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原著名出版年月表題作者その他
物語75-1-11933/11天祥地瑞寅 禊の神事王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:
玉野丘
あらすじ
 太元顕津男の神と他の神々は玉野丘で禊の神事を行った。各神々が述懐歌を謡うと、真鶴山は震動をはじめ、アオウエイの音響がどこらかともなく高らかに聞えて来る。

 禊の神事の説明。振魂、天の鳥船 雄健の禊、雄詰の禊、伊吹の神事について。
名称
産玉の神 美味素の神 宇礼志穂の神 太元顕津男の神 魂機張の神 玉野比女の神 遠見男の神 真言厳の神 圓屋比古の神 美波志比古の神 結比合の神
天之御中主之大神 天之峯火夫の神 大国常立之尊 国魂神 主の大神 禍津見 八十柱比女の神
天の鳥船 天之沼矛 生魂 伊吹の神事 香具の木の実 迦陵頻伽 想像妊娠 修身斉家 紫微天界 白梅 ◎の言霊 玉留魂 玉野森 玉野丘 足魂 治国平天下 振魂 鳳凰 本守護神 真鶴国 真鶴山 御樋代 雄詰の禊 雄健の禊
 
本文    文字数=16488

第一章 禊の神事〔一八九五〕

 我が神国には、大虚中に◎の言霊より生れ出で給ひし天之峯火夫の神の、聖代より今日に至るまで伝来せる禊の神事あり。この神事は紫微天界の神々と雖も一日も怠り給ふ事なく、今日に及べる主要の事柄なり。抑禊は大にしては治国平天下となり、小にしては修身斉家の基本たり。しかして禊にも種々の方式伝はれり。吾人はこれより諸種のみそぎに就て略述せむとす。
 禊に関する行事の内にて最も至要なる神事は振魂の行事なり。これには種々の方式あれども、普通の場合には、両掌を臍あたりの前方において十字形に組み合せ、渾身の力を籠めて神名を称へながら、自己の根本精神を自覚して、盛んに猛烈に数十分乃至数時間連続して全身を振ひ動かす行事なり。神代の禊には神々何れも天之峯火夫の神の御名を称へ奉られたるが、現代にては吾人の禊には天之御中主之大神の御名を称へ奉るなり。
 この振魂の行事に由りて、精神内包の妄念邪想を鎖鎮すると共に、身体各部の反対的孤立的の活動を制御し、自己の根本精神を中心としたる全身の統一的活動をなすなり。禊の間は日々の食事を減じて、朝夕に一合の粥と三粒の梅干、小量の胡麻塩以外一切を食せざるも、全く自己の根本精神(本守護神)に対する全身の抵抗力を減殺し、偏に心身の統一を計るに便ずる用意なり。しかるに身体はその減食のために、疲れまたは病み困難に陥るといふ心配はなし。内部の根本精神が興奮緊張の度を増し来る故に、却て元気全身に充足し、頭脳は冷静明快となり、全身爽快にして神の気分漂ふ。内省して疚しき罪穢もなければ、仮令百千万の強敵現はれ来るとも恐れず、大海高山を突破し、宇宙を呑吐する気概勃発して、一合の粥以外に何物をも食せずと雖も、更に飢餓を覚ゆる事なし。恰も自己は神代の昔に蘇りたる心地となり、日本民族の自性を明瞭に感得するに至るなり。
 次に天の鳥船と称する禊の神事あり。これは神代の神々が天の鳥船に乗り給ひて大海原を横ぎり給ひし大雄図を偲びつつ、渾身特に臍の辺りに力を込め、気合と共に艫を漕ぐままの動作を百千回反復する行事にして、運動それ自身に価値あるのみならず、これによりて気合術の練習も出来、不知不識の間に衆心の一和する禊なり。
 次に雄健の禊あり、生魂、足魂、玉留魂、大国常立之尊の神名を唱へつつ、天之沼矛を振りかざして直立不動の姿勢を構ふる行事なり。即ち、
一に直立して左右の両手を以て帯を堅く握り締め、拇指を帯に差し『生魂』と唱へつつ、力を全身に充足して腹を前方へ突き出し、体躯を後方に反らせ、
二に『足魂』と唱へつつ、力を全身に充足して両肩を挙げ、しかる後、腰、腹、両足とに充分の力を込めて両肩を下し、
三に『玉留魂』と唱へつつ、更に力を両足に充足して両の爪先にて直立し、しかる後強く全身に力を込めて両の踵を下すなり。
四に左足を一歩斜前方に踏み出し、左手はそのまま帯を握り締め、右手は第二第三指を並立直指し、他の三指はこれを屈し(これを以て天之沼矛に象る)これを脳天に構へ、真剣以上の勇気と覚悟とを持する行事なり。要するに雄健の禊は、神我一体聯想の姿勢なり。
 次に雄詰の禊あり。雄詰といふは神我一体として、禍津見を征服し、これを善導神化する発声なり。雄詰は「イーエツ」といふ声を発すると共に、右足を左足に踏み付け、同時に脳天に振りかざしたる天之沼矛を斜に空を斬つて、一直線に左の腰元に打ち下すや否や、更に「エーイツ」と発声すると共に、右肘を胸側に着けたるまま前臂を直立し、しかる後更に天之沼矛を脳天に構へ、前後に通じて続けさまに三回反復して行ふなり。神我一体として「イーエツ」と打ち込むは、四囲の悪魔を威圧懲戒するの作法にして、これを反対に「エーイツ」と打ち上ぐるは、悪魔を悔悟復活せしむるがためなり。即ち鬼も神と化し、禍も福と化し、これを吸収同化して共に神我一体たらしめむとするが、大祖神の垂示にして、神人の膨脹的大理想なり。
 次に雄詰を終りて、直ちに両掌を臍の位に置き、勢よく十字形に組み合せ、しかる後腹式深呼吸を三回行ふ。しかして最後の吸気を全部呑みて呼出せず、これを伊吹の神事と言ふなり。
 現今にては禊の行事その根元を失ひ真相伝はらざれ共、大要右の如き形式にて一部の神道家間に残り居るなり。紫微天界にても禊の神事を以て万事の根元と定められたれば、太元顕津男の神を始め百神達は、玉野丘の玉泉に各自禊を修すべく集り給ひて、修祓の業に奉仕し給ひぬ。
 顕津男の神初めその他の諸神は、玉野丘の霊泉の汀に、各自座を定め、禊の神事を修せむとして、御歌詠ませ給ふ。
 顕津男の神の御歌。

『天渡る月日もうつる玉泉の
  清きは神の心なるかも

 水底の真砂も光る玉泉に
  わが罪汚れくまなく洗はむ

 国土造り御子生む神業の尊さを
  悟りて我は禊仕へむ

 振魂の禊に水底の真砂まで
  揺ぎ出だせり神のまに

 神々の振魂の禊つばらかに
  この水底に写りけるはや

 真鶴の稚き国原固めむと
  玉の泉にまづ禊せむ

 常磐樹の松の梢は水底に
  みどりに栄えて波静なり

 波の面に波紋描きて泡立つは
  水底にすむ小魚の呼吸か

 この清き玉の泉に永久に
  住む魚族はすがしかるらむ

 西南の空より下りし我にして
  この清泉に住みたくぞ思ふ

 その昔鰻となりて仕へてし
  我はなつかし泉の水底

 この水に鰻とかへりて永久に
  我は住みたくなりにけらしな

 及ばざること繰り返し主の神の
  よさしに背かむ事のおそろし

 種々の苦しみなやみを忍びつつ
  今この泉にみそぎするかも

 わが御霊くもりにくもり濁らへり
  この清泉に甦らむかな

 神生みの業初々に終へぬれど
  心にかかる何ものかある』

 玉野比女の神の御歌。

『非時の香具の木の実ゆ現れし
  われは水際にたちばなの神

 瑞御霊やすくましませ岐美が霊は
  玉の泉のごとく清けし

 禊してこの国原を固めむと
  思ほす岐美を尊くぞ思ふ

 主の神の御水火かかりし香具の実は
  八十柱比女の神となりぬる

 八十柱神の一つに加へられ
  われは神業に後れしを悔ゆ

 一つ国に一つの国魂生ませつつ
  神代を永久に開かす主の神よ

 一つ国に一つの御樋代定めましし
  主の大神のこころ尊し

 この国の御樋代となりし吾にして
  神業に後れしを今更悔ゆるも

 神生みの神業に後れし過ちは
  わが魂線の曇りなりけり

 曇りたるわが魂線の御樋代に
  如何で国魂神の生れむ

 生代比女神の神言の御子生みは
  主の大神の経綸なるらむ

 生代比女の神いまさずば真鶴の
  国魂神は生れざらましを

 瑞御霊を吾は恨まじ生代比女の
  神も恨まじ惟神なれば

 主の神のよさしたまひし神業を
  軽んじ居たる罪なりにけり

 御樋代と心おごりしたまゆらに
  わが生魂はくもりたりけむ』

 生代比女の神の御歌。

『真鶴の山のみたまと現れて
  吾は知らずに神業仕へし

 瑞御霊水火に生れし吾なれば
  わが魂線は岐美にいつきぬ

 道ならぬ恋ゆゑ吾は諦めむと
  幾度こころを省みしはや

 魂線の縁の糸に縛られて
  岐美の御水火に御子を孕みぬ

 一度の御手に御肌にふれずして
  岐美の真言に想像妊娠ぬ

 玉野比女許させたまへわが心
  朝な夕なに公をおそれつ

 わが思ひ燃えあがりつつ黒雲と
  なりて御空を鎖せしを恥づ

 今よりはこれの泉に禊して
  許々多久の罪汚れを払はむ

 主の神の御子に生れませばわが気体
  煙となりて天にのぼらむ

 玉野比女神よ生れます神の子を
  汝が御子として育くみたまはれ

 村肝の心にかかる雲もなし
  わが縺れたるおもひも解けつつ』

 遠見男の神の御歌。

『百神の姿すがしく水底に
  月日とともに冴え渡るかな

 月も日も水面に写る玉泉の
  面は鏡のごとく光れり

 天地の合せ鏡の真清水に
  洗はむ魂に汚れあるべき

 水底に白梅薫り常磐樹の
  松の翠は静にそよげり

 神々の姿も水底にさかしまに
  うつりて清く面かがやけり

 吾は今天と地とに頭辺を
  むかはせて立ちぬ清き汀に

 天と地の中心になるかわが足は
  上と下とにふまへ居るなり

 天地の中心に立ちて国土造ると
  禊の汀にかがやき居るも

 天も地も一つになりし瑞御霊
  この玉水にすみきらひますも

 瑞御霊神の功を今ぞ知る
  御空の月日も下りて浮べば

 この水は生命の清水真清水よ
  この稚国の生命の元よ

 玉野森とこれの泉のなかりせば
  この国原をいかに生かさむや

 二柱比女神の姿水底に
  すがしく映えて四柱となれり

 二柱比女神力を一つにし
  これの世柱とならさせ給はれ

 国土生みと御子生みの神業に仕へます
  世柱比女の神ぞかしこき

 水底に真鶴翼を搏ちながら
  舞へる姿の勇ましきかな

 伽陵頻迦の声も水底に聞ゆなり
  泉は薫る白梅の花

 主の神の降らせたまふも宜なれや
  この玉泉は瑞の御霊よ

 かくのごと清きみたまの岐美なれば
  御子生みの神業やすくますらむ

 永久に濁りを知らぬ玉泉の
  深きは岐美の心ともがな』

 圓屋比古の神の御歌。

『まるまると月の形の玉泉
  写して清き瑞御霊かも

 月と日を浮べて圓き泉なれば
  玉の泉とたたへけるにや

 吾は今この玉水に禊して
  岐美の神業を助けむと思ふ

 そよと吹く風にも縮む水の面の
  すなほに吾は心を洗ふ

 吹くとしもなき風ながら玉泉の
  水面に小波うてる素直さ

 素直なる泉の面の小波は
  瑞の御霊の真心なるべし

 大なる事にも動きささやけき
  事にも動かす瑞御霊かも

 月と日を浮べて清き玉泉も
  そよ吹く風に動かす素直さよ

 この清き直き御霊を照しまして
  国土造りませ瑞の御霊よ

 圓屋比古神は御供に仕へつつ
  岐美が正しき心悟りぬ

 生代比女に真言のらせどあやしかる
  心もたさぬ岐美ぞかしこき

 玉野比女の清き心は玉泉の
  面に似まして深くすませり

 玉の丘にかくも清しき神々の
  国土造りせむと禊ますはや

 天も地も一度に開くこの禊
  神の心とかしこみ仕へむ

 濁りなき玉の泉と村肝の
  心洗ひて御前に仕へむ』

 宇礼志穂の神の御歌。

『天界の鳴り出でし時ゆためしなき
  今日の嬉しさ清しさに居るも

 神生みの神業も漸くなりなりて
  玉の泉に立たす嬉しさ

 生代比女神の禊は真鶴の
  国土を固めの基なるらむ

 玉野比女の清き心は玉泉の
  面に月日の浮べるがごとし

 鳳凰は翼を天に搏ち搏ちて
  今日の禊をことほぎにつつ

 幾度の禊はすれど今日のごと
  すがしき泉にあはざりにけり

 玉野森に数多の泉は湧きながら
  この清しさはあらざりにけり

 八千尋の底まで清く澄みきらふ
  玉の泉の珍しきかも』

 美波志比古の神の御歌。

『玉野丘の麓に謹みて時待ちし
  吾尊くもゆるされにけり

 みはし比古の神にしあれど玉野丘に
  のぼらむ御橋かけ得ざりけり

 わが魂をこれの泉に禊して
  みはしの業に清く仕へむ

 真鶴の稚き国原今日よりは
  甦るべし目路の限りを』

 産玉の神の御歌。

『神々の禊の神業すがしくも
  水底にうつらふ今日ぞ尊き

 澄みきらふ玉の泉にわが魂を
  洗ひて生れます御子を守らむ

 この水は生れます御子の産盥
  産釜なれや澄みにすみきらふ

 澄みきらふ玉の泉の産盥に
  つつしみ吾は御子育くまむ』

 魂機張の神の御歌。

『魂機張命の清水真清水は
  主の大神の御姿なるも

 この清水掬べば千歳万歳の
  玉の生命は笑み栄ゆべし

 神の代の開けし遠き昔より
  まだ見ぬ清き玉の泉よ

 常磐樹の松に巣ぐひし真鶴は
  御子の千歳をことほぎまつらむ』

 美味素の神の御歌。

『甘き水柔かき水清き水
  万食物美味素の水よ』

 結比合の神の御歌。

『天と地と結び合せてすみきらふ
  この玉泉は神の姿よ

 この丘にかかるすがしき玉泉
  光れるは神の御心なるらむ

 天地を結び合せてすみきらふ
  玉の泉にみそぎせむかも

 真鶴の国の鏡と輝けり
  玉の泉の深さ清しさ

 ためしなきこの玉水にわが魂を
  洗ふもうれし岐美に仕へて』

 真言厳の神の御歌。

『言霊の幸はふこれの天界に
  吾はみそぎて真言を生かさむ

 主の神の感応ありしか水の面の
  みるみる波は高まりにけり

 真鶴の国土固めむと禊終へて
  いづの言霊われ宣らむかな

 瑞御霊神を助けて吾は今
  厳の言霊宣らむと思ふ』

 かく歌ひ給ふや、真鶴山は少しく震動し始め、アオウエイの音響いづくともなく高らかに聞え来る。

(昭和八・一一・二 旧九・一五 於水明閣 加藤明子謹録)



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