論考資料 冠島・沓島


霊界物語以外

神霊界 1917/11/01 いろは歌

Oつるぎの山に登るとも、千尋の荒海打ち渡り底の藻屑と成とても、ナドヤ厭はん敷嶋の、日本男子を引連れて丹後の国の無人嶋、沓島冠島を開かんと、神の御言を畏こみて、勇み進んで出て行く、出口の守の雄々しさよ。明治三十三年の、七月八日の未明、一つの神祠を建初めて、唱ふる祝祠の声清く、沖に聞ゆる浪の音も、神の御声と偲ばるゝ。東の空は茜射す、日の出の景色拝しつゝ、神の教の神務終えて、大本さして帰らるゝ、出口の御親の勇ましさ。

Oねらう要所は対島に津軽、馬関海峡其次に、舞鶴軍港岸和田の間だの軍備に眼を付けて、地勢要害取り調べ又も越前敦賀より、尾張の半田に至るまで、国探を放ちて探索し、一挙に御国へ攻め寄せて、総ての活動中断し、日本を占領する企み、夢でも見てるか夷国人、日本神国の敷嶋の、神の身魂を知らないか、鰐の如うなる口開けて、只一呑みと思ふても、日本男子の魂は、胸に約りて呑めないぞ。行きも戻りも成らないぞ。
綾部の錦の大本の、十里四方は宮の内、見事覚えが在るなれば、沓島の沖まで来て見よれ、鋼鉄艦も潜艇も、丹後の海の埋め草に、一隻も残さず揺り沈め、日本兵士の忠勇と、出口の守の御威徳で、艮大神現はれて、三千世界を立直す、首途の血祭り覚悟せよ。

Oしん徳高き神の山、開けて茲に千四百、四十余年と成りぬれど、女人禁制の神の山、今に汚れし事も無く、神祗の集ひの神園として、清き霊地と鳴響く、浪音たかき八塩路の、女島男島と諸共に、神代の姿変へぬなり。神代の儘の神の国、瑞穂の国を守らんと、冠島沓島の神々は、弥仙の神山に神集ひ、清けき和知の河水に、世界を清め人々を、安きに救ひ助けんと、天の岩戸を押開らき、村雲四方に掻別けて、教御祖の手を通し、口を通して詳細に、諭させ玉ふぞ尊とけれ。

神霊界 1919/08/15 随筆

 明治二十五年正月元朝寅の刻に、始めて教祖に神憑あらせられたのは、艮の金神大国常立尊様でありました。次に竜宮の乙姫玉依姫命が神憑せられ、次に禁闕要の大神(正勝金木神)澄世理姫尊が御憑りになつたので、最初の間は教祖様が、
   丑寅之大金神大国常立尊。
弐  禁闕要之大神……澄世理姫尊。
   竜宮之乙姫神……玉依比売尊。

 以上の三柱の神を祭つて居られましたが、漸次に出現神が次の如く現はれたのであります。
   雨之神……天之水分神……国之水分神。
   風之神……科戸彦神……科戸姫神。
   岩之神……岩長姫神……岩戸別神。
   荒之神……大雷男之神……別雷男之神。
   地震之神……武雷之神……経津主神。
   万の金神。並に大本塩釜大神。
 以上の神々も祭られたのであります。
 明治三十一年正月より、
   坤之大金神……豊雲野之尊。
   木花咲耶姫尊……弥仙山祭神。
   彦火火出美尊……同上。
四  豊受姫大神……伊勢外宮。
   稚姫岐美尊……伊勢烏の宮。
   大国主大神……出雲大社。
 次に明治三十三年四月八日より以後。
   大島大神……丹後冠島
   小島大神……全沓島


霊界物語

物語01-4-35 1921/10 霊主体従子 一輪の秘密

(あらすじ) 国常立尊は蓮華台に登り、冠島(竜宮島)と沓島(鬼門島)を生んだ。そして、厳の御魂、瑞の御魂、金勝要神に命じて、竜宮ケ島に潮満の玉(厳の御魂、ヨハネの御魂、豊玉姫神)、潮干の玉(瑞の御魂、キリストの御魂、玉依姫神)を納めて、冠島の国魂にこれを守護させた。また、沓島には真澄の珠を納め、国の御柱神に守護させた。
 これらの珠は世界の終末に際し、大神が世界改造のために使用するが、この珠を使用される神業を一輪の秘密という。

(本文) 厳の御魂の大神は、シナイ山の戦闘に魔軍を潰走せしめ、ひとまづ竜宮城へ凱旋されたのは前述のとほりである。
 さて大八洲彦命は天山、崑崙山、天保山の敵を潰滅し、天教山に現はれ、三個の神宝を得て竜宮城に帰還し、つづいてエデンの園に集まれる竹熊の魔軍を破り、一時は神界も平和に治まつた。されど竹熊の魔軍は勢やむを得ずして影を潜めたるのみなれば、何どき謀計をもつて再挙を試みるやも計りがたき状況であつた。まづ第一に魔軍の恐るるものは三個の神宝である。ゆゑに魔軍は百方画策をめぐらし、或ひは探女を放ち、醜女を使ひ、この珠を吾が手に奪はむとの計画は一時も弛めなかつた。
 茲に艮の金神国常立尊は、山脈十字形をなせる地球の中心蓮華台上に登られ、四方の国型を見そなはし、天に向つて神言を奏上し、頭上の冠を握り、これに神気をこめて海上に投げ遣りたまうた。その冠は海中に落ちて一孤島を形成した。これを冠島といふ。しかして冠の各処より稲を生じ、米もゆたかに穰るやうになつた。ゆゑにこの島を稲原の冠といひ、また茨の冠ともいふ。
 つぎに大地に向つて神言を奏上したまひ、その穿せる沓を握り海中に抛げうちたまうた。沓は化して一孤島を形成した。ゆゑにこれを沓島といふ。冠島は一名竜宮島ともいひ、沓島は一名鬼門島ともいふ。
 ここに国常立尊は厳の御魂、瑞の御魂および金勝要神に言依さしたまひて、この両島に三個の神宝を秘め置かせたまうた。
 潮満の珠はまた厳の御魂といふ。いづとは泉のいづの意であつて、泉のごとく清鮮なる神水の無限に湧出する宝玉である。これをまたヨハネの御魂といふ。つぎに潮干の珠はこれを瑞の御魂といひ、またキリストの御魂といふ。みづの御魂はみいづの御魂の意である。みいづの御魂は無限に火の活動を万有に発射し、世界を清むるの活用である。要するに水の動くは火の御魂があるゆゑであり、また火の燃ゆるは水の精魂があるからである。しかして火は天にして水は地である。故に天は尊く地は卑し。ヨハネが水をもつて洗礼を施すといふは、体をさして言へる詞にして、尊き火の活動を隠されてをるのである。またキリストが霊(霊は火なり)をもつて洗礼を施すといふは、キリストの体をいへるものにして、その精魂たる水をいひしに非ず。
 ここに稚姫君命、大八洲彦命、金勝要大神は、三個の神宝を各自に携帯して、目無堅間の船に乗り、小島別、杉山別、富彦、武熊別、鷹取の神司を引率して、まづこの竜宮ケ嶋に渡りたまうた。しかして竜宮ケ嶋には厳の御魂なる潮満の珠を、大宮柱太敷立て納めたまひ、また瑞の御魂なる潮干の珠とともに、この宮殿に納めたまうた。この潮満の珠の又の名を豊玉姫神といひ、潮干の珠の又の名を玉依姫神といふ。かくて潮満の珠は紅色を帯び、潮干の珠は純白色である。
 国常立尊は冠島の国魂の神に命じて、この神宝を永遠に守護せしめたまうた。この島の国魂の御名を海原彦神といひ、又の御名を綿津見神といふ。つぎに沓島に渡りたまひて真澄の珠を永遠に納めたまひ、国の御柱神をして之を守護せしめられた。国の御柱神は鬼門ケ島の国魂の又の御名である。
 いづれも世界の終末に際し、世界改造のため大神の御使用になる珍の御宝である。しかして之を使用さるる御神業がすなはち一輪の秘密である。
 この両島はあまたの善神皆竜と変じ、鰐と化して四辺を守り、他神の近づくを許されないのである。

物語01-4-36 1921/10 霊主体従子 一輪の仕組

(あらすじ) 国常立尊は大八州彦命達にも秘密で、三個の珠の体のみを両島におさめさせ、珠の精霊をシナイ山の山頂へ隠した。これを一輪の仕組みという。  珠の在処を知った武熊別は竹熊と結んで玉を奪おうと島を攻撃してきた。島を守る海原彦神は竜神に防御させたが破れたので、珠を使った。しかし、珠は精が抜かれていたので働かなかった。そこで国の御柱神は信天翁を使って竜宮城に救援を乞うた。金勝要神は玉手箱から金幣を出して天地を晴れさせ、信天翁の足に金幣の破片を付けて帰した。信天翁は金色の鵄に変化して魔軍を打ち破った。  竹熊一派は滅んだが、国常立尊によって救われ、前非を悔い帰順した。

(本文)  国常立尊は邪神のために、三個の神宝を奪取せられむことを遠く慮りたまひ、周到なる注意のもとにこれを竜宮島および鬼門島に秘したまうた。そして尚も注意を加へられ大八洲彦命、金勝要神、海原彦神、国の御柱神、豊玉姫神、玉依姫神たちにも極秘にして、その三個の珠の体のみを両島に納めておき、肝腎の珠の精霊をシナイ山の山頂へ、何神にも知らしめずして秘し置かれた。これは大神の深甚なる水も洩らさぬ御経綸であつて、一厘の仕組とあるのはこのことを指したまへる神示である。
 武熊別は元よりの邪神ではなかつたが、三つの神宝の秘し場所を知悉してより、にはかに心機一転して、これを奪取し、天地を吾ものにせむとの野望を抱くやうになつた。そこでこの玉を得むとして、日ごろ計画しつつありし竹熊と語らひ、竹熊の協力によつて、一挙に竜宮島および大鬼門島の宝玉を奪略せむことを申し込んだ。竹熊はこれを聞きて大いに喜び、ただちに賛成の意を表し、時を移さず杉若、桃作、田依彦、猿彦、足彦、寅熊、坂熊らの魔軍の部将に、数万の妖魅軍を加へ、数多の戦艦を造りて両島を占領せむとした。
 これまで数多の戦ひに通力を失ひたる竹熊一派の部将らは、武熊別を先頭に立て、種々なる武器を船に満載し、夜陰に乗じて出発した。一方竜宮島の海原彦命も、鬼門島の国の御柱神も、かかる魔軍に計画あらむとは露だも知らず、八尋殿に枕を高く眠らせたまふ時しも、海上にどつとおこる鬨の声、群鳥の噪ぐ羽音に夢を破られ、竜燈を点じ手に高く振翳して海上はるかに見渡したまへば、魔軍の戦艦は幾百千とも限りなく軍容を整へ、舳艪相啣み攻めよせきたるその猛勢は、到底筆舌のよく尽すところではなかつた。
 ここに海原彦命は諸竜神に令を発し、防禦軍、攻撃軍を組織し、対抗戦に着手したまうた。敵軍は破竹の勢をもつて進みきたり、既に竜宮嶋近く押寄せたるに、味方の竜神は旗色悪く、今や敵軍は一挙に島へ上陸せむず勢になつてきた。このとき海原彦命は百計尽きて、かの大神より預かりし潮満、潮干の珠を取りだし水火を起して、敵を殲滅せしめむと為し給ひ、まづかの潮満の珠を手にして神息をこめ、力かぎり伊吹放ちたまへども、如何になりしか、この珠の神力は少しも顕はれなかつた。それは肝腎の精霊が抜かされてあつたからである。次には潮干の珠を取りいだし、火をもつて敵艦を焼き尽くさむと、神力をこめ此の珠を伊吹したまへども、これまた精霊の引抜かれありしため、何らの効をも奏さなかつた。
 鬼門ケ島にまします国の御柱神は、この戦況を見て味方の窮地に陥れることを憂慮し、ただちに神書を認めて信天翁の足に括りつけ、竜宮城にゐます大八洲彦命に救援を請はれた。
 このとき地の高天原も、竜宮城も黒雲に包まれ咫尺を弁せず、荒振神どもの矢叫びは天地も震撼せむばかりであつた。
 ここにおいて金勝要大神は秘蔵の玉手箱を開きて金幣を取りだし、天に向つて左右左と打ちふり給へば、一天たちまち拭ふがごとく晴れわたり、日光燦爛として輝きわたつた。金勝要神は更に金幣の一片を取欠きたまひて信天翁の背に堅く結びつけ、なほ返書を足に縛りて、天空に向つて放ちやられた。信天翁は見るみる中天に舞ひ上がり、東北の空高く飛び去つた。信天翁はたちまち金色の鵄と化し、竜宮島、鬼門島の空高く縦横無尽に飛びまはつた。今や竜宮島に攻め寄せ上陸せむとしつつありし敵軍の上には、火弾の雨しきりに降り注ぎ、かつ東北の天よりは一片の黒雲現はれ、見るみる満天墨を流せしごとく、雲間よりは幾百千とも限りなき高津神現はれきたりて旋風をおこし、山なす波浪を立たしめ敵艦を中天に捲きあげ、あるひは浪と浪との千仭の谷間に突き落し、敵船を翻弄すること風に木の葉の散るごとくであつた。このとき竹熊、杉若、桃作、田依彦の一部隊は、海底に沈没した。
 国常立尊はこの戦況を目撃遊ばされ、敵ながらも不愍の至りと、大慈大悲の神心を発揮し、シナイ山にのぼりて神言を奏上したまへば、一天にはかに晴渡りて金色の雲あらはれ、風凪ぎ、浪静まり、一旦沈没せる敵の戦艦も海底より浮揚り、海面はあたかも畳を敷きつめたるごとく穏かになつてきた。
 このとき両島の神々も、諸善竜神も竹熊の敵軍も、一斉に感謝の声をはなち、国常立大神の至仁至愛の恵徳に心服せずにはをられなかつた。広く神人を愛し、敵を敵とせず、宇宙一切の衆生にたいし至仁至愛の大御心を顕彰したまふこそ、実に尊き有難ききはみである。

物語01-5-47 1921/10 霊主体従子 エデン城塞陥落

(あらすじ) 武熊別はウラル山の鬼熊と通じて竹熊たちを滅ぼそうとする。鬼熊は妻の鬼姫を竜宮城へもぐりませた。また、世界各所で騒動を起し、稚姫君命が沓島で神事を行ったのに乗じて島を攻めたが、国の御柱命の率いる神軍に破れた。

(本文) 竹熊は大小十二の各色の玉を得て意気天を衝き、虚勢を張つて横暴の極を尽した。さうして高杉別、森鷹彦を深く信任し、高杉別をして武熊別の地位にかはらしめた。武熊別は竹熊の態度に憤怨やるかたなく、ここに一計をめぐらし、ウラル山に割拠する鬼熊に款を通じ、竹熊、高杉別、森鷹彦を滅ぼさむとした。鬼熊はその妻鬼姫に計を授けて竜宮城の奥深く忍ばしめ、遂には稚姫君命、大八洲彦命のやや信任を得るにいたつた。鬼熊は鬼姫の苦心により、つひに竜宮城に出入を許さるるとこまで漕ぎつけた。さうして鬼熊の子に月彦といふ心の麗しき者があつた。この者は稚姫君命の大変なお気にいりであつた。悪霊夫婦の子に、かくのごとき善人の生れ出でたるは、あたかも泥中より咲く蓮華のやうなものである。ここに稚姫君命は、ふたたび世界の各所に群がりおこる悪霊の騒動を鎮定すべく、国常立尊の神命を奉じ、月彦、真倉彦を伴ひ、目無堅間の御船にのり、真澄の珠を秘めおかれたる沓島にわたり、諸善神を集めて、魔軍鎮定の神業を奉仕されたのである。この時秋津島根に攻めよせきたる数万の黒竜は、竜宮の守り神および沓島の守り神、国の御柱命の率ゐる神軍のために、真奈井の海においてもろくも全滅した。しかるに陸上の曲津らは、勢力猖獗にして容易に鎮定の模様も見えなかつた。これは、ウラル山に割拠する鬼熊の部下の悪霊らの、権力争奪の悪魔戦であつた。鬼熊は部下の者共の統一力なきを憂へ、ここに一計をめぐらし、竜宮城に出入して根本的権力を得、部下の悪霊を鎮定し、すすんで地の高天原を占領せむとする企画をたててゐた。

物語02-2-9 1921/11 霊主体従丑 タコマ山の祭典 その一

(本文) 言霊別命は万難を排し、からうじて竜宮島にたち寄り、国御柱命に保護されて、やうやく竜宮城に御帰還せられた。この竜宮島の地下は、多くの黄金をもつて形造られてゐるのである。これが今地理学上の濠洲大陸に当るので、一名また冠島といふのである。

物語05-7-45 1922/01 霊主体従辰 魂脱問答

『戦ひが終んでから、まだドンドン音が聞えるが、そりや何かの原因があるのだらう。竜宮島とやらには、天の真澄の珠とか潮満潮干の珠とかいふ宝が昔から隠してあるとかで、ウラル山のウラル彦の手下の奴らがその珠を奪らうとして.沢山の舟を拵へよつて、闇がり紛れに攻め付けよつたさうだ。さうすると沓島の大海原彦神とやらが、海原とか向腹とかを立ててその真澄の珠で敵を悩まさうとした。しかしその珠は何にもならず、たうとう敵に取られてしまつたさうだよ。そして冠島一名竜宮島には潮満潮干の珠が隠してあつたさうだ。それもまたウラル彦の手下の奴らが攻めかけて奪らうとした。ここの守護神さまは、敵の襲来を悩ます積りで、また潮満とか潮干とかいふ珠を出して防がうとした。これも亦薩張役に立たず、とうたう冠島沓島も、敵に奪られて仕舞つたと云ふぢやないか。珠々というても、なにもならぬものだね』
『そりや定まつた話だよ、よう考へて見よ。真澄の珠と云ふぢやないか。マスミつたら、魔の住んで居る珠だ。それを沢山の魔神が寄つて来て奪らうとするのだもの、合うたり叶うたり、三ツ口に真子、四ツ口に拍子木、開いた口に牡丹餅、男と女と会うたやうなものだ。ナンボ海原とか向腹立とかを立てた海原彦神でも、内外から敵をうけて、内外から攻められて、お溜り零しがあつたものぢやない。また潮満とか潮干とかの珠も、役に立たなかつたと聞いたが、よう考えて見よ、塩は元来鹹いものだ、そして蜜は甘いものだ。鹹いものと甘いものと一緒にしたつて調和が取れないのは当然だ。また潮干の珠とか云ふ奴は、塩に蛭といふ事だ。ソンナ敵同士のものを寄せて潮満の珠とか、潮干の珠だとか一体わけがわからぬぢやないかい。負けるのは当然だよ。その珠の性根とやらを、どつと昔のその昔に厳の御霊とかいふどえらい神があつて、それをシナイ山とかいふ山の頂上に隠しておいた。それを竹熊とかいふ悪い奴がをつてふんだくらうとして、偉い目にあうたといふこと。しかしながら、聖地の神共は勿体ぶつて、一輪の秘密とか一輪の経綸とかいつて威張つてをつたが、とうとうその一輪の秘密がばれて、ウラル彦が嗅ぎつけ、第一番に竜宮島の珠をふんだくつて、直にその山の御性念を引張り出さうと一生懸命に攻めかかつた。その時シナイ山とやらを守つてゐた貴治別とかいふ司が、敵軍の頂辺から、その御性念の神徳を現はして岩石を降らした。ウラル彦の幕下はとうとうこれに屁古垂れよつて、何にもしないで、逃げ帰つたと言ふことだ。それで攻撃を一寸もシナイ山といふのだ』

物語07-3-17 1922/02 霊主体従午 亀の背

(本文) 夜は漸くに明け離れ、東海の浪を割つて昇る朝暾の光は、さしもに広き海原を忽ち金色の浪に彩り、向ふに見ゆる島影は、ニウジーランドの一つ島、大海原彦の鎮まりゐます、真澄の玉の納まりし、国治立大神の穿たせ玉ひし沓嶋。浪の間に間に浮きつ沈みつする様は、荘厳身に迫るの思ひあり。

物語07-4-18 1922/02 霊主体従午 海原の宮

(本文) 船は漸くニユージーランドの沓島の港に着きぬ。この島は人々の上陸することを禁じられありき。唯この島より湧き出づる飲料水を船に貯ふる為に寄港したるなり。
 日の出神は、天津祝詞を奏上し、且つ宣伝歌を歌ひながら、二人の宣伝使を伴ひ上陸し、海原彦神の鎮まります宮に詣で、海上の無事を祈願し、風波の都合にてこの島に一月許り避難する事となりにける。

物語07-4-19 1922/02 霊主体従午 無心の船

(本文) 船は纜を解いて、国治立大神の御冠になりませる竜宮島に向つて進み行く。暗礁点綴の間、何時船を打破るかも知れぬ難海路なり。日の出神は海上の無事を沫那芸沫那美の二神に祈りつつ、又もや宣伝歌を歌ひたまふ。
『国の御祖とあれませる 国治立大神は
 蓮華台上に現はれて その御冠をとりはづし
 海原目がけて投げ給ふ 御魂は凝りて一つ島
 冠島となりにけり 冠島は永遠に
 鎮まりゐます豊玉姫の 神の命や玉依姫の
 貴の命の御恵みに 御船も安く進み行け
 荒浪猛る海原も 闇より暗き世の中も
 朝日夕日の照り映えて 神の御魂の凝りて成る
 天と地との大道の 教を開く宣伝使
 日の出神と現はれて 恵を頭に冠嶋
 天地をまつる祝姫 辛き憂き世を面那芸の
 神の御心に憐れみて 常世の国に恙なく
 渡らせ給へ天津神 神伊弉諾の大御神
 月の大神野立彦 野立の姫やあら金の
 土を守らす要の神 浪路を守る綿津神
 常世の闇を晴らせかし 常世の闇を晴らせかし』

物語07-4-21 1922/02 霊主体従午 飲めぬ酒

(本文) またもや海面は波荒く猛り狂ひ、出帆を見合はすの止むなきに致り、風を待つこと殆ど一ケ月に及びける。
 この島は潮満、潮干の玉を秘めかくされ、豊玉姫神、玉依姫神これを守護し給ひつつありしが、世界大洪水以前に、ウラル彦の率ゆる軍勢の為に玉は占領され、二柱の女神は遠く東に逃れて、天の真名井の冠島沓島に隠れたまひし因縁深き嶋なりける。
 その後はウラル彦の部下荒熊別といふ者、この島を占領し、数多の部下を集め、酒の泉を湛へて、体主霊従のあらむかぎりを尽しゐたり。然るに天教山に鎮まり給ふ神伊邪那岐神はこの島の守護神として真澄姫命を遣はし給ひぬ。それより荒熊別は神威に怖れ、夜陰に乗じて常世の国に逃げ帰つたりける。その時の名残として、今に酒の泉は滾々と湧き出て居たるなりき。

物語16-2-13 1922/04 如意宝珠卯 神集の玉

(あらすじ) 宝庫の鍵を盗まれて混乱する秋山館に、亀彦、英子姫、悦子姫がやってくる。亀彦は、力を借りるため鬼武彦を呼ぶ。
 鬼武彦と亀彦、秋山彦の部下達は、高姫達を追って船を出す。しかし、高姫達は、一歩先に冠島の珠を隠してしまった。亀彦達は沓島で二人を捕らえたが、高姫は「放免しないと隠した冠島の珠の行方を言わない」と言い張る。仕方がないので、高姫を冠島に上げると、珠を懐中に隠して、「田辺の港で渡す」と言う。嵐が近づいていたので、一行は田辺の港へ急ぐ。

(本文) 高姫は二時ばかり以前に冠島に上陸し、玉鍵をもつて素盞嗚尊が秘め置かれたる如意宝珠を取りだし、山上の大桑樹の根元にひそかに埋め目標をなし、またもや青彦とともに船に乗り沓島に向かひける。
巨大なる鰐は、数かぎりなく沓島の周辺を取り囲み堅く守りゐる。
鰐の群に圧せられて、船はもはや一尺も進むこと能はず、高姫は船の綱を腰に結びつけ、鰐の背を渡つて青彦もろとも漸く断崖に登り着きぬ。この間ほとんど二時ばかりを要したりける。鬼武彦、亀彦の一行はたちまちこの場に追ひつきける。あまたの鰐は左右に分かれ船路を開く。一同は直ちに島に駈け上がり、頂上の岩窟に向かつて登り行く。
釣鐘岩の絶頂に直立一丈ばかりの岩窟あり、そこには黄、紅、青、赤、紫その他色々の光彩を放てる金剛不壊の宝玉が匿されあり。
二人は余念なくその岩窟に跳び込み玉を取らむとて汗みどろになつて働きゐる。鍵は穴の端に大切さうに木葉を敷いて置きありぬ。亀彦は手早くその鍵をとり上げ懐中に捻ぢ込みける。金剛不壊のこの玉は、地底の世界より突出せしものにして、巌の尖端に密着しあれば容易に摂取すること能はず。鬼武彦はひそかに傍の大岩石を引き抜ききたり、岩穴の上にドスンと載せたり。二人は徳利口をふさがれて姐何ともすること能はず、悲鳴をあげて泣き叫ぶ。
鬼武彦はじめ一同はここに悠然として天津祝詞を奏上し宣伝歌を唱へ、かつその周囲に蝟集して休息し、雑談に耽りぬ。岩と岩との隙間より、二人の藻掻くさまは歴然と見えゐたり。亀彦は隙間よりヌツと中を覗けば、穴の中より高姫は亀彦の顔を見上げ、
高姫『ヤア汝は三五教の宣伝使、吾々は神勅を奉じてこの玉をお迎へに参つたもの、神業の妨害すると地獄の釜に真逆様に落とされるぞ。早く悪戯をやめて誠の道に立ちかへり、この岩を除けて日の出神にお詫びを申さぬか、不届きな奴めが』
亀彦『アハ丶丶丶、末代上がれぬ岩穴に旋り込まれて減らず口を叩くな。この岩は巨大なる千引岩、たとへ百人千人来たるとも容易に動かぬ代物だ。マアマアゆるりと此処に安居して沈思黙考なされませ、吾々はこれより聖地を指してお先へご免蒙る』
高姫『岩石を取らぬなら取らぬでよい、その代はりに冠島の玉の所在は分かるまい。玉の所在が知りたくば、この岩を取り除けて吾々二人を救ひ上げ船に乗せ、鄭重に田辺の港まで送り帰せ。如意宝珠の玉は欲しくはないか』
亀彦『エー、抜け目のない奴だ。鬼武彦さま、どう致しませうか。
あなたの天眼力で、玉の所在をお探し下さらぬか』
鬼武彦『一たん悪神の手に渡つた如意宝珠なれば、外部は穢れ曇り一向霊気を放射いたさぬ。あの玉を再び用ひむとすれば七日七夜の間、和知の清泉に清めて磨かねばなりませぬ。さりとて、所在がわからねばこれまた素盞嗚の大神に対して申し訳が立たぬ。エー仕方がない、高姫、青彦両人に白状させるより外に道はありますまい』
亀彦『困つたな、万劫末代この岩穴に封じ込めてやらうと思つたに惜しいことだ。オイ、高姫、青彦の両人、貴様はよつぽど幸福者だ。玉の所在を逐一申せ、然らばこの岩を取り除いてやらう』
高姫『ドツコイ、さうは往きませぬぞ。岩石を除いて吾々を冠島まで送り届けなければ、なかなか白状いたさぬ。万一うつかり所在を知らすが最後、このままにしておかれては吾々の立つ瀬がない。吾々を救ふ方法は玉の所在を知らさぬ一法あるのみだ、ホ丶丶丶』
亀彦『エー、酢でも蒟蒻でもゆかぬ奴だ。一歩譲つてこの岩を取り除けて助けてやろか、打たぬ博奕に負けたと思うて辛抱するかなア』
と呟きながら鬼武彦に目配せすれば、鬼武彦はウンと一声、力をこめて岩を蹴る。岩石はガラガラガラツ、ドドンツと音響を立て、眼下の紫色の海中に向かつて水柱をたてつつドブンと落ち込みぬ。高姫、青彦はやうやく這ひ上がり、
『ヤア皆さま、御心配をかけました。お蔭さまで助けてもらひました。サアサ、帰りませう』
亀彦『コレヤコレヤさうはゆかぬ。どこに隠した、白状いたさぬか』
高姫『如意宝珠の玉は冠島に隠してある。此処ではない、早く船を出しなさい。ぐづぐづしてゐると荒風が吹いて帰ることができなくなる』
鬼武彦一行は、釣鐘岩を辛うじて下り船に乗り込みぬ。高姫、青彦は鬼武彦、亀彦の船に分乗せしめ、彼が乗り来たりし船には秋山彦の僕を乗せ、艪櫂の音勇ましく冠島にむかつて漕ぎ帰る。高姫は冠島へ着くや否や、猿のごとく山上に駈け上り、手早く珠を掘り出し懐中に捻ぢ込み、
『サア如意宝珠はこれでござる。今お渡しすると貴方は都合がよろしからうが、妾の都合がちよつと悪い。万一船中において海中に放り込まれでもしては大変だ。もし放り込まれたら懐中の玉と一緒に沈む覚悟だ。サアサ田辺の港でお渡し申す』
亀彦『どこまでも注意周到な奴だナア。吾々は決して汝等を苦しめる考へではない、いま直に渡してくれよ。きつと田辺に送り着けてやる』
高姫『滅相もない、そちらの出様次第によつてこの玉を岩石に打つつけて砕いてしまふか、疵をつけるか、海中に投げ込むか、いまだ見当がついてをらぬ。渡す渡さぬは田辺へ着いた上のことだ、オホ丶丶丶』
亀彦『ソンナラ貴様だけ船に乗せてやる。青彦はこの島に暫時居つて修業をしたがよろしからう』
高姫『滅相な、車の両輪、二本の脚、御神酒徳利、鑿と槌、二人居らねば何事も一人では物事成就いたさぬ。一本では歩けない、青彦も一緒に連れて帰れ』
亀彦『どこまでもづうづうしい奴だ、それくらゐでなくては三五教の切り崩しは到底できよまい。アア感心感心、韓信の股潜りだ、アハ丶丶丶』
鬼武彦『サア亀彦さま、話は悠りと船中でなさいませ。東北の天に当たつて怪雲が現はれました。暴風の襲来刻々に迫つてきました。サア早く早く』
と急き立てる。亀彦、高姫その他一同は四艘の船に分乗し、艪櫂の音勇ましく田辺をさして帰り来る。ア丶この宝珠はどうなるであらうか。
因に言ふ、この如意宝珠の玉は一名言霊と称し、また神集の玉とも言ひ、言語を発する不可思議の生玉である。ちやうど近代流行の蓄音器の玉のやうな活動をする宝玉にして、今はウラナイ教の末流たる悪神の手に保存せられ、独逸のある地点に深く秘蔵されありといふ。

物語25-2-5 1922/07 海洋万里子 酒の滝壺

(あらすじ) 冠島のクシの滝

清公は「自分の失敗は利己主義の罪によるものだ」と自覚し、「改心して名誉を回復しよう」とチヤンキーとモンキーを伴って、昔日の出神一行が上陸した冠島のクシの滝にやって来た。
 清公は「逆境に立って初めて神の慈愛を知り、宇宙の真善美を味わうことができた。左守司となって日夜心を痛め、下らぬ野心の鬼に駆使されているよりも、こう身軽になって、何の束縛も無く、自由自在に活動し得る機会を与えられたのは、幸福なことだ」と嬉し涙を流す。チヤンキーは「神も仏も鬼も蛇も悪魔も、残らず自分が招くのだ。決して他から襲来するものではない。盗賊の用意に戸締りをするよりも、心に盗賊を招かないようにするのが肝要だ。一切万事残らず自分の心から招くものだから」と言う。
 三人が酒の滝のところへ来ると、数十人の郷人がのたうちまわる大蛇の傍らで大幣を振り回し、宣伝歌を歌っていた。昔、この大蛇は山の竜神で、この滝で酒を飲んでいたが、日の出神がやってきてから酒が止まってしまった。そこで、大蛇は怒って郷の女子供を食べて、郷人を脅して、毎月果物の酒で滝壷を一杯にさせていた。
 郷人は大蛇を倒し、これを逃れようと酒の中に茴香を混ぜておいた。また、数日前には郷人の一人のタリヤが大鎌を持ち、わざと大蛇に飲まれて、体内から大蛇を倒そうとしていた。それで、大蛇が苦しんでいたのだ。
 清公は木陰に潜み、これを見ていたら、自分の体が動かないようになった。大蛇は死にもの狂いで、尾で村人を打ち、殺している。チヤンキーとモンキーも別の場所で腰を抜かしていた。清公はその尾に打たれ、チヤンキーとモンキーのいる所まで飛ばされ、腰が動かなくなった。

物語25-2-6 1922/07 海洋万里子 三腰岩

(あらすじ) 冠島のクシの滝

腰を抜かしたチャンキーはからかい半分の歌を歌う。清公も歌う。すると二人の腰は立った。モンキーは腰が立たなかった。しかし、実際は、モンキーは最初から腰が抜けてはいなかったのだ。そのモンキーも立ち、三人は天津祝詞を奏上して、大蛇を退治すべく、クシの滝つぼに向う。

物語25-2-7 1922/07 海洋万里子 大蛇解脱

(あらすじ) 冠島のクシの滝

清公、チヤンキー、モンキーが宣伝歌を歌いながら酒の滝壷の前にやってくると、大蛇は半死半生で、飯依別、久木別、久々別ら郷人は大蛇の身体を突き刺して殺そうとしていた。
 清公は「たとえ大蛇といえども天帝の分身分体であるので、易々殺してはいけない。言霊を持って向かい、それでも帰順しない時は、おのおの得物を持って、直接行動を開始すべきだ」と、一行を制止し、大蛇の頭部に上り宣伝歌を歌い出した。
 歌では、「大蛇は死んでも霊魂はこの世に残り、恨みを晴らし、世を乱し荒び猛るのは目の当たりだ。大蛇は、郷人が祭政一致の大道を忘れ、体主霊従の行動をとり、自分たちで生み出した心の反映である」と歌う。宣伝歌を聞いて、大蛇は次第に縮小して、小蛇となって嬉しげに這いまわった。

物語28-4-21 1922/08 海洋万里卯 喰へぬ女

(本文) 『何人にも口外することはできないのですが、あなたに限つて、他言をして下さらねば申し上げませう。如意宝珠の天火水地の宝玉は、自転倒島の中心地、冠島沓島に大切に隠してあります。それを高姫が、吾々が持ち逃げしたものと思ひ、私の後を追ふてここまでやつて来たのでせう。ご存じの通り、吾々両人は、玉などは一個も所持してはゐませぬでせう』

物語29-3-11 1922/08 海洋万里辰 日出姫

(本文) 女神『又後戻りを致さぬ様に気をつけて置く。就いては、汝これより常彦、春彦と共に此原野を東へ渉り、種々雑多の艱難を嘗め、アルの港より海岸線を舟にて北方に渡り、ゼムの港に立寄り、そこに上陸して、神業を修し、再び船に乗り、チンの港より再び上陸して、アマゾン河の口に出で、船にて河を遡り、鷹依姫、竜国別の一行に出会ひ、そこにて再び大修業をなし、言依別命、国依別命の命に従ひ、直様自転倒島に立帰り、沓島冠島に隠されてある、青、赤、白、黄の麻邇の珠を取出し、錦の宮に納めて、生れ赤子の心となり、神業に参加せよ。少しにても慢神心あらば、最前の如く、鬼神現はれて、汝が身魂に戒めを致すぞよ。ゆめゆめ疑ふ勿れ。余れこそは言依別命を守護致す、日の出姫神であるぞよ。今日迄其方日の出神の生宮と申して居たが、其実は金毛九尾白面の悪狐の霊、汝の体内に憑りて、三五の神の経綸を妨害致さむと、汝の肉体を使用してゐたのであるぞや』

物語33-3-17 1922/09 海洋万里申 感謝の涙

(本文) 秋山彦『いかなる神界の御用をいたすのも、みな神様からの御命令、身魂相応の因縁がなくては出来ないのでございます。ついては、鷹依姫様、竜国別様、モウ一人の黒姫様、この四人の方が、麻邇宝珠の御用をして下さらねばならない因縁でございますが、あいにく竜宮洲より五色の麻邇宝珠が現はれたまふ時機到来して、惟神的に高姫様、黒姫様お二人を竜宮の一つ洲へお導きになりましたなれど、あなた方はこの一つ洲には最早玉はない、外を捜さうといつて、お帰りになられました。それ故やむを得ず、神界の思召しに依つて、梅子姫様は紫の玉の御用、これは身魂の因縁で当然錦の宮へお持ち帰りにならねばならぬお役でございました。それから青色の玉は高姫様、赤色の玉は黒姫様、白色の玉は鷹依姫様、黄金の玉は竜国別様が御用あそばす、昔からの因縁にきまつてをつたのです。しかしながら、四人の方はいろいろと神界の時節を待たずお焦りになつて、いづれも方角違ひの方へ往ていらツしやつたものですから、神界のお計らひにて、黄竜姫、蜈蚣姫、友彦、テールス姫の四柱がこの自転倒島まで臨時御用を遊ばしたのでございます。しかしながら身魂の因縁だけの御用を、今度は勤めねばならないのですから、神素盞嗚大神様、言依別命様のお計らひにて、紫の玉を除く外四つの玉は言依別命様が責任を負ひ、ある地点にお隠しになつてゐるのでございます。どうしても因縁だけのことを勤めねばならぬのであります。今度の御用を仕損つたら、モウこの先は末代取り返しが出来ませぬから、そんなことがあつては、あなた方にお気の毒だと、大慈大悲の大御心より神素盞嗚大神様が、我が子の言依別命様に責任を負はせ、罪を着せ、ああいふ具合にお取り扱ひになつたのでございますよ。今ここにウヅの国より、松彦の司に事依さし神素盞嗚大神様をはじめ、言依別命、国依別命より神書が届きました。どうぞこれをお披き下されば、玉の所在もスツカリお分かりでせう。どうぞ御苦労ですが、モウ一働き御用を願ひませう』
 高姫は初めて大神の大慈悲心と、言依別命および国依別命の真心を悟り、感謝の涙に暮れてその場に泣き倒れた。鷹依姫、竜国別も声を放つて、その神恩の深きに号泣してゐる。
 かかるところへ筑紫の洲より黒姫の所在を尋ね、玉治別、秋彦の両人、黒姫を連れて帰り来たり、ここに四人の身魂は久しぶりに顔を見合はすこととなつた。
 秋山彦は黒姫に重ねて前述の次第を物語り、神書を開いて読み聞かせた。
 黒姫、玉治別らの筑紫洲に於ける活動の模様は後日に稿を改め、述ぶることといたします。
 秋山彦は神文を押し戴き、静かに開いて、四人の前に読み上げた。
 その神文、
『このたび、国治立命、国武彦命と身を下し玉ひ、また豊国姫命は国大立命となり、再び変じて神素盞嗚尊となり、国武彦命は聖地四尾山に隠れ、素盞嗚尊はウブスナ山の斎苑の館に隠れて、神政成就の錦の機を織りなす神界の大準備に着手すべき身魂の因縁である。それについて、稚姫君命の御霊の裔なる初稚姫は、金剛不壊の如意宝珠を永遠に守護し、国直姫命の御霊の裔なる玉能姫は紫の玉の守護にあたり、言依別命は黄金の玉を永遠に守護し、梅子姫命は紫色の麻邇の宝珠の御用に仕へ、高姫は青色の麻邇の宝玉、黒姫は赤色の麻邇の宝玉、鷹依姫は白色の麻邇の宝玉、竜国別は黄色の麻邇の宝玉を守護すべき身魂の因縁なれば、これより四人は麻邇の宝珠を取り出し、綾の聖地に向かふべし。控への身魂は何程にてもありとはいへども、なるべくは因縁の身魂にこの御用を命じたく、万劫末代の神業なれば、高姫以下の改心の遅れたるため、神業の遅滞せし罪を言依別命に負はせて、高姫以下に万劫末代の麻邇の神業を命ずるものなり。……神素盞嗚尊』
と記してあつた。四人は感謝の涙にむせびながら、直ちに手を拍ち、神殿に感謝の祝詞を奏上した。秋山彦は黄金の鍵を持ち出でて、高姫に渡し、
秋山彦『いざ四人の方々、わが館の裏門よりひそかに由良の港に出で、沓島に渡り、麻邇宝珠の四個の玉を、各自命ぜられたるごとく取り出し、ひそかに聖地へ帰り、尊き神業に参加されたし。このこと、聖地その他の神司、信徒の耳に入らば、かへつて四人の神徳信用に関係すること大なれば、一切秘密を守り、大神の御意志を奉戴し、今までの罪を贖ひ、天晴れ麻邇宝珠の神司として、聖地にあつて奉仕されむことを希望いたします。サア早く早く……』
と急き立てられ、四人は喜び勇んで、裏口より秘かに脱け出で沓島にむかつて進み行く。
 このこと玉治別をはじめ、加米彦、テー、カー、常彦、その他の神司、聖地の紫姫、黄竜姫、蜈蚣姫、友彦、テールス姫その他の神司も信徒も永遠に知る者がなかつたのである。
 高姫外三人は素盞嗚尊の仁慈無限のお計らひにて、罪穢れを許され、身魂相応因縁の御用を完全に奉仕させられたのである。

物語35-1-1 1922/09 海洋万里戌 言の架橋

(本文)  現代の日本国の西海道九州もまた総称して筑紫の島といふ。国祖国常立之尊が大地を修理固成し玉ひし時、アフリカ国の胞衣として造り玉ひし浮島である。また琉球を竜宮といふのも、オーストラリアの竜宮洲の胞衣として造られた。されど大神は少しく思ふところましまして、これを葦舟に流し捨て玉ひ、新たに一身四面の現在日本国なる四国の島を胞衣として作らせ玉ふた。ゆゑに四国は神界にては竜宮の一つ島とも称へられてゐるのである。丹後の沖に浮かべる冠島もまた竜宮島と、神界にては称へられるのである。

物語38-3-13 1922/10 舎身活躍丑 冠島

(本文) しばらくあつて、東の空は燦然として茜さし、若狭の山の上より、黄金の玉をかかげたるごとく、天津日の神は豊栄昇りに輝きたまひ、早くも冠島は手に取るばかり、目の前に塞がり、囀る百鳥の声は、百千万の楽隊の一斉に楽を奏したるかと疑はるるばかりであつた。かの昔語にとくところの浦島子が亀に乗つて、竜宮に往き、乙姫様に玉手箱を授かつて持ち帰つたと伝ふる竜宮島も、安部の童子丸がいろいろの神宝や妙術を授けられたといふ竜宮島も、また古事記などに記載せられたる彦火々出見命が塩土の翁に教へられて、海に落ちたる釣針を捜し出さむと渡りましたる海神の宮も、みなこの冠島なりといひ伝ふるだけあつて、どこともなく、神仙の境に進み入つたる思ひが浮かんできた。
 正像末和讃にも末法五濁の有情の行証叶はぬ時なれば、釈迦の遺法悉く竜宮に入り玉ひにき。正像末の三時には弥陀の本願広まれり、澆季末法のこの世には諸善竜宮に入り玉ふ。
とあるをみれば、仏教家もまた非常に竜宮を有難がつてゐるらしい。
 かかる目出たき蓬莢島へ恙なく舟は着いた。
 翠樹鬱蒼たる華表の傍、老松特に秀でて雲梯のごとく、幹のまわり三丈にも余る名木の桑の木は、冠島山の頂に立ちそびえ、幾十万の諸鳥の声は、教祖の一行を歓迎するがごとくに思はれた。
 実に竜宮の名に負ふ山海明媚、風光絶佳の勝地である。
 教祖は上陸早々、波打際に御禊された。一同もこれに倣うて御禊をなし、神威赫々たる老人島神社の神前に静かに進みて、蹲踞敬拝し、綾部より調理し来たれる、山の物、川の魚うまし物くさぐさを献り、治国平天下安民の祈願をこらす、祝詞の声は九天に達し、拍手の声は六合を清むる思ひがあつた。これにて先づ冠島詣での目的は達し、帰路は波もしづかに、九日の夕方、舞鶴港の大丹生屋に立ち帰り、翌十日またもや徒歩にて、数多の信者に迎へられ、目出たく綾部本宮に帰ることを得たのである。

物語38-3-14 1922/10 舎身活躍丑 沓島

(本文) 綾部で組み立てて持つてきた神祠をといて、柱一本づつ舟人が縄で縛る、四方と福島がひきあげる。やうやく百尺ばかりもある高所の二畳敷ほどの平面の岩の上を鎮祭所となし、一時間あまりもかかつて、やうやく神祠を建て上げ、艮の大金神国常立尊、竜宮の乙姫、豊玉姫神、玉依姫神を始め、天地八百万の神等を奉斎し、山野河海の珍物を供へをはり、教祖は恭しく祠前に静坐して、声音朗らかに天下泰平、神軍大勝利の祈願の祝詞を奏上される。
 話はちよつと後前になつたが、第一着に、海潮が遷座式の祝詞を恐み恐み白し上げ、最後に一同打ち揃うて大祓の祝詞を奏上した。島の群鳥は、祝詞を拝聴するもののごとくである。何分北は露西亜の浦塩斯徳港までつつ放しの島であるから、日本海の激浪怒濤は、みなこの沓島の釣鐘岩に打つつかるので一面に洗ひ去られて、この方面は岩ばかりで土の気は見たいと思うても見当らなかつた。
 沖の方から時々寄せ来る山のやうに大きな浪が、この釣鐘岩に衝突して、百雷の一時に鳴り響くやうに、ゴンゴンドドンドドンと烈しき音が耳を刺戟する。舟人は今日は数年来に見た事のない穏やかの波だといつた浪でさへも、これくらゐの音がするのだもの、海の荒れた日にはどんなに烈しからうと思へば、凄いやうな心持がして来た。
 船人の語るところによれば、この釣鐘岩には、文禄年間に三種四郎左衛門といふ男、数百人の部下を引き率れ、冠島を策源地として陣屋を構へ、時の天下を横領せむと軍資金を集むるために、海上往来の船舶を掠め海賊を稼いで、この岩の頂上に半鐘を釣り、斥候の合図をし、冠島との連絡をとつてゐたので、被害者は数ふるに暇なきまで続出したので、武勇の誉高き豪傑、岩見重太郎がこれを聞いて捨ておけぬと、計略をもつて呉服屋に化け、一人一人舞鶴へ引き寄せ、牢獄に打ち込み、悉皆退治したと伝ふる有名な島で、その後は釣鐘島、鬼門島と称し、誰もこの沓島へは来たものはないといつてゐた。
 しかるに今回初めて教祖が世界万民のために、百難を排して渡り来られ、神々様を奉祀し、天下無事の祈禧をされたのは、実に前代未聞の壮挙であるといふので、東京の富士新聞や、福知山の三丹新聞を始めその他の諸新聞に連載されたことがある。
 さてこの島を一周りして、奇岩絶壁を嘆賞しつつ冠島へ再び舟を漕ぎ寄せ、一行九人打ち揃うて神前に拝礼し、供物を献じ終つてまたこの冠島も一周することとなつた。周囲四十有余丁あり、世界のあらゆる草木の種子は、みなこの島に集まつてあるといはれてある。昔は陸稲も自然に出来てゐたのを、大浦村の百姓が肥料を施して汚したので、その後は稲は一株も出来なくなり、雑草が密生するやうになつたのだと、二人が話しつつ覗き岩まで漕ぎつけて見れば、数十丈の岩石に自然の隧道が穿たれてある。屏風を立てたやうな岩や書籍を積み重ねたやうな岩立ち並び、竜飛び虎馳しるごとき不思議の岩が海中に立つてゐる。
 少しく舟を西北へ進めると、一望肝を消すの断巌、一瞻胸を轟かすの碧潮に鯛魚の群をなして縦に泳ぎ、緯に潜み、翠紅、色こもごも乱れてあたかも錦綾のごとく、感賞久しうして帰ることを忘れるに至る。ここに暫く遊んでゐると、十年も寿命がのびるやうである。世の俗塵一切を払拭し去つたやうな観念が胸に湧いてくる。とにかく男女を問はず信徒たるものは、一度は是非参詣すべきところである。

物語38-3-15 1922/10 舎身活躍丑 怒濤

(本文) 会長は聖地を出立の際、教祖より、
『今度はよほど神さまを頼みて気をつけて参らぬと、先日の参拝のやうに楽にはゆきませぬぞや。罪の塊ばかりだから、万々一危急の場合、命に関するやうなことのあつた時には、これを開いて見るがよい』
と密封した筆先をお授けになつたのを、大切に肌の守りとしてつけてゐたが、披見するは今この時だと、懐中より取り出だし、おしいただいて披いて見れば、中には平仮名ばかりで、何事かが記されてある。その筆先の大要は、
『艮の金神が出口の手をかりて気をつけるぞよ。慢心は大怪我の元ぢやぞよと毎度筆先で知らしてあるが、今の人民は知恵と学ばかりにこり固まり、途中の鼻高になりて、神の教を聞く精神の者がなきやうになりて、天地の御恩といふことを知らぬゆゑ、世の中に悪魔がはびこり、世が紊れるばかりで、この地の上がむさくるしくて、神の住居いたす所がないやうになりたので、誠の元の生神は、この沓島冠島に集まりてござるぞよ。それゆゑによほど身魂の研けた者でないと、この島へは寄せつけぬぞよ。この曇りた世を水晶にすまして、元の神国に立直さねばならぬ大望があるゆゑに、明治二十五年から、神は出口の手をかり、口をかりて、いろいろと苦労をさして、世間へ知らせてゐるなれど、あまり世におちぶれてをる出口直に御用をさすことであるから、今の人民は誠にいたす者がないぞよ。人民はこの結構なお土の上に家倉を建て、青畳の上で、安心に月日を送らしてもらひながら、天地の御恩を知らぬばかりか、神はこの世になきものぢやと思うてゐるものがちであるから、神の守護がうすかりたなれど、人間は神がかまはねば、一息の問も生きてをることは出来ぬぞよ。人間のこの世を渡るのは、ちやうど今この小舟に乗り、荒い海を、風と波にもまれて渡るよなものである。誠に人の身の上ほど危ない果かないものはない。もしこの舟に一人の舟人と艪櫂がなかりたならば、直ぐに行きも戻りもならぬよになり、舟を砕くか、ひつくり返るか、人も舟も海の藻屑とならねばなるまい。人民も神の御守護なき時は、しばらくもこの世にをることはできぬ。この世の中は、人を渡す舟のようなもので、神の教は艪櫂である、出口直はこの舟を操る舟人のような者である。今の困難を腹わたにしみ込ませて、いつまでも忘るることなく、神さまの恵を悟つて信心を怠るなよ。何事もみな信心の力によつて、成就するのであるから、神の御子と生まれ出でたる人民は、チツとのまも神を離れるな丶道をかへるな、欲に惑ふな、誠一つで神の教に従へ。災多き暗がりの世は、誠の生神より外にたよりとなり力となるものはないぞよ。云々』

物語38-3-16 1922/10 舎身活躍丑 禁猟区

(本文) 『なんぼ信神で参拝るにしても、神様の御守護があるにしても、この気色では鬼でなくて行けんでの。マア二三日ゆるりと遊んで待つておくれ。天候が定まつたら、お伴をさしてもらはうかいの。明日はまた冠島様の一年一度の御祭典で、今晩は冠島の明神が神船に乗つて、対岸の新井崎神社に御渡海になるので恐ろしい夜さだ。なかなか舟は出せぬでの、もし神の御心にでも障つたら大変だ。桑名の亀造でなけら、今晩舟を出す者はないわいの』

『一昨年あたりから、横浜や神戸あたりから六七十人の団体がやつて来て、五六十万羽の鯖鳥を密猟したので、近ごろは大変に鳥が減つて、漁猟に差し支へて皆の者が困つとるわいの』
と水夫二人が悲しさうに物語りつつ、早くも沓島に向かつて漕ぎ出した。
 冠島沓島の中津神岩には数十羽の沖つ鳥、胸見る姿羽たたきもこれ宜しと流し目に、一行の舟を見送つてゐる。浅久里、棚の下の巌壁を面白く左手に眺めて、諸鳥の囀る声は鐘の岩の真下に漕ぎつけた。奇絶壮絶胸為に清涼を覚ゆ。
 去る明治三十四年、見渡せば山野は靉靆として花の香に匂ひ、淡糊を解いて流したやうな春霞は、パノラマのごとき景色の配合を調和して、鳥は新緑の梢にうたひ、蝶は黄金の菜の花に舞うてゐる好時節、舞鶴の海は白波のゆるやかに転び来たつて、遠きは黄に近きは白く、それが日光に反射して、水蒸気の多い春の海を縁取つて、得も言はれぬ絶景、天下泰平の真つ最中、出口教祖は三十五名の教弟を引き連れられて、この鐘岩の絶頂に登り立ち、丹後国宮川の上流、天岩戸の産水と竜宮館の真清水を汲み来られ、眼下の海原見かけて、恭しく撒布し玉ひ、祝して仰せらるるやう、
『向後三年の後には必ず日露の開戦がある。その時は巨人のごとき強大国と小児のごとき小国とが、世界列国環視の下で、いはゆる晴れの場所、檜舞台の上での腕比べの大戦争であるから、万々一不幸にして、我が国が不利の戦争に終はるやうなことになつたら、それこそ大変、万却末代、日本帝国の頭が上がらぬ。そこで国祖の神霊大いにこれを憂慮したまひ、今この老躯をここに遣はし、世界平和のため丶日東帝国の国威宣揚のため祈願せさせ玉ふなり。ア丶艮の大金神国常立尊よ、仰ぎ願はくは太平洋のごとく広く、日本海のごとく深き御庇護を、我が神国日本の上に降したまひて、この清けき産水と美はしき真清水の海洋を一周し、雲となり、雨となり、或ひは雪となり霰となつて、普く五大洲を潤はし、天下の曲霊を掃蕩し、汚穢を洗滌し、天国を地上に建設し、豊葦原瑞穂国をして、真の楽境となさしめ、黄金世界を現出せしめ玉へ』
と満腔の熱誠と信仰をこめ、天地も崩るるばかりの大音声を振り上げて祈願されし断岩は、即ちこれであると、喜楽の談を聞いた一行は、是非一度登岩して見たき一念、期せずしてムラムラと湧起し、矢も楯もたまらぬやうになつた。
 水夫に頼んでカツカツにも舟を着けてもらひ、かき登つてみると、手足がワナワナするやうな心地がして、教祖の勇気に充たせられてをられることを、今更のやうに感歎せずにはをられぬやうになつた。
 音に名高き弥勒菩薩は、自然岩に厳然としてその英姿を顕はし、あたかも巨人が豆のごとき人間を眼下に睥睨してゐるやうで、どこともなく神聖不可犯の趣が拝まれる。遠く目を東北に放てば、日本海の波浪は銀屏を連ねたるがごとく、黄金の大塊東天に輝き、足下の海は翠絹の褥のごとく、美絶壮絶、快感譬ふるに物なし。
 歎賞久しうしてふたたび舟に上がり、鰐の巣突当岩を巡見するに、奇また奇、怪また怪、妙と手を拍ち、絶と叫び、精神恍惚として羽化登仙したるの思ひであつた。
 舟は容赦もなく鬼岩の眼下を脱け出で、辛うじて戸隠岩に漕ぎついた。到着早々癪にさはつたのは、不届き至極にも、かかる神聖なる神島にまで、密猟者が入り込み、少しばかりの平地をトして藁小屋を結び、雨露を凌ぎつつ、日夜鳥網を張りまはし、棍棒を携帯し、垢面八字髭を貯へた見ても恐ろしい様子、腹でも空いたら人間でも容赦なく餌食にしかねまじき五十男が、張本人と見えて、数多の壮丁を使役して、しきりに信天翁を捕獲してゐた真つ最中であつたが、彼らは教服姿の吾ら一行を遙見して、何ゆゑか右往左往にあわてふためき、山上目がけて駆け登るあり、断岩を無暗に疾走するあり、何事の起こりたるかと怪しまるるほどであつた。やや落ちつき顔の一人を近く招いて、
喜楽『あなた等は何をもつてか俄かにあわて迷ふぞ。自分らは信仰上より梅雨を冒して、今この神島に参詣した者だが、見ればあんた等は海鳥の密猟者と見えるが、しかし商売とはいひながら、かかる危険な殺伐な所業を止めて、他の正業に就きたまへ』
と三人は熱誠をこめて説き諭せども、もとより虎狼のごとき人物、一言も耳に入りさうな気配だにない。「自由の権、かもてなやホツチツチ」と言はぬばかりの面がまへ、いらぬ奴が来やがつて、人をビツクリさしやがつたが、マア裁判官でなくて大安心……と口走つたのは滑稽の極みであつた。
 そもそも昨年来、出口教祖は冠島沓島の密猟を非常に惜しまれ、かつ罪もなき鳥族の徒に生命を奪はるるを憐みたまひ、鳥族保護の祈願まで、朝夕神前にて御執行あつたが、本日は満願の日なれば、神明へ謝礼のために種々の供物を持たせ、自分らを特に御差遣になつたのである。それがまた偶然か神の摂理か、不可思議にも今日すなはち明治四十二年六月二十二日、京都府告示第三百十九号をもつて、加佐郡西大浦村大字三浜小橋およびこの両島の区域を禁猟区域となし、今後十年間は年内を通じて該区域内に棲息する鳥類および雛の捕獲、または採卵を禁止せられた当日であつた。

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