出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/kihshow.php?KAN=NM&HEN=5&SYOU=38&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=&CD=

原著名出版年月表題作者その他
物語NM-5-381925/08入蒙記 世界宗教聯合会王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:

あらすじ
未入力
名称


 
本文    文字数=4440

第三八章 世界宗教聯合会

 天恩郷に新築せられる光照殿の礎石は、道義的世界統一の基礎たるべき世界宗教聯合の証兆なれば、一石塊を積み重ぬるにも、心せざるべからずとて、源日出雄は親しく基礎工事監督の任に当り、一方岡崎鉄首の報告に基き、同人が同道して綾の聖地に参拝せし、李松年を先駆者となし、真澄別に全権を委ねて、世界宗教聯合の成立を促すべくこれを北京に派遣する事とした。
 真澄別は神命を畏み、隆光彦、岡崎鉄首並に頭山満及内田良平両氏の代表者たる岡貞吉氏の三名を伴ひ、陰暦四月十二日、天恩郷を後に船路を北京に向ふ事となつた。
 北京にては熱心なる仏教家として知られたる洪徳滋が、李松年より伝へられたる使命を知得し、出来得る限りの準備を整へ、真澄別一行の来着を待つて居た。
 真澄別は先づ以て、折柄北京に滞在し一行の来意を伝聞して歓迎の意を表すべく心待に待つて居た章嘉活仏と会見し、将来を約し、且この際支那において世界宗教聯合会の発起せられる事の、機宜に適した事、昨春蒙古入の神意など、神界経綸一部の消息を伝へた。章嘉は怡々として、自分の本懐も実に此に存するとて固き握手を交換した。
 昨春盧占魁は大庫倫に進むに先立ち、内蒙を横断し章嘉の許に日出雄一行を導き、内蒙における根拠をこれによつて堅めたいと声明してゐたが、一箇年を経し今日、神は真澄別を遣はしてこれを実現せしめられたのである。茲に活仏の現状に関し簡単なる説明を添へる事とする。
 喇嘛教即ち仏陀教が国教となつてゐるのは、西蔵、内蒙及び外蒙の大庫倫地方以西である。その他に喇嘛廟のある主なる地方は、山西省の五台山及び北京である。しかして四人の活仏がこれを四分して、各その管内を統轄してゐる。活仏の下には、ザスク、カンブ、大喇嘛、ツオングワン、クワンジヤ等の階級があり、各王公爺廟の主宰者は主としてカンブ以下であるが、俗に此等をも活仏と称するのである。
 西蔵の前蔵は達頼活仏、後蔵は班禅活仏の管掌に属し、猶山西省五台山にも所管廟を各有してゐる。
 章嘉活仏は内蒙全部、外蒙の十個廟、五台山の五個廟並に北京の喇嘛廟を統掌し、支那の大国師として尊崇せられてゐる。そして本来察哈爾の多倫に居るべきであるが、地方巡錫の時以外は、便宜上暑季は五台山に、寒季は北京に駐在してゐる。
 また外蒙を管掌してゐる──先年皇帝の宣言した大庫倫の活仏は、昨年帰幽して、今は欠員となつてゐる。欠員中は他の三活仏の中、何れかが兼掌する慣例であるが、外蒙は未だ赤露の勢力範囲を脱せず、如何とも施すべき策なき状態である。しかして活仏の後継者は、各その遺言に従ひ、帰幽後三年以内に再生するのを待たねばならぬから、今後大庫倫に如何なる神の経綸が行はれるか、それは神業の進展と共に自ら闡明すべき問題である。
 かくして真澄別一行は、支那における各宗教の本部を訪ひ、各代表者に神意を伝へ、機は熟して、大正十四年五月二十日陰暦四月二十八日、北京悟善社において、世界宗教聯合会は発会式を挙げ、先づ東亜の聯盟を確実にししかして後西漸することに方針が定められたのである。従来三五教と提携し居りし、普天教、五大教の外、今回の聯合会により、三五教に結びしは、道教、救世新教、仏陀教、支那仏教、支那回教、支那基督教、儒教などである。
 更に真澄別は支那における因縁の霊地五台山を訪問して神勅を仰ぎ、日出雄の許に復命したのは、日出雄が昨年大阪刑務所に到着した時より十一ケ月を経し六月二十七日であつたのも奇と云ふべしである。

(大正一四・八 筆録)



オニドでるび付原文を読む    オニド霊界物語Web