■差別 (名)スル
(1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。
「いづれを択ぶとも、さしたる―なし/十和田湖(桂月)」
(2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。
「人種―」「―待遇」
(3)〔仏〕「しゃべつ(差別)」に同じ。
王仁三郎は差別の語をほとんど(1)の意味で使用しています。
■平等 (名・形動)[文]ナリ(1)平等=わけへだてないという文脈で使いわれています。
王仁三郎の文章では、平等と差別が組み合わせて使われている場合が多く見受けられます。
この文脈で差別と平等が使われる場合は、悪平等という意味で使われます。悪平等は当然、マイナスの意味を持っています。
神霊界 1920/02/01 随筆 体主霊従の無平等主義が、忌々しくも発展して、猫も杓子も、普通選挙とやらの叫び声は、小田の蛙の鳴く音よりも熾烈を極て来た。 今度の大阪に於る労働団体の、大々的示威運動に対して、尾崎氏、今井博士等は実に素晴らしい勢であつた。右両氏等の指導は、真に苦境にあると称する労働階級を、幸福なる生活に導かむとする、良心とやらの閃か。それ共、資本家特権階級を叩き潰して、彼等の横暴とかを匡正するのが目的か。何にしても、上下通じて好調に進ませて貰いたいもので在るが、稍ともすれば、利己主義、四ツ足主義を発揮して、他人はどうでも能い、労働階級だけの幸福を増進させるのが、目的らしくも在るやうだ。果して斯な工合に成つて来ると、労働者と資本主との対抗で、一番極端に成ると、○乱が起らぬとも云へぬ。今にして何んとか双方から妥協互譲の途を講じ無ければ、労資共倒の惨事を招来せなければ止まぬであらう。皇道大本の信者の中にも、多少の労働者も在るであろうが、諸君等は、常に神様の誠の教を遵奉して居られる、忠実なる臣民であるから、滅多に取違いは在るまいけれ共、万々一にも右等の問題や運動に没頭する様な不都合が、仮にも在つたとすれば、神界と国家に対して、一大叛逆であるから、充分に御注意を願ひます。夫で無くても、世の立替、立直しを唱導しつゝある、大本を誤解して、社会主義だとか、共産主義だとか謂ふ、分らず屋がある社会だから飽く迄も言行を慎んで欲しいもので在ります。 |
参考 神霊界 1918/09/01 一葉落ちて知る天下の秋
友清天行 今度の新理想世界には貨幣制度撤廃で、且つ貨幣に代用すべきものも無いと云ふ事に就て疑問をいだく人があるやうでありますが、それは決して不可能事ではない、左りとて昔の物々交換の不便を繰り返すワケでも有りませぬ。今度の世では各人の職務は何れも神勅によつて決定せられ、私有財産なるものは絶対に認められませぬ。即ち新世界の経営は人民の私有財産全部を天皇陛下に奉還する事より始まるので、家屋の如きは其人の職業、地位、家族の数等に適当したものが提供せられるし、其他生活需要品等一切適当の方法と組織との下に適当に配給されるので、何の不安も心配もなく、そんなら人間に競争心、奮闘心が無くなつて、怠け者の世の中になりはせぬかなぞ考へる人もあるが、それこそ無要の心配で、人々何れも其の天分を知つて安んずると同時に、各人何れも其の天職に精励するやうに出来て居ります。社会主義者どもが主張するやうな差別もありますが、其の職業の価値に等級は認められませぬ。併しイクラ理想時代と云つても貨幣、若くは此れに代用するものが無くては、汽車に乗るのは何うするか、宿屋に泊るのは何うするかと考へ込む人がありますが、そんな事は要らぬ心配で何も彼も都合よく出来て居ます。何しろ此世界の経綸者たる国常立命が結構な世として許される世界なのですから、今日より人間の小智を以て彼れ此れ詮義する丈愚で有ます。元来人間には私有財産なるものは無い。 |
物語02-0-2 1921/11 霊主体従丑 総説 また神様が人間姿となつて御活動になつたその始は、国大立命、稚桜姫命が最初であり、稚桜姫命は日月の精を吸引し、国祖の神が気吹によつて生れたまひ、国大立命は月の精より生れ出でたまうた人間姿の神様である。それよりおひおひ神々の水火によりて生れたまひし神系と、また天足彦、胞場姫の人間の祖より生れいでたる人間との、二種に区別があり、神の直接の水火より生れたる直系の人間と、天足彦、胞場姫の系統より生れいでたる人間とは、その性質において大変な相違がある。天足彦、胞場姫といへども、元は大神の直系より生れたのであれども、世の初発にあたり、神命に背きたるその体主霊従の罪によつて、人間に差別が自然にできたのである。 されども何れの人種も、今日は九分九厘まで、みな体主霊従、尊体卑心の身魂に堕落してゐるのであつて、今日のところ神界より見たまふときは、甲乙を判別なし難く、つひに人種平等の至当なるを叫ばるるに立いたつたのである。 |
物語63-1-2 1923/05 山河草木寅 妙法山
乙『吾々は文化生活というものを転用して人格問題に当てたいと思ふのだ。バラモン教徒は煩悩即菩提だなどと気楽さうな事をいつてゐるが、それは悟道の境地に立ち至つた上根の人間のいふことで、普通の人間はソンナ軽々しいわけにはゆかぬ。とても人格を磨いて向上する事は不可能事だよ。絶えず内観自省して、肉的本能を征服しておかねばならない。霊体共に自然であることは無論だが、この両者を並行さす事は困難だ。瑞の御霊の聖言には、「体慾に富める者は神の御国に入ること難し。富貴の人の神の国に入るよりは、蛤を以て大海を替へ干す方却つて易かるべし。人は二人の主人に仕ふること能はず。故に人も、神と体慾とに兼ね仕ふることを得ず」と教へられてある。実に深遠なる教訓ではあるまいかなア』 |
例えば、下の衡平運動だけを見て、最終的には王となるべく定められた人が仁政を布くという結論部分は、王仁三郎の本意でしょうか、それとも本意ではないのでしょうか。
私の場合は、何年王仁三郎を読んでいても、頭では分かっていても、なかなか王となるべく定められた人が仁政をひくところは認めがたいです。
下の文章では、平等・博愛を唱える人々はほんとうにそれを目指して唱えているのではないことを言っています。
物語65-4-23 1923/07 山河草木辰 義侠 乙『何といふても天与の産物を独占する者があつたため、吾々は苦しんできたのだ。かうなつたら村に苦情も起らず、愛神愛人の道も完全に行はるるであらう。なにほど信心せよといふても、今日食ふ飯もないやうの事では信心も出来ず、人がなにほど困つとつても助けることも出来ず、人の持つてゐるものでも、叩き落として取りたいやうに思ふものだが、かうして平等になつた以上は、悪事悪念は断たれるであらう。テーラの奴、村中の憎まれ者だつたが、善悪不二といふて、あの奴があんな悪事を企みよつたものだから、吾々はこんな結構になつたのだ。悪人だつて憎めぬよ。悪が変じて善となり、善が変じて悪となるといふのは、大方こんな事をいふたのだらうよ』 (中略) 乙『馬鹿いふな、四民博愛と、同情の仮面を被りて胡麻かす贋君子、贋聖人ばかりだ。あの比丘尼様こそは本当に吾々の救世主様だ』 |
物語68-3-9 1925/01 山河草木未 衡平運動 有志の各団体は罹災民救護のため、東西南北に駈けまはり、米麦野菜などをあさつて、一時の急を救はむとすれども、到底その一部の要求を充たすにも足らなかつた。流言蜚語盛んに起こり、人心恟々として安からず、今にタラハン国は滅亡の悲運に向かふべしなどと人々の口に依つて喧伝された。かかる所へ肉体美に過ぎた大兵肥満の女一人現はれ来たり、札ビラを路上に撒き散らしながら 声高々と何事か唄ひながら、碁盤の目の街を彼方此方と駈けめぐつてゐる。 女 『神が表に現はれて 人と鬼とを立別ける 天には黒雲塞がりて 月日の影も地に照らず 天が下なる人草は 優勝劣敗日をかさね 強きは高く登りつめ 栄耀栄華の有りたけを 尽して下の難儀をば 空吹く風と聞き流し 貧しき民を虐げて 生血を絞り脂をば 力限りに吸ひ取れば 痩せ衰へて餓鬼の如 骨と皮とに成り果てぬ 神が此世に在す上は 何時まで許し玉はむや 此世の中は神様が 万の民を平等に 楽しく嬉しく暮させて 天国浄土の神政を 布かむがための思召し しかるに何ぞ計らむや 上は左守を始めとし 富有連や長者等が 勝手気儘に振れまひて 下国民を苦しめし 報いは忽ち目の当り 思ひ知つたか左守司 その他百の司達 今に心を直さねば 打てや懲らせと民衆が 鬨を作つて攻め寄せる その凶兆はありありと 今より伺ひ知られたり ア丶民衆よ民衆よ 必ず憂ふる事なかれ 至仁至愛の神さまは 必ず汝が窮状を 何時まで見捨て給はむや 必ず一陽来復の 春を迎へて永久に 安き楽しき神の国 この世の中に樹て玉ひ 今まで下に苦しみし 清き正しき汝等を 高きに救ひ給ふべし 天は降つて地と成り 地は上つて天と成る 有為天変の世の中は 何時まで大名小名の 自由の振舞許さむや あ丶惟神惟神 神は汝と倶にあり 吾等は神の子神の宮 いよいよ時節が参りなば 今まで此世に落ち居たる 百の正しき神さまは 数多の神軍引率し 悪を亡ぼしよこしまを 平らげ尽し給ふべし 勇めよ勇め民衆よ 時は来たれり時は今 神政復古の暁ぞ 不意に起つた大火災 是ぞ全く人間の 力に及ぶ術でない 何れも貴き神様の 悪に対する警戒ぞ 如何に大名小名や 富有連が覇張るとも 彼等が覇張る世の中は 最早末期と成りにけり 勇めよ勇め皆勇め 民衆を苦しむ悪人を 片つ端から踏み躙り 怯めず臆せず堂々と 火の洗礼を施せよ 血汐を以て世を洗へ 向日の森の茶坊主が 館に後妻と化けすまし 三年以来身を潜み 富有連に出入する 彼に付き添ひ富有連の 事情を査べゐたりしが 最早時節も充ちぬれば 数多の部下に命令し 火の洗礼を為せたのは 大兵肥満の此女 富有連中が何恐い 大名小名糞喰へ 取締役や目付役が 怖くてこの世に居られうか 勇めよ勇め民衆よ 女ながらも吾が部下は タラハン国の山に野に 幾十万の生身魂 腕を撫して待つてゐる いよいよ命令一下すりや 四方八方の隅々ゆ ドンドン狼火が上るだろ 今の好機を逸せずに 汝等世界の改造を 命の綱と信じつつ 振へよ立てよ立上がれ 民衆団の頭目と 世に聞えたるバランスは 即ち吾が身の事なるぞ ア丶勇ましや勇ましや この惨状を見るに付け 下人民の傍杖は 実に涙の種なれど 大小名の狼狽の その状態を眺めては 少しは虫も治まらむ 更生院が何に成る これも矢つ張り富有等の 汝等民衆一般の 生血を絞る手品ぞや 必ず迷ふな迷はされな 思へば思へば村肝の 心の神が踊り出す あ丶惟神惟神 御霊幸はひましませよ 奸侫邪智の輩の 目玉飛出しましませよ』 十字街道に待ち構へて居た数百の目付隊は、有無を言はせずバラバラと駈け寄つて手取り足取り、取縄をもつて雁字搦みに縛り付け、バランスを荷車に乗せて横大路の取締所へと運び込むでしまつた。 民衆に化けて居た彼の子分はバランスを取返さむと潮の如く押寄せ、目付と団員との闘争が演出された。目付隊は既に危ふく見えた時、喇叭の声も勇ましく二千人の侍は押寄せ来たり、銃を擬して威喝を試みたり。素より完全な武器を有つて居ない民衆は歯がみを為しながら、見す見す大棟梁を奪はれしまま、退却するの止むを得ざるに立至りける。 バランスは目付頭の前に引出され、厳重なる訊問を受けた。バランスは少しも怯む色無く滔々として目付頭に食つて掛つた。 目付頭『其方の姓名は何といふか』 バランス『俺の名はバランスといふ者だ。民衆救護団の大頭目だ。有名なバランスの面を今まで知らぬようなウツソリした事で、どうして大目付頭が勤まると思ふか、あまり平等を欠いだ強食弱肉の現代だから、バランスを取るためにバランスと命名したのだ』 |
物語68-5-21 1925/01 山河草木未 祭政一致 スダルマン太子は宣伝使に送られ、一行と共に無事タラハン城内に立ち帰り、父の大王に面会し、今までの不都合を謝し、かつ今後は心を改めて、父の後を継ぎ、国家万機の政事を総攬せむ事を誓つた。カラピン王は太子の姿を見るより、喜びのあまり気が緩み、ガツカリとしたその刹那、忽ち人事不省に陥り、四五日を経て八十一才を一期となし、此世に暇を告げた。太子は父王の位を継承しカラピン王第二世と称し、天下に仁政を布き、国民上下の区別を撤回し、旧習を打破し、国民の中より賢者を選んで、それぞれの政務に就かしめ、下民悦服して皷腹撃壌の聖代を現出した。 アリナおよびバランスは国法の命ずる所に従い、一時牢獄に投ぜられたが、太子が王位に即くと共に大赦を行ひ、両人は僅に一週間の形式ばかりの牢獄住居を遁れ、アリナは天晴れ右守司となつて国民上下の輿望を担ひ、輔弼の重任を尽し奉つた。そして民衆救護団長たりし大女のバランスを妻に迎へ、アリナの家は子孫代々繁栄した。またバランスはスダルマン太子の即位と共に民衆救護団の必要なきを感じ、部下一般に対して、解散の命を下した。 (中略) いづれも新王が民意を容れ、博愛の政治を布き給ひし恩恵として、子供の端に至るまで其徳を慕ひ、不平を洩らす者は只一人もなかつたといふ。即位式の状況については茲に省略し、祝歌のみを紹介する。 |
また、物語69巻の南米物語は、この平等・博愛についてよくわかる物語ではないでしょうか。
この部分だけでは男女平等論に肯定ですが、全文では肯定なのか否定なのかよく分りません。
物語54-4-15 1923/02 真善愛美巳 愚恋 『さうですとも、よく考へて御覧なさいませ。現在の社会組織といふものは、すべてが貴族本位、資産家本位は申すに及ばず、男子本位で強い者勝ちでございませう。特に男女の関係については、今日の制度は何もかも男に取つては有利な事柄ばかりです。そして女に対しては何らの特権も与へられてをりませぬ。実に不公平至極な社会制度で、女に取つてこれほど不利益な悲惨な事はありませぬ。なぜかうした不公平を、男と女の間に設けておかねばならないのか、その理由を知るに私たちは苦しむ者です。ですから一度夫婦間にある事情から離婚問題が持上がつたが最後、何時も男は有利の位地に立ち、女はその反対の立場におかれて、泣寝入の体ですよ。女は自分に正当の理があつても、男の立場になつて、しかも男にのみ有利に定められた現代の法律では、少しも女の正当な申し出でを聞入れてくれませぬ。どこまでも女は男に従属したものだといふ観念の下に、かうした問題に対しても、男の方を上にして断定を下すことになつてますが、はたしてこれが正しいといはれませうか。道徳でも法律でも、男女差別が勝手に設けられたのですから、いはば無理非道な公平を欠いたものといはねばなりませぬ。だから女は女としての権利があります。その権利を女の方から、そんなに遠慮したり、自分みづからを卑下したりするには当たらないと思ひます。どこまでも一個の人間として、男と同等の考へで押し進んでゆけば、それでいい事ぢやありませぬか。そこに女としての生命があり、自由があり、幸福があるので、それこそ女としての本来の持つべきものなのです。男女関係ばかりでなく、今日の制度は弱肉強食、優勝劣敗の悪制度が行はれてをりますから、吾々はカウントの家に生れたのを幸ひ、誤れる古き道徳や形式を打破して、新しい社会の光明となる考へで、女一人としての本能を発揮したばかりです』 |
物語08-6-43 1922/02 霊主体従未 言霊解(五) イフヤザカの五言霊を約言する時は善悪正邪の分水嶺であります。 男神の伊邪那岐命と女神の伊邪那美命と、互ひに自分の住し、かつ占有する国土を発展せしめむと丶強く思ひ合ひて争ひたまふところは同じく差別もなく、ただただ施政の方針に大なる正反対の意見あるのみ。されど女神黄泉神の御経綸は惟神の大道に背反せるが故に、つひに海外の某々の如く、悉く大動乱大破裂の惨状を露出したのは、近来事実の確証するところであります。 |
神霊界 1918/07/15 宗教の害毒 差別を生ずるに至る」と。 |
神霊界 1918/05/01 宗教と政治(二) 寒くば火鉢に暖まれという、火鉢で足らねば暖炉にせよという、暖炉を設けて重ね着して尚お寒くば何とする。酒でも飲んで炬燵に暖まれという。実に注意周到な御教示である。併し私には炭火もあり、重ね衣する衣服も有れど、貧困者は何としよう。私は炬燵に這入て居って暖くとも、隣の杢兵衛は夫れが出来ない。大家の旦那は酒を呑んでストーブに暖まって居るが、私には暖炉の設備が出来ませぬ。酒も嫌いです。そんな事は世の中に何程もある。 大風呂を沸して、向い三軒両隣の人々を招いて、素裸にしてその大風呂ヘブツ込んで見給え。十人でも二十人でも一時に暖まつて、誰彼の平等のものはない。誰の羽織が絹物で、誰の衣服が木綿物だと議論する必要がない。一様に温かい湯は、誰にも同様に温かいに相違ない。吾人は、炭火を用意せよ、着物を重ねようという教を小乗と謂い、風呂へ入れる教を比較的大乗だと仮りにいうて見たいと思うのである。 |
天と地との差別。 神の直系の人間と、アダム・エバの胤の差別でしょうか。
物語11-3-15 1922/03 霊主体従戌 大気津姫の段(1) 世には絶対の平等があるのである。蒼々として高きは天である。茫々として広きは地である。かくのごとくにしてすでに上下あり、何人か炭を白しと言ひ雪を黒しと言ふものがあらうか。 政治家も宗教家も教育家も、この時この際、平等なる天理天則を覚知し、もつて天下万民のために、汝のたくはふる高慢なる城壁をのぞき、もつてその大切に思ふところの鬚を切れ。その暴力にもちゆる手足の爪を抜き去り、もつて不惜身命、天下のために意義ある真の生活に入れ。かくのごとくにして始めて天壌無窮の皇運を扶翼したてまつり、御国を永遠に保全し、祖先の遺風を顕彰し、もつて神国神民の天職を全うすることが出来るのである。 |
神霊界 1918/05/01 国教樹立に就て
理は等しゆうすと雖ども、事は自から本末の差がある、正傍の厳格なる差別がある。 |
ここでは普遍の愛である平等愛と、一人を愛する偏狭な恋愛などのような差別愛について述べています。
物語47-1-3 1923/01 舎身活躍戌 寒迎 『もし、先生様、差別愛だと聞いてをりますが、どちらから出発点を見出だせばよいのでせう』 『平等愛とは普遍的の愛だ。いはゆる神的愛だ。今一つ駄句つてみよう』 と治国別は、 『生来の差別愛より 神的なる 平等愛に進む径路は 実に 惨憺たる血涙の 道を行かねばならぬ これが 不断煩悩得涅槃の 有難い消息が秘められてあるのだ。 |
下記の文章も理解しがたい所ではあります。
「古の怪しき獣は、今日に比ぶれば、其数に於て其種類に於て最も夥しかつた。併しながら三五教の神の仁慈と言霊の妙用によつて、追々に浄化し、人体となつて生れ来ることとなつた。故に霊の因縁性来等に於て、今日と雖も、高下勝劣の差別を来たすこととなつたのである。併しながら何れも其根本は天御中主大神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神の陰陽の水火より発生したるものなれば、宇宙一切の森羅万象は皆同根にして、何れも兄弟同様である。」
宇宙一切の森羅万象は皆同根にして、何れも兄弟同様であるが、霊の因縁性来等に於て差別を来たすようになった。これはどういうことでしょうか?同根でも同じ性向を持っていないので方向が変る?もしくは、外部からの力(邪霊の憑依など)によって因縁性来が変るのでしょうか。
物語32-2-13 1922/08 海洋万里未 平等愛 如何に猛悪なる獅子、虎、狼、熊、大蛇、豺、豹と雖も、口腹充つる時は、決して他の獣類を犯す如き暴虐はなさないものである。只飢に迫り、其肉体の保存上、止むを得ずして他の動物の生命を奪り食ふのみである。 然るに万物の霊長たる人間は、倉廩満ちても猶慾を逞しうし、他人を倒し、只単に自己の財嚢を肥し、吾子孫の為に美田を買ひ、決して他を憐み助くるの意思なき者、大多数を占めてゐる。併し乍ら、神代は社会上の組織、最も簡単にして、物々交換の制度自然に行はれ、金銭と雖も珍しき貝殻、或は椰子の実の種をいろいろの器になし、之を現今の金に代用し、又は砂金などを拾ひて通貨の代用にしてゐたのである。さうして一定の価格も定まつてゐなかつた。それ故神代の人は最も寡慾にして、如何に悪人と称せらるる者と雖も、只々情慾の為に争ふ位のものであつた。時には大宜津姫神現はれて、衣食住の贅沢始まり、貧富の区別漸く現はれたりと雖も、現代の如き大懸隔は到底起らなかつたのである。 大山祇、野槌の神などの土地山野を区劃して占領し、私有物視したる者も出で来りたれども、これ亦現代の如くせせこましき者にあらず、実に安泰なものであつた。 (中略) 古の怪しき獣は、今日に比ぶれば、其数に於て其種類に於て最も夥しかつた。併しながら三五教の神の仁慈と言霊の妙用によつて、追々に浄化し、人体となつて生れ来ることとなつた。故に霊の因縁性来等に於て、今日と雖も、高下勝劣の差別を来たすこととなつたのである。併しながら何れも其根本は天御中主大神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神の陰陽の水火より発生したるものなれば、宇宙一切の森羅万象は皆同根にして、何れも兄弟同様である。 |
神の国 1932/08 葛の葉の子別れ
狐が恩義に報ゆる為め、仮に人間の女と身を変じ、夫婦の契を結び、子までなしたる仲なれど、情なや秘したる身の素性を見露はされ、 |
物語39-0-2 1922/10 舎身活躍寅 総説
また印度の人民には四種の差別がある。まづ、 |
現代の基準から見ると王仁三郎は障害者差別とか部落差別的な発言をしていたらしい。
らい病に対しては霊界物語にも差別的な表現が見られる。
霊界物語も差別的表現を取り払ったという修補版が出ているくらいです。
時代に捉われた表現を、後からどう評価するのか。難しいところではあります。
神の国 1925/09/08 道の栞第一巻下(二)
五二 天帝が人種を世界に降し給ふや、黄色い人種もあり、白き人種もあり、黒き人種もあり、赤銅色の人種もあれども、天帝の慈を垂れ給ふ事に於ては、別け隔て無し。皆同じ神の子であるから、何の人種は可愛、何の人種は憎いとの差別を為したまふ道理なし。 神の国 1925/09/08 道の栞第二巻上(一) 四四 感情と恩愛の故を以て、真理を曲げる時は、之れ真理は奴隷となりて、神の正道は破るゝなり。神の道では、我が子人の子の差別を以て、愛に隔てをなすベからざるものである。 |
神霊界 1919/05/01 皇道我観(五)
(二)上流社会と称して、美衣、美食、酒色に耽溺して、大厦高楼に起居し、尸位素餐、閑居不善を極むる者あり。中流社会と称し、営々として子女を教養し、租税の醸造的機関たる枢軸的階級あり。下流社会と称して、家族を挙げて、生活の物資を得るに、汲々乎として奔走し、以て生命糊口を凌ぎつつある者あり。 |
物語48-3-13 1923/01 舎身活躍亥 月照山
高天原の天界において、一切を統合するものはすなはち善徳である。この善徳の性相の程度のいかんによつて、天界に差別を生ずるに至るものである。さうしてかくのごとく諸天人を統合するは、決して天人が自作の功に非ずして、善徳の源泉たる大神の御所為である。大神は総ての天人を導き、これを和合し、これを塩梅し、またその善徳に住するかぎり、これをして自由に行動せしめたまふのである。かくて大神は、天人をして各々その所に安んぜしめ、愛と信と智慧と証覚を得て、その生涯を楽しましめたまふのである。ゆゑに大神のお側へは容易に進むことは出来ない。 |
物語54-2-8 1923/02 真善愛美巳 祝莚
治国別は祝歌を歌ふ。 |
物語54-1-5 1923/02 真善愛美巳 万違
『そこでダイヤ姫様がおつしやるには、……人間としての婦人ならば、すべての欠陥と不備とを見て、避け得らるるだけの害悪はこれを排除しやうと努めねばならない。この努力を惜しむやうな婦人は卑怯者だ。卑怯者でなければ怠惰者だ、怠惰者でなければ馬鹿者だ……といつてゐられましたよ。……かういふ卑怯者や馬鹿者、怠惰者の絶えないうちは世間は一歩たりとも進むことは出来ない、何事も改造されてゆく時機だから、吾々は何事も率先して上下階級の差別を撤廃したい……と、年にも似合ず、それはそれは舌端火を吹いてまくしたてられましたよ。私もそのお説と弁舌にスツカリ共鳴いたしました、実に姫様のお言葉には千釣の重みがあるだありませぬか。改造のないところには向上も進歩もあるものではない。そんなことでは何時まで経つても、天国の門戸はエターナルに開けるものだありませぬ。そして真善美の光明は遂に地上に輝くことは出来ないでせう』 |
物語68-0-2 1925/01 山河草木未 総説
本巻は前巻の後をうけて、印度タラハン王国の太子スダルマンを中心とせる、同国の祭政一致の維新に至る波乱重畳たる経路を口述せられたるものにして、太子および旧左守の娘スバール姫の燃ゆるがごとき初恋の描写より、太子唯一の寵臣アリナの活躍に依つて、深山の名花はタラハン市の片ほとり、茶の湯の宗匠タルチンが離れ座敷に移植されて、満足せられたる両人の恋の焔は、ますます暴威を揮ひて、太子の変装脱出、アリナの身代り太子などの苦肉策は却つて滑稽味を帯び、アリナもまた魔の女信夫の毒手に危ふく翻弄せられむとする折柄、予て特権階級資本家などの横暴に反抗して立てる謎の女バランスの率ゆる民衆団の爆発暴動となり、民衆怨嗟の炎は城下の過半を焼き尽し、タラハン城下は阿鼻叫喚の地獄道と急変し、太子はスバlル姫と駈落ちして右守の魔手に捉はれ、大王は城下内外変乱を焦慮して病重態に陥り、アリナの脱走より、右守司サクレンスの大陰謀はこの機にその効果を収めむとする時しも、三五教の宣伝使梅公司の出現によつて善悪は立別けられ、正邪は各その処を得、大王の国替へ、太子の即位ならびに結婚披露、旧左守シヤカンナの復活、アリナ、バランスの登庸、大宮山の神殿造営などを主たる問題として、滅亡の淵に瀕せしタラハン王国は、階級打破、上下無差別、祭政一致の理想的地上天国と蘇生したる綱領を、恋愛問題、貞操論乃至奇想天外的の滑稽諧謔をもつて潤飾せられたる教訓、情味津々として尽きざる神示の物語であります。神意の存する処は何時もながら、読者の各自各様に会得せられることと思ひます。惟神霊幸倍坐世。 |
第1版 2004/08/21
第1.1版(一部修正)2015/01/02