大自在天と大黒主

1.物語2巻総説 8.大黒主
2.物語3巻序文 9.バラモン教とは何か
3.大洪水までの流れ 10.ひろくにわけ
4.鬼雲彦と大国彦 11.国別とサガレン王
5.大洪水以降 12.その他
6.黄泉津比良坂 13.まとめ
7.大国別とバラモン教・ウラナイ教  

資料集(この論考に関する本文の抜書き集。別ウインドウで開きます)


1.物語2巻総説

大自在天について体系的に説明されている箇所は物語2巻の総説である。

物語2巻 1921/11 霊主体従丑 総説

 盤古大神塩長彦は日の大神の直系にして、太陽界より降誕したる神人である。日の大神の伊邪那岐命の御油断によりて、手の俣より潜り出で、現今の支那の北方に降りたる温厚無比の正神である。

 また大国彦は、天王星より地上に降臨したる豪勇の神人である。いづれもみな善神界の尊き神人であつたが、地上に永住されて永き歳月を経過するにしたがひ、天足彦、胞場姫の天命に背反せる結果、体主霊従の妖気地上に充満し、つひにはその妖気邪霊の悪竜、悪狐、邪鬼のために、いつとなく憑依されたまひて、悪神の行動を自然に採りたまふこととなつた。それより地上の世界は混濁し、汚穢の気みなぎり、悪鬼羅刹の跛扈跳梁をたくましうする俗悪世界と化してしまつた。

 八王大神常世彦は、盤古大神の水火より出生したる神にして、常世の国に霊魂を留め、常世姫は稚桜姫命の娘にして、八王大神の妃となり、八王大神の霊に感合し、つひには八王大神以上の悪辣なる手段を用ゐ、世界を我意のままに統轄せむとし、車輪の暴動を継続しつつ、その霊はなほ現代にいたるも常世の国にとどまつて、体主霊従的世界経綸の策を計画してをる。
 ゆゑに常世姫の霊の憑依せる国の守護神は、今になほその意志を実行せむと企ててをる。八王大神常世彦には天足彦、胞場姫の霊より生れたる八頭八尾の大蛇が憑依してこれを守護し、常世姫には金毛九尾白面の悪狐憑依してこれを守護し、大自在天の系統とが、地上の霊界において三つ巴になつて大活劇を演ぜらるるといふ霊界の珍しき物語である。

○大自在天大国彦は天王星より地上に降臨した。

この話は何度も出ていて、44巻8章でも、「天王星の精霊より  降り玉ひし自在天  大国彦を主神とし  霊主体従の御教を  普く宇内に輝かし  世人を救ひ守らむと  計りて立てるバラモンの  教は元より悪からず」と書かれている。

○善神界の尊き神人である。

六面八臀の邪気(邪鬼)に憑依されている。

○艮の金神系統、盤古系統、大自在天系統が地上の霊界において三つ巴になつて大活劇を演じている。

物語41巻3章では、盤古、大自在天、国治立尊の関係をはっきりと示している。神から現われた神と、人から現われた神には区別がなければならない。これこそ霊界物語のテーマではないだろうか。

物語41-3-13 1922/11 舎身活躍辰 夜の駒

『ハイ、別に信ずるといふ訳では厶いませぬが、大自在天様も世界の創造主、国治立尊様も矢張り世界の創造主、名は変れども元は同じ神様だと信じて居ります

 『国治立尊様は本当の此世の御先祖様、盤古神王や自在天様は人類の祖先天足彦、胞場姫の身魂から発生した大蛇や悪狐悪鬼の邪霊の憑依した神様で、言はば其祖先を人間に出して居る方ですから、非常な相違があります。神から現はれた神と、人から現はれた神とは、そこに区別がなければなりませぬよ』 

『あゝさうで厶いますかなア。私は三五教の奉斎主神たる国治立大神様も、盤古神王様も、大自在天様も同じ神様で、名称が違ふだけだと聞いて居ります。私も固くそれを信じて居りましたが、さう承はれば一つ考へねばなりますまい。チヨツト貴女様母娘に見て頂きたいものが厶りますから、どうぞ私の籠り場所へお越し下さいませ。妻でも左守の司でも誰一人入れたことのない神聖な居間で厶います。テームスよ、レーブ、カルと共にここに暫く待つてゐてくれ』


2.物語3巻序文

3巻の序文では、霊界物語とは直接関係の無い、日本の記紀、仏教での大自在天に触れている。

この文章では、大国主を語っている文章に唐突に「皇祖の神は、平和の象徴たる璽と、智慧の表徴たる鏡とをもつて、世を治めたまふのが御神意である」というフレーズが挿入されている。

単純に読めば、大国主=皇祖の神となるが、霊界物語が書かれた大正時代の読者には、大国主≠皇祖であることは自明のこととして頭の中に入っているので、皇祖=天皇家の祖先神と読めたのであろう。

下の文章では、

○大自在天は記紀で言えば大国主命である。

○大自在天はバラモン教では「世界万物の造物主であり、また世界の本体」と崇拝されていたが、仏教では、「第六天の統治者」として平凡な扱いを受けるだけになった。

とあり、バラモン教でこの扱いの神はシヴァ神であろうから、大自在天=大国主命=シヴァ(そして上の皇祖の読み方をすると)=皇祖。非常に物議を醸し出す解釈であろう。しかし、王仁三郎はそのような解釈はしていなかったと思う。

例えば、『新月の光』(下)には「大国主命の系統の今残っているのは千家だけである」と言っている。第二次大本事件の裁判では、国家側から「国常立尊の名前を借りて大国主命の復権」を説いているという追求がなされているが、そうではないと受け答えしている。

霊界物語で大国主の名前が出るのはここと数ヶ所、問題となるのは「一、一旦人の肉体を保ちて霊界に入り給ひし神を、顕の幽と称え奉る。大国主之大神および諸々の天使および天人の類をいふ」というところくらいだろうか。この文章では、大国主命は国津神ということだろう。

物語3巻 1921/10 霊主体従子 序文

 この物語のうちに大自在天、または常世神王と申しあげてあります。

 大自在天とは仏典にある仏の名であるが、神界にては大国主神様の御事であります。この神は八代矛の威力をふるつて、天下を治めたまうた英雄神である。皇祖の神は、平和の象徴たる璽と、智慧の表徴たる鏡とをもつて、世を治めたまふのが御神意である。

 また盤古大神塩長彦は一名潮沫彦と申し上げる、善良なる神にましますことは、前篇に述べたとほりであります。この神を奉戴して荒ぶる神人等が色々の計画をたて、神界に活動して国治立命の神政に対抗し、種々の波瀾をまきおこしたことはすでに述べたとほりである。そこでこの世界を救ふべく、諾冊二神がわが国土を中心として天降りまし、修理固成の神業を励ませたまふこととなつた、ありがたき物語は篇を逐うて判明することであらうと思ひます。

凡例

一、第一巻に国治立命、盤古大神、大自在天につきその真相を識らむとする人々のために、ちよつと説明を加へておきたいと思ひます。

(中略)

 さうして盤古大神は体主霊従(われよし)で、国常立尊は霊主体従(ひのもと)であります。しかし本書には神名を国治立命と申し上げてあります。
 つぎに大自在天神と命名されて、やうやく第六天の統治者として、きはめて平凡な取扱ひを受くるものとなつたのです。

同様の文章が14巻にもある。

物語14-99-1 1922/03 如意宝珠丑 跋文

三千世界も仏教中の用語であり、艮の金神も神道の語ではない。須弥仙山は仏教家の最も大切にして居る霊山である。またミロク菩薩とか竜宮とか竜神とか、天子とか、王とか現はれて居るのは、悉く仏教の語を籍りて説かれたものであります。故に筆先にある王とは、八大竜王及諸仏王の略称であり、天子と云へば明月天子、普香天子、宝光天子、四大天王その他諸天子、諸天王の略称であることは勿論であります。自在天子、大自在天子、梵天王、その他王の名の付いた仏は沢山にあり、仏も神も同一体、元は一株と説いてある。また大自在天子のその眷属三万の天子と与に倶なりとあるを見れば天子とは即ち神道にて云ふ神子又は神使であります。要するに、神の道、仏の道に優れたる信者の意味になるのであります。天子は、また天使エンゼルとキリスト教では謂つて居ます。大本の筆先は教祖入道の最初より仏教の用語で現はせられたのであるから凡て仏教の縁に由つて説明せなくては、大変な間違ひの起るものであります。王仁は弥勒菩薩に因める五百六十七節を口述し了るに際し、仏教に現はれたるミロク菩薩の位置を示すと同時に筆先は一切仏の用語が主となりて現はれて居ることを茲に説明しておきました。

40巻総説にもバラモン教での大自在天の説明がある。

物語40-0-3 1922/11 舎身活躍卯 総説

 印度の国の種姓は其実刹帝利(略して刹利とも曰ふ)、婆羅門、毘舎、首陀四姓の外に未だ未だ幾種姓もあつたが、余り必要もなければ、その中の重なる四姓のみを茲に表示しておきます。併し諸姓の多くあるなかに婆羅門種殊に大婆羅門とは豪族にして、勢力あるものの謂である。之を特に清貴と称へ、天地を創造せる大梵天王の子、梵天の苗胤にて世々その称を襲うて居るのである。義浄三蔵が『寄帰内法伝』に曰ふ、『五天之地、皆以婆羅門為貴勝凡有座席並不与余三姓同行、自外雑類故宜遠矣』とある三姓は即ち刹帝利、毘舎、首陀のことで、此の中でも刹帝利は王族なるにもかかはらず、同席同行せずと謂ふのを見ても印度にては貴勝族とされて居たことは明白であります。婆羅門と云ふ語は梵天の梵と同語なるが故に、貴勝と称へられたのである。

 印度とは月の意義であるが、印度全体を通じては月とは云はずして婆羅門国と謂つて居たのである。婆羅門教徒の主唱する所によれば、 『大虚空上に大梵天とも梵自在天とも大自在天とも称ふる無始無終の天界が在つて、その天界には大梵王とも那羅延天とも摩首羅天とも称する大主宰の天神があつて、これもまた無始無終の神様なるが故に、無より有を出生せしめて是の天地を創造し、人種は云ふも更なり、森羅万象一切の祖神である』 と語り伝へて来たのである。又曰ふ、 『所有一切の命非命は皆大自在天より生じ又大自在天に従つて亡滅す、自在天の身体は頭は虚空であり、眼は日月であり、地は肉体であり、河海の水は尿であり、山岳は屎の固まつたものであり、火は熱又は体温であり、風は生命であり、一切の蒼生は悉く自在天が肉身の虫である。自在天は常に一切の物を生じ給ふ』 と信じられて居たのであります。支那の古書にも、 『盤古氏之左右目為日月毛髪為草木頭手足為五岳泣為江河気為風声為雷云々』 とあるに酷似して居ります。

 また婆羅門の説に、 『本無日月星辰及地。唯有大水。時大安荼生如鶏子。周匝金色也。時熟破為二段。一段在上作天一段在下作地。彼二中間生梵天名一切衆生祖公。作一切ノ有命無命物。』 と謂つて居るが、支那の古伝に、 『天地渾沌如鶏子盤古生其中一万八千歳而天地開闢。清軽者上為天濁重者下為地盤古在其中一日九変神於天聖於地天極高地極深盤古極長此天地之始也』 と謂へるによくよく似て居ります。又梵天王は八天子を生じ八天子は天地万物を生ず。故に梵天王は一切衆生の父と云ひ威霊帝とも謂はれて居る。


3.大洪水までの流れ

さて、第一巻から大洪水までは1.で書いたように、「艮の金神系統、盤古系統、大自在天系統が地上の霊界において三つ巴になつて大活劇を演ぜられている」ことが書かれている。

盤古系統とは常世彦のグループであり、盤古大神自身は微妙な立場をつらぬいている。対して、大自在天は自ら全面に立って指揮をしていると言えるだろう。

■第一巻

盤古大神派と大自在天派は協力したり争ったりしている。

物語01-3-22 1921/10 霊主体従子 国祖御退隠の御因縁

しかるにこのとき霊界は、ほとんど四分五裂の勢となり、一方には、盤古大神(又の御名塩長彦)を擁立して、幽政を主宰せしめむとする一派を生じ、他方には、大自在天神派に付随せむとし、また中には、この両派に属せずして中立しながら、国常立尊の神政に反対する神々も生じてきた。

その後、盤古大神を擁立する一派と、大自在天神を押立つる一派とは、烈しく覇権を争ひ、つひに盤古大神の党派が勝ち幽政の全権を握ることになつた。一方国常立尊は自分の妻神坤金神と、大地の主宰神金勝要神および宰相神大八洲彦命その他の有力なる神人と共に、わびしく配所に退去し給うた。

第一巻では、盤古派と大自在天派が力を合わせて、艮の金神系統に謀略や戦いを仕掛ける場面がある。

■第二巻

常世姫の暴状により世界が悪化したとき、盤古大神、八王大神、大自在天は真心に立ち返り、世界の惨状を鎮静化しようとする。しかし、それも一時のことで、再び世界支配をめざす。

■第三巻

大自在天の部下が玉の井(王仁三郎の出生地だと思われる)を攻撃している様子が描かれている。

常世姫、大国彦が力を合わせ、地の高天原、竜宮城を襲い手に入れる。

一時、「可賀天下」といわれる艮の金神系統の女性陣の政治で世界は安定していたが、常世彦、常世姫、大国彦が協力して世界各地の八王八頭やその部下に大蛇、悪狐、邪鬼の霊を憑けて反抗させる。

■第四巻

常世会議。常世彦、常世姫、大国彦が共同で開く。

この会議の席上で艮の金神系統の斎代彦が大自在天の本質について語っている。大自在天は「神にあらざる神」である。

物語04-2-12 1921/12 霊主体従卯 横紙破り

 斎代彦は(中略)雷声を発していふ。
『元来八王大神かれ何ものぞ、大自在天を恐るるの理由あらむや。我らの王は生ける真正の独一神なり。諸神司よ、宇宙はいかに広大にして無辺なりといへども、畏るべく、信ずべく、親しむべく、愛すべきものは真誠の活ける神ただ一柱あるのみ、何ンぞ八王大神らの頤使に盲従し、以て真正の神の聖慮に背かむや。諸神司よろしく自己の天授的聖職の神聖不可犯なる理由を反省され、神にあらざる神の圧制的宣示に盲従すること勿れ。大宇宙にはただ独一の真神なる大国治立命ゐますのみ。しかるに常世彦はみづから称して、王の王たらむとし、八王大神と称す、真正の神ならぬ身として八王大神とは僣上至極、天地容れざるの大逆罪なり。我は今より八王大神に尊称を奉らむ、即ち八王のおは八頭八尾の大蛇の尾にして、大神を台陣と敬称せむ、諸神司の賛否いかん』

常世彦も大自在天も聖地の惨状を見て本心に戻るが、それも一時のことで、大自在天大国彦は国祖の退隠を迫ることに賛成する。

物語04-6-36 1921/12 霊主体従卯 天地開明

 今まで大八洲彦命一派ならびに高照姫命一派にたいし、極力反抗の態度を持しゐたる大自在天のごときは、大八洲彦命、高照姫命一派の神人の隠忍蟄伏の心情を察して同情の涙に暮れゐたりける。元来は全部国治立命を元祖といただく神人なれば、いよいよ危急存亡の場合に立ちいたりては、区々たる感情はいづこにか雲散霧消して各自神司は互に謙譲の徳を発揮し、相親しみ相愛し、毫末も心中に障壁を築かざりけり。諺に、
『親は泣き寄り、他人は食ひ寄り』
といふ。元来正しき神の直系を受け又は直系より分派して生れ出たる神人は、この時こそ惟神の本心に立ち復り至誠を発揮し大神に対し報本反始の実を挙げむとの誠意を顕はしける。
『落ぶれて袖に涙のかかる時人の心の奥ぞ知らるる』

国祖の退隠の勧告使には八王大神常世彦も大自在天大国彦もなろうとはせず(一抹の良心か?)、勧告使としては美山彦、国照姫が行くこととなった。

■第五巻

それまで協力していた、常世彦・常世姫と大自在天が反目する。

大鷹別は登場時から大自在天の従臣。「鷹」は「鷲」と書くことをはばかってそうしたもの。アメリカを指す。

常世城は最初八王大神のものであったが、これ以後、大自在天の手に落ちる。

物語05-2-16 1922/01 霊主体従辰 霊夢

 八王大神の命により、常世城を預かりて守護せる大鷹別は、盤古大神が美はしき宮殿を建てむとし、その用材のために苦しみ、神人らは挙つて鷹鷲山にいたり、昼夜の区別なく、その木の伐採に全力をつくしつつありて、盤古大神の身辺も、八王大神夫妻の身辺もその備への甚だ薄弱なることを間者松彦をして探知せしめ、その詳細を知るとともに、大鷹別の野心は勃然として湧いてきた。
 今この際常世城を占領し、大自在天を奉じて、あらたに神政を樹立し、天下の覇権を握るといへども、盤古大神および八王大神の目下の立場として、常世城を討伐する余力さらになく、気息奄々としてほとんど孤城落日の悲境にあれば、叛旗を挙ぐるはこの時なりと、部下の蟹雲別、牛熊別、鬼雲別らと語らひ、さかんにその画策に熱中してゐた。

(中略)

 これより、いよいよ大自在天は常世城を占領し、天下の神政を統一せむと計り、今まで聖地ヱルサレムを滅ぼさむとして協力したる盤古大神一派にむかつて、無名の戦端を開くこととなつた。

この分裂により、世界は混沌として、ふたたび国祖の出現を願う神まで出る始末だった。

大自在天=常世神王、常世彦=ウラル彦・常世姫=ウラル姫と改称。物語が分かりにくくなっている。たぶん、意図的に分かりにくくしているのではないかと、狭依彦は解釈している。

物語05-3-17 1922/01 霊主体従辰 勢力二分

 大自在天を改名して常世神王と称し、大鷹別を大鷹別神と称し、その他の重き神人に対して命名を附すこととなつた。

 ここに八王大神常世彦は、常世神王と類似せるわが神名を改称するの必要に迫られ、ウラル彦と改称し、常世姫はウラル姫と改めた。そして盤古大神を盤古神王と改称し、常世神王にたいして対抗する事となつた。各山各地の八王神は残らず命を廃し、神と称することとなり、八頭は依然として命名を称へ、八王八頭の名称を全部撤廃してしまつた。これは八頭八尾の大蛇の名と言霊上間違ひやすきを慮つたからである。されど数多の神人は従来の称呼に慣れて、依然として八王八頭と称へてゐた。国祖御隠退の後は、常世神王の一派と盤古神王一派は東西に分れ、日夜権勢争奪に余念なく、各地の八王八頭はその去就に迷ひ、万寿山、南高山を除くのほか、あるひは西にあるひは東に随従して、たがひに嫉視反目、紛糾混乱はますます劇しくなつた。

(中略)

 盤古神王およびウラル彦は、常世神王の反逆的行為をいきどほり、各山各地の神人をアーメニヤの仮殿に召集し、常世城討伐の計画を定めむとした。されども神人ら(八王八頭)は、常世神王の強大なる威力に恐れ、鼻息をうかがひ、盤古神王の召集に応ずるもの甚だ尠かつた。いづれも順慶式態度をとり、旗色を鮮明にするものがなかつた。また一方常世神王は、各山各地の八王八頭にたいし、常世城に召集の令を発し、神界統一の根本を定めむとした。されどこれまた前のごとく言を左右に託して、一柱も参集する神人がなかつた。この参加、不参加については、各山各地とも、八王と八頭とのあひだに意見の衝突をきたし、八王が常世神王に赴かむとすれば、八頭は盤古神王に附随せむとし、各所に小紛乱が続発したのである。このときこそは実に天下は麻のごとく乱れて如何ともすることが出来なかつた。八王および八頭は進退谷まり、今となつてはもはや常世神王も盤古神王も頼むに足らず、何となくその貫目の軽くして神威の薄きを感じ、ふたたび国祖の出現の一日も速からむことを、大旱の雲霓を望むがごとく待ち焦がるるやうになつた。叶はぬ時の神頼みとやら、いづれの八王八頭も各自鎮祭の玉の宮に致つて、百日百夜の祈願をなし、この混乱を鎮定すべき強力の神を降したまはむことを天地に祈ることとなつた。

 地上の神界は常世神王の統制力も確固ならず、盤古神王また勢力振はず、各山各地の八王八頭は各国魂によつて独立し、つひには常世神王も盤古神王もほとんど眼中になく、ただたんに天地創造の大原因たる神霊の降下して、善美の神政を樹立したまふ時のきたるを待つのみであつた。八頭八尾の大蛇および金毛九尾の悪狐および六面八臂の邪鬼は、時こそ到れりと縦横無尽に暴威を逞しうする事となつてしまつた。

常世神王大国彦は月日明神(国祖側)の予言警告を聞き、内容を理解し、前非を悔いた。しかし、ウラル彦は自分に帰順したと誤解している。

物語05-3-18 1922/01 霊主体従辰 宣伝使

『(前略)・・・月日明神とやらの唱ふる童謡は、普通一般の神人の作りし歌にあらず、天上にまします尊き神の予言警告なれば、吾らは一時も早く前非を悔い、月日と土の大恩を感謝し、天地の神霊を奉斎せざるべからず。是については吾々も一大決心を要す。すみやかに盤古神王の娘塩治姫およびウラル彦の娘玉春姫をアーメニヤの神都に礼を厚くしてこれを送還し、時を移さずロッキー山上に仮殿を建て、すみやかに転居の準備に着手せよ』 と厳命した。大鷹別は神王の真意を解しかね、心中に馬鹿らしく感じつつも、命のごとく数多の神人をして二女性をアーメニヤに送還せしめ、ロッキー山の頂上に土引き均し、形ばかりの仮殿を建設することとなつた。
  アーメニヤの神都にては、盤古神王をはじめウラル彦は、常世神王の俄に前非を悔い、心底より帰順したる表徴として安堵し、かつ軽侮の念を高めつつ意気衝天の勢ひであつた。

次の文章では、自在天の紋章は十字である。これも不思議。金色の十字はスエーデンに関係がありそう。しかし、十字の紋章、色は違うが、テンプル騎士団の紋章でもあり、後の騎士団にも引き継がれてゆく。また、赤の十字はイングランドの旗でもある。

そして、大自在天から生まれたと言えるバラモン教は三つ葉葵の紋所である。これは日本では徳川氏であるが、狭依彦は、三つ葉のクローバー=シャムロックだと考えている。シャムロックはアイルランドで重要な紋章である。

物語05-7-45 1922/01 霊主体従辰 魂脱問答

盤古大神八王の、曲の暴威を振ひたる、堅磐常磐の常世城、名のみ残りて今はただ、常世の城は大国彦の、曲の醜夫のものとなり、時めき渡る自在天、常世神王と改めて、輝き渡るその稜威、隈なく光り照妙の、城に輝く金色の、十字の紋章をうち眺め、溜息吐息を吐きながら、風雨に窶れし宣伝使、今はなんにも磐樟の、神の果なる磐戸別、心の岩戸は開けども、未だ開けぬ常世国、常世の闇を開かむと、脚に鞭つ膝栗毛、さしもに広き大陸を、やうやく茲に横断し、浜辺に立ちて天の下、荒ぶる浪の立騒ぎ、ウラスの鳥や浜千鳥、騒げる百の神人を、神の救ひの方舟に、乗せて竜宮に渡らむと、草の枕も数かさね、今や港に着き給ふ。

ウラル彦が常世国を攻撃。自然災害のためにウラル彦は敗戦。ウラル山に逃げ帰る。

物語05-7-47 1922/01 霊主体従辰 改言改過

 ウラル彦、ウラル姫は、一時地上の神界を意の如くに掌握し、権勢並ぶものなく、遂に盤古神王を排斥して自らその地位になほり、茲に盤古神王と自称するに致つた。

 盤古神王(ウラル彦)は再び常世城を回復せむとし、数多の勇猛なる神人を引率し、大海を渡つて常世の国に攻寄せ、常世神王(大国彦)に向つて帰順を迫つた。常世神王を初め大鷹別は、その真の盤古に非ざることを看破し、一言の下に要求を拒絶し、俄に戦備を整へ防戦の用意に取りかかつた。

 ここに両軍の戦端は最も猛烈に開始された。天震ひ地動ぎ、暴風怒濤百雷の一時に轟く如き惨澹たる修羅場と化し去つた。地上の神将神卒は、或は常世神王に或は盤古神王に随従して極力火花を散らして、各地に戦闘は開始された。

 時しも連日の雨は益々激しく、暴風凄まじく、遂には太平洋の巨浪は陸地を舐め、遂に常世城は水中に没せむとするに到つた。茲において盤古神王は一先づその魔軍を引返して、ウラル山に帰らむとした。されど海浪高く暴風吹き荒みて、一歩も前進することが出来なかつたのである。さすが兇悪なる大蛇の身魂も金狐の邪霊も、これに対しては如何ともするの途がなかつた。

 凡て邪神は、平安無事の時においては、その暴威を逞しうすれども、一朝天地神明の怒りによりて発生せる天変地妖の災禍に対しては、少しの抵抗力もなく、恰も竜の時を失ひてイモリ、蚯蚓となり、土中または水中に身を潜むるごとき悲惨な境遇に落下するものである。これに反して至誠至実の善神は一難来る毎にその勇気を増し、つひに神力潮の如くに加はり来つて、回天動地の大活動を為すものである。
 天は鳴動し、地は動揺激しく海嘯しきりに迫つて、今や常世城は水中に没せむとした。常世神王は大に驚き、天地を拝し天津祝詞を奏上し、東北の空高く天教山の方面に向ひ、
『三千世界の梅の花 一度に開く兄の花の
 この世を救ふ生神は 天教山に坐しますか
 あゝ有難や、尊しや この世を教ふる生神は
 地教の山に坐しますか 御稜威は高き高照の
 姫の命の神徳を 仰がせたまへ常世国
 常世の城は沈むとも 水に溺れて死するとも
 神の授けしこの身魂 みたまばかりは永遠に
 助けたまへよ天地の 元津御神よ皇神よ』
と讃美歌を唱へた。忽ち
中空に例の天橋現はれ、銀線の鉤、常世神王始め大鷹別その他の目覚めたる神々の身体の各所に触るるよと見るまに、諸神の身体は中空に釣り上げられてしまつた

 
ウラル彦の魔軍は大半水に溺れて生命を落し、その余は有ゆる船に身を托し、あるいは鳥船に乗じ、ウラルの山頂目蒐けて生命からがら遁走した。

これ以降、大洪水となる。


4.鬼雲彦と大国彦

大洪水の前、第二巻の終わりに不思議な場面がある。

物語02-7-50 1921/11 霊主体従丑 鋼鉄の鉾

 八王大神は常世姫の大胆なる魔言に動かされ、ふたたび反抗の旗を挙げむとし、魔神を集めて決議をこらす折しも、天上より鋼鉄の鉾、棟をついて降り、八王大神の側に侍する鬼雲彦の頭上に落ち、即死をとげたのである。これは自在天より神国彦に向かつて投げたのが、あやまつて鬼雲彦に中つたのである。
 八王大神は驚いて奥殿に逃げ入り、息をこらして鼠のごとく、一隅に身慄ひしつつ蹲踞んでゐた。

神国彦は艮の金神の系統。

鬼雲彦は八王大神の従臣であった。大自在天が天に投げた鉾が誤って当り死んでしまう。この鬼雲彦は、後に大黒主となり、大自在天の子の大国別の子国別を追放し、バラモン教を乗っ取ってしまう。霊界物語でも重要な人物だ。

この話は記紀で、大国主命の国譲りの場面で、天照の命を受けて天若日子が交渉に行き、矢に当って死ぬ場面に相応しているのではないかと感じられる。

ただし、物語では、同音の天稚彦が出ていて、第二巻の44章で、邪神の女にたぶらかされていたのに気がついて、空中に逃げ去った邪神に矢を射掛け、その矢が逆に自分に当たりかけた話になっていて、天稚彦は死なない。


5.大洪水以降

大洪水では常世神王大国彦は金橋に救われる。盤古神王も金橋。ウラル彦、ウラル姫は銅橋である。ということは、盤古も大国彦も「神」が先祖ということを表しているのだろう。

物語06-3-16 1922/01 霊主体従巳 大洪水(二)

このとき天教山の宣伝使は、何時の間にか黄金橋の上に立ち、金色の霊線を泥海に投げ、漂流する正しき神人を引き揚げつつあり。而して天橋に神人の充満するを待ちて、またもや天橋は起重機のごとく東南西北に転回し、その身魂相当の高山に運ばれゆくなり。神諭に、 『誠の者は、さあ今と云ふ所になりたら、神が見届けてあるから、たとひ泥海の中でも摘み上げてやるぞよ』 と示されあるを、想ひ出さしめらるるなり。
  救ひ上げられたる中にも、鬼の眼にも見落しとも云ふべきか、或は宣伝使の深き経綸ありての事か、さしも悪逆無道なりしウラル彦、ウラル姫も銅橋の上に救ひ上げられたり。而して常世神王始め盤古神王もまた金橋の上に救はれて居たりける。

大洪水から、伊弉諾、伊弉冊二神の国生みは物語を読んでいただくとして、大洪水後の世界が、物語6巻30章に書かれている。

物語06-5-30 1922/01 霊主体従巳 罔象神

 伊弉諾、伊弉冊二神は、撞の大御神を豊葦原の瑞穂国の大御柱となし、みづからは左守、右守の神となりて、漂へる大海原の国を修理固成し、各国魂の神を任じ山川草木の片葉に至るまで各その処を得せしめ、完全無欠の神国を茲に芽出度く樹立せられたのである。然るに好事魔多しとかや、葦原の瑞穂国には天の益人、日に月に生れ増して、つひには優勝劣敗弱肉強食の暗黒世界を再現し、国治立命の御神政に比して数十倍の混乱暗黒世界とはなりける。
 茲に人間なるもの地上に星のごとく生れ出で、増加するによつて、自然に自己保護上体主霊従の悪風日に月に吹き荒み、山を独占する神現はれ、一小区劃を独占するものも出で来り、野も海も川も、大にしては国、洲などを独占せむとする神人や人間が現はれたのである。山を多く占領する神を大山杙の神と云ひ、また小区劃を独占する神を小山杙の神と云ふ。また原野田圃の大区劃を独占する人間を野槌の神と云ふ。小区域を独占する人間を茅野姫の神と云ふ。山杙の神や野槌の神や茅野姫の神は各処に現はれて互に争奪を試み、勢強きものは大をなし、力弱きものは遂に生存の自由さへ得られなくなつて来たのである。人間の心はますます荒み、いかにして自己の生活を安全にせむかと日夜色食の道にのみ孜々として身心を労し、遂には他を滅しその目的を達せむために人工をもつて天の磐船を造り、或は鳥船を造り敵を斃すために、各地の銅鉄の山を穿ちて種々の武器を製造し、働かずして物資を得むがために又もや山を掘り、金銀を掘り出して之を宝となし、物質との交換に便じ、或は火を利用して敵の山野家屋を焼き、暗夜の危険を恐れて燈火を点じ、種々の攻防の利器を製造して互に雌雄を争ふやうになつて来た。而て衣食住はますます贅沢に流れ、神典にいはゆる大宜津姫命の贅沢極まる社会を現出し、貧富の懸隔最も甚だしく、社会は実に修羅の現状を呈出するに至りたり。

ウラル彦の盤古神王は一時改心していたが再び悪化している。大自在天の系統はアメリカ大陸を中心に、アフリカの一部を支配しているようだ。

7巻1章では、大国彦の勢力が強いことを示唆している。

物語07-1-1 1922/02 霊主体従午 日出山上

『実に心得ぬ汝が今の言、盤古神王とは彼れ何者ぞ。兇悪無道の常世彦命に擁立され諸越山に住所を構へ、畏れ多くも国祖国治立命をして窮地に陥れしめたる大逆無道の根元神、今は僅かにヱルサレムの聖地に割拠し、螢火のごとき微々たる光を照らし、漸くにしてその神威を保続し、神政を布くといへども、暴力飽くまで強き大国彦神の神威に圧迫され、部下の諸神司は日に夜に反覆離散し、神政の基礎はなはだ危し。(後略)』

7巻は日の出神の物語である。日の出神は最初はウラル彦の領分を宣伝して回っている。

7巻の25章では、アフリカの太平洋側(多分南アフリカ)が常世神王(大国彦)の領土であることが示されている。これは、常世神王がウラル彦の勢力範囲を侵食しているということだ。

物語07-5-26 1922/02 霊主体従午 アオウエイ

『アハヽヽハー。オホヽヽホー。ウフヽヽフー。エヘヽヽヘー。イヒヽヽヒー。腰ぬけ野郎、屁古垂野郎、ばばたれ野郎、ひよつとこ野郎、弱虫、糞虫、雪隠虫、吃驚虫ども、とつくりと聞け。ここは何と心得てゐるか。勿体なくも常世国に現はれ玉へる、国の御柱大御神伊弉冊命のその家来、常世神王の隠れ場所と造られし、一大秘密の天仙郷、この八つの巌窟は、八頭八尾の大蛇の隠れ場所ぞ。その眷属の貴様たちは、たつた一人の宣伝使小島別の盲どもの舌の先にちよろまかされ、木の葉に風の当りしごとく、びりびり致す腰抜け野郎、馬鹿ツ、馬鹿々々々々ツ』

次の文章は、徐々に南アフリカ側から中央に向ってウラル教が侵食していることを表しているのではないだろうか。

物語07-6-29 1922/02 霊主体従午 山上の眺

日出神『さうだらう、何でもこの熊襲山の山脈を境に肥の国があつて、そこには建日向別が守つてゐる筈だ。しかしながら常世神王の毒牙に罹つて、彼国の神人は又もや悪化してゐるかも判らない。一つ行つて宣伝をやつて見やうかな』

8巻では日の出神がアメリカ大陸に渡ってゆくが、その土地の話では常世神王、大国彦という名前が散見される。

8巻の24章では、大国彦に八岐大蛇が憑依している。大国彦には六面八臀の邪気が憑依していたはずだ。

物語08-4-24 1922/02 霊主体従未 盲目審神

伊弉冊命の火の神を生みまして、黄泉国に至りましたるその御神慮は、黄泉国より葦原の瑞穂の国に向つて、荒び疎び来る曲津神達を黄泉国に封じて、地上に現はれ来らざるやう牽制的の御神策に出でさせられたるなり。それより黄泉神は海の竜宮に居所を変じ、再び葦原の瑞穂の国を攪乱せむとする形勢見えしより、又もや海の竜宮に伊弉冊大神は到らせたまひ、茲に牽制的経綸を行はせ給ひつつありける。乙米姫命を身代りとなして黄泉神を竜宮に封じ置き、自らは日の出神に迎へられて、ロッキー山に立籠るべく言挙げしたまひ、窃に日の出神、面那芸司とともに伊弉諾の大神の在ます天教山に帰りたまひぬ。されど世の神々も人々も、この水も漏らさぬ御経綸を夢にも知るものは無かりける。ロッキー山に現はれたる伊弉冊命はその実常世神王の妻大国姫に金狐の悪霊憑依して、神名を騙り、常世神王大国彦には八岐の大蛇の悪霊憑依し、表面は、日の出神と偽称しつつ、種々の作戦計画を進め、遂に黄泉比良坂の戦ひを起したるなり。故に黄泉比良坂に於て伊弉冊命の向ひ立たして事戸を渡したまうたる故事は、真の月界の守り神なる伊弉冊大神にあらず大国姫の化身なりしなり。

この時点での大自在天の本質を描写しているところ。「精鋭な武器に、権力を持っており、知識もある」という文章から、大自在天は現代では何に相似しているか考えられないだろうか?現代のアメリカであることは確か。もっと深くは、アメリカを真に支配している者たち・・・

物語08-4-28 1922/02 霊主体従未 玉詩異

此処は大自在天の一派は、精鋭なる武器もあれば、権力も持つて居り知識もある。加ふるに天の磐船、鳥船など無数に準備して、併呑のみを唯一の主義として居る体主霊従、弱肉強食の政治だ。吾々(三五教側)はこの悪逆無道を懲さねばならぬのだ。さうして吾々の武器といつたら、唯一つの玉を持つて居るのみだ。その玉をもつて、言向和すのだから、大変に骨が折れる。先づこの戦に勝のは忍耐の外には無い。御一同の宣伝使、この重大なる使命が勤まりますか。

次の文章も八岐大蛇に憑かれた大国彦を描写している。

物語09-5-31 1922/02 霊主体従申 七人の女

鬼武彦は立ち上り、座敷の中央にどつかと坐し、
『さしもに清き癸の、亥の月今日の十六夜の月は早西山に傾きたれば、四更を告ぐる鶏鳴に、東の空は陽気立ち、光もつよき旭狐の空高倉と昇るらむ。月日の駒の関もなく、大江山を出でしより、東や西や北南、世界隈なく世を照らす、日出神の御指揮、常世の国に渡り来て、千変万化に身を窶し、神の経綸に仕へたる、吾は卑しき白狐神、数多の眷属引き連れて、神の大道を守る折、心驕れる鷹取別の、曲の企みを覆へさむと、朝な夕なに心を砕き、旭、高倉、月日と共に、三五教を守護せし、鬼をも摧ぐ鬼武彦が、心を察したまはれかし。八岐の大蛇に呪はれし、大国彦の曲業は、比類まれなる悪逆無道、鷹取別や遠山別、中依別の三柱神は、姫の命を捕へむと、四方八方に眼を配り、醜女探女を数限りもなく配り備ふるその危さ、手段をもつて鷹取別が臣下となり、竹山彦と佯はつて甘く執り入り、常世神王の覚も目出度く、今日の務を仰せつけられしは、天の恵の普き兆、善を助け悪を亡す、誠の神の経綸、ハヽア嬉しやうれしや勿体なや。さはさりながら御一同の方々、必ず共に御油断あるな、一つ叶へばまた一つ、慾に限りなき、体主霊従の邪神の魂胆、隙行く駒のいつかまた、隙を狙つて、三人の月雪花の御娘御を、奪ひ帰るもはかられず、只何事も神直日、大直日の神の御恵みによつて、降り来る大難を、尊き神の神言にはらひ退け、朝な夕な神に心を任せたまへ、暁告ぐる鶏の声、時後れては一大事、吾はこれよりこの場を立去り、鷹取別の館に参らむ。いづれもさらば』
と云ふかと見れば姿は消えて、何処へ行きしか白煙、夢幻となりにけり。

次のセリフは三五教側のセリフで、常世神王の従臣鷹取別と常世神王を「人の子」を呼ばせている。

物語09-5-35 1922/02 霊主体従申 秋の月

鷹取別は何者ぞ  常世神王何者ぞ 彼は人の子罪の御子  われは神の子神の御子 


6.黄泉津比良坂

10巻では、伊邪那岐命+日の出神と大国彦が戦いをくりひろげる黄泉津比良坂の戦いが描かれている。

大国彦は日の出神と偽称している。大国姫は伊弉諾神と偽称。また、大国彦は広国別に常世神王と偽称させている。

このため10巻に出ている常世神王は広国別・常世神王であることが多い。

物語10-1-1 1922/02 霊主体従酉 常世城門

 東と西の荒海の 浪に漂ふ常世国
 ロッキー山の山颪 吹く木枯に烏羽玉の
 暗にも擬ふ曲神が 暗き心を押し隠し
 白地に葵の紋所 染めたる旗を翻へし
 大国彦の命をば この世を欺く神柱
 太しく立てむ
と種々に 心を砕き身を藻掻き
 黄泉国の戦ひに 勝鬨あげて一つ島
 浪高砂の島の面 心筑紫の神国や
 豊葦原の瑞穂国 醜の剣を抜き持ちて
 常世の国の神力を 輝かさむと大国の
 夫の命を日の出神に擬へて 大国姫は伊弉冊の
 神の命と現はれて 
心も驕る鷹取別を
 暫し止めて常世神王が宰相となし 体主霊従の政策を
 広国別に事依さし 天下を偽る常世神王とこそ称へけり。

広国別は3巻で艮の金神側の人物として出てくる。これも不思議だ。

物語03-8-28 1921/12 霊主体従寅 苦心惨憺

このとき大八洲彦命、真澄姫、言霊姫、広国別、広宮彦、照代姫の部将は、地の高天原を厳守して、魔軍に一指をもつけさせざりけり。されど常世姫は執拗にも、高杉別、與彦、與若、魔我彦、魔我姫などを煽動して地の高天原の一角を崩壊せむとし、ほぼその目的を達せむとしたり。(中略)

 このとき国若姫、広国別らの神将は、極力これを諫止し、かつ大神に祈り神力をえて、つひに常世姫一派の鬼神をやうやく退場せしめける。常世姫は、ただちに常世の国に馳せ帰り、戦備をととのへ再び捲土重来の期を待ちつつありける。

10巻の初めのほうの常世神王と大国彦はほとんどが広国別が偽称したものである。

物語10-1-3 1922/02 霊主体従酉 赤玉出現

『これはしたり、常世神王とやら、広国別、何が何だか自由自在に千変万化の大自在天だと、途上にての噂、聞いたる時の竹山彦の心の裡の腹立しさ。竹山彦の竹を割つたる清い正しい心は何とやら、常世の暗の雲につつまれた心地ぞ致したり。如何に三五教の宣伝使、常世の国に来るとも、竹山彦のあらむ限りは、わが天眼通力にて所在を探ね、一々御前に引摺り出し御目に懸けむ。頭も光る照山彦の人も無げなる功名顔、余りの可笑しさ臍茶の至り、ワハヽヽヽヽ』

広国別が常世神王となったいきさつは次のようなものだ。

物語10-1-13 1922/02 霊主体従酉 蟹の将軍

『常世神王は広国別が常世神王になつて居るのだ。これには深い仔細がある。その秘密の鍵を握つた蟹彦は、常世神王の内々の頼みに依つて、今まで故意と門番になつてゐたのだよ』

黄泉津比良坂の戦いの状況をコンパクトに表した文章。

物語10-1-15 1922/02 霊主体従酉 言霊別

 一旦天地の大変動により新に建てられたる地上の世界は、又もや邪神の荒ぶる世となり、諸善神は天に帰り、或は地中に潜み、幽界に入りたまひて、陰の守護を遊ばさるる事となりしため、再び常世彦、常世姫の系統は、ウラル彦、ウラル姫と出現し、ウラル山を中心として割拠し、自ら盤古神王と偽称し、大国彦、大国姫の一派は邪神のためにその精魂を誑惑され、ロッキー山に立て籠り、自ら常世神王と称し、遂には伊弉冊命、日の出神と僣称し、天下の神政を私せむとする野望を懐くに至れり。 

 茲に伊弉冊命は、この惨状を見るに忍びず、自ら邪神の根源地たる黄泉の国に出でまして邪神を帰順せしめ、万一帰順せしむるを得ざるまでも、地上の世界に荒び疎び来らざるやう、牽制運動のために、黄泉国に出でまし、次で海中の竜宮城に現はれ、種々の神策を施し給ひしが、一切の幽政を国治立命、稚桜姫命に委任し、海中の竜宮を乙米姫命に委任し、自らロッキー山に至らむと言挙し給ひて、窃に天教山に帰らせ給ひ、又もや地教山に身を忍びて、修理固成の神業に就かせ給ひつつありたるなり。

  天地の神人は、此周到なる御経綸を知らず、伊弉冊命は黄泉の国に下り給ひしものと固く信じ居たるに、伊弉冊命のロッキー山に現はれ給ふとの神勅を聞くや、得たり賢しとして元の大自在天にして後の常世神王となりし大国彦は、大国姫その他の部下と謀り、黄泉島を占領して、地上の権利を掌握せむとしたれば、大神は遂に前代未聞の黄泉比良坂の神戦鬼闘を開始さるるに致りたるなり。

  この戦は、善悪正邪の諸神人の勝敗の分るる所にして、所謂世界の大峠是なり。

10巻の17章あたりから日の出神と偽称している大国彦が登場している。邪神が自分の言葉で語る場面は少ないので、重要な場面であろう。

三五教側は、鬼武彦が竹山彦として常世神王広国別のもとに潜入し、白狐を使って内部かく乱を企てている。また、淤縢山津見は17章で、日の出神大国彦と会い、自分は三五教にスパイとして潜入していると欺く。同行している固山彦も三五教側についていて、広国別が大国彦を裏切ったとウソを言い、それを大国彦に信じさせる。

物語10-1-17 1922/02 霊主体従酉 乱れ髪

日出神『イヤ、汝は三五教の宣伝使に非ずや』
淤縢山津見『然り、吾は昔、貴下に仕へたる醜国別、今は三五教に偽つて宣伝使となり、敵の様子を窺ひゐる者、如何に機略縦横の貴下大自在天大国彦と雖も、遠く慮る所なかる可からず。吾は旧恩に報ゆるためワザと三五教に入り、一切万事の様子を探知し帰りたる者、必ず疑ひ給ふことなく、胸襟をひらいて語らせ給へ。貴下は日の出神と名乗らせ給へども、その実は神力無双の大自在天大国彦命に坐しますこと、一点の疑ひの余地なし。また伊弉冊大神と称へ給ふは、貴下の御妃大国姫なる事判然せり。斯くなる上は、包みかくさず、一切の計画を詳細に物語られたし』
『汝が推量に違はず、吾は大自在天なり。吾神謀鬼策には汝も驚きしならむ』
『吾々は斯くの如く三五教の宣伝使と化け込み、艱難辛苦を致す位のもの、貴下の計画は略ぼ承知の上の事なり。今この固虎彦は常世神王広国別の命を奉じ、吾を召捕らむために『目』の国に数多の軍勢を引連れ進み来りしも、漸く吾胸中を悟りヤツト安堵し、一切を打明けて吾を本城に導きたる英雄豪傑、感じ入つたる固虎が働き。随分お賞めの言葉を賜りたし』

(中略)

固山彦『モシ、日の出神様、昨年常世神王より送り来りし松、竹、梅の三人は、御承知の如く何時とはなしにこの警護厳しき中を煙の如く消え去りしは、要するに常世神王広国別が魔術によつて現はれたる悪狐の所為なれば、必ず御油断あつてはなりませぬ』
と言葉巧に述べ立てたり。
 大自在天大国彦の日の出神はこれを聞くとともに、怒髪天を衝き、
『ヤアヤア逆国別、一時も早く家来を差し向け、常世神王を召捕りかへれ』
と大音声に呼はれば、
『ハイ』
と答へて逆国別はその場に現はれ、日の出神の命のまにまに数百人の部下を引率れ、常世城に向ひ、馬に跨り、あわただしく出張する。
淤縢山津見『日の出神に申上げます。実に油断のならぬは人心、一切の秘密を打明け、御信任浅からざる常世神王の広国別は、かかる腹黒き者とは思はれなかつたでせう。吾々も初めて固虎彦の言葉を聞きまして驚きました。人は見かけによらぬものとは、よく言つたものですワ』
さうだ、人は見かけによらぬものだ。醜国別が淤縢山津見となつて三五教のウラをかき、広国別が常世神王となつて此方のウラをかき、天教山に款を通ずるのも同じ道理だ。敵の中にも味方あり、味方の中にも敵ありとはこの事だのう
『私を信じて下さいますか』
固山彦『吾々が日の出神であつたら、容易に信じないなア。ハヽヽヽヽヽ』
淤縢山津見『固虎さま、あまり口が過ぎますよ。あなた、そんな顔して居つて、心の底は天教山の三五教に款を通じてゐるのでせう。アハヽヽヽヽ』
日出神『何だか訳が分らぬやうになつて来た。狐につままれたやうだワイ』

実際は、広国別は大国彦を裏切ったわけではなかった。19章では不安にかられているが、大国彦の命令によって、黄泉津比良坂に出陣しようとする。大国彦に遣わされた逆国別は、広国別と間違えて、部下の笠取別をロッキー城に連行する。しかし、広国別は鬼雲彦の竹山彦の言葉に大国彦に逆襲する心を固める。

物語10-1-20 1922/02 霊主体従酉 還軍

 善を退け、悪を勧め、天地の道に逆国別の上使は、虎の威を借る野狐の、意気揚々として主人を笠に威張り散らす笠取別の贋物を、これこそ真の神王と思ひ誤り、唐丸駕籠に投げ入れ、勝鬨揚げて悠々と駒に跨り、数多の軍勢を引連れて、帰城の途にぞ就きにける。

(中略)

 常世神王夫婦は、青息吐息思案に暮るる折しも、竹山彦の帰り来りしと聞きて合点ゆかず、四五の侍臣と共に本殿に現はれ来り、竹山彦に拝謁を許した。竹山彦は威勢よく神王の前に座を占めたり。
常世神王『汝は竹山彦に非ずや、黄泉島に出陣せしに非ざるか。然るに中途に帰り来れるは其意を得ず、これには深き仔細のあらむ』
竹山彦『御不審御尤もなれど、ロッキー城には悪人多く、常世神王様を陥害せむとする者現はれたるを中途にて探知し、容易ならざる一大事と、常世城の軍卒を残らず召連れて帰りたり。軈て以下の諸将も各自部下を引き連れて帰り来るべし。かくなる上は吾々は常世城を固く守り、ロッキー城の守り少くなりしを幸ひ、一挙に攻め寄せて、日の出神を捕虜にし、神王の禍を殲滅せむ。アヽ面白し面白し』
『ヤア、遉は竹山彦、好い所へ気がついた』
 かかる折りしも、門前またもや騒々しく、矢叫びの声、鬨の声、手に取る如く聞え来る。これは常世城の勇将猛卒一人も残らず帰城したる叫び声なりけり。
 これより常世神王は、将卒の帰りしに力を得て、ロッキー城に攻寄せる事となりぬ。ロッキー城に於ては、この様子を聞き大いに驚き、黄泉島に向ふ軍卒の一部を割きて、急ぎ帰城せしめ、防禦に全力を尽したるにぞ、そのために黄泉島の兵力は、その大半を削がるるに至れり。

淤縢山津見と竹山彦(鬼武彦)の智略(謀略)により、大国彦側の黄泉津比良坂の戦力は大半をそがれた。

そして、10巻の23章では大国彦は戦いに敗れる。ここで不思議なのは、大国彦がツムガリの太刀(スサノオがヤマタノオロチの尾から取り出した刀。後に草薙の剣となる)を持っていることであろう。

物語10-1-23 1922/02 霊主体従酉 神の慈愛

偽日の出神の大国彦『オー、小賢しき汝の言葉、聞く耳持たぬ。斯くなる以上は最早吾等の運の尽、鍛へに鍛へし都牟刈太刀を味はつて見よ』
と言ふより早く、太刀をズラリと引き抜いて、淤縢山津見、固山彦に斬つて掛かるその勢凄じく、恰も阿修羅王の荒れ狂ふが如し。淤縢山津見、固山彦は剣の下をくぐり、一目散に表門指して逃げ出す。

次の文章では、敗戦後の処理が語られる。大自在天大国彦系統の邪神は、邪神を監督する役(善の役)につけられる。広国別も入っている。

物語10-1-26 1922/02 霊主体従酉 貴の御児

  大国彦八十禍津日神に命じ、美山別、国玉姫、広国別、広国姫をして、八十禍津日神の神業を分掌せしめ給ひ、次に淤縢山津見をして大禍津日神に任じ、志芸山津見、竹島彦、鷹取別、中依別をして、各その神業を分掌せしめ給ひぬ。大禍津日神は悪鬼邪霊を監督し或は誅伐を加ふる神となり、八十禍津日神も亦各地に分遣されて、小区域の禍津神を監督し、誅伐を加ふる神となりぬ。(詳しき事は言霊解を読めば解ります)

この結果、大自在天大国彦系統の神々は心を入れ替え善神となってしまったので、邪神はウラル山へ集まることになった。

次の文章はその後の話の基礎となるものであり、重要であろう。

物語11-4-23 1922/03 霊主体従戌 保食神

 黄泉比良坂の戦に、常世の国の総大将大国彦、大国姫その他の神人は、残らず日の出神の神言に言向け和され、悔い改めて神の御業に仕へ奉ることとなりたり。そのため八岐の大蛇や金毛九尾の悪狐、邪鬼、・醜女、探女の曲神は、暴威をたくましうする根拠地なるウラル山に駈け集まり、ウラル彦、ウラル姫をはじめ、部下に憑依してその心魂をますます悪化混濁せしめ、体主霊従、我利一ぺんの行動をますます盛んに行はしめつつありたり。悪蛇、悪鬼、悪狐等の曲津神はウラル山、コーカス山、アーメニヤの三ケ所に本城をかまへ、ことにコーカス山には荘厳美麗なる金殿玉楼をあまた建てならべ、ウラル彦の幕下の神人は、ここにおのおの根拠を造り、酒池肉林の快楽にふけり、贅沢の限りをつくし、天下をわが物顔に振るまふ我利々々亡者の隠処となりてしまひぬ。かかる衣食住に贅をつくす体主霊従人種を称して、大気津姫命と言ふなり。

■南米物語での常世神王

常世神王とウラル教という言葉は、29巻から33巻前半の南米物語の中に出てくる。ここに出てくる南米の人々は、ウラル教を信じ、常世神王を祀っている。


7.大国別とバラモン教・ウラナイ教

15巻ではバラモン教が登場する。狭依彦は15巻の1章は非常に重要な章であると思う。

大国彦は善神となったが、ウラル彦、ウラル姫が常世国にやって来て、大自在天大国彦の末裔大国別、醜国姫の夫婦に命令して、埃及のイホの都で、第二のウラル教たるバラモン教を開設させ、大国別を大自在天と奉称させた。

これ以降は、大自在天はバラモン教の大国別となる。

物語15-1-1 1922/04 如意宝珠寅 破羅門

 千早振る遠き神代の物語 常夜の暗を晴らさむと
 ノアの子孫のハム族が 中にも強き婆羅門の
 神の御言は常世国 大国彦の末の御子
 大国別を神の王と 迎へまつりて埃及の
 イホの都に宮柱 太しく建てて宣伝ふ

(中略)

 此メソポタミヤは一名秀穂国と称へ、地球上に於て最も豊饒なる安住地帯なり。羊は能く育ち、牛馬は蕃殖し、五穀果実は無類の豊作年々変る事無き地上の天国楽園なり。世界は暗雲に包まれ、日月の光も定かならざる時に於ても、この国土のみは相当に総ての物生育する事を得たりと云ふ。西にエデンの河長く流れ、東にイヅの河南流して、国の南端にて相合しフサの海に入る。八頭八尾の大蛇、悪狐の邪霊は、コーカス山の都を奪はれ、随つてウラル山、アーメニヤ危険に瀕したれば、ウラル彦、ウラル姫は、遠く常世国に逃れ、茲に大自在天大国彦の末裔大国別、醜国姫の夫婦をして、埃及のイホの都に現はれ、第二のウラル教たる婆羅門教を開設し、大国別を大自在天と奉称し、茲に極端なる難行苦行を以て、神の御心に叶うとなせる教理を樹立し、進んでメソポタミヤの秀穂の国に来り、エデンの園及び顕恩郷を根拠としたりける。それが為に聖地エルサレムの旧都に於ける黄金山の三五教は忽ち蚕食せられ、埴安彦、埴安姫の教理は殆ど破壊さるる悲境に陥りたるなり。

(中略)

 婆羅門の教は、一旦日の出神と偽称したる大国彦の子にして、大国別自ら大自在天と称し、難行苦行を以て神の心に叶ふものとなし、霊主体従の本義を誤解し、肉体を軽視し、霊魂を尊重する事最も甚しき教なり。此教を信ずる者は、茨の群に真裸となりて飛び込み、或は火を渡り、水中を潜り、寒中に真裸となり、崎嶇たる山路を跣足のまま往来し、修行の初門としては、足駄の表に釘を一面に打ち、之を足にかけて歩ましむるなり。故に此教を信ずる者は、身体一面に血爛れ、目も当てられぬ血達磨の如くなり、斯くして修行の苦業を誇る教なり。八頭八尾、及び金毛九尾、邪鬼の霊は、人の血を視ることを好む者なれば、霊主体従の美名の下に、斯の如き暴虐なる行為を、人々の身魂に憑りて慣用するを以て唯一の手段となし居るが故に、此教に魅せられたる信徒は、生を軽んじ、死を重んじ、無限絶対なる無始無終の歓楽を受くる天国に救はれむ事を、唯一の楽みとなし居るなり。如何に霊を重んじ体を軽んずればとて、霊肉一致の天則を忘れ、神の生宮たる肉体を塵埃の如く、鴻毛の如くに軽蔑するは、生成化育の神の大道に違反する事最も甚だしきものなれば、この教にして天下に拡充せられむか、地上の生物は残らず邪神の為に滅亡するの已むを得ざるに至るべく、また婆羅門教には上中下の三段の身魂の区別を厳格に立てられ、大自在天の大祖先たる大国彦の頭より生れたる者は、如何なる愚昧なる者と雖も庶民の上位に立ち、治者の地位に就き、又神の腹より生れたる者は、上下生民の中心に立ち、準治者の位地を受得して、少しの労苦もなさず、神の足より生れたりと云ふ多数の人民の膏血を絞り、安逸に生活をなさむとするの教理なり。多数の人民は種々の難行苦行を強ひられ、体は窶れ或は亡び、怨声私かに国内に漲り、流石の天国浄土に住み乍ら、多数の人民は地獄の如き生活を続くるの已むを得ざる次第となりける。邪神の勢は益々激しく、遂にはフサの国を渡り、印度の国迄もその勢力範囲を拡張しつつありしなり。

41巻に上の事情が再度語られている。物語のまとめとしては重要な箇所であろう。この文章を読む限りバラモン教の方が威勢がありそうであるが、ウラル教とバラモン教は争うようになる。インドにはバラモン教とウラル教の両方があったということだ。

物語41-1-7 1922/11 舎身活躍辰 忍術使

 小亜細亜の神都エルサレムの都に近き黄金山下に埴安彦、埴安姫の神顕現して、三五教を開き給ひしより、八岐の大蛇や醜狐の邪神は、正神界の経綸に極力対抗せむと、常世彦、常世姫の子なるウラル彦、ウラル姫に憑依し、三五教の神柱国治立命に対抗せむと盤古神王塩長彦を担ぎ上げ、茲にウラル教を開設し、天下を攪乱しつつありしが、三五教の宣伝神の常住不断の舎身的活動に敵し得ず、ウラル山、コーカス山、アーメニヤを棄てて常世の国に渡り、ロツキー山、常世城等にて今度は大自在天大国彦命及び大国別命を神柱とし、再びバラモン教を開設して、三五教を殲滅せむと計画し、エヂプトに渡り、イホの都に於て、バラモン教の基礎を漸く固むる折しも、又もや三五教の宣伝使に追つ立てられ、メソポタミヤに逃げ行きて、ここに再び基礎を確立し、勢漸く盛ならむとする時、神素盞嗚尊の遣はし給ふ宣伝使太玉命に神退ひに退はれ、当時の大教主兼大棟梁たる鬼雲彦は黒雲に乗じて自転倒島の中心地大江山に本拠を構へ、鬼熊別と共に大飛躍を試みむとする時、又もや三五教の宣伝使の言霊に畏縮して、フサの国を越え、やうやく月の国のハルナの都にバラモンの基礎を固め、鬼雲彦は大黒主と改名して印度七千余ケ国の刹帝利を大部分味方につけ、その威勢は日月の如く輝き渡りつつあつた。

 然るにウラル彦、ウラル姫の初発に開きたる盤古神王を主斎神とするウラル教の教徒は、四方八方より何時となく集まり来りて、ウラル彦の落胤なる常暗彦を推戴し、デカタン高原の東北方にあたるカルマタ国に、ウラル教の本城を構へ、本家分家の説を主張し、ウラル教は常暗彦の父ウラル彦の最初に開き給ひし教であり、バラモン教は常世国に於て、第二回目に開かれし教なれば、教祖は同神である。只主斎神が違つてゐるのみだ。ウラル教は如何してもバラモン教を従へねば神慮に叶はない。先づバラモン教を帰順せしめ、一団となつて神力を四方に発揮し、次いで三五教を殲滅せむものと、ウラル教の幹部は息まきつつあつたのである。

  茲にバラモン教の大黒主は此消息を耳にし、スワ一大事と鬼春別、大足別をして一方はウラル教へ、一方は三五教へ短兵急に攻め寄せしめ、バラモン教の障害を除き、天下を統一せむと計画をめぐらし、既にウラル教の本城へは大足別の部隊を差向け、三五教の中心地と聞えるたる斎苑の館へは鬼春別をして、数多の勇卒を率ゐ、進撃せしめたるは、前巻既に述ぶる通りである。

ウラナイ教も大自在天を本尊とあおいでいる。

物語15-1-9 1922/04 如意宝珠寅 薯蕷汁

 高姫は此の場に現はれ、 『コレハコレハ三人の宣伝使様、能うマア危き所を御救け下さいました。これと云ふも全く妾が日頃信仰するウラナイ教の御本尊大自在天様の御引合せでございませう。神様は三五教の宣伝使に憑依つて、妾の危難を御救ひ下さつたのです。謂はば貴方等は神の御道具に御使はれなさつただけのもの、貴方の奥には大自在天様が御鎮まりでございます。誠に以て御道具御苦労でございました。何もございませぬが悠々と御あがり下さいませ』 と言ひ棄てて徐々と次の間に姿を隠した。

アルプス教はバラモン教の一派。当然、大自在天を奉じている。ここでは、大自在天大国別命となっている。

物語21-4-17 1922/05 如意宝珠申 酒の息

アルプス教の仮本山と聞えたる、高春山の山巓の岩窟に数多の部下を集めて、大自在天大国別命の神業を恢興せむと、捻鉢巻の大車輪、心胆を練つて時を待ち居るアルプス教の教主鷹依姫は、額の小皺を撫で乍ら、長煙管をポンとはたき、股肱の臣なるテーリスタン、カーリンスの二人を膝近く招き、口角泡をにじませ乍ら、


.大黒主

物語の後半ではバラモン教は大黒主のものとなっている。

バラモン教を開いた大国別は帰幽。その子息の国別は鬼雲彦によって追放され、鬼雲彦が大黒主と称してバラモン教の教主となった。なお大黒主の大棟梁」という呼称はフリーメーソン系の名称である。

鬼雲彦は4.で書いたように、盤古系統であったが、大国彦が投げた鉾で帰幽した。後には大国別の左守(一番位の高い従臣:総理大臣)として現われている。

また、鬼雲彦が大国彦と称していることにも注意が必要。この章以降は、大国彦もしくは大自在天は、元の大国彦を指しているのか、大黒主を指しているのか検討が必要だろう。

物語39-1-1 1922/10 舎身活躍寅 大黒主

 常世の国の常世城にあつて三葉葵の旗を押立て、自ら常世神王と称して羽振を利かし居たる大国彦は、三五教の為に其悪虐無道を警められ、部下の広国別をして常世城を守らしめ、ロツキー山に日出神と偽称して大国姫をば伊弉冊命と偽称せしめ、黄泉比良坂の戦ひに、部下の軍卒は大敗北し、遂にはロツキー山の鬼となり、茲にバラモン教を開設することとなつた。
 大国彦命の長子大国別はバラモン教の教主となり遠く海を渡つて、埃及のイホの都に現はれ、其教は四方に旭の豊栄昇るが如く輝き渡り、人心を惑乱して、正道将に亡びむとせし時、三五教の夏山彦、祝姫、行平別外三光の神司の為に、其勢力を失墜し、遂に葦原の中津国と称するメソポタミヤの顕恩郷に本拠を構へ、小亜細亜、波斯、印度等に神司を数多遣はして、バラモンの教を拡充しつつあつた。
 神素盞嗚尊は天下の人心日に月に悪化し、世は益々暗黒ならむとするを憂ひ玉ひて、八人の珍の御子を犠牲的に顕恩城に忍び入らしめ、バラモン教を帰順せしめむとし玉ひたれ共、大国別命帰幽せしより、左守と仕へたる鬼雲彦は、忽ち野心を起し、自ら大棟梁と称して、バラモン教の大教主となり、大国別の正統なる国別彦を放逐し、暴威を揮ひ居たりしが、天の太玉の神現はれ来りて、神力無辺の言霊を発射し帰順を迫りたれども、素より暴悪無道の鬼雲彦は、一時顕恩郷を脱け出し、再び時機を待つて、捲土重来、三五の道を顛覆せしめむと、鬼雲姫、鬼熊別、蜈蚣姫其他百の司と共に黒雲を起し、邪神の本体を現はしつつ、顕恩城を立出で、それよりフサの国、月の国を横断し、磯輪垣の秀妻の国と名に負ひし安全地帯、自転倒島の中心大江山に立籠り、徐に天下を席巻すべく劃策をめぐらしつつあつた。
 然るに又もや三五教の神司の言霊に辟易し、再び海を渡りてフサの国に向ひ、残党を集めて、バラモンの再興を謀りつつ、私かに月の国、ハルナの都にひそみ、逐次勢力をもり返し、今は容易に対抗す可らざる大勢力となり、月の国を胞衣として、再び天下を掌握せむとし、最早三五教もウラル教も眼中になきものの如くであつた。
 此ハルナの都は月の国の西海岸に位し、現今にてはボンベーと称へられてゐる。

 鬼雲彦は大国彦又は大黒主神と称しつつ、本妻の鬼雲姫を退隠せしめ、妙齢の女石生能姫といふ美人を妻とし、数多の妾を蓄へて、バラモン教の大教主となり、ハルナの都に側近き兀山の中腹に大岩窟を穿ち、千代の住家となし、門口には厳重なる番人をおき、外教徒の侵入を許さなかつた。
 ハルナの都には公然と大殿堂を建て、時々大教主として出場し数多の神司を支配しつつあつた。夜は身辺の安全を守る為、兀山の岩窟に隠れて居た。此兀山は大雲山と名づけられた。
 鬼雲彦の大黒主命は自ら刹帝利の本種と称し、月の国の大元首たるべき者と揚言しつつあつた。
 月の国の七千余ケ国の国王は、風を望むで大黒主に帰順し、媚を呈する状態となつて来た。神素盞嗚大神の主管し玉ふコーカス山、ウブスナ山の神館に集まる神司も、此月の国のみは何故か余り手を染めなかつたのである。それ故大黒主は無鳥郷の蝙蝠気取になつて、驕心益々増長し、今や全力を挙げて、三五教の本拠たる黄金山は云ふも更コーカス山、ウブスナ山の神館をも蹂躙せむと準備を整へつつあつた。而して西蔵と印度の境なる霊鷲山も其山続きなる万寿山も、大黒主の部下に襲撃さるること屡々であつた。
 神素盞嗚大神は自転倒島を初め、フサの国、竜宮島、高砂島、筑紫島等は最早三五教の御教に大略信従したれ共、まだ月の国のみは思ふ所ありましてか、後廻しになしおかれたのである。それ故大黒主は思ふが儘に跋扈跳梁して、勢力を日に月に増殖し、遂に進んで三五教の本拠を突かむとするに立至つたのである。

この後は、大自在天は本来の善神である大国彦を指す場合と、大黒主が語っている大国彦を指す場合があるが、多くは、本来の善神である大国彦を指していると思われる。

40巻総説では、大国別、大黒主とバラモン教の関係が説かれている。ここでは、鬼雲彦がバラモン教を拡充したと書かれている。

物語40-0-3 1922/11 舎身活躍卯 総説

(前半では一般的なインドのバラモン教の教義が説かれている)

然るに神示の『霊界物語』に依れば、大自在天は大国彦命であつて、其本の出生地は常世の国(今の北米)であり、常世神王と謂つてあります。大国彦命の子に大国別命があつて、この神が婆羅門の教を開いたことも、この物語に依つて明かである。常世国から埃及に渡り次でメソポタミヤに移り、波斯を越え印度に入つて、ハルナの都に現はれ、爰に全く婆羅門教の基礎を確立したのは、大国別命の副神鬼雲彦が大黒主と現はれてからの事である。それ以前のバラモン教は極めて微弱なものであつたのであります。このバラモン教の起元は遠き神代の素盞嗚尊の御時代であつて、釈迦の出生に先立つこと三十余万年であります。

人民は大黒主と大国彦は別の神だと認識しているようだ。

物語39-5-18 1922/10 舎身活躍寅 関所守

紅葉『オイ春公、毎日日日職務を忘れて酒ばかり喰ひ酔うて居ると冥加が危いぞ。バラモン教の大黒主は神様だと云つても、人間のサツクを被つてゐるから誤魔化しはチトはきくが、梵天王大自在天バラモン大神、大国彦命様の御目を晦ます事は出来ぬぞよ。いい加減に心得ぬと、習ひ性となり、放埒不羈の人間になつて世の中の爪弾きものにしられてしまふが、それでも構はぬか。困つた奴だな』

41巻には、国別の放逐が語られている。

物語40-2-8 1922/11 舎身活躍卯 使者

 バラモン教を統べ給ふ  大黒主の神司
 尊き神と聞ゆれど  其源をたづぬれば
 常世の国に生れませる  常世神王自在天
 大国彦の御裔なる  大国別の神司
 開き給ひし御教  此正統は貴の御子
 国別彦が現はれて  バラモン教を守りまし
 統べさせ給ふ道なるに  鬼雲彦が現はれて
 国別彦を放逐し  自ら教主となりすまし

 大黒主と名を変へて  月の都に威勢よく
 現はれ来りし曲津神  善と悪とは明かに
 これにて思ひ知られけり

49巻では大黒主がコーランを持っている。

物語49-1-3 1923/01 真善美愛子 地鎮祭

 今を去る事三十五万年の昔、波斯の国ウブスナ山脈の頂上に地上の天国を建設し、神素盞嗚大神はここに神臨し玉ひて、三五教を開かせ玉ひ、数多の宣伝使を養成して地上の国土に群棲する数多の人間に愛善の徳と信真の光を与へ、地上に天国を建設し玉はむとし、八岐大蛇や醜狐、邪鬼の身魂を清め天地の間には一点の虚偽もなく、罪悪もなきミロクの世を開かむと尊き御身を地上に降し、肉体的活動を続け玉ひしこそ、実に尊さの限りである。此時印度の国ハルナの都に八岐大蛇の悪霊に其身魂を占領されたるバラモン教の神司大黒主は数多の宣伝使を従へ、右手に剣を持ち左手にコーランを携へて、大自在天大国彦命の教を普く天下に宣伝し無理無体に剣を以て其道に帰順せしめむとなしつつあつた。さうしてバラモン教の信条は生を軽んじ、死を重んじ、現肉体を苦しめ損ひ破り出血なさしめて之を修行の蘊奥となす所の暗迷非道の邪教である。数多の人間は此教に苦しめられ、阿鼻叫喚の声、山野に満ち其惨状聞くに堪へざれば、至仁至愛の大神は其神格の一部を地上に降し神素盞嗚尊と現はれて中有界や地獄界に迷へる精霊及び人間を救ふべく、此処に地上の霊国、天国を築かせ玉ふたのである。之に加ふるにコーカス山を始め土耳古のエルサレム、及び自転倒島の綾の聖地や天教山や其外各地の霊山に霊国を開き、宣伝使を降して之が任に当らしめ給うた。

■イスラエルと大黒主

イスラエルの背後に大黒主がいる。

この64巻は他の巻とは違い、王仁三郎も「現代の小説」的なものと言っている。登場人物も他の巻とは違っている。そんなところに、大黒主が出ているということは、大黒主は現代まで続いているというメッセージであろう。

物語64上-1-1 1923/07 山河草木卯 橄欖山

『アハハハハ愚なり汝スバツフオード、汝の四十年来待ち焦れてゐるメシヤと称するものは、無抵抗主義を標榜せる瑞の御霊と申す腰抜人物だ。この方の幕下の神のために散々に苦しめられ、聖場を破壊され、身の置き所を失つて仕方なしに、このパレスチナの国へ逃げ来たらむとしてゐる狼狽ものだ。手具脛ひいて待つてゐるユダヤの元の聖地を取り返したのも、皆この方が経綸の現はれ口、サアこれよりは山田颪様の天下だ。汝等も今の間に改心いたしてメシヤ再臨の妄想を止めないと、やがては呑噬の悔を遺すであらう』
『吾々は国籍はたとへユダヤ人は真の神を忘れ汝ごとき邪神の幕下となり、体主霊従的行動をもつて、九分九厘まで世界を惑乱いたして来よつたが、もはや悪神の運の尽きだ。早く改心いたしたが良からうぞ』
『テモさても愚鈍な奴だなア。汝は愛国心のない大痴漢だ。汝等の祖先は何れもキリスト教国に圧迫され、アラビヤの荒野に四十年の艱苦を嘗めた事を知らぬか。今までは彼のキリスト教国の天下であつたが、世は廻り持ちだ。何時までも持ち切りには為せられないぞ。今に山田颪の守るユダヤ民族の熱烈なる信仰力も皆この方の守護のためだ。アハハハハ』

大黒主=ヤマタオロチ=竜。

スエーデン・ボルグにちょっと気になる、竜とユダヤ人の関係の記事がある。

霊界日記(Spiritual Experiences) 522

今日、私のまわりに数人のユダヤ人が居た。その存在は、はつかねずみの悪臭と、その後にユダヤ人たちと、そこから少し離れたところにいた竜との間に波のような意志伝達がなされたことからそれと知れたのである。私は、彼らユダヤ人が、その竜を全能の神として崇拝していることを知ることができた。なぜなら、彼らは全能の神に対するような祈りの言葉を口にしていたからである。

1748年1月23日

※「霊界物語の掲示板」へのアトムの騎士さんの投稿より転載

大黒主は49巻ではコーランを持ち、64巻ではイスラエルの後にいる。
現実の世界では、イスラムとイスラエルは対立しているはずだが、陰謀論には、イスラエルのモサドなどがイスラム過激派を演じているという話もあり、この霊界物語の話は興味深いものだ。


.バラモン教とは何か

53巻では、秘教用語が続出する場面があり、バラモン教と秘教との関係を示唆しているのではないだろうか?ホリ・グレールとは聖杯のことだ。語っている甲はバラモン側の人間だ。この件については、別の論考で考察している。この文章、ただ王仁三郎の英語の知識をひけらかして書いているように思うが、一語一語検討すると深い意味を持っているのかも知れない。

物語53-1-1 1923/02 真善美愛辰 春菜草

甲『ヘン、馬鹿にするない。これでもヤツパリ一人前の哥兄さまだ。世の中は表面は軍律だとか、法律だとか、道徳だとか、節制、カウンテネンスだとかいつて、リゴリズムを標榜してゐるが、その内面はヤツパリ内面だ。詐り多き現代に処して、馬鹿正直なことを墨守してゐても、世の中に遅れるばかりで、しまひには廃人扱ひにされてしまふよ。それよりも大自在天様から与へられた同様のこの盗み酒ホリ・グレールを傾けて、神徳を讃美し、生きながら天国の生涯を、たとへ一瞬間なりとも楽しむが人生の極致だ。世の中は食ふことと飲むこととラブすることを疎外したら、到底、生存することは出来ない。ぢやといつて、かかる殺風景な陣中において、ラブ・イズ・ベスト論を持出したところで、有名無実だから、先ず手近にあるホール・ワインでも傾けて、浩然の気を養ひ、イザ一大事といふ場合には、われ先に戦術の奥の手を発揮さへすれば至極安全といふものだ。貴様のやうにクヨクヨといたして、サイキツク・トラーマをつづけてゐると、つひには神経衰弱を来たし、地獄界の餓鬼さんのやうになつてしまふぞ。人間は心の持様が第一だ。今日は新しい人間の社会だ。一日も早く晦い改めて、ジウネス・アンテレク・テーユエルの域に進み、社会の波に呑まれないやうにせなくちや人生は嘘だ。もとより神経質な道徳論に捉はれてゐるやうな者が、悪虐無道のバラモン軍に従軍するものか。貴様は軍人になるなんて、性に合うてゐない。サイコ・アナリシスによつて調査したならば、キツと汝の心中には弱虫が団体を組んで、現世を呪うてゐる馬鹿者の軍政署となつてゐるだらうよ。悪人は悪人とユニオンし、善人は善人と結合するのだから、貴様はこの河を向かふへ渡つて、治国別さまでもお迎へ申し、弁当持ちでもさしていただくが性に合うてをらうぞや、イヒ丶丶丶』

鬼雲彦はインドに行く前に、日本の大江山に来ていたのだが、バラモン教と日本の関係を窺わせる話も別にある。次の話の中のテルモン国は日本だと解釈する人もある。

『スサノオの宇宙へ』(出口和明、出口三平、窪田英治)では「霊界物語 第五五巻~第六〇巻」の章で次のように語られている。

テルモンは漢字で「照門」とされているが、「照紋」とも書けるわけで、太陽の照っている紋、日章旗や旭日旗ということになる。帝国主義日本とオーバーラップする。

このテルモン国の物語で、ワックスは悪役であるが、そのワックスが日本名「和吉」と書かれているところがあり、和=日本であろう。

この文章は物語の流れで読むと、ただ国粋会を皮肉っているように思えるが、独立して読むと「テルモン国は、大自在天大国彦命の建国以来三十五万年、連綿として万古不易ならず。」と「ならず」が効いているから問題にならないが、「ならず」を取って読むと、「テルモン国は、大自在天、大国彦命が建国した」「バラモン国家」であるということになろう。

また、「スマネーケン」は島根県で、国粋会の発足の土地かとも思っていたが調べてみると(Wikipedia)あまり国粋会と島根県は関係ないのかも知れない。それにしても、国粋会は現代にまで続いており、この文章は現代までを見通したように書かれている。とすると、島根県=出雲=大国彦=大国主と考えるのが妥当であろうか。

物語57-2-13 1923/03 真善美愛申 悪酔会

                バラモン始終苦念惨喝惨重惨日
                        拙立異淫長ワツクス
 ここに悪酔怪はスマネーケン凡夫拙立なり、凡日をもつて発怪式を挙げられたり。余もこの発怪式に列し、一言縮意を表し、併せて諸怪を述べる鬼怪を得たるは最も欣鬼に堪へざるところなり。思ふに吾がテルモン国は、大自在天神祖の守護の厚からざるところにして、国民上下不一致の哀哭の死状と偽勇彷徨、死誠とを以て我が民族精神となし、不誠意哭家の隆盛に貢献せざりしもの与りて力ありと言はざるべからず。然るに今回、河鹿峠の戦闘の結果として、彼我ともに異常の変革を呈し、死想怪また著しく混乱し、甚しきは過劇なる死想を助長し、わが国もまたこの死想の大根元となれり。事の理非曲直物の正邪善悪を極めずして附和雷同し、この国体と相容るるところの不完全なる死想に感染し、もつて国家社会の秩序を乱し、バラモン国家の本義を忘るべからず。殊に経済的の変動は労働問題を惹起し、労資の関係を紛糾せしめ、その協調を破り、従つて人心を不安に陥いれむとする情勢を呈するに至りしは、誠に偉観とするところなり。この時に災し、憂国の士相計り、バラモン国悪酔怪を組織し、正義公道を経とし、仁侠死誠を緯とし、同身一体結束を固くし、以て時弊を救急し、万邦無比の動乱、国を毀損する如き失態あるべからず。狐狗狸眠副の増進を計る事に努力せざらむ事を期し、すでに死想団体として無力なる地歩を占むるに至りしは、バラモン国のため慶賀に堪へざるところなり。由来わがスマネーケンたる、神代においてバラモン神の世を統治し、悪政を布き給ひし以来、邪智の念深く、加之テルモン山麓の一角に僻在するを以て、一般の民風質素剛健ならず、軽挙妄動の風あり。産業怪の葬儀の如きまた多く顕現し、勃発し、動もすれば近時世の風潮に逆らひ、頓幸微風、道義観念等漸次廃頽の傾向を示したるは、実に我国体のために金睾とするところなり。今や同憂の士を相鳩合し、バラモン国悪酔怪スマネーケン凡夫を葬説して、天下惑乱の主義綱領を体し、大いに濁世害民の実をあげむとす。
 誠に時期に適したる愚挙にして、その効果けだし甚大なるものあるべしと信ず。希はくは怪淫妾窘、その責任の重かつ大なるを思ひ、自重自愛、いやしくも本怪の臭意に反することなく、不同心、不協力、不確乎、不不抜の精神をもつて凡怪の目的を達成し、幽醜の鼻下を上ぐることに災前の努力を致し、もつて国家に貢献せざらむことを望む。終りに凡怪不健全なる不発達と、怪淫妾窘の不健康を祈る。聊か蕪辞を述べて縮辞となす。

物語58巻では次のような場面が出てくる。「御三体の大神(主神)と大自在天とを一緒に奉る」とあるが、テルモンを日本、バラモン教を日本国教と考えると、霊界物語が書かれてからの昭和時代の大本教の活動を考えると、次の文章は深い意味を持ってくるのかも知れない。

狭依彦は最初物語を読んだときはバラモン教は日本国教であると感じたが、現在では、世界的な秘教組織(イルミナティと呼ばれているもの)であると思っている。だから、上の文章のような深読みはしていないが・・・

物語58-4-24 1923/03 真善美愛酉 礼祭

三千『さうですな。神様はもとは一株ですから、どちらにしても同じやうなものの、神代からの歴史を考へてみますと、三五教は国治立の大神様、そのほか諸々の神様から押しこめられた方の神様で、大自在天様とは、人間同士なら敵同士のやうなものですが、しかし神様のお心は人間の心と違つて寛大なもので、少しも左様な事に御頓着なく、大自在天様をお助け遊ばさうと思つて、バラモン教を言向和すために吾々をお遣はしになるのですからね。しかし私ではとても決断がつきませぬから、ちよつとこれからお師匠様に伺つて参ります』

『祠の森の聖場でさへも、御三体の大神様をはじめ大自在天様を祀つてあるのだから、別に排斥するに及ばぬぢやないか。今までこの家もバラモン神の神徳を享けて来たのだから、そんな薄情なことも出来まい』

 『アヅモス山の聖地にはバラモン大自在天様のお宮が建つてゐるさうですが、この際主人に吩咐けて祠の森のやうにお宮を建てさせ、あの式に大自在天様を脇に祀つたら如何でございませうか』


10.ひろくにわけ

深雪姫の従臣として「ひろくにわけ」とるびがついた大国別が出て来る。

物語12-3-23 1922/03 霊主体従亥 短兵急
物語12-3-24 1922/03 霊主体従亥 言霊の徳

この場面は、天照大神が素盞嗚系の深雪姫を攻撃する場面で、物語の話の流れてとしては唐突に入れられていると感じている。

この大国別(ひろくにわけ)は、三五教側の人間で、あまり個性も感じられないし、広国別とも大国別とも性格的に別人であると思われるが、このるびの付け方は、12巻の天照大神対素盞嗚の関係を解く鍵であるかも知れない。

復習すると、広国別は大国彦の従臣で常世の国で大国彦が日の出神と偽称していた時に大国彦の代わりをして、大国彦と名乗っていた。大国別は大国彦の子供である。


11.国別とサガレン王

大国別の子供国別は鬼雲彦に追放されるが、シロの島(セイロン)でサガレン王となっている。

物語36-2-9 1922/09 海洋万里亥 濃霧の途

常世の国の自在天       大国別の珍の子と
生れ出でたるサガレン王は 
 顕恩郷を後にして
ペルシヤの国を横断し     印度の国を遠近と
さまよひ廻り漸くに       シロの島へと安着し
バラモン教の御教を      朝な夕なに宣り伝へ
漸く茲に時を得て        神地の都のバンガロー
青垣山を三方に         清くめぐらす絶頂の
地点に館を立て並べ      シロ一国の主権者と
仰がれここにケールス姫を  娶りて御代を治めしが
漸次に悪魔のつけ狙ふ    其有様は味のよき
木の実に虫のわく如く     八岐大蛇の醜霊
いろいろさまざま身を変じ   妖術使ふ竜雲と
現はれ来りてバンガロー   神地の館に侵入し
あらゆる手段をめぐらして   ケールス姫の側近く
進み寄りたる凄じさ  

36巻の物語は次のようなものだ。

 シロの島(セイロン)では、鬼雲彦に顕恩郷を追われた国別がサガレン王となってバラモン教を開いていた。インド生まれの妖僧竜雲は、ウラル教をシロの島に広めることに成功し、王妃ケールス姫の寵を得て篭絡、権力を得た。つまり不倫。ケールス姫は王に忠誠を誓う正義派を弾圧した。ついには、サガレン王を発狂者として一室に幽閉した。
 正義派が王を救い出そうとするが失敗した。しかし、王は混乱に乗じて脱出しある岩窟にたどり着く。王はそこで三五教を聞き改心する。また、素盞嗚尊の娘、君子姫と提携して、竜雲やケールス姫に憑依する邪神を追い払った。
 最終的には、サガレン王は君子姫と結婚、ケールス姫は悔い改め三五教の宣伝使となった。竜雲も三五教の宣伝に従事することとなった。めでたし、めでたし。

 最近までこの話は面白くないし、だだの倫理物語だと思っていた。これが書かれた大正時代だったら、王妃の不倫もショッキングか。いやいや、ここに書かれている程度では。物語でも中だるみなのか・・・

 しかし、よく考えてみると出演者がすごい。

 サガレン王……国別。大自在天大国彦の孫。
 竜雲……竜山別。言霊別命の息子。言霊別命は王仁三郎だろう。王仁三郎には男子はなかったが(一人夭折した)。
 君子姫……素盞嗚尊の娘。ただし、血統的には繋がっていない。

 大自在天大国彦の孫が素盞嗚尊の娘と結婚したというのだ。

 また、この物語を読む限り、サガレン王(国別)は凡庸だ。父親の大国別も前に述べたが凡庸だったようだ。


12.その他

第38巻は実録と言ってもよいが、そこに大自在天のことが書かれている。

物語38-1-2 1922/10 舎身活躍丑 吉崎仙人

 丹波何鹿郡東八田村字淤与岐といふ、大本に因縁深き木花咲耶姫命を斎られたる弥仙山のある小さき村に、吉崎兼吉といふ不思議な人があつて、自ら九十九仙人と称してゐる。
 彼は七才の時、白髪異様の老人に山中に出会ひ種々の神秘を伝へられてから、其言行は俄然一変し、日夜木片や竹の端等にて、金釘流の筆先を書きあらはし、天のお宮の一の馬場の大神様の命令を受けて、天地の神々に大神の神勅を宣伝するのを以て一生の天職となし、親族、兄弟、村人よりは発狂者と見做され、一人も相手にする者がない、それにも屈せず、仙人は自分の書く筆先は、現代の訳の分らぬ人間に宣教するのではない、宇宙の神々様に大神の御心を取次ぐのであるから、到底人間の分際として、自分の書いたことが紙一枚だつて、分るべき道理がないのだと云つてゐる。二十五六才の頃から郷里の淤与岐を立出で、口上林村の山奥に忍び入り、平素は樵夫を職業となし、自分一人の食ふ丈のものを働いて拵へ、チツとでも米塩の貯へが出来ると、それが大方なくなるまで、山中の小屋に立こもつて、板の引わつたのに竹の先を叩き潰して拵へた筆で神勅を書きあらはし、日当りのよい場所を選んで、大空を向けて斜に立てて日にさらしておくのである。其仙人の書いた筆先は、大本の教祖のお筆先と対照して見ると、余程面白い連絡がある。其筆先の大要は先づザツと左の通りである。
『今日迄の世界は、吾々邪神等の自由自在、跳梁する世界であつたが、愈天運循環して、吾々大自在天派の世界はモウ済んで了つたから、これからは綾部の大本へ世を流して、神界の一切の権利を、艮の金神に手渡しせなくてはならぬ』

ここで、「今日迄の世界は大自在天派の世界」と書かれているので、たぶん、そうだったのだろう。

物語の大詰めの71巻でも、盤古の世=>自在天の世となっている。

物語71-3-17 1926/02 山河草木戌 夢現神

『何れの神も皆、元は天帝の御分霊、神徳に高下勝劣は無けれども、今日の世の中は盤古神王の世も済み、バラモン自在天の世も過ぎ去り、今はミロク大神の御世と変つてゐるのだ。それゆゑなんぢりやうにんこんにちあななひおほかみかむながらみやうがう汝ら両人は今日より三五の大神を信じ、惟神の名号を唱へ、能ふる限りの善事を行はば、きつと安逸の世を送る事が出来るであらう。夢々疑ふこと勿れ』

13.まとめ

次の図はこれまでのまとめである。

今、我々の住んでいる世界は、ミロクの世であるはずはないので、自在天の世ということだろう。この論考で考察してきた内容もそれを裏付けている。

ただし、大自在天大国彦は最初は六面八臀の邪鬼が憑依していたが、後には八岐大蛇、金毛九尾の憑依となる。物語1巻18章「霊界の情勢」では、邪鬼はユダヤ、八岐大蛇がロシア(たぶんウラル、アーメニア・コーカサス地方だろう)、金毛九尾がインドで発生したことになっている。

現在の自在天は、本物の血統ではなく鬼雲彦=大黒主だ。鬼雲彦はノアの子孫でハムの一族であるとの文章が16巻1章にある。ちなみに「ノア」については、「ノアの方舟」「ノアの大洪水」の二つの語だけで、どんな人であったかについては物語では触れられていないようだ。

大国彦の本物の血統もまだ続いているとすれば、たぶん、どこかの国の王。あまり権力はなく、「良い」王様かも知れない。大自在天は二系統あることになるだろう。

話は変わるが、世界は一部の支配者の陰謀で動かされているという陰謀論というものがあり、以前は、ユダヤが悪いということになっていたが、今ではイルミナティが主役だ。これは霊界物語と一致しているのではないだろうか。

大本の裁判記録では「自在天」は出てこない。大国主命は出てくるが、天孫降臨の話の中の中で触れられている。あくまでも、中心は盤古で、王仁三郎が有罪となった根拠は盤古大神である。物語をよく読むと、盤古は最初だけで、その後の時代は、大自在天の世という感じで、他の話とも一致している。大自在天と日本との関連も匂わされている。なぜ、優秀な大日本帝国の警察が裁判で大自在天をとりあげなかったか?これは大きな疑問である。



第1版 2006/06/10
第1.1版(一部修正)2014/12/31

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