ユダヤ


裁判資料

史料集成Ⅲ 1938/08/13

問 昭和七年六月三十日、霊界物語の第六十巻の再版を発行するに当つて、其の四百二十七頁以下に、
 天の岩戸開が段々と近寄りたから、是までのやうな事には行かぬから、一か八かと云ふ事を悪の頭に書いて見せて置くが良いぞよ、今の番頭のふな/\腰では兎ても恐がりてこんな事を書いて見せてやるだけの度胸はありはすまいなれど、神の申すやうに致したら間違は無いぞよ、一の番頭の守護神が改信が出来たら、肉体に胴が据わるなれど、到底六ケ敷いから、今に番頭が取替へられるぞよ、もう悪の頭の年の明であるから悪い頭から取払ひに致すぞよ。
と云ふ文句を掲載して発売したことは違ひないな。
 此処に問題になつて居る「悪の頭」と云ふのは誰を指すのか。
答 詰り、矢張り、霊界にある所の霊界の「悪の頭」を言ふたのです。
問 霊界の「悪の頭」か──悉くがか。
答 是が、仏教で言へば、阿修羅王とか、大黒天とか、天魔波旬とか、四魔波旬とかは「悪の頭」です。
 それから、又、外国の方で言へばクレノス・ゴロス、是は「悪の頭」で、日本で言へば八十禍津神などは是は「悪の頭」であります、総ての宗教には善の神の頭もあれば悪の神の頭もある。
 悪の神の頭が色々のものに移つては、さうしては左右して世の中を紊す。それで是は極く前のことでありますが、三十四、五年頃に「悪の頭」に見せて置かなければならぬと云ふので、教祖が筆先に書きますと、それを中村竹造やとか、四方藤太郎やと云ふ連中が弥仙山の上へ持つて行つたりして、書いてある筆先を拡げてさう云ふことをやつた。
問 「悪の頭」と云ふのはさう云ふ意味ですね。
答 さう云ふ意味です。
問 それで同一文章の中に……
 出口の午前の注意に依つて読んで見たが、「悪神の頭目」とか、「極悪の頭」とか「悪の霊」と云ふものがあるが、是はどう云ふ意味だ。
答 是は詰り、猶太の悪神の大将と云ふやうなものとか、或は悪神の霊と言つたり……。
問 之に書いてあることは判つて居りますか。
 今書いてある所が判つて居りますか。
(此の時筆先を示す)
答 目が悪くてとても斯んなものは見えない。
 ちよつと眼鏡を掛けまして……
 是は直の筆先です。
問 さうすると、是は本件に於て問題になつて居る「悪の頭」とか、「悪神の頭目」とか書いてあるのと同じ意味か。
答 同じ意味です、書き方が違ふだけです。
問 同じ文句でも同じ字句でも、場所に依つては別に取るやうなことはないか。
答 私は、同じこつちやと思うて居ります。
 詰り、其の時の具合で言うたのだから──。

史料集成Ⅲ 1938/08/13

問 昭和十年三月一日の瑞祥新聞の七頁に斯う云ふ記事を書いて、掲載したことがありますか、内容は──
 日本の国には世の根本の太古から天地の先祖の神が仕組が致してあるので、二度目の建替は末代に一度より為られぬのであるから、何につけても大望なことであるぞよ、肝腎の事はあとへ廻して何も知らぬ、いやな方の血筋や下劣の守護神が大事の仕組も知らずに、我好しのやり方でとん/\拍子に出て来たなれど、九分九厘と云ふ所で往生致さなならん世になりたぞよ。
と書いてありますが、是は記載してあることは間違ひないね。
問 はい。
問 此処で「いやな方の血統」と云ふのはどなたを……。
答 「いやな方」と言つたら悪霊です。
 日本で言へば馬子やとか、道鏡とか、北条義時の血統とか、さう云ふものを言ふのです、「いやな方」と云ふことに付てもう一つ言へば、猶太の血統やとか、ロシヤの赤い奴の血統とか、さう云ふ意味を言ふのです、「いやな方」と云ふのは……。
問 能く判りました、日本では弓削道鏡とかさう云ふ方の血統を言ふ、と言ふのですね。
答 はい。


ユダヤ

神の国 1932/12三大民族

太古、世界には三大民族があつた。即ちセム族、ハム族、ヤヘツト族である。セムの言霊はスとなり、ハムの言霊はフとなり、ヤヘツトの言霊はヨとなる。故にスの言霊に該当する民族が、(1){神の選民と云ふことになり、}日本人、朝鮮人、満洲人、蒙古人、コーカス人等である。ユダヤ人もセム族に属する。次がハム族で支那人、印度人又は小亜細亜やヨーロツパの一部に居る民族である。ヨの民族即ちヤヘツト族と云ふのはアフリカ等に居る黒人族である。しかし現在は各民族共悉く混血して居るのであつて、日本人の中にもハム族等の血が多数に混入して居る。又欧米人の中にはハム族とヤヘツト族とが混血したのがある。イスラエルの流れと云ふことがあるが、イは発声音で、スラエの言霊はセとなるが故に、イセ(伊勢)の流れと云ふことになる、即ちセム族の事である。


神の国 1926/02人相と其性質

ツンと尖つた節のある鼻は、攻撃性を現はす。かかる鼻の持主は、人と衝突し易く、兎角我意を通さんとする傾きがある。鼻の先が平たくて尖つて居るものは、鼻柱がつよくて猪突する傾向があるが、【てん】と行き詰まつて仕舞ふ。曲り鼻の持主は、親分になり度い、頭になりたいと兎角人の上になりたがる傾向があるが、先が曲つて引込んで居るので、【てん】と明かん、猶太人の鼻がそれである。鼻としては、小鼻が大きいのが、よい鼻である。

神の国 1930/09 キリストの再来

猶太国のナザレに生れた大工の子キリストが降誕してから既に一千九百三十年を経過した。その教理は殆んど全世界に遍満した。然るに、キリストに由つて世界の平和と人類の幸福を来たしたと云ふ事は未だ聞かない。却つて(1){反対に世界人類を誑惑し}、十字軍を起さしめて血の歴史を遺し、又は政治の先棒に利用されただけである。諺にも宣教師の後に大砲ありとまで曰つて居るではないか。又或学者は宗教は阿片なりと喝破して居るが、実に至言である。不徹底な(2){脅嚇的}教理に眩惑されて、(3){全世界の人類は恐るべからざるものを恐れ、頼りて益なきものに頼り恐怖心をそそり、}無気力者となり、自由楽天的世界を悪土と思はしめ、却つて人類をして不安の域に導いたのみである。先年欧洲に起つた世界戦争に対しても、之を防止するの権威も信用もなく、袖手傍観を余儀なくされて了つたぢやないか。(4){斯の如きキリストが、幾百万人再生したつて何の役に立つものか、却つて世界を迷矇の域に陥れるより外に道はないであらう。
 世界の救世主であり、神の子又は人の子と自称するものが、国事犯に問はれ、十字架上に悶死して、吾れ世に勝てりもあつたものではない。キリストとは世を救ふもの、油をそそぐ者の謂でありとすれば、現代の宗教家の称ふるナザレのイエス、キリストの如きは、実に救世主の名を僭したる真理の賊であると云ひ度くなるのである。}
 自分の謂ふキリストとはそんなつまらぬ貧弱なものではない。霊肉共に安心立命させ、人類の生活に向つて、も少し活動力のあるものである。大本人の中には自分をナザレのイエス、キリストに擬するものがままある様だが、実に迷惑千万である。
 自分が曽て霊界物語に説いたキリストとナザレのイエスとは全然別人である事を爰に言明しておく。
footnote:
(1)天五版、八幡版では削除。
(2)天五版では削除。
(3)天五版、八幡版では削除。
(4)天五版、八幡版では削除。


神霊界 1917/02/01 信仰の堕落


信仰の堕落
ニ十二人生
  一
 基督教は、現時、欧米各国五億五千万人の精神を支配する宗教である。過去二千年来の惰カで、人心の根底に深く浸潤し、牢乎として抜くべからざる慨がある。無論、今の西洋文明には希臘、羅馬の思想が余程加味されて居るが、基督教の影響は更に有力で、更に深遠である。法律も、政治も、風俗も、習慣も、文芸美術も、其他社会万般の事々物々、一として之と没交渉なる事は出来ない。
 近世に於ける国家と教会との関係は、余程薄らいだように見受けられるが、それでも帝王の即位式には、其王冠をば誰が捧げるかと言えば、基督教の僧侶が行うではないか。ラファエルの絵画、ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』等は、世界を動かすに足る美術文芸ではあるが、基督教の精神を会得せざる者には、其趣味を充分理会、翫味する事が出来ないではないか。又何の為めの安息日か、何の為めのクリスマスか、何の為めの復活祭か、基督教を知らぬ者には、到底欧米の風俗習慣を理会する事は出来まい。やれ赤十字、やれ宗教戦争、やれ新旧二派の争、基督教を知らぬ者には、欧米の歴史は何の事やら分らない。然り而して、此基督教の本源は何れに在るかと言えば、他でもない猶太教である。
 イスラエル民族は、由来憫むべき民族で、団結力の鞏固ならざる十二支族より成り、しぱしば分裂瓦解し、軍隊は国の独立を保つ能わず、法律は国の平和を保つ能わず、其結果、神に縋って保護を求め、救済を願った。其惨状は実に目も当てられざるものであったので、随って宗教意識も非常に強烈を極めた。これが猶太教の出来た根本理由である。尚お其前後の状況を考うるに、当時猶太民族は、バビロン、エジプト、ギリシャ等の諸国の為めに取り囲まれて居たのであるが、是等の諸国は、皆多神教を奉じて居た。多神教徒は種々雑多の神々に奉事する結果、其信仰は概して動揺不安定に流れ、一心不乱の堅固なる信仰に入る事が出来ない。かかる周囲の状態の下にありて、モーゼがシナイ山頂でエホバの神から一神教的の訓戒を受けたと言って、之を其同族に伝えたのは、民族自衛の点から極めて必要の事であったに相違ない。此信仰は周囲の圧迫が激烈なるに連れて益々強烈に赴いた。神の降したと称する戒律が峻刻を極めたものであった事が、これが又他面に於て信仰を強烈ならしむるのに与つて大に力あった。其戒律中にば斯ういう事が言うてある。
「汝我面前に、我の外何物をも神とすべからず」。
「汝、自己の為めに何の偶像をも刻むべからず」。
「又上は天にあるもの、下は地にあるもの、ならびに地の下の水の中にあるもの、何の形状をも作るべからず。之を拝むべからず。之に事うべからず。われエホバ、汝の神は嫉む神なれば、我をにくむものに向いては、父の罪を児にむくいて三、四代に及ぼし、我を愛し我が戒を守る者には、恵を施して十代に至らんなり」。
一寸考うれば、中々面白い。真の神は宇宙に只一柱より外に無いという一面の真理だけは、よく表われて居る。又モーゼは、独り此戒を其同族に示したばかりでなく、世界人類一般に示したものの様である。併し乍ら、爰に出る所の「神諭」は、全大宇宙主宰の神の神示としては、余りに偏狭に傾いて居るように見受けられる。
 「エホバ」と唱える名称は、いかなる神を指すのか。一部の人士には分りにくく、中には単に外国の神のように思って、余所事に聞き流すもあろうが、「エホバ」というはヘブルー語で、昔も在り、今も在り、又将来も在る所の根本の神、「宇宙の本体」という意義である。して見れば、取りも直さず日本民族が、太古に於て天御中主神とたたえた神を指すに外ならぬので、我等が為めには、極めて大切な国祖である事が判るのである。只此神の神徳の説き方が、甚だ人為的で不備偏狭を免れぬという欠点があるのである。

  二
前段述ぶるが如く、我が天御中主神のことを、アブラハムも、モーゼも、其他すべてのイスラエル人も、エホバと崇め唱えたらしいが、天御中主神は、全霊界統治の神であると同時に、全現界統治の神である。独りイスラエル民族が専有すべき神でなく、実に又、我日本統治の神であり、各個人の保護の神である。かかるが故に、かの神の降したと称する戒律は、よしや人為的、偏狭不備の臭味を脱せぬにしても、其裡には、幾分神意の伏在するものが無いではない。吾々とても、単に異邦の事、シナイ山嶺の事と聞き流す訳には行かない。神の誠の声の一部が、幾分吾々の耳底にも響く感がするのである。
 わが『古事記』には、宇宙開闢の第一の神様として、天御中主神の御名を出してあるが、其広大無辺の神徳、その全智全能の神性をば、毫も録して無いから、誰一人として此神の明瞭なる観念を有たなかった。尤も此神の神徳は余りに大きく、到底筆舌を以て言い尽し得ぬものであるから、神典にも、単に御名を称えたに止めたのであろう。わざと書かぬのでなく、書き得なかったのである。
 天御中主神の神徳は、空間的に観れば広大無辺である。時間的に観れば永劫不滅である。其神性は不変不易であると共に、其神業は千変万化して窮極がない。其まします所は、極めて近くして、又極めて遠く、とても人心小智の窺知すべき限りでない。
 天御中主神は、第一着手として、理想世界を造営せらるるが為めに、第二位の神と成って顕現された。これが霊系の祖神高皇産霊神である。この理想世界は即ち神霊界で、無論凡眼の観る能わざる所、凡智の察する能わざる所である。ただ霊眼、霊智を以て之にのぞめば、天分に応じて程度の大小高下はあるが、其一端を窺知せしめられる。次ぎに天御中主神は、第三位の神となって顕現し、物質世界を造営された。これが体系の祖神神皇産霊神である。『創世記』には、神を称するに単に「エホバ」とのみは言わず、「エロヒム」の語を用いて居る。エロヒムは即ち神々という事で、根源は一神だが、幾種にも顕現するから、この複数の語が必要なのである。

  三
 天御中主神は、三種の顕現を以て、先ず其神徳を発揮されたが、無限の神徳は、無論このような簡単な事で顕わし切れるものでない。そこで此大天地鎔造の神は、ミタマを分けて、随所随時に顕現して、次第に複雑完備の域に進ましめられたが、天照大御神の時に至って理想世界は完成した。次ぎに、此理想世界の姿を、地上に写し出すが為めに、天孫瓊々岐命を日本国に降して地上の主宰者の地位を確定し、同時に神子神孫を世界万国に降して、之を経営せしめられた。
 往時の偏狭固陋な国学者などは、、此日本ばかりが神国のように考えて居た。これはイスラエル民族どもが、自分ばかりが神の選民であると思惟し、エホバの神はイスラエルばかりを守護するように考えたのと同じような僻見と言わねばならぬ。そういう片贔負をする神様ならば、須らく世界の戸籍から除名して仕舞うべきである。『古事記』には、「神皇産霊神が少彦名命を遣わして、常世の国を経営せしめた」と記載されて居るではないか。常世国は外国である。神の眼からは、日本もない、外国もない。只各国をして、其天賦の職責性能を発揮せしめんとせらるるのみである。
 此世界経営の神業は、今日とても依然として継続されて居る。この後とても其通りだ。であるから、天御中主神の神徳を知ろうと思えば、日本神代史の研究は勿論の事、希臘、羅馬の神話も、基督教も、回々教も、婆羅門教も、支那の道教も、儒教も、西洋の諸学術も、悉く調べて見て、そして造化の宝蔵を敲いて見ねばならぬ。無論これは、一人や十人では出来ない。一宗派、一専門の士では不足だ。苟くも霊智霊能あるもの、誠心誠意あるものの全部が、総懸りで取懸らねばならぬ問題である。それ丈努力討究しても、尚お僅に神の大業の百千万億分の一を想見する事しか出来ぬのである。

  四
 然るに、現代の日本国民の、神霊に就いての知識及び信仰の程度は如何。神代史の知識を全然欠如し、天御中主神の神徳を知らぬものの多きは勿論、第二流、第三流の神さまさえさしおきて、種々雑多の低級の神々ばかり拝んで居るものが多い。これでは、日本は浅ましい迷信教国と言われても仕方がない。さもなければ、浅薄愚劣な無神論に堕して、半可通の新知識を振りまわして居る。どちらにしても困り者である。
 ギリシヤの信仰なども、随分堕落して居た。ギリシヤの神々は、森の中や、山の上や、谷や、野原に於て、よく血を流して闘ったり、鎬を削って争ったりした様であるが、敵を殺したり、欺いたりするという事は、神の神たる所以の尊厳を汚すもの、遂に戦に敗北して仕舞って、敵に降参するに至っては、誠にもって言語道断である。神話と軍談とを取違えて、「希臘の神話は詩趣が饒多である」などというは、誠に片腹痛き癡人の寝語である。
 日本も余り大きな顔は出来ない。地方に行って見ると、あちらにもこちらにも、能く稲荷の祠があるが、其所には狐が祭ってある。何故狐を祭るかというに、「稲荷は『ミケツカミ』である。『ミケツカミ』は三狐神である。故に狐を此処に祭るのだ」というに至っては、信仰の堕落の極点で、折角の宗教は道徳性を失い、却て不道徳の道具となって仕舞う。赤飯をたいて、油揚をあげて、余計な鳥居をいくつも建てて、それで御利益の強要をする。近来は、地方ばかりでなく、東京のお膝元まで其風が蔓延し、相場師、投機商、少し山気のある商人は、よく羽田の穴守稲荷などへ出掛ける。わけて芸者、芸人などという連中の所謂信心は、すさまじいものだ。「其目的は那辺にあるか」ときいて見ると、狐の魔術的保護によりて、客をたらかし、相手を騙すためだという。誠に噴飯の至りである。
 実を言えば、稲荷の神は「飯成の神」という事で、宇迦之御魂神である。即ちこの神は、豊受神で、五穀の生育を司り、万民の食物の源を養う神様であるから、又の名を「御膳津神」というのである。とりも直さず、豊受神は、造化の第三位の神から遣わされた物質世界の神なのである。天照大神は造化の第二位の神から遣された理想世界の統治の神である。豊受神は物質世界の住民に食物を恵みて、そして天照大神の神業を助くるのである。さればこそ、この二柱の姫神は、内外両宮に祭られて、万民の信仰の中心となって居る。
 日本の「創世記」によれば、天御中主神はエホバであるが、其神徳は隠れて見えない。樹木に譬うれば、地中に隠れたる根の如きものである。この根はやがて地上に顕現して、第二位、第三位の神と成った。第二位の神は即ち幹である、枝であるから、高皇産霊神の事を「高木の神」と謂い、又「カンロギの命」という。次ぎに第三位の神は花である、実であるから、神皇産霊神の事を又「カンロミの命」という。又「産霊」ということは、即ち「ムスブ」の義である。第二位の神は理想を結んで、之を天照大神に委ね、第三位の神は物質を結んで、之を豊受大神に托したのである。
 かの万有神教というのは、物質的有形庶物を祭る所の宗教である。動物、植物、鉱物、山川、森林等を、そのまま神として祭る所の宗教である。かく「自然の個物」を崇拝すると、勢い肉欲的、物質的に堕落する。又かの偶像崇拝というのは、「抽象的概念」を神として拝むものである。抽象的概念には形が無いから、勢い之を現すに偶像を用いる。仁王や、帝釈天や、毘沙門天や、比々として皆抽象的概念の具象的表現である。近代の科学に用うる名称とて、外形こそ異なれ、其真相に於ては敢て変りはない。エネルギー、エーテル、引力、潜在意識等、偶像ではないが、気のきいた偶像の代理である。かかるものは人間の作ったもので、一の心理作用に外ならぬから、到底信仰をつなぐ力はない。
 吾々は、どうあっても此国民信仰の堕落を済わねばならぬ。健全なる信仰を復活せしめ、やがて世界の宗教統一を実現すべき使命は、どうあっても、我日本に在らねばならぬ。目下は正にその秋である。最早一日を延べる事は出来ぬ。世の有識者の奮起を望む。



神霊界 1918/04/15 国教樹立に就て(承前)

 今其の解明した所を聴くと次の如くであった。ダニエルは謂った。「王に示された此像の金の首は即ち爾君であると告げた。果せるかなバビロン帝国は、紀元前殆ど六百六年より同五百三十八年まで天下の諸王国を征服して共全権を握って甚だ栄えたのである。而して次の銀の胸と両腕とはバビロン帝国を滅して天下の権を握って、同三百三十一年まで栄えたメデヤとベルシャの同盟国を示したものであり、次の腹と腰との銅の部分は、ペルシャ帝国の後に起った、即ちアレキサンダア大帝が天下を征服して建たギリシャ帝国を示したもので、この希臘の栄えたのは紀元前百六十八年までであったのである。次の鉄の脛はギリシャ帝国を征服し、紀元前百六十一年に猶太国民と契約を結び、遂に天下を統御した羅馬帝国を代表したものであったのである。而して其脚及趾の鉄或は泥土であった部分は、羅馬の末世に於て北方の蛮族が来襲して、遂に紀元三百五十一年より同四百八十三年頃迄に分裂した羅馬の十の小王国である。天の神様はネブカドネザルに巨像を示して、而して共の巨像を以て予め二千五百有余年間に亘る所の天下の治乱興廃を告げ、大予言を垂れられたのである。歴史事実は不思議にもこの予言の侭に進んだのであった。史実が明に予告を立証したのであった。
 さて次に起る問題は何であろうか。彼の十小国の未来の問題である。現今の欧州各国は是等十小国の末流である事は誰も知る所である。而して其趾の一部は鉄で、一部は泥土で、相互に合せざるは自然の天理である。彼等は其勢力に於て自ら強弱ありて、互に併合して世界の統一権を獲得せんと欲し、起て覇を唱えたものには、シヤーレマンがある、チヤーレス五世がある、ルイ十四世がある、ナポレオンがある。斯くの如く英雄豪傑が武力を以て他を圧し、之を併合せんと努めたけれども、遂に悉く失敗に帰したのである。以来是等の諸強国は「人草の種子を混えん」とある如く、欧州の諸強国王は、其血族相互の結婚を以て彼我の親善を謀り、又同盟を結びて一致和合を求め、世界の保全を企てて居ると雖ども、鉄と泥とが永遠に相合するの理なく、彼等は日々に軍備拡張に熱中し、世界最終の戦争に備えつつあったが、予言は飽まで之が現実されん事を主張して居るものか、今回端なくも塞比亜、墺多利間に葛藤を生じ、遂に墺独の両国が仏英露の強国を相手として雌雄を決すべき大袈裟な大戦闘を惹起し、欧州の全国は忽ち修羅の巷と化し、五か年に渉るも其の落着が何れに定まるか、分明せない有様である。実に恐るべき予言として、我等はネブカドネザルの巨像の夢を深く味わなければならないのである。耳をそば立てて聴け。詳に聴け。

ここはイスラエル

神霊界 1919/03/15 神諭

 国常立尊が変性女子の手を藉て、世界改造の次第を書きおくぞよ。明治二十五年から神政開祖大出口直の手を借り口を借りて、警告た事の実地が現はれる時節が参りたぞよ。伊勢神宮《イスラエル》の五十鈴川の十二の支流《わかれ》も今までは、其源泉を知らなんだなれど、弥々天の岩戸を開く時節が参りて来たから、斯の清き流の末の濁りを、真澄の鏡の言霊に清め改め、世界を十二の国に立別け、一つの源の流れに立直し、十二の国を一つの神国の天津日嗣の神皇《きみ》様が、平らけく安らけく治め玉ふ松の御代に立代るに付て、神政開祖《よはね》の身魂に二十五年に渡りて、人民の身魂を五十鈴川の流に洗い清めて、漸やく大正六年からは一段奥の鎮魂帰神の神法に依り、変性女子の御魂を御用に立てゝ、艮めの経綸に使ふて在るなれど、今の世界の人民は、間口の広い奥行の短かい、学斗りに迷信いたして、斯世は物質的学さえ修めたら、世界は安全に治まる如うに取違い斗り致して居るから、天地の元の先祖の申す事はチツトも耳へ這入らず、却て反対に迷信いたして、世界を恐喝やうに悪るく誤解て、種々と斯大本を世間から攻撃いたす者も出来て居るなれど、誠の神はソンナ少さい事に往生は致さんから、今に実地を世界へ表はして見せて与るから、何なりと申して反対いたすが良いぞよ。是でも今に大本の教の誠が天晴り判明て来るから、判明て来たら又手を曳き合ふて日本の為世界の為に活動いたすぞよ。今は精神界が暗黒で何も判らんから、色眼鏡を掛けて、新聞屋までが色々と浅い観察を世の中へ触れて呉れるなれど、是も神界の予定の経綸で在るから、今の新聞雑誌は一生懸命に面白がつて悪言を書並ベて居るなれど、是も知らず/\に神界から使はれて、神の御用を致して居るので在るから、中々御苦労な御役で在るぞよ。明治二十五年から出口の手で、新聞に一旦はトコトン悪く言はれて、跡で良く成る仕組じやと申して、筆先で永らく知らした事の実地が参りたので在るから、神界の経綸通りが廻りて来たのであるぞよ。是からは日に増し日本魂の研けた守護神人民が、地の高天原ヘ参りて来て三千年の経綸の御用をいたすから、此の大本の内部の役員は充分に日本魂を研いて神国成就の御用に立ちて下されよ。誠の者は神界から国々に配置《まくば》りてあるから、段々と引寄せるから、是からは眼が廻る程この大本は急がしく成るぞよ。何程世界から悪く申されても、肝腎の大本に誠の行為さえ致して居りたら、世界中が一塊に成りて参りても微驅とも致さぬ教で在れども、今の世界の人民に何程良く言はれて賞られても、誠の教が腹へ這入らず、誠の行為が出来て居らなんだら神界から赦さんから、心得た上にも心得て、日本神国の人民相当の行為をいたして、日本の国を擁護、神と皇上とに安心を為て戴く、誠の行状を為せる、世界の大本で在るぞよ。今の世界の人民の精神を改造いたして置いて、世界の改造に掛る経綸であるから、日本の人民は一日も早く神の洪恩を弁へ、皇室の尊厳と国家の大使命と国民の天職を覚つて、誠の日本魂に立帰り、一番に此の神国を修斎し、次に国民一致の神力で外国を平らけく安らけく与らねば成らぬのが、日本人民の神から与へられた大使命であるなれど、今の日本の人民は肝心の国体の精神を忘れて、外国の精神に誑されて了ふて居るから、日本の国では絶対に天地が潰れても用ゐられん、民主々義を唱ヘる鼻高が出来て来て、何も知らぬ日本の人民が学者の申す事を信じて、夫れに附和雷同して約らん事を致すやうに曇りて了ふて居るから、今が世界の正念場であるから、神が永らく苦労いたして、人民に気を附けるので在るぞよ。

猶太=マツソンを想像させる唯一の個所

人類愛善新聞 1934/08 皇道経済我観

経済は極度に乱れ国民の思想の安定なき世はさびしき
経済の根本革正なさずれば地上の国は亡びゆくべし
宗教を知らざる者は宗教家よ経済知らぬは経済学者よ
経済の真意を知らぬ為政家の上に立つ世は浮ぶ瀬もなし
会計と経済学とを混同し不景気風になやむ政治家
金銀為本の国家経済を根底より立直すべき秋とはなれり
我国の経済根本革正は土地為本より良法はなし
皇国の政治経済思想間題新たに打開すべき秋なり
日本には只一人の経済学者現はれずして行き詰りたり
合法的に政治経済を改むる神策知らぬ学者のみなり
財政を根本的に立直す道は日本を措きて他になし
皇道の本義に徹底する時は経済などに艱まざる国よ
経済を根本的に立直す本義を知らぬ国人憐れ
皇道の本義を知らぬ其為に経済などに苦しむ日本よ
国々の経済界を掻き乱し猶太の邪神は北叟笑みつゝ
国といふ国は悉くマツソンの経済戦に艱まされ居り
右によらず左によらず中道を進むは日本の教なりけり

大本史料集成Ⅱ1934/11/28 統管随筆第二篇

 米国人はペルリ来航以来、威嚇と脅迫とを以て日本に対する外交のモツトーとして来た。諸外国も亦米国に倣つて日本に対する外交方針として来たのだ。最近日本各新聞紙の報ずる所によると、米国のミッチエルとか云ふ乱暴将軍が大航空船五十隻を以て僅か二日以内に日本を撃破し得ると大言壮語して日本を脅迫せむとしてゐるが、今日の日本人は最早その手には乗らないぞ。米国の咆哮と恫喝は恰も軸画に描いた猛虎と同様である。画の虎は動きもならず噛み付きも出来ない。只病人の如うに床に就いてブラ/\してゐるだけが関の山だ。
 日本の軍備が充実して居れば彼等外人は一指をも染め得ないのだ。平和の保障は軍備の充実に限るのだ。
 露満国境には妖雲天地に塞がり、今にもウラルの嵐は神洲日本の空に何時襲来するか判らない形勢である。吾同胞よ、精神力を強大ならしむるべく大同団結せよ。
 現今の日本は全く危機に瀕してゐる。噴火山上に舞踏してゐる皇国今、日の現状転た寒心に堪へず、いよ/\吾等は舎身的活動を励まねばならぬ焦眉の問題である。
 猶太人の陰謀は最近に始まつた事ではなく、約二千年以前からの根強き活動である。そして世界の経済界の八分以上は猶太が掌握してゐるのだ。上流社会にも深く喰ひ入つて日本を危機に陥れつゝあるのだ。
 独逸の独裁総統ヒツトラー氏の著書『我が戦ひ』の中にも左記のやうな事実が掲載されてある。
猶太人は欧羅巴の国人を秘かに害してゐる。男でも女でもない私生児に変へて了へることをよく承知してゐる。又日本人といふアジア国家に同じ運命を課することの困難なる事もよく承知してゐる。これ猶太人がこの覇権を握らむとする前に、まづ日本を破壊せむとする野望である。即ち今日猶太人は、すベての国家を日本反対の地位に就かしめむと試みてゐる。之恰も往年独逸に対して試みたと同じ手段ではないか』(以下省略)
と我国に対しても説き及んでゐる。忠誠なる我同胞は十二分の注意を払ふべき緊要事であると思へ。


64巻以外の霊界物語のユダヤ

物語01-2-18 1921/10 霊主体従子 霊界の情勢

さうかうするうちに、露国のあたりに天地の邪気が凝りかたまつて悪霊が発生した。これがすなはち素盞嗚命の言向和された、かの醜い形の八頭八尾の大蛇の姿をしてゐたのである。この八頭八尾の大蛇の霊が霊を分けて、国々の国魂神および番頭神なる八王八頭の身魂を冒し、次第に神界を悪化させるやうに努力しながら現在にいたつたのである。しかるに一方印度においては、極陰性の邪気が凝りかたまつて金毛九尾白面の悪狐が発生した。この霊はおのおのまた霊を分けて、国々の八王八頭の相手方の女の霊にのり憑つた。
 しかして、また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。しかしながら日本国は特殊なる神国であつて、この三種の悪神の侵害を免れ、地上に儼然として、万古不動に卓立してをることができた。この悪霊の三つ巴のはたらきによつて、諸国の国魂の神の統制力はなくなり、地上の世界は憤怒と、憎悪と、嫉妬と、羨望と、争闘などの諸罪悪に充ち満ちて、つひに収拾すべからざる三界の紛乱状態を醸したのである。

物語06-4-22 1922/01 霊主体従巳 神業無辺

 而してこの淡島の国魂として、言霊別命の再来なる少名彦命は手足を下すに由なく、つひに蛭子の神となりてか弱き葦舟に乗り、常世の国に永く留まり、その半分の身魂は根の国に落ち行き、幽界の救済に奉仕されたるなり。
 この因縁によりて、後世猶太の国に救世主となりて現はれ、撞の御柱の廻り合ひの過ちの因縁によりて、十字架の惨苦を嘗め、万民の贖罪主となりにける。


物語06-4-23 1922/01 霊主体従巳 万教同根

 少名彦司は幽界を遍歴し、天地に上下し、天津神の命をうけ猶太に降誕して、天国の福音を地上に宣伝したまふ。


物語入蒙-99-1 1932/02 入蒙余禄 大本経綸と満蒙

 愛といふことは基督も、マホメツトも説いてゐる。仏教は慈悲心を説き、あるひは十善といふ事を説いてゐる。各神道、各仏教はみな愛と善との外に出てゐないのであります。しかし今までの宗教は国によつて皆垣を造つてゐる、出雲八重垣を造つてゐる。すなはち猶太猶太の神、支那は支那の神といふ風に自分一国の神様にしてゐる。この垣を、この出雲八重垣を破るのには、人類愛善といふ大風呂敷を頭から被せて行くのが一番よいのであります。


マツソン・フリーメーソン・石屋

昭和 1933/12 神国日本

我国は世界を救ふ神の国人類愛善の徳に靡けむ
支那政府休戦条約蹴破ぶりて懐柔県に軍を進む
河北省独立せむと支那将領はまたも無謀の事たくみ居り
わが軍は飛行機上より支那軍の撤退すべく注意書をまく
わが注意若し聞かざれば懐柔県の敵に対して爆撃はじめむ
聯盟を脱退したるわが国に対して世界の各国は迫り来
斯くなれば日本は世界に味方なしただ神のみがたよりなりけり
悪神の仕組やうやく完成しわが神国を襲はむと計る
この度は神と学との力くらべ最後は神に兜をぬぐべし
世界中向ふにまはして危険なるわが日の本の現状知らずも
うらやすき神の神苑に住みながら心にはなれぬ世界の現状
宗教もまた道徳も権威なくよこしまの道ひとりはびこる
シベリヤに独立国を築かずば日満両国あやふかるべし
マツソンは世界の隅ずみおちもなく世を乱さむとたくらみて居り
世の中の万事万端マツソンの計略のわなにおち入りてをり
地の上の国のことごと占有し壊さむとするフリーメーソン
神職は神をさとらず僧侶また仏を知らずあさましの世や
宗教家の数のみ殖えて神聖の宗教ことごとかげうせにけり
政治家も経済学者も教育者もこの国難に目を廻し居り
非常時に直面したる我国の前途を救ふ力は神なり
日地月星描きてたてる青年旗われは押立て御代につくさむ
宗教にあらず政治にあらずしてただわれは行かむ惟神の道
わが行けば到るところに青年旗飜りつゝ秋ふかみかも

昭和 1933/06 大道を歩む

連盟国は経済封鎖で威嚇するも皇国にとりては寸功なかるベし
東洋に日本帝国なかりせば支那は昔に分割されをり
今日の支那国あるは皇国の東洋にあるを知らざる民国
ソビエート国民皆兵主義を持しわが帝国に野心を含めり
国民は枕を高く眠るべき時にあらぬを自愛のみあせる
皇国に陸海軍なかりせば西洋諸国に亡ぼさるべし
浅薄なるキリスト教理を妄信せる西洋諸国は公道を解せす
黄金を山と積みつつ苦しみて死にゆく人の魂あはれなり
神よりも大事と金銀たくはヘし人の死にゆく地獄道なり
不老不死の精霊を持つ人の身は現世ばかりが住処にあらす
生き生きて生きの果てなき人の身を自ら殺して亡ぶあはれさ
みるを得すきく声もなき神の前に祈る心は神なりにけり
敬神尊皇報国の道を闡明し三十余年世を教ヘたりき
今日の世界の窮状前知して説き来りけり三十六年の間
国民は自己愛にのみふけりつつ神の大道を歩まざりけり
世人等は利愁に惑ひ智慧くもり終末来るを覚らざりけり
政治経済世界ことごと行詰りゆきつまりつつ世の末近めり
正義公道夢にも解せぬ国民は支那のみならす欧米各国
マツソンの世界覆滅大陰謀着着爪牙をあらはし来れり
現内閣交迭すべく予想され容易に動かぬ癸酉の春なり
現内閣非常時日本の題目にわづかに命脈保ち居るらし
皇国の尊厳無比なる国体を夢にも知らぬ同胞さびしき
南洋の諸島はことごと日の本の民を植うべき宝島なり
支那蒙古シベリヤまでもわが皇化あまねからしむるは大和心ぞ
大亜細亜国のことごと日の本の傘下に集る時や来らん
神国の稜威を知らず醜国の百のつかさの日本をあなどる
銃もたす剣も持たぬ神軍の向ふ所に刃向ふ敵なし
浅簿なる西洋科学に魂抜かれ神国の本をわするる国民
現在の知識階級悉く神の御国の尊さ知らす
智者学者今更のごとさわぎゐるそのおろかさにあきるるばかり
三千年かたくとぢたるいはやどをひらくべき鍵われもてりけり
科学的知識はあれど生命のまことの知識もたぬ現代
かりごもの乱れたる世の人心正さんとする業のかたきも
内外の国人残らす愛善の道に生かさむ生命の限りは

昭和青年 1930/08 昭和青年会へ

時の駒いななき初めむいざ起たん日は迫りけり言霊神軍
大宇宙吾胎内に動きつつめぐりにめぐる言霊軍
天津金木運用すべき時は来ぬ天地の道曇りに曇りて
外になき是れの尊き神国を乱さんとするフリーメーソン
大虚空充実したる言霊の活動知らぬ明きめくら哉
地の上の凡ての乱れ尽く言霊ならで治むべきやは
時すでに迫りたれども言霊の軍の将のなき世慨てき
唐国の醜の嵐の強けれど立つ荒波を防ぐ言霊
言霊の幸はふ国と言ひ乍ら生言霊の働き知らぬ世
成り鳴りてなりも止まざる天地の生言霊の声を聞かずや
天ヶ下広しと雖も言霊の大活用を知る人ぞなき
言辞学と言霊学とは天地の相違あるなり軽るくな思ひそ
天地に充み足らひたる大父音は神のみ国の珍の言霊


神の国 1926/05 牛頭天王と午頭天王

牛頭天王は素盞嗚命の御事であり、午頭天王はマツソンの事である。牛頭とはソシモリと云ふ事であり、ソシは朝鮮語の牛の事である、モリは頭と云ふ事である。頭はまん丸くもり上がつて居るから、さういふ意味で【もり】と云ふ。牛頭(ソシモリ)これは前云ふ通り素盞嗚の大神様の事であるが、マツソンは大神様の名を僣して、まぎらはしい午頭天王などと云ふたのである。牛と午との違ひである。


神の国 1929/00地租委譲問題

地租委譲問題は地方分権制度でマツソンの仕組である。細民いぢめのやり方であつて、国運はいよいよ危くなるばかりである。貴族院が反対するのも無理はない、第一神様は世界統一を企てて居られる、日本も昔から殆んど統一した事がなく群雄割拠から織田、豊臣、徳川の世を経て、明治大帝に至つて初めて完全に日本統一が出来上つたので、この型を世界にうつすのが本当であるのに、反対に地租委譲なんかをやらうと云ふのは間違つて居る。本当の事を云ふと、全世界も亦一度も統一せられた事がないので、月の国が七千余国であるばかりではなく、世界も七千余国であつて、神様の思召によつてそれがだんだん統一されつつあるので、今は余程統一せられたところである。


神霊界 1919/12/15 随筆


『本年五月十日(大正八年)伊勢御礼参拝の途次、数名の随行員と共に東都に上り、某氏の手より、魔素の陰謀シオンの決議書を手に入れ熟読すれば、故教祖の御手を通じて国祖国常立尊の予告し、警告し玉ひし、外国の悪神の秘密計画書にして、神諭の所謂「外国から廻ってきた筆先」であることを知って非常に驚倒すると共に、注意周到なる大神の天眼通力に感服せざるを得ませんでした。神諭に石屋の陰謀とか、【我が在る】の悪計とか出て在るのは、即ち魔素(マツソン)秘密結社の事を示されたものである。吾人は天下の形勢に鑑み、慎重の態度を採って赤裸々に発表することを見合せて居ったのであるが、時機の切迫と共に東京の「公論」という雑誌に、弥々今回発表されて了ったから、有志の諸君は同誌を一部購入して、明治ニ十五年からの大本の神諭と、対照されたならば、実に大本大神(国祖大神)の数千年間の御苦心と、故教祖の天下無比の神格者で在った事が首肯される事と思ふのであります』
(大正八年十二月九日筆)

神霊界 1920/01/15 随筆

 敦賀駐剳の露国副領事フエロドフ氏はマツソン結社の陰謀を語り、露国の滅亡したのは米国から来た赤三角の業である。日本にも此の倶楽部が国家を呪ふ秘密結社であるとの意味を吐露した。日く「露西亜の大革命を起したるはマツソン秘密結社の所業だ。革命の起るズツト前から其紐育の本部から派遣されて入露したるもの私の計算でもザツト二千名以上である。これ等の連中が過激派騒ぎをこね上げたのだ。何分五千年の歴史を有し、世界の四分の三の富を有して居ると称せられた秘密結社の事であるから、曩には七十万の生霊を仏国の革命の為に捧げ、今は我露国から幾多の血肉を奪ひつゝある、其の徽章は赤の三角の上にコンパスの形を書いたものYMCV即ち基督教青年会の赤三角はこのマツソン徽章より胚胎して居るあの赤三角はリシエフエルを表して居るリシエフエルは悪魔といふ言葉で、リシは火をフエルは造るを意味して居る。真赤な赤三角は火の燃えて居る徽章で精神、心体等を赤三角の一辺にひきつけたのは実に甚だしき附会だ。何ぞ知らん彼等はマツソン結社の別働隊だ。何時も国家の不祥事は彼等の団体から起るのを見てもわかる。日本の官憲では日本に過激思想伝播を警戒して居るが、神戸横浜と斗りで見当が付かぬらしいが、マツソニア・クラブが立派に組織されて居る。
 日本は是までは彼等から全く除外されて居たが、ボツ/\朝鮮等に其黒い手が延びたらしい。警戒しないと大事になる云々」
 フエドロフ氏は日本は是までは彼等の秘密結社から全く除外されて居たと云ふて居るが、それは氏の誤解である。マツソンの最後の目的は矢張日本に在つたのである。只だ時期が到来せなかつたが為に今迄手が延び無かつたのである。併し彼等の自由平等四海同胞等の標語は已に数十年以前から、我国へ大河の溢るゝが如き勢ひで侵入して来て居つて、彼等の目的の大部分は我国に於ても実現して居るのである。世界中を攪乱して遂に各国の主権者の主権を破壊し了り、最後に○○国へ目を付け、最早彼等悪神の経綸は九分九厘まで成就したのである。モウ一厘と云ふ所に成つて居るのである。大本教祖の神諭を始めから心を鎮めて拝読すれば、彼等悪神の陰謀は鏡に懸けて見る如く極めて明白に成つて来るのである。日本人も知らず/\に彼等の悪神の奸計に甘々と乗せられ、九分九厘の身魂がマツソン化して尊厳無比なる我国体の精華を疎んじ、外来の悪思想に心酔して了ふて、此上も無き真理の如うに思つて騒ぎ廻り、ヤレ普通選挙だの、ヤレ労働問題だの、華族廃止問題だの、民本主義だの、自由平等だのと得意に成つて騒ぎ廻つて居るのである。日本国には天地開闢の太初より惟神の大道が開かれて在るのだ。今日までは神界の摂理で和光同塵の神策を採つて来た日本国も弥々天運循環して五六七神政の成就に近づいたのであるから、一日も早く真の日本人に立返り、日本神国臣民の使命を自覚して天地に代る大功を永遠に立てねばならぬのである。


神霊界 1920/01/21 随筆

三種の神器にも相当すべきは右三箇の御詔勅であると拝察し奉る。本年の流行性感冒は余程猛烈を極めて居る。就ては其伝染を防ぐ為にマスクを使用せぬ者は電車に乗る事を禁ずると云ふ府県令が出たり、全国に防疫官が派遣されると日ふ大騒ぎで在るが、マスクの使用も結構かも知れぬが、夫れよりも日本国民は精神をマスクに持ち変ヘてマスクな惟神の大道を歩めば決してそんな猛悪な風邪神に征服される気遣ひは無いのである。マツソンの流感に罹つた連中が敬神尊皇の大義を忘れて了つて、不健実な害国思想に心酔して居ると終には神を軽んじ、大君の大恩を忘れ、悪神に乗ぜられて大切な生命までも抹損せなければ成らぬやうになるので在る。一月十五日の大朝の報ずる処に依ると、大阪中央電信局で日々殺到する沢山の電報の中から京都神戸奈良地方に送信した五千四百通を抜いて其用件の統計を取つて見た所が、驚く可し一割八分は流感で「危篤だ」「死んだ」と云ふ通知、殊に不思議なのは今年は女の感染が多く、右一割八分の大部分は女の危篤や死亡の通知であつたと云ふ。「東海姫氏国、風の神様までが女を慕はつしやると見へる新らしい婦人方に一つ排斥運動でも行つて貰はにや堪らむ」云々と出てあつた。吾人は大本神諭を反覆熟読して倍々神の力依らねば成らぬ事を深く感ぜざるを得ないのである。又た大阪では十五万人の小学生徒が一時に学校を休んで、マスクを面部に当て居る。全然六道の辻をさまよう亡者の精神に成つて悪神を撃退するが目下の最大急務である。又たマスクは国音「魔好く」に通ずるものである。

神霊界 1920/03/11 随筆

東京市内電車従業員の怠業、八幡製鉄所の暴動的再度の罷業、軍隊警官の出動、侠客連の抜刀隊出現、短銃発射、議会解散前后の景況、実に常夜往天の岩戸隠れの実現なり。今回万一議会を解散せざりしならば、弥々日本国体の根本的破壊を速進〔「促進」の意味か〕したるならむも、原敬床次内相の英断に由りて一時の急を免れたり。然れど之は瞬間の小康のみマツソンに使役されつゝある民衆の迷夢は容易に醒むベくもあらず、一層猛威を逞ふして、捲土重来するは明白なる事実なり。大本は此際一日一時も空費せず、天下の志士を説き集め以て神政成就の準備を怠る可らず。
 犠牲的精神の尊ぶべき事は今更呶々を要せざる所である。古くは神素盞嗚尊大国常立尊の大なる犠牲近くは佐倉宗五郎が農民を身を投じて救へる、或は明治維新の志士梅田雲浜が王政復古の大業を達成せむと死を鴻毛のそれよりも軽く死せるは偉大なる犠牲である。尊ぶべき哉その心情と目的の善にして且つ美なる。アゝ大正維新の今日に当りて、一の佐倉宗五郎無き乎。アゝ一の梅田雲浜なき乎。滔々たる天下犠牲の精神を有するを以て時代後れと罵り狂と呼び痴と笑ふに至る、此時に当りて、太古の犠牲者たる大神の御神慮を拝して奮起せし大犠牲的団体は丹波の山奥に出現せり、アゝ去れど世人多くは知らず。
 男子は活動する事が天来の使命である、現在の境遇に不足を言はず、不平を唱へず、満足して惟神の儘に各自その業に励み向上発展の道を開くべきである。附ては今回の東京の普選暴動と八幡の盟休暴動である。
 東京では学生や職工や人夫や車夫迄が一把一束と成つて参政権獲得を叫びつゝ邪道に彷徨し、八幡は或る種の主謀者に誑惑されて職工が暴動し官に捕はる。知らずや、犠牲者が意義なき犠牲となつて妻子は飢に泣き、身は国法の罪人となる吁哀れなるものは、天下の大勢上、悪神の手先に使役されて附和雷同し、終は一身一家を過つに至る。
 アゝ一日も早く大本神諭を彼等の頭腹に充実させ度きもの也。
 鈴木梅四郎なる代偽士帝国議会に於て滔々駄法螺を吹き立て終に至つて「我英国は」と呶鳴り脱線も甚だしと各議員連中に嘲笑さる。併し皇道大本の霊学上の見地よりすれば、彼は決して脱線せしにあらず、本音を吹きたる也。
 彼の肉体は日本人なれども、彼の守護神は遠の昔に英国へ帰化し居るが故に、知らず/\の間に自白せしものなり。大本教祖の御神諭に「外国魂に化り切りた守護神が我と我手に白状致す時節が参るぞよ」と示されて在る神示の実現である。今後も追々と外国魂の守護神が神界の審判に依つて化けの皮を露はさるゝに至る可し。アゝ尊き哉、教祖の神諭。
 普選問題の裏面には最も険悪なる計画の伏在し、国家の制度を根底より破壊すべき恐れある事を看破したる原敬氏以下の現内閣員の処置は、実に神示の上より見るも神慮に叶ひ奉る大手柄である。忌いましい今井嘉幸やどうの河野のヒヨロ中や、外国魂の犬飼の親玉や、尾さき真暗の憂危雄や、鬼竹の奸一などが、マツソン結社の不知/\の先導者と成つて天下の愚民を煽動し、恐れ多くも御膝元で騒ぎ廻り、天下の大政治家を以て自任しつゝある危険人物である、否天地容れざる国賊である。
 野心満々度し難きの厄介物、蛆虫の徒輩である。アゝ彼等の頭上に天譴忽ち降下ある可し。
(「神霊界」大正九年三月十一日号)


神霊界 1920/02/01 随筆

 平田篤胤曾て午頭天王暦神辯を著はして曰く、世に午頭天王と申すのは建速須佐之男命に坐し、暦法家に謂ゆる天道神も須佐之男命、歳徳神は稲田姫命、八将神はこの二神の御子に坐すなど言へども、皆家相方位家の人惑しにして、片腹痛きことなりと謂へるは、最もなる所説と言ふべし。午頭天皇とは言霊学上、午頭天王と成るのである。世俗謬り伝へて、午頭天王を素蓋鳴尊と為すは、大神に対し奉りて、実に不敬の甚だしきものである。古伝に曰く、
 午頭天皇、竜王の娘頗梨采女を妻とし、以て八王子を得たり。其一は総光天王大歳神、二は魔王天王大将軍、三は倶摩羅天王大陰神、四は得達神天王歳刑神、五は良侍天王歳破神、六は侍神相天王歳殺神、七は宅神相天王黄幡神、八は蛇毒気神豹尾神、以上は八将軍。(八尾八頭)也。
 その眷属八万四千六百五十四神あり。午頭天王、后妃及び八王子諸眷属を率ひて、広遠国(日本国)に到り、彼の鬼館に入り、諸の眷属と共に乱入して巨旦を滅ぼすとあるは、大日本国の国祖、艮の大金神を征伐した事の意義である。天地開闢の大初より、八頭八尾と邪鬼と、金毛九尾の悪神が現はれ、天下を魔の世界に為として、天の大神ヘ種々の奏問を成し、終には根の国へ神退ひに退ひ、猶飽き足らずして、艮の鬼門大神の神館に乱入して、巨旦大王(艮金神)の屍を切断し、各々五節に配当し、神事、仏事共に、艮の金神調伏の儀式を行ひ、広遠国をソミコンに預けておいて、誓つて日ふ、我末代に疫病を流行する神と成らむ。併しソミコン(抹損の眷属)の子孫と日はば、妨碍すべからずと、「がが在る」の味方のみを助け、他の種族は之を疫病にて滅ぼすと云ふ、虫の良い誓言である。又た彼は末代の衆生が寒熱の二病を受くるは、則ち午頭天王の眷属の行為であるから、若し此の病を退けむと欲せば、則ち外に五節の祭礼を違へず、内に二六の秘文を収めて、須らく敬信せよと言つて、天下の衆生を、一々「我が在る」の好策に曳き入れ来たつたのである。「二六の秘文とは、ソミコン子孫と唱へることである」
 今日までに、神事、仏事に五節の祭礼を執行して居たのは、甘々午頭天王の悪神に誑惑されて居つて、気が附かなかつたのである。五節の祭礼の一なる正月元旦の赤白の鏡餅は、巨旦(艮金神)が骨肉也。三月三日の蓬來の草餅は、巨旦が皮膚也。五月五日の菖蒲の結粽は、巨旦が髪髪也。七月七日の小麦の索麺は、巨旦が継也、九月九日の黄菊の酒水は巨旦が血脈なり。又た鞠は巨旦の頭なり。弓の的は巨旦の眼なり。門松は巨旦の墓験なりと唱へしめ、威是れ艮の金神調伏の儀式として、今日まで神仏の儀式に用ゐて来たので在るから、天下に真の神の守護が絶無となり、悪魔の横行濶歩したのも無理はないので在る。然るに有難き事には天運こゝに循り来つて、艮の金神大国常立尊が、地の高天原に、変性男子の身魂に依りて顕現せられ、天下の悪鬼邪神を言向和し玉ふ神代が到来したので在るから、今迄の五節の祭礼も、自然に改め無ければ成らぬ事に成て来たのであります。
 附言午頭天王を素蓋鳴尊なりと唱へ出したのは、吉備公が唐より帰朝の際従ひ来りし、金毛九尾、白面の悪狐に何時の間にか我精霊を魅せられて、途方も無き説を暦法に加ヘられたのが、日本人のマツソンの霊魂に誑惑された初めである。
 午頭天王邪鬼神の奸計甘々と成功し、弥々節分の夜を期して、巨且大王、即ち艮の金神大国常立尊は隠身となり玉ふさへ、気の毒に堪へざる次第なるに、午頭天王の暴悪無道なる巨旦の霊魂を、根本的に滅亡せしめむとし、節分の儀式にも又調伏の行事を敢てせり。乃ち巨旦大王の眼を潰さむが為に、鬼の眼突きと称して、柊の針の鋭きを、戸壁に刺しかざさしめ、巨旦の頭を梟すベく、鰯の頭を串刺と為して門戸に挿し、加之煎豆を人家の内外に撒きて、鬼の眼潰しと称し、鬼は外福は内へと、年男に謳はせ、煎豆に花が咲く迄は、日本の国には入る可らずと言ふて、日本の人民が知らず知らずに、地の先祖の大神を、悪魔邪神呼ばゝりをして来たのである。思ヘば思ヘば実に勿体なき次第であつた。然し知ぬ神に崇り無し、大神の広き厚き大御心にて、今日までは見直し聞き直し詔り直して赦して下さつたのであれども、最早時節到来して、艮の大金神の御教示を聞かして頂いた以上は、今迄の不調法を全部御詫して、一切万事を五六七の神政の行り方に改復せなければ成らぬのである。それで皇道大本の節分祭は、国祖大神御大難の記念日を追懐して、従来の知ずくの御無礼と、御気障りの御詫を申上ると同時に、過去一年間の御礼と、来る一年間の神様の御守護を願ひ、天津罪、国津罪、許々多久の罪穢を速川の瀬に流し捨つる大神業である。又た第一に君が代の栄えを祈り、国土を清め奉る大神事であります。
 就ては天下一般に施行する節分祭礼の儀式なり、沿革なり、節分祭に対する社会一般の態度を、世人の参考の為に、左に記述する事としました。是を見ても、如何に艮の金神様に対して誤解しつゝ在つた事が、窺知されるであらうと思います。

神霊界 1919/08/15 随筆

今の日本の上に立ちて働く守護神に、神国に生れて神国の政治を致し乍ら、神国の精神を忘れて、外国の石屋の計略に陥り、薩張り四ツ足に成り切りて了ふて居るから、幾度守護神を立替て見ても、牛を馬に入れ替るだけの事で、矢張り何所までも四ツ足の守護神であるから、一日先の事も見えず、其の日暮の政治の行り方斗り、何もかも一切万事が行詰り、世界中食物が不足致して居るのに、未だ気が付かず、気楽な事を申して居る守護神が上に立て、苦労や難儀をチツトも弁知ヘぬから、下の人民の今の困難、何時神諭の通り、何所から何事が破裂するやら、判らんやうに成つて来たのである。伸張すべき国威は日に月に失墜し、国民の生活は日増に困難に陥る斗りであるが、モウ此の行先きは、二進も三進も行けぬ様に成るのは、火を見るよりも明らかな事実である。神国天賦の天職を、上の守護神が無視して了ふて、薩張り石屋に知らず/\に抱き込まれ、抱落しに懸られて、外国に対しては神国の威勢を惰し、多数の人民に対しては深き恨を買い乍ら、利己主義の精神を立貫かうと致して、臭い物に蓋をする如うな、頭を隠して尻をかくさぬ、向ふ見ずの世の持ち方、是では国が潰れるより仕方が無いではないか。吾々は二十余年来所在艱苦に堪えつゝ社会から狂人扱ひにされつゝ、至誠至忠、素志を飽く迄も貫徹し、現代の窮状を救はむ為めに、一切の体慾にはなれて、以て斯道を天下に拡充しつゝあるのであるが、今日は上の守護神の力では、到底これを修斎して、神国の天賦的国体の活用を全うする事は出来ぬ。此上は神明の加護と、皇上の御稜威と、下国民の忠良なる至誠に依るより、外に道はないのである。

 東京の活版職工同盟罷業の為、数日間帝都をして精神的暗黒界と化せしめた事実は、果て何を語る者で有うか。上下に押並べて邪神の感化を不知案内の間に受けて居るのである。悪神に使はれて暴動せる、石屋の手先に使はれて居るのであるが、未だ/\これから石屋の活動、邪神の暴動は、激烈になるから、日本国民は皇道を遵奉し、神と君と国との為に、至誠神通的の大活動を忘れてはならぬのである。

神霊界 1919/11/01 随筆

デモクラシイは現今の一大流行物と成て居る。学者は一も二も無く之を謳歌し、次に宗教家までが驥尾に附随して得意がつて居るとは、実に神国の国体上から見て怪しからぬ次第である。九分九厘と一厘と云ふ神諭が出てあるが実に外国の思想及び行動は、日本人を駆つて、九分九厘まで此主義に心酔せしめて了うた。我々は飽く迄、天祖の神勅を遵奉し、且つ実行して、祖先の遺風を顕彰すべき天賦の職責ある事を、片時も忘れては成りませぬ。上下混乱の極に達せる現代を救ふは、神の御子と生れ出たる日本人の天職であるから、将来に於て如何なる思想が蔓延して来ても、亦た如何なる不祥事が頻出しても、皇祖の神の神勅と、一天万乗の大君様の御事は、造次にも顛沛にも忘却する事は出来ぬのであります。
 万々一にも此の事を忘れて、外来の思想に迷つたならば、最早や日本神国の人民とは申されませぬ。神界に対し奉り、天地容れざる逆臣逆賊であります。其故に艮の金神、大国常立尊は、世界の中心地の高天原なる下ツ岩根の竜宮館に出現遊ばして、変性男子の身魂を機関として、石屋の世界を攪乱しつつある悪の陰謀を、日本の人民に警告されたので在ります。悪神の計略に甘々と乗せられ切つて居る。国民は盲目や聾と同じく、誰一人として真実に耳を藉すものも無く、眼を開くものも無かつたので在りますが、今や神諭の実現は時々刻々に顕著に成つて来ましたから、一日も早く覚醒して頂き度いものです。
 世界二十億の生民の身魂を清めて、天神地祗の教に従はしむる、大本の教を難じて、何程大本教か天下の修斎を叫んでも、又た何程神徳が強くても、到底言ふべくして行ふ可らざる妄語であると、得意に成つて反対する人が十中の八九迄あるやうだ。成程一応聞けば無理のない、御尤至極の御考である。併し何事も時と処と位置と云ふ事を考へぬ人の説である。例へば百石の汚濁水の中へ一片の明礬を投入して見よ、百石の汚水は忽ち清水に成つて了ふで無いか。マツチ一本摺出ても、世界中を焼き尽す事が出来るでは無いか。微弱なりとは云へ、天地神明の神慮を奉て、至誠通神の活動を続つゝある大本の明礬で、世界を清むるに何の造作があらう。我々は大本大神の御経綸を確信する以上は、天下に不能事や困難事は無きものと、固く固く信頼し、永に胸中神国を既に已に建設して居るので在ります。
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 源九郎義経を助けて置いた石屋の弥陀六爺さん驚いて日く、彼の時に助けおかねば今に源氏は栄えぬものをと、智略縦横の石屋の悪神も、艮の金神、坤の金神を知らざりし為に、何程「我が在る」(Web管理者注 ガガール)大将でも、初陣に損害を受け、末尾に大損昔からの大計謀を、一朝にして破壊さるゝ運命に立到るは、大本神諭より観察して瞭かな次第で在る。併し燈火の滅せんとするや、其光り殊に強し。今一時は旭日登天の勢を以て、著々目的を遂行するなれど、一厘の艮めと成つた時に、神国の経綸の奥の手を出して、手の掌を覆へして、天下泰平に世を治めて、天地の神へ御目に掛け、万人を平安無事に救ひ助くる中心点は、有難き事には、日本国に唯一ケ所ある事を衷心より感謝する次第であります。而て其中心地点は、読者の頴敏なる御判断に一任するより仕方は無いので在ります。

神霊界 1919/11/01 神諭

艮の金神大国常立尊が明治二十五年から、変性男子の御魂の宿りて居る、出口直の手と口とで、永らく知らした事の実地が現はれて来たぞよ。今に成りてからは、何程日本の守護神が焦慮りたとて、最ふ上げも下ろしも成らん所まで世が迫りて来たから、何程守護神人民が地団駄踏みたとて、到底人民の力ではニジリとも出来ぬから、此上は神力に頼よるより外に道はないから、世に出て居れる方の日本の守護神は、早く身魂を研ひて、この結構な先祖から続いた国を守護いたさぬと、今度行り損なうたら、万劫末代取返しの成らん事になりて、世界は石屋の自由自在にして仕舞はれるぞよ。

物語08-6-41 1922/02 霊主体従未 言霊解(三)

次に『御胸には火雷居り』といふことは、今日学者階級とか、知識階級とか、大宗教家とかいふところの偽聖者が、こぞつて大本の出現を忌み嫌ひ、百方火のごとき激烈なる反対演説や、反対論を新聞や雑誌書籍等に掲載し、以て天下の思想界を攪乱せむとする石屋の手先が、口の続くかぎり筆の続くきはみ、大々的妨害しつつあるは、即ち胸に居る火雷であります。大本の機関新聞、雑誌を教育家は読むなとか、軍隊内には入れてはならぬとか、吾人の正義公道の宣布を遮断せむとするは、いはゆる火雷居りといふことであります。