出口王仁三郎全集7 短歌集(2)

全集7にある歌の感想をブログで連載していたものです。  

記述 2005年2月2日~3月12日

※2015/1/2現在リンクで切れているものがありますが、過去の記事を生かすために、そのままにしてあります。


煙草の吸殻

捨てた煙草(たばこ)(すい)がらを、つつましげに信者が拾つてゐる


信者が聖師の捨てた煙草を水にとかして(だったと思うけど)飲んでいた、なんて話が、日月神示の掲示板にあったような気がします。
まあ、昔は、煙草の吸殻を拾って吸うことは普通だったと思うから、たぶん、拾って吸った、というところでしょう。「つつましげ」ということばがそれを裏付けていると思います。

彼女

草の上にタオルを()いて、彼女と空をみた若い日が今日も私に來る


若い日の回想。この後何をしたのだろうか。もしくは、した後か?

学校

淋しい村落(そんらく)にも堂堂(どうどう)たる小学校の建物が(そび)えてゐる


学校とはそういうところ。公教育とはそんなもの。それは今も変っていませんね。

煙突男

次から次へ煙突男が現はれる世の中だ、天地はくすぼつてゐる


これは煙突へ登って自殺すると叫ぶ男のことだと思います。確か、王仁三郎も随筆かどこかで触れていたのですが、DBで検索できませんでした。そろそろ、こんなこともまたはやりそうです。


うじむし

一匹の蛆虫(うじむし)にも神の精靈のはたらきを感じてゐる


すごいね、これ。まだ、こんな気持ちになれない。犬、猫や大型動物、植物には感じるけど。「すべてが独一真神に繋がっているので」、理論的には分るのだけれど。

学者

智者(ちしゃ)學者、そんなものがどこにあるか、盲千人のこの世の中に


この歌、ちょっと前にとりあげてある小学校の歌と同じ見出しの下にあります。
このようなことを王仁三郎はよく言うのだけれど、ただ、罵倒しているだけだと思っていました。デーヴィッド・アイクの説を読むと、学者や智者-いわゆる有識者の中に彼らの仲間がまぎれ込んでいるとあるので、そういう解釈ならよく分る。陰謀論者狭依彦でした。


◆王仁三郎の文献の学者関係◆
王仁三郎文献中の学者を抜き出してみました。 学者と智慧者とは違ひます。学問と智慧は別だ。賢い人は多勢の人を使ふのに智慧で使ふ、お直さんは無学者であつても、智慧はあるのです。矢張り賢いことも云ひます。
 
智者学者政治家数多在り乍ら平和の鍵持つ真人世になし
 
其の自分惟神の道を説くもには今の学者や宗教家や大学の教授では駄目である。今の学者や宗致家や大学の教授と云ふ連中の云ふて居る事は、本当の日本の国体を説いてゐるのではなく、却つて我国の害になる様な事ばかりやつて居るので、これはどうしても皇道大本で開かなければ可《い》けないと考へ、皇道大本といふ事に其時したのであります。
 
現代人生活を目撃する時、実に神聖なる祖宗の御遺訓に悖戻してゐることは最も明かな事実である。安逸飽食して巨万の財を収め、且つ之を増殖して益々蛮的欲望を逞ふする。一方には僅々少額の資財を得んとして得られず、艱苦辛労其生を終るに至るものあり、他方には日夜孜々として勤労し猶妻子を養ふに困難せるものもある。貧富の懸隔激甚なること斯の如く其状の惨然たる斯くの如きは何故ぞ。全くこれ人生悖理上より湧起せる国家経済矛盾の因果的現象と謂はねばならぬ。然るに古今東西の学者や為政者輩はこれを以て人生不離の必然的結果なるが如く信じ居るは、即ち人文未開の証拠である。
 
べースト 獣(besto)
いろいろとベスト(べースト)つくす智者学者つゐに獣の魂となりぬる
 
智者も学者も沢山あれど、誠を知りた智者は無く、教を知りた学者は無い。
 
 現代は、科学万能の世界と云はれて居る。ラヂオ、無線電信、空中飛行船、飛行機、潜水艇其外種々の文明の利器は非常に発達し、宇宙一切の事は科学でなければ、解決できないと云ふて誇つて居る学者も沢山あるやうであるが、何程科学が進んだと云ふても、宇宙の謎は解く事は出来ない。白い米を喰ふて、赤い血を出し、黒い髪を生やし、黄色糞を垂れる、この原理が明瞭に分つた医学博士もなければ科学者もない世の中だ。それだから虱一匹を研究して論文を出しても、博士になれる世の中だから、学者といつても、真に頼りないものである。今の学者は天地を征服するとか、神を解剖するとか、猪口才な大法螺を吹いて居るが、無限絶対無始無終におはします神どころか、日々自分が食つて居る飯の事さへ解決がつかないやうな事で、何程鯱になつても、神の説明だとか、天地の征服なぞは駄目である。昔の黄金時代の人間や、天国の天人が、唯一二言で解決する事柄を現代の学者は数千万語を費さなくては分らないと云ふ、厄介の代物である。現代の鼻高学者に、宇宙の真相や、神様の御本体を明瞭に分るやうに説明せうと思へば、世界五大洋の海水をインクに使つて、一滴も無いやうにした所で、まだ書き切れない程云はなくてはならない厄介至極な現代人である。それだから神様が、常暗の訳の分らぬ世の中だと仰有るのも無理はないと思ふ。
 
オイツケンがどういつた、マルクスがかういつたのと、個々の人々の抱いた思想について、深くこれを究める事は専門家の仕事であつて、総ての人間が専門家同様の研究を重ねんとするのは無理である。普通の吾々などは、各学者の学説を通観しただけで常識的の頭を作らねばならぬ。少なくとも一瞥しただけでその取捨選択を誤らないだけの常識を持つてをらねばならぬ。
 
今の政治家や学者は経済学と云ふことを知らない。最も正しい方法は、一石の種を蒔くところに一石蒔いて、その凡てを稔らし効果を得ることなのだ。これが本当の経済である。それに皆気が附かないで経済と会計とを混同して考へ、金銭の収支ばかりに頭を悩ませてゐる。収入が不足だとて、その額を公債や増税によつて収支の数字を合はせようとする。単に収支の決算くらゐだつたら、別に政治家や経済学者でなくても、店の番頭で結構出来ることなのだ。
 
此の重大時局に直面して徒らに欧米人の糟粕を嘗め物質文化に心酔して真理に目醒めず、為政者も識者も学者も理論のみに拘泥し、徒らに苒荏日を送るに於ては遂に天災地妖捲き起り人類の苦悩測り知るべからざるものあるを想はしめる。
 
 然るに今日の総ての学者、総ての教育家、総ての政治家等は居睡りどころか皆精神肉体共に麻痺して了ひ棒で突いた位のことでは眼も醒めないで、身体にも応へないのである。これを見れば我国は実に何とも云ひ様のない処の難局に向つて直行しつゝあることを痛感したる余り此処に昭和神聖会を組織し、この大難局打開に邁進することゝなつたのである。
 
 大学者輩が国家を否定し祖国を忘却し且つ軽蔑し、国民精神の大和魂を冷笑し、人格と真理の代りに数と物質を置き、国民の伝統を瓦石同様に破壊せんとする態度が現代我同胞間にすつかり理解されて来た。此時吾人は皇道の為に全身心を捧げて働くべきである。
 
(2005/08/16)

オリオン星座

スバルが大空を行く、あとからオリオン星座が鋤のやうに()かれて行く


王仁三郎は「オリオン」という単語をよく使います。特に、第二次大本事件の回想歌では頻出します。囚われの星座。この歌、スバルとの関係などちょっと意味深な歌のような気がします。よく考えて見る必要あり。

感傷的な彼女

感傷的(かんしょうてき)な彼女の眼に(よろこ)びと淋しさを感じてゐる、夜!


おっさん!

仔猫(追加)

なれなれしく(ひざ)にのぼつてくる仔猫(こねこ)にもひそかな愛を感じてゐる

社長

たつた五分間の遅刻に社長の眼が異様に光る

自分等(じぶんたち)を人間と思つてゐるのだらうか、あの冷たい社長の眼に


この歌はどういう状況で歌われたのだろうか。誰かと話をしていて、つまり、「うちの社長は・・・云々」を聞いたのか、雑誌でも読んでいたのか、とにかく王仁三郎は直接このシーンを体験していないはずです。
でも、この歌、ほんとうに緊張感をとらえている。社長を〇〇に変えたら、特にこの文章を読んでいる人には、緊張感までよく理解できる歌でしょう。
最近、この冷たい目が、爬虫類の目なんて思えて来るのです。アイク病か?ただし、このシーンの社長に関しては絶対に人間ですけどね!

筍のような俺

何程(なにほど)おさへられても頭をあげねばおかぬ(たけのこ)のやうな俺だ


この歌いいですね。肩肘張っていなくて。むくむくと起き上がる。こんな気持ちでいたいものです。

涙よわい女

涙よわい女の顔に何時(いつ)もたましひをひきつけられてゐる


涙よわい女というのはいい表現だな。何かの時に使おう。

はえ

暖かい冬晴(ふゆばれ)(えん)の障子に(はね)のよわい(はえ)(まり)をつく眞昼(まひる)

このあいだ「うじむし」が出てきたのですが、今度はハエです。「羽のよわい」というところが状景を生き生きとさせていますね。でも、ハエはね・・・まだまだ、囚われている私。
それともう一つ、王仁三郎、いろいろ漢字知っていますね。私なら、蝿と毬、手書きで書けない。でも、加藤明子あたりに書き取らせていたりして・・・



庭の()の石をめくればふくれたる(かわず)()でたり風寒き冬


この歌はいい歌です。状景描写だけの歌だけど、石をもちあげて、カエルを見つけた王仁三郎の言いようのない気持ちが、ファ~ンと伝わってきます。これも、私だけの感想?

雪の夜

靜かなる夜なりと(かど)に立ち()でて(たたず)む空ゆ粉雪(こゆき)ちり()

大空にぼんやりかすむ月かげを見上(みあ)ぐる(おも)粉雪(こなゆき)の降る


静かな夜。雪が降っている。今の明るい夜を想像してはいけない。暗い夜。だけど、うすぼんやりと月かげがあるので、白い雪が灰色のドットとなって、顔に降りかかる。静かな夜。

ただの人の時もある

冬の夜の靜けさに()地震(じしん)もやとうすらおそれを(いだ)きつついぬる


前の「雪の夜」の歌の続き。王仁三郎は何回も地震を予言しているが、この歌のように人間意識でいる時もあるんですね。最近、寝る時に、「起こるかな」って恐れながら寝ることもよくあるのだけれど、それと同じ感じでしょうか。王仁三郎の予言の根源を考えるための一つの手がかりになるか?

四國の旅

年の瀬を前に控へていそがしく冬の二名(ふたな)の旅に立つかな

星のかげ一入(ひとしお)さえて二名島(ふたなじま)()を吹き過ぐる(こがらし)のおと

春の日の心地(ここち)しながらあたたかき二名(ふたな)の冬の雨を()きをり



二名島とは四国のことなんですね。

古事記の五-国を生み、神々を生む。神生みの最後に火の神を生み、イザナミは死ぬ。
イザナキ、黄泉までイザナミを追って行き、逃げ帰って禊してアマテラス等を出現させる。
淡道之穂之狭別島(淡路島)、伊予之二名島(四国)、隠伎之三子島(隠岐島)、筑紫島(九州)、伊岐島(壱岐島)、津島(対馬)、佐渡島(佐渡島)、大倭豊秋津島(本州)を生んだのであった。
故、此の八つの島を先ず生めるに因りて、大八島国と謂イふ。
伊予はイユが転訛したもので「湯の国」であり、二名島とは愛比売(伊予)と飯依比古(讃岐)、大宣津姫(阿波)と武依別(土佐)の男女二組の並んでいる島の意味である。

昭和7年

東方(とうほう)のひかり(たた)へて新年(にいどし)の朝いさましく(とり)鳴きわたる


年が明けました。毎日4ページづずデータ化していると、王仁三郎と一緒に歩いている気がして、精神が安定しているようにも思えます。

冬の月

うす(にご)金龍池(きんりゅういけ)の底ふかく()れてゐるかも冬の夜の月


いい歌だ!

進展主義

俺の空想はいつも實現するのだ、(ほがら)かな朗かな朝の太陽

鏡に向ひながら惱みのない自分の顔をほほ()んでゐる

日に日に新しい感情の湧いて来る自分に進展主義が呼びかけてゐる


歌で聞くと、進展主義もよく分ります。現実を作っているのは自分なのだ。

たけのこ

(たけのこ)のかをりゆかしき夕餉(ゆうげ)なり窓にちり入る梅のはなびら


たけのこご飯でしょうか、煮物でしょうか。私はたけのこご飯のような気がしますが、いい香りが鼻をくすぐります。でも、そろそろ花粉で、香りどころじゃなくなる今日この頃。

生活の保証

生活の保証、これだけで(ほがらか)かになる人間の天地だ


これ王仁三郎の歌ですよ。この時代昭和7年は不況の中で軍国主義化が進んでいる時代でした。
仕事と社会の構造を変えてしまい、生活の保証を少しずつ奪う。仕事が得られなかったり収入が低いのは本人が悪いのだということにする。こうやって、社会を二分化させる目的-これは何だろうか?

朝の挨拶

香水の匂ひがぷんと來る朝の挨拶(あいさつ)、頭をさげた少女の髪の光

人の言葉に顏をあからめる純情(じゅんじょう)乙女(おとめ)をにくめようか

闇夜(やみよ)に池の底が光るといふ、自分のひつそりとした氣持(赤山別院にて)


少女に関する歌。いちばん下の歌は何か意味深ですね。



湯上(ゆあがり)りの爪を切つてくれる女のやはらかい(ほほ)をそつと見てゐる

爪をお付きの者に気ってもらっているのかな?それを、他の自分が見ている。その自分をまた客観的に見ている自分。他の宗教の教祖より一段階深いような気がするのは、贔屓か?
でも、また、これオンナの歌。王仁三郎が宗教家だということを知らない人が見たら淫乱じじいですよね。

月宮殿

石斛(せきこく)は花持ちにけり月宮殿(げっきゅうでん)の岩のさけめに根をかためつつ

この時に月宮殿の破壊は分っていたのだろうか。この歌を読むと、そんな感じはしないのだけれど。これより以前に出された『霊界物語』では月宮殿の破壊は予言されている。
人間意識と神の意識とあるということなのだろうか?

ひよこ

雨の庭を(ふき)の葉かげにひそみつつ(にわとり)(ひな)ちちと鳴きをり


小さな生き物を見るやさしい目。これこそが私が王仁三郎を信頼するところなのです。仔猫の歌にも同じ目を感じます。そうして、これは、王仁三郎口から出た歌。genuineな王仁三郎です。こんな王仁三郎を世間に広めたい!

綾の聖地

綾の聖地に烟突(えんとつ)がなければと思ふ五月晴(さつきばれ)の朝

煙突は併設していた天声社(印刷所)などの工場の煙突でしょうか。普通なら、自分の城が拡大してゆくのを喜ぶのですが、自省しているということでしょうか?

うど

ほのにがき野生(やせい)獨活(うど)に朝夕を親しみにつつ湯の宿にゐる


三菜の「うど」。これ野生の味でいいんですね。と言っても、山奥の温泉に泊まったときくらいしか食べられないけど・・・

インターネットで検索 うどの説明



橘の花におく露しらじらと月にかをりて夜は更けにけり

ただならぬ花のにほひをめでにつつ雨ふる庭にたちばなを見る

庭の()花橘(はなたちばな)はにほへども()ふ人もなし五月雨(さみだれ)の降る

橘のはな散る里の君もへばこの初夏(はつなつ)のしづごころなき

庭の()にたち()で見れば橘の花のにほひか風かをるなり

橘の花の(すが)しくかをる()を月冴えにつつ時鳥(ほととぎす)なく

五月雨(さみだ)るる庭のおもてに橘の花こなごなに散れるさびしさ


橘は橘諸兄と橘奈良麿の姓となっており、万葉集では重要な花で、多くの歌があります。特に、大伴家持に関連した歌がたくさんあります。
ここにも時鳥が出てくる歌がありますが、時鳥と橘の組み合わせは万葉集にもいくつかあります。

橘の花

カラス

傷める烏

温泉()の宿のわが徒然(つれづれ)(なぐさ)むる(からす)無二(むに)の友なりにけり

親羽(おやばね)をきられし(からす)()けくれを()()ひにつつなきさけぶなり

(からす)()やうやく人に()れそめて庭を飛びつつ()ぐるとはせず

里の子らは(つど)(きた)りて金網の(おり)(からす)にたはむれてをり

ゆかりなき(からす)ながらも人に()れて()()ふさまの(めず)らしきかも
        O
新緑のもゆる()かげ、(からす)()()(あた)へてゐる(すが)しいまひる


カラスの歌なんてめずらしいでしょう。カラスの仔が巣から落ちて、親にはぐれて人に飼われている。逃げないように羽の一部を切り取られている。ここらの人はカラスに悪いイメージを持っていないらしい。現代とは違う。今ではこのようなことはないでしょう。約70年間の文明(技術)の発達が、日本人とカラスの、いや日本人と動物の関係を変えてしまったのだろうか?



馬に乘つて通る村男(むらおとこ)がある、五月(ごがつ)の馬の匂ひはよい


この歌、癒されませんか?

タンポポ

蒲公英(たんぽぽ)の花の茎をくはへながら茶碗(ちゃわん)の水に(あわ)をふかしてゐる子ら


この蒲公英は日本のたんぽぽでしょうね?子供を見るやさしい目。これこそ王仁三郎ですね・・・

日本たんぽぽ

西洋タンポポ

寒村

どの家にも電燈(でんとう)がともつてゐて、文明に呪はれた寒村!

軒先(のきさき)街燈(がいとう)が白けてほんのり明るい東の空

何年たつても進歩のあとをみない蒲公英(たんぽぽ)の花だ、山裾(やますそ)草家(くさや)の軒


この3題の表題は「寒村」。前も後ろも、湯ヶ島温泉を歌っていますので、湯ヶ島温泉かその近辺を歌っていると思われます。
王仁三郎が歌うと「文明に呪はれた」というフレーズが大きな意味を持っているように感じてしまいますが、深い意味はないのかも知れません。

クローバ

クローバの花のましろに咲く庭に辨當(ベんとう)ひらきて遊ぶ子のあり


この歌は湯ケ島の歌です。温泉の敷地か、散歩の光景でしょう。子供を見る目、やさしいですね。こんな歌をいっぱいばらまいて、少しでも悪霊(たぶん)の子供に対する攻撃の霊的バリア(これはやさしさのエネルギー束)に出来たらなと夢想しています。

蒙古の月(思出)

愛善(あいぜん)の道を蒙古(もうこ)にひろめむと命をかけて進み入りたり

アジア人のアジアにせむと甲子(きのえね)の春たち()でぬ蒙古の空に

ウラル山遠くふみこえ外蒙古(そともうこ)(たみ)すくふべく(こま)にむちうつ

(うる)はしく(あんず)の花のひらきたる初夏(しょか)山野(やまの)をかけめぐりゆく

()てしなき蒙古(もうこ)荒野(あらの)のあさかぜに旗なびかせて駒を進めし

月清く冴えきる蒙古の廣き野に戰ひ死すともくいずと思へり

夕されば四方(よも)山邊(やまべ)に燃え(あが)野火(のび)のあかるき蒙古野(もうこの)の旅

人の世の(いくさ)のさまも知らぬがにほほゑみたまふ蒙古野(もうこの)の月


満州国の話題があったら、ちょうど、蒙古が出てきました。2番目の歌など、今後の時代には好まれるでしょう。
でも、「アジア人のアジア」と言っていた、もしくは言っている人たちが、果たしてほんとうに同じ夢を見ているのでしょうか?私は王仁三郎ファンだから、王仁三郎はこの歌の通りだと思いたいですが・・・この歌は複雑な気持ちにさせます。

教子の死を悼む

教へ子は世をまかりしと知らせありしこの夕暮をさみだれの降る

うつしよにあひ見む(すべ)はなけれどもたましひ(かよ)へわが夢枕(ゆめまくら)


以前にこの歌を読んだ時、最初、見出しを教子(きょうこ)って読んでいて、「また、新しい女だ」と思ったことがありました。でも、ここは「おしえご」。男の人のようです。
深い悲しみが感じられる歌です。下の歌など、大本の信者じゃなくても、宗教の信者じゃなくても、自然と理解できるのではないでしょうか。

女の描写

(かご)のセキセイインコが(ひと)()の自分をそそつて夜の街を歩かせる

カフエーの女だらう、湯上りの金盥(かなだらい)を持つた(まま)そつと横路(よこみち)にそれた


散歩に出た時に見た女をただそのまま描写したものです。カフエーの女。それにしても、王仁三郎がオンナを描写すると上手(うま)い!

新聞

便利の悪い湯ケ島の温泉(おんせん)に遊んで新聞の遅いのに困つてゐる

王仁三郎は霊界物語では「他人の本を読まないように神界から禁じられている」と言っているが、新聞はよく読んでいたようで、ラジオも聞いていたようだ。
王仁三郎の自伝に、「子供の頃、大人に新聞を読んで聞かせてやった。その頃は文字を読めない人が多かったので、自分が日露戦争の結果を新聞で読んで知っていると予言者みたいに思われた(調べずに書いているので少し違っているかも知れない)」というのがあった。狭依彦さんも、小さい頃から新聞が読めたような覚えがあったので、17年くらい前これを最初に読んだ頃は「俺もそうだった」と王仁三郎に親近感を覚えたものでした。(そんなはずはないか)

元気な子供

あれあれといふまもあらず里の子は素裸(すはだ)となりて(ふち)にとびこむ


湯ヶ島の村の子供でしょう。元気だ!

田植え女

泥深き沼田(ぬまだ)板子(いたご)なみ渡しあやふげに(なえ)()うる乙女子(おとめご)


働くオンナを描写した歌。ただ状景を歌っているようだけれど、「あやふげに」というところが効いているんじゃないだろうか?

マガレツト

マガレツトの花さびしげに咲いてをり箱根の町の藁屋(わらや)(のき)


マーガレットよりマガレットの方が響きがよい?この歌は、「さびしげ」があまり効いていないような感じだ。あまり出来はよくないかも。

よごれたエプロン

入梅(にゅうばい)の空はよごれたエプロン、雲の奥から月がボンヤリ(のぞ)いてゐる


この形式をなんと言うのかわからないけど、新しい短歌の形式でしょう。たまに見受けられます。

彼女

温泉()の宿のつれづれにキングを()んで慰めてくれる彼女

純潔な彼女が自分の手を洗つてくれた、白いハンカチーフ

純潔な乙女の心を思ひながら天城嶺(あまぎね)山躑躅(やまつつじ)(たたず)んで見る

やはらかな肩と肩ふれながらでこぼこ道を自動車で走つてゐる楽しさだ

うちとけたやうでうちとけられぬ微妙なものをもつてゐる二人

冷笑で迎へた彼女の胸に嫌忌(けんき)の二字がきざまれてゐる

二人ひそひそと()く月夜の庭、小松のかげが人間に見えて()

林檎の皮をむきながらそつとその(きみ)の横顔をのぞいてみるはかなさ

ひきとめられながら()ねて二足三足歩いてみる彼女の前

何でもない様にいつてのけた後で自分の軽率さを()いている



この一連の歌は私の「うろー」でもとりあげていますが、順を追って見てくると、昭和7年の6月か7月湯ヶ島温泉で詠まれたものでしょう。そして、これまでの歌の中でこれらの歌だけがオンナの存在が王仁三郎の近くにあるように感じさせます。これまで、オンナを詠んだ歌はすべてコメントしてきましたので比較できると思います。
どんな関係?
いったい誰?
ただの付き人で、出来事を恋に仮託して歌ったの?
王仁三郎62歳。よく読んでみると、ふられたようにも思えますね。
また、「彼女」という言葉を意識して使っています。今は英語教育の影響で「彼女」という言葉は一般的になっています。王仁三郎はどこで学んだかわかりませんが(たぶん独学)、結構英語を知っていたようで、霊界物語にも難しい単語が飛び出します。実は英語の意味の「彼女」は日本語の文脈では使わない単語で、英語の解釈で主語を無理やりたてるために使われます。だから、日本語での「彼女」は実態のないものを指します。
王仁三郎はこの「彼女」の機能を知っていて意識して使っていると思います。すごいな!

子供の歌?女の歌?

温泉(おんせん)(かけひ)をもるる湯のしづく(てのひら)にうけて遊ぶ子ろあり


湯ヶ島温泉にて。

子ろ 『万葉集』では女性、妻を表します。ということはオンナの歌か?
私の感じでは子供の歌のような気がしますが。

『万葉集』に有名な歌があります。

筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろが布乾さるかも

あしがりの土肥の河内に出づる湯のよにもたよらに子ろが言はなくに

14 3369 あしがりの麻万の小菅の菅枕あぜかまかさむ子ろせ手枕
14 3424 下つ毛野みかもの山のこ楢のすまぐはし子ろは誰が笥か持たむ
14 3473 左努山に打つや斧音の遠かども寝もとか子ろが面に見えつる
14 3504 春へ咲く藤の末葉のうら安にさ寝る夜ぞなき子ろをし思へば
14 3509 栲衾白山風の寝なへども子ろがおそきのあろこそえしも
14 3513 夕さればみ山を去らぬ布雲のあぜか絶えむと言ひし子ろはも
14 3522 昨夜こそば子ろとさ寝しか雲の上ゆ鳴き行く鶴の間遠く思ほゆ
14 3525 水久君野に鴨の這ほのす子ろが上に言緒ろ延へていまだ寝なふも
14 3530 さを鹿の伏すや草むら見えずとも子ろが金門よ行かくしえしも
14 3532 春の野に草食む駒の口やまず我を偲ふらむ家の子ろはも
14 3537 馬柵越し麦食む駒のはつはつに新肌触れし子ろし愛しも
14 3539 あずの上に駒を繋ぎて危ほかど人妻子ろを息に我がする
14 3541 あずへから駒の行ごのす危はとも人妻子ろをまゆかせらふも
14 3543 むろがやの都留の堤の成りぬがに子ろは言へどもいまだ寝なくに
14 3564 古須気ろの浦吹く風のあどすすか愛しけ子ろを思ひ過ごさむ
14 3565 かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月片寄るも
20 4431 笹が葉のさやぐ霜夜に七重着る衣に増せる子ろが肌はも


湯ヶ島で思う

もくもくと()き立つ溪間(たにま)白雲(しらくも)を見つつ思へりわがなさむこと


将来のことを思っている歌。昭和神聖会、第二次弾圧に続く道を思われていたのでしょうか?

著書と生命

血と汗と涙で(つづ)つた自分の著書がいつまで生命(せいめい)を保つだらうか

空が澄みきつて芝生が青い、()きつまつた農村經濟に心がいたむ

何といふ冷淡さだ、診察料の高い院長の検脈

形式的な好意を形式的に感謝してゐる冷やかな眼のいろ


-ここから少しの間、一連の歌を紹介します。
いちばん上の歌は、王仁三郎の人間意識の本音というところでしょうか。これほど率直に表明されているところはあまりありません。

形式的な好意を形式的に感謝してゐる冷やかな眼のいろ

この歌は院長さんのことを歌っていると思いますが、現代にももっと当てはまるのではないでしょうか。これなしでは生きてゆけない。誰かが、現代の人生を生きるには「和光同塵」でなければ生きられないと言っていましたが、このことを感じる自分の感情を圧殺して生きることを言うのでしょう。
もし、このことを感じる自分を圧殺できなければ、その人はバカもしくは悪い奴と言われるでしょう。そんな私です。

楽天主義・進展主義

樂天(らくてん)主義の俺の周邊(しゅうへん)はいつも百花爛漫(ひゃっからんまん)の春だ

さきへさきへ進まうとする自分、過去の悲痛な夢をくり返したくない


楽天主義、進展主義は王仁三郎の思想の重要な部分です。この歌は、やはり、その中でも人間意識の出たものだと感じられます。

躍動する感情」は一連の歌を紹介します

今日のひと言

成功疑ひなしといふ確信がいつも自分の心に(むち)をうつのだ


今の時代にはこんなことを言う人はいっぱいいる。王仁三郎の時代はどうだったのだろうか。その前提が無いとこの歌は解釈できない。なぜなら、この言葉は今では陳腐になってしまっているから・・・

ヒットラーとチャップリン

フアツシヨのあとから矢繼早(やつぎばや)に海を渡つてくるヒツトラの感情


チヤツプリンの來朝(らいちょう)を救世主の降臨(こうりん)のごと騒ぐ日本人(にっぽんじん)輕率(けいそつ)さに(あき)れる

前にあげた「躍動する感情」の一部の歌です。

うろー「ヒツトラ」で検索

チャップリンについての歌は、今後の課題ですね。ただ時勢を批判したものか、深い意味があるものか・・・
ファッショの歌を見て、単純に、王仁三郎はファシストだったと批判してはなりません。ヒットラーについても同じです。なぜなら、王仁三郎の歌は昭和7年に書かれたものだからです。その、時代背景をつかんでから発言しなければなりません。ヒットラーが後のヒットラーだとはこの時点では人間意識では分っていなかったはずですから。
後のヒットラーを前から予言していたかはこれも今後の課題ですね。

青い菜漬

青い菜漬(なづけ)の匂ひに若い日の田園(でんえん)生活がよみがへる夕餉(ゆうげ)

青っぽい蠶豆(そらまめ)の莢(さや)を見てもなやましかつた故郷の若き日だ

半生(はんせい)をはぐくまれた故郷の空に魂が飛んでゆく折(おり)をり


「青い菜漬」というのが貧乏生活を思わせることばで、「青い」匂い、草の匂いがしてくるようです。と言っても、私の脳に草の匂いの原型があるかどうか?
若い日を歌った歌。王仁三郎の若い日は、私は、まず出口和明『出口王仁三郎』そして、そのオリジナルとも言える『大地の母』で知っています。この二冊については、王仁三郎の貧乏な若い日と、奔放な女性関係しか記憶に残っていません。でも、これこそが私が王仁三郎に固執するすべてと言っていいでしょう。深遠な教えが書かれているなんて感じたこともありませんでした。
例えば、有栖川宮の事が書かれていても、それまでの予備知識が無い者にとっては、「なんやこれ。〇皇家の血筋がそんなにありがたいんかい。王仁三郎にはそんなもんいらないやろ。」と思っただけ。今でもそうですが・・・(これについての話は知ってはいます。アーカイブにあり)
しかし、読む人によっては「そこから何らかの教え・思想」をしっかり会得しなければならないのですね。本の帯などにそんな前置きがあったら、私は絶対に読まなかっただろう!

新しき天地

教会の神を認めよとはいはぬ、大自然の力をさとらせたい

自然の意志にさからはぬと云ふ心が自分を豊かに(ほがら)かにしてくれる


自然の力と、教会の神とを対置しています。今の時代なら多くの人がこんなことを言いますが、王仁三郎の時代で考えるとどうなのだろうか?
私が一番好きな「神とともにある人」という随筆を思い出します。ただ、この随筆は、加藤明子が書いたと言えるという人もありますが、ここに書かれている、神=自然をずっと王仁三郎に出会ってから持ちつづけていました。

新しき天地(続)

私の着古(きふる)しを()ひかへして喜んで着てゐる(せがれ)がいとしくなる

慈父嚴母(じふげんぼ)主義の家庭にいつも春が漂うてゐる


下の歌だけとりあげたら、今の時代の保守的教育主義者と変りありませんね。この前の「新しき天地」と続けて読むと、下の慈父嚴母(じふげんぼ)主義の家庭というものが、単なる「子供に厳しい家庭」ではなく、新しい意味を持っているような気がします。



手折(たお)らるるなやみも()らになでしこの()みかたむけて道の()に咲く


いい歌!

秋の夕

ヴエランダの窓にさし入る(ゆう)()をまぶしみにつつ煙草(たばこ)すひをり


いい歌。煙草の煙の中逆光が差し込んで光る・・・

建設途上(1)

新聞をしきりに()き出す輪轉機(りんてんき)の音が生きてゐる感じ


天声社で新聞を印刷していたのでしょうか。マスコミの大切さを、「音が生きている」で表しているのでしょう。

建設途上(2)

寄宿舍の生活状態を見て満洲新國家がしのばれる


満州国に関する歌。「寄宿舍の生活状態」ということは、悲惨な状況ということでしょうか?それとも、整理整頓された良い状態というこでしょうか?

旅中思ふことありて

世の中をおそれずくいずひたすらに神の大道(おおじ)をわれゆかむかな

よみがへりよみがへりつつ永久(とこしえ)にわれは(さか)えむ神の大道(おおじ)

人生は時じく敵と戰ひて()くべきものかあさましの世や

かむながら誠の道をゆく人の世は坦坦(たんたん)とひらけゐるなり

(いか)るべき時には怒り笑ふべき時に笑ふは誠心(まごころ)なりけり


これらの歌を旧来の倫理道徳と考えずよく味わわなければなりませんね。特に、一番最後の歌。

旅中思ふことありて(続)

なりゆきにまかせて時を待つといふ人の心の(おろか)さを思ふ

現世(うつしよ)はなべて樂しと思ふかなあした夕ベを神にならひて

及ばざるくり(ごと)いひてなげくより天地(てんち)にひろく強く生きなむ

歌碑

(こけ)むせる多毘(たび)大樹(おおき)下蔭(したかげ)にわが歌碑立つる地を定めたり


王仁三郎の歌碑はエネルギー特異地点、風水で言えば龍脈に立っている可能性がある。日本が沈没しないようにつなぎとめていると言っているひとがあったように記憶している。

八雲山

八雲山(やくもやま)尾上(おのえ)の松に夕陽落ちて里はもみぢに暮れのこるなり

羽久羅山(はくらさん)尾根にかがやく夕陽(ゆうひ)かげをわが窓のべに見つつあかるき


八雲山

羽久羅山はGoogleで検索できず。名前が変っているか?
このあたりは、最近になり考古学の発掘もあり歴史的に重要な地点です。王仁三郎の時代はどうだったのだろうか?

城之崎

虚無僧(こむそう)竪笛(たてぶえ)(おと)さやさやに城ノ崎町の秋をながせり

カラコロと板橋(いたばし)わたる浴客の足駄(あしだ)の響きに秋はこもれり


この時代の城之崎-志賀直哉の『城之崎にて』とだいたい同じくらいでしようか?この二首、その場の雰囲気を良くとらえているように感じられるのですが・・・



水あせし河のほとりにもくもくと牛の仔草をはみて遊べる


牛も動物!生き物!感傷的かも知れないが・・・この牛は、農耕牛だろうか。

竹田別院

地の上のあらむ限りの國國(くにぐに)をひき寄せてみむ愛善(あいぜん)(さと)

国といふ国のことごと八十綱(やそつな)をかけてむすばむわが愛善(あいぜん)

山に野に秋は來にけり虎臥(とらふせ)城趾(じょうし)のさくらもみぢそめつつ

虎臥(とらふせ)の山のすがたの(きよ)らかさ立雲峽(りつうんきょう)とむかひあひつつ

山と山重り合ひてもみぢするながめよろしき虎臥(とらふせ)の山


虎臥山は兵庫県朝来郡和田山町竹田にあり、大本では竹田別院があったところです。そこを歌った一連の歌。竹田別院は愛善郷と呼ばれていたようですね。

http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-6-10-TAKEDA.html

乙女

マツチさへろくにすりえない乙女のおぼこさにうつとりさせられる

付き人でしょうか?

子供の歌二題

生垣(いけがき)をたくみにくぐり村の子が庭のおち栗ひろひにげゆく

わが行けは村の(わらべ)ら集りて道のかたへにささやきみてをり


関東地方を巡行したときの歌です。
子供の生き生きとした姿が写されています。

乙女

コスモスの花から()るやさしい感情、乙女の純情をおもふ


乙女などという言葉はもう死語になってしまたのではないでしょうか。こういう歌を集めていたら、女性差別と怒られるだろうな・・・

大利根スケッチ

大利根(おおとね)のつつみを行ける里人のかげはかすみてたそがれにけり

虫の()にふけゆく秋の(ふさ)の野は雨の音さへ静かなりけり


「里人のかげはかすみ」周りの歌からこの日は雨が降っていたことが分る。上の歌などは、日本画にありそうですね。川合玉堂でしょうかね。大好きな画家、菱田春草もそんな絵を見たことがあったのでちょっと本を開いてみたら、「帰漁」という作品がありました。小川芋銭にもありそう?

藤原義江

越後路(えちごじ)のたびの夜汽車の寢台(しんだい)にはからず見たり藤原義江(ふじわらよしえ)


藤原義江
は藤原歌劇団を創設したテナー歌手。私は、今調べるまで女性だと思い込んでいました。男性なのですね。
「はからず見たり」というところが気持ちを表しているようです。

林檎

まつかな林檎(りんご)が兩側の店頭(てんとう)にならんでゐる、青森の朝の街道

どれを見ても林檎(りんご)のやうな顔してゐる青森市の婦人たち


この歌はあまりいいとは思わないけど、一応、女の歌なのでとりあげました。

農村不景気

農村不景氣の現状(げんじょう)を見ながらさびしい北國(ほっこく)の旅


農村の疲弊と王仁三郎の活動の関係は、昭和期の活動を考える時、大きなテーマだと思います。今後いつかまとめたいテーマです。

芦別山

芦別(あしわけ)の山のみたまに招かれて蝦夷ケ島根(えぞがしまね)をいゆくわが旅

芦別山は国常立尊が隠れた山とのことです。この他にも関連する歌がたくさんあります。ダウンロードできるようになったら見てください。

大本教団の若い人たちが平成16年に教祖と山に登った記録。(ひさしぶりに大本のページを見ました・・・?)

http://www.oomoto.org/juk/tusin/kansou/asiwake.html

http://www.oomoto.org/juk/tusin/hokoku/asi.html

芦別山(続)

芦別(あしわけ)のやまを立ち()四王(よつおう)のみねにうつらす常立(とこたち)の神

たださへも(すが)しきものを芦別(あしわけ)の雪にかがよふ夜半(よわ)の月かげ

やがていま金輪聖王(こんりんじょうおう)世に出でてみろくの御代(みよ)をきづきますらむ

にぎたへのあやの高天(たかま)(あら)はれて世をまもります金輪聖王(こんりんじょうおう)

芦別山(あしわけやま)見るにつけても神つ()若姫(わかひめ)の神しのばるるかな



国常立尊が隠れた山芦別山。その国常立尊は再び世に出て四王山(綾部)に来られた。金輪聖王=国常立尊と思われますが、「金輪聖王」のDB検索結果は1件、また、「金輪王」は裁判記録では次のようになっています。

問 金輪王と云ふのは誰を言ふたのだ。
答 是は仏法の中の金輪王と云ふのです。
問 金輪王と云ふ俳名を使つたことはありませぬか。
答 ありませぬ、私はペンネームは沢山ありますが、金輪王なんと云ふのはありませぬ。
問 さうか。
答 さう云ふ俳名を書いたものは、私は知りまへぬが、書くのを止める訳にいかしませぬ。
問 さうすると是はどうなるのだね。
 天之巻の五頁に、宜いかい、「綾部よくなりて末で都と致すぞよ。福知山、舞鶴は外囲ひ、十里四方は宮の内。綾部は最中になりて金輪王で世を治めるぞよ」是はどう云ふ訳だ。
答 それは神都の意味であつて、あそこは都になりさうな所ではない。狭い所で竿竹が山から山に掛かるやうな所で、あそこが都になると云ふことはない。
 私が行つた時分には、教祖が書いた其の時分には家がなかつた。今は二千戸位になつた。それが神の都になつたのであると云ふことで、それで神の都になると云ふことを言つたのです。
問 金輪王と云ふことは、是は……。
答 金神が治めると云ふことです。
問 予審に書いてあることは矛盾するから訊かなければならぬ。
 弁解を訊かなければならぬことがあるから訊くが、五十三回の五問答に於て、「昭和十年の十月初め頃、瑞祥閣に於て、東尾と桜井重雄に対して、自分が金輪王となつて世界を統治する者であると云ふことを話したことがあるやうに思ひます」と云ふやうに……。
答 「言うたやろ」と仰しやるから、さう言はなければ、どう言ふたつてあかしまへぬが……。
(此の時、証拠を示す)
問 此の金輪王と云ふ額は……。
答 是は龍田と云ふ人が書いて来たのです。筆先に金輪王と云ふことが書いてあるから書いて来たのでせう。
 此の人は米一粒に百人一首の歌を書く人です。

そして、予審調書では「金輪王は王仁三郎のことである」とされていますが、王仁三郎はこの部分は「検察が勝手に書いたのだ」と主張しています。

問 「尚、教祖は老齢でありましたから、私の肚の中では立替立直をして、教祖を日本及び世界の統治者にしようと云ふ気はありませぬてした。又教祖自身も、日本及び世界の統治者にならうと云ふ気はなかつたらうと思ひます。大本は、最初教祖を中心にして、発展したのでありますから、私も教祖在世中は、主として教祖を中心にして、国常立尊が再現して、教祖を霊代として、此の世の立替立直をするのであるとの教義を立てて宣伝し、私は『月読命の霊代として、国常立尊の立替立直の神業を補佐するのである』と説き、時には、立替立直後統治者となる人は教祖であると思はせるやうな説き方をしたこともあります。他方に於ては、既に教祖在世中から、私が金輪王又は一つの王として、世を治めるのであると云ふ趣旨のことを暗示し、教祖が、国祖国常立尊の霊代であると共に、天の主宰神たる稚姫君命の霊代だからと、説いて居つたと同様、私が豊雲野尊の霊代たると共に、天の主宰神たる撞の大神、ミロクの神の霊代なりと称し、『教祖が書いた、梅で開いて松で治めるとある筆先の意味は、梅即ち教祖は世の立替立直後日本及び世界を統治する者は、松即ち私である』と説いたりして居りました。」と、斯う書いてあるね。

鎌先温泉

冬菜(ふゆな)売る里の老女(ろうじょ)のかしましさ朝の道べに客をよびつつ

山の温泉()不便(ふべん)を吾はゆかしみてはるばる鎌先(かまさき)温泉(おんせん)に來つ


鎌先温泉


最上屋旅館一条旅館のどっちに宿泊したのだろうか。

女の描写

草枕(くさまくら)旅路(たびじ)のうさを(はら)はむとじやれ言をいふ吾を許せよ

白魚(しらうお)(やは)少女(おとめ)指角力(ゆびずもう)取りつつ勝たむ心起らず

薙刀(なぎなた)にくせのつきたる藁箒(わらぼうき)持ちて客間(きゃくま)()ける宿の()


オンナの描写です。

昭和青年会

昭青(しょうせい)會歌(かいか)の声におくられて夕日(ゆうひ)かがよふ白石(しらいし)を立つ


列車が駅を出るときの見送りでしょうか。状景が浮かんでくるようです。しかし、王仁三郎は昭和青年会で何をしようとしていたのでしょうか?

女の歌

彼女(かのじょ)本心(ほんしん)をときかねてゐるさびしい俺、窓外(そうがい)には吹雪がうなる


これは、一般的な他の人の心を歌ったものか?

右と左

右だ、左だ、眞中だ、フアツシヨだ、こんなこと言つてる社会の一年はもう暮れてゐる


私は、今は、「右も、左も、中道も、ファッショも同じものだ。裏には同じ人々がいる」と信じている立場にいますが、王仁三郎もそうだったのだろうか。もしくは、ただの社会批判の歌なのだろうか。

第1.1版(一部修正)2015/01/02

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