デーヴィッド・アイクとコーカサス


1.デーヴィッド・アイク紹介

デーヴィッド・アイク自身については別の場所で述べたいと思いますが、私が興味を持ったのは、「人間には肉体と霊魂がある。霊魂は、宇宙のONE-GOD、と繋がっている」と言っているような部分があり王仁三郎との共通点を感じたことです。

私の読んだ2冊の本を紹介しておきます。

『超陰謀 粉砕篇―テロ・戦争・世界の警察・金融支配』

この本は題名は陰謀観そのままですが、内容には陰謀観とともに霊と人間の関係が書かれています。

内容(「MARC」データベースより) 霊的魅力を放射する思想家があらわした、ロボット人間が霊性に目覚めて自由を回復するための案内書。惑星最大の刑務所「グローバリズム」からの脱出法とは?

目次

第1章 うろたえた家畜の群れ
第2章 ドグマの防衛
第3章 グローバルな独裁主義
第4章 邪悪さの極み
第5章 自分を見つめよう、お坊ちゃま
第6章 精霊を自由にしてあげよう
第7章 これは糞だ、立ち去ろう
第8章 わたしはわたしを愛している
第9章 「罪」を負い、月(星)に吠える
第10章 過去は終わった、さようなら


『大いなる秘密「爬虫類人」(レプティリアン)〈上〉』

爬虫類人という題名が胡散臭そう。しかし、この本に書かれている歴史は、霊界物語を読み解くときにも参考になると信じます。私は、セガリヤ・シッチンを読んだ時よりずっと引かれました。

アイクの思想は、下巻に書かれているはずですが、まだ全部は読んでいません。

内容(「BOOK」データベースより) ついに、人類を陰で操作する超巨悪の正体を掴まえた!!超長期的人類完全支配計画アジェンダ全暴露!!イルミナティ世界権力の本拠地、英米のド真ん中に出現した超々ラディカルな大著。驚嘆・感嘆・興奮させる掛け値なし血わき肉躍る「世界を変えてしまう著作」。

内容(「MARC」データベースより) 地球原人を操作して家畜人化した「爬虫類人」とは? そして彼らの代理人として人類支配を行う秘密結社の正体とは? 超長期的人類支配計画アジェンダの全貌を明らかにする。

章 決断すべき黎明の秋―霊的に覚醒し、「家畜人」「奴隷人間」からの脱却を!
第1章 やって来た火星人―異星人の遺伝子操作で人類は創造されたのか!?
第2章 驚愕の目撃例―「その爬虫類人のことを口にするな!」
第3章 地球を蹂躪する異星人―バビロニアン・ブラザーフッドは歴史にどんな罠を仕掛けたのか?
第4章 神の子なる悪の太陽神たち―秘教の象徴体系を狡猾に操作、人類を精神地獄に
第5章 血の十字架を掲げた征服―「善男善女」の多次元宇宙意識への秘儀参入は断じて許さない!
第6章 浸潤する「黒い貴族」―フェニキア、ヴェネチアそして「英国を完全に支配せよ!」
第7章 跳梁席巻する太陽の騎士団―象徴、儀式、エナジー・グリッド、黒魔術で眩惑する
第8章 一つの顔、さまざまな魔の仮面―宗教と科学を韜晦、「レプティリアン・アジェンダ」は必ず実現させる!
第9章 呪われた自由の大地―コロンブス以前から、ブラザーフッドはアメリカを凌辱してきた
第10章 無から捏造した金―「慈悲深き聖都の騎士団」末裔(ロスチャイルドら)の無慈悲な錬金妖術を剔抉(てっけつ)する
第11章 眩しのグローバル・バビロン―英米ブラザーフッド・エリートは両大戦で世界全支配を完遂へ!
第12章 逆光するブラック・サン―鉤十字の世界支配計画は、今やグローバルに堂々遂行されている!


アイクの思想を紹介できるとよいのですが、著作権の問題があり、論考では今後少しずつ、紹介したいと思います。
なお、狭依彦のデーヴィッド・アイクの情報サイトに沢山情報があります。

アイクの思想の概略は、関連論考にあります。

この論考では、主に、大いなる秘密「爬虫類人」に出てくる、コーカサスの部分を紹介します。


2.ハムの子孫(人種論)

この後の引用はすべて、『大いなる秘密「爬虫類人」』(三交社 2000年8月)からです。

 金星によってもたらされた大洪水の水はしだいに引いていった。やがて高山地帯へと逃れていた生存者は山を下り、また地中へと避難していた者たちは地表へとその姿を現わし始めた。平原地帯に落ち着いた彼らは、さっそく復興作業にとりかかったのだった。シュメール、エジプト、インダスといった高度文明が突然に出現したのは、このような理由があってのことなのだ。それらの文明は新しく生まれたのではない。大洪水以前にもそれらは存在していた。つまり突如として出現したかにみえるそれらの文明は、大洪水のあとに復興されたものだったのだ。


霊界物語では、大洪水では、何も滅んでいません。
とういうことは、大洪水前と大洪水後の文明は同質のものである可能性があります。

なお、上の文章での高山地帯とはコーカサス山脈を指しています。
アイクは「コーカサス山脈は大洪水期間中は安全が確保された」と言っています。

 シュメールの社会は、山岳地帯から下りて来た者たちがもたらした進んだ知識の流入によって、その発展段階の頂点へと達した。火星由来のアーリア白人種たちは、コーカサス山地を起点に、近東、シュメール、エジプト、インダスへと広がっていった。いわゆる公認の歴史では、シュメールやエジプトやインダスの文明は、それぞれ独自に自然発生したとされている。しかしこれらの文明は、コーカサス山地から下りて来たアーリア白人種によってもたらされたものなのだ。このアーリア白人種のなかには、私がレプタイル・アーリアン(爬虫類人の遺伝子を受け継ぐアーリア人)と呼ぶ遺伝子系統の者たちが含まれていた。
 
確認しておきたい。私がアーリア人という言葉を使うとき、それは白人種のことを指している。そして彼ら白人種は、アヌンナキ(爬虫類型異星人)の遺伝子操作によって生み出された混血種だったのである。


このレプタイル・アーリアンが世界を支配する陰謀の中心にいることになっています。
レプタイル・アーリアンは、人間に変身してもぐりこんでいるといいます。
アヌンナキと火星人の白人は違うものです。お互いに争っていたといいます。

 彼らレプタイル・アーリアンの大洪水後の中心地は、シュメール地方(ユーフラテス川流域)南部のバビロンであった。歴史的・考古学的証拠を詳細に検証してみると、バビロンは、今まで言われていたよりもずっと古い時代から存在していたようだ。つまり、このバビロンは、大洪水直後に建設された最古の都市の一つだったのだ。以後何千年ものあいだに世界中に広がった神秘主義的秘密結社が誕生したのは、このバビロンの地においてであった。大洪水直後バビロンの地に集結したレプタイル・アーリアンの王族や司祭階級によって生み出された超秘密結社こそ「バビロニアン・ブラザーフッド」である。現在の世界を支配している秘密結社は、その現代的表現にすぎない。人々の精神を支配するための宗教教義、その原型が作り出されたのも、約六千年前、大洪水直後に建設されたバビロンにおいてのことだった。


これは、大洪水後にすぐにバビロンに集まったということを外せば、霊界物語のストーリーと一致しないでしょうか。

霊界物語では、大洪水後、常世彦、常世姫はコーカス山に拠点を築こうとしますが、三五教に追われて、アーメニヤに退却。その後、常世彦、常世姫は常世国に退去。自在天大国彦の末裔大国別、醜国姫の夫婦を、埃及のイホの都に派遣して、第二のウラル教である婆羅門教を開設し、大国別を大自在天と奉称した。これが、エジプトから進んでメソポタミヤの来て、エデンの園及び顕恩郷を根拠としたことになっています。

顕恩郷はバビロンでしょう。
そして、「ハム族の樹立せる婆羅門教」、「ノアの子孫のハム族」と言っています。


人種論
でも見たように、王仁三郎はハムの一族は白人(アーリア人)と言っているようです。これは偶然でしょうか。

 古代文書や伝説によると、バビロンの創始者はニムロデであり、彼は妻のセミラミスとともにバビロンを統治したとされている。ニムロデは、「巨人族」の男で、「強大な暴君」だったとも伝わる。また、アラブ人たちのあいだでは、レバノンのバールべク神殿を建設したのはニムロデだったと信じられている。たしかに大洪水後に建設(再建)されたバールベク神殿は、8000トン以上もの重量を持つ巨石が三つも使われているというとんでもない代物だ。そのためかレバノンは、ニムロデによって統治されていたともいう。「創世記」によると、ニムロデの王国は当初、バビロンやアッカドを中心とするシナール(シュメール)の地をその支配地域としていた。その後アッシリア地方へと勢力を拡大し、ニネヴェをはじめとする諸都市を建設した。ニネヴェ跡からは、多数の粘土板(シュメール文書)が発見されている。

 つまり、ニムロデを頭とするシュメール人たちは、のちにティーターン族(タイタン族=巨人族)として知られるようになった爬虫類人の血流であった。すなわち彼らは、レプティリアン(爬虫類型異星人)の純血種や、レプティリアンの遺伝子を受け継ぐがゆえに彼らに取り憑かれた人間たち(レプティリアンとの混血種)であった。このティーターン族は、ノアの子孫だと言われている。ノアは、「エノク書」(その原型は「ノア書」だ)のなかで、監視者と人間のあいだに生まれた、極端に白い肌をした赤ん坊として描かれている。

 ところで「創世記」によると、ニムロデの父はクシュである。べルやべルスとしても知られているクシュは、ハムの息子でノアの孫である。クシュは、へルメスと同じ神格である。いみじくもヘルメスとは、「ハムの息子」という意味の名である。ハム(ケーム)とは「燃えたもの」という意味であり、この名は太陽崇拝と関係している。以上のように、バビロンからは、巨大な神格体系ネットワークが生まれている。この巨大な神格体系ネットワークは、エジプトとも深いつながりがある。


バビロニアン・ブラザーフッド

*スカンディナヴィア人もフェニキア人などアーリア純血種の末裔
 中近東コーカサス山地に発祥したアーリア人は、それぞれさまざまな名で呼ばれる同一の宗教およびその宗教的ヒーローの物語とともに、自らもそれぞれ違った名称で呼ばれながら、ヨーロッパ、インド、さらには中国へと、各方面へ拡大していった。彼らのなかに潜んでいたレプティリアン混血種の血流は、支配権を狙って暗闘し、最終的には王族や司祭階級や軍事的指導者としてその目的を達成し、すべてのできごとをコントロールできるようになった。私は、彼らを一括りにバビロニアン・ブラザーフッドと呼んでいる。


3.コーカサス

コーカサス山についてみてみましょう。

私の考えでは、王仁三郎の場合はアーメニヤもしくはウラル山がコーカサス山に当たるようですが、どうでしょうか。

なお、セガリヤ・シッチンは大洪水は1万2000年前と言っています。

 金星の大接近によってもたらされた紀元前4800年頃の大洪水の直後、アヌンナキや火星系アーリア人、および彼らと人間との混血種が再出現したのは、トルコやイランやクルディスタンの山地であった。シュメール、バビロン、エジプトの平野に、そしてインダス川流域に、一瞬にして進んだ文明を出現させたのは彼らであった。アヌンナキ・レプティリアンの中心地は、コーカサス山地であった。このコーカサス山地は、本書の話のなかにいくたびとなく登場してくる。この地域の地下で巨大な交配プログラムが実行され、レプティリアンと人間との混血種が多数生み出されたものと思われる。
 この地域は、Rhマイナスの血液型を持つ人の割合が非常に高いことが、調査によってわかっている。Rhマイナス型の赤ん坊は、出産直後、真っ青になることがある。王家の血筋を意味する「青い血」という言葉は、これに由来するものである。この「青い血」は、火星白人種の遺伝子によるものだと考えられる。事実、黒人やアジア人よりも、白人のほうがはるかにRhマイナス型の割合が高い。


蛇、竜、大蛇。霊界物語ではおなじみですね。

 古代文献を調べればわかってくることだが、アヌンナキと人間との混血種の大部分は金髪碧眼である。金星によってもたらされた大変動の直後、「神々」の姿が大きく変わっている。紀元前6000~前4000年、現在イラクとなっている地域に存在したウバイド文化では、人々の崇拝した神々はトカゲ人間の姿に描かれている。ところが、紀元前4000年~前2000年、同じ地域に存在したシュメール文明では、神々は人間の姿に描かれている。この変化は、コーカサス地方で実行された交配プログラムの結果によるものなのだ。
 「蛇王」の血流がイランに発祥したというのは、実に注目すべきことである。というのも、世界征服を目指すレプティリアン混血種が出現したのは、イラン、クルディスタン、アルメニア、トルコ、コーカサス山地といった地域からだったからだ。ブラザーフッド・インサイダーのあるロシア人は、「コーカサス山地には、異次元爬虫類人がわれわれの次元に入って来るための巨大な亜空間ゲートがあった」と言っている。


エデンの園も霊界物語の場所とかなり近い場所ですね。

 これは充分納得できる。「イラン」という名は「エアリ・アナ」から来ており、「アーリア人の地」というのがその原義である。現在でも、クルディスタンに住む人々は、はっきりと二つの人種に分かれている。一方はオリーブ色の肌、中ぐらいの背丈、黒や茶色の瞳をしており、もう一方はずっと長身で、白い肌に青い目をしている。後者の身体的特徴は、ナチスの提唱した「支配種」のそれと完全に一致している。ナチスの中枢部は、レプティリアンの関与する真の歴史を知っていたのだ。
 研究者アンドリュー・コリンズは、その著書『天使たちの灰の中から』で、「聖書に描かれたエデンの園は、イランークルディスタン国境の山岳地帯にあった。そしてエデンの園のテーマの核心は、例の蛇にある」と力強く論証している。その地域に隣接していた古代メディア帝国(イラン)では、王は「マー」(ペルシア語で蛇という意味)と呼ばれていた。「マース(火星)=蛇」ということだろうか?古代メディアの王族は、「竜の子孫たち」「メディアの竜王家」などと呼ばれていた。以上からもわかるように、ドラコ・レプティリアンが白人種と交配して混血種を生み出したことは確実である。


グルジェフ。神秘主義者で有名な人です。

 作家J・G・ベネットは、その著書『マスター・オブ・ザ・ウィズダム』のなかで、「ロシアの神秘家グレゴーリ・グルジェフは、神秘主義結社の歴史は少なくとも三万~四万年前にさかのぼると語った」と述べている。グルジェフは、それらの知識をコーカサス山地やトルコに散在する洞窟の壁画から学んだという。


エノク書」というのも、超古代史愛好者の間では有名です。
下の文章は、ノアがコーカサス山脈にいたということになります。

 カッシェル(アイルランド南部の町)の大司教リチャード・ローレンスは、「エノク書」を、エチオピア語から英語へと翻訳した。彼は「エノク書」のなかに出てくる一年のうちで最も長い日についての記述から推論して、その原著者が住んでいたのは、一般に言われてきたパレスティナとは違って、コーカサス地方であったという結論を割り出した。コーカサス地方といえば、レプティリアンの血流の発祥地である。そして、「エノク書」の原型となったのは、「エノク書」よりもさらに古い「ノア書」であるが、この書の主人公たるノアは、レプティリアンと人間の「合いの子」であった。


4.物語のバラモン教との関連

デーヴィッド・アイクのアーリア人の移動説は15巻1章とあやしく重なります。

15巻第1章

(区切り狭依彦)

千早振る遠き神代の物語   常夜の闇を晴らさむと
ノアの子孫のハム族が    中にも強き婆羅門の
神の御言は常世国      大国彦の末の御子
大国別を神の王と      迎へまつりて挨及の
イホの都に宮柱       太しく建てて宣り伝ふ
その言霊はかすかにも    この世の瀬戸の海越えて
希臘 伊太利 仏蘭西や   つひに進みて小亜細亜
メソポタミヤの顕恩郷    ここに根拠を築き固め
次第しだいに道を布き    更に波斯を横断りて
印度を指して進み来る    エデンの河を打ち渡り
ハムの一族ことごとく    顕恩郷を中心に
婆羅門教を開きける     

              セムの流裔(ながれ)と聞こえたる
コーカス山の神人は     婆羅門教を言向けて
誠の道を開かむと      広道別の宣伝使
太玉の命を遣はして     顕恩郷に攻めて行く
奇しき神代の物語      十五の巻の入口に
述べ始むるぞ面白き。


(一部略)

八頭八尾の大蛇、悪狐の邪霊は、コーカス山の都を奪はれ、したがつてウラル山、アーメニヤ危険に瀕したれば、ウラル彦、ウラル姫は、遠く常世国に逃れ、ここに大自在天大国彦の末裔大国別、醜国姫の夫婦をして、埃及のイホの都に現はれ、第二のウラル教たる婆羅門教を開設し、大国別を大自在天と奉称し、ここに極端なる難行苦行をもつて、神の御心に叶うとなせる教理を樹立し、進んでメソポタミヤの秀妻の国に来たり、エデンの園および顕恩郷(めぐみのさと)を根拠としたりける。それが為に聖地エルサレムの旧都に於ける黄金山の三五教は忽ち蚕食せられ、埴安彦、埴安姫の教理は殆ど破壊さるる悲境に陥りたるなり。


次の文章は、顕恩郷からインドに勢力を伸ばしたバラモン教と重なります。アイクの本の記述通りに引用していますが、順番を変えると15巻の歌に重なります。

 コーカサス地方より発して、のちに各地へと広がったアーリア人種は、さまざまな名で呼ばれるようになった。なかでも有名なのが、ヒッタイトやフェニキアといった名称だ。彼らは、ヒッタイトやフェニキアといった地域のずっと外側へも入植を行なっていた。たとえばブリテン島がそうだ。また、レプティリアンは、世界の他の地域(たとえばアメリカ大陸)でも超長期的作戦行動を行なっていた。しかし、過去七千年間の人類史の鍵となったのは、やはりコーカサス山地からシュメールやエジプトの平原へと至る一帯であった。
 研究を続けるなか、このコーカサス山地の名は、いくたびとなく私の目の前に現われた。現在北米に居住している白人が「コーケイジアン(コーカサス人種)」と呼ばれているのも、私にはしごく納得のいく話だ。そして公認の歴史においてさえ、西暦紀元前一五五○年にインダス川流域へと入り、現在ヒンドゥー地方と呼ばれている地域を切り開いたのは、コーカサス山地に発祥した「アーリア白人種」であったとされている。インドに古代サンスクリット語や、ヒンドゥーの聖書『ヴェーダ』のなかにみられる神話や物語をもたらしたのも、やはりアーリア人(彼らは自らを「アーリア」と呼んでいた)であった。アーリア研究家として有名なL・A・ワッデルは、インドの古代叙事詩『マハー.バーラタ』や初期仏典のなかに語られているインド・アーリアの最初の王の父は、小アジア・ヒッタイトの最後の王であったと述べている。
 インド・アーリア人は、太陽を父なる神インドラとして崇拝していたが、一方ヒッタイト-フェニキア人たちは、彼らの崇拝する父なる神ベルを、インドラとも呼んでいた。彼ら同一のアーリア人種は、現在トルコやその他近東諸国として知られ、小アジアや、シュメール、バビロン、エジプトへと、人植した。さまざまな名で呼ばれていた彼らは、行く先々に同一の神話、同一の宗教をもたらした。
 すべての大宗教が、それぞれ違った名前を用いつつも、基本的に同じ物語を持っているのは、まさにこのような理由によるものなのだ。それらはすべて、同一のアーリア人種によってもたらされたものである。
 このアーリア人種は、火星にその起源を持っている。そして、レプティリアンの血流は、このアーリア白人種のなかに潜んで活動しているのだ。われわれがユダヤ人と呼んでいる人々の大部分は、イスラエルの地にではなく、コーカサス山地にその起源を持っている。
 歴史学や人類学の研究によって、ユダヤ人と呼ばれている人々のなかで古代イスラエルとなんらかの遺伝的つながりを持っていると考えられる人は、ほんのわずかにすぎないということがわかっている。その理由を説明しておこう。
 八世紀、コーカサス山地および南ロシアに居住していたカザール帝国の人々は、ユダヤ教へと集団改宗を行なった。帝国が崩壊したあと、これらカザールの人々は、長い時をかけて、ロシアの他の地域や、リトアニアやエストニアヘと移民・入植していった。そこから彼らは西ヨーロッパヘと入り、さらにはアメリカ合衆国へと拡大していった。かの有名なロスチャイルド家は、このようなカザールの血流の一つである。第二次世界大戦後、「このイスラエルの地は、God(唯一神)が遠い昔、われら選ばれた民にお与えになったものである」という理屈でアラブの土地パレスティナを占領したのも、これらカザールの末裔たちであった。しかし、彼らの真の故郷はイスラエルではなく、コーカサス地方および南ロシアであった。そのへんの詳細については、『……そして真理があなたを自由にする』を読んでいただきたい。そうすれば、イスラエル国家建設の裏には、秘密結社による操作(マニピュレーション)があったことがはっきりと理解できるだろう。すべてはロスチャイルドの計画どおりに進んでいた。イスラエルの正体は、ロスチャイルド・ランドなのだ。

「希臘 伊太利 仏蘭西や つひに進みて小亜細亜」と重なる部分。

 

コーカサス地方から、北方ヨーロッパへ移動

 アーリア白人種は、北方のヨーロッパヘと拡大していった。なかでも最初の者たちは、海路によって各地へと拡大した。彼らはフェニキア人と呼ばれていた。その後何世紀にもわたって、それに続く者たちが、陸路を伝ってヨーロッパやその他の地域へと広がっていった。後者のグループに属するキムメリオス人やスキタイ人の血流は、次々と名前を変えながらヨーロッパヘと浸透し、すでに海路によってブリテン島や北ヨーロッパヘと入植していたアーリア白人種(フェニキア人)との合流を果たした。


ヨーロッパの3部族と、中欧(フランスも含む)、イタリア占領、小アジアの再占領

 (ヨーロッパへ侵入した)彼らは三つの部族に分かれていた。東北フランスのベルグ族、中央フランスのゴール族、南フランスからピレネー山脈にかけて居住していたアキテーヌ族である。紀元前二世紀頃までにこのゴール/ケルト人(コーカサス山地からやって来たキムメリオス白人種)は、中欧および北イタリアを占領し、イタリア全土をも征服しようという動きに入っていた。
 紀元前二八O年頃、彼らは小アジアへと侵入し、自らの祖先の地を再占領したのだった。歴史学教授ヘンリー・ローリンソンは言う。「これら二回の小アジアヘの大侵入は、同じ種族によって行なわれたものである。最初の者たちはキムメリオス人と呼ばれ、次の者たちはゴール人と呼ばれていた」

スキタイ人はアーリア系で、サカ族はその一派。

ということは、仏教もアーリア系から出たことになります。
アイクは別のところで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教もすべて、バビロニアン・ブラザーフッドから生れたと言っています。

 コーカサス地方から東方へと移動し、紀元前一七五年に中国国境へと到達したスキタイ人(アーリア人)の一派は、サカ族として知られるようになった。この頃の中国の記録には、インドヘの避難を余儀なくされたソク-ワン族のことが述べられている。ソク-ワンとは「サカ族の王侯たち」という意味である。記録によれば、サカ族は、険しい山道を抜けて、アフガニスタンからインドへと避難したという。紀元前一○○年頃に発行されたコインから判断するに、サカ王国は、インダス川上流、カシミールとアフガニスタンのあいだにあったと考えられる。また、世界宗教たる仏教が生まれたのも、サカ族(アーリア-スキタイ人)の支配地域からであった。紀元前四六三年にブッダが生まれたとされる地域は、紀元前五○○年頃までにはシャカ族(サカ族)の支配地となっていた。ゴータマ(ブッダ)は、シャカムニ、すなわち「シャカ族の教師/獅子」と呼ばれていた。

王仁三郎も、全然別の観点からですが、結論は同じです。


5.まとめ

デーヴィッド・アイクの説の一部を紹介しましたが、簡単には受け入れらないとは思います。また、アイクはいわゆる「陰謀論」に立っていますから、相手にするのも嫌な人もあると思います。
しかし、霊界物語を読み込んでいる人にこそ、一度アイクの著作(特に1に上げた2冊)を読んで検討していただきたいのです。ここにあげた以外にも王仁三郎とアイクの似ているところはあります。
1990年代のアイクが、日本の王仁三郎の著作を読んでいるとは考えられないでしょう。偶然の一致か、もしくは何かを示している。
私も、これから、ゆっくり-と言っても王仁三郎が分っていないので、まず王仁三郎-次にアイクとやるので、なかなか関連を実証できないかも知れませんが、取り組んでいきたいと思います。



第1.1版(一部修正)2015/01/02

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