出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語NM-5-371925/08入蒙記 大本天恩郷王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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本文    文字数=1858

第三七章 大本天恩郷

 財政問題や日出雄の保釈問題に関する、小田原評議で低迷せし周章狼狽の空気は、日出雄の保釈帰綾と共に一掃され、全くの嵐の跡のそれの如く、天地清明の聖地と復活したのである。
 爾来進展主義の日出雄は、負債や世評に屈することなく、瑞祥会本部を亀岡より綾部に移して諸務の総攬を宇知麿に一任し、自らは真澄別その他を率ゐて、万寿苑に根拠を定め、入蒙出発の際宣言せし如く、単に三五聖団の日出雄としてでなく、世界の源日出雄として、万界の暗を照破すべき、神界経綸の実現に着手したのである。
 先づ以て万寿苑は天恩郷と命名され、日出雄の居館たる光照殿が新築される事となつた。久しく寂寥を感じて居た万寿苑は頓に活気横溢し、数多の信者は各地より、吾れも吾れもと先を争つて参集し、光照殿造営に奉仕する事となり、亀山城趾の基礎石はそれぞれ掘り起されて、誂へた如く神業に役立つ奇縁に、弥永久世弥永の掛声も勇ましく、四辺の空気を震撼せしむる盛況に、驚嘆の眼を睜るは亀岡町の人々のみならず、日出雄が天下無敵の経綸振とその説示の絶対なるに、今更の如く耳目を欹て、或は教を請ふべく、或は事業経営の主宰と仰ぐべく、往来する人々引きも切らず、更に欧文印刷所の新設、海外宣伝部の移転などで、月照山の弥勒塔日に日にその光輝を増す瑞祥に、月宮殿造営の日をも鶴首して待つのは、敢て信徒のみではないのである。あゝ惟神霊幸倍坐世。

(大正一四・八・一七 筆録)



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