、沿道の色々の伝説や場所について問答を始め出した。
『マリヤ様、聖地附近の色々の歴史や伝説を聞かして頂きたいものですなア』
『この丘の上で四方を見晴らしながら、聖地案内の物語もまた一興だと思ひます。妾が記憶の限り申し上げませう。伝説や口碑といふものは随分間違つた事が多いものですから、万一間違つてをりましても、それは妾の責任ではございませぬ。伝説や口碑が悪いのですから』
『ハイ承知いたしました。何分よろしくお願ひいたしませう』
『有名なマヂの泉から発端として申し上げます。マヂの泉は一名マリアの泉といつてゐます。その前の名の由来は幼児キリストを拝すべく、星の導きを便りに遥々と尋ねて来た東方の博士らは、ここまで来てその星を見失ひ、途方に暮れてゐたところ、この井戸の水を汲み、疲労を癒やさむと立ち止まつた時に、案内に立つた星が泉の水に反映してゐるのを見付け、歓喜に充たされて彼らは再びこれに従つて進んだので、マヂの泉と称へられたといひます。第二の名は聖なる家族がベツレヘムの道にここに息つたと想像されるところから、マリアの泉と称へられたと伝はつてゐるのでございます。またこの丘を下る途中の右側の小石が無数に沢山ゴロついてゐる小豆の原がございますが、伝説によると、キリストがある時この場所をお通りになると、一人の野良男が畑で働いてゐたので、キリストがお前は今何を蒔いてゐるかと問はれたら、かの男は豆を蒔いてゐながら石を蒔いてをるのだと答へた、それから後収穫時になつて、彼の男は豆の代りに石ばかりを収穫しなければならなかつたといふことでございます』
『高砂島にも空海の事蹟について石芋なぞの伝説もあります。すべて伝説といふものは、古今東西相似のものの多いのは不可思議といふより外はありませぬ。何かこの小豆ケ原にも神秘的の意味が含まれてあるのかも知れませぬから、伝説だといつて余り馬鹿にもなりますまいアハハハハ。時にマリアの泉に映つた星は、高砂島に今日も現はれて玉の井の水に影をうつし、万民の罪穢を洗ひ清めてをられます。私はこのマリアの泉のお話を聞いて、何となく崇高偉大なる瑞の御魂の聖主の俤が偲ばれてなりませぬわ。一度玉の井の水を汲み取るものは、直ちに天国の門に進み得る良い手蔓に取りつくことが出来るのです』
『ウヅンバラ・チヤンダー聖主が一日も早くこの聖地に降臨されて、霊の清水にかわいた吾々に生命の露の恵みを与へ玉ふ日が待ち遠しくございます』
『マリヤ様、有名なラケルの墓は何れの方面にございますか』
『ラケルの墓ですか。それはこの道端の小さい近代的の建築物でありますが、そこにヤコブが愛妻の亡骸を葬つたと伝へられてをります。それよりも美しい物語ののこつてゐるのはダビデの泉ですわ』
『その美しい物語を拝聴いたしたいものですなア』
『ある時ダビデが敵軍に取り囲まれ、疲れ果てて彼の故郷なるベツレヘムの門外にあるこの清泉の一杯の水を渇望して止まなかつた。ところが、忠実なる部下の一人がダビデのこの泉水を渇望してゐることを探知して、黙つて一人で出かけて非常なる危険を冒した後、やうやく少しばかりの水を汲んで帰つて来たのです。ダビデは部下のものが自分に対する真心の愛から、種々の危険を賭してこの霊水を汲み得て帰つて来たその辛苦を思ふて、その水をば一介の人間の飲み物にするには余り勿体ないから神様の供物にせむと、恭しく神に感謝を捧げた上大地にそそいでしまつた、といひ伝へてをります。信仰もそこまでゆかないと駄目ですなア』
『信仰の力は山嶽をも移す、とか申しまして、世の中に信仰心ほど強く清く、かつ尊いものはありませぬなア』
『左様です、信仰の力ほど偉大なものはありませぬわ。妾だつて三十の坂を越えながら未だセリバシー生活に甘んじてをりますのも、やつぱり信仰心のためですもの。ベツレヘムの町が幾つもの丘の上に美しく位してをりますが、かれは世界における最も小さきものとしられてをります。しかしながら妾は決して小さきものとは思ひませぬ。なぜならば、信仰の対照物、いな御本尊なるエス・キリストを、イスラエル民族のみならず世界全人類救ひのために主を産み出しましたからです』
『いかにも救世主を現はしたこのパレスチナの聖地は偉大です。いな荘厳味が津々として湧くやうです。再臨のキリストを出した綾の聖地もまた、偉大といはねばなりませぬわ』
『この聖地には近代的の教会やホスピースや僧院が諸所に沢山建つてをりまして、まだ古い古いユダヤ人街が彼方こちらに残つてをりますので、妾はそこを通行する度ごとにキリストの当時を偲ぶのでございます。アレあの通り、往来の真中に駱駝が呑気さうに寝そべつて噛みなほしをやつてゐます。サアこれから車は止めにして、徐そろテクルことにいたしませうか。自動車で素通りばかりいたしましても余り有益な見学にもなりませぬからなア』
 ブラバーサは何事も一切マリヤに任してゐたので、いふがままにマリヤの後から従いて行くのであつた。二人は後になり前になりしながら道を行くと、相貌の品の良いユダヤ人に幾人も出逢ふた。ブラバーサは心の中にて、
『なるほど、イスラエルの流れを汲んだユダヤ人はどこともなしに気品の高い、犯し難いところがある。これでは神の選民だといつても余り過言ではない。吾が身は名に負ふ高砂の神の国から遥々出て来たものだが、神の選民と称するユダヤ人の気品の高いところを見て、何だか俄かにユダヤ人崇敬の気分が頭を擡げて来さうだ。そして神の独子と称するキリストの聖跡を尋ねてゐる自分は、層一層、神様より重大なる使命を与へられてをるやうだ』
と心に種々の感想を抱いてゐる。
『聖師様、聖地において第一番に見るべきものがございます。それは聖誕の場所に建てられたと称してゐる「聖降誕の寺院」です。これからその寺院へ拝観に参りませう。現今にては、ローマ・カトリツクやギリシヤ・オルソドツクスやアルメニヤ教会の分有になつてゐます。そしてこの寺院も昔にコンスタンチン帝が建立されたものだといふことです。その当時は金銀や大理石もモザイツクで贅沢に飾られてゐたさうです。今ではモザイツクが少しばかり残つてをりますが、妙に冷やかな荒廃した厭な感じを与へます』
といひながら、漸くにして寺の門前に着いた。
 背の低い、肩先までも届かぬやうな長方形の石の入口を潜ると、コリント式のカピタルを持つた十本づつ四列の円柱が寺院の内部を仕切つてゐて、質素なやうだが何となく荘厳な感じがする。このバシリクは、実に現在に残つてをるキリスト教の建築物の中では最も古きものだらうと謂はれてをるのである。大神壇の下には聖誕の洞窟があつてチヤペルに造られ、三十二箇の小さいランプで薄暗く照らされてゐる。誕生の地点は神壇の下に大理石を据ゑ、その上を銀の浮彫りでキリスト聖誕の地といふことが録されてある。この地点は聖地における他の何れの場所よりもズツと古くして、最も信憑に足るといふことである。何故なれば、この場所は紀元前四世紀の頃に生きてゐた聖ジエロームよりも、二百年以上も前から既にキリスト教徒によつて非常に畏敬されてゐたからである。
 その他寺院の地下には色々な由緒を附したチヤペルが散在してゐる。馬槽のチヤペルもその一つである。その馬槽は大理石で立派なものが出来てゐるが、幼児キリストがその中に置かれたマヂ礼拝の神壇─幼児のチヤペル─その場所へ母達が隠しておいた幼児をヘロデが殺さしめた聖ヨセフのチヤペル─その場所で彼がエヂプトに避難せよとの夢の啓示を受けた。その他、聖ジエロームの住居であつた所に設けられたジエロームのチヤペル、及び岩の中に掘られたこの聖者の墓などが黙然として三千年の昔を物語りゐるなり。
(大正十二年七月十一日 旧五月二十八日 加藤明子録)


物語64上-2-91923/07 山河草木卯 膝栗毛

 この寺院の東南の方、少し隔たつて「乳の洞窟」といふのがある。これもチヤペルになつてゐて、入口の上に聖母が幼児キリストに乳を呑ませてゐる立像が置かれてある。伝説に由れば、このチヤペルの洞穴に聖なる家族が隠れたといふ。聖母の乳の滴りが今でも洞穴の石灰石に印せられてゐる。婦女がそれへ参詣をすれば乳が良く出るやうになると信じられてゐる。
 両人は寺院を辞して少しく先へ進んだ。さうすると、ヨルダンの谷に向かつた方面の広い眺望が展開する橄欖の樹の植わつた平野……それは「羊飼の野」といふ名称が附せられてゐる。天界の天使が羊飼にあらはれて、
『われ万民に関はりたる大なるよろこびの音信を爾曹に告ぐべし』
とてキリストの降誕を告げ、多くの天軍が天の使と倶に、
『天上ところには栄光神にあれ。地には平安、人には恩沢あれ』
と神を讃美し、羊飼達がベツレヘムへと急いだのは、この辺りだといはれてゐるが、この話に相応はしい美しい気分の良い場所である。場所の真偽は問題となすに及ばぬ、たとへ少々違つてをつても、この所であつた事にしておきたいものだとブラバーサは心の中に思ふのであつた。
 両人は同じ道を歩んでエルサレム市街のホテルへ帰らうとする時、今まで清朗なりし大空は俄かに墨を流したごとく真黒になつた。両人は世の終りの近づいたやうな気分に襲はれてゐると、ノアの大洪水を思ひ出させるやうな大雨が土砂降りに降つてきて容易に止みさうにもない。しかし暫時の間に雨は小さくなつて稍安心することを得た。こんなことなら自動車を返さなかつたが宜かつたにと、今更のごとく後悔しても後の祭りであつた。この大雨は恐らく半年の日照りの終りを画する祝福された最初の慈雨であつたに相違ない。雨が止むと紅塵万丈の往来は、スツカリ洗つたやうに爽快な坦道と変つてしまつた。丘の上にはエルサレムの市街が雨あがりの空にその美しい姿を現はしてゐる。天の一方の嵐の名残の雲には、エホバのお約束の証拠とも称ふべき虹が美はしく七色に映えて高く長くかかつてゐる。ブラバーサは、
『われ聖域なる新しきエルサレム備へ整ひ、神の所を出で天より降るを見る。その状は新婦新郎を迎へむ為に飾りたるが如し』
とある黙示録の言を心の中に繰り返すのであつた。次で両人は雨の晴れたるを幸ひとして、勇気を鼓して又もやハラム・エク・ケリフの神殿を拝観せむと歩を運ぶのであつた。エルサレムの町の東南隅キドロンの谷を隔てて、橄欖山に面してゐる長方形の場所に着いた。今この広場には回回教の二つのモスクが建てられてある。昔ダビデが神壇を設けたのもやはり此処である。
『彼はここに荘厳無比なる大神殿を建築する心算で、沢山な建築の材料まで蒐集したが、尊き清き神の宮殿を建てるのには平和仁愛の人でなくては神慮に叶はないのに、彼は戦ひの人として多くの血を流したので、神様からその任でないとして差し止められ、其の子のソロモンが初めて父の準備しておいた豊富な材料をもつて七ケ年の日子を費やして、神殿および外囲ひや内庭ならびに僧院を完成することとなつた。その他に彼は十三ケ年もかかつて附近の地を卜し、自分のために一つ、なほそれに面して自分の妻フアラオの娘のためにも、モ一つの宮殿を建てたのである。僧院はソロモン時代の神殿の広場を取り囲んでゐた。外壁には東に黄金門あり、南に単門、二重門および三重門が付いてゐたといふ。その外になほエルサレムの城壁があつたのだが、今日のところでは跡方もなき有様である。ダビデは主のために建てらるべき宮は比類なく荘麗にして、万国を通じての光栄でなければならぬと言つてゐたが、ソロモンの建てた神殿は、実にダビデの言つた通りの荘麗な宮殿であつた。この神聖なる丘の上に純白な大理石で成り黄金で飾られ、要塞や宮殿で取り囲まれ、その美観は世界に鳴り響いてゐたのである。その後の神殿はユダヤ人の崇拝の中心となり、アツシリア王ネブカドネザルのために破壊され、ユダヤ人はバビロンに捕虜として連れ去られてしまつた。それは紀元前五百八十五年ごろのことであつた。ユダヤ人は捕虜から免れて帰り、いろいろと苦辛して建てた第二回目の神殿は、第一回のものよりは遥に劣つたものであつた。その後キリスト降誕の少し以前に、ヘロデ王はソロモンの神殿に匹敵するやうな第三回目の立派な宮殿を建てたのである。以上三ツの神殿は全く同じ場所に位置を占めてゐた。キリストが幼児として参詣せられ、学者達の間に立つて問答し、兌銀者や商人を追ひ出し、神の道を宣べ伝へたのも、このヘロデの神殿に於てであつた。その後紀元七十年、ローマ皇帝チツスによるエルサレムの破壊と共に、神殿も「一つの石も石の上にたほされずしては遺らじ」との言葉通りの運命を見るに至つたのである。百三十年にハドリアン帝がここに異端の神ジユピテルの大神殿を建てたが、それは六百八十八年にまた回々教のモスクに変へられてしまつたのである』
 両人は先づ広場の南端にあるモスケ・エル・アクサの地下になつてゐる宏大な基礎建築を見た。無数の四角な石柱が高く広びろした空間を仕切つてゐる。その角柱の上部は穹状をなしてお互ひに連なり合つてゐる。明りは南方の壁に小さい窓から少し漏れて来るばかりで、内部は物すごいほどうす暗い。これは俗にソロモンの廐といはれてゐる。マリヤはソロモンの神殿やヘロデの神殿のなほ残つてゐる石垣を示しながら、
『この場所はローマとの戦ひにあたり、ユダヤ人が避難した所です。また十字軍の時にも廐となつたといふことでございます』
と諄々として由緒を説き、ヱスの揺藍、二重門等の由来を細々と説明するのであつた。
『モスケ・エル・アクサはマホメツト教に関して色々の由緒があるやうですな』
『ハイ、マホメツトが天使ブリエルに導かれ、不思議な白馬にまたがつてメツカ市から一夜の間にエルサレムに来た所として、回教徒に取つて極めて神聖な場所の一つになつてゐるのでございます』
といひながらマリヤは後振り返りつつ奥に入る。
 広い本堂には円柱が無数に立つてあり、床は一面に贅沢な毛氈が敷き詰められ、所どころにムスルマンが坐つて祈祷を捧げてゐる。その後部に岩があつてその岩の上にキリストの足跡が印せられてゐるといふのも可笑しいものである。ムスルマンにとつて、キリストはアブラハムやモーゼと共に予言者の一人に数へられてゐるが故に、彼等はキリストについての由緒をも斯くのごとく尊崇畏敬して止まないのである。
 次に両人は広場の中央にある大きな、クボラをいただく八角堂のクーベツト・エスサクラ(または岩のクボラ)を見物した。この伽藍は大きい岩の土台の上に建てられてゐて、その上部は内部に自然のまま露出してゐる。この岩上においてアブラハムが其の子のイサクを神への犠牲にしやうとしたと伝へられてゐる。回教徒は犠牲にならうとしたのは、イサクでなくてその長子イスマエルだと主張してゐる。何となれば、イスマエルはアラブの種族の先祖になつてゐるといはれてゐるからだ。また回教徒の伝説によれば、マホメツトは彼の不思議の夜の旅行において、この場所から天へ昇つた。彼の昇天の際、この岩は予言者に従つて共に昇らうとしたが、しかし神は世界がこの神聖な記念物を失ふことを欲しないで天使ガブリエルを残し、その力強い手でその岩をおさへた故に、今でもその両端に天使の指の跡が残つてゐるとか唱えられてゐる。サラセン式にしつつこく飾られたステーンド・グラツスの窓のために、内部は蝋燭を燈さなくては歩行ないほど暗かつた。
 広場の東北端に大仕掛に発掘された場所がある。地の面から階段をいくつも下つて行くと、セメントや石で縁を取つた大きな貯水池やうのものの一端に達する。ここはヨハネ伝に録してあるベチスダのプール(池)だといふことで、三十八年間病みたるものが、ここで池水の動くのを待つてゐて、キリストによつて癒された所ですよと、マリヤはこの由緒は根拠がありますと強く言つて証明した。
 終日雨が降つたり止んだりしてゐた。夕方の空は美はしく晴れて紺碧の雲の肌を露はしてゐる。神殿の広場の角にある燭台のやうな形をした塔の上では、アラブがメツカの方角を向ひて頻りに手を挙げて日没前の祈祷をしてゐた。その長く響くオリエンタルなメロデイーはエルサレムには相応はしくないと感じながら、両人は急いでアメリカン・コロニーを指して帰路につきける。
(大正十二年七月十一日 旧五月二十八日 北村隆光録)


物語64上-3-111923/07 山河草木卯 公憤私憤

 夏風に青葉のそよぐ橄欖山の頂上に、三人のアラブが立つて雑談に耽つてゐる。キドロンの谷からは白い煙のやうな雲がしづしづと橄欖山上目がけて襲ふてくる。ユダヤ人の計画したシオン大学の基礎工事はほとんど落成に近付き、樵夫や大工や手伝が幾十人となく忙がしげに活動を為しゐたり。
 アラブはテク、トンク、ツーロといふ三人である。
テク『オイ、吾々は回々教のピユリタンとして朝夕忠実に神に仕へ、そして僅の賃金をもらつて異教徒の頤使に甘んじ、駱駝のやうにこき使はれてゐるのも、あまり気が利かぬぢやないか。たうとうユダヤ人奴、パレスチナの本国を取り返し、この聖地を吾が物顔に振舞ひ、おれ達の仲間を見ると、まるで奴隷のやうに虐待するだないか、朝から晩まで同じやうに働いて、ユダヤ人は一弗の俸給を貰ひ、おれ達は半弗よりくれやがらぬのだから……本当に亡国の民になりたくないものだなア』
ツーロ『何といつても仕方がないサ、強い者の強い、弱い者の弱い時節だからなア。ユダヤ人だつて、二千六百年が間、亡国の民として今まで苦しんで来たのだから仕方がないよ。チツとは威張らしてやつてもよかろ。なア、トンク』
トンク『彼奴ア、世界統一を夢みてゐやがつたのだが、到頭時節が到来して神の選まれたパレスチナの本国を吾が手に入れたのだから、何といつても世界の覇者だ。長い物に巻かれ……といふのだから、おれ達の身の安全を計らうと思へばマア辛抱するのだな。半分でも月給くれるのはまだしも得だよ、贅沢さへしなけりや、生活を続けてゆけるのだからなア。さう不平をいふものだないワ、何事も有難い有難いで暮しさへすれば世の中は無事泰平だ。神様のために働くと思へば何ほど月給が安くても、待遇に差別があつても構はぬぢやないか。それを忍ぶのが回々教のピユリタンたる務めだからなア』
テク『何といつても、おれは不平でたまらないワ。おれは自分一人の生活がどうだのかうだのといつて、ソンナケチなことをボヤクのだない、アラブ一党のためにこの差別的待遇を憤慨するのだ。不平にも色々の色合があつて、公憤と私憤がある。おれたちのは決して私憤ではない天下の公憤だよ』
ツーロ『なんぼ公憤だといつても、蚯蚓が土中でないてるよなもので、何の影響も及ぼすまい。おれ達だつてテクの言ぐらゐには興奮し、大いにアラブのために気焔を吐くところまではゆかない。何事も時節だからなア』
『貴様はそれだから、何時までもラクダの尻叩きばかりしてをらねばならぬのだ。公憤のないやうな人間は最早人間の資格がないのだ』
『ヘン、汝のはあまり公憤でもあるまいぢやないか。大体の問題がわづか半弗の喰違ひから起つたのだらう、そんなところへ公憤を使つてもらつちや、公憤が落涙するだらう。そもそも公憤とは社会とか団体とか、国家とかいふ大問題に対して、自分の主張を充たすに到らない場合に起す意気の発動であつて、極めて愉快な面白い男性的気分を有したものでなくてはなるまい。自己の慾望を満たすに足りないといつて、発動するところの感情の動作といふものは所謂私憤だ。そんな女性的気分に充たされたことをいふと、ユダヤ人が聞いたら馬鹿にするぞ。国家社会を憂慮する念最も強しといへども、時代はその意志を容れてくれず、感慨措く能はずして切腹するごとき、あるひは社会を思ふの情急激にして、刻苦勉励よくその用をなし社会に尽すごとき、時に自分が他人に冷笑されて大いに憤慨するところあり、日夜自分の向上に勉励して、以てよく社会的立場を作るごとき、これらは皆公憤に属するもので男らしい面白い不平だ。天の配剤その妙を得ず、嬶の待遇その当を得ざるに憤激し吾が家を飛び出し、青楼に上つて酒と女でその不平を忘れむとするごとき、また夕食の膳部がお粗末だといつて、膳を投げたり茶碗を破壊するごとき、あるひは自分のズボラを棚に上げ、他人の賃金の多きに反感を抱き不平を起すごとき、または主人の乱倫に不平を起し、妻君が役者狂ひをするごとき、また妻君の乱行に主人が自暴自棄となり、芸者買ひをなすがごとき、或は世人に冷笑嘲罵されて不平のやりどころなく、自宅へ帰つて嬶の頭や窓硝子を叩きわるがごときは、みな私憤に属するものだ。それよりも怒るなら、ドツトはり込んで天地の怒りを発したらどうだ。汝のやうにホイト坊主が貰ひ酒をこぼしたやうに、あはれつぽい声を出して涙交りにボヤいてをるやうなことでどうならうかい。卑屈きはまる行動だ。それだからおれ達は時勢を見るの明があるから、ここ暫くは隠忍してゐるのだ。いづれ日出島から救世主が降臨になれば、上下運否のなきやう桝かけ引きならして、おれ達までも安心さして下さるのだからなア』
『実際そんな事があるだらうか。おれ達はキリストの再臨を、聖書によつて先祖代々から待ちあぐみ、到頭この聖地で年をよらしてしまつたのだが、これだけの不公平の世の中を神様がなぜ公憤を起して、早く平等な愛の世界にして下さらぬのだらう……と私かに公憤をもらしてをつたのだ』
トンク『アハハハハ』
ツーロ『私かの公憤が聞いて呆れるワイ。しかしながら天道様の不平といふのは、暴風を起し豪雨を降らして大洪水とし、地の不平は地震を起して、山川草木を転覆させ、悪人を亡ぼし大掃除をなさるのが、天地の公憤だ、汝の公憤とは大分違うだろ。窓硝子の一枚ぐらゐ壊いでみたところで、あまり世界の改造も出来ぬぢやないか』
テク『一体このシオン大学とかいふのは何をするのだらうな。またしてもユダヤ人が頭をもちやげて、おれ達を圧迫する機関だあるまいか。それだとすれば、世界人類の為におれ達は節義を重んじ、たとへ半日でも人足に使はれる訳にはゆかぬだないか、鷹は飢ゑても穂をつまぬといふからなア』
『世界のあらゆる哲学者を集めて神政成就の基礎を固めるのだ。このシオンの国は太陽の天に冲した真下に当る霊国だから、いはば時計の竜頭のやうなものだ。茲において世界を支配するのは最も天地の経綸上適当の場所だから、さう心配するには及ばないよ。おれ達だつて、やつぱりその恩恵に浴する時が来るのだから、辛抱せい。回々教だとか基督教だとか猶太教だとか、自分の心の中に障壁を設けてひがむから妙な不平が起るのだ。誠の神様は唯一柱よりないのだ。人間を相手にする必要はない。何事もみな神様の御経綸だからなア』
『それでもあまりユダヤ人がイバリちらすだないか。それが俺は気にくはないのだ。チツタ不平も起らうかい』
ユダヤ人にも種々あつて、ポンポンぬかす奴ア、カスピンのコンマ以下の代物だよ。丁度おれ達と同じやうな境遇にゐる劣等人種が威張るのだ。あんな者を数に入れて不平をもらすやうな馬鹿があるかい。キリスト再臨の近づいた今日、そんな偏狭な心はスツカリ放擲して天空海濶日月と心を斉しうする襟度にならぬか。アラブの為にいい面汚しだぞ。所は世界の中心地、エルサレムの橄欖山上に身をおきながら不平をいふ奴がどこにあるかい。のうトンク』
トンク『ウン、そらさうだ。人は何事も思ひやうが肝腎だ。おれ達のやうな労働者は労働者らしくしてをつたらいいのだ、紳士の真似をせうたつて、到底出来ないからな、あの紳士だつて、元は俺達と同様労働者だつたのだ、精神的労働をやるか、肉体的労働をやるかだけの違ひだ。たとへアラブでも紳士紳商となればユダヤ人を頤で使ふことが出来るからなア』
テク『俺は紳士なんか大嫌ひだ。本物の紳士は今日の世の中には一人もない。みな我利我利紳士ばかりだよ。虚偽的生活に甘んじて紳士なんていつてる奴の面を見るとなぐりたくなつてくるワ。まづ今日紳士といふ奴は第一、美装をなすこと、第二、大建造物に住居すること、第三、一箇所以上の別荘を有すること、第四、妾宅を設くること、第五、物見遊山のしげきこと、第六、一切の労働を禁じ、茶一つ自分の手より汲まぬこと、第七、一日に何回となく宴会に列して、妖婦を枕頭に侍らし、妖婦の膝を枕に痛飲馬食して、その胃袋に差支へなき程度のものたること……この位のものだ。どこに紳士の本領があるかい』
ツーロ『そりや汝のいふ紳士と、俺のいふ紳士とは大いに趣きが違ふ。俺のいふ紳士は……第一、人格の最も高きこと、第二、慈悲心に富めること、第三、礼儀を守ること、第四、政治慾を断ち社会のために私財を擲つて貢献すること、第五、一夫一婦の制を遵奉すること、第六、沢山な住宅を有ち無料にて他人に自由に使用せしむること、第七、神を信じ、家内睦じく感謝の生活を送ること……マアこんなものだ。これを称して紳士といふのだ』
トンク『そんな紳士が今日の世の中に一人でも半分でもあるだらうかな』
ツーロ『ないから尊いのだ。ダイヤモンドだつて金だつて、ヨルダン河の砂礫のやうにそこらにごろついてあつてみよ、誰だつて貴重品扱ひはしてくれないよ。無いから尊いよ、太陽だつて一つだから皆が拝むのだよ。あの星みい、誰も一つホシイといふ奴がないだないか』
テク『オイ、ツーロ、ソンナツーロくせぬことをいふない。それよりも現代の紳士を標準として考へるのが適確だ。その紳士といふ奴を、俺達が労働総同盟でも起して、警告を与へ改良さしてやるのだなア。今日の紳士の資格を考へてみると、妾宅の数如何によつて、紳士仲間の等級に差別を生じ、宴会の度数と妖婦相識の数如何は人気に大なる関係を及ぼすのだ。これが今日の所謂紳士規定だ。何と不道理な見解だないか。今日の彼等が健康状態は日夜刻々に害されつつあるのだ。殊に性慾の随時随所でみたさるるその半面を考へてみよ。幾多の忌はしい病毒のために、睾丸内に発生する精虫はおひおひと減殺され、子孫は漸次減少するに至るの種を蒔いてゐるのだ。きやつ等の乱淫乱行はますます民力を減殺せしむるのみならず、家庭の妻女はその反動で、狂気的に異性の男子を求め、性慾の満足と反感の慰安に家を外にして飛び出し、役者部屋へ這ひ込むのだ。紳士の家庭の妻女といふものに婦徳や貞節は薬にしたくも無いくらゐだ。そして冷い深窓に、男も女も呻吟してゐるのだ。体質の貧弱なる彼奴らの子孫は世の中に立つて何事もなすの力なく、遂には子孫が滅亡するより途はない。だといつてこれも自業自得だから仕方があるまい。今のうちに彼奴らが目をさまし、共同の友や同族の友と共に働くの妙味を見出だし、貧民と共に今までの態度を改めて社会に活動するやうにならなくちや、彼奴らも最早世の終りだ。いつまでも世は持ち切りにはさせぬと、どこやらの神さまがおつしやつたからなア』
トンク『オイ、俺達はまだ時間が来てゐないのに、この木の小蔭でさぼつてゐるのだから、ユダヤ人と同じよに月給をくれないといつて不平をいふわけにゆかない。ユダヤ人は勤勉だから、仕事の能率が倍以上になるのだから、汝たちのやうに俸給の額のみで不平をいつたつて駄目だ。サア、チツと働かう。土木監督に見つかつたら大変だぞ』
テク『エエ仕方がないなア、食はぬが悲しさかい』
とスコツプを手に提げながら、作事場の方へ厭さうに進んで行く。日は漸く暮れはて、労働終結のラツパが橄欖山の峰に轟いてきた。三人はスコツプをかたげたまま逸早く団子石のゴロゴロした坂路を嬉しさうに下つて行く。数多の大工や手伝人足は、単縦陣を張つて黒蟻のやうに各家路を指して帰り行く。これらの連中は皆エルサレムの街に寄宿してゐるユダヤ人が大多数を占めてゐた。
 そこへ金剛杖をついて上つて来る一人の男があつた。これは日出島からはるばる聖地へ、キリスト再臨の先駆としてやつて来た、ルートバハーの宣伝使ブラバーサであつた。ブラバーサは山上の最も見はらしよき地点に停立し、をりから輝く八日の月を眺め、

『仰ぎ見れば月は真空をやや過ぎて
  あたり輝く星のかずかず
 たまさかの月の夜なればこもりゐの
  たへ難くして登り来たりぬ』

 かく歌ひて、月の光にエルサレムの街を見おろしながら懐郷の念に駆られてゐる。そこへ慌ただしく上り来たる一つの影がある。果して何人ならむか。
(大正十二年七月十二日 旧五月二十九日 松村真澄録)


物語64上-3-151923/07 山河草木卯 大相撲

第一五章 大相撲
 カトリツクの僧院ホテルに滞在してゐるブラバーサの居間を訪ねて来た一人の老紳士があつた。これはバハイ教の宣伝使バハーウラーである。ボーイの案内につれてブラバーサの居間に通り、
『御免なさいませ』
と言ひながら、軽く一礼を施した。ブラバーサは手づから椅子をとりよせて、
『やあ、あなたは汽車中でお目にかかつたバハーウラー様でございましたか。一度お訪ねしたいと存じてをりましたが、なにぶん処慣れないものですから、彼方こちらと見学してをりました。ようお訪ね下さいました』
と挨拶すれば、バハーウラーはテーブルを中におき、両方から向かひ合ひとなり、
『ハイ、私も一度お訪ねしたいと思つてゐましたが、何だか彼これととり紛れ漸く今日となりました。どうです、聖地においでになつてからの貴方の御感想は?』
『ハイ、見るもの、聞くものが日の出島と違つてをりますので面喰ひましたよ。やうやく地理も分り空気にも慣れましたとみえ、少しばかり落ちついて参りました』
『なるほど、私も同感ですよ。常世の国から此処までやつて来ましたが、いやもう見るもの聞くもの変つたことばかり、かやうな処へ救世主がお降りにかるかと思へば、何だか奇異の感にうたれます。国にをります時は聖地エルサレムエルサレムといつて日夜憧憬してゐましたが、古く荒さびた神都の跡、いづれも涙の種ならぬはありませぬ。黄金の花が咲き匂ふてると思つた私の期待はスツカリ裏切られてしまひましたよ。アハハハハハ』
『都会は人が作り、田舎は神が作るとか申しまして、かやうな田舎びた処でないと到底神様はお降りになりますまい。紅塵万丈の巷に、霊肉ともに穢してゐる人の集まつてる処へは救世主はお降りになる筈はありませぬ』
『なるほど、さう承ればさうかも知れませぬな。数年以前、バルカン半島に現はれた一朶の黒煙は燎原を焼く勢ひで全欧羅巴に蔓延し、全世界の地をして戦雲に包んでしまひましたが為に、その後の人心はますます悪化し、二進も三進もゆかなくなつて来たぢやありませぬか。かやうな処へ救世主が御降臨になつたところで、足一つ踏み込まれる処はありますまいな。一人でも多く心を研き魂を研いて神心となつて、救世主の降臨を待たねばなりませぬ。実に常暗の世の中となつたものでございますわい』
『ルートバハーの教祖ヨハネの教にも、三千世界の大戦ひが初まるぞよ、と三十年以前から仰せられましたが、到頭世界の大戦争が起りました。さうしてヨハネの教祖は、先達の世界戦争の開戦期間の日数一千五百六十七日を終り平和条約が締結された其の朝、すなはち自転倒島でいへば大正七年(旧)十月三日の朝昇天されました。その後といふものは実に世の中は目もあけてゐられないやうな惨怛たる現状でござります』
『先達の戦争について交戦国の総面積を調ぶれば、四千三百四十万二千七百六十二平方哩すなはち世界面積の七割五分八厘にあまり、又その戦争に参加した人員の数は無慮十六億一千百九十二万人に達し、世界人口の九割二分五厘に相当する空前の大戦争でござりました。あたかも秋霜烈日の大威力を示して、満天下の草木を一夜の中に凋落せしめてしまひました。ただ常磐木のみ巍然として聳え、また、別に数種の紅黄紫青などの僅かに艶を競ふて世の終末の美を暫時誇つてゐるくらゐであります。アア恐るべき世界の大戦争はもはや之で根絶したでございませうか。大戦後の世界は何処の果てを見ましても、平和の象徴を見ることは出来ぬぢやありませぬか。到るところ小戦争行はれ、餓鬼畜生修羅の惨状を遺憾なく曝露してるぢやありませぬか。ハルマゲドンの戦争とは、先達ての戦争をいつてるのぢやありますまいか。ハルマゲドンの戦争が済めば世の終りが近づくとの聖書の教、どうも物騒になつて来ました。暑い時に寒い風が吹き、作物は思ふやうに発達せず、到る処火山は爆発し、地震洪水の悩み、強盗殺人に諸種の面白からぬ運動、到底人間として此の世を如何することも出来ますまい。もうこの上は救世主の降臨を仰ぐより外に道はございますまいなア』
『救世主はきつと御降臨になつて、世界を無事太平に治めて下さることを私は確信してゐます。しかしそれまでに一つ大峠が出て来るでせう。ハルマゲドンの戦争は、私は今後に勃発するものと思ひます。今日は世界に二大勢力があつて、虎視眈々として互ひに狙ひつつある現状ですから、到底このままでは治まりますまい。世の立替へ立直しは、今日の人間の力つき鼻柱が折れ、手の施す余地がなくなつてからでなくては開始いたしますまい。九分九厘、千騎一騎になつて救世主が降臨なされるのが神様の経綸と存じます』
『なるほど御同感です。そして貴方の二大勢力とは何を指して仰せらるるのですか』
『今日この地球上において二つの大勢力が互ひに暗々裡に争つてゐますのは、あなたも大抵御承知のことだと思ひます。一方には強大なる一新勢力を発揮し、全世界に活動飛躍を試み傍若無人的の振舞ひをなし、不自然きはまる人為的暴圧力によつて膨脹拡大し、弱肉強食をもつて唯一の国是となせる強大なる国家があり、一方には鎖国攘夷の夢を破り一躍して全世界の舞台に現はれ、列強と相伍し、再躍して世界の一大強国となつた国家がございます。世界万民はこの二大勢力に対して驚異の眼を以てのぞみ、茫然自失の体でございます。その発展ぶりたるや前古未聞の大事実でございますけれども、しかもその発展は頗る公明正大と唱へられてゐるのでございます。一方はピラミツドのごとく極めて壮観なれども真の生命なき建築物であり、一方は喬木のごとく生き生きとし、その壮観の度においては到底かのピラミツドの建築には及びませぬけれども、真に生命ある成長を遂げつつあるのであります。そして此の二大勢力は一つは極東の一小孤島、一つは極西の一大大陸です。一つは現今における最古の国、一つは列強中の最も新しき国、一は建国以来の王国、一は建国以来の民国、一は万世一系の皇統を誇り、一は四年交代の主権を誇り、一は天孫の稜威を本位とし、一は億兆烏合の民権を本位としてゐます。そしてその国民性たるや、一は義につき一は利につき、一は強国といひながら神国と自称し、一は基督教国といひなが民国と自称し、一は親子の経的関係をもつて家庭の本位となし、一は夫婦の緯的関係をもつて家庭の本位とし、一は男尊女卑の関係をもつて人倫の本位とし、一は女尊男卑の関係をもつて人倫の本位とし、一は太陽をもつて国章となし、一は星をもつて国章となしてゐる。故に自らその国情と使命において相容れないのは当然ではありませぬか』
『なるほど、いま貴方の仰有つたのは実に時代を達観した宣言だと思ひます。一方は日出国、一方は常世の国に、と世界に相対立してゐる現状をお示しになつたのでせうな。諺にも両雄相戦はば勢ひ共に全からずとか申しまして、どちらか一方に統一されねばなりますまい。実に困つた世の中になつたものでございますな。政治といひ経済といひ、思想といひ宗教といひ、何もかも一切今日ほど行きつまりの世の中はござりますまい。どうしてもこの悩みはどこかで破裂せなくてはおかない道理でございますな』
『さうです。かくのごとく今や東西の大関が世界の大土俵上に、褌を〆めて腕を鳴らせ肉を躍らせて相対するの奇観を呈してる以上は、一方が屈服するか、ただしは引込まない以上は、早晩虎搏撃壤の幕が切つて落とされるは火を睹るより明らかでせう。ハルマゲドン、すなはち世界最後の戦争はたうてい免れなくなつてゐます。それで大神様は地上をして天国の讃美郷に安住せしめむがために、ヨハネ、キリストの身魂を世に降して、天国の福音を普く万民に伝へしめられつつあるのです。さりながら常暗の世になれきつた地上の人類は、一人としてこの大神様の御真意を悟り得る者なく、ただ僅かに忠実なる神の僕が誠を尽し、神を念じて待つてゐるばかり、実に世界は惨めな有様でございます。かやうな邪悪に満ちた三千世界を立替へ立直し遊ばす神様の御神業も、実に大謨ではございますまいか』
『この世界の人類は、みな神様の同じ御水火より生れたる尊い御子でございますから、吾々人類は皆兄弟でござります。しかしながら今日の状態では、到底われわれ宗教家が何ほどあせつたところで駄目でございませう。偉大なる救世主が現はれて整理して下さらねば、乱麻のごとき世界はたうてい収拾する事はできますまい。しかしこの二大勢力は一旦、どちらが天下を統一するとお考へになりますか。常世の国でせうか、日出島でございませうか。貴方のお考へを承りたいものでございますが』
『到底人間の分際として神様の御経綸は分りませぬが、私がルートバハーの教示により、おかげを頂いてをりますのは、将来の国家を永遠に統御すべき人種は決して常世の国人ではなからうと思ひます。二千六百年、亡国の民となつてをつた讃美郷の人々は、先達の大戦争によつて神から賜はつたパレスチナを回復し、今や旭日昇天の勢ひでございます。そしてその人種の信仰力、忍耐力ならびに霊覚力といふものは、到底世界に比ぶべきものがございませぬ。私は先申しました二大勢力よりも、も一つ奥に大勢力が潜み最後の世界を統一するものと神示によつて確信してをります。ユダヤ人は七つの不思議があります、それは、
第一、万世一系の皇統を戴きつつ自ら其の国を亡ぼしたこと、
第二は、亡国以来二千六百年なるにもかかはらず、今日もなほ依然として吾等は神の選民なりと自認してゐること、
第三は、二千六百年来の亡国を復興して、たとへ小なりといへどもパレスチナに国家を建設したこと、
第四は、自国の言語を忘却し、国語を語るものを大学者と呼びなすまでになつてをつてもその国を忘れず、信仰をまげないこと、
第五は、如何なる場合にも決して他の国民と同化せないこと、
第六には、亡国人の身をもちながら、不断的に世界の統一を計画してゐること、
第七は、今日の世界全体は政治上、経済上、学術上、ユダヤ人の意のままに自由自在に展開しつつあることです』
『なるほど、それは実に驚くべきものでございますわ。如何にも神の選民と称へられるだけありて偉いものでございますわい。それから、一方の奥の勢力とは何でございますか』
『それは日出島の七不思議でございます。
先づ第一に、万世一系の皇統を戴き終始一貫義を以て立ち、一度も他の侵略を受けず、国家ますます隆昌に赴きつつあること、
第二は、自ら神洲と唱へながら、自ら神の選民または神民と称ふるものの尠ないこと、
第三は、王政復古の経歴を有するも未だ一度も国を再興したる事なきこと、
第四は、国語を進化せしめたるも之を死語とせしこともなく、従つて国語を復活せしめた事のなきこと、
第五は、同化し難い国民のやうに見ゆれどもその実、何れの国の風俗にも同化し易く、かつ何れの思想も宗教も抱擁帰一し、ややもすれば吾が生国を忘れむとする国民の出づること、
第六は、一方常世の国は世界統一のためには手段を選ばざるも、日出島は常に正義公道即ち惟神によつて雄飛せむとすること、
第七は、世界は寄つてかかつて日出島を孤立せしめむと計画しつつあれども、日出島は未だ世界的の計画を持たず、ユダヤとは趣きを異にしてゐる事であります。
これを考へて見ればどうしても、この日出島とパレスチナとは何か一つの脈絡が神界から結ばれてあるやうに思はれます。一方は言向和すをもつて国の精神となし、征伐侵略などは夢想だもせざる神国であり、二千六百年前に建国の基礎が確立し、ユダヤはまた前に述べた通り二千六百年前に国を亡ぼし、そして今やその亡国はやうやく建国の曙光を認めたぢやありませぬか。私は屹度このエルサレムが救世主の現はれ給ふ聖地と固く信じ、万里の海を渡り雲に乗つて神業のために参つたのでございます』
『今貴方は雲に乗つて来たと仰せられましたが、飛行機のことぢやありませぬか』
『いえ雲と申しますのは自転倒島の古言で舟のことでございますよ。雲も凹に通ひますから、舟に乗つて来るのを雲に乗つて来ると聖書に現はれてるのですよ』
『なるほど、それで救世主の雲に乗つてお降りになるといふことも諒解いたしました。いや有難うございました。お邪魔をいたしまして……またお目にかかりませう。ちつと御寸暇にお訪ね下さいませ。ヨルダン川の辺に形ばかりの館を作つて吾々の信者が集まつてをりますから……』
『ハイ有難うございます。いづれ近い中にお邪魔をいたします。左様ならばこれにてお別れいたしませう』
(大正十二年七月十二日 旧五月二十九日 北村隆光録)


物語64上-5-27 1923/07 山河草木卯 再転

 シオン山の谷間のブラバーサが草庵に靴音高く訪ねて来た一人の紳士は、シカゴ大学の教授スバール博士であつた。博士は「御免なさいませ」と柴の戸を排して這入つて来た。ブラバーサは嬉しげに出で迎へ、狭い座敷の奥へ通した。
『ヤアあなたは橄欖山上でお目にかかりました博士でございますか。かやうな草庵をよくマア訪ねて下さいました』
『ハイ一寸お伺ひしたいことがございますので参りました。実のところは私もシカゴ大学の教授を致してをりますが、今度シオン大学の建設について委員に選まれ、監督のためにここ二ケ月ばかり以前から参つてをるのでございます。ついては私は日の出島は隅から隅まで二三回も旅行をいたし、神社仏閣を巡拝しお札博士と名を取つた男でございますよ。あなたは桶伏山の聖地から来たと仰せられましたが、私も一度ルートバハーの本山に参拝いたし教主に直接お目にかかり、言霊閣においてお世話になつたことがございます。何だかルートバハーの宣伝使と承りますればなつかしいやうな気が致しまして、一度お尋ね申したいお尋ね申したいと思ふてゐましたが、忙がしい為ついその機を得ませぬでした。しかるに二三日以前の夕方、日の出島より守宮別といふ男が三人の男女を従へ参りまして、日の出神の救世主だとか、大ミロク様だとか何とか申し、そして貴方のことを偽宣伝使だなどと悪くいつてゐましたよ。そこで私がいろいろとあなたのために弁解を致しておきましたが、何といつても聞かないものですから、相手にならずに別れた次第ですが、ありや一体ドンナ人でございますか。一遍お尋ねいたしたいと思つてゐましたが、今日は幸ひ日曜日のことでもあり、お邪魔を致しました次第でございます』
『ハテナ、守宮別といふ男が来てゐましたか。ソリヤおほかたお寅といふ五十格好の婆アさまと一緒ぢやございませぬか』
『何でもお寅さまにお花さま、曲彦とか言はれたやうに覚えてをります。そして再臨のキリスト、ミロクの再生は此の婆アさまだと言つて、守宮別さまが固く固く主張してをりました。よほどあの連中さまは変つてをりますなア』
『おほかた私が此方へ来たことをかぎつけて邪魔しに来たのでせう。どこまでも執念深い連中です。本当に困りますワ』
『さぞお困りでございませう。しかしあなたはキリストの再臨についてお出でになつたといふ先達のお話でしたが、私は世界各国を廻りましたが、印度にも支那にも日本にも露国にもまた南米、メキシコにも救世主が現はれてをりますよ。何れどつかの或地点に救世主がお集まりになつて国会開きをお始めにならなくては、真の救世主が人間としては分らないと思ひます。あなたは何う思ひますか』
『ともかく世界の救世主が一所へお集まりになり、その中で最も公平無私にして仁慈に富める御方が真の救世主と選ばれるでせう。イスラエルの十二の流れから一人づつ救世主が出るといふことですから、その中から大救世主が出現されることと思ひます』
『成程、それは公平なる見解です。そして御降臨の場所はどこだとお考へですか』
『無論私はエルサレムだと思つて遥々ここへ参つたのでございます』
『なるほど聖書の予言によりますればエルサレムでせうが、しかし救世主は何処へお降りになるか分りますまい。私は決してエルサレムと限つたものとは思ひませぬ。或は日の出島へ現はれ玉ふかも知れませぬ』
『さうかも分りませぬなア』
 かく話してゐるところへ、スタスタやつて来たのはお寅、お花、曲彦の三人なりける。
『アア、どうやらかうやら隠れ家を見つけた。これもやはり日の出神のお導き、ヤレ御免なされ、お前さまはブラバーサさまだな。日の出神の救世主が二三日以前から橄欖山に御降臨になつたのを御存じですかな。ヤ、そこに居る毛唐さまは此の間橄欖山上で守宮別とチーチーパーパーいふてゐた博士だございませぬか。マアマア因縁といふものはエライものだな。又こんな所で会はうとは思ひもよりませなんだ。コレ毛唐さま、お前さま又このブラバーサにだまされて来なさつたのかな。チト用心なさいませや』
 スバールはうるささうな顔をしながら、日の出島の言葉を使つて、
『ヤアお前さまはルートバハーの教をまぜ返しに廻つてる、あの有名な小北山のお寅婆アさまだな。そして一人は曲彦、それからお花といふ剛の者だらう。イイかげんに落着きなさらぬと此の聖地には相手になる者がなくなりますよ』
『何とマアさすがは博士だワイ。イロハ四十八文字の言葉が使へるやうになりましたな。この間まで四足か鳥のやうにチーチーパーパーいふてをつたのに、日の出神に一目会ふたお蔭に真人間の言葉が使へるやうになつたのかな。コレお花さま、曲やん、これでも日の出神の神力が分りましたらうがなア』
『何しろ、夜抜け食ひ逃げの張本人だから偉いものですワイ』
『コレ曲、ソリヤ何といふ事をいふのだえ』
『それだつて事実は事実ですもの、仕方がありませぬワ。もし、ブラバーサさま、どうぞ私をあなたの弟子にして下さいな。実のところはお寅さまがお金をおとし、吾々三人は無一物ですから、二進も三進も仕方がないのです』
 ブラバーサはニタリと笑ひながら、
『日の出神様も、お金がないとヤツパリ、お困りですかな。私も淋しい懐だからお金を貸して上げるわけにもゆきませぬが、マア暫くここにをつて、味ないものでも喰べてお金の来るまでお待ちなさいませ。電報さへうてば二十日も立たんうちに届きますからな』
『ヤア大変御邪魔をいたしました。いづれ今度の日曜にはトツクリとお目にかかりお話をさして頂きませう。今日は用事もあり少し急ぎますから御免を蒙りませう』
『折角お越し下さいまして、何のお愛想もいたさず失礼をいたしました。今度お足を運ばしてはすみませぬから、私の方からお訪ねいたします』
 博士は、
『左様ならば後日お目にかかりませう。皆さま、御ゆつくりなさいませ』
と早くも此の場をスタスタと立ち去つた。

物語64下-2-10 1925/08 山河草木卯 拘淫

橄欖山の坂道の木蔭に四五人のドルーズ人や、アラブや、猶太人が労働服を着たまま面白さうに雑談に耽りゐる。その中の一人なるバルガンは、
『オイ、ガクシー、汝はこの間の戦争に行つたといふ話だが、金鵄勲章でも貰つたのか。花々しき功名手柄をして帰るなぞといひよつて、近所合壁に送られ、大変な勢ひであつたが、凱旋祝ひも根つから聞いたこともなし、いつの間にか吾々労働者仲間に舞ひ戻つて来よつたが、一体戦ひの状況はどうなつたのぢやい』