出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語76-3-141933/12天祥地瑞卯 磐楠舟王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:
大沼
あらすじ
 夕暮近く、大沼の手間で、馬がにわかに蹄を止め、何程鞭うっても、一歩も進まない。馬は鋭敏な動物で、前方に八十曲津見がいるのを感じたのだ。朝香比女の神は燧を取出し、真火をつけると、沼で待ち伏せしていた八十曲津見は逃げ出した。
 朝香比女の神は沼のほとりにあった巌舟を木の舟に変えて、沼を渡る。岸に着くと、再び御舟を大巨巌に戻して、御舟巌と名付けた。
名称
朝香比女の神 八十曲津見
太元顕津男の神 面勝神 主の神
巌舟 鵲 狭葦の河 栄城山 邪気 高地秀の山 西方の国土 燧石 真火 御樋代 御舟巌
 
本文    文字数=9992

第一四章 磐楠舟〔一九三一〕

 高地秀山の聖場に  御樋代神と仕へたる
 八柱比女の神司  中にも別けて面勝の
 神とまします朝香比女は  雄心押さゆる由もなく
 桜の花の散り敷ける  春の夕の唯一人
 白馬に跨りしとしとと  踏みも習はぬ大野原
 道なき道を別けながら  狭葦の河瀬の曲神を
 生言霊を打ち出し  真火の功に追ひ払ひ
 再び荒野をわたりまし  栄城の山の聖場に
 着かせ給ひて百神の  あつき待遇喜びつ
 しばし御足を留めつつ  またもや駒に鞭うちて
 太元顕津男の神の  御許に進み行かばやと
 未だ地稚くもうもうと  霧立ち昇る大野原
 一人雄々しく出で給ふ。  

 夕暮近くなりし頃、前方に横はる大沼あり、駒は左右の耳を前方に傾け、俄に蹄を止め、何程鞭うち給へども一歩も進まざる怪しさに、ともかくも旅の疲れを休らへ様子を見むと、萱草茂る芝生に下り立ち給ひける。
 要するに総て馬は鋭敏なる動物にして、前方に敵ある時は耳を前方に傾け進まむとせず、また馬自身の気分良き時得意なる時は、耳を真直に空に向つて欹て、また騎手に対し不満を抱きあるひは振り落さむと思ふ時は、左右の耳を後方に傾くるものなり。故に馬に乗るものは第一に耳の動作に注意すべきものとす。
 朝香比女の神は萱の生にどつかと尻を落付け、しばし双手を組み考へ給ひけるが、白駒は一脚一脚後退り止まず、果ては前脚を上げて直立し、驚きの声を放ちて凶事を報ずるが如く見えける。

『わが駒の驚く見れば行く先に
  曲津見は罠を造り待つらむか

 前方に左右の耳をかたむけて
  歩みたゆとふ駒のあやしも

 果しなき大野の末に黄昏れて
  わが駿馬は居竦みさやぐも

 濛々と夕の霧のふかみつつ
  咫尺弁ぜぬ怪しき野辺なり

 かくならば夜の明くるまで草の生に
  駒をやすめてわれは待たなむ

 進み進み退く事を知らぬ吾も
  駒おどろけばせむすべなけれ

 夕烏声も悲しくきこゆなり
  霧ふかしくて影は見えねど

 陰々と邪気迫り来てわが水火も
  今は苦しくなりにけらしな

 顕津男の神の神言は日並べて
  かかる艱みに逢はせ給はむ

 面勝の神と言はれし吾にして
  如何で曲津にためらふべしやは

 今こそは燧を打ちて真火照らし
  八十の曲津をしりぞけむかな』

 かく歌ひながら燧を取出し、かちりかちりと打ち出し給へば、火花は四辺に散りて原野に落ち、若草の根に重りたる去年のかたみの枯草に忽ち火移り、見る見る吹き来る風に煽られて、火は前方に延び広まり、沼の岸辺に到りて燃え止まりける。四辺を包みし深霧は俄に四方に散り失せ、空晴々と青雲の生地を現はし、六日の月は鋭き光を地上に投げければ、目路の限り一点のさやるものなく、沼の面はきらきらと月光浮ぶ夜とはなりける。八十曲津見の神は狭葦の河瀬の真夜中を、朝香比女の神の真火の功に退はれ傷きたれば、しばし影を潜め居たりしが、火傷も漸く癒えければ第二の作戦計画を思ひ立ち、駒諸共に沼の中に迷ひ入らしめ、仇を報いむと待ち居たりしなり。駿馬は早くも前方間近くかかる難所のあるを知りて、危難を恐れためらひしものと思はる。
 茲に朝香比女の神は心落付き給ひ再び駒に跨りて、広く長く展開したる沼の岸辺に駈け寄り給ひ、波間に浮べる爽けき月光を眺めながら、御歌詠ませ給ふ。

『曲津見の醜のたくみも霧となり
  煙となりて逃げ去りにけり

 大野原わが打ち出でし火に焼かれ
  あとかたもなく清められたり

 曲津見はこれの荒野に影ひそめ
  われ傷ふと待ち構へ居しか

 駿馬の敏き耳と眼に看破られて
  八十曲津見の罠はやぶれし

 有難し神の賜ひしこの真火は
  わが行く道の守りなるかも

 幾万の曲津見来り襲ふとも
  われには真火の剣ありける

 きらきらと水の面に冴ゆる月光は
  わが背の岐美の御霊なるかも

 千万里遠きにいます背の岐美の
  影を間近く此処に見るかな

 上下にかがやきわたる月光は
  わが背の岐美と思へば嬉しも

 この沼を見つつすべなし吾行かむ
  西方の国土をさへぎるこの水

 とに角に今宵は沼の月光に
  いむかひながら夜を明すべし』

 朝香比女の神は駒の背よりひらりと下り給へば、不思議なるかな、小石一つなき汀に長方形の巌横はりありければ、格好の坐席なりと腰打ち下し憩ひ給ひつつ、御歌詠ませ給ふ。

『主の神の恵なるらむ汀辺に
  わがやすむべき巌はありけり

 この巌に吾身の疲れやすめつつ
  月を拝みて夜を明かさばや

 虫の音は焼き払はれし草の根に
  ひそみて鳴くかこゑの悲しき

 波の面を右と左に飛び交ひて
  土鳥啼くなり月にはえつつ

 いつの間にかわが駿馬も巌の上に
  蹲りつつ水火をやすめり

 この巌未だ稚ければ舟にして
  この広沼をわれは渡らむ』

 かく歌はせ給ひながら、比女神は細き柔かき左右の御手もて、巌の中をゑぐり舟の形となし給ふ。恰も陶器師が柔かき粘土を以て皿、茶碗などを練るが如く、またたく間に舟の形を造り、

『一二三四五六七八九十
  百千万千万の神
   集まり来りて守り給はれ

 ハホフヘヒ舟に成れ成れこの巌
  今わが造りしこれの巌舟

 水の面に浮ぶるまでも軽くなれ
  軽くなれなれ木舟の如くに』

 かく宣らせ給ふや、流石の巌舟も忽ち木舟と変じ、自らするすると滑りて汀辺にぽかりと浮きければ、比女神は駒諸共に舟中に飛び入り給ひ、

『天晴れ天晴れ生言霊の幸はひて
  巌は真木の舟となりける

 艪も楫もなけれど吾は言霊に
  これの御舟をあやつり渡らむ

 大空の月は益々冴えにつつ
  わが乗る舟は波すべるなり

 水底にうつろふ月を眺めつつ
  波のおもてを風なでて行く

 天と地の中空わたる心地かな
  上と下とに月をながめて

 千万の御空の星は水底の
  金砂銀砂となりてかがよふ

 曲神の醜の奸計の千引巌も
  われをたすくる舟となりしよ

 駒よ駒汝は賢しく雄々しけれ
  曲津の奸計をわれに知らせし

 如何程に沼は広くも言霊の
  力に暁岸辺につかむ

 やすやすと御舟の中に月を見つ
  旅の疲れをやしなはむかな

 西北の風に送られわが舟は
  艪楫なけれどいやすすむなり

 高地秀の山は雲間に聳え立ち
  今宵の月に照らされにつつ

 仰ぎ見ればはろけかりけり高地秀の
  山出でしより久しからぬに

 栄城山尾の上ほのぼの見えにけり
  月のしたびに尾根晴れにつつ

 大空に月は照れども遠々し
  高照山はすがた見えなく

 眼に一つさやるものなき大野原
  この広沼の月はさやけし

 わが行かむ道を遮る曲津あらば
  生言霊に追ひ退け行かむ

 天と地の広きが中を駈り行く
  われは一人の旅なりにけり

 駿馬のたすけによりて果しなき
  大野をわたる吾はさびしも

 淋しさの心の駒に鞭うちて
  勇み進まむ果なき国原を

 わが舟は彼方の岸に近づきて
  御空の奥はしののめにけり

 岸辺近くなりて清しき鵲の
  鳴く音は高く聞え来にけり

 やがて今朝日昇らば百鳥の
  声もすがしく世をうたふらむ』

 漸くにして御舟は、広き沼の果なる岸辺に横はりければ、朝香比女の神は駒諸共舟を乗り捨て、

『わが舟は千引の巌と体を変じ
  これの岸辺に永久にあれかし

 一二三四五六七八九十
  百千万舟よ舟
   元の如く巌となれなれ
    堅磐常磐の千引の巌となれなれ』

 かく宣らせ給ふや、御舟は忽ち元の如く大巨巌となりて汀辺に屹立せり。この巌を御舟巌と名付け給ひける。
 東雲の空は次第々々に明らみにつつ、新しき天津日は煌々と雲押し分け昇らせ給ひ、沼の面を隈なく照らさせ給ふ。

(昭和八・一二・八 旧一〇・二一 於水明閣 森良仁謹録)



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