出口王仁三郎 文献検索

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物語NM-4-301925/08入蒙記 岩窟の奇兆王仁三郎参照文献検索
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第三〇章 岩窟の奇兆

 夏期に相当する二三ケ月の間は、蒙古奥地は西比利亜方面と同じく夜が非常に短い。西北の空に夕焼の名残が消えたかと思ふと、間もなく早や東天紅を潮すると云つた調子である。月なき夜でも午前二時過ぎる頃から、危険な山路でも安全に旅行が出来るのである。張彦三の所謂神譴の雨を岩影に避けた全軍も、その中雨が小歇みになつたのでヤツと胸を撫で下し、六月七日(陰暦五月六日)午前二時半頃全軍に出発命令が伝はつた。騎馬にての旅行はともかく、二頭或は三頭立の牛車や騾馬と(馬と驢馬との混血にて牽引力最も強き種類)三四頭立の轎車が、山と云はず川と云はず岩石崎嶇たる難路を、相当の重量を積んで無茶苦茶に進み行くのだから、便乗した人は中々安き心もなかつた。頭を打ち、肱を打ち、時には転落の犠牲も払はねばならぬと云ふのだから……荷物があつては黄金の大橋は渡れんぞよ……といふ大本の警告の如く、人生の行路はヤハリ身軽に限るてふ感を禁ずるを得ない。この日岩山を乗り切つて次第次第に高原地帯を、山と山との間を縫ふて進んでゆく。空は漸く晴れて赫々たる太陽は冬服そのままの全軍を照しつける。しかも行けども行けども牧草はあつても、一滴の溜水も見付からない。携帯の食糧は已に残り少くなつてゐる。無論人家は見付からず『アーア』と云ふ歎息の声が何処からともなく聞えて来る。水を探ねて馬を急がす者、食糧車を待ち合す者、隊は遂に三々五々となつた。この時日出雄の側には真澄別、守高、坂本、白凌閣、温長興、王瓚璋、康国宝の七人が轡を列ねて居た。坂本は堪へかねて、
坂本『先生皆先へ行つてしまつたやうですけれども、先生のお荷物や食糧品を積んだ轎車はまだ遅れてますから、どつかそこらで一服したらどうでせう。人も馬もこれではヘトヘトになつてしまひますよ』
日出雄『さうだね、では此処はかなり牧草もあるやうだから一休みしやう』
坂本『先生、私は今少し位辛抱も致しませうが、富士ちやんが可愛相です』
 富士と云ふのは坂本の乗馬の名で、実際交通機関不備の地方を旅行すると馬が唯一の友であり、馬また騎乗者を慕ひ、人間同士にこの情愛が保てさへすれば、喧嘩など夢にも起らないであらうと思はれる位だ。しかして日出雄の馬は白金竜、真澄別の馬は白銀竜、守高の馬は金剛と命名され皆白馬であつた。馬は鞍を外されて牧草の間に放たれ、人はポケツトに残つた煙草を譲り合ひつつ青草の上に寝ころび、紫の煙りを天に向つて吹き出しながら、相変らず減らず口の叩合をして轎車を待つてゐる。しかし轎車は何等か故障の起つたものか、中々追ひついて来ない。遅れ来る兵士に訊いても『まだまだ大分後方だ』と云ふ。日出雄は『ナアニ牛や馬の喰ふ物が人間に喰へない筈はない』とて、其処等の草を引抜いては美味い美味いと喰べ初める。附添ふ人々も『なるほどそらさうだ』とムシヤリムシヤリとやり出した。
坂本『しかし盧占魁は怪しからぬ奴ですな、先生に何の答もなしで自分が大将面をして轎車に乗つて先へ行つてしまひよつた。自分が護衛を直接に申し上げるから、外の者の側へ御越しにならぬやうになんて云つておきながら……』
守高『何でも劉陞三と盧占魁との間に、先生を中心として勢力争ひが起つてるといふ評判もあるがね』
坂本『それなら尚更先生のお側を離れなきやいいぢやありませぬか』
真澄別『マアそれはそれとしてとに角、も少し位水のある場所がないとも限らぬから、モウ一息進みませう。その間轎車も参りませうから』
日出雄『それがよからう』
と再び鞍上の人となり、宣伝歌やら出鱈目歌を唄ひながら行を続けた。日は益々照り渡り綿入の肌着は愈々熱して来る。雨少なく空気が乾燥してゐる地方だから余り汗は出ないが、喉の渇く事夥しい。どうしたものかこの日に限つて水らしい物は馬の小便の溜すら見付からぬ、さりとて他に取るべき手段もない、行路を馬に任せつつ進むうち、奇岩を折り重ねたやうな岩山の麓に達した。時既に午後五時を過ぐる頃であつた。岩山を取り巻く麓の青野原の一部に、土地の一間ばかり陥落した場所があり、地下層解氷のためか真黒い水が湧きこぼれてゐる。馬をその畔に近付けて見ると、馬は喜び先を争うてガブガブと呑み出した。すると如何にしけん日出雄は『俺はモウ此処から動かぬのだ』と大喝したかと思へば、もうその姿は見えず、その馬は素知らぬ面で草を食むでゐる。坂本は早速下馬してウロウロと捜し廻り、軈て走せ来つて真澄別に向ひ、
坂本『先生は彼の山の腹に岩窟がありますが、その中に瞑目静坐してゐられます。どうしたらよいでせう』
 真澄別は守高と共に直ちに岩窟に到り見れば、日出雄は神懸となつてゐる。真澄別はその意を悟り、
真澄『守高さん、今の進路は吾々の想うて居るのと違ふやうだし、大分怪しい点もあるから、しばらく此処を根城とする事にしようぢやないか』
守高『さうだ、僕も賛成だ、此処は高熊山の岩窟によく似てもゐるし、尋常事ぢやなからう』
 一行は此処に当分宿営の決心を定め、王瓚璋をしてこの事を報告せしむべく盧占魁の後を追はしめた。日出雄の荷物即ち西王母の服、宣伝師服その他手廻り品並に食糧の残品を積んだ二台の轎車は、約一時間半遅れて此処に到着した。この二台の轎車は山田文次郎が便乗監督し、洮南より軍需品等を積載して索倫に来り、そのまま帰途の危険を慮つて随伴したのである。轎車より材料を取出して野営の準備に着手される、一方、馬の渇を医やした真黒の水は、明礬を利用して飲料用に浄化せられる。枯木の枝を集めてこれを沸かす、『茶を入れたら黒インキになつたから、こら鉄鉱泉ですよ』と騒ぎ立てるのは坂本である。
 日は漸く西に臼搗き空に星の輝き初むる頃、張彦三の部隊が殿りとして到着し来り、真澄別より事情を聴取り、
『それでは私が盧に代つて御保護申上げます、私の方には未だ米も牛肉も幾らかあります、先生がお動きにならねば、私も何時までもお側に止まつて御保護いたします』
とて部下に命じて炊き出しを開始し、スツカリ腰を据ゑてしまつた。やがて日出雄も岩窟より出で来り、賑やかな野天食堂が開かれた。
 この時王瓚璋馳せ帰り、盧以下全部隊は約五十支里前方に屯営し居り、其処には人家四五軒あれど飲料水の不足なる事や、盧は水を索めて急いだのであるが部隊整理次第直ぐ迎ひに来る事など報告した。真澄別は更に岡崎と萩原に対し何事か名刺の裏に認め、温長興を使として前方の駐屯所に向ひ馬を急がしめ、茲に一同寝に就くこととなつた。

(大正一四・八 筆録)



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