霊界物語
うろーおにうろー

論考資料集

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帰神・神懸・神憑

神霊界 1919/08/01 随筆

 自己天賦の真霊魂を守護神と霊学上から唱へるのである。是が大本で謂ふ所の本守護神である。大本で副守護神と謂ふのは、他から憑依した霊魂である。憑依した霊魂を古事記にては神懸と書き、他の古典には神憑と書き書記には帰神と書いて、何れもカムガカリと読ましてある。自己の真心を発揮して、活用せしむるを帰神と日ふ。帰神は他神の憑依したものでない。他神の憑依したのを神懸又は神憑と云ふのである。
 古典にも有徳な神人に神霊の憑依された例証は散見されるが、大本教祖の如き御方には神憑が在るが、俗世界に沈溺した人々には真正の神憑は無いと断言して良い。神憑は沢山に世界にもあり大本の信者の中にも見受けるが、慨して邪神の憑依者である。吾師長沢先生が数十年間霊学を研究され、真正の神憑を造らんとして焦心して居られるが、今日に至つて未だ是なら真正の神憑と認めて差支なきものは、出来て居らぬのを見ても、神憑の容易に修得されない事が判るのである。
 普通の世間に神憑と称ヘて居るものは、大抵狐や狸や蛇や亡霊の憑依であつて、約り俗に日ふ稲荷下げ梓巫の如うなもの斗りである。容易に鎮魂の修行をしても、真正の大神が憑られる事はない。大神の憑依さるゝ場合は天下国家の一大事を人界に警告さるゝ場合に、有徳の人、殆んど神様のやうな水晶の如うな霊魂を有する神人に依りて、神憑の手続を採らるゝのである。
 日本は善言美詞を以て、万霊を言向和す神国であるから、実際に於て人々の霊魂や肉体に害悪を加ふる邪神の霊でも、是を頭から悪霊邪神と称えず、善言美詞を以て妨害神でも一時之を守護神と日ふ美名を与ヘて、改心帰順せしむるのである。要するに真正の守護神は自己特有の真心の別称で、副守護神と称するのは、他から妨害に来て居る悪霊を指したり又た善神に憑依したのを云ふのである。
 又た天照大神や国常立大神や、其他の神聖な神々が、真の神人に憑依された場合は、之は天地の守護神国家の守護神と日ふのであります。
 金竜殿で鎮魂帰神の修行をするのは、決して神憑りに成ると日ふ目的ではない。元来は至純至粋の真霊魂が臍下丹田に隠れ、他の憑依物が、肉体及び良心を犯して了ふて居るのを駆除し、払拭して清浄無垢の大本の神霊(所謂本守護神)の進路を開拓し、各人天賦の使命を自覚遂行せしむる大目的である。病気直しや神占を施行するのが目的では無い。病気直しや神占位は狐狸でも蛇でも亡霊でも、少々腕の有る霊は行るものである。神占が的中し、病気を直すから真正の神と思ふたら、大なる誤解である。大神は左様な事の為に、不潔な人間の曇つた霊体に憑依さるゝものではない。神占をしたり病気直しは人間界で言ふても、易者や医師や按摩の職業である。高等官が易者をしたり、按摩を為ないのと同様に、高級な真正の神は左様な事を成さる暇がない。モツト他に重大なる御任務を以て居らせられるのである。
 僅に数ケ月間の修業の結果、天津神や大神が憑られたり、大国常立尊が憑られたりする如うな事は、絶対に無いと日ふても差支はない。夫は皆邪神の誑惑にかゝって居るので有るから、各自に注意せねばならぬ。
 大抵は野天狗の憑依して、大きいホラを吹き立て、信仰の浅い人達を迷はすものである。ソンナ神に憑られた人は実に気の毒なものである。自分から厳重な審神をして、一日も早く祓って了ふか、審神者に除けて貰って、真正の帰神になって貰いたい。帰神と日ふ事は天賦の本霊に帰復する事であります。
 神人合一とか、魂肉一致とか、精神統一とか日ふて、種々の霊的研究が行はれて居が、要するに吾人の霊魂も肉体も、天地の神霊から応分に賦与されたものであるから、教祖の御神諭に現はれて在る通り、生れ赤子の心に帰れば夫れで真の神人合一である。天地合体である。霊肉一致である。精神統一である。一升の舛に一升の酒が容れてあればそれで良のである。肉体は一升の舛でも霊魂が五六合しか無い。後の四五合は不純な泥水や異物が補充して居るとすれば、清らかな酒の味も、力も、香も無いやうに、他の邪霊と云ふ泥水や、異物が混入して居る霊体は、人としての味も力も香も徳も無い、是を大本では体主霊従、悪霊の宿と云ふのである。此の悪霊の宿を清めて大神の御在所と改造するのが鎮魂の大目的である。生れ赤子は今と云ふ瞬間の事より何も考ヘて居ない。過去を恨みず畏ず、未来を遠慮せず、今と云ふ瞬間に自己の使命を惟神に遂行して行くのである。人間は各自一定の目的が在る以上は、士農工商何れにしても、一度其目的に向ふて進む以上は、過去を思はず未来を遠慮せず其目的に向つて最善と思惟する所を、時間と共に水の流れに任すが如く、易々として進めば良いのである。今といふ瞬間には神も悪魔もある善悪正邪の分水嶺である。其の刻々に善を思ひ、善を言ひ、善を行ひ、過去と未来に超越する。是れが所謂生れ赤児の心で神人合一、天地合体、精神統一の真の状態である。鎮魂法で無理に精神の統一を為さむと思ふ其心が、既に統一を欠いて居る。太霊道や静座法や其他神霊法で統一せうと思ふのは大なる誤解である。鎮魂の必用は是以外に在るのである。
 本田親徳先生や、長沢先生の帰神法と日ふのは、第一に幽邃の地と閑静の家を撰むと日ふ事になって居ります。本田先生は深山幽谷で修業をなし、田舎の寂しい一ツ家とか、奥深い神社などを選むで、最上の修業地とされて居る。是は従来の行者なぞの行り方である。大本の霊学は、神界から定められた霊地、下津岩根の地の高天原で修業する事であるから、何程喧しいでも、人家密集の場所でも少しも構はぬのである。又た一切の妄想を除去する事が一つ条目になつて居りますが、到底深山へ入つて見ても、妄想を除去する事は、肉体の在る限りは無理な注文である。不可能である。何人が実験されても、吾人の説が首旨〔肯〕されるのである。其の妄想を除去する迄に神人合一を行のが大本の霊学である。又た感覚を蕩尽し意念を断滅するのが一の条目であるが、是も到底肉体の生命の在る限りは、感覚を蕩尽し、意念を断滅する事は無理である。否な不可能である。大本の霊学は決つして感覚を蕩尽したり、意識を断滅せしめたり、左様な妖術的な事は神界が許さぬ。大死一番の境とか良く云ふ事であるが、意志の薄弱な人で、無智蒙昧でなければソンナ状態に為る事は出来ぬ。人格を失つたもので無ければ、到底実験上本田先生や、長沢先生の行り方は駄目である。中には特殊の人に右の様な状態の現はれる事は在つても、一般的には行かぬ。或る特殊の人物に限つて出来る神術なら、是を社会へ布衍する資格の無いものであると思ふ。
 私としては本田先生も長沢先生も殊恩ある師である。それにも拘らず、自分の実験上の意見を紙上に発表する事は実に心苦しいけれども、又た多数の同胞を誤らしめる事は、天地の神明に対し奉つて畏れ多いのみならず、大切なる神の御児たる人間に対して済まない。今日までは両師に敬意を払つて沈黙を守つて居ましたが、最早、惟神の時機が切迫しましたから、涙を呑んで此稿を書きました。又た両師の修行法に、心神を澄清にし感触のために擾れざるを務む可しと云ふ事が、一つの条目となつて居りますが、是は要するに大聖人か君子にして、始めて出来る事であって、普通一般の人にはダメであり、不可能である。心神を澄清にする為の鎮魂であり、帰神である以上は、最早、神心を澄清にし感触の為に擾れざる様に神力が出来たなれば、それで完全したものである。守護神や鎮魂帰神の法や霊魂上の細密の問題に付ては、今後随筆的に書いて見ようと思ひますが、今日は唯だその大意だけを述べたに過ぎませぬ。
 大国常立尊の神諭は、教祖に憑りて書かれたのと、教主に憑りて書かれたのとは、文体が相違して居るが、是は何故に同じ神様であり乍ら、人が変ると文体が変るかと疑問を持つ人が有る様ですが、神は万物普遍の霊であり、伊都の千別に千別て天降り(神憑の意)玉ふもので、恰も水の方円の器に由て其形を変へ、其器の大小に由つて多尠の区別、重量の差か出来るのと同じ事で、千変万化の妙用あるのが、神の神たる所以であります。
 天之御中主大神、天照大神、豊雲野大神、伊邪那岐大神、伊邪那美の大神等の傍訓に、ミロクの大神とあるは何如との質問が時々ありますが、総て皇典に現はれたる御神名は、皆神霊の活動の異名でありまして、ミロクは仁愛と云ふ事であり、世界万類を安けく平けく歓こばせ、万世不易の神国を成就せしめ玉ふ、神々の活動を差すのでありますから、大本の真正の役員信者にして、神政成就の為に身心を投じて居る人は、皆なミロクの神の活動者であります。又た国常立尊と申しても、国家を永遠に安立せしめ給ふ神と日ふ意義でありますから、真に大本の教を解して、其活動を為る人は即ち国常立尊である。神界にて指揮命令を下す為に、教祖に神憑あらせられた生神を、特に大国常立尊と奉称するのであります。斯く申すと、大本教は実際的に無神論の如うに聞こえませうが決してそうではない。大本教では、神は万物普遍の霊にして、人は天地経綸の司宰者なりと日ふのであるから、人は神と合一して、神の宮と成つて、神と同一の活動をするのであるから、人は神界の表現であるから、神か人か、人か神か、何れも同一の境地に入るのである。故に外教の如く、神は一神と日ふのは誤りである。八百万の神が存在する訳であります。

神霊界 1919/08/15 随筆

 教祖の神諭に旧暦の七月七日は、毎年天上にて神々の御集会があつたが、世がかわりて、地の高天原で明治二十五年から、神々の御集会遊はす様に成りたぞよと出て居ります。其の霊地は綾部町本宮村の神宮坪の内であると誌されてあるが、其の坪の内と云ふのは、現今の大本の西石の宮が建設されてある場所である。古来坪の内と称し、平素空地であつて作物もせず建物もせず、人々の手の出さぬ所であつたが、教祖様の主人政五郎氏が、始めてこれを幾何かに買取り、我屋【しき】と一つにして、住宅を建てられたのである。
 其の霊地に於て教祖の肉体に艮金神国常立尊が神憑あそばしたのである。其の後毎年七月七日は、特別に清浄にして神々の御来集を待つ事に成つて居るのである。
 修斎会幹部の役員の行動に就て、種々の悪言を吐く会員が、地方には少し斗りあるさうであるが、今後はいざ知らず、今日迄の我々の見る所では、少しも非難すべき点を認めませぬ。勿論意見の相違した点は間々有りませうが、各自の器相応にょり、神界の事柄は判らぬものであるから、教理に就て多少解釈の相違する点はあつても、是は各自時の力で無ければ一致する事は出来ませんが、大局に明にさえあれば、末梢部の事位いは次に廻して置いても、自然に判る時が来るものです。
 中には修斎会幹部の役員に対し我の意見が容られないのを憤慨して故意に中傷したり、或は道庁途説を妄信して、幹部攻撃を行る人もありますから大本の会員諸氏は各自に注意して貰はぬと、ウカッに誤聞を信じては成りません。王仁三郎の居ります間は大丈夫ですから、安心して幹部の役員を信任されん事を望みます。
 人は各自に我身の上の事は気の付かぬものである。之れに反して、他人の事は塵のやうな小さい事でも、其の失が見えるものである。
 鎮魂帰神の修業が少し進んだかと思ふと、直ぐに野天狗に成つて了ひ、会長の説が何うの、会監の話が何うのと判りもせぬくせに判つたつもりで、自由行動や反対行動を取つて、終には大本へも寄り附かぬ人が出来て来る。大本の役員さんが不行届なのか、其人が慢神して居るのか。兎も角も傍から見て居ても面倒い事である。神様は結構だが、教主は信じない、又信じては行かぬとか、教主は信ずるが、会長は信じないとか、会長は信じても他の役員の云ふ事は信じないとか、誰の云ふ事が本当だとか、嘘だとか、誤解だとか、種々の批評が出る相であるが、今日天下の形勢に注目したら、ソンナ気楽な下らぬ事を云ふて居る場合ではあるまい。些細な小言は中止して、国家のために一大団結力を養はねばなるまいと思ふ。
 今の日本の上に立ちて働く守護神に、神国に生れて神国の政治を致し乍ら、神国の精神を忘れて、外国の石屋の計略に陥り、薩張り四ツ足に成り切りて了ふて居るから、幾度守護神を立替て見ても、牛を馬に入れ替るだけの事で、矢張り何所までも四ツ足の守護神であるから、一日先の事も見えず、其の日暮の政治の行り方斗り、何もかも一切万事が行詰り、世界中食物が不足致して居るのに、未だ気が付かず、気楽な事を申して居る守護神が上に立て、苦労や難儀をチツトも弁知ヘぬから、下の人民の今の困難、何時神諭の通り、何所から何事が破裂するやら、判らんやうに成つて来たのである。伸張すべき国威は日に月に失墜し、国民の生活は日増に困難に陥る斗りであるが、モウ此の行先きは、二進も三進も行けぬ様に成るのは、火を見るよりも明らかな事実である。神国天賦の天職を、上の守護神が無視して了ふて、薩張り石屋に知らず/\に抱き込まれ、抱落しに懸られて、外国に対しては神国の威勢を惰し、多数の人民に対しては深き恨を買い乍ら、利己主義の精神を立貫かうと致して、臭い物に蓋をする如うな、頭を隠して尻をかくさぬ、向ふ見ずの世の持ち方、是では国が潰れるより仕方が無いではないか。吾々は二十余年来所在艱苦に堪えつゝ社会から狂人扱ひにされつゝ、至誠至忠、素志を飽く迄も貫徹し、現代の窮状を救はむ為めに、一切の体慾にはなれて、以て斯道を天下に拡充しつゝあるのであるが、今日は上の守護神の力では、到底これを修斎して、神国の天賦的国体の活用を全うする事は出来ぬ。此上は神明の加護と、皇上の御稜威と、下国民の忠良なる至誠に依るより、外に道はないのである。
 王仁前号に、杢兵衛の肉体を守る本守護神は、杢兵衛の肉[#レ一]体[#二]に宿る霊魂である。父杢兵衛の霊を守る物は、杢兵衛の肉体であると書いて置きました。夫れに就て或人から、杢兵衛の本守護神と、杢兵衛の精神とは何ういふ関係であるかと尋る人がある。本守護神と云ふのは、所謂霊魂である。精神といふのは、杢兵衛の体の要求により、活動する心象である。譬ば胃腑が空虚を訴えると、直ちに食物を欲求する心が起る。
 咽喉が喝すると湯や水を欲求する心が起る。眼に美しきものを見ると、之を愛する心が起る。是等は皆体の欲求や必要に応じて起る精神であつて、是も或る意味に於ける体主霊従である。霊魂即ち本守護神なるものは、肉体の根本を守る神霊であるから、体の欲求には関係がないのである。併し肉体は空腹を感じたり、喝を覚たり、其の他に種々の感覚を興す、其本元は矢張り本守護神の神力である。若し悪霊が肉体を守護する場合は、感覚を蕩尽させたり、意念を断滅させたり、種々の奇怪な事をするものである。催眠術に掛つた時なぞは、全く邪神の活動斗りであつて、肉体を守るベき本霊、即ち本守護神の活動を妨げられた時である。
 腕に烙鉄を当てゝも、針を刺しても、火中を跣足で渡つても、少しも痛熱を感じないのは、全く邪霊に本守護神の牙城を占領された時である。
 併し普通一般の世俗は、斯る邪神の誑惑を非常に有難がつたり、感心したりするものである。昔から正法に不可思議なしと云ふ事がある。現代は一寸変つた事でさえあれば、凡俗の多い世の中であるから、大いに持てるのである。
 私は七歳の時から神憑状態で、突然に身体が中空にとび上つたり、種々の予言をしたり、人の病気を直したり、人の知らぬ事を知つたり、里人からは不思議な子供じや、神つきじやとか、神童じやとか言はれたものでありました。私の郷里穴太の老人連中に御聞きに成れば事実が判ります。其の後十三歳の年に、或る神道家か私の家へ来まして、この子供は神界の御用をする児であるから、我が教会の弟子に成つて呉れぬかと、懇望された事が在りましたが、両親が許ぬので、農業其他の雑役に従事して居りましたが、十八歳の春王子の梨木坂にて神人に出逢ひ、夫れから私は神軍の一兵卒として御用を勤る可く、御綱が懸つたのであります。併し極貧の家庭を支えて行かねば成りませぬので、止むを得ず種々の労働を行つたり、獣医学を研究したり、牧畜業を営なみつゝ、一方に神理を研究して居たのであります。然るに天運循環し来つて、明治三十一年の如月九日、不図した事より、鎮魂帰神の御用を勤めねば成らない事になり、郷里に於て多数の信者を集めて、鎮魂や帰神を人々に宣伝して居りました。其年の四月三日、長沢氏の部下三ツ屋喜右衛門と日ふ、六十斗りの老役員が訪ねて来て、私は静岡県下清水の稲荷講社の役員三ツ屋と申す者ですが、不二の芙容峰さんの帰神で、上田喜三郎(王仁の旧名)と云ふ人の家へ出張せよと仰せられ、亦た貴下の霊が感じましたのであるから、私と一所に至急静岡ヘ上つて、先生に逢つて、講社の為に御尽力を願ひたいとの勧めであつた。私は稲荷講社と云ふと稲荷下げを聯想されて、不快で堪らなかつたのである。併し一々思ひ当る節もあり、一ツは研究に行つて見て、長沢氏と一議論を行つて見たい如うな心もするので、同月十五日東上して、長沢氏に合ふたのである。そこで私の幼時からの帰神状態を話すると、始めて長沢氏が、それは神界から任命された真正の神憑りであつて、神界の御思召に依つて、貴下が茲ヘ御出に成つたのだと云はれました。私でさえも自分の帰神を神経病ではないかと疑がつて居た際、一見して正しき神憑じやと断言されたのが、私の非常に気に入つたので、長沢氏を師と仰ぐ事になつたのである。併し先生から授かつて、神憑りに成つたのではない。七歳の時からの神憑であつたのである。其の証に、長沢氏より四月十六日、先生に逢つた翌日、直ぐに「鎮魂帰神の高等得業を証す」と云ふ辞令を頂いて、今に大切に保存して在ります。

註、長沢氏は帰神神憑神懸も同一に見て居られるから、帰神と書かれたのでありますが、私のは神憑であり或点は神懸でありました以上、三者の区別は後日説明致します。
 長沢氏の母堂に豊子さんと日ふ賢明な御方が在りまして、本田先生からの遺言なり、遺書なり、天然笛なり玉なりを授かり、又色々の私に対しての約束なり、注文もありましたが、今は故人と成られましたから、私くしも非常に落胆いたして居ります。長沢氏の母上より、本田先生の種々の関係の出来た事は、明治四十二年に私が発行した、直霊軍と云ふ小雑誌に記載して在りますが、後に高和臣と云ふ丹州時報の記者が、両丹の人物と云ふ冊子に、長沢氏から何も彼も伝つた様に誤つて記載したのを、次の記者が又其の通りを伝たから、少しの間違が出来たのでありますが、長沢氏の母堂から伝はつたのを、同氏から伝つたと記して在つた所で、格別の邪魔にも成りませぬから放任してをいた次第であるが、ソンナ少さい問題を捕えて、彼れ是れ云ふやうな人物では、到底何の役にも立つものでないから、是も一つの神の選抜法と思ふて、捨てあるのであります。

神霊界 1919/10/15 随筆

 何程竿は長くとも天の星はカラツ事が出来ないと同様に如何なる賢哲と雖も天上に坐します真の神様の御経綸を窺知する事は出来ぬのであります。故に神様は茲に至粋至純の霊魂の所有者を選定して神界経綸の一部分を地上の人民に啓示さるゝのである。惟神真道弥広大出口国直霊主の神言を地上に降し賜ひて、弥勒神政の御用に御立て遊ばしたのであります。稚姫君の命の尊い御霊魂を地に落しあらゆる艱難辛苦を甞めさせ、万民の為に下津岩根の地の高天原を開かせ玉ふたのも、ミロクの大神の至仁至愛の御神慮より出でたるを思へば、吾々は実に感謝の念に堪えぬ次第であります。神界の御神策を知らぬ間は免も角も一部分にても奉斎し得た以上は、神様の為大君様の為には仮令骨を粉にし、身を砕ひても、敢て惜しむ可き事でないと思ふ。総ての人々に此間の神理が了解されたならば、直ちに二度目の天之岩戸は開けるのであります。
 一般会員の中には私の言ふ事は十が十まで神様の憑つて言はるゝ言葉の様に思ふて居られる方がありますが、夫れは大なる誤解であります。
 肉体を持つ以上は肉体相応の人としての言葉も必要が在りますから、何も彼も皆神様の言と思つて貰つては互に迷惑になります。私が明治三十一年二月(二十八歳)に神懸状態に成る迄に性来の唖であつて其処へ神が懸られて言葉を発する様に成ったものならそれ社全部私の口から出る言の葉は皆神様の御言葉としても或は良いかも知れませぬが、私は至つて口八釜しい良く喋舌る男でありましたから、神懸に成つた後と雖も矢張り無言で暮すと云ふ事は一日でも嫌ひで在りますから、人間〔神の誤りか〕としての言葉は御神諭を書かして貰ふ時と神懸に成つた時斗りで九分以上は人間としての言葉であると云ふ事を承認して戴きたいのであります。私は人間として極めて不完全な不都合な凡夫でありますから、私の言葉を神の言葉にしられますと尊き神の神勅が混乱して、神様の御威勢に関はりますから一言申上げておきます。
 大本霊学の上から本守護神と称するは、仮令杢介の肉体に、天賦的に具存する所の、天帝の分霊を指すので在ります。本守護神は鎮魂の神法を、修得するに於て帰神となり、完全に其霊能を発揮し神の御子として、天地経綸の司宰者たる天職を尽す事が出来得るのであります。
 亦た正守護神と云ふのに、公憑私憑の二大別があります。公憑とは甲の肉体にも乙にも丙にも丁にも臨機応変的に憑依する神霊であり、私憑とは或る種の因縁を有する身魂、一人に限つて憑依する神霊を指すので在ります。正守護神なるものは要するに、他より来つて人の肉体を機関として、神界の経綸を助け且つ又本守護神の天職を輔弼する所の、善良なる神霊であります。而して公憑は神懸と日ひ私憑は神憑と言ふのであります。
 副守護神と日へば正守護神を輔佐する神霊の如うに聞こえますが、其実は国家社会及び人生に妨害を加へる為に、人の身魂の虚に乗じて、本正守護神を押込め自由行動を為す、邪神妖魅の別名であります。神の道であれば正直に邪神なら邪神と呼べば良いのに、不可解な副守護神など呼ぶ必要は在るまいと日ふ人もありますが、一応尤も至極の説であります。併し日本神国は言霊の幸ひ助け天照国であるから、徹頭徹尾善言美詞を用ふべき、国柄であるから、悪鬼邪神と雖も妄に軽蔑せず名を善美に呼んで、其邪神を改心させる為であります。天照大神の神勅にも言向和せと在り、又た神直日大直日に見直し聞直し詔り直すのが、神国の風儀であるから大本にては神慮を奉体して悪鬼邪神と称えず、敬称を用ふる次第であります。感謝祈願の辞にも善言美辞の神嘉言を以て神々を和ごめ天地に代るの功績を永遠無窮に立て云々とあるのも、此の理由に基いて、居るのであります。
 魚は水に踊り鳥は空中を飛び人は地上を行くのは是天則である。人間が鳥や魚の真似して得意がつて居る時代は仏者の所謂畜生道である、日本の神国には、天地初発の時より言霊の助け幸ひがあるから、天津祝詞の太祝詞を以て是等体主霊従的の武器を追払ふ神法が厳存して居るのであるが、燈台下暗しの譬の通り肝腎の日本人が夢にだも至尊至貴なる斯の神法を知らないのは、実に困まつたものであります。皇道大本にては近き将来に於ける国家保護の為に言霊隊を組織して、国家の一大事に備ふ為に日夜本宮山に上りて言霊の応用を練習しつゝあるので在ります。 

物語48-1-1 1923/01 舎身活躍亥 聖言

 憎まれ口はここらでお預かりとして、改めて本題に移ることとする。ここに霊界に通ずる唯一の方法として、鎮魂帰神なる神術がある。しかして人間の精霊が直接大元神すなはち主の神(または大神といふ)に向かつて神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神といふのである。帰神とは、わが精霊の本源なる大神の御神格に帰一和合するの謂である。ゆゑに帰神は、大神の直接内流を受くるによつて、予言者として、最も必要なる霊界真相の伝達者である。
 次に大神の御神格に照らされ、知慧証覚を得、霊国に在つてエンゼルの地位に進んだ天人が、人間の精霊に降り来たり、神界の消息を、人間界に伝達するのを神懸といふ。またこれを神格の間接内流ともいふ。これもまた予言者を求めてその精霊を充たし、神界の消息を、ある程度まで人間界に伝達するものである。
 次に、外部より人間の肉体に侵入し、罪悪と虚偽を行ふところの邪霊がある。これを悪霊または副守護神といふ。この情態を称して神憑といふ。
 すべての偽予言者、贋救世主などは、この副守の囁きを、人間の精霊みづから深く信じ、かつ憑霊自身も貴き神と信じ、その説き教へるところもまた神の言葉と、自ら自らを信じてゐるものである。すべてかくのごとき神憑は、自愛と世間愛より来たる凶霊であつて、世人を迷はし、かつ大神の神格を毀損すること最もはなはだしきものである。かくのごとき神憑は、すべて地獄の団体に籍をおき、現界の人間をして、その善霊を亡ぼし、かつ肉体をも亡ぼさむことを謀るものである。近来天眼通とか千里眼とか、あるひは交霊術の達人とか称する者は、いづれもこの地獄界に籍をおける副守護神の所為である。泰西諸国においては、今日やうやく現界以外に霊界の在ることを、霊媒を通じてやや覚り始めたやうであるが、しかしこの研究は、よほど進んだ者でも、精霊界へ一歩踏み入れたくらゐな程度のもので、たうてい天国の消息は夢想だにも窺ひ得ざるところである。たまには最下層天国の一部の光明を、遠方の方から眺めて、臆測を下した霊媒者も少しは現はれてゐるやうである。霊界の真相を充分とはゆかずとも、相当に究めた上でなくては、妄りにこれを人間界に伝達するのは、かへつて頑迷無智なる人間をして、ますます疑惑の念を増さしむるやうなものである。ゆゑに霊界の研究者は、もつとも霊媒の平素の人格についてよく研究をめぐらし、その心性を十二分に探査した上でなくては、好奇心にかられて、不真面目な研究をするやうなことでは、学者自身が中有界は愚か、地獄道に陥落するにいたることは、想念の情動上やむを得ないところである。
 さて、帰神神懸神憑も、概括して神がかりと称へてゐるが、その間に、非常の尊卑の径庭あることを覚らねばならぬのである。
 大本開祖の帰神情態を、口述者は前後二十年間、側にあつて伺ひ奉つたことがある。開祖は何時も、神様が前額より肉体にお這入りになるといはれて、いつも前額部を右手の拇指で撫でてゐられたことがある。前額部は、高天原の最高部に相応する至聖所であつて、大神の御神格の直接内流は、必ず前額より始まり、つひに顔面全部に及ぶものである。しかして人の前額は、愛善に相応し、額面は、神格の内分一切に相応するものである。畏れ多くも口述者が開祖を、審神者として永年問、ここに注目し、つひに大神の聖霊に充たされたまふ地上唯一の大予言者たることを覚り得たのである。