出口王仁三郎 文献検索

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物語NM-2-81925/08入蒙記 聖雄と英雄王仁三郎参照文献検索
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第八章 聖雄と英雄

 寒月冴渡り、烈風吹荒ぶ奉天日本租界を離れて二台の自動車は、まつしぐらに東三省陸軍中将盧占魁が公館に着いた。一方は大本の前教主輔大怪物と仇名をとつた源日出雄、一方は陸軍中将で蒙古の英雄、馬賊の大巨頭盧占魁との会見である。真澄別、岡崎鉄首、唐国別、佐々木弥市、大倉伍一、揚萃廷、守高、名田彦の面々は、盧氏の公館にストーブを中に置き、円形の座を作つて椅子に腰打掛け、蒙古進出の英雄的協議に耽つた。佐々木は支那語をよくするので、彼が日出雄と盧との通弁を勤めた。
 佐々木は盧占魁を指さし、
『先生、この方が盧占魁さんです』
日出雄『成程、一見しても目元の凛とした英雄的人物だ。この男ならば何も云ふに及ばぬ、一切万事を委任せやう。真澄別さん、あなたどう考へますか』
と真澄別を顧みた。真澄別は微笑しながら『よろしからう』と答へた。盧は日出雄に向つて云ふ。
『私は十年前に七万の精兵を引率して、大庫倫市を占領しました。その時は二十九歳でした。それから新彊を取り雲南まで活動しました。それから奉直戦争にも参加した事もあります。私が上海にゐる時孫逸仙に会ひ、先生の御高名を承はり、機会があらば御面会を願ひたいと常に憧憬して居りましたが、機縁が熟したと見えて、今日拙宅において先生に面会する事を得たのは、私に取つては光栄の至りです。どうか私をあなたの下に使つて下さい。屹度貴方の目的に叶ふべく活動をしてお目に掛けるでせう』
日出雄『相互に協心戮力、東亜存立と開発のために尽しませう』
 二人の応答はこれにて済んだのである。宗教界の英雄と馬賊界の英雄とが肝胆相照して空前絶後の大業を企図したのは、実に小説的趣味を帯びて居るやうだ。
 日出雄と守高、通訳の王元祺は盧氏の公館に宿泊する事となり、その他の人々は水也商会その他を指して帰つて行く。正月十一日の月光は西の空に傾いてゐる。
 二月十六日盧の公館において内外蒙古の救援軍組織に付き、志士の会合があつた。午後八時頃唐国別、真澄別その他の志士は会議の大略を報じて来た。その会議の結果は、先づ張作霖の諒解を得ること、武器を購入する事及び大本喇嘛教を創立し、日地月星の教旗を飜へして日出雄は達頼喇嘛となり、真澄別は班善喇嘛となり、盧占魁を従へて蒙古に進入する事であつた。
 元来蒙古は支那の属邦である。そして一百六名の蒙古王は北京に参勤交代を行つてゐる。日本人が支那の領地に日本宗教を開く事は条約上許されてゐない。しかしながら彼は支那の新宗教五大教の高級宣伝使である。それ故彼が蒙古に宗教を宣布するのは公然の権利であつた。日本は仏教家や神道家が支那に渡つて布教宣伝をやつて居る者も沢山あるが、それは在留日本人に限られてゐる。支那人に宗教を宣伝する事は許されてゐない。そして日本在留民の一部に宗教を吹込んでゐる位が関の山である。彼日出雄は五大教の宣伝使たるを以て容易く宗教宣布をなす事を得る地位にあつたのは、今回の企に対して最も好都合であつた。協議の結果盧占魁の命によつて、揚萃廷は喇嘛服や附属品を調製すべく、急遽北京に赴いた。日本人井上兼吉は盧占魁等の命によつて、哥老会の残党揚成業その他の大頭株に対し、盧氏が挙兵入蒙の報告を兼ね応援を求むべく、綏遠ならびに帰化城方面へと出て行つた。揚成業は哥老会の大頭株であつて、一万七八千の部下を有し、盧の今回の壮挙に対し極力後援せむ事を誓つたのである。
 有志は蒙古進出の準備のため東奔西走し、北京に走る者、蒙古に使する者、日本に帰る者など大活気が湧いて来た。越えて二月二十八日民国十三年正月廿四日、愈々東三省保安総司令張作霖より、盧占魁将軍に対し、内外蒙古出征の命が下つて来た。同志の面々は欣喜雀躍して今更の如く早速諸般の準備に着手せむと揚々として四方に飛んだ。軍隊を十個旅団となし、日地月星を染抜いたる大本更始会の徽章を旗印となし、それに第一旅団より第十旅団までの刺繍を施したる軍旗や司令旗を誂へる事となつた。そして大本喇嘛教旗として日地月星を染抜いた文字無しの神旗も共に調製する事と定めたのである。何れも意気天を衝き已に満蒙の天地を併呑してしまつたやうな慨があつた。彼源日出雄が盧の公館に滞在中、試に作つた詩がある。この詩は彼の計画の一部を現はして居るやうだから、左に摘載しておかう。

   ○

 天時地利得人和  今丈夫救民立覇
 是宇宙神聖之命  義軍嚮処若竹破

   ○

 王仁有一万精兵  樹仁義旗進故州
 嗚盛哉神軍陣形  山河草木靡威風

   ○

 防寒旅装漸調了  奥蒙荒原将跋渉
 神兵猛虎破竹勢  旗鼓堂々進庫府

   ○

 内外蒙古惟神州  正義軍旅有天佑
 勿躊躇蒙古丈夫  勝利都城在庫府

   ○

 山河千里奉天空  日月星辰同蜻州
 神雄連馬為出陣  蒙古荒原靡英風

   ○

 神が表に現はれて  善悪正邪を立別ける
 高天原より降り来て  寒風荒ぶ荒野原
 神馬に鞭ち進み行く  仁義の軍に敵は無し
 進めよ進めいざ進め  神は汝と倶に在り
 神に叶ひし汝等の  勇気は天地に充満し
 山河草木ことごとく  靡き伏すなり神軍に。

   ○

 仁義の旗を押立てて  進む吾等は神軍ぞ
 来れよ来れ皆来れ  故国に仇なす曲神を
 千里の外に追散らし  祖先の造りし神州を
 神の稜威に回復し  都を中央に奠めつつ
 上は活仏諸王より  下蒼生に至るまで
 救はむためのこの軍  神は吾等と倶にあり
 人は神の子神の宮  神に従ひ進む身は
 如何なる曲も障らむや  進めよ進めいざ進め
 仁義の軍に敵はなし。  

   ○

 路は三千六百里  奉天城を後にして
 王仁の率ゐる義勇軍  獅子奮迅の勢で
 悍馬に鞭ち進み行く。  

   ○

 我は神軍王天竜  皇天皇土の勅を受け
 獅子奮迅の勢で  仁義の軍を守りつつ
 神のまにまに進み行く。  

   ○

 道は九千八百里  奉天城をあとにして
 一万有余の神卒は  轡を並べて進み行く
 寒風烈しき外蒙地  如何なる敵の来る共
 我には神の守護あり  進めよ進め快男児
 勇めよ勇め神軍士。  

 日出雄は大本喇嘛教の経文を、盧公館内において神示により認めた。
   ○
弥勒如来精霊下生印度霊鷲山成長顕現東瀛天教山将以五拾弐歳対衆生説明苦集滅道開示道法礼節再臨而顕現仏縁深蒙古為達頼喇嘛済度普一切衆生年将五拾四歳。
   ○
 ヒマラヤの山より降り霊の本に育ちて今や蒙古に現はる
   ○
 三柱の御子を引連れ降りたる達頼は弥勒の下生なりけり
   ○
 興安嶺山秀生み出す瑞御霊蒙古に再び現はれにけり
   ○
 観世音最勝妙智大如来救世のために達頼と化現す
   ○
 掌中に五大天紋皆流紋固く握りて降る救世主
   ○
 基督の聖痕までも手に印し天降りたる救世の活仏
   ○
 神素盞嗚尊の聖霊、万有愛護のため大八洲彦命と顕現し、更に化生して釈迦如来と成り、印度に降臨し、再び昇天してその聖霊蒙古興安嶺に降り、瑞霊化生の肉体に宿り、地教山において仏果を修了し、蜻州出生の肉体を藉りて、高熊山に現はれ、衆生を救ふ。時に年歯将に二十有八歳なり。二十九歳の秋九月八日更に聖地桶伏山に坤金神豊国主命と現はれ、天教山に修して観世音菩薩木花姫命と現じ、五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり、普く衆生済度のため更に蒙古に降り、活仏として、万有愛護の誓願を成就し、五六七の神世を建設す。
 南無弥勒最勝妙如来謹請再拝
   ○
瑞霊弐拾八歳にして成道し、日州霊鷲山に顕現し、三拾歳にして弥仙山に再臨し、三十三相木花咲耶姫と現じ、天教山の秀霊と現じ最勝妙如来として、五拾弐歳円山にて苦集滅道を説き道法礼節を開示す。教章将に三千三百三十三章也。五拾四歳仏縁最も深き蒙古に顕現し、現代仏法の邪曲を正し、真正の仏教を樹立し、普く一切の衆生をして天国浄土に安住せしむ、阿難尊者その他の仏弟子の精霊随従す。将に五六七の祥代完成万民和楽の大本なり。
 惟神霊幸倍坐世
 南無最勝妙如来

 かかる大活劇の脚色最中に日出雄は優美なる詩句に筆を動かす余裕を綽々として有つて居た。

     静かなる夜

 静かな夜なり  メリメリと
 氷の解くる音に  暖い春が流れる
 あゝ何といふ  嬉しい音だらう
 花笑ひ  蝶舞ふ
 天国浄土の  出現も
 やがて近いだらう。  
   ○
 渤海湾の氷  日々に解けて
 海神の奏づる  神秘の曲
 浪の中から  長閑に聞える
 あゝ嬉しい  勇ましい
 春の曲  陽炎が静に燃える。

     私の昨今

 私の脳裡の  暗黒から明るみへ
 勇ましく雄々しく  煙のやうな
 期待が流れて  ぐるぐる廻る
 走馬燈のやうに  聖地母上妻子
 弟妹愛児  数多の信徒
 あゝそれは  私の過去の断片だ
 半世の俤だ  現世の縮図だ
 さて今日から  張り替へる
 走馬燈は  随分世界の
 見物だらう。  

(大正一四・八 筆録)



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