前のサイトに出していた雑文です。

霊界物語重層論

『霊界物語』は織物、もしくはタペストリーと考えると、一つの長い織物を上下二つに分けて、二つの話が書かれているとする。そのまま、織物を見ると、上下がはっきりしているから別の話だとわかる。
ところが文章にするときに、2段にはせずに、1つにまとめてしまったらどうなるか。
一つの章に、もしくは、篇ごと巻ごとかも知れないが2つの物語が混在する。例えば章で、A=>B=>A=>B=>B=>B=>Aという具合に話が混在していたらどうか?
そんなことを考えてしまった。
 
三五教がもし、物語のように大活躍をしていたら、今の世界はこんなんじゃないはずだから、例えば、素戔嗚尊と関係している部分は物語B-未来の物語、もしくは、あるべき未来の設計図(改造手順)とする。これは現われていない部分。ここに予言が含まれるはず。
太古からの歴史、特に邪神の活動は物語A。これは実際に実現した部分。
 

国常立尊が悪神だったら

国常立命が悪神だったら、それは堕天使であるルシファーと一致するのではないだろうか。ルシファーは、独一真神の近くに仕えていた大天使であったから、独一真神と混同することもあるかも知れない。
 
この場合、命と尊の関係は周波数の問題ではなく、全く違う存在を表しているのかも知れない。
 
大国常立尊、国常立尊、大国常立命、国常立命、これに対応する大国治立命、大国治立尊、国治立尊、国治立命、あと、大神が付くのもあるけれど、これらが二種類の違う存在を表しているか?確かに、物語を読んでいて、国治立関係では違和感を感じることがあるので、これは検討に値する。
 
『霊界物語』に分りやすい標識がついているとしたら、神名はその標識の候補だと思われるが、なかなかどうして、難しい。
 

霊界と周波数

今、私のいる部屋には、現界(今いる場所)も、霊界(神界、幽界)も同時に存在しているのだけれど、私は現界しか見えない。基本的に、現界と霊界の別の場所にいる者は、「憑依」(悪い意味ではなく)して、肉体を借りないと通信できない。
 
最近よく言われている周波数の関係。デーヴィッド・アイクのヘッドラインを訳していたら、「アトランティス人(恐竜人)は現在の人間の3倍の周波数を持っていた。だから、今も同じ場所に存在することもあるが、周波数が違うので我々には見えない」というのがあった。
 
これは同じことを言っているのではないだろうか。
 
霊界物語でのの関係がそうだ。霊界物語を書いている(口述している)観察者は、どこの周波数にも行けると仮定する。その周波数帯で肉体化している存在をと称する、ところが観察者は違う周波数の存在も見ることができるからその存在をとした。
 
観察者がどの周波数にも移動できるとして、違う周波数に移れば、今まで命だったものが尊となる。

インディアン

■インディアンと明治
アメリカン・インディアン受難の時代は古いものではありません。日本の明治維新から明治の初め頃と一致します。
 
我々が持たされているインディアンに対するイメージはインディアンの受難の歴史を学ぶと、我々が教育やマスコミ、映画によってイメージを持たされていると実感できるものだと思います。「自由」と「民主主義」についてもその本質を理解することができるのでは・・・
 
うろーでも、王仁三郎の自由と民主について触れていますが、王仁三郎の言っていることが、古いのではなく、時代に制約されていたわけでもなく、正しいことを言っていたことが分かりました。
 
インディアンを虐殺した武器が日本に持ち込まれ戊辰戦争で使われた。南北戦争も、『風と共に去りぬ』というようなものではなかったでしょう。
 
ブラック・エルクの言葉を見つけました。 http://www.aritearu.com/Influence/Native/Nativeword/BlackElk.htm
 
上の元サイトです。いいんじゃないの・・・ http://www.aritearu.com/Influence/Native/Native.htm
 
(初稿 2006/05/23)
■インディアンと英国
『アメリカ・インディアンの歴史』(富田虎男著)に興味深いことが書かれてあった。 1763年に、反乱を起こしたインディアンに対して、英国が取った戦略である。 今、世界のどこかで同じことが行われてはいないだろうか?
 
 アメリカ・インディアンはコロンブスのアメリカ発見以後、自由を夢見た白人たちによって領土を縮小され、撲滅される道を歩んでいる。  1763年にフレンチ・アンド・インディアン戦争(実は英仏の覇権争い)が決着を見たことになっているが、インディアンは「ポンティアクの陰謀反乱)」を起こす。
 
(転載開始)  このネオリソの教えを、ポンティアクは一七六三年四月にエコース川畔で開かれた諸部族戦争会議の席上で、怒りの神のお告げとして伝え、一斉蜂起を呼びかけた。ポンティアクはいう。 われは、天と地、森林、湖、川、その他の萬物の創造主なるぞ。われは人類の創造主なるぞ。汝らが住む土地は、汝のために造りしものなるぞ。他の者のためにはあらぬぞ。なにゆえに汝らは、自らの土地に白人を住まわせ苦しむのか。わが子よ。汝は汝の祖先の習慣と伝統を忘れはてたか。なにゆえ汝は祖先のように毛皮をまとわぬか。弓矢と石槍を使わぬか。汝らは白人から火器、ナイフ、鍋、毛布を買い、ついにそれらなくしてはなにもできぬ態たらくになりはてた。なお悪いことに、汝は汝を愚か者にする有毒な酒を喰うておる。これら一切を投げ捨てよ。汝の祖先の如く、賢く生きよ。汝の狩場を盗み獲物を追い払いにきたこの赤服を着た犬ども--イギリス軍--にたいして、手斧をふり上げよ。この地上からやつらを叩き出せ……。
 
 ここに明らかなように、ネオリンとポソティアクは、ともにまず伝統文化の復活と再生を説き、自らの身を正した上、白人一掃の戦いに起ち上れと呼びかけている。このような戦いが、どうして「陰謀」や「反乱」であろうか。そういう呼び方が侵略者の立場からのものであり、卑劣で残忍なのは侵略者自身であることを、つぎのイギリス軍総司令官アマストと野戦軍司令官ヘソリ・ブーケイの手紙のやりとり(大意)は、余すところなく示している。
 
アマスト将軍「これらの謀反した部落のなかに<天然痘>菌をどうにかして送りこめないものか。われわれはこのさい、やつらを減らすためなら、どんな戦術でも使わねばならぬ」 ブーケイ司令官「インディアンに天然痘菌のついた毛布を送るのはどうでしょう。またやつらを狩るためイギリスの犬を使いたいのですが。やつらにまともな人間をさし向けるのはもったいないからです」 アマスト将軍「毛布でやるのは妙案だ。このいまいましい連中を撲滅するのに役立つなら、他のどんな方法でもやってみよ。犬を使つてやつらを狩る計画は、できれば大変嬉しいが、イギリスまでは遠すぎて、このさい間に合わない」
 
 ピット砦の伝染病棟から、天然痘菌のついた毛布がインディアンに贈物として送られたことは、記録にはのっていない。しかしこの手紙のやりとりの直後からインディアンの間に天然痘が猛威をふるい、多くの死者を出したことは事実である。当のブーケイ自身、進軍の途上で「欠乏と悲惨のきわみにおちこんだ沢山の家族の荒涼たるさま。両親、親族、友人を失なつた人びとの絶望ぶり。気が狂って叫ぶ女や子供が道々にあふれている。とても痛々しく、筆舌につくしがたい光景を呈している」のを見た。 (転載終了) 太字は狭依彦
 
 最後の太字のブーケイのところなど、人道主義者的で、自分でやっておいて、憐れみを感じるなど、どこかにありそうな話です。
 
(初稿 2006/05/23)
■清教徒
清教徒というとどんなイメージを持つだろうか。遠い昔に、世界史で覚えさせられた言葉だ。
 
ちょっと、専門的なところで、ピグリム・ファーザーズ。アメリカに移民した人々である。
 
希望を持って、苦労の上に、民主的なアメリカを作り上げた人々・・・
 
ウソ、嘘、うそ!!!
アメリカ大陸のモンゴロイド=インディアンを皆殺しにしようとした残酷な奴ら!
インディアンの頭の皮に懸賞金がかかっていたんだぜ!
でも、日本の図書館で、こんな情報を書いた本を探すのは一苦労だ。大きな図書館でないとない。
アマゾンでは何冊かあるようだが、値段がはりますね・・・

(初稿 2006/03/19)
■土地の私有について
王仁三郎は土地の私有について次のように語っている。
 
土地の私有について
 
土地の私有について、感動的な話を読んだので転載する。 北山耕平『ネイティブ・マインド-アメリカ・インディアンの目で世界を見る』からだ。
 
1854年、現在のワシントン州あたりをテリトリーにしていたドゥワミシ族のところに、ワシントンDCの大統領から使いが来て、彼らの土地を譲り渡して居留地に入るように要求した。 その、要求された一族のチーフ、セアルルの白人に対する演説。
(転載 開始)
 
白人のチーフは言う
ワシントンにいるビッグ・チーフはわしらに
友好の挨拶を贈っていると
自分たちはあくまでも敵対する意志がなく
あるのはひたすら善意のみだと
それはそれでありがたいことだが
その見返りに彼らがわしらに望んでいるもの
それがけして友情なんかじゃないことも
わしらはよく知つている
彼に従う人の数は多い
あの広い大平原を一面に埋めつくして生える草のようだ
それにひきかえわしに従う者の数はどうだろう
まるで嵐の吹きすさぶ大平原に
ポツンポツンと立っている寂しそうな木々にも似てる

偉大だとわしが思っている
心のよきホワイト・チーフは
いまわしらに言葉を送り
わしらのこの土地をなんとしても買いたいと伝えてきた
もし土地を売ってくれるなら
喜んでわしらに楽な暮らしをさせてあげてもよいと
そうなるとわしらは考えざるをえない
この申し出はどういうことなのか
わしらの土地を買うだって?
白人が買おうとしているものは本当はなんなのかと
わしに従う者たちは聞くだろう
わしらには理解できないのだ
どうやったら空気を売つたり買つたりできるというのか?
大地の暖かさを売ったり買ったりできるものだろうか?
わしらには想像することさえむずかしい
この甘い空気も
湧きあがっている泉も
もともとわしらのものなんかじゃないとしたら
どうやってあなたがたはわしらからそれを買うというのか?
太陽の光のなかで輝いている松の木一本一本
砂浜の砂のひとつぶひとつぶ
黒い森にかかった霧すらも
この空間にあるすべてが
たとえブンブンという蜂の一匹一匹であろうと
わしに従う者たちの記憶と思いのなかでは
どこまでも神聖なものだとされている

木のなかを伝う樹液が
わしらレッドマンに遠い記憶をよみがえらせる
わしらはこの地球の一部なのだ
そしてこの地球はわしらの一部でもある
よい香りの花はわしらの妹たちであり
鹿や馬偉大なる鷲はわしらの兄弟である
小さな泡の粒となって流れ落ちる川も
草原の花の蜜も
馬の汗そして人の汗ですら
すべてはひとつの種族として繋がっている
それがわしらの一族わしらの部族わしらの土地なのだ
しかるにワシントンにおられる偉大なるチーフが
ここに言葉を送ってよこし
わしらのこの土地を買いたいと申し出た
なんとたいへんなことをわしらは要求されていることだろう

白人がわしらの生きる道を理解していないことは知っている
彼らにしてみたらそれはどこにでもあるような小さな土地かもしれない
白人は夜になるとどこからともなくやってきて
その土地から必要なものだけを持ち去ってしまう
この地球は彼の親でも兄弟でもなく
ただの敵にすぎない
彼はひとつの場所を征服してしまうと
次の場所に移っていく
彼は大地のことなどなにも考えない
父親の墓がどこにあるのかも忘れ
子供たちに伝えるものもない

母なる地球や弟である空を
彼らはまるで商品ででもあるかのように取り扱う
いくら食べても満足しない飽くなき飢えが
やがてこの地球を裸にしてしまい
ただ砂漠だけを後に残す

どうにもわしには理解できない
わしらの道はあなた方の道とは違っているのだ
それでもわしらがわしらの土地を売らなくてはならないのなら
あなたがただって知らなくてはならない
この空気がわしらにとって価値のあるものであることを
この空気が息となって伝わり
地上の一切の生命を今日まで保ってきていることを
わしの曾祖父に生命を与えた風
この風はまたわしらの子供たちにも生命を与えていることを

一切のものはひとつに結ばれている
一切のものは繋がっている
地球に起こることは
そのまま地球の子供たちの身の上にも起こる
人間が人生の網を編んでいるわけではなく
彼もまたその網の一本の糸にすぎない
人がその網に対してすることは
とりもなおさず自分自身に向かってしていることなのだ

やがて近い将来
まるで大雨の後の川の水が岩の裂け目を流れ落ちるように
あなたがたはこの土地に溢れるようになるだろう
しかしその時わしとわしに従ってきた者たちは
まるで潮がひくようにいずこへともなく姿を消す
その潮の行く末はレッドマンにも謎である
だが白人の夢を知るなら
わしらにもその行き着く先のおおよその見当ぐらいはつくかもしれん
彼らが冬の長い夜に
子供たちに語って聞かせるあの望みと期待について知るなら
いかなるヴィジョンを心に刻み込み
なぜかくも彼らがその日の来るのを待ちきれないでいるのかも
きっとわかることができるだろう

(Smith, Henry, 1931)

(転載 終了)

 

【転載】
北山耕平『ネイティブ・マインド-アメリカ・インディアンの目で世界を見る』
1988年12月5日 地湧社
(初稿 2006/03/12)
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