大本とバハイ教

1.バハイ教と大本の提携

2.現代のバハイ教(日本語公式HPより)

3.現代のバハイ教

4.王仁三郎の著作より

5.狭依彦の感想


1.バハイ教と大本の提携

大本教の歴史ではバハイ教との出会いは次のようになっています。
 
『出口王仁三郎』村上重良

 大正11年(1922)4月、バハイ教徒の女性布教師のフィンチルートが大本教を訪問した。バハイ教は、19世紀末にイランの農民反乱のなかで創唱されたイスラム教系の宗教で、はやく本国を追われ、本拠をアメリカにおいていた。ハバイ教の特色は、世界の諸宗教の本源的一致を説き、宗教間の提携協力を強調する点にあり、国際的活動を展開していた。大本教とバハイ教とのめぐりあいは、前年7月、出口すみ一行が巡教の途中、伊豆の大仁で偶然バハイ教のフィンチらと知り合ったのが発端に、いわば偶然の出会いであったが、バハイ教との交流を契機として、大本教は世界主義への指向を本格的に展開することになった。

 
『巨人出口王仁三郎』出口京太郎

 大正11年(1922)におもしろいできごとがおこる。というのは、伊豆へ旅行中のすみが、三島駅の近くの電車の中で偶然、フィンチというバハイ教徒の米国婦人と親しくなった。それが縁で彼女は綾部にやってくる。翌年の春には同じバハイ教徒のルート嬢とともにふたたび尋ねてきたが、彼女らは、バハイ教がエスペラントを国際語として採用していることを王仁三郎に告げるのだった。
 バハイ教は、19世紀中葉にイランにおこった回教シーア派系の宗教で、すべての宗教真理の統一と社会奉仕とを強調し、人類愛と兄弟同胞の精神を唱導する世界的な宗教である。

この後、王仁三郎は大本でエスペラントを採用します。

『巨人出口王仁三郎』出口京太郎

 大本の神示や彼自身の悟りなどが一体となって、エスペラントに対する欲求が高まっているとき、エロシェンコやフィンチから直接、間接に刺激を受けて、王仁三郎のエスペラント学習についての意欲がさらに燃え上がった。そのようないきさつをへて、大正12年の5月には側近の加藤明子にエスペラントを学習せよと命じている。

資料を見る限り、大本教とバハイ教との提携関係の有無は分りません。バハイ教の公式HPでは、日本のバハイの発達を詳しく論じていますが、大本との関係は触れられていません。


2.現代のバハイ教(日本語公式HPより)

バハイ教の公式HP  http://www.bahaijp.org/nsanew/index.html

1.バハイとは

 バハイとは1844年にペルシャ(現在のイラン)に発祥し、独自の聖典、法、暦、そして祝祭日を持った独立した一神教。
 バハイは世界中に6百万の信徒を持ち、信徒は広範な人種、民族に属し、235の国と属領に住んでいる。
 バハイでは、世界の主要な宗教の教祖、つまりクリシュナ、仏陀、ゾロアスター、アブラハム、モーゼ、キリスト、そしてモハメットは、それぞれその時代の人類の発達の段階に適した教えと法により、同じひとつの神から人類を教育せんがために遣わされた聖なる教育者であると教えている。
 信徒の間の和合は、書面による「聖約」という教えにより保たれ、これにより、創始者無き後の継承に関する原則と、権限を持つ制度が確立された。
 バハイには僧侶や聖職者は存在せず、バハイ共同体は選挙によって、地方、国、世界における評議会のメンバーを選出しその行政を行う。運営に必要な資金は各自の自発的な献金によって集められる、バハイのメンバー以外献金をすることが許されていない。
 ハバイはバブと呼ばれる人物が開いたバビ信教を源泉として、次代のバハオラによって創設された。
 バハオラの啓示の主要なテーマは和合で、「地球は一つの国であり、人類はその市民である」と、教えている
 教えの内容は、すべての形の偏見を放棄すること。男女の平等。世界の偉大な宗教が同じ源から発し、本質的に同じであること。極度の貧困と富を除去すること。世界的に義務教育を施すこと。人間ひとりひとりが、独自に真理を捜し求める責任があること。集団的安全保障の原則に基づく世界の連邦制度を確立すること。宗教は論理や科学知識と調和するものであること等である。
 バハイ共同体は、国連など国際機関に活発に協力し、小規模、もしくは草の根レベルの活動が絶えることなく世界中で行われている。
 バハイ世界本部はイスラエルアッカ・ハイファ地域に置かれている。そこはバハオラが1868年に流刑された土地で、それ以来、バハイの精神的、また行政的な中心地となっています。
 ハイファのカルメル山にあるバブの廟(埋葬地)とアッカにあるバハオラの廟は、バハイたちにとって、地上での最も聖なる場所となっている。
 バハイは日本では明治41年から活動を続けている。


2.バハイの歴史的人物

(1)バブ

 1819年イランのシラズで生まれた。
 預言者モハメットの子孫。1844年5月23日、自らが神の使者であると宣言した。
 独自の法・条例・奥義・教義に関する著作を持った、ひとつの独立した宗教であるバビ信教を確立し、道徳的堕落の広まった世にあって、バブはペルシャの社会の精神的・道徳的改革を訴え、女性の地位向上と、貧困層の状況の改善を強調し、教育と有益な科学の諸分野を推進した。
 バブの教えの主眼は、神のもう一人の使者がすぐにも現れるというものだった。
 バブは、3年間の投獄を経て1850年7月9日、タブリーズ市において銃殺隊により死刑に処された。
 バブは6年という短い期間しか伝導できなかったが、その間に、何千人という信者を惹きつけた。
 政府当局は、この新しい教義へ人々が改宗することに脅威を覚え、これら信者を激しく迫害した。
 当時のイスラム教の僧侶たちはバブの精神的再生への訴えを警戒し、「バブの社会改革への訴えが社会を混乱させる」と当時の政府に警告を促し、バビ教の壊滅を要請したため、何千人ものバビ教徒は拷問の後、自らの信仰のために殺害されていった。
 バブの遺体は信徒たちにより長年隠され、最終的に聖地(現イスラエル)に運ばれた。1909年にバブの遺体はカルメル山上に建てられた簡素な墓所に葬られた。

(2)バハオラ

 ミルザ・ホセイン・アリ(1817-1892)。
 バハオラとは、アラビア語で「神の栄光」を意味する。
 19世紀イランの貴族の家庭に生まれたが、若くして約束された政治的地位を受け入れず、貧困と疾病に苦しむ民に自分の富を使うことを選び、バビ教の教徒となる。
 バブが1850年に政府により処刑された時、残されたバビ教徒たちはバハオラに指導を求めた。
 1852年、バビ教徒としての活動のためテヘランで投獄。バグダッドへ流刑された1863年、バハオラは自らが長年待たれていた神の使者であると宣言した。バビ教徒たちの大部分がこの宣言を受け入れ、バハイ共同体が生まれた。
 ペルシャとトルコ政府の手による40年間の流刑は、バグダッドからコンスタンチノープル、アドリアノープル、そして最後には1868年にトルコ帝国の流刑地であるパレスチナ(現イスラエル)のアッカにまでおよんだ。この間、バハオラは、100冊を上回る精神面の教え、倫理面や社会面の教えなどを生み出し、また、自らが受けた啓示についての書簡を、ペルシャ国王、トルコ皇帝、ローマ法皇ピウス九世、ドイツ皇帝ウィルヘルム一世、英国ヴィクトリア女王、オーストリア皇帝フランツ・ヨゼフ、ナポレオン三世、そしてその他の当時の王・為政者、また西洋の政府主席に送った。
 バハオラのメッセージの要点は、世界の和合と正義に集約される。
 神はひとつであり、その御心は、アブラハム・モーゼ・キリスト・モハメッド・クリシュナ・仏陀・ゾロアスターといった段階的に天から送られる教育者によって表されてきたとしている。
 彼ら教育者によって確立された偉大な諸宗教の社会面での教えは、それが与えられた時代と場所により異なるが、宗教の精神的本質は同じであり、すべての人間の目的はその創り主を知り、崇拝することであるとしている。

 バハオラはまた、男女が平等であること、科学と宗教の調和、極端な貧富の差は排除すべきこと、義務教育は全ての人に 平等に与えるべきこと、そして国際的意志疎通と理解のために世界的補助語を選ぶべきであることなども教えている。

(3)アブドル・バハ

 バハオラの長男。
 父の40年間におよぶ流刑と投獄をともにし、1892年5月29日にバハオラが没すると、以前よりバハオラに任命されていたとおり、アブドル・バハがバハイ共同体の指導者となった。
 バハオラは、アブドル・バハを、「聖約の中心」と呼び、全てのバハイがその指導に従うように命じた。
 バハオラの教えを解釈する権威を持つのはアブドル・バハのみで、その父の教えを多岐にわたり解説した。
 その誤りのない指導と、急速に成長するバハイ共同体の建設者として、教義を詳述し、信教の行政機構の主要な特徴を概説した。
 40年以上にわたる投獄と苦難の後、1911年にアブドル・バハは、西洋に旅をすることが許され、ヨーロッパと北アメリカにバハオラの教えを広めた。
 1921年11月28日、ハイファで没。葬儀には、約一万人の、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の人たち、そしてバハイが参列した。そこでは、「自己犠牲の生きる模範」であり、「平和を打ち建てる柱」であり、人類を「真理の道」へと導いた人であると、多くの賛辞が送らた。

(4)ショーギー・エフェンディ
 アブドル・バハの孫にあたる。
 アブドル・バハの後を継いで36年間にわたり世界のバハイを指導し、これからの世界を担う行政機構を世界中に拡大し、バハイ共同体は世界150カ国にひろがった。
 バハオラとアブドル・バハの書を翻訳すると同時に、膨大な数にのぼる書簡を残し、1957年ロンドンでこの世を去った。


3.現代の統治組織 万国正義院

 万国正義院はバハオラにより定められたバハイ共同体の最高機関。
 1963年にバハイ共同体の中心地イスラエルのハイファで設立された。以後、全世界のバハイは万国正義院の指導のもとに着実に発展し、現在、世界の200国と179の属領に拡大された。
 機構は、地方、全国、世界と三段階に分けられ、それぞれの行政会は9人から構成される。
 行政会のメンバーは大人のバハイ全員から選ばれ、共同体内のさまざまな仕事を管理する。
 地方行政会は市町村単位の活動を指導し、全国行政会は国単位の活動を、そして最高機関である万国正義院は全世界の活動を指導する。


4.バハオラの教え

 歴史の発展は各時代に出現した偉大な人類の教育者によってもたらされた。これらの大教育者が現れるたびに、文明はひとつの段階からつぎのより高度な段階へと発展した。
 文明をもたらした人物は歴史に記録されたかぎりでは7人しか存在しない。古代文明をもたらした名称不明の大教育者、クリシュナ、モーゼ、ゾロアスター、仏陀、キリスト、モハメッド。そしてバブ、現代、さらに文明をより高度な段階に脱皮させるために、再びバハオラという大教育者が出現した。
 これら大教育者の人物には人間にない特徴が見られる。
 ・天賦の知識をもち、学校教育は受けない。
 ・完全な美徳を身につけており、性格に欠点がみられない。 
 ・奇蹟ともよばれる超自然的な力をもつ。最大の奇蹟は世界のあらゆる背景をもった人びとの心を変えること。
 ・最初は少数の人にしか認められないが、2、3百年たつと大文明が生まれる。
 ・最悪の苦難、激烈な迫害に超人適な忍耐力で耐える。
 ・世俗的な権力は一切ない。
 ・出現は前もって定められており、以前の大教育者の約束を果たす。 
 ・未来に関する予言はすべて実現する。
 ・出現当時の社会の要求に応じた教えをもたらす。 
 ・教えには社会面と精神面があるが、社会面は時代によって異なり、精神面は時代を超えて不変的。
 ・新しい暦をもたらす。
 ・自ら創造主の意志を伝達する大教育者であることを言明する。

 バハオラは江戸時代の末期に、新しい時代の人間社会に必要な教えを百冊以上の本であらわした。それを12の条項にわけて簡潔に説明するとつぎのようになる。 
1.人間はすべてひとつの地球家族に属すること
2.真理を自分の力で探すこと
3.世界平和の達成

「人類の安寧と、平和と安全は、人類の和合がしっかりと確立されないうちは、達成できない」(落穂集、p.285)
4.あらゆる種類の偏見の排除
「したがって、われわれが真摯に真理を探究しようとするならば、われわれ自身の偏見や迷信を捨てることが絶対に必要である。……どのランプで 輝こうとも光はよいものである。バラの花はどの花園に咲いてもうつくしい。星は東方で光っても西方で光っても同じ輝きをもつ」(パリでの講話 集、p.136‐137)
5.男女は平等の機会、権利、人権をもつ
「もし母親に教育があれば、子供たちも良い教育を受けるであろう。母親 が賢明であれば、子供たちも英知の道に導かれるであろう。……したがっ て、未来の世代は現代の母親の双肩にかかっていることは明らかである」 (パリでの講話集、p.162)
6.世界のあらゆる国での義務教育の普及
「知識は生命のつばさのようであり、上昇へのはしごにもたとえられる。 知識を修得することは、すべての人の義務である。……知識は人間の真の 宝であり、栄誉、恩恵、喜び、高揚、激励、快活さの源泉である」(バハオラの書簡、p.52)
7.科学と宗教の調和
「宗教が迷信、因習、知性に反する愚鈍な教義をはぎとり、科学と一致することを示すならば、この世界に和合と清浄の偉大な力が生まれ、あらゆる戦争、不一致、不和と闘争は一掃され、人類は真の愛の力で和合されるであろう」(バハオラと新時代、p.214)
8.極端な貧富の差の排除
「他人の労働によって大財産を作りあげることは、将来不可能になるであろう。富裕者は喜んで分かち合うようになろう。それは戦争や流血によってそうなるのではなく、徐々に自らの意志によりそうなるのである」(バハオラと新時代、p.152)
9.世界裁判所の設立
「ある政府が規約のひとつでも破るならば、地上の他の政府は一斉に立ち上がり、その政府を屈伏させなければならない。……(そうすれば)世界は確実に回復し、永遠に安全に保障された状態を保つであろう」(世界平和の確証、p.33‐34)
10.国際補助語の採用
「世界のすべての人びとが、世界共通語と共通文字を採用する時が近づいている。これが達成できればどこへ旅行しても自分の故郷に行くように思えるであろう」(バハイの啓示、p.76)
11.自国の政府に従うこと
「どの国であっても、この共同体のメンバー(バハイ)が居住するところでは、彼らは政府に忠誠を誓い、つねに真実を語り、その定めに従わなければならない」(バハオラと新時代、p.147)
12.宗教は世界の人びとを和合させるためにある 
「神の宗教を活気づける基本的な目的は、人類の利益を守り、その和合を推進し、人びとの間に愛と友情の精神をはぐくむことである。宗教を争いや憎しみや敵意の原因となしてはならない」(落穂集、p.214)


5.ハバイと国連
 バハイ国際共同体(Baha'i International Community )は1844年に設立されたもので、1948年以来国際連合の非政府団体(NGO)として世界的に活躍している。
 その本部はニューヨークの国連プラザにあり、世界の200国と179の属領にある全国バハイ共同体によって構成されるバハイ国際共同体のメンバーは六百万人を数え、世界中の諸民族、部族のあらゆる階層の男女を含んでいる。
 その下にある地方バハイ共同体の数は世界全体で二万におよんでいる。


6.日本とハバイ

 1903年、アブドル・バハは米国のバハイに、日本に旅行してバハオラの教えをひろめるように奨励した。それに応えて、1909年、ふたりの米国バハイが日本を訪れ、東京神田の東京青年会館で講演を行った。そのとき、外国人もふくめて75名が出席した。
 それ以来、この建物で多くのバハイの会合が開かれた。1923年の関東大震災で破壊したが、再建後もつづけてバハイの会合場所となった。 そのころ、数人のバハイが日本を訪れたり、短期滞在をしたりしたが、そのなかで日本にもっとも深い影響をあたえたのはアグネス・アレキザンダーであった。彼女は1914年に来日し、1967年日本を離れるまで、通算31年間を日本ですごし、バハイの発展に貢献した。
 アレキザンダーは1875年にハワイのある裕福な家庭に生まれた。彼女の祖父はハワイにきた最初のキリスト教の宣教師のひとりであった。彼女自身も、 1900年にバハオラの教えを受け入れてバハイになるまでは、敬けんなキリスト教徒であった。

 最初にバハイになった人は福田菊太郎である。当時十八歳であったかれは、アレキサンダー女史の話を聞いて、即座にそれは真実であると感じた。そして、日本国内に住んでいる日本人のなかで最初にバハオラを受け入れた人となった。
 日本人としてバハイになった最初の三人は米国への移住者であった。最初のバハイは山口県出身の山本寛一で、1902年ハワイでバハオラを受け入れた。かれの子孫は現在もアメリカでバハイとして活動している。 二番目にバハイになったのは藤田左弌郎で、1905年カリフォルニアに滞在していたときであった。かれは、1976年にこの世を去るまで、イスラエルのバハイ世界センターで働いた。
 三番目のバハイは鳥飼建蔵で、1910年ころワシントン州でバハオラを受け入れた。かれは「世界新文明」と題した最初の日本語のパンフレットを書き、それは日本中にひろめられた。
 女性で最初にバハイになった人は、望月百合子である。彼女は後に、フランスに留学し、最初の女性ジャーナリストのひとりとなって名が知られるようになった人である。彼女はアレキザンダーと共に「東の星」というバハイの刊行物を発行しはじめた。
 ショーギ・エフェンディは、昭和天皇に書簡と電報をそれぞれ一通送った。この手紙はアメリカ人のバハイから送られた七冊のバハイの本と共に、 1929年増島博士により天皇陛下に献上された。増島博士は「バハイの文献は今や陛下の図書室の一部となっている」ことを伝えた。 
 そのころ、マーサ・ルートというアメリカ人のジャーナリストで、バハイの宣布のため、世界中を回っていた人がいた。彼女は、ルーマニアのマリー女王にバハオラの教えを伝えた人である。彼女ははヴィクトリア女王の孫娘で、バハイとなった最初の女王である。
 1930年、マーサ・ルートは来日し、ショーギ・エフェンディからのメッセージと記念品を天皇陛下に献上するために会見を申し込んだ。宮内省は会見に対しては許可を与えなかったが、記念品とメッセージは受け取った。そのメッセージ(電報)はつぎの通りである。
 「東京アメリカ大使館気付マーサ・ルート殿。わたし自身と世界中のバハイに代わって、天皇陛下のご幸福およびその古来からの領土の繁栄を心からお祈りしていること、そしてわたしからの深い敬愛を伝えてください」 
 1912年、スペイン駐在の日本大使であった荒川子爵夫妻はパリのホテルに滞在中、アブドル・バハと会談した。そこで、つぎのようなおどろくべき予言をした。「科学的発見は物質的文明を増進させてきた。幸いに、いまだに人間より発見されていないが、恐るべき威力をもったものが存在している。精神文明が人間の心を支配するまでは、この威力あるものが科学によって発見されないように、敬愛する神に嘆願しよう。低俗な性格をもつ人間の手に入れば、この力は全地球を破壊するであろう」これは原爆を指しているのであろう。
 1912年、日本女子大学長成瀬氏はアブドル・バハを訪れ会見した。
 1914年、アレキサンダーの来日以来、バハオラの教えは神戸、京都、北海道と各地にひろがっていった。同時に韓国と中国にも伝えられた。
 1932年、日本で最初の地方行政会が東京に設立された。アレキサンダーは1937年長年待ちのぞんできたイスラエルの世界センターを訪れるために日本を発った。しかし、世界情勢の悪化のため、彼女は日本にもどることができなくなった。
 第二次世界大戦中は活動は停止された。
 戦後、ふたたびアメリカ人のバハイが来日してバハイ共同体も活気づき、1948年戦後はじめての地方行政会が東京に設立された。
 アレキサンダーも1950年ふたたび日本にもどることができた。
 その後、日本のバハイ共同体は徐々にそのメンバーが増え、1974年に日本全国行政会が設立され、バハイの活動もより充実したものとなってきている。
 1997年現在、バハイは全国200ヵ所に居住し、全国行政会の指導のもとで、さまざまな活動に従事している。


7.国連での活動など

 バハイ国際共同体は1948年以来、国連NGO(非政府機関)としては最も多くのスタッフを擁する機関として、平和問題、人権問題、経済・社会問題、環境問題などの面で積極的に活動をつづけてきている。現在、ニューヨークとジュネーブの国連内部に事務局を置き、その他の諸都市の国連機関にも代表を送っている。
バハイ国際共同体は、つぎのふたつの機関の諮問機関として意見を述べている。
・経済社会理事会(ECOSOC)
・国連児童基金(UNICEF)

世界自然保護基金(WWF)
 バハイ国際共同体は1987年、世界自然保護基金の正式な会員となり、国際的な承認を得た。1988年10月には世界自然保護基金とバハイ国際共同体の共催で、基金集めのパーティーが開催された。このパーティーには総裁のエジンバラ公とバハイ国際共同体の代表ルヒア・ラバニ女史をはじめ、多数の英国の著名人が参加した。また、エリザベス女王から提供された自然に関する絵画の展示があり、その他、一流の芸術家がそれぞれの分野で作品を披露した。 


8.バハオラの新世界秩序

 バハオラが描いた人類の和合はつぎに示す世界連邦の設立を意味する。 
1.世界連邦(国連はこの方向に向かう第一歩とみなされる) 
・地上のすべての国の代表が平等に参加して設立される。
・すべての国家、民族、宗派、階級が密接にかつ永久的に結ばれる。
・各国の自治権は擁護される。
・地上に住む個人の人権は確実に擁護される。
2.世界立法部
・地上のすべての生物を調整し、維持するために必要な法律を制定する。環境法、生態学法、その他、国境をこえて対処しなければならない事態に関する法律を制定する。
・地上のすべての資源を管理し、あらゆる人種や民族の生活を調整し、要求をみたし、また円滑な関係を保つために必要な法律を制定する。
3.世界行政部
・国際軍に支えられる。
・世界立法部の決議を実行し、制定された法を適用する。
・全連邦の有機的一体性を擁護する。
4.世界裁判所
・この世界組織を構成する諸国間に起こるすべての紛争を調停し、拘束力をもつ最終的判決をくだす。
5.世界通信機関
・人類のさまざまな意見や信念の表現に十分な機会をあたえる。
・私的、公的な既成勢力にあやつられることがなくなり、争い合う政府や民族の影響からも解放される全地球を包含する世界通信機関が案出され、驚異的な迅速さと完全な規則正しさをもって機能する。
6.世界中心都市
・世界文明の中枢として生命の統合力が集中し、またそこからエネルギーにあふれた影響力が放出される焦点となる。
7.世界共通語
・世界語が考案され、あるいは現存する言語のなかから選ばれ、すべての連邦国で教えられる。
・世界共通の文字が採用される。
8.世界通貨・度量衡
・世界通貨および度量衡が採用され、国家間、民族間の交流や理解を容易にする。
9.世界の経済的諸資源
・世界の経済的諸資源は組織化され、原料資源は開発され、十分に利用されて発展し、生産物の分配は公正に調整される。 
ショーギ・エフェンディは、このような世界連邦組織のもとでは、世界社会がどのように発展してゆくかをつぎのように説明している。 
国家間の争いや憎しみや陰謀はなくなり、人種間の敵対心や偏見は、親善、理解、協調にとって代わるであろう。宗教上の争いの原因は永遠に除かれ、また、経済的な障害や制限は完全に廃され、階級間の極端な格差も是正されるであろう。一方における過度の貧困と他方における所有権の極端な集中もなくなるであろう。戦争によって浪費される膨大な政治的、経済的エネルギーは、発明と技術開発の範囲を拡大するためのあらゆる機関を促進するためにささげられよう。それらの機関では、生産力の増大、疾病の撲滅、科学研究の促進、健康水準の向上、人間の頭脳の鋭敏化と洗練、地球上の未使用でまだ知られていない諸資源の開発、人間の生命の延長、全人類の知的、道徳的、精神的生活の向上を鼓舞することなどが研究されるであろう」 
また、同じ本のなかで、ショーギ・エフェンディは人類が経験するであろう文明の黄金時代をつぎのように述べている。 
このような完成―人類の成熟期への到達―が、かつてだれも見たことも考えつきもしなかった世界文明の開始をしるすものであることを、だれが疑うことができようか。このような文明が展開して達成するように定められている高遠な基準を、だれが考えつくというのであろうか。束縛から解放された人間の知性が飛翔する高みを、だれがはかれるであろうか。バハオラから流出する栄光に満ちた光により生命力を与えられた人間の精神が発見するであろう新たな領域を、だれが心に描けるであろうか


3.現代のバハイ教

公式HPの内容は上で述べた通りですが、ある英語のHPでは、バハイ教のことを次のように書いていました。
Protocols of the Followers of Baha'ullah by Abdu'l-Bab as-Sahyuni

(1)1979年のイランのイスラム革命以降、バハイ教に対する迫害は強まった。
 200人以上のバハイ教徒が処刑されたり殺されたりしている。

 ホメイニ体制のもとでは、バハイ教徒は社会生活上の多くの制限を受けてきた。

●イランの歴史教科書では、「バハイズムは19世紀に、ヨーロッパ人がイスラムの連帯を破壊するために、でっちあげた政治的陰謀である」と書いている。

●イランでは20世紀には、バハイ教のリーダーが何人も「外国のスパイである」と射殺されている。

●1983年にはイランでバハイ教徒の少女や女性が処刑されている。

●イランでのバハイ教徒に対する政策案(ホメイニに対する勧告案)

1.自分自身でバハイ教徒であると明らかにしなければ教育を受ける権利がある。
2.バハイ教徒は、イスラムのイデオロギー色の強い学校に受け入れるのがよい。
3.バハイ教徒だと分った時点で、大学からは追放となる。
4.一般的な人民としての生活をする権利は認められる。
5.バハイ教徒だと本人が明らかにすれば、仕事につく権利は奪われる。
6.教育など他人に影響を与える職には就けない。

(2)イランのバハイ教徒は、中世のキリスト教下のヨーロッパでのユダヤ教徒のように扱われている。
ヨーロッパの中世では、宗教的なファシスト達が、「ユダヤ教徒は犯罪を犯す」と想像した。そのため、ユダヤ教徒は犯罪を実際には犯していなくても、迫害されたのだ
 現在、イランなどではバハイ教徒も、中世のユダヤ教徒のように扱われている。

(3)イランの支配層は、バハイ教徒に対する迫害を正当化するために、「バハイ教徒はシオニストである。フリーメーソンである。ソビエトの陰謀の手先である」など、あらゆる種類の陰謀を抱いているようにでっちあげた。

(4)イスラエル建国時に、バハイ教は本部をハィフアに置いていた。これが、バハイ教徒はシオニストであるという根拠となった。また後にフリーメーソンであるというレッテルが付け加えられた。
 これは、バハイ教は1948年にイスラエルが建国される前からパレスチナの土地にいたということだ。

(5)ユダヤ人に対して『シオン議定書』が偽造されたように、反バハイ教の勢力の一員が『ドゴロウキ卿の回想』という陰謀文書を作った。これは、ペルシヤで作られたもので、あるロシアの外交官がロシアのツアーリズムを拡張するためにバハイ教をでっちあげたというものだ。
 ロシア革命後この文書が翻訳され、バハイ教はソビエト・マルクス主義の陰謀ということにされた。


4.王仁三郎の著作より

各神教は大神が世の中を立て替えるためにつかわされた。

「12の流れ」というフレーズが不思議です。「12の流れ」とは、他の文脈の場合、ユダヤの12支族のことを表しています。

物語57-0-2 1923/03 真善愛美申 総説歌

総説歌
神が表に現はれて       善と悪とを立別ける
善の中にも悪があり      悪の中にも善がある
善悪正邪は人間        知識の程度で判らない
ただ何事も惟神        神の御旨に任すのみ
この世を造りし神直日     心も広き大直日
ただ何事も人の世は      直日に見直し聞直し
世の過ちは宣り直せ      人は神の子神の宮
天津使のエンゼルの      その精霊に神格を
充たされ肉体人に容り     天地経綸の神業に
奉仕せむため生れ来ぬ     あ丶惟神惟神
御霊幸はへましまして     この世の終りに日地月
誠の神が降りまし       瑞の御霊に神業を
任さし玉ひし尊さよ      世は常暗となり果てて
黒白も判かぬ時なれど     光の神は御空より
鳩のごとくに降りまし     空前絶後の神業を
経綸さるるぞ有難き      国の御祖の大御神
厳の精霊に神格を       充たし予言者の体に依り
出口の守と現はれて      この世を照らしたまふ世は
やうやく近づき来たりけり   仰ぎ敬へ四方の国
青人草の末までも       三五教の御教は
最後の光明艮めなり      眼を醒ませ耳開き
神の生宮予言者の       貴の言霊守るべし
あ丶惟神惟神         御霊幸はへましませよ
朝日は照るとも曇るとも    月は盈つとも虧くるとも
地震り海は浅するとも     誠一つは世を救ふ
エスペラントやバハイ教    紅卍字教や普化教も
残らず元津大神の       仕組み給ひし御経綸
そのほか諸々の神教は     この世の末に現はれて
世を立直す為ぞかし
      国会開きが始まりて
十二の流れ一時に       清く流るる和田の原
底井も知れぬ海潮の      深き思ひぞ計れかし
いよいよ五六七の世となれば  山河草木いふもさら
禽獣虫魚もおし並べて     神の仁慈の露にぬれ
一入清き霊光を        照らし栄ふる世とならむ
仰ぎ敬へ神の徳        慶び奉れ神の愛。
  大正十二年旧二月十日 皆生温泉にて

64上ではバハイ教が話の中に出てきます。その登場人物が、バハーウラー

物語64上-1-2 1923/07 山河草木卯 宣伝使

『私はバハイ教のバハーウラーと申すものですが、メシヤの再臨の近づきしことを神様より承りは、老躯を提げて常世国から今日やつとここまで無事到着いたしました。貴師は何れよりお越しでございますか。ちよつと拝顔しただけでも普通の御人とは見えませぬ。聖者とお見受けいたしますが、お差支へなくばお話しを願ひたいものですなア』

(中略)

『いかにも、まことに結構な御神示ですなア。それに寸毫の間違ひもございますまい。私も神示よつて、貴師のお説と同様のことを承りましたので、バハイ教を開いて世界の同胞に警告を与へてをるのです。もはやメシヤの再臨もあまり長くはありますまい』

その登場人物が、バハーウラー

物語64上-3-15 1923/07 山河草木卯 大相撲

 カトリツクの僧院ホテルに滞在してゐるブラバーサの居間を訪ねて来た一人の老紳士があつた。これはバハイ教の宣伝使バハーウラーである。

次の文章では、エスペラント、ローマ字を始める理由を述べています。

神の国 1924/01 宗教不要の理想へ

 大本には色々の思想の人が集まって居るが、『霊界物語』を始めてから大分一変して来たけれども、まだ極旧いもの、中位のもの、新しき人と混合している状態である。みろく会を開く事も、これらの覚りの準備の役に立てねばならない。然るに各地方では、そろそろ変性女子が暴れ出して「がい国」にしてしまうと、憤慨している者もある。エスペラント・バハイ教・支那の宗教と、もの喰い上手のワニが、第二の大本事件を惹起すかも知れぬと言って居る。
 然し乍ら、大本は世界的のものであって、神は万有を愛するのが主意であるから、固すぎて孤立する事は駄目である。日本は世界に孤立し、大本は日本から孤立している現状である。此点は大本が悪いのである。闇がりにいるからである。大きな目が開けていないからである。時代に棄てられては、醒る頃には世に遅れてしもうて、折角醒ても世の中の役に立たぬことになってしまうのである。吾々は之を憂えて、根本から変化の必要を感じているのである。
 エスペラント語やローマ字を始めるのも、此精神に外ならないのである。この事は決して神意にも反いては居ないのであって、百説紛々として纒らぬより、実地を見せるに限ると決心して、誰にも相談せずに断行した訳である。横暴のようにもあるが、神意の然らしむる処と喜んでいる次第である。神意に反いていないと信ずるから、ローマ字やエスペラントを奨励して、世界的に進んで行かねばならぬのであります。先ずローマ字やエス語を知り、余力を以て日本人全般に押し拡げ、やがて世界各国に此運動を及ぼしたいと覚悟しているのである。今年は準備時代であるが、来年は学校を起し、支那・朝鮮・欧米まで逆輸入をせねばならぬのである。学校の資金等の事に就ても、色々考えているが、神意だから大丈夫と思って居る。此後どんな事になるか、使命は後にならねば解らぬから、如何なる事があっても心配して止めないように願います。併し深い考えのある時には、直接忠告をして貰いたい。取締を通じて話して貰っても結構である。万事にかけて意思疎通して貰って、互に了解し合い、根なし草を生やして身魂を汚すような事のないようにせねばならぬ。また次に、皆の者が神の事が真実に解って居ない。大本の旧い人の意思が害をなしている。唯一つの「誠」が一列一体に伝わらねば、別れ別れの考えを有っている間は、一つの真に達していないのである。そんな事では駄目である。すべての宗教にしても、時代々々に応じて、それ相応の感化の必要に基づいて居るのであるが、時代が進むに随って、旧宗教にも採るべきものと、採るべからざるものとがあるのは自然の道理である。こんな訳で、大本はすべての事に相応し、利用が出来るように教え導きて、其基を打立ねばならぬ。

ここでは「ハバイ教と提携したと言っています」。この文章の真意は、「王仁三郎こそが求めている宗教界の偉人である」と聞こえるのですがどうでしょうか。次に同じ文章を2つあげますが、赤字の部分を歌った有名な歌が、吾人の現代観には付されています。

物語69-0-1 1924/01 山河草木申 巻頭言

 しかしながら翻つて宗教界の裏面を考へてみれば、超人間的宗教家は金の草鞋で日本全国を探しても、滅多に有りさうにもない。種々の悪思想の洪水が氾濫して、ヒマラヤ山上を浸さむとする今日の場合、釈迦、キリスト、マホメット、孔子に老子、小にしては空海、日蓮、親鸞、法然その他高僧知識と呼ばれる連中を一つに円め、団子にして喰ふやうな宗教界の偉人が現はれて来なくては、到底この人心の悪化を救ふことは出来ぬであらう。吾人は数十年間各宗教家を漁つて、超人間的人物を捜してみたが、寡聞寡見の吾々には到底求むる事を得なかつた。そこで、信仰に国境はないといふ点から、米国のバハイ教を研究し、朝鮮支那の新宗教を研究して、この現代の世界を救ふべき真の宗教家はないかと探しつつあるのだ。腐敗堕落と矛盾とに充たされた現代の暗黒社会には、たうてい大宗教家、大理想家は現はれさうにもない。しかしながらどつかの山奥には、天運循環の神律によつて一人や半人ぐらゐは現はれてをりさうなものだ。
 今年は甲子更始の年である。この葦原の瑞穂国(全地球)のどつかには、一大聖人が現はれるか、または太陽、大地、太陰を串団子となし、星の胡麻をかけて喰ふやうな大豪傑が現はれて来さうなものだと思ふ。さうでなくては到底この無明暗黒な世界を救ふことは出来ないと思ふ。吾人は本年甲子よりここ数年の間において、たしかに斯世を天国浄土に進展せしむべき一大偉人の出現することを固く信じ、神仏を念じて、待つてゐるのである。吾人が前陳の理由に依つて、バハイ教と提携し、あるひは支那朝鮮の新進宗教と握手したのも、決して現代の宗教家のごとく自教を拡張せむためでもなく、ただ単に我が国家の前途を憂へ、世界平和と人類愛のために尽さむとする真心に外ならぬのである。惟神霊幸倍坐世。

上の文章と同じ。

神の国 1924/03 吾人の現代観 

 吾人は思う。仮令普選案が通過し、宗教家や教育家に被選挙権が与えられたにしても、斯かる俗界の仕事は俗人輩に任して、超然的態度を執って欲しいものだ。併し乍ら翻って宗教界の裏面を考えて見れば、超人間的宗教家は、金の草鞋で日本全国を捜しても、滅多に有りそうにもない。種々の悪思想の洪水が氾濫してヒマラヤ山上を潤さんとする今日の場合、釈迦・基督・マホメット・孔子に老子、小にしては空海・日蓮・親鸞・法然其他高僧知識と呼ばれる連中を、一つに固め、団子にして喰う様な宗教界の偉人が現われて来なくては、到底此人心の悪化を救う事は出来ぬであろう。
 吾人は数十年間各宗教家を漁って、超人間的人物を捜してみたが、寡聞寡見の吾々には到底索むる事を得なかった。そこで、信仰に国境はないと云う点から、米国のバハイ教を研究し、朝鮮・支那の新宗教を研究して、此現代の世界を救うべき真の宗教家はないかと捜しつつあるのだ。腐敗堕落と矛盾とに充たされた現代の暗黒社会には、到底大宗教家・大理想家は現われ相にもない。併し乍らどっかの山奥には天運循環の神律によって、一人や半人位は現われて居そうなものだ。
 今年は甲子更始の年である。此葦原の瑞穂国(全地球)の何処かには一大聖人が現われるか、又は太陽・大地・太陰を串団子となし、星の胡麻をかけて喰う様な大豪傑が現われて来そうなものだと思う。そうでなくては到底、此無明暗黒な世界を救う事は出来ないと思う。吾人は今年甲子より茲数年の間に於て、キット……確に現世を天国浄土に進転せしむベき一大偉人の出現することを確く信じ、神仏を念じて待って居るのである。吾人が前陳の理由に因って、バハイ教と提携し、或は支那・朝鮮の新進宗教と握手したのも、決して現代の宗教家の如く自教を拡張せん為でもなく、唯単に我国家の前途を憂い、世界平和と人類愛の為に尽さんとする真心に外ならぬのである。

日地月あはせて造る串団子星の胡麻かけ喰ふ王仁口
日地月星の団子も食ひあきて今は宇宙の天界を呑む


5.狭依彦の感想

バハイ教と大本の公式な関係は分りませんが、大本教関係の著作が書いているように、大本のエスペラント熱の導火線となっただけでしょうか。また、王仁三郎の著作からはバハイをどう見ていたかとらえられません。

また、エスペラントについても、いくつかの文献では、「日本語が国際語になるのだが、その前段階としてエスペラントをする」と言っています。

真如の光 1933/04/15 日本語と国際語

 一昨夜のエスペラントが出来ましてから僅かの間に、今日のやうに世界中にエスペランチストが沢山出来たことを見れば、神国日本の明晰なる日本語が国際語にならない道理はないのであります。
 併し今日の日本語では非常に複雑で字と口で云ふのと意味が違つたりします。悪いことも字で書けば巧く書く様な工合で、今の日本語は文字を見ないとわからぬ様な言葉が沢山にあります。又漢字やアクセント等が難かしくて西洋の人にはわかりにくい。それをよくわからす為にはローマ字曾と云ふものがあつて非常に都合がよいのであります。今日のところではエスぺラントも必要であるが、やはり最後には日本語が世界共通語になる。日本語を世界の者に知らすにはローマ字を以てすればよいのであります。かう云ふ工合に神界から承はつて居りますので、大本にエスペラントの普及等はもの好きでやつてゐるのではなく、必要なものであるから神様から命ぜられてゐるのであります。この神業の忙しいのに、何の役にもた、ないローマ字見た様なものしないでもえゝと思つて居る人がありますが、さう云ふ意味ではないのでありまして、日本語を世界共通語にするには、エス語もローマ字も最も必要なのであります。併し今日の日本語では之でも行かないが、日本が神界の経綸通りになり世界に君臨する様になつたら、日本語がどうしてもかうしても世界の共通語になるのであのます。その考へでエス語なり又ローマ字を研究して貰ひ度いと思ふのであります。

こう、考えると、エスペラントの採用にしても、エスペラントの思想など、すべてを肯定してやったのかどうか、少し疑問が残るところです。

王仁三郎の思想とバハウラの思想は通じているのでしょうか?反対なのでしょうか?
今の所、私には分りません。

また、バハイ教の思想を見ると、新世界秩序、国連重視などニユー・ワールド・オーダーを目指している人々と重なる部分があるような気もします。

今後の研究課題としたいと思います。



第1版 2004/07/19
第1版(校正) 2015/01/01

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