出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語NM-3-161925/08入蒙記 蒙古の人情王仁三郎参照文献検索
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第一六章 蒙古の人情

 蒙古人は昔から慓悍勇武であり、成吉思汗の鉄騎が天地を震撼せしめた事は誰も知る所である。現今においてもその容貌や風俗には昔の面影を残して居るやうである。朴直で慇懃で親しみやすいと同時に、また感情的にして喜怒哀楽は忽ち色に現はし、その一面においては愚鈍にして、行蔵頗る粗野淡白で、さながら小児のやうである。しかしながら近年支那人や露西亜人にいろいろと圧迫せられたので、両国人を見ること蛇蝎の如く嫌ひ、支那人露西亜人の奥地に入るものは、何れも無事に帰る事は出来ないのである。彼蒙古人は支那人、露西亜人に対しては不倶戴天の仇のやうに思ふて居るが、これに反して日本人に憧憬することは実に案外である。彼等は大部分は今や全く生存競争の圏外に超然として、更に利害の観念なく、牛馬、羊豚、駱駝などを唯一の伴侶として、茶を呑み、煙草を吸ひ、年が年中ねむつたり、食つたり、或は経を読み、仏を念じ、死後の冥福を祈る外余念なきが如く、敢て複雑な人生の苦難を知らぬのである。しかしながらもし何等かの動機によつて、これを刺戟し、その性情を反撥するものがあれば、其処に必ず祖先の遺伝的性情を喚発するであらう。彼等が駻馬に鞭つて際限もなき広野を疾駆し、男も女も縦横無尽に鞍に跨り勇壮なる活動をやつて居るのを見れば、転た古の勇敢なる民族の気象を偲ばせるものがある。蒙古人は人に接する甚だ親切で、その同族知己の間においては勿論、外来未知の日本人に対しても一度相識るや一家挙つてこれを款待するの風がある。日本人と聞けば仮令一人旅でも親切に宿泊せしめ、一家挙つて同情歓迎し、些しも障壁を設けない。しかしながら西洋人や支那人に対しては或は恐怖し、或は卑下し、容易に家へ入るを許さない。
 日出雄が公爺府に入るや公府の兵士を初め、役人や村民などが嘻々として集り来り、隔意なく親切に茶を汲んだり、煙草をすすめたり、また炊事の手伝ひをしたりして、非常に款待し、村人は一人も残らず日々訪ねきて、言語が通ぜないにも拘はらず、鶏肉や鶏卵や牛乳の煎餅や、炒米などを携へて来て親切に世話をした。公爺府の喇嘛僧は日々日出雄の傍に出て来て、鎮魂を受けたり、日本服を珍らしさうに眺めたりして帰つて行く。さうして蒙古の婦人は朝から晩まで日出雄の身辺を取り巻いて嬉しさうに遊んで居る。日出雄は公爺府王の親戚に当る白凌閣と云ふ十九歳になつた青年を、王の承諾を得て弟子となし、この男に就て蒙古語の研究を始めた。白凌閣は蒙古人に似ず公爺府の役人から学問を習ひ、支那字や蒙古字をよく知り、かつ支那語をもよくした。日出雄はこの白凌閣や村人と十日間ほど遊んで居る間に蒙古語を大略覚え、蒙古人と談話を交換するには余り差支へない程度にまで進んだのである。
 日出雄が公爺府に着いた二三日目の正午頃、協理老印君の館に遊んで居ると、王様が管内の巡視を終へて数十人の兵士と共にラツパを吹かせて帰つて来た。さうして王様の方から老印君の宅へ出張し、日出雄に面会し、通訳を介し種々と挨拶をした。この王は宝算正に二十三歳、さうして位は鎮国公で、巴彦那木爾と云ふ人である。色の白い凛々しい好男子であつた。日出雄は王様に土産として懐中電燈一個を贈つた。王は珍らしがつて幾度も押戴き嘻々として受け取つた。この王様は未だ独身で奥さまが定つて居ない。先年巴布札布の挙兵の時にその居城を支那兵に荒され、かつ財産を奪はれ、今は非常に財政困難に陥つて居るので、それ故妻君を娶るとなれば、王として非常な費用が要るので見合せて居ると云ふ事である。それにこの若い王様は北京へ参勤した際、支那芸者から梅毒をうつされ、大変困つて居るとか云ふ話であつた。それから二三日たつと公爺廟の活仏が巡錫して来て日出雄に面会したいと云ふので、日出雄は老印君の宅で会見した。この活仏は三十前後の男で、公爺府の王様の姉や妹三人まで妙な関係をつけて居ると云ふ生臭坊主である。この活仏は日出雄が蒙古の救世主として現はれたと云ふので敬意を表しに来たのである。四五日すると蒙古の各地から、救世主来れりと云ふ噂を聞いて、遠きは二百支里位の所から、大車や轎車に乗つて老若男女が救ひを求めに来る。余り忙しいので守高が俄喇嘛になり、澄ました顔で彼等に鎮魂の手伝ひをして居た。
   ○
 蒙古のこの地方の家屋は総て矮小で不潔である。さうして男も女も若布の行列か襁褓の親分か、雑巾屋の看板尻でも喰へと云ふやうなボロを身に纏ひ、平気の平左でやつて来る。また女は前頭部にいろいろの宝石を飾り、耳には宝石の環をぶら下げて居る。さうして家柄の良い所の女は環を三条下げ、中流は二条、下流は一条の環をブラ下げて居る。娘は皆下げ髪であるが、結婚すると同時に髪を巻いて頭の上にクルクルと束ねて居る。さうして下女には耳に環が無いので、一見してその婢たる事が判る。蒙古人は家の中であらうが門口であらうが、痰唾を吐き、手涕をかみ、手についた涕を自分の着衣に無造作にこすりつけて居る。何れの家にも牛馬、羊豚、鶏などが沢山に飼うてあり、朝になると家の周囲に寝て居る牛馬などは、蒙古犬に導かれて遠い遠い山野に草を食ひに行き、日没前になるとまた犬に守られてノソリノソリと家の周囲に帰つて来て寝てしまふ。沢山の牛馬が処構はず糞をひるので、蒙古人は牛馬の糞をかき集めて大きな山を作るのが何よりの仕事である。そして家の壁や垣などに牛糞をベタリと塗り、また高粱や炒米の容器は楊の枝を編んで籠を作り、牛糞で目をつめて、食糧品の容器として居る。温突を焚くのも茶を沸かすのも、高粱の粥を煮るのも、皆牛糞である。これだけ牧畜の盛んな蒙古において、牛糞を焚かなかつたら、蒙古の民家は牛糞で埋まるであらう。牛糞の山は到る所に築かれてある。さうして内地の牛糞のやうに妙な臭気はない。羊肉をあぶつて食らふのも鶏肉をあぶつて食らふのも、皆牛糞の火を用ゐるのである。潔癖な日本人は土地に慣れるまでは、何れも顔をしかめ鼻をつまんで困つて居る有様だ。
 蒙古人は日本の古代人のやうな魂が残つてゐて、嘘と云ふ事は決して知らない。それ故に嘘と云ふ言葉もなければ、違やしないかと云ふ疑問詞もない。この点においては実に気持の好い国人である。だから蒙古人は一度この人と信じたならば、その人が如何なる悪人であらうとも、そんな事には頓着なく因縁だとあきらめて、終身その人のために生命までも擲出すと云ふ健気な人種である。これに反して最初にこの人はいけないと思つたならば、その人が後に如何ほど改心して善人となつても信用しない。日出雄は彼所此所から招かれて公爺府の民家を一戸も残らず訪問し、種々の款待を受けて、面従腹背、阿諛諂侫の内地人に日夜接近し、不快でたまらなかつた日出雄は、この蒙古人の潔白な精神に非常な満足を覚えた。蒙古人に小さい飴一個を与ふれば大きな男が喜んで頂き、嬉しさうに舌鼓を打つて幾度も感謝の意を表し、まるで内地の三つ子のやうである。さうして空気は非常に乾燥し、寒国にも似ず雪は余り沢山降らない、何程深雪だといつても高が一寸位積るのが通例である。さうして風は非常に寒いがその割には身体を害せない、また呼吸器を傷つけないのが妙である。
 蒙古の喇嘛や貴人はハムロタマガと云ふ宝石製の径一寸位な香器を携帯し、初めての人に接する時には、その器の中から非常に香の好い粉末を取り出して客に嗅がすのを非常の待遇として居る。朝から晩まで風は激しく、黄塵の立ち上る蒙古では第一鼻がつまつて困る。しかるにこのハムロタマガの香粉を鼻に塗りつけると、不思議にも鼻が透き通り気分がよくなる。蒙古人は非常に柄の長い太い煙管を携帯し、朝から晩まで茶を飲んだあいまには煙草をくすべて居る。小さい盃のやうな雁首の皿で、銀製、真鍮製のものが多い。さうして吸口の方はシヤコ、瑪瑙、翡翠などの宝石をもつて作つて居る。蒙古人はこの煙管に最も金を費すと云ふ事である。
 蒙古人は一夫多妻主義である。長男を太子と云ふ、太子のみが妻帯して家を継ぎ、次子以下は残らず喇嘛になつてしまふ、これは仏教の信仰からだと云ふ。それ故止むを得ず一夫多妻となり、老印君の如き六十七八歳になつても七人の妻君を持つて居る。さうして妻君を貰ふのには牛を五頭或は六頭、極上等の美人になると十頭と交換する風習である。白凌閣の妻君は牛五頭と交換されたと云ふ事であつた。男子は十八歳でなければ蒙古の人数に入れない。さうして女は残らず人口から除外されてゐる。それ故蒙古の人口は完全に調査する事は六ケ敷い。葬式など至つて簡単で、親や兄弟を後に残して死んだものは不孝者だと云ふて山の谷に棄てに行き、沢山の喇嘛がゴロついて居ても御経一つ上げてやらない風習である。蒙古人の容貌は男女共日本人に酷似し、些しも支那人に似てゐないのは不思議である。支那人は妻が男客の傍へ行く事を非常に嫌ふが、蒙古の男子は一切無頓着である。それ故自分の家内や娘を安心して外来の客の世話をさせる。その代り蒙古の婦人は極めて朴直で夫を持つた以上は決してその他の男に関係しない。それ故いつも蒙古の婦人が交る代る日出雄の無聊を慰めむと毎日胡琴を弾じ、美声を張り上げて面白き歌を謡ひ、日出雄の身辺には何時も春陽の気が漂うて居た。また日出雄の書生白凌閣や蒙古兵等も日々胡琴を弾じ、歌を謡ひ軍旅にある日出雄を慰むる事に勉めたのである。

(大正一四・八 筆録)



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