第1巻18章 霊界の情勢


霊界物語を予備知識なしで1巻から読み始めると、数巻で挫折することがほとんどでしょう。
数十年前に私が読み始めた時も同じで、1巻などはノートを取りながら読みましたが、サッパリ分からず、面白くも何ともありませんでした。
この「霊界の情勢」は霊界物語の最初の巻で、はじめて世界認識に関したことが書かれている章です。
ところが、非常に分かりにくく書かれています。何回読んでも、図にしても解せないと言っていいでしょう。
この論考では、その本文を読み込むことで、「何が書かれているのか」を分析したいと思います。

第一八章 霊界の情勢〔一八〕

 ここで自分は、神界幽界の現界にたいする関係を一寸述べておかうと思ふ。 神界と幽界とは時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆゑ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現はれることもあれば、十年後に現はれることもあり、数百年後に現はれることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。その見ゆる有様は過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであつて、あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別がそれと歴然推断され得るのである。

 霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。
 ここに自分が述べつつあることは、霊界において見た順序のままに来るとはかぎらない。霊界において一層早く会ふた身魂が、現界では一層晩く会ふこともあり、霊界にて一層後に見た身魂を、現界にて一層早く見ることもある。今回の三千世界の大神劇に際して、檜舞台に立つところの霊界の役者たちの霊肉一致の行動は、自分が霊界において観たところとは、時間において非常に差異がある。

 されど自分は、一度霊界で目撃したことは、神劇として必ず現界に再現してくることを信ずるものである。

 さて天界は、天照大御神の御支配であつて、これは後述することにするが、今は地上の神界の紛乱状態を明らかにしたいと思ふ。今までは地上神界の主宰者たる国常立尊は、「表の神諭」に示されたるごとくに、やむを得ざる事情によつて、引退され給うてゐられた。

 それに代つて、太古において衆望を担うて、国常立尊の後を襲ひたまうた神様は、現在は支那といふ名で区劃されてゐる地域に、発生せられたる身魂であつて、盤古大神といふ神である。この神はきはめて柔順なる神にましまして、決して悪神ではなかつた。ゆゑに衆神より多大の望みを嘱されてゐたまうた神である。今でこそ日本といひ、支那といひ露西亜といひ、種々に国境が区劃されてゐるが、国常立尊御神政時代は、日本とか外国とかいふやうな差別は全くなかつた。

 ところが天孫降臨以来、国家といふ形式ができあがり、いはゆる日本国が建てられた。従つて水火沫の凝りてなれるてふ海外の地にも国家が建設されたのである。さて、いはゆる日本国が創建され、諸々の国々が分れ出でたるとき、支那に生まれたまうた盤古大神は、葦原中津国に来たりたまひて国祖の後を襲ひたまふた上、八王大神といふ直属の番頭神を御使ひになつて、地の世界の諸国を統轄せしめられた。一方いはゆる外国には、国々の国魂の神および番頭神として、国々に八王八頭といふ神を配置された。丁度それは日本の国に盤古大神があり、その下に八王大神がおかれてあつたやうなものである。日本本土における八王大神は、諸外国の八王八頭を統轄し、その上を盤古大神が総纜したまひましたが、八王八頭は決して悪神ではない。天から命ぜられて各国の国魂となつたのは八王であり、八頭は宰相の位置の役である。こういふ風なのが、今日、国常立尊御復権までの神界の有様である。

 さうかうするうちに、露国のあたりに天地の邪気が凝りかたまつて悪霊が発生した。これがすなはち素盞嗚命の言向和された、かの醜い形の八頭八尾の大蛇の姿をしてゐたのである。この八頭八尾の大蛇の霊が霊を分けて、国々の国魂神および番頭神なる八王八頭の身魂を冒し、次第に神界を悪化させるやうに努力しながら現在にいたつたのである。しかるに一方印度においては、極陰性の邪気が凝りかたまつて金毛九尾白面の悪狐が発生した。この霊はおのおのまた霊を分けて、国々の八王八頭の相手方の女の霊にのり憑つた。

 しかして、また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。しかしながら日本国は特殊なる神国であつて、この三種の悪神の侵害を免れ、地上に儼然として、万古不動に卓立してをることができた。この悪霊の三つ巴のはたらきによつて、諸国の国魂の神の統制力はなくなり、地上の世界は憤怒と、憎悪と、嫉妬と、羨望と、争闘などの諸罪悪に充ち満ちて、つひに収拾すべからざる三界の紛乱状態を醸したのである。

 ここにおいて、天上にまします至仁至愛の大神は、このままにては神界、現界、幽界も、共に破滅淪亡の外はないと観察したまひ、ふたたび国常立尊をお召出し遊ばされ、神界および現界の建替を委任し給ふことになつた。さうして坤之金神をはじめ、金勝要神、竜宮乙姫、日出神が、この大神業を輔佐し奉ることになり、残らずの金神すなはち天狗たちは、おのおの分担に従つて御活動申し上げ、白狐は下郎の役として、それぞれ神務に参加することになつた。ここにおいて天津神の嫡流におかせられても、木花咲耶姫命と彦火々出見命は、事態容易ならずと見たまひ、国常立尊の神業を御手伝ひ遊ばすこととなり、正神界の御経綸は着々その歩を進め給ひつつあるのである。それと共にそれぞれ因縁ある身魂は、すべて地の高天原に集まり、神界の修行に参加し、御経綸の端なりとも奉仕さるることになつてをるのである。

 そもそも太古、葦原瑞穂中津国は大国主命が武力をもつて、天下をお治めになつてゐた。天孫降臨に先だち、天祖は第三回まで天使をお遣しになり、つひには武力をもつて大国主命の権力を制し給うた。大国主神も力尽きたまひ、現界の御政権をば天命のままに天孫に奉還し、大国主御自身は、青芝垣にかくれて御子事代主と共に、幽世を統治したまふことになつた。

 この時代の天孫の御降臨は、現在の日本なる地上の小区劃を御支配なし給ふためではなく、実に全地球の現界を知食すための御降臨であり給うた。しかしながら未完成なる世界には、憎悪、憤怒、怨恨、嫉妬、争闘等あらゆる邪悪が充満してゐるために、天の大神様の御大望は完成するにいたらず、従つて弱肉強食の修羅の巷と化し去り地上の神界、現界は、ほとんど全く崩壊淪亡しやうとする場合に立ちいたつたのである。

 かかる情勢を見給ひし天津神様は、命令を下したまひて、盤古大神は地上一切の幽政の御権利を、艮金神国常立尊に、ふたたび御奉還になるのやむなき次第となつた。ここに盤古大神も既に時節のきたれるを知り、従順に大神様の御命令を奉戴遵守したまうた。しかるに八王大神以下の国魂は、邪神のためにその精霊を全く汚されきつてゐるので、まだまだ改心することができず、いろいろと悪策をめぐらしてゐたのである。なかには改心の兆の幾分見えた神もあつた。

 かくの如くにして国常立尊が、完全に地上の神界を御統一なしたまふべき時節は、既に已に近づいてゐる。神界の有様は現界にうつりきたり、神界平定後は天津日継命が現界を治め給ひ、国常立尊は幽政を総纜したまひ、大国主命は日本の幽政をお司りになるはずである。しかし現在ではまだ、八頭八尾の大蛇、金毛九尾の悪狐および鬼の霊は、盤古大神を擁立して、幽界および現界を支配しやうと、諸々の悪計をめぐらしつつあるのである。

 しかしながら従順な盤古大神は、神界に対するかかる反逆に賛同されないので、邪鬼の霊はみづから頭目となり赤色旗を押立てて、いろいろの身魂をその眷族に使ひつつ、高天原乗取策を講じてゐる。

 そこでよりは事態容易ならずとして、御三体の大神が地上に降臨ましまして、国常立尊の御経綸を加勢なしたまふことになり、国常立尊は仮の御息所を蓮華台上に建設して、御三体の大神様を奉迎し給ふこととなるのである。

 したがつて、御三体の大神様の御息所ができたならば、神界の御経綸が一層進んだ証拠だと拝察することができる。

          (大正一〇・一〇・二〇 旧九・二〇 谷口正治録)


1.天の神の名前

天に関する神様の名称を抜き出すと次のようになります。
  • 天照大御神(天界の御支配)
  • 至仁至愛の大神(天上にまします)
  • 天津神の嫡流(木花咲耶姫命と彦火々出見命)
  • 天祖(第三回まで天使をお遣しになり、つひには武力をもつて大国主命の権力を制し給う)
  • 天の大神様(の御大望)
  • 天津神様(命令を下したまひて、盤古大神は地上一切の幽政の御権利を、艮金神国常立尊に、ふたたび御奉還になる)
  • 大神様(文脈的に既出の天津神様)
  • 御三体の大神(天より地上に降臨ましまして、国常立尊の御経綸を加勢)

  • 第一に、天について、「天」と「天界」と両方使っています。「天上」という単語も出てきます。

    『霊界物語』全体の流れを考えると、どう考えても、この天照大御神の支配する天界は、天の大神=天津神=御三体の大神(=天祖)のいる天上とは別であるとの考え方をとるしかないと思われます。

    神様の名前は上記の通り、非常にバラエティに富んでいます。

    なぜこのような書き方をしているかと言うと、王仁三郎が混乱して書いていることはないでしょう。
    王仁三郎は事跡を見ると分かりますが、天才と言っていい頭脳明晰な人であったと思います。
    じゃ、なぜかと言うと、「内容を分かりにくくしている」としか言えないと思います。

    霊界物語の基本知識に天照大御神と天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)では違う神様であるというのがあります。
    天照皇大御神は「大国常立尊(天之御中主大神)の御霊徳完全発揮の御情態のときの神名」ということで、世界を作った根本の神様天之御中主大神とイコールと考えてよいと思います。
    ここで出ているのは天照大御神で、記紀の神様、皇室の祖先神です。

    同じく基本知識として、御三体の大神というのは三体が別の存在ではなく、一神(世界を作った根本の神様)を機能別に違う視点から見たもので、御三体の大神=天之御中主大神とイコールと考えてよいと思います。

    さて、本文に戻りますが、まず、天照大御神の支配の「天界」と他の「天」とは違うものでしょう。
    天界については「これは後述する」あり、すぐに地上の神界の話になるからです。
    以降の天の神は全部同じ対象を指しているのでしょうか。
    私は、二種類に分かれるような気がします。上記パープル色のところは記紀の天照大御神を入れたのでは。
    天照大御神とは違う神様を描いているので、教団の外の天皇制に対して「分かりにくくすること」は当然ですが、私は教団の内部にも分かりにくくする必要があったと思っています。


    2.盤古大神と天孫降臨

    (1)3界のようすを時間の経過で抜き出す上図のようになります。

    天界については「天照大神の御支配で、別の所で述べる」となっています。

    「霊界の情勢」の文章だけだと、地上神界と現界の区分がはっきりしていないが、2つに分けるとすると上図のようになります。

    大国主命の治世がいつからかがはっきりしないが、「葦原瑞穂中津国」となっていて葦原の瑞穂国(地球)なのか葦原の中津国(日本)なのかわからないように書いてありますが、ここでは葦原の中津国(日本)を治めていたとします。
    「天孫降臨以来、国家と言う形式ができあがり」とあるので、天孫降臨はこの位置でしょう。そうなると、国常立尊が親政をとっているときに、大国主命は武力で葦原の中津国(日本)を治めていたことになります。

    (2)盤古大神は「衆神より多大の望みを嘱されて」いたが、天の神からは何の命令も受けていない

    (3)「天孫降臨」の「天孫」が誰なのかが問題となります。
    ここでは、「天孫降臨」にはダブルの意味が含まれており、上図の天孫降臨は日本への天皇家の祖先の降臨だと考えておくと、天孫降臨した天孫はそのまま日本を治めていると「歴史的事実」に合致するようになります。

    ダブルの意味は一つは日本への天皇家の祖先の降臨、もう一つは、世界への天の大神様の意思を含んだ「誰か」の降臨。

    (4)木花咲耶姫命は天津神か?

    「天津神の嫡流におかせられても、木花咲耶姫命と彦火々出見命」とあります。

    記紀神話では、天津神は天孫だけだから、木花咲耶姫命は国津神であるはずです。

    彦火々出見命が天皇家の祖先でしょう。記紀神話では瓊瓊杵尊(にぎのみこと)の子。母は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)。山幸彦の名で知られる。よって、「天津神の嫡流」と言ってよい。

    なおここの天津神が『霊界物語』では初出ですから、この時点で霊界物語だけから見ると、天津神の意味は確定していません。

    なお、物語全体では木花咲耶姫命は主神素盞嗚尊のあらわれなので、天の大神=天津神=御三体の大神(=天祖)=(木花咲耶姫命=素盞嗚尊)となるでしょう。

    彦火々出見命は霊界物語では何箇所か木花咲耶姫命と彦火々出見命のセットで出てくるので、厳霊の表れとも考えらます。

    よって、ここもダブル・ミーニングと考えるべきだと思います。


    .三種の邪神の関係

    ロシア      => 八頭八尾(大蛇)
    インド      => 金毛九尾(狐)
    ユダヤの土地 => 邪鬼

    露国のあたりに天地の邪気が凝りかたまつて悪霊が発生した。これがすなはち素盞嗚命の言向和された、かの醜い形の八頭八尾の大蛇の姿をしてゐたのである。この八頭八尾の大蛇の霊が霊を分けて、国々の国魂神および番頭神なる八王八頭の身魂を冒し、次第に神界を悪化させるやうに努力しながら現在にいたつたのである。しかるに一方印度においては、極陰性の邪気が凝りかたまつて金毛九尾白面の悪狐が発生した。この霊はおのおのまた霊を分けて、国々の八王八頭の相手方の女の霊にのり憑つた。

     しかして、また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。しかしながら日本国は特殊なる神国であつて、この三種の悪神の侵害を免れ、地上に儼然として、万古不動に卓立してをることができた。この悪霊の三つ巴のはたらきによつて、諸国の国魂の神の統制力はなくなり、地上の世界は憤怒と、憎悪と、嫉妬と、羨望と、争闘などの諸罪悪に充ち満ちて、つひに収拾すべからざる三界の紛乱状態を醸したのである。

    ここでは、邪鬼は「自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。」と書かれています。

    物語5巻では、八頭八尾・金毛九尾グループと邪鬼は対立していて、邪鬼より力があるように思われます。


    4.赤色旗を押立て

    しかしながら従順な盤古大神は、神界に対するかかる反逆に賛同されないので、邪鬼の霊はみづから頭目となり赤色旗を押立てて、いろいろの身魂をその眷族に使ひつつ、高天原乗取策を講じてゐる。

    ここは、聖師校正版では「赤色旗を押立てて」が削除されています。

    赤色旗と言えば、共産主義の旗ですが、邪鬼はユダヤの土地から出ている。ロシアは共産主義と言っていいと思いますが、旗を立てているのはロシアで発生した八頭八尾の大蛇ではなく邪鬼です。
    しかし、ロシアの共産主義革命はユダヤ人によって達成されたものですから、邪鬼でよいと思います。
    私は、八頭八尾の大蛇の発生した場所は、ロシアでもコーカサス地方であると思っています。
    この当たりは霊界物語を読み進めてゆくと次第に判明するものと思います。
    物語のウラル教とバラモン教の関係を調べると、八頭八尾の大蛇は最終的にアメリカに巣食うことになります。

    「共産主義はユダヤの陰謀である」と物語執筆時点(大正10年)に分かっていたのでしょうか。

    赤色旗については、「錦の御旗」であるという説もあります。
    この場合、明治維新を押し進めた勢力の頭目が邪鬼の霊ということになり、これも興味深い解釈です。


    5.御三体の大神の降臨

    そこで天よりは事態容易ならずとして、御三体の大神が地上に降臨ましまして、国常立尊の御経綸を加勢なしたまふことになり、国常立尊は仮の御息所を蓮華台上に建設して、御三体の大神様を奉迎し給ふこととなるのである。
    ここも「御三体の大神」が分からないと全く分からないところです。
    前述したように御三体の大神は宇宙を創った根本の一神(主神)であり、国常立尊はいくつかある宇宙の中で地球界を創った神様ですから、国常立尊の退隠を承認したり、国常立尊を再び地位につけたり、加勢したりできるわけです。
    大本の歴史に当てはめると、国常立尊が出口ナオですから、奉迎される御三体の大神は王仁三郎ということになり、王仁三郎は主神の降臨ということになります。

    第1版 2005年頃
    第2版2015/01/01

    メニューは画面上部の左端の三本線のボタンをクリックします。

    メニューを閉じるには、コンテンツの部分をクリックしてください。下の画像では、赤い部分です。