出口王仁三郎 文献検索

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物語NM-5-341925/08入蒙記 竜口の難王仁三郎参照文献検索
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第三四章 竜口の難

 これより先き日出雄は井上兼吉を従者とし、盧占魁、外十数名を伴ひ、二十名の支那官兵に前後を守られながら、五十支里を隔つる白音太拉に向つたが、彼は七月二十日の大本裁判に出頭するために、白音太拉において武器の授受終了の上、一先づ日本へ帰国し再び出国する覚悟で、勇み進んで白音太拉に向つたのである。
 三十支里ばかり来た所に通遼県の兵営分隊駐屯所があつた(通遼は白音太拉の支那名である)。支那の将校と共にこの兵営にしばし休息し、盧は兵営長と少時談合の上再び東に向つて進んだ。殆ど夜の明けむとする頃、前方より数百の騎兵隊が進み来り、盧占魁と再び何事か交渉の上、もとの軍営に引帰し行く。この時盧は井上に向つて、
『大先生をよろしく頼む』
と幾度も繰返し繰返し言残して行く。日出雄は井上と共に馬を下り傍の青草を喰ませてゐたが、一時間ばかりすると通遼旅団の参謀長が十数名の騎兵を引連れ来り、日出雄に向つて日本語にて、
『貴方は日本人、一時も早くお逃げなさい お逃げなさい』
と手を振つて南の方を指して教ふる。日出雄は、
『真澄別その他の日本人を後に残して遁走するは日本男子の恥辱だ、ともかくどうなるも神様の御経綸だ、寧ろ自分の方より兵営に飛込んで武器受取の談判をやらう、その間に盧が出て来るだらうしまた後に残つた日本人の消息も分るだらう』
とまたもや駒に鞭ち、白音太拉に向け駆け出した。後より孟秘書長は一人の従者と追かけ来り、一行四騎は轡を並べて堂々と通遼県の西門に進んだ。
 城門の前まで進んで行くと、太陽は草の中から赤い顔をして昇りかけた。門の両方には厳めしく武装した兵士が数名立番をして居て、一人につき五十銭宛の通行税を徴収した。日出雄と井上は旅団の所在地を尋ねると、衛兵四名が前後となつて兵営へ案内した。
 日出雄は営内に入り、高等武官らしきものに井上の通訳を介して挨拶をなし、かつ、
『盧占魁の来るまで当営に休息したし』
と申込んだ。将校はいと慇懃に美しい座敷を与へ、茶菓子を出して饗応し、柔かい毛布を敷いて、
『先づお休みなさい』
と勧めた。日出雄も井上も夜中強行軍のため身体が疲れてゐるので、その好意を感謝しながら、前後も知らず寝に就いた。殆ど三四時間も眠つたと思ふ頃、参謀官は四五名の兵士と共に銃口を向けながら、井上兼吉を揺り動かし懐中の十連発のモーゼルや六連発のピストルを捲き上げ、かつ所持品を調べた上、後手に麻縄を以て縛り上げ、次に日出雄を揺り起した。日出雄は安らかな夢を結んでゐた所を起されて、目を擦りながら四辺を見れば、井上が已に縛されてゐた。参謀官は金盥に湯を汲みタオルを浸し、
『先づこれにて顔を洗ひなさい』
と日本語にて親切に云ふ。日出雄は、
『ハイ有難う』
とその湯に浸したる手拭にて顔を拭ふた。兵士は代る代る湯に浸しては絞り日出雄に渡し、首筋や手を洗つてくれた。さうして日出雄の所持品を調べ、『天国』の銘刀や如意の宝玉並びに白金の時計、所持金八百七十円を目の前で調べて、
『盧占魁が来るまでお預りします』
と云つて持つて行つた。次の室を見ると、孟秘書長及び一人の支那兵が井上同様に縛られてゐる。日出雄は意外の出来事に訝かりながら参謀に向つて、
『何故井上を縛りましたか』
と尋ねた所、
『井上は武器を携帯してゐたから馬賊と認めて縛つたのだ。彼等二名の支那人も馬賊だから縛しめたのだ。そして盧占魁が来るまで貴方もホンの形式ながら縛ります』
と云ふので、日出雄は、
『御自由になさい』
と手を後へ廻した。参謀は形式的に極ゆるやかに手を縛り、日人二名支那人二名と共に兵営に坐らせて置き、いろいろと日出雄に向つて日本語にて話を交換した。さうして、
『貴方は武器を携帯せずかつ宗教家であるから、貴方は直ぐに放免されませう』
と云つて慰めた。ここで日出雄は愛馬に涙と共に別れた。愛馬もまた日出雄の心中を解するものの如く落涙したと云ふ事である。
 その日の午後四時頃、盧占魁は二十数名の幹部連と共に支那軍隊に送られて、日出雄の繋がれて居る旅団司令部に到着した。そして盧占魁と参謀長と交渉の結果、日出雄外三人の縛を解き茶菓等を運び、またもや親切に饗応し始めた。参謀長は、
『今晩は是非貴方方の歓迎の宴を催したいから、兵営に泊つて下さい』
と勧める。そこへ盧占魁、何全孝がやつて来て、日出雄を旅団長室へ誘つて行き筆談を以て、
『愈々武装解除の止むなきに立到りました。乍然、ここの旅長も自分の義兄弟でもあり、また自分の部下もここに沢山ありますから大丈夫です。安心して下さい。万一非常な事が起つても私等は生命に別条はない、さうして日本人は猶更安心してよろしい。私は王祥義と変名し盧占魁と云ふ名は今日限り葬つてしまひます。もし私が殺されるやうな事があつたら、この際貴方の生命もないでせう。ともかく明日は私と奉天に参りませう』
と云つた。日出雄は
『フンフンフンフン』
と首を竪に二つ三つ振りながら、再び参謀長の室に這入つて、
『今晩はあまり疲れたから何処か好い日本のホテルに案内して欲しい、そして久振りに日本料理を食べたいから』
と云つた。さうすると参謀は答へて言ふには、
『一昨年頃までは日本人の旅館がありましたが、今はもうありませぬ。鴻賓館と云ふ支那の一等旅館がありますから、それに案内させませう』
と日本語の解る若い兵士を案内役として馬車を命じ、日出雄、井上を鴻賓館に送り届けた。白音太拉の街は人山を築いて、日出雄の通行を物珍らしげに眺めてゐる。そこへ数千の兵士が盧占魁の残部隊を引連れて、ラツパの声も勇ましく帰つて来た。真澄別、守高、坂本の三人は日出雄の荷物を積んだ轎車に乗り、萩原は騎馬にて帰つて来るのに途中で出会した。日出雄は車上より声をかけ、
『今晩は鴻賓旅館に泊るから白凌閣と共にホテルに来てくれ』
と呼ばはりつつ、日の暮るる頃旅館につき一室に入つて休息してゐた。
 一時間ばかり経つと真澄別一行四人と蒙古人一名、支那人一名と共に旅館に着いた。この蒙古人は張貴林の片腕の副団長であつた。彼は銃弾を胸に受けて居たが、平気な顔で坐つてゐた。支那の将校で少佐の肩章をつけた軍人が、非常な愛嬌を振りまいて日出雄一行を歓待した。膏の多い支那の料理に何れも舌鼓を打つた。しかるに日出雄はその日に限りて気分が進まず、食事は箸もつけなかつた。今や寝に就かむとする時、盧占魁は二人の副官と共に日出雄を訪ねて来て筆談を始め、
『今晩は何だか怪しいやうだ、乍然自分は先刻申上げた通り大丈夫だと思ふ。これから熱、察、綏の特別区域に部下と共に身を以て逃れ再挙を図る考へです。これは日本への旅費の足しに……』
と云つて一百円を差出したが、日出雄は固く辞して受取らなかつた。そして盧占魁は日出雄と握手を交換し涙を払つて別れて行く。その夜旅団の兵営では数十人の妓チヤンを呼んで芝居をしたり、いろいろの面白い事をして盧以下を歓待し、阿片をふるまひ、沢山の馳走を饗応したのであつた。大勢の将卒は『一先づ安心』と酒を飲み、馳走を喰ひ、妓チヤンの芝居を見て、十二分の歓を尽し寝についた。
 その真夜中頃下着一枚になつて寝てゐる所を、一人々々営門外へ引出し、機関銃を以て、小口から射殺を始めたのである。
 支那の少佐は、
『今晩はお湯に御案内が致したいのですが、あまり遅くて汚れてゐますから、明朝新しい綺麗な湯に案内しませう。散髪は如何ですか、大分に髪が延びてゐますが、理髪師を呼びませうか』
と親切に云ふ。そこで萩原、井上の二人は理髪師を呼んで貰ひ散髪した。日出雄その他は、
『明日にする』
と云つて眠つてしまつた。表門には官兵数名、巡警数名が固く警護してゐた。この少佐は蜜峰のやうな男で口に甘き汁を含み、尻に鋭き剣を隠してゐた。夜半一時頃になると、ドヤドヤと室内に沢山な足音がしたと思ふと矢庭に兵士が室内に闖入し、先づ第一に萩原を揺り動かし、五六の兵士がピストルを向けて、
『神妙に縄にかかれ』
と云ふ。次に守高、井上、坂本、真澄別、日出雄と云ふ順に、ガタガタ慄へながら漸く日本人六名、支蒙人二名を捕縛してしまつた。よくよく見ればこの宿に一行が泊つた時、親切さうにお世辞を振り廻してゐた少佐が指揮をやつて居た。日出雄は少佐に向つて、
『何故こんな事をするか』
と詰問すれば、
『俺は何も知らぬ知らぬ』
と首を左右に振るばかりだ。そして十数名の銃を擬した兵が身構へをして居る。そして最後にこの旅館の庭前に引出され一列に立たされた。日出雄と真澄別、井上と萩原、守高と坂本と云ふ組合せに、二人づつ綱にかけ、一行の携帯品は残らず、少佐始め部下の兵士が先を争ふて分捕し、ただラマ服のみを轎車に乗せ、何処かへ持つて行つた。この騒ぎの中に、支那語に通じた井上は支那兵の囁きや罵り声を聞き、日出雄に向ひ、
『先生、只今支那兵が吾々一同を銃殺すると云つて居りますぞ、もう仕方がありませぬな』
と泰然自若として叫んだ。この声に応じて日出雄は、
『ウン、さうだらう。支那の奴は御馳走政策で卑怯にも騙討をせうとするのだらう、それでは私は愈々キリストとなつて昇天すべき時期が来たのだらう。君達も盧の部下も皆天国に連れて行くから、君達は霊が離れないやうにするが良い』
と二三回繰返し、かつ死後の世界の壮厳なる事を説いた。井上、坂本はこれに答へて、
『どうか、よろしくお願ひ致します。仮令地獄の底へでもお伴を致します』
と答へた。他の四名は平然として沈黙してゐた。この時日出雄は、
『惟神霊幸倍坐世』
と三唱し、真澄別は天の数歌を大きな声で唱へ出した。支那兵はビツクリして、
『八釜しく云ふな』
と叱りつけたので、両人は更に中声になつて、『ワイワイ』と騒いでゐる沢山の兵の中を、宣伝歌を歌ひながら、白音太拉の長い町を引廻され再び兵営の門内に送られた。その中支蒙人二名は日出雄一行と離され、銃殺場へ送られる。日出雄一行六人は再び営所の門を出で、北へ北へと引かれて行くと、道の両端には盧の部下が大の字になつて血潮に染まつて倒れてゐるのが沢山にある。そして大車を持つて来て兵士が運んでゐる。日出雄は一々その大車の死骸を電燈の光に査べながら進んで行くと、やがて一列に並べられた。
 真澄別、日出雄、萩原、井上、坂本、守高と順に並べられ、今や機関銃の弾丸が此等日本人の胸先に飛んで来ると思ふ矢先、射手は銃の反動を受けて後方に倒れたため数分を要した。日出雄は日本人一同に向つて云ふ、
『最早かくなる上は昇天の時が来たのだ、自分はこれから天国へ上り、霊国天人となつて日本は云ふに及ばず、世界の守護をする考へだ。君達も俺について来い、そして男らしう討たれて死なうぢやないか。日本男子の名を汚すやうな、卑怯な真似はしともないからのう』
と諭すやうに云つた。坂本は涙声を出して、
『どうか、よろしくお見捨てなきやう』
と云つた。真澄別は日出雄の言葉を遮つて云ふ、
『先生、決して貴方は生命を取られる気遣はありませぬよ。貴方は今天国へ行くと云はれましたが、今度の世の立替は肉体がなくては出来ないのです。もし貴方がここで生命を取られるやうな事があれば、神様が人間を騙したことになります。私は屹度お助かりになると思ひますから……』
と確信あるものの如く主張する。
『それでも真澄別さん、何程神の道に仕へてゐると云つても、日出雄の体は肉体だ。鉄砲が中れば死ぬのが当然だ。あんたも死なないと思つて安心して居る途端に一発食つたならば、あなたの霊魂は予想に反して中有に迷ふだらう。それだから死ぬものと覚悟して居ればよいぢやないか』
と諭す。真澄別は頑としてその説をまげず、
『イエイエどうあつても先生は死んで貰ふ事は出来ませぬ。もし貴方が生命が無くなる事があれば、神様は私を身代りに立てられるでせう。私は初めから貴方の身代りと云ふ名義で来て居りますから、そんな心配は要りませぬ』
と云ふ。日出雄は、
『何も心配はして居ないよ。何事も惟神と諦めてゐるのだ。畳の上でも死ぬ時は死ぬのだ。日本男子が蒙古の野辺に骸を曝すのも愉快だ。しかし死後の生活が肝腎だから……』
と一同の霊魂を救ふべく、それのみに心を集注してゐた。それから日出雄は、

『よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ』

と辞世を詠み、銃弾の吾胸に飛来するを待つた。それから井上兼吉は、
『早く討たぬか、俺の胸を討て、下手な打ちやうをすると弾丸が余計いつて損がいくぞ、見事一発で俺を打殺せ』
等と怒鳴つてゐる。日出雄はまた、

『いざさらば天津御国にかけ上り日の本のみか世界を守らむ
 日の本を遠く離れて我は今蒙古の空に神となりなむ』

等と辞世を七回まで詠み、大日本帝国万歳、大本万歳を三唱した。真澄別は、
『どうか止を得ざれば大先生と井上とを助けて下さい。井上は屹度先生を目的地へ連れて行く事が出来ませう。私が身代りになります』
と祈願してゐた。さうかうするうち銃殺は止めになつて、またもや兵士が日出雄一行を引立てて通遼公署付属の監獄へ連れて行つた。一々堅固なる足枷をはめ、手には手枷をはめ、二人づつ繋いで尚その上に麻縄にて六人を一つに縛り、窓を通して外の材木に括りつけ、厳重な死刑囚の取扱ひをした。

(大正一四・八 筆録)



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