出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語NM-4-251925/08入蒙記 風雨叱咤王仁三郎参照文献検索
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第二五章 風雨叱咤

 五月二十一日(陰暦四月十八日)上木局収の仮殿に、日出雄は真澄別等と西漸の時機に就て種々協議を凝してゐた。折柄護衛の温長興は、夥しき馬隊並に轎車が砂塵を蹴立てて、此方へ向つて来る事を報じた。それは盧司令が蒙古の貝勒貝子、劉陞三、佐々木、大倉、その他幹部参謀連を引具し、日出雄訪問のために来たのであつた。
 盧は佐々木を介して日出雄に請ふやう『だんだん蒙古兵も集まつて来るし、救世主来降の噂が益々盛に宣伝せられつつある際なれば、この際彼等の肝玉を奪ふため、風雨を喚び起して貰ひたい』といふのである。
日出雄『私に風雨雷霆を叱咤し得る自信は経験上から言つてもありますが、しかしそれは神界から見て真実必要と認むる場合以外には用ゆる事は出来ない事になつてゐます。必要のない……言はば奇術かなぞのやうに濫用するのは兇党界に属する仕事であるので、一寸困るなア』
大倉『しかし先生、皆が渇望してゐるし、蒙古人等が更に信仰の度を高める材料になるのですから、神界から見て必要な場合と認めてやつて頂く訳にはいかぬでせうか』
日出雄『困るなア、鎮魂で各自相応の霊界でも見せてやればそれでいいぢやないか』
大倉『しかし部分的でなく、大勢一緒に見られるやうな不思議を、一つ現はして頂きたいものですなア。司令も熱心にあゝ云ふてゐるのですから……』
日出雄『キリストですら、奇蹟を請はれて怒つたではないか……』
真澄別『奇蹟を見ずして神を信ずる者は幸なり……といふ神言もありますけれど、現今で言はば、朦昧の人々の間に出かけて来てるのですから、何とか工夫せねばなるまいと思ひます。私は永久兇党界へ堕落しても、それがお道のためになるなら構ひませぬから、先生さへ御許し下されば、私をお使ひ下さつて彼等の肝玉を挫いでおくのも満更無駄ではありますまい。奇蹟を見たがる者は強ち蒙古人ばかりぢやありますまいから……』
 日出雄は少時沈思黙考して、
『では、潔斎修行して見るがよい、真澄別がやる事になれば構はぬだらう』
 盧占魁は、
『実は全隊へ布告して、一同一週間の精進を命じ置き、この二十三日を以て終ります。その日には先生が奇蹟を見せて下さると申渡してしまつたのです。何れ更めてお迎へに参りますから、是非御願ひ致します。序に記念の撮影も致したうございますから』
との意を述べて、雑談の後嬉々として一同駒の足並も勇ましく、下木局子の司令部指して帰り行く。
 日出雄は止むを得ず、真澄別をしてその衝に当らしむべく、洮児河畔に聖域を卜し、自らも出張して真澄別の修業を指導した。
 五月二十三日(陰暦四月二十日)朝暾殊の外麗はしき光を地上に投げ、蒼空一点の雲翳なく、樹々に飛交ふ鳥の声は恰も天国の春を歌ふが如く、庭前に休らふ馬の嘶きも一層勇ましさを加へて聞え来る。午前八時頃魏副官は日出雄、真澄別を迎ふべく馬車を急がしてやつて来た。折しも日出雄に扈従すべく準備せし温長興は、俄に頭痛烈しく、乗馬に堪へずと愬ふ。日出雄は思ふ所ありと見え、温長興を轎車に乗らしめ、自らは真澄別その他の護衛兵と共に馬に鞭ち、法衣を風に靡かせつつ下木局子に向ひ、仮殿を出発した。一方下木局子の西北自治軍司令部にては、各分営の団長以下悉く来集し、『かくの如き蒙古晴の空より雨を降らすなど、幾ら神様でも嘸困難であらう』などと、とりどりに噂をしながら、日出雄一行の来着を待ち兼ねて居た。時しもあれ、魏副官の先導にて日出雄の一行は総員整列出迎への中を堂々と乗込んで来た。少憩の後、日出雄の目配せを合図に、真澄別が何事か黙祷すると見るや、司令部の上天俄に薄暗くなり、瞬く間に全天雨雲に蔽われ一陣の怪風吹き来ると共に、激しき暴風雨窓を破らむずばかりに襲来して来た。一同驚きあわて、窓を閉めるやら、記念撮影のためとて庭に列べてあつた椅子を持込むやら混雑一方ならず、皆々呆気に取られて、しばし言葉もなかつたのである。稍あつて『大先生、二先生、今日は写真は駄目でせう』と、さも失望らしい声が聞える。真澄別は日出雄の顔を見て『ナアニ五分間経てば大丈夫だ』と云へば、日出雄はやおら身を起して雨中に降り立ち、天に向つて『ウー』と大喝すれば、風勢頓に衰へ雨は漸次小降りとなり、果して向ふ五分間てふ真澄別の宣言に違はず、如何に成り行くかと案ぜられし暴風雨は、夢の如く消え去り、再び日は赫々と輝きわたり、空は元の如く晴朗に澄み切つたのである。盧占魁は嬉しさの余り、驚嘆自失せる人々の間を立廻り、自己の宣伝の誇大にも虚偽にもあらざるを誇つたといふも真に無理ならぬ事である。
 茲で各営の幹部一同芽出度撮影の後、卓を囲んで会食し、談は徹頭徹尾この日の奇蹟に関する驚嘆と讃美に終始し、真澄別は、この時已に朝来の頭痛は忘れたやうに平癒しニコニコして何くれとなく斡旋の労を執りつつありし温長興を指し、『実は今朝出発の際大先生が今日の役目を承るべき竜神を、温さんに取り懸けられたので、それで温さんは頭が痛かつたのですよ。つまりあの轎車に竜神が乗つて来たのです』と云へば、科学万能かぶれの人も、虚妄と感ずる余裕もなく思はず感嘆の詞を漏らす外はなかつたのである。
 日は漸く西天に傾き、日出雄等の辞し去らむとする頃は天候変りてまたもや雨模様となり、今にも空は綻び相に見えて居た。盧占魁等は『今晩は此処にお泊りになつては如何です。強つてお帰りなさるなら、こんな空模様ですから、雨具を差上げませう』といふのを、日出雄は『ナアニ俺が旅立ちすれば降つてゐる雨も歇むのだ』と微笑しながら、上木局子の仮殿指して帰り行く。果して日出雄一行の帰着までは雨の神様も遠慮されたのか、その帰着と同時に沛然として、地上の塵を一時に流し去るかの如く強雨が降り注いだのである。

(大正一四・八 筆録)



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