出口王仁三郎 文献検索

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物語NM-2-101925/08入蒙記 奉天出発王仁三郎参照文献検索
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第一〇章 奉天出発

 三月一日(中国暦の正月二十六日)盧公館において、日出雄、盧占魁、真澄別、岡崎、揚巨芳、佐々木、大倉、唐国別、守高等の面々が打ち揃ひ蒙古経営談の花を咲かした。
大倉『先生、弥々張作霖から盧さんに対して西北自治軍総司令の内命が下りました。張作霖の意見によれば先生の御計画の通り、先づ索倫山において兵を募集し、司令部を設けて活動せよとのことです。これに就ては岸少将も非常に骨を折つてくれました。これで一先づ安心です。佐々木さんも大変心配しましたが、愈々大願成就の曙光を認めましたから安心して下さい』
日出雄『それは大変にお骨折りでした。御神助によつて意外にも早く話が纏つた事を喜びます。しかし佐々木さん、随分この交渉は困難でしただらう』
佐々木『ハイ、何と云つても支那と言ふ所は金で動く所ですから、張作霖の側近く仕へて居る連中に、金銭の轡をはめて反対しないやうにして置きました。これから私は軍備に着手致します。そして輸送も大連から洮南までは非常に楽になりました。武器の輸送は張作霖が引き受けて送つてくれる事になりましたから安心して下さい』
日出雄『さうなれば私は一歩先きに蒙古入りをして見ようと思ふ。君等は総ての準備を整へて後からやつて来て貰ひたい。王爺廟から三百ばかりの喇嘛僧が迎へに来ると云ふ事だから、グヅグヅしては居られますまいから』
佐々木『まあ二三日待つて下さい、さうすれば喇嘛服を誂へに行つた揚萃廷さんも北京から帰つて来ませうし、張作霖の護照も取れますから、その上になさつた方が安全でせう』
岡崎『何、護照が何になるか。僕は東三省の高等官だ、僕が先生のお供すれば護照もヘツタクレも要るものか。何事も神命に従つてやるのが吾等の趣旨だ。先生の言葉は神様の言葉だ。この間から洮南府まで沿道の視察をして来たが、行先々に日本人が居つて何彼の世話をしてくれる事に約束して置いたから、君達は後に残つて準備をしたがよい。僕は是非二三日の中に自動車を雇つて鄭家屯まで疾走する積りだ』
佐々木『奉天から汽車が通じて居るのに高い金を出して自動車に乗る必要があるか、三十人ばかりの護衛兵をつけるから、先生に奉天駅から御苦労になつたらどうだ、それが安全でよからうと思ふ』
岡崎『それもさうだが、神様に護衛兵などが要るものか、僕がお供すれば大盤石だ。未だ嘗て奉天から鄭家屯まで自動車を飛ばした者が無いのだから、自動車旅行も地理を知る上において面白からう。日本人はいつも満蒙視察をして来たと偉さうに言つて居るが、ただ汽車に乗つて沿道を視察した位では駄目だ、是非共自動車で行つた方が面白いだらう』
佐々木『この道の悪いのに、山や畑を突破し、遼河を渡らねばならぬ大危険がある。そんな危険の道を通る必要がどこにあるか。悪い事は云はないから、是非汽車旅行にして欲しいものだ。吾々も心配でならないからなあ』
日出雄『満州の事情も調べたいから、別に急ぐ旅でもなし、自動車旅行を試みたいものだ。人の通らない所を通つて見るのも面白いだらう』
岡崎『佐々木や大倉は臆病だから、そんな事を云ふが、何、心配要るものか、自動車旅行と決定しようぢやないか』
佐々木『先生がその御意見なら仕方が無い、これから自動車屋に照会して見よう』
揚巨芳『私の知己で盧さんの恩顧を受けて居る王樹棠と云ふ、昔直隷軍の連長をして居た男が、城内に自動車会社をやつて居るから、それに云ひつけませう。彼は義侠心の強い剛胆な男ですから、少々の馬賊位出た所でこたえない奴ですから』
日出雄『それは好都合だ、そんならそれに定めてしまはう。愈々三月三日この地を出立しよう』
盧『一切万事先生の御意志に従ふ決心だからお望みの通り自動車を誂へませう』
 かくの如く相談が纏つたので、日出雄は愈々奉天から鄭家屯に向つて自動車を駆る事となつた。さうして真澄別、大倉、名田彦の三名は奉天より汽車に乗つて蒙古の洮南府に先着し、洮南ホテルにおいて諸般の準備を調へて待つ事に相談がまとまつた。
 愈々三月三日(旧正月廿八日)午後四時から王樹棠の自動車二台に日出雄、岡崎、守高、王元祺の四名は分乗して奉天を出発する事となつた。自動車屋の主人王樹棠は道路の険悪なるを気づかひ自ら運転手となり三人の部下と共に随ふ事となつた。道路は極めて険悪にして運転意の如くならず、時々機関に損障を来し、一時間ばかり走るとまた一時間ばかり停車して車の修繕をなし、昼夜の区別なく川の中や畑の中、小山などを無理やりに進む事となつた。寒気凛烈にして、手も足も殆んど知覚を失つて居る。奉天から鄭家屯までの間は馬賊の横行が特に甚だしいので、自動車の停車中はヘツドライトを消し、懐中電燈を持つて修繕に着手する事とした。水が切れると其処辺の氷を割つて機関に詰め込むなど、いろいろの難苦ををかし、北へ北へと星の光を力に進んで行く。
 幸に官兵や巡警、馬賊の網を突破して、鉄嶺の前方竜首山の麓なる遼河畔に進んだ。河辺の急坂を下つて自動車は将に遼河を横ぎらうとした時、運転手は『アツ』と驚きの声を発した。その刹那に不思議にも自動車は止つた。よくよく見れば、一二尺前方には、さしもに厚い氷が解けて蒼味だつた水が漂うて居る、実に危険な場合であつた。この自動車には通訳の王元祺と守高が乗つて居たが、何れも神明の御加護として神恩を謝した。この地点は西北に竜首山が高く聳え、かつ河の堤が非常に高かつたため、西北の寒風を遮り、氷結して居なかつたためである。是非なく二三支里後へ戻つて人家を叩き起し、案内者を雇うて、小山の上や畑の中を危くも馳駆して大道に出た。満州広野を走る列車は、遥の遠方に細長く薄い光を放つて走つて居た。翌四日午前七時開原の城内に着いた。飲食店に入つて油濃い支那食を喫し、此処で一時間ばかりも車体の修繕をした。この地方では自動車の通行した事が無いので、妙な車が来たと云ふので次から次へ言ひ伝へ、老若男女が真黒に蝟集してワイワイと騒ぎ立てて居る。その間牛や驢馬などが四頭曳き、五頭曳きで大車を引いて通る。その混雑は到底筆紙に尽し難い。漸く修繕が済んだので、二台の自動車は、ブウブウと警笛を鳴らし、群集を押しわけ、大速力でかけ出し、午後一時頃には昌図府の手前まで安着した。一台の自動車は大破損を来たし運転不能となつてしまつたので、是非なく昌図府の木賃ホテル三号店に宿泊し、奉天へ人を派して機械を取り寄せる事にした。二百四十支里の高原を未だ何人も試みし事なき冒険的旅行をやつたのは、開闢以来の壮挙だ。源の義経の都落にも比して偉大なる放れ業だと、岡崎の気焔当るべからざるものがあつた。

(大正一四・八 筆録)



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